衛宮士郎は、彼の短い人生において、史上最大の混乱の最中にいた。
隣に住んでいるおばちゃんが、持っていた
士郎は、目を擦って見直して、それでも認められずに首を振って目頭を押さえてもう一度見直して、しかしやはり現実は変わらず、やっぱり隣のおばちゃんがいたし、しかもさっきと姿勢が変わって青いタイツ男を正座させて説教をしていた。
なんだこれ…という言葉が彼の口から出てそのまま耳に入った。
ちなみに開いた口はそのまま塞がらなかった。
…ついでに言うと、自分の横には何故か金髪のコスプレ少女がいたりする。
めっちゃパツキンだ。
自分はヤンキーに喧嘩を売られるような覚えをしたことはないはずだ。
というかパツキンはパツキンで、さっきいきなり目の前に現れたのだ。
これにも士郎はびっくりはしたが、その程度だった。
おばちゃんの衝撃に比べたら少し弱い。
ちなみに「貴方が私のご主人様ですか?」みたいな質問をしてきたが、人生においてメイド喫茶に行った覚えは未だにないので回答はしていない。
なぜなら、安易にハイと答えてしまっては出張料金とか取られそうだからだ。
仮にメイド喫茶ではないとしても、もしかしたらこのパツキンは、エッチな大人が頼むデリバリーお姉ちゃん的なモノかもしれない、と思ったからだ。
その場合はさらに慎重に行かねばならない。
下手にはいそうです等と言った日には、コワモテのおにいちゃんが料金の回収にくるかもしれない…と推察されるから。
今日も士郎の思考は冴え渡っていた。
まあ士郎にとっては、そもそもそんな質問をされたことすら、隣のおばちゃん登場の衝撃によって吹き飛んでいたのだが。
士郎は、どうしてこうなったんだっけ…と、走馬灯のように今日の出来事を思い返していた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
衛宮士郎は、その日も遅くまで穂群原学園に居残り、家電修理に勤しんでいた。
テレビから洗濯機、電動マッサージ機と彼に直せないものはない。
そろそろ帰ろうかと士郎が教室から廊下にでたところ、グラウンドの方から大きな音が聞こえた。
気になって窓から覗くと、そこには彼が色々な意味でお世話になっている、クラスメイトである遠坂がいたのだ。
今日も太ももが眩しい。
士郎は感慨にふけりながら、遠坂がこんな時間にナニをしているんだろう…と疑問に思うも、そこは思春期特有の特に深く考えない思考と後先考えない行動力をもって、直ぐさまグラウンドに向けて駆け出していた。
階段を3段飛ばしで駆け降り、昇降口からグラウンドに向けた彼の瞳に写ったのは…ミニスカの似合う遠坂…と、その前には何か黒い影のようなようなモノが動き回っていた。
こんな時間につむじ風?
いや風は吹いていない、だったら一体何だろう…と士郎が疑問を口にしようとした瞬間、黒い何か動きを止めて、唐突にその姿を現した。
白髪に焼けた肌の赤い服の偉丈夫と、何か棒状の物を持った青い全身タイツのムキムキの偉丈夫。
しかしまた次の瞬間にはその姿はどちらも掻き消え、激しい音だけが響き渡る。
彼がよく目を凝らせば、それは先ほどの二人が超高速度で動き回っているのだと、かろうじて分かった。
高速度で動き回る二人のせいか、風が巻き上がり彼が大好きな遠坂のミニスカもフワフワと揺れる。
影達のことも気になるが、フワフワも気になる。
どちらも一瞬たりとも目を離せない攻防。
士郎は、風よもっと吹けと願った。
そして…彼は自分の運の良さと視力が良かったことに感謝した。
絶対の領域、その先にある最高の景色。
それは刹那の出来事であったが、彼はその景色をしっかりと目に焼き付けた。
黒い背景に"白"は見えやすいのだ。
しかし、そんな彼が思わず踏み出した足は、静寂に響き渡る程度の音を立てた。
