白露型といっしょ   作:雲色の銀

4 / 10
時雨といっしょ

 雨はいつか止むさ。

 

 蒼く澄んだ水平線が果てしなく広がる。普段はゆらゆらと波立つ海面も、今は無数の雫に乱され激しく形を変える。

 何時止むかも分からない雨に打たれながら、水平線の上に立つ黒髪の少女は独り空を見上げて口を開く。その呟きも、雨音に掻き消されていった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 白露型駆逐艦二番艦、時雨。彼女が、現在の提督の秘書艦だ。

 時雨はこの鎮守府内で、最も提督と長い付き合いで何度も秘書を務めたことがあった。

 難易度の高い遠征任務などでは経験の豊富な彼女が旗艦となり、他の艦と秘書艦を変わることもある。だが、過ごした時間が長くて落ち着くからか、提督は度々時雨を秘書へ戻していた。

 

「提督、お茶を淹れてみたよ」

 

 提督のやる仕事がよく分からない時雨はあまり手伝うことが出来ず、自身の報告書や資材の確認、各部に指示を下すこと以外はやることがなかった。

 最も、これは他の艦娘達も同じで提督の仕事そのものの手伝いは誰にもやらせていない。時雨は秘書艦として、十分優秀に働いていた。

 大和撫子という言葉が似合いそうな艶のある黒髪を揺らし、時雨は提督の机にお茶の入った湯呑を静かに置く。

 

「ありがとう」

 

 提督は湯呑を受け取ると、ひょこっと左右に跳ねている犬耳のような癖毛が目に入った。

 数多くいる駆逐艦の中でも白露型の艦達とは仲良くなる機会が特に多かった提督だが、全員がそれぞれ犬のような特徴を持っているなと思い浮かべた。

 時雨は主人に従う賢い忠犬のようなイメージだ。言われたことをワンと吠えずにやり遂げて見せる、クールな犬。しかし、内心ではかなり主人に甘えたがっているのではないか。

 

「どうしたの?」

 

 提督の視線を受け、首を傾げる時雨。その拍子に肩に垂らした三つ編みと癖毛がまた揺れる。まるで黒い子犬の耳と尻尾のようだ。

 提督は可愛らしさに心打たれ、ついつい時雨の頭を撫でてしまった。

 急に頭を撫でられた時雨は恥ずかしがって顔を赤くするが、嫌がる素振りを見せなかった。やはり、何処か心の中では撫でられたいと思っていたのだろうか。

 こうやって、時雨が秘書になると2人は仕事の合間にじゃれ合うのだった。

 

 暫くして、頭を撫でられていた時雨は窓から外を眺めていた。

 今日は朝から雨が降りしきっており、任務のある者以外は好き好んで外に出ようとしない。

 それでも、時雨はずっと物静かに外の雨を眺め続けていた。

 

「雨、好きなのか?」

 

 提督は、そんな時雨に気になっていたことを聞いてみた。思えば、時雨の言葉は雨に関係するものが多い。

 そもそも、白露型の艦の名前は雨に由来している。時雨とは、秋から冬にかけての一時的に降ったり止んだりする雨のことだ。

 

「……どう、なのかな。多分、好きかも」

 

 時雨は曖昧な答えを返し、再び窓へ視線をやる。しかし、好きというには何処か悲しく儚げな表情が、提督は気になった。

 名前の関係だけではない、複雑な心境が時雨にはあるのだろうか。

 

「提督、そろそろ出撃しよう」

「え? あ、ああ」

 

 提督が尋ねる前に、時雨は出撃準備をしにドックへ向かってしまった。

 

「第一艦隊、出撃するね」

 

 旗艦である時雨が率いる第一艦隊は、出撃予定の海域を進んでいた。

 ここで確認された深海棲艦は強力な種類ばかりで、経験を積んだ時雨達でも苦戦は必須である。

 最初のポイントに近付くと、出撃前に飛ばしていた偵察機が僚艦の航空戦艦、扶桑の元に戻って来た。どうやら敵を発見したようだ。

 

