白露型といっしょ   作:雲色の銀

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ドジっ娘といっしょ

 昼下がりの執務室。提督は今日も書類に目を通し、今週中に熟すべき任務の確認や当鎮守府の軍備状況の確認をしている。

 昼食を取ってからは休むことすらも忘れて仕事に取り組んでいた提督も、そろそろ座りっぱなしの体勢に疲れが溜まってきたようである。キリのいいところで、提督は腕を伸ばした。

 

「ん?」

 

 そこで、提督は漸く今日の秘書艦が執務室にいないことに気が付いた。

 よく秘書艦を任され、鎮守府内でも練度の特に高い白露型の一番艦から五番艦までは、現在は第二艦隊や第四艦隊を引き連れて難易度の高い遠征に向かっている。

 では、今日の秘書艦は誰なのか。

 

「失礼します!」

 

 その時、コンコンと扉がノックされ、元気のいい声と共に一人の少女が執務室へ入ってきた。

 白い袖なしの制服と紺色のネクタイ、腰には青い玉飾りを左右2つずつ付けた、駆逐艦の中でも珍しい恰好である。だが、彼女の一番のトレードマークは長く伸びた髪だろう。その透き通るように青い髪は、彼女の清純さをこれでもかという程よく表している。

 彼女は白露型六番艦、五月雨。白露達の妹であり、本日の秘書艦だ。

 

「提督、お茶を淹れました!」

 

 優しい笑顔を浮かべる五月雨は、白露型の面々の例に漏れず優しい性格の女の子だ。その清楚で明るく、可愛らしい彼女の姿に心打たれた人間は数知れず、大本営や各所鎮守府では提督達による「五月雨教」という謎の集団が出来ている程の人気を誇っていた。因みに、ここの提督は入団していない。

 その女神と讃えられる笑顔のした、黒い長手袋をした両手には湯気の立った緑茶入りの椀が乗った御盆が運ばれていた。

 この瞬間、提督の脳裏に非常警報が鳴り響いた。

 

『ここから逃げなければ。いや、逃げても書類が殺られる。しかも、ここの書類は大本営に提出するもの。汚されたら、一から作り直しだ』

 

 咄嗟に脳内会議を済ませ、提督が取るべき行動はたった一つのみであった。

 

「きゃっ!?」

 

 次の瞬間、五月雨は自身の長すぎる髪を踏んでしまい、盛大にすっ転んでしまった。当然、運んでいたお茶も宙を舞う。

 提督は書類が濡れないよう、自身が盾となり熱い茶をその身に浴びた。

 

「ギャーーーーッ!?」

 

 こうして、自分の身と引き換えに書類を守った提督の悲鳴が鎮守府内に響き渡ったのであった。

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 暫くして、風呂から上がってきた提督に五月雨はひたすら謝り続けていた。

 五月雨の最大の欠点。それは、所謂ドジっ子であることだった。歩けば転び、茶を淹れれば提督に掛け、建造・開発は頼めばたちまちペンギンのぬいぐるみが出来上がる。

 本人は決して悪気がない上、ドジっ子からの脱却を日々目指している健気な娘なのだが、努力に結果が追い付いていないのだ。

 

「別に気にしてないさ」

 

 提督は笑って五月雨を許す。最初は唖然としていた提督だが、五月雨と過ごしていく内に慣れてしまったのだ。

 ここまでドジっ子である理由は、やはり前世の艦時代にもドジをやり続けたことであるとされる。

 一番艦の白露との衝突事故、ソロモン海戦にて夕立の介錯に発射した魚雷を全弾外す、戦艦「武蔵」の護衛中にスコールに巻き込まれて迷子、無人の貨物艦に気を取られて浅瀬に座礁して一週間後に沈没、と話にネタが尽きないレベルである。

 本人にこの話をすれば間違いなく顔を真っ赤にして恥ずかしがり、白露に謝ろうとして頭をぶつけるドジをまたしてしまう始末。

 

「私、どうしてこんなにもドジなんでしょう……」

 

 毎度のことながら、ドジを繰り返してしまう五月雨はシュンと落ち込んでしまう。

 提督はもう付いて生まれた特性なんだと半分笑っていたが、五月雨自身にとっては重い悩みのようだ。

 

「それに私、夜になると時々思うんです、比叡さんごめんなさいって。でも、よ~く思い出せなくって……」

 

 五月雨の言っていることは、恐らく第三次ソロモン海戦のことだろう。当時は混戦だったとはいえ、金剛型戦艦二番艦「比叡」を敵と勘違いして機銃の弾を浴びせまくったのだ。

 同士打ちはすぐに止んだが、その後で奮闘虚しく激しい損傷を負い自沈という決断を下されてしまった。

 この時の誤射は何の因果関係もなかったのだが、五月雨にとっては混戦で思い出せなくとも比叡に対する罪の意識として残ってしまったようだ。

 

「別に、無理して辛い記憶を思い出さなくていいんじゃないか?」

 

 提督は溜息を吐いて、箪笥から予備の帽子を取り出して被る。

 お茶を被って汚れてしまった帽子と制服は、妖精達の手で洗濯されているところだ。

 