黒い影達は即座に動きを止めて、音源である士郎の方を見つめる。
士郎には、その影達が何と言ったかはわからなかった。
しかし、"殺される"と、ただそれだけは、凄まじい殺気のようなモノだけは、感じ取ることができた。
そして生物としての本能に従い、即座に反転して逃げ出す。
『逃げなければ、アレは、アレは人間が相手にしていいモノではない。』
『チラリと見えた幸せの先に、こんな地獄が待っているのならさっさと帰っておけばよかった。』
『大体、アレらは一体何なのだ、どう考えても人間が出せる速度ではない動きをしていた。』
『そもそもなんで遠坂もいるんだ。』
士郎の頭の中には、そんなグチャグチャな思考が入り乱れ、そのせいか何故か逃げ場のない、校舎の上へ上へと逃げてしまった。
自らの教室の前に到着し、ようやく思考を落ち着かせることができた。
とりあえず警察に電話でもしようか、彼がそう思った次の瞬間…、ズブリ、とナニかが自分を貫く音が聞こえた。
アッーと感じたのは、痛みというよりは、熱さ。
気づけば廊下に横たわり、ふと視線を上にあげると、先ほどグラウンドで見かけた青タイツがいた。
「あ、え…」
士郎が言葉を口にしようとするも、吐き出されたのは大量の血液であった。
すぐに青タイツの姿は掻き消え、熱さだけが彼の意識を支配する。
彼は、自分に何が起こったのかはわからないが、もうすぐ死んでしまうということだけは漠然と理解した。
思い返すのは、こうなる直前に見ることができた景色。
叶うのならば、もう一度見たい。
今度は、ジッと目に焼き付けたい。
普通ならば絶対に叶うことのない願い、夢、欲望。
諦めなかった彼の願いに応えたのか、はたまた偶然か、どちらにせよ運命は彼に味方をした。
彼が意識を失う直前に見たのは、自分を見下ろすように立つクラスメイトの少女。
なんで彼女がこんなところにだとか、横にいる赤い偉丈夫は誰なんだとか、そんな事はどうでもよかった。
ただしっかりと、目に焼き付ける。
地面に這いつくばっているからこそ、見えるモノがある。
絶対の領域の、その更に先…普段は謎の光とか暗闇のせいで見えないモノ。
真っ白で、汚れなく、シミもなく、美しいモノ。
ちょっとしたリボンのアクセントが、これがまた素晴らしかった。
これこそが、そう、これこそが…士郎だけではなく、数多の男達が夢見た、全て遠き理想郷。
出てくるのは、感謝の言葉と、涙。
「と…さか……あり…が…と…」
士郎は、我が人生に一片の悔い無しといった表情で、意識を失った。
「衛宮くん……。
なによ、ありがとう、なんて…私は、私は貴方を…見捨てるつもりで…」
「凛、まさかこいつを助けようなんて言わないだろうな」
「うるさいわよアーチャー、一般人を巻き込んだ挙句、死なせたなんて遠坂家の恥・・・それに衛宮くんは桜の・・・」
「おいおいさっきまでは手段を択ばないと言ったではないか」
「………しょうがないじゃない…こんな、こんな顔されたら…
責められたのなら、まだ良かった…何よ、この満足気な顔。
私に一体何を見たのよ・・・。
ふん、簡単には死なせてやらないんだから!」
そして…運命は、動き始めた。
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士郎が意識を取り戻すと、廊下には彼以外に誰もいなかった。
ただ、その廊下には凄まじい量の血痕と、赤い大きな宝石が残されていた。
混濁する記憶の中、最後に見た白い理想郷のことだけはしっかりと忘れないように何度も脳に焼き付かせた。
ふらふらとした足取りの中、なんとか帰宅した彼を待っていたのは、隣の家のおばちゃんだった。
「士郎ちゃん遅いわ!何してたんこんな時間まで?
せっかく肉じゃが作ったから持ってきたのに…ってえらい血やん!?大丈夫なんそれ!?