「提督、陣形は?」

 

 艦隊戦において、陣形は重要な要素である。陣によってこちらの攻め方が決まり、相手の有利不利が決まるのだ。

 第一艦隊は駆逐艦2隻、航空戦艦2隻、重巡洋艦1隻、軽空母1隻で構成されている。航戦には空戦も出来る水上偵察機「瑞雲」が搭載されている為、軽空母2隻程度の構成ならばこちらが空戦で引けを取ることはない。

 

「単縦陣で」

 

 提督が指示した陣形は、最もシンプルで砲戦に特化した単縦陣だった。敵に潜水艦でもいない限りは、砲戦で本陣まで押し切るのも有効な戦法だ。

 時雨は頷き、各艦を背後に陣を取って敵艦へと進んでいく。

 敵もこちらに気付いたようだが、空母はいないようだ。ただ、戦艦を旗艦としてこちらと同じく単縦陣で構えている。

 

「伊勢、日向には、負けたくないの……!」

 

 扶桑はライバルである伊勢型の航空戦艦への対抗心を闘志に変え、瑞雲を飛ばす。敵には飛ばす航空機はないので制空権を楽に確保し、爆撃を敵艦隊に叩き込んだ。

 結果、後ろに控えていた重雷装巡洋艦を撃沈させることに成功した。だが、敵の旗艦はまだ健在である。

 そこから先の砲撃戦は、普段提督とじゃれ合う時雨しか知らないものにとっては間違いなく目を疑うほど凄惨な光景であった。

 背部から腰に取り付けていた砲台を取り外してトンファーのように構えると、敵に情けを与えない非情な顔付きになり、敵艦に狙いを定める。

 まずは戦艦のすぐ背後にいる軽巡洋艦。この程度の装甲ならば、時雨の砲撃で打ち抜くことが出来る。

 

「行くよ」

 

 時雨が左右の砲口から同時に放った砲撃は、軽巡洋艦の装甲を見事に貫通して撃沈させた。運よく当たり所もよかったようだ。

 しかし、1隻沈めたところで安心してはいけない。時雨は息を吐く間もなく、別の敵艦からの砲撃を軽々と避けながら高速で近付く。その駆逐艦に肉薄したところで、右手に持つトンファーのような砲門を直接艦体に叩き込み大海原へと沈めた。

 

「沈め」

 

 冷徹な表情のまま、時雨は水面に叩き付けた駆逐艦にそのままゼロ距離で砲撃を浴びせ、容易く破壊した。

 爆発の衝撃で海水が勢いよく跳ね上がり、土砂降りの雨に交じって時雨へ降り注ぐ。

 その時、時雨の脳裏にとある光景がフラッシュバックしてきた。

 よく晴れて星の見える黒い夜空に、海水の雨が降り注ぐ。

 ただの海水のはずなのに色は紅く、硝煙と鉄の臭いが潮の香りを掻き消していく。

 

「時雨!」

 

 数瞬だけ意識を飛ばしていた時雨は、自身を呼びかける扶桑の声に気付く。だが、敵戦艦の砲撃を避けるにはもう遅く、防ぐことすら出来ないでいた。

 咄嗟に目を瞑る時雨。駆逐艦の装甲では一発大破は免れない。そのはずなのだが、時雨に砲撃が当たることも、大破どころか傷一つ負うこともなかった。

 恐る恐る目を開くと、前には仲間を象徴する巨大な艤装が影を作っていた。

 たまたま時雨の近くにいた航空戦艦、山城が彼女を庇っていたのだった。

 

「山城っ!?」

 

 時雨は慌てて駆け寄る。砲撃を受けた山城は、巫女のような服装を大事なところをギリギリ隠す危ないラインまで破損し、巨大な艤装の砲台は半分が損傷を追っていた。

 

