祈り
アスランの温もりはとても懐かしかった。
肌が、脳が、細胞が、心が……、彼を覚えていた。
瞳の色は変わってしまったけれど、そこに映るアスランの眼差しに変わりはなかった。髪の色は変わってしまったけれど、アスランは変わらぬ仕草でそれを撫でてくれた。
セアの記憶はある。
セアが見たものも、触れたものも、出会った者も、抱いた想いも……全部“自分のもの”として残っている。
それらは通りすがりに手にしたようなものではなかった。
セアとして懸命に生きていたから、セアの記憶はどれも深く刻まれている。
だから、アスランと交わした言葉を覚えている。アスランに抱いた想いも覚えている。
全部、大切なものだ。
アスランはそうでもないかもしれないが、ナナにとっては大切だった。
たとえ今の自分とは違っていても、それは確かに自分の一部だから。
たとえばこう考える。
セアはもうひとりの自分なのだ。
セアは、おくゆかしさとか、遠慮とか、気遣いとか、そういうものを身につけて育った自分だ。
きっと、みんなは笑って否定する。
セアは180度違っている。生まれ変わりでもしない限り共通点はないだろう……と。
カガリあたりははっきりと言葉にして言い切るだろう。
が、ナナ自身、今はすんなりとセアを受け入れている。
自分の一部として。もうひとりの自分として。
だが……、そんなセアだった自分を通り越してでも、はっきりと想い出すことがある。
それは平和への渇望であり、未来を奪う者への反発であり、そして……アスランのぬくもりだ。
セアでは得られなかったもの。セアが知らなかったもの。
それらを全部、取り戻した。
全部を取り戻して、セアまで手に入れて……何故だか前の自分よりも強くなった気分だ。
だから、進もう。
そう思った。
迷いなんてなかった。
ちゃんと、セアが進む方向を決めていた。みんなが、変わらず一緒にいてくれた。アスランが、全部を受け止めてくれた。
あとは、自分の足で走り出すだけ。
「久しぶり……」
グレイスの操縦桿を握って、思わずそうつぶやいた。
大丈夫……。セアが完ぺきに調整している。
セアはレジーナと同じように調整したつもりだが、そもそもレジーナのほうをグレイスに合わせていたのだ。
だから、大丈夫。変わらず、戦える。いや、ずっと、戦っている。
「行こう、グレイス……また、一緒に……」
もう一度つぶやいて、ナナは発進シークエンスを開始した。
≪グレイス、発進スタンバイ……!≫
「了解!」
コックピットの上部モニターに、ミリアリアの顔が映し出される。
≪ナナ……気をつけて……!≫
彼女もなんだか前よりずっと強くなったよう見える。
いや、彼女は変わらないのかもしれない。前から強かったから。
だからそう見えるのは、自分が彼女を前よりずっと頼りにしているからだと、ナナは思った。
「なんか、懐かしいね、ミリ」
≪え……?≫
グレイスをカタパルトまで移動させながら、ミリアリアの顔を見つめる。
「前の戦争の時も、こうやって出撃するたびに、ミリアリアが声をかけてくれてたでしょう?」
≪え、ええ、そうね……≫
彼女は少し戸惑った。
こんな発進の間際にする話ではないのかもしれない。
が、ナナは感情を言葉にしたかった。
「私はずっと、アナタの声に勇気をもらってた」
≪ナナ……≫
「それを今、想い出したから」
最初は気持ちなんて通っていなかった。彼女は自分を恐れていたし、反発していた。
自分も彼女に心を開かなかった。
だが、そんな頃からも、彼女の声は自分を励ましてくれていた。まるで自身が出撃するかのような怖れを浮かべた瞳でいて、それでも懸命に、冷静で機敏なナビゲーションをしてくれた。
そして、その声には祈りが込められていた。
絶対に道を切り開いて「帰って来て」……と。
「護って欲しい」だけじゃない。「帰って来て」と、そう願ってくれていた。
気のせいでも思い込みでもないはずだ。
その証拠に、冷静沈着だった自分の心が、発進と同時に奮い立つのがわかっていた。ナビゲーション中のやりとりだけでも、彼女と“仲間”になれていた気がした。
今もそうだ。彼女の祈りを感じる。
時を経て、彼女とは世間で言う“親友”と呼べる関係になった。
だからいっそう、彼女の心を感じるのだ。
≪ナナ……、絶対に帰って来てよ!≫
彼女も感じたのだろうか。いっそう強い視線をよこした。
≪もう、勝手にどこかへ行っちゃうのはナシだからね!≫
「うん、わかってる!」
その視線にも口調にも、よけいに懐かしさを覚える。
「またミリに会えてよかった!」
素直に言うと、ミリアリアの瞳が潤んだ。
「ありがとう。アークエンジェルに戻って来てくれて」
彼女は唇を噛んだ。
そして、怒ったように言う。
≪今度帰って来なかったら絶交だからね!≫
「それは困る! せっかくできた“親友”なのに……! また友達いなくなっちゃうじゃない!」
≪だから、絶対戻って来て!≫
ナナはうなずいた。
「またケーキ食べに行こうね!」
そう言うと、ミリアリアは目元をこすってこう返した。
≪仕方ない……。また付き合ってあげるわよ、あんたのお忍びスイーツツアー……≫
以前、ミリアリアを誘ってケーキやらパイやらの有名店を“はしご”したことがあった。
もちろんナナの顔は世界中に知られてしまっていたので、“お忍び”という形で、細心の注意を払いながらの街歩きだった。
当然、ミリアリアは気が気ではなかったらしい。なんとしてもナナを護らなくては……と必死だったようだ。
そう……、この間のラクスとセアのような感じだったのだ。
だが、また付き合ってくれると彼女は言う。
ナナはぼんやりとした未来に、一枚のくっきりとした光景を描いた。
ふいに消えて、不意に戻っても、変わらずいてくれた親友。また……、いや、もっと輝く
≪ナナ、絶対に帰って来て……! お願い……!≫
ミリアリアはそうささやいた。小さな声音でも強い祈りだった。
誰かの祈りが力になる……。
そう実感した。
体中に巡っていくミリアリアの祈りを感じて、大きくうなずいた。
薄っぺらい約束は言わなかった。
だが、この想いは強く真っ直ぐなものだと知って欲しかった。
ミリアリアは笑ってくれた。
きっとまた会える。
そう思った。
この艦を護って、自身も生き残って、みんなで未来を見よう……。
そう思った。
≪グレイス、カタパルト接続。システムオールグリーン。発進どうぞ!≫
「ナナ・リラ・アスハ……、グレイス、発進します!」
これは二人の戦い。みんなの戦い。
一緒に戦う……。
恐れなど一点も無かった。
ナナはかつてのどの出撃よりも強い力を感じながら、宇宙へと飛び出した。