きゅ、救急車よぼか?」
そのおばちゃんは、何かとつけて士郎の家にやってくる隣に住んでいるおばちゃんだ。
養父に先立たれ、独り暮らしの士郎にとって、たまに持ってきてくれるオカズは非常にありがたかった。
ひとつ不満があるとすれば、それはやかましさだった。
彼女は、まあ・・・わかりやすく簡単に言うと…
"大阪のおばちゃん"
だったのだ。
「っもう!士郎ちゃん心配させんといてよ
おばちゃんびっくりしたやんか」
「はは、ごめんおばちゃん…」
おばちゃんは士郎の肌にこびり付いた血の痕を湯で濡らしたタオルを使って拭いていた。
彼女からすれば士郎という存在は、ご近所さんで、父親に先立たれて広い家に独り暮らしで大変なのに、泣き言言わずに頑張っている好青年である。
士郎が小さな頃からお世話をしているし、一緒にお風呂に入ったことさえあるほどの仲だ。
自分自身の子供達はすでに独立して家を出ている。
主婦であるおばちゃんにとって、子供のお世話という大役を終えた今、ぶっちゃけ暇だったのだ。
そういった理由もあり、彼女は次のターゲットを隣に住む士郎へと移し、毎日気の向くままにお世話をしていた。
そんな第二の息子ともいえる士郎が、血まみれで帰宅してきたのを見たおばちゃんの心境は語るに忍びない。
心配のあまり、ご飯を温め直すだけでなく、体を拭いてあげたりお風呂を沸かしてあげたり、布団を引いてあげたり、破れた制服を直してあげたりといつもはそこまではしない程の甲斐甲斐しい世話をして、ようやく就寝となって士郎と別れたほどだ。
しかしその後、しばらくすると激しい、何かが破壊されるような大きな音が士郎の家から聞こえてきたのだ。
おばちゃんは即座に理解した。
これは今日うちのかわいい
彼女の予想は確かに当たっていた、ある意味核心を突いていたと言えよう。
しかし彼女も知らないことは知ることができない…一般人である彼女にとって、魔術やらサーヴァントやらは理解の外にあったのだ。
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おばちゃんが士郎の家の庭に駆けつけると、青い全身タイツの男が長い棒を持って士郎を追いかけ回していた。
彼女の心にまず一番に浮かんだのは、驚きよりも"懐かしさ"だった。
おばちゃんの一番上の息子はそれはもうやんちゃで、よく暴走族を潰したりヤクザに喧嘩を売ったりしていた。
時には宿題をほっぽり出して行ったりするので、彼女はよく息子の喧嘩の現場に突撃しては、耳を掴んで家まで引っ張り、宿題をさせたものだ。
時には族長とやらが、彼女自身に殴りかかってきたりもしたが、所詮は子供の喧嘩だ。
喧嘩両成敗としてゲンコツを喰らわしてお説教をしてやった。
つまり彼女にとって、今回も"そういう"話なのだ。
しかしそれはそれ、これはこれである。
うちのかわいい息子に何してくれとんじゃ、と激しい怒りがおばちゃんを襲った。
「こらっ!そんなん振り回したら危ないやろ!」
お玉を持ったおばちゃんの右手が一閃、槍を持った青タイツの頭に叩きつけられた。
ポコン!とお玉が当たった音だけはかわいかったが、次の瞬間ドグシャッッッッッ!とすさまじい音と共に青タイツは地面に叩きつけられた。
青タイツは、新たなサーヴァントの襲撃か!?と直ぐさま自身を襲撃してきた対象に視線を向けると、そこには割烹着を着たどう見ても普通の中年女性がいた。
そこはかとなく、白い割烹着が白い鎧に見えなくもなくもない…。
右手には何か金属製の先っぽが半球状になった物を持っている・・・青タイツは高速で突撃していた自分を叩きつけたソレは何らかの魔術具かと警戒をした。
さらに偉丈夫は、彼女が左手に把持しているのも盾と思いこんだ。
端から見ればお玉とお鍋の蓋であったが。
青タイツは、おばちゃんが
ぶっちゃけ青タイツは混乱していた。
人は、不思議なことが起こると、自分の中で知っていることと結びつけようとする。
青タイツの頭の中で起こったことはまさにそれだった。
普通に考えれば"それはない"と思うようなことも、"そのはずだ"と思ってしまうのだ。
そして、人には"突然の空白現象"と呼ばれるが存在する。
出会い頭に声をかけられたり、急にボールが自分の方にパスされたり、目の前の人がいきなりズボンのチャックを下げ始めたりすると混乱のせいか頭の中が真っ白になり、咄嗟の判断力が凄まじく下がるのだ。
その状態になると、人は相手の言うことを無意識に聞いてしまう確率が高くなる。
つまり何が言いたいのかといえば、混乱状態で頭の中が真っ白になった青タイツは、おばちゃんの「そこに正座!」という言葉に咄嗟に反応してしまったのだった。
そして時系列は、冒頭へと戻る。
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正座している青い全身タイツのムキムキ偉丈夫とそれをガミガミとしかっている隣のおばちゃん……衛宮士郎は呆然とそれらを見つめていた。
ちなみに彼の横では何とも言えない顔をしたパツキンもいる。
「お、おばちゃん!