「けど、もし何か取り返しのつかないことを比叡さんにしていたのなら……!」

「取り返しのつかないこと、とは?」

 

 納得のいかない五月雨に、提督は尋ね返す。

 今までドジを温かく見守り、許してきた提督とはまた違う冷たい表情を浮かべていた。

 

「取り返しのつかないことをされて、比叡がそれを忘れていると? なら、今の比叡がお前を見る目はどうだ?」

「そ、それは……」

 

 提督の問い掛けに、五月雨は言葉を詰まらせる。

 比叡もまた、艦娘としてこの鎮守府に配属されている。だが、五月雨とあっても特に恨み言や憎しみをぶつけず、一緒に戦った仲間として優しく接している。

 それを知っているからこそ、提督は比叡の優しさを疑うような五月雨の言葉を認める訳にはいかなかった。

 

「白露はどうだ? ぶつかったことを未だに責めるか? 夕立は介錯を失敗したお前を蔑んでいるか?」

「あう……」

 

 五月雨は、目に涙を浮かべながらも首をブンブンと横に振る。姉妹達が今更五月雨のドジを気にする訳がなかったのだ。

 

「この鎮守府に、お前のドジを責め立てる奴なんかいない。それは、お前が一生懸命ドジを直そうとしているからだ。明るく、真面目に頑張るお前を応援しているからなんだ。だから、自分自身を責めるのはやめろ」

 

 提督は漸く優しい口調に戻り、五月雨の頭を撫でる。

 自分が許され、応援されている。そう気付いた五月雨は、先程までとは違う理由で涙を流していた。次からはもっともっと頑張れるように。

 

「それに、ドジがお前だけの専売特許と思ったら」

「ちわーっ! 五月雨―、提督―! 暇だから様子を見に……」

 

 提督が慰めていると、突然ドアがバンッ!と開き、白露型十番艦の涼風が威勢のいい挨拶と共に入って来た。

 しかし、タイミングが悪かった。涼風の目に飛び込んできたのは、秋だと言うのに制服の上着を脱いだ提督と、大泣きしている五月雨の姿だったからだ。

 傍から見れば、この状況は明らかに提督が五月雨を泣かしているようにしか見えない。

 

「べらぼうめぇ! 何五月雨を泣かせてんだ!」

「ご、誤解だ涼風! これは」

「てやんでぇ! 問答無用だぁーっ!」

 

 提督が事情の説明をしようとするが、江戸っ子気質の涼風は話を聞こうとしない。

 仲のいい姉妹を泣かされたことにすっかり腹を立てた涼風は、提督目掛けてドロップキックを放った。

 1700トン級のドロップキックを食らい、提督の二度目の悲鳴が鎮守府内を駆け巡った。

 因みに、話に上がっていた比叡は試作カレーで姉の金剛を撃沈してしまい、「ヒエー!」と叫び声を上げていたという。

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 夜も更けた頃合。時雨達が漸く遠征から帰ってくると、報酬として持ち帰った資材を倉庫に起き、まずは執務室へ立ち寄った。

 

「提督。艦隊が無事帰投したよ……って」

「あぁ、お帰り……」

 

 ちゃんと扉をノックして、中に入って来た時雨は提督の様子を見て驚きのあまり言葉を失う。

 提督は涼風の攻撃を受けてしまったため、ソファの上で倒れていたのだ。その横では、漸く事情を知った涼風が提督に必死に謝っていた。

 

「なぁ、悪かったって提督! この通りだ!」

「お前は、もう少し話を聞こうな……」

「提督、大丈夫?」

 

 痛みで苦しむ提督に、何があったか推測できた時雨は苦笑しながらも心配する。

 これが普通の対応だな、と提督が考えていると、またしても五月雨の姿がないことに気付いた。

 

「提督! 今度こそ、お茶を淹れました!」

 

 そこへ、五月雨が再びお茶をお盆の上に乗せて執務室に入ってきていた。今度は髪の毛を踏まないよう細心の注意を払って、恐る恐る歩いてくる。

 丁度、提督の傍にいた時雨と涼風は、五月雨が近寄った瞬間すぐにその場を離れた。が、提督はまだ痛みが引かないので動けない。

 それでも、流石に今度は大丈夫だろうと提督は考えていた。

 

「作戦が終わった艦隊が戻って来たよ!」

 

 次の瞬間、遠征を終えた白露が提督に報告しようと執務室へ勢いよく入って来た。

 これはいつものことなのだが、今回は涼風以上にタイミングが悪すぎた。白露が入ってすぐ目の前に、お茶を運んでいた五月雨がいたのだ。

 白露と五月雨はぶつかってしまい、同時に転ぶ。そして、運んでいたお茶はまたも宙を舞い、運悪く提督の寝ていたソファへと飛んで行った。

 こうなってしまえば、もう結果は見えていた。

 

「あっぢゃああああああっ!?」

 

 本日三度目の提督の悲鳴。そして平謝りする秘書官と何が起きたかイマイチ分かっていない一番艦に、時雨と涼風はただ溜息を吐くしかなかった。




全国の五月雨教の皆様、お待たせしました!

ドジっ娘のお茶は被るものである。

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