「あぁ、やっぱり不幸だわ……。けど、時雨が無事なら……」

「ゴメンよ、山城! 僕がボーっとしてたから!」

 

 山城は泣きじゃくる時雨の頭を優しく撫でる。ただ、損傷は大きいものの中破程度で、命に別状はない。

 山城の無事を確認した時雨は態度を一変、獲物を狩る肉食獣のように眼光を光らせ、敵艦隊の旗艦を見据える。

 そして、急速接近を仕掛けつつ、両手に構えたトンファー型の砲台から次々と砲撃を浴びせた。

 駆逐艦の火力は、二段階改造を終えた時雨であっても戦艦の装甲を破るには難しい程度。いくら時雨の砲撃を受けようと、敵戦艦へのダメージは微々たるものだった。そう、砲撃では。

 

「残念だったね」

 

 駆逐艦の武装は主砲だけではない。時雨は接近しながら戦艦目掛けて思い切り跳ぶと、太腿に取り付けていた発射管からありったけの酸素魚雷を発射した。

 駆逐艦は火力よりも雷装が高く、夜戦時の魚雷で戦艦を落とすことも出来る。

 流石に上から直接魚雷を叩き込まれるとは想定しておらず、敵戦艦は巨体を爆発四散させて海に沈んだ。

 

「君には失望したよ」

 

 砲撃を自身に当てることも出来なかった戦艦へ冷たい言葉を吐き捨てた後、時雨は再び山城の元へと駆け寄った。

 

 S勝利を飾った艦隊ではあったが、山城の損傷が激しい為一時帰投することになった。

 

「ご苦労様」

 

 時雨達がドックに戻ると、待っていた提督が慰労の言葉を贈った。

 進軍には失敗したものの、提督は艦隊が無事に帰ってきたことを喜んでいたのだ。

 

「特に時雨はMVPを取ったようだな。無傷だし、流石は幸運艦だ」

 

 時雨は旗艦を落としたこともあって文句なしのMVPに選ばれていた。

 ただ、自身の所為で山城を傷付けたことをまだ悔やんでおり、少しも喜んではいないが。

 タオルを配りながら時雨を褒める提督の言葉に、彼女はピクッと反応した。

 

「提督、少し休憩に入っていい?」

 

 タオルを頭に被った時雨は、低いトーンで提督に告げて逃げるようにドックから立ち去ってしまった。

 

「時雨……」

 

 提督としては、今朝からの時雨の様子をずっと気にしており、少しでも元気付けようと言った言葉だった。

 残された提督は山城と、少しダメージを負った扶桑に入渠するよう指示を下し、一人で提督室に戻った。

 既に空になった湯呑を見つめ報告書の制作を続ける。が、時雨の儚い様子がどうしても気になってしまう。遂には、報告書の字を一つ間違えてしまった。

 仕事に影響する程ならばと、提督は溜息を吐きながら放送用のマイクを取り出した。

 

「提督より連絡。今から名前を呼ぶものは、提督室に来てくれ」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 鎮守府の廊下を歩く時雨は、行く当てもないまま何度目かの溜息を吐いた。

 あのまま提督の傍にいれば、間違いなく提督は自分のことについて聞いてくる。そうすれば、弱い自分を曝け出すことになってしまう。きっと、提督に迷惑をかけてしまう。

 

「あ、時雨ちゃん」

 

 次の角を曲がろうとすると、ばったりと陽炎型駆逐艦の少女、雪風と会った。

 雪風も時雨も帝国軍随一の幸運艦として知られ、「呉の雪風、佐世保の時雨」と呼ばれている。その縁もあってか、見た目も中身も幼い雪風はクールで人当たりの良い時雨に懐いていた。

 

「やぁ、雪風」

 