ほら、近所迷惑になるし、もうちょっと声押さえて」
士郎の口から咄嗟に出た言葉はよりにもよってそんな言葉だった。
しかし彼自身も混乱しているのだ、言葉が出ただけでも十分えらい。
そして正座させられた上叱責を受けている青タイツと言えば…彼も動くに動けないでいた。
咄嗟に正座をしてしまったが、よくよく考えればなぜ自分がこんなことをしているのだと沸々とした怒りが沸いてくる。
しかし目の前の中年女性はどう見てもただの一般人にしか見えない。
ただの一般人に、ましてや女性に手を上げるなど誇り高き英雄として言語道断である。
あと女性の言っていることも確かに一理あるのだ。
今は深夜といえる時間、大きな物音を立てては迷惑である。
喧嘩ではないが、まあ女性にとっては喧嘩なのだろう…相手の家にまで押しかけるのはさすがにどうかと思ってしまう。
あとなんかこう、今は記憶の片隅にある、自分が幼い頃の記憶の中にある"オカン"を思い出してしまうのだ。
青タイツは、とりあえずその記憶にあるとおり、オカンが怒りを吐き出し終わり、落ち着くまで素直に頷いて謝っておこうと判断した。
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自分の大切なモノ、欠片、半身…言葉では言い表せない何かを感じて呼びかけに応じた。
目を開ければ目の前には驚いた顔の少年がいた。
彼が今回のマスターであろう…確認するも彼からの答えはなかった。
メイド…等と呟いていたがどういうことだろうか、メイドとは王たる私に使えていた侍女達のことをいう言葉だったか…等と少し混乱しつつも、それはひとまず置いておくことにした。
未だ返事をしない少年が向ける視線の方に顔を向けると、そこにはプンプンと怒っている中年女性と正座してシュンとしている、どう見ても自分と同じ呼び出されたサーヴァントと思われる青い全身タイツのムキムキ偉丈夫がいた。
「ええ……」
王としての記憶と英霊としての記憶を持ってしても目の前の光景がどういう状況かわからなかった。
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「なるほど、あんたらはその聖杯戦争とか呼ばれている抗争の戦闘員っちゅうわけやな」
全然なるほどでも何でもない回答をしたおばちゃんだが、ツッコミが不在のため間違ったまま会話は続く。
「まあな、そういう気持ちもわからんでもないよ?
けどよう考えてみて、それは今せなあかんのか?
なあ、今何時やと思ってるん?
というかそこのパツキンの姉ちゃんはともかく、青タイツのあんたはどう考えても社会人やろが。
明日も会社あるんとちゃうん?ええ歳こいて何してんねん。
しかも未成年の子相手に本気なって、恥ずかしないんか?」
言っていることは全く見当違いのことであるが、その言葉は何故か青タイツの心をえぐった。
「黙れ!これは神聖なる儀式!そして決闘だ!
たとえ事情を知らない一般人であろうと、これを愚弄することは許さん!
もういい!そこの女!貴殿こそがセイバーと見受けられる!
騎士としての誇りがあるというのならば、ここで戦え!」
「いやそらあんたらにとっては
青タイツにとっては、このよくわからない状況を何とか打破したかったし、パツキンにとってもこの何とも言えない状況を何とかしたかった。
二人は阿吽の呼吸でこの謎の空気を消し去ろうとしたのだった。
おばちゃんにとっても、その状況は阻止したかった。
もう寝る時間なのだ、この年齢にとって夜の睡眠はとても大事。
これからビタミンパックをしてから眠らなければ6時間睡眠ができない、おばちゃんはやるなら余所でやれと言葉をあげようとするが、青タイツとパツキンは止まらなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
ギンッ! ガガガガギギン!
