作:『?』
廃材群
息吹
世界は確かに息づいている。
……あぁ、だが、どうして生きているんだ?
誰か教えてくれよ。
誓い
薄明に臨む夜闇の泡沫、触れられぬ二面性の対となるもの。
再び矛盾に果てるとしても、もはや顧みることはないと誓おう。
今こそ約定を捨て去る時。
決意に満ちよ、歩み出せ。
雨上がり
雨が上がってゆく。
哀れにも見捨てられた液滴の群れは昇りしきり、薄灰色の空に吸い込まれて失われる。
打ちつける地が無ければ音もせず、曇天の世界はただ静寂に包まれていた。
満酔
僕の脳味噌は毒入りワインの酒漬けにされてしまったんだ。
最後に夢を見たもの
反り立った直方体のそばで、懐かしい黄色い蝶の夢を見た。
そこから目覚めた時は、悲観的な絶望に襲われた気がする。おそらくICの壊れかけたはたらきがもたらした、ノイズのようなものだろう。
ずっと夢を見ていられればよかったのにな、と思う。…でも言葉の体をなしていない無機質な電子音が、今はもうあの子との思い出の名残でしかない花畑に響くだけだった。
「ざあ、ざざあ、ぴぽぱぽ」返事はない。涙も流れない。
ただ森の奥が赤い色を帯びて、怪しく揺らめいていた。
「なんて懐かしい傷跡」
反り立った直方体のそばで、錆びた鉄の臭いを嗅いだ気がした。
その場所に見た寂しさに、今はもう毒が混じってしまった涙を流す。
「あぁ、でも、遅かったんだな」
あのとき我慢できなかった涙液を救ってくれたトモダチは、けれどずっと昔にトモダチではなくなってしまったらしい。
……見渡せば、黒々とした灰畑。
「こんなに深く、焼きついてしまって」
行き場のない虚しさより這い出た声が、嫌に無機質に聞こえてしまう。そんな人のような生理現象と感情の嵐を、ふと馬鹿馬鹿しいと思ってしまった。
もう肉でさえないくせに…なんて。
…だからなのだろうか?
一瞬の瞬きの後に胸中にあった鮮烈な人間性は、あの時に忘れてしまった帽子のように、取り戻せないものとなってしまったのだ。
その光景に抱いていたはずの思考は単なるerrorとして処理されてしまい、シリコンの肌は
やがて感慨の意味さえ理解できなくなった私は、無造作に翻ってその場を後にした。
後悔
己を飲み込む鯨がいた。
その小さな瞳からは想像できない沢山の涙をこぼしていて、入れ子構造になってしまった精神は『取り返しがつかない事をしてしまったね』と囁き合っている。
思い出は鮮烈であった。
瞳を閉じれば…その瞬間に彼女が放った言葉まで、まるで先日の出来事であるかの様に思い出すことができる。
一見無垢な手が魔女を塔から突き落として「復讐は為った」と喜んでいるのだ。…汚らわしい。
窓から見下ろせば無惨に潰れた怨敵がいて、そこに後悔や絶望を抱くこともない。恩知らずはまるで大義を果たしたかの様に振うばかりであった。
鯨が全身を飲み込むと、やっと世界に夜が来る。
透けた球中のフィラメントも、その長い絶頂を終えるのだ。
異的なさんぽ
街宣車に登って、身振り手振りをしている男がいた。
マイクを振り回しては上下左右に前後、あらゆる方向に訳の分からない事を訴えかけている。
喧しくも熱意に満ち溢れたスピーチは鬱陶しくもあったけれど、これはこれで街の風情といったものであろう。
さながら田舎のセミや、蛙の鳴き声の様なものである。
時期になると聞こえてくるその類の音には、ある種の感慨さえ覚えるのだ。
「かつて滝を駆け上がった龍は、胃液を泳ぐ鯉の夢を見るそうですが……しかし胡蝶の夢かと夢想する荘子と、鯉魚の夢かと夢想する龍に違いなどあるものでしょうか!」
「荘子はやがて死体へと成りましたが、死体とは人にとっての龍でしょう!!すなわち進化!それは意思無き有機への変転なのです!!」
内容こそ聞き流していたけれど、聞き慣れない言葉の波を受けて、ふと違和感を覚えた。
これは本当に選挙運動なのだろうか?…なにかちょっと、違う気がする。
少しだけ足を止めて再び街宣車の方を見ると、思い描いていたものとは違う異様な様子が目に飛び込んできた。
街宣車の立て看板は、怪しげなカルト団体や安っぽいゲームに登場する悪魔信仰のシンボルの様に、絵に描いたような胡散臭さ…あるいは怪しさのようなものに溢れていた。
それを取り巻く群衆も常軌を逸した様子で、あの有名な秘密結社の様に、全身を白塗りの布で覆い隠している。
……よく見たら町中がその様な、まるで常識的とは言い難い様相を呈していたらしい。
群衆は各々が好き勝手な色彩で身を包んでいるから視覚的にうるさいし、ビルの巨大ディスプレイではアナウンサーらしき女性が、ネット上で時折見かける怪文書のようなものを読み上げている。
「つまり人とはやがて暗い宝物と成って、莫大な熱意を得るのです!さぁ、今こそ!我々は力強く思索なき小天地へと足を踏み入れましょう!!」