 しかし、少し微笑んで挨拶をしただけで、時雨はすれ違って行った。

 今の時雨が抱えている憂鬱は、雪風とは関係ないものだからだ。

 雪風も特に時雨に用があった訳ではなく、若干様子が気になりながらもその場は立ち去って行った。

 幸運艦。そう呼ばれることにも慣れたはずだった。だが、時雨はそれがいいことだとは思っていない。

 幸運だから傷付かない。けど、それは他の艦の犠牲があるから。自分の仲間が傷付くぐらいなら、時雨は自分の運なんていらなかった。

 

「雨は……いつか……」

 

 いつか止む。そういう時雨の心の中の雨は現実と同様に未だ止みそうもない。

 

 時雨の奥底に眠る古い古い記憶。それは西村艦隊として出撃した、レイテ沖海戦の惨状。

 共に戦っていた扶桑・山城姉妹、重巡洋艦の最上、駆逐艦の満潮。

 数時間前までは仲良く話をしていたはずなのに、夜戦での砲撃は全てを奪い去って行った。

 優しく撫でてくれた白い腕も、中性的な声と笑顔も、強気ながら何処か達観した姿勢も。砲戦の衝撃で飛び散った、止むことのない海水の雨の中に消えていく。

 ただ一人生き残った時雨はあの惨状を心に刻み、止むことのない雨を降らせ続けている。

 時雨にとって、雨は血の涙の代わりなのかもしれない。けど、血や硝煙の臭いを消し、耳障りな砲撃の音を掻き消してくれるのもまた雨なのだ。

 トラウマの元でありながら、風情のある雨が時雨は好きだった。特に、降ったり止んだりを繰り返し、人生の無常を表す儚い通り雨が。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「時雨にそんなことが……」

 

 提督室では、提督が呼び出した白露型の駆逐艦達に時雨のことを尋ねていた。

 本人に聞いても話したがらないだろうし、もしもトラウマを抉るようなことになれば申し訳が立たない。

 結果、提督の見立ては正しかった。レイテ沖海戦の悲惨な状況は彼も人伝に聞いていたのだ。

 

「時雨は山城に庇われたのがショックだったみたい」

「あの時も、時雨の傍に山城がいたって言うし」

 

 白露と村雨が、時雨の戦果と様子から推測する。勿論、だからといって庇った山城が悪い訳ではない。

 時雨にとってはある意味で、不幸だっただけなのだ。

 

「雨に関してはよく分からないっぽい。けど、砲戦で海水が飛び散ったのを雨みたいだって言ったことはあったよ」

 

 加えて、夕立が時雨と出撃した時のことを思い出していた。敵を撃破した時に降り注いだ海水を、時雨は儚げに見つめていたという。

 姉妹の中でも取り分け影のある印象を持つのも、こういった悲劇と直面しているからであろうか。

 とにかく、時雨のことが大体分かって来た提督は、どうすれば時雨の心を落ち着かせることが出来るのか、考えていた。

 

「しれぇー」

 

 そこへ、雪風がノックもなしに提督室に入って来た。まだまだ子供の彼女にとって、鎮守府は自宅のような感覚なのだろう。

 

「雪風、ノックはするよう言ってるだろ?」

「あ、すみません」

 

 溜息交じりの説教に、雪風は舌足らずな口調で頭を下げた。

 仕草がいちいち小動物のようで、一部の女性提督からはペットのように扱われているのだとか。

 

「まぁいい。それより、時雨のことで相談があるんだが」

「時雨ちゃんですか? そういえば、さっきすれ違いましたよ?」

「何っ!?」

 

 時雨と仲のいい雪風にも話を聞こうと思っていた提督だったが、いなくなった時雨と会っていたことは予想外だった。

 丁度、時雨を探そうとも思っていたので、これは都合がいい。

 

「何処に行ったか分かるか?」

「えっと……多分、入渠ドックの方だったと思います」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 フラフラと歩き続けた時雨は、何時の間にか入渠ドックの前まで来ていた。

 流石に疲れたのか、人通りのない廊下に座り込む。

 

「はぁ……」

 