と激しい金属同士のぶつかり合いと激しく吹き上げる突風のような攻め合い。
青タイツが槍を振るうたびに砂が舞い上がる。
それは常人の目で追うには早すぎるモノ。
実際呆然と座り込む士郎の目には残像程度しか見えていなかった。
「うわー、何あれ早。160km位出てるんちゃう?」
おばちゃんにとっては応援している虎柄の野球チームの戦いで見慣れているので結構早いな、と思う程度だった。
青タイツとパツキンの戦いは激しさを増していく。
このままでは埒があかないと判断したのか、青タイツの動きが変わる。
沈み込むように体勢を低くしたのだ。
「ふん、偵察の予定だったが色々とイレギュラーなことが多すぎた。
そして見たところ、貴殿は未だにマスターとのつながりがきちんと持てていない模様。
俺としては騎士道には反するが、ここは勝ちをとらせてもらう。
受けてみよ、我が槍を!!」
「ふ、その槍裁き、獣のような獰猛さ、貴殿は見たところ・・・・・・クーフーリンか」
「!!
ふ、このわずかな攻防で見事な観察眼。
だが知られたところで、我が槍を防げはしまいッ!!」
青タイツはうれしかった。
せっかく謎の強キャラムーブをしていたのに、謎のおばちゃんによって危うくギャグキャラになりかけていたが、何とか元の路線に戻せそうだからだ。
このまま何としてもシリアス路線を強行せねばなるまい。
そのためには宝具だって使って見せよう。
青タイツの決死の覚悟を受けて、彼の槍を中心としてギシギシと空間が歪む。
魔術の素人である士郎を持ってしても、青タイツが何かとてつもないことをしようとしていることがわかった。
「宝具か・・・」
「受けてみよセイバー!我が槍を!!」
弾かれるように凄まじい早さで突進した青タイツの腕が限界まで引き絞られ、さらに手に持たれた槍からは目で見えるほどに濃厚な赤いオーラが波立ち、空間が悲鳴をあげる。
「伏せておばちゃん!
あの子の言っていることが本当なら、あれはゲイボルグ!伝承だと放てば必ず相手の心臓を貫くと言われている伝説の槍だ!
たぶんやばい!」
「早!何キロ出てるんやろあれ・・・
けどあれ完全に暴投してるやん。
あんだけキメ顔で言って投げたのに、だっさ(笑」
青タイツが放った槍はまっすぐパツキンには向かわず、若干それて放たれた、が。
「って、なんでそんな角度で上がるん!?
ワンバンやん!なんなんあれ!!」
急に角度を変えてパツキンへと矛先を変える。
物理法則が仕事をしていないことは、高校で生物を選択したおばちゃんでも理解できた。
パツキンは咄嗟に持っていた目に見えないナニカで槍を叩きつけようとするが、ジリジリと槍の勢いに押されていく。
「だからゲイボルグだって!あれは因果律を反転させて、事象を起こすと言われているんだ」
「なんかよくわからんけど、あのパツキンの子アウトになっちゃうん?」
「アウトって何!?