「そう!すぐにでも、一刻も早く、脇目も降らず、直ちに!!」
断続的に響いた銃声と硝煙の音によって、街の異様な風景に気を取られていた意識を取り戻した。
……まぁ、何が起こったとしても、私にはどうしようもないことなのだ。
たとえ数分前に見ていた街の景色が全くの別物になっていようと、私には「はやく元の景色に戻ればいいんだけどなぁ…」なんて考える程度のことしかできない。
目を瞑って溜息をつくと、先を急ぐべく歩みを再開させた。
(笑)
その、柔らかい肉腫を頬張ったのだ。
不潔なトイレのようなアンモニアと硫化水素の香りが充満している。
あるいは腐肉臭とも呼べるにおいは、しばらく見ないうちに一層強くなっていたらしい。
それを食そうと顔を近づければ、さながら玉ねぎでも切っているかの様な刺激を目に受けて、涙さえ零れ落ちた。
元の性別など推測もつかない様な奇妙な呻き声と数多の羽音の中に、女のえづく音が混じる。
これを口内に投げ込むことへの拒否感は大きく、しかし相反するような飽食的性交への欲求も大きいのだ。
ゾワゾワと肌が粟立っている理由が興奮によるものなのか、嫌悪によるものなのかわからない。
その間もしきりに蠢いているニンゲンは、悍ましく黒ずんでいた。
……きっかけは空腹に耐えられたなかった身体が、ぐぅと悲鳴を漏らしたことであった。
一度背中を押されれば堪らず、さながら幼児がローストチキンを頬張るように飛びついた。
欲張って、欲張って、欲張った末に噛み切れば…くちいっぱいに広がるのはぷちぷちと弾ける蛆虫の群れ、柔らかい脂。ネバツキ。膿の舌触り。
あるいはナメクジの群れを舌で攪拌しているような食感が一層、倒錯的な絶望感を刺激する。
チリチリと酸を飲んだような痛みが口内を刺激して、まるで気狂いじみた死んだ味を感じていた。
嚥下すると喉の奥を擦って落ちていくにゅるにゅる。満たされた部屋の香りが身体の内側からも匂い立つ。
次々と噛み切っていくと声量を強めていく、苦痛の呻きが心地よい。僕は餌付いて、競り上がる嘔吐物を無理矢理飲み込む。気持ちがいい。
二口目、三口目。連続して口に運ぶ。
冒涜的な感覚に絶叫する彼女の音で耳の奥が痺れていた。
……とうとう耐え切れず、口から吐瀉が零れ落ちれば、床に散らばったそれを舐り、再び嚥下するのだ。
あぁ、なんて素敵な退廃!
自尊心の成り果てる先
彼らは私に言う。曰く、「私は狂っている」らしい。
しかし彼らは私のことを理解していないだけなのだ。ただ彼らが理解していないことを知っているだけなのだ。私は狂っていない。
だって物理学を知らない人が見ればE=mc2だって訳が分からない文字の羅列だろうし、常識的な数式であることも理解できないだろう。
彼らが狂気と罵る言葉だってそれと同じだ。きっと理解すれば最も単純で明快な事実であると気がつくはずなのだ。
事実、未知とは恐ろしく…意外な真実とは狂言とせせら笑われるものである。それは歴史が証明しているだろう。
あぁ。そう、だから…彼らがもう少し、私の知識を理解しようと踏み込めば、やがて私が狂っていないということに気がつくだろう。
……ただ問題なのは狂人の考えを理解できるということは、果たして“狂っていない”と言えるのかということ。
私が狂っていたら、私の考えを理解した人も狂っていることになる。
狂人に狂気を認められると言うのは、正常性の証明にはならないのだ。
皆が狂っていれば狂気は正気かもしれないが、それでは意味がない。正常な人間が正常なまま、私の思考を理解してこそ、私の狂気が狂気ではなかったことの証明になる。
「あぁ、ままならない。…狂っていない証明とは、これほど難しいものなのか」
嘲笑うもの
ただ意味もなく死にゆくものよ。
沢山のものに恵まれ生きて、遍く全てを吐瀉して散らす。
その背中に託された多くの夢を無為へと散らすことは、どうして色を失うほど愉快なのか。
ただ訳も無く捨て去るものよ。
ありふれた希望に蓋をして、不幸足り得ぬ不幸に嘆き、何かを変える意地も無かった。
どうしてお前が悲しめるのか、もはや亡くした未来の無念に耳を塞いできたくせに。
ただ盲目的な絶望を狂信している。
沢山の間違いと、恥と、裏切りを。しかし全てが私の過去だった。
何者になる事も拒み、星を見て。…結局のところ全ては、酷く薄っぺらだった故なのだろう。
裏切り
そうやって、殺したんだね。
その腐った人間性で、お前のために壊れていった沢山の命を。
そうやって殺すんだね。
君を作るために身を捧げた沢山のモノを。
……でも僕は、彼らを羨ましいと思っている。
沢山殺して、沢山貪って、その果てに何も理解しない。
ヒトデナシ。イノチデナシ。地獄に堕ちろ。
これは妄言ですか?
それともどこかで見た話?