現在……。
『ボギーワン』の追撃を断念したミネルバは、思いがけぬ形でアーモリーワンの港を飛び出してから初めて、安息の時を迎えていた。
追撃戦は、両者複数のモビルスーツが入り乱れ、両艦砲が火を噴き合う激しい戦闘だった。
ミネルバは一時、ボギーワンのデコイに引っかかり、小惑星に足を止められた。
惑星に艦体を押し付けられたまま集中砲火を浴びせられ、成すすべもなく艦が大破する危機的状況だった。
が、アスランの進言によってその危機は回避されたのだった。
『やっぱり、キレイごとはアスハのお家芸だな!!』
シンという少年の、敵意に満ちた言葉と瞳。
『ならばもし、それが偽りだとしたら……。それは、その存在そのものが偽り……ということになるのかな?』
ギルバート・デュランダルの、全てを見透かしたような視線。
そして激しい戦闘。モビルスーツ。モビルアーマー。戦艦。身体に受ける圧と、緊迫した空気……。
たった数時間、いや、数十分間のできごとだったはずなのに、それらがアスランの数か月を打ち砕く。
鋭い視線も、戦火の光も、瞼の裏に焼き付いて離れない。
ぐるぐると、新しい記憶が激しく脳裏を駆け回り、聞き慣れない声が耳の奥でこだまする。
そして、
『このままここにいたって、ただ的になるだけです……! 今は状況回避が最優先だ!』
口を突いて出た、
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アスランは頭を抱えた。
この数か月、必死で保ち続けて来た“自分”が、ぐちゃぐちゃに歪んで壊れて行きそうだった。
あれから……あの悲劇の日から、絶望の淵に沈むことなく生きてこられたのは、約束があったからだ。
ナナの居ない世界を、ナナとの約束のためだけに生きてきた。
『カガリをお願い。あのコを護って、アスラン』
そのためだけに……。
カガリだけを見て、生きてきた。
護衛として彼女に寄り添い、思うように進まない議会に苛立つ彼女をなだめ、首長たちの心無い言葉に落ち込む彼女を慰めてきた。
ナナとの約束のとおりに、この命を使うだけでよかった。
それしかできなかった。
だから、アーモリーワンで思わぬ戦闘に巻き込まれた時でも、迷うことなくザクの操縦桿を握ることができた。
たとえ再び戦場に立つことになったとしても、カガリを護るために取るべき行動を選ぶだけでよかった。
それで、己の迷いに終止符を打つことができた。
乗り込んだミネルバが、予想外にも不明艦の追撃に向かうこととなっても、ただカガリを無事にオーブに返すことだけを考えていればよかったのだ。
この艦が、どうなろうとも……。
だが、今。
カガリを護るために生きていた“アレックス”という自分が、壊れかけている。
きっとあの時からだ。
アスランには否定したい心当たりがあった。
カガリをどうにかして無事にオーブに返すことだけを考えながら、デュランダルの後について艦内を見学していたあの時。
たまたますれ違った赤服の『セア』という少女。
思わず口をついて出た、『ナナ』という名前。
その存在を求めて、勝手に動いた身体。
そんなはずがないとわかっているのに、止めようがない衝動。
セアがナナであるはずはないのに、それはわかっているのに……、彼女にナナを見てしまった。
それから、鍵をかけた箱が、脆くも壊れようとしている。
懸命に押し込んできたナナの姿、ナナとの思い出が、そして、ナナへの想いが……蘇えろうとしている。
不毛だ。
ナナはもういない。
ナナとの約束を思い出せ。
カガリを護ることだけを考えろ。
強く、自分に言いきかせた。
今までそうしてきたように……。
それでも、強固な箱を再び築くことができずにいる。
だから、本当なら想定外の戦闘に巻き込まれ、あげくシンに思いがけない敵意をぶつけられて動揺しているカガリのそばにいてやらねばならぬのに、こうしてひとり、誰も居ない待機所で頭を抱えているのだ。
情けない。
自分を鼓舞しても、罵っても、顔を上げることはできなかった。
今、きっと……ナナは困ったような顔でこちらを見ているだろう。
いや、駄目だ。
ナナを想い出しては駄目だ……。
虚しくも激しい葛藤を続けているアスランの耳に、賑やかな声が聞こえて来た。
若者の声、数人の足音。
それがピタリと止まったのは、この待機所の入り口だった。
アスランはようやく顔を上げた。
立っていたのは、あのシンと……ルナマリア、レイ、ブリッジにいた管制官のメイリン、そして……セアだった。
アスランの姿を目にしたとたんメイリンは慌てて口を手で押さえてルナマリアの後ろに隠れ、シンはまた、鋭い視線を遠慮もなしにぶつけてきた。
レイの表情は変わらなかったが、彼の後ろにそっと身を潜めたセアはやはり、怯えたような目をしていた。
「ちょうどあなたの話をしていたんですよ、アスラン・ザラ」
ルナマリアはまっすぐに近づいて来て、こう言った。
「伝説のエースにこんなところでお会いできるなんて、光栄です」
彼女が『アスラン・ザラ』をどう思っているのか、アスランには知り得なかった。
本当の名前で呼ばれることが、今は居心地が悪くてしかたなかった。
だからただうつむいて答えるしかなかった。
「オレは……アレックスだよ」
だが、目の前に立つ自信に満ち溢れたような赤服の少女は、そんな言葉でやり過ごせるほどあまくはなかった。
まるでアスランの中に渦巻くものを察しているかのように、勝気な笑みを浮かべて言う。
「だからもう、モビルスーツには乗らないんですか?」
思わず睨み上げた。
が、視界の隅にセアを捉えてしまい、それ以上は何も言えなかった。
「よせよルナ。オーブなんかに居るヤツは何もわかってないんだから」
シンが吐き捨てるように言いながら去って行った。
今はその真意を確かめる余裕はない。
「失礼します」
相変わらず無表情のまま、レイは敬礼をして去った。
隠れる壁を失ったセアが、慌てて敬礼をしてレイを追いかける。
「でも、艦の危機は救ってくださったそうですね。ありがとうございました」
ルナマリアはまだ含みのある声でそう言って敬礼をし、ゆったりとした歩みで立ち去る。
彼女を追いかけてメイリンもいなくなり、アスランはまたひとりになった。
床に視線を落とす。
すごく疲れていた。
何故、あれほどナナとは似ても似つかない振る舞いをするセアに、ナナの面影を見てしまうのか。
どちらかといえば、ルナマリアの性格のほうがナナを彷彿とさせるはずだ。
面立ちがかすかに似ているからといって、ああも違うのに、何故……。
また、そのことを考えようとして、アスランはギュウと目をつむった。
頭の奥が痛んだが、歯を食いしばってやり過ごした。
『カガリをお願い』
無理矢理にナナの声を思い出し……アスランはようやく重い腰を上げた。