と、とにかく危ないから後ろに下がろう!」
おばちゃんにとってゲイ何たらというのは初耳だし、投げたら絶対に心臓を貫くとかちょっと何言ってんのといった感じだし、もうさっきから抗争だの騎士だの状況についていくことができず、混乱気味だった。
しかし一つだけはっきりしていたモノがある。
それは怒りだ。
まずかわいい息子とも言える存在の士郎が狙われていること。
次に深夜なのにガッキンガッキンうるさいし、早く寝たいし、明日きっと近所で噂になっていてその謝罪とか事情説明に行かないといけないこと。
そして何よりも
なんてことだけは、絶対に絶対に許せなかった。
今日の9回裏2アウト満塁、フルカウント、1点差で追いかけている虎柄のチームはサヨナラの大チャンス、押し出しでも同点だ。
そんな中、相手が投げた球はどう見てもボールだったのだ。
しかし審判が下した判定はストライク。
多くのブーイングが鳴り響く中おばちゃんが応援していた虎柄のチームは負けたのだ。
だから絶対にボールはボールでなければならない。
ストライクに入っていないのなら、それはボールなのだ。
ましてや地面に当たるくらいのクソボールなら審判すら必要ない。
絶対にボールなのだ。
投げたら必ず
ふ ざ け る な 。
さて、ここで青タイツが解き放った槍は因果律や事象をねじ曲げて結果を出そうとするモノだ。
ではその因果律や事象とは一体何か。
例えば、物は重力に従って落ちるとかそういう現象・・・つまり万有引力の法則だとか物理法則だとかそういうものだ。
では青タイツが解き放った槍については、何がそうさせようとするのか。
それは槍に込められた思いであったり呪いとも言えるモノが"放たれれば必ず心臓に命中する"ということを引き起こそうとしているのだ。
呪いとも言えるモノが、物理法則とかの事象を超越してはじめて、"
わかりやすく言えば、例えばこの爪楊枝はあらゆる物質を貫くと、貴方一人が思い込んでダイヤモンドに突き刺しても、壊れるのは爪楊枝であろう。
しかし幾千幾万幾億の人が爪楊枝こそ最強、ダイヤモンドすら砕けると思い込んだり、この爪楊枝がダイヤモンドを砕けなかったせいで私たちの一族は皆死んだ呪ってやる等となれば、その爪楊枝はダイヤモンドすら砕く"かも"しれない呪いのモノ・・・宝具になる可能性はあるのだ。
青タイツが放った槍・・・ゲイボルグはそんな思い・呪いが形となったものだ。
必ず心臓を貫くという思いや呪いで、今までは物理法則とかを無視して相手の心臓を貫いてきたこともあったのだろう。
しかし今ここに、物理法則だけでなく、新たな思いがゲイボルグの敵となり壁となって立ち塞がった。
"ボール球はボール、ましてやワンバウンドレベルのものなんて絶対にボール"
これがおばちゃん一人の思いなら、おそらく槍は寸分違わずパツキンの心臓へと迫ったであろう。
しかし、しかしだ。
そのゲイボルグの伝承や伝説を一体何人が知っているのであろうか?
と言うのも、こういった因果律をねじ曲げたりするには、そこに込められた呪いや思いの背景にどれかけの人数がいるのか、というのが重要になってくる。
その槍は絶対に心臓を貫く・・そういったゲイボルグの伝説を、一体何人が"きちんと"知っているのだろうか?
ゲイボルグという名前を聞いたことがあったり、知ったりはしているが効果まで知っているのか?
それは1万人か?10万人か?100万人か?
サバンナでゲイボルグって知ってる?と聞いても誰も知らないだろう。
サブカルチャーがさかんな日本ですらぶっちゃけそんなに知名度はない。
違うというのなら、祖父母両親兄弟友人に聞いてみるといい。
ゲイボルグって知ってる?と。
大体の人は『何ソレ?』『ゲイ掘る?』といった回答か、良くて『あー聞いたことはあるかな』程度のものだろう
オタクの中ですら、そんな武器ゲームで出てきたな程度の人は多量にいるだろう。
まあ多く見積もったとして、仮に世界で1000万人いたとしよう。
悪いが言わせてもらおう、しょせんはその程度の人数なのだ。
世界の野球人口を知っているだろうか?
答えは 数 千 万 人 だ。
これはプレイしている人工でそれだ。
観戦している人は?
ルールを知っている人は?
仮にルール全部を知らなくても、
ボール球がボールだとカウントされると知っている人は?
聞くまでのないだろう、億など優に超えて10億も超えるだろう。
今、おばちゃんの目を通して何千何万何億という野球をしっている人の思い・・・そんな
特に今日の試合を見ていた虎柄のファン1000万人は絶対にゲイボルグが起こす現象を許さないだろう。場外乱闘も辞さない。
その結果、槍は今まであった勢いが嘘のようになくなり・・・
コーン…
と音を立ててパツキンの前に落下した。
事象はここに確定した。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「は?」
「え?」
「ん?」
「せやな」
青タイツが驚愕し、パツキンが困惑し、士郎が混乱し、おばちゃんは納得した。
「な、なぜだ!?
ゲイボルグは心臓を貫く・・・!