 尚も消えないトラウマの雨に、時雨は溜息を吐く。

 普段ならばすぐに元に戻るはずなのに、今日に限ってはレイテ沖海戦の光景が頭から離れてくれなかった。

 恐らく、山城が自分を庇って傷付いたからだろう。

 

「何辛気臭い顔してんのよ」

 

 体育座りで塞ぎ込んでいた時雨に、ふと呼びかける強気な声。

 顔を上げると、駆逐艦らしい小さい体ながら、キツイ視線を浴びせる少女が仁王立ちしていた。

 彼女こそ西村艦隊に所属していた駆逐艦、満潮だった。

 

「今日の出撃で何かあったのかな?」

 

 更に、満潮の後ろから小豆色の制服を着たボーイッシュな艦娘が覗き込んでくる。

 元重巡洋艦にして、現在は改造を受けて航空巡洋艦になった最上も、西村艦隊の一員である。

 この2人が今、時雨の前にいるのは果たして偶然なのだろうか。

 

「まさか、今になって「あの時」のことを悲観してるんじゃないでしょうね?」

 

 満潮は呆れ顔で時雨の考えを見事に言い当てる。

 常に他人を突っ撥ねた態度を取る満潮だが、これは時雨と同様に頭に眠るトラウマが原因である。

 その為、元来の優しい性格を表に出すのは姉妹艦か西村艦隊の仲間達の前だけなのだ。

 

「ちょっとね……それより、何でここに?」

「私が呼んだのよ」

 

 満潮と最上は今日は出撃しないはずだ。当然傷も付いていないので、入渠ドックに来る用はない。

 そんな時雨の疑問に答えたのは、丁度入渠ドックから出て来た山城と扶桑だった。

 これで、現在この鎮守府にいる西村艦隊のメンバーは全員揃ったことになる。

 

「今日のことで、アンタがまた思い出しているんじゃないかって」

「時雨、大丈夫?」

 

 前線での時雨の豹変ぶりを見ていた扶桑姉妹は、時雨が心配になって満潮と最上に召集を掛けたのだ。

 彼女等はレイテ沖で全員沈んでしまったが、時雨のみが生き残ったために抱いている思いも別のものなのだ。

 

「ここは私達しかいない。西村艦隊しかね。だから、思いを全部吐いちゃいなさい」

「僕達なら、全部聞いてあげるからさ」

 

 満潮達の後押しもあってか、一人残された少女は瞳から涙を一粒流した。

 

「僕は、皆の迷惑なんじゃないかって。幸運艦とか呼ばれているけど、皆に不幸を押し付けているだけなんじゃないかって思うんだ。どうして僕一人だけが残されてしまったんだろう。皆を救うことが出来なかったんだろう」

 

 時雨は幸運艦と呼ばれる自分への苛立ちを思い切り吐き出した。

 生き残った幸運と引き換えに、時雨はたくさんの仲間が沈んでいく光景を目の当たりしてきた。姉妹艦である白露達も同じ部隊でありながら、時雨を残して沈んでいった。

 姉妹も仲間も失い一人になった時雨だからこそ、今の冷静な性格になってしまったのだ。

 

「僕は皆と一緒にいても良かったのかなって、時々思うんだ。僕にとっての幸運が皆にとっての不幸を呼ぶのなら」

「何言ってんのよ」

 

 時雨の言葉を、満潮が遮る。口調は相変わらずキツイが、その表情は何処か憐れみを抱いているようにも見える。

 

「戦争なんだから、何時沈んでもおかしくなかった。アンタはその中で生き残った。ただそれだけよ」

「そうそう、時雨が生き残ってくれただけでも僕達は幸せだったよ」

「私達の不幸は、今に始まったことじゃないし……」

 