貴様セイバー!一体何をした!」
「え?
いや・・・えっ?・・・えっ?」
パツキンからしたら『うわ・・・この槍ちょっとやばいかも・・・』と冷や汗をかいていたら、いきなり槍が勢いをなくして落下したのだ。
安心こそすれど何かをしたつもりはない。
凜々しさ路線でロールプレイしているつもりであったパツキンもさすがに素が出てしまった。
「それが貴様の宝具か!
目に見えない武器といい何とも姑息な手を使うものだ!
それで
笑わせてくれる!!
いいだろう、今日のところは退いてやろう。
だが次こそは、貴様の心臓をもらいうける!」
「あっあっ待っ・・・」
青タイツはまさかおばちゃんのせいで自分の槍がもう使い物にならなくなった等とは微塵も思わず、撤退していった。
パツキンは咄嗟に何かかっこいいい返しをしようと頑張ったが、何かを言う前に青タイツは逃走してしまっていた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「こらー!あんた弁償していかんかい!」
おばちゃんの叫び声が夜空に響く。
士郎は未だ混乱から立ち直れず、パツキンも卑怯者呼ばわりされたことを否定できないまま終わってしまい、ズーンと沈んでしまっている。
しかしさすがはセイバーの英霊と言うべきか、新手のサーバント使いの登場にはすぐさま気づいた。
「遠・・・坂・・・?」
「衛宮くん・・・とりあえずは無事でよかったわ」
「無事って・・・そうだ、さっきの奴はなんなんだ!?
遠坂は何か知っているのか!?
そしてありがとうございました!ありがとうございました!」
さっきの青タイツのことは気になるが、そんなことより学校での出来事に感謝をする方が士郎にとっては大事だった。
士郎は学校で垣間見た理想郷のことは、例え死んでも忘れるつもりはなかった。
例え脳が焼き切れようと無理矢理トレースしてでも記憶に残すつもりだった。
「あんな状態でも覚えていたのね・・・
別に、あの時は単なる被害者である貴方を見捨てることができなかっただけ。
魔術師の家系としての義務をこなしただけよ」
まさか命ではなくもっと別のナニカについて感謝をされているとは思わない遠坂だったが、そこに気づくのはもうしばらく先の話であった。
「ただ、今の貴方は・・・
ッ!!アーチャー!待ちなさい!!!」
景色が揺らいだかと思えば、いきなり刃物を持った日焼けした赤色の偉丈夫が現れて士郎に向けてその凶刃を振り下ろそうとした。
が、その刃はアーチャーの頭に叩きつけられたお玉によって軌道を変えて地面へと激突した。
「こらあんた!士郎ちゃんに何するんや!」
「「「「・・・・・・・・・」」」」
士郎は咄嗟のことに言葉を失い。
パツキンは主人を凶刃から格好よく守ろうとしたのに空振りした自分に恥ずかしさを覚え。
遠坂は突然の出来事に驚愕し。
日焼け男は自身の過去との違いに混乱していた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
気まずい雰囲気の中、一同はとりあえず士郎の家の中へと移動し、話し合うこととした。
カッチコッチカッチコッチボーンボーンボーン・・・と午後11時を知らせる柱時計の音だけが静かに響き渡る。
お茶でも飲みながらせんと話もすすまんやろ、と言って台所に行ってしまったおばちゃんを待つ、士郎・パツキン・遠坂・日焼け男の4人。
誰もが何かを言いたいが、一番問いただしたい張本人であるおばちゃんが席を外しているので皆無言であった。
あまりの無言に耐えかねたのか、日焼け男が口を開く。
「セイバーのマスターよ・・・あの女性は何者なのだ?」
日焼け男にとって、全力ではないにしろ殺すつもりで振り下ろしたはずの行動がおばちゃんによって強制的に阻止されたのだ。
名のある武人だとしても難しいことを、何のこともないように行ったあのおばちゃんは一体何者なのか。
そして英霊になったはずなのに、未だに頭のてっぺんがズキズキとしているのは一体どういうことなのか。
彼の"何者なのか"という言葉には様々な意味が込められていた。
「あの人は、隣に住んでいるおばちゃんだ」
しかし士郎から帰ってきた言葉は、正しくはあるのであろうが、求めていたものではなかった。
「そんなことを聞いているのではない!
俺の一撃を外させたのだ!只者ではないことはわかっている!
それを聞いているのだ!」
その疑問はパツキンも思っていた。
おばちゃんは青タイツもあのお玉なる武器で屠っていた。
一体アレは何なのだろうか、と。
しかし士郎から帰ってきたのは、隣に住んでいるただのおばちゃん、たぶん大阪出身の人、という大事なようでどうでもいいような回答であった。
「凛、あの女性は魔術師だと思うか?」
一般人にあの動きは不可能だ。
日焼け男がその考えに行き着くのは当然の帰結といえた。
しかし・・・
「いいえアーチャー・・・あのおばちゃんからは一切の魔力は感じられなかったわ・・・正真正銘ただのおばちゃんよ」
ただのおばちゃんに正真も正銘もないのだが、そうとしか答えられない。
「しかしアーチャーのマスター「遠坂よ」・・・遠坂殿、それではあの御仁のしたことは一体何なのだ」
「それがわからないから、こうして困っているのよ」
何かとんでもない、それこそ運命を変えるようなことが起こっている。
皆言葉にはしなかったが、心中は一緒であった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「お待たせーごめんなぁ、何かつまめるもんも出そうかと思ったけど、寝る前やしお茶だけにしとくわー。
最近おばちゃんもちょっとお腹が気になりだしてなあ・・・自分ら若いもんには関係ないかもしれんけど、我慢してな」
おばちゃんがお盆に5人分のお茶を乗せて戻ってくる。
士郎以外の3人は、とりあえずおばちゃんのことをただの隣人かつ一般人で士郎の知り合いだという認識で話をすすめることとした。
まず先発は遠坂がマウンドに上がった。
「いえ、こちらこそ夜分に失礼します。
そしておば様、はじめまして。
衛宮くんのクラスメイトの遠坂凛と申します」
「あーあんたが遠坂さんかいな、確かにべっぴんさんやなぁ!
いっつも士郎があんたのこと可愛すぎるとか最高だとか叫んでたのも納得やわ」
「ちょ、おばちゃんちょっと!」
「か、かわ、かわわあわわ」
士郎からすれば色々な意味で密かに心を寄せていたことをばらされかけて焦り、遠坂からすればまさか士郎からそのように思われていたとは思わず焦ってしまった。
なお士郎は"乳" の桜、"太もも"の遠坂という対象として心を寄せているのだが、それを遠坂が知るのもまだ先の話であった。
そんな感じで先発遠坂は初球ホームランを打たれ、顔を真っ赤にしたままマウンドを降り、観客席にいた士郎も直撃を受けて退場となった。
続けて中継ぎのパツキンがすかさずマウンドに上がる。
「失礼、貴方は何者なのですか。
「何者と言われてもなぁ。
それに大層に言ってるけど、昔よく息子の喧嘩止めとったからやっただけやで。
まあ私もまだ40代やからな!若いもんには負けへんで!」
答えになっているようでなっていない回答に、パツキンが怯む。
そこへすかさず日焼け男がリリーフに回る。
「マダム、先ほどは失礼しました。
危うく少年に怪我を負わせてしまうところでした」
「ああ、いえいえー
ところで自分どっかで見たことあるなぁ」
日焼け男の背中に汗がにじむ。
まさかこのおばちゃんは自分のことに気づいているのではないか。
「そうそう、何かチューチュー歌ってバックダンスもたくさんおるグループとか何代目だとかの人ちゃう?
なんかあんたみたいな日焼けした人、後ろで踊ってるんみたでことあるで」
日焼け男は自分の予想が良い意味ではずれほっとした。
が、おばちゃんの打ったファール球はベンチで休む遠坂へとライナーで飛んでいた。
「ア、アーチャー! あなた芸能人の英雄だったの!?」
「なんと!そうだったのですかアーチャー!」
ドポンコツなマスターとトンチンカンなことを言うセイバーに対して叫びかけた『そんなわけあるかボケ!!』という自分らしからぬ言葉を何とか飲み込み、日焼け男は思った。
ここは絶対に自分が知っている世界ではない、と。