 満潮も、最上も、扶桑も、誰も時雨を疫病神と罵ることはなかった。

 彼女達は戦場で勇敢に戦い、命を散らした。それが彼女達自身の不幸であっても、時雨の所為ではないのだ。

 時雨という言葉に付けられた意味の通り、人生は無常である。現に、生き残っていた時雨も最期は敵の潜水艦によって撃沈されてしまった。

 

「それに、私達はもう沈んだりしないよ!」

 

 更に、元気な声が背後から響き渡る。

 振り向くと、時雨を探し回っていた姉妹艦達と雪風、そして提督がいた。

 ずっと後ろで話を聞いていたようで、特に雪風は目に涙をいっぱい溜めている。

 

「ぐすっ、雪風は、自分の幸運ばっかり、喜んでました……!」

 

 時雨の想いを聞いて、同じ幸運艦の雪風は運の良さを喜ぶだけの自分が恥ずかしくなった。

 だが、雪風は僚艦が沈むことで周囲から死神や疫病神と呼ばれたことがあった。

 

「でも、責めて生き残った自分は、皆さんの分も行きようと思ってました! だから、だから……!」

「雪風……」

 

 例え死神と罵られようと、雪風は沈んだ仲間の分も生きる決意をしていた。

 それが幸運な自分が出来ることだと信じて。

 

「私達、時雨に沈められた訳じゃないしねぇ」

「私は素敵なパーティーしたからっぽい?」

「タンカーなんて予想出来ないし!」

 

 村雨達も、それぞれ沈んだ理由は別にしても、時雨を迷惑だと思ったことは一度もない。

 寧ろ、武勲艦である姉妹を誇りに思うくらいだ。

 この場にいる者は皆、時雨を心配して集まってきたのだから、時雨の言うように迷惑がったりはしなかった。

 

「俺は艦娘達の昔のこと、文面や話ぐらいでしか分からない。けど、今一緒にいる俺達は、お前一人を残して沈むつもりは一切ない」

 

 最後に提督が前に出て、時雨の頭を撫でる。優しく、家出した犬を落ち着かせるように。

 時雨の周囲には、かつて目の前で沈んだ仲間達が笑顔で自分を受け入れてくれている。

 時雨の不安な心は氷解し、最後にもう一押しが欲しくなって、ポツリと尋ねてみた。

 

「僕はまだ、ここにいても大丈夫なのかな?」

「勿論!」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 夜の波が静かに揺らぐ。

 雨はすっかり上がり、砲撃の音も今夜は聞こえない。

 鎮守府の窓から優しく吹き抜ける潮風が、時雨の柔らかな頬を撫でる。

 

「提督、静かな夜だね」

 

 話しかけるも、返事はない。

 時刻は午前2時(マルフタマルマル)。疲れ果てた提督が居眠りしてしまうのも仕方がない。

 小さな寝息を立てる提督に、時雨はフッと笑いかけた。

 

「お休み、提督」

 

 時雨はそっと毛布を掛けてやると、無防備な額に唇を当てた。

 大好きな提督や姉妹達には内緒の行為に、ポッと頬が赤く染まる。

 そして、時雨はまた窓から凪いだ海を眺めていた。火照ってしまった所為で、もう少しの間は寝れそうにない。

 

「雨、止んだよ。提督」

 

 あまりにも静かな天気は、時雨の心の中を表しているようだった。

 きっと明日はよく晴れるだろう。雨が好きな時雨も、もう暫くは晴れていて欲しいと願っていた。




時雨といえば、西村艦隊は外せないと思います。
なので、今回は時雨の台詞から色々と想像して書きました。
物静かでクールなんだけど、時報ボイスでも分かるように提督に懐いているいい娘なんです。

そういえば、2番艦ってしっかり者が多いような気がします。
時雨、響、如月、不知火、神通。彼女等の絡みも見てみたいですね。

戦闘シーンも、時雨改二の武器がトンファーっぽいとのことでしたので、格好良くしてみました。実際に昼の砲撃戦でも魚雷が使えたら駆逐艦が最強になりますね(笑)。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。