作:『?』
ゆめのほし
宇宙のそとがわ。とおいとおい、はじっこの星。
なにもない場所にポツンと浮かぶ、暗くてしずかな大きな星を、きっと誰もが知っていて、知らないふりをしています。
もう冷たくて茶色くなった鉄くずを見た“ひとはしら”の神さまは…
「あれはとても痛々しい。見ていられない思い出の痕」
そう言って、物悲しそうに目をそらしました。
もう想われることもない、たくさんの夢の残がいを見た“ひとはしら”の神さまは…
「いまさらあやまってもしかたがない。捨てなくちゃいけなかったんだ」
そう言って、苦しそうに目をとじました。
ここにはたくさんのごみがあつまります。
もうだれにものぞまれない。きずだらけで、こわれていて、忘れられてしまった誰かにとって大事だったもの。
そんなひとりぼっちが、さいごのさいごに眠るばしょです。
死神の独白
まるで北極圏上空を彷徨う南シナ海のような素晴らしい命であった。
感嘆して見張り、やがてカンガルー系形状のフラクタルを指で示すだろう。
そうして緩やかに木星の春風を払い戻し、果てに柔らかなアイロニーに染まってゆく。その、何と愚かで悲しいことか。
あぁ…しかし誰もが知っていることだ。幼年期の花弁は、やがて舞い落ちてしまう。
……どうして鳩は百合の花を摘んでしまったのだろう?
強心語
まるで女性のような可憐な顔が、能面でも貼り付けたのかと思えるくらい酷薄な表情を映す。
私は一刻も早く恐ろしいものから逃れたくて、床に視界を移すけれど…どうやらそれは悪手であったらしい。
あるいは目を背けたことを咎められて、酷い責め具を受けることになるかもしれない。
あるいは目を背けている間に、悍しい道具を私に突き立てんと振りかぶっているかもしれない。
そんな想像が脳裏によぎるのだ。
つまり私の行いは、己の不安や恐怖を増幅させる助けをしただけになる。 得てして恐怖の対象が見えないというのは、一層不安感を煽るものだろう。
……しかしいつだって後悔というのは先に立たないもので、それがより生々しい恐怖を与えるだけだと気がついても、再びあれを視界に捉えようという気にはなれなかった。
一定のリズムで硬質な足音が響いている。
どんどん近づいてきていることが分かる石床を打ち付ける音が、ただそれだけなのに後頭部に銃口の感触を感じているようで恐ろしい。
近づく音がして、近づく音がして…その果てに、足音が止まる。
ほとんど真下を向いているはずなのに、視界の上のほうに美しく装飾された靴がのぞいていた。
繊細な感触が肌に触れる。
私の頬を撫でているものは、きっと手のひらだ。
右側に見える腕が、顎の方から上に向かってゆっくりと動いている。
嫌でも映り込む彼の肌は、まるで掬い上げた砂海の粒子のように滑らかなのに、どうしてなのかそれを美しいとは思えなかった。
ケロイドを撫でるこそばゆい感触が伝っていく。
唾を飲む音が妙に大きく聞こえた。
汚物になど一切触れたことがないのだろう。荒事など一度も経験したことがないのだろう。
……気が狂いそうな恐怖の中でもどこか冷静な思考の隅で、なぜかその指の品評をしていた。 あるいは冷静さなどなく、これはただの防衛反応。現実逃避とも呼べるものなのかもしれない。
やがて彼の指は耳のそばを通り過ぎて、緩やかに私から離れていく。
一難を経て束の間の安息を得ると、己の息遣いが遠くのほうから聞こえてきた。 それは規則性なく“はっはっ”と吐き出すように連続していて、もはや正常性を失っているらしい。
また頬…というよりは、それよりも少し後ろの方。 今度は片方からではなく、顔面を両側面から挟み込むような感覚を覚えた。
今度は先程のそれとは違って撫でるようなものではなく…どうやら私の視線を持ち上げようとしているらしい。
抵抗などできよう筈もない。 この悍しいものに促されるまま、視界を徐々に上に向けていくことしかできなかった。
………そこには、瞳があった。
澄んだ海を覗き込んでいるかのような、深く鮮やかな群青色をしている。
その瞳孔に私の影はなく、汚れて黒ずんだ木製の椅子だけが映っているようだ。
「む、ぅ……」
その嗚咽は恐怖故なのか。
猿轡を嵌められて話せない口から、訳がわからない呻きが漏れる。 許容量を超えた感情が溢れ出して、涙が視界を歪めている。
それは“前回”が終わった時から予感していたものであった。きっと次は、いつもより碌でもないことが起こるのだと。
そんな私の怯える様を見て熱っぽい息を吐いた彼は…そのまま膿んだ傷跡に触れるように繊細で、雌の怪我を舐める雄のオオカミのように優しい言葉を紡いだのだ。
「もうみんな、死んだわ」
息が漏れた。情けなくて、引き攣るような音だった。
もうどうしようもなかった。まともに思考を回すことさえ、ままならなくなる。
「ねぇ」
猿轡が解かれた。
涎と血が染み込んで赤黒くなった布が、膝にべちゃりと音を立てて落ちる。
覗き込んでくる瞳の底が見えなくて、この怪物の瞳に私の姿が見えなくて、その言葉がなによりも恐ろしいことであると気がついて…もう何もかもがぐちゃぐちゃになっていた。
「本当に、そこに正義はあったのかしら?」
「あ、ぁ……」
声帯をヤスリで削られたような掠れた声が漏れた。
それは私という存在を否定する言葉であったのだ。あるいは実質的な処刑だろう。
故にこそ私は、それを認めた瞬間、私が消えるのだと理解した。
理解したけれど…………
理解したから、なんだというのだろう。
「だって世界はこんなに
嘲った唇の端がプチプチと音を立てて裂けていった。
顔を構成していたあらゆる部位が、渦を巻いて顔の奥に消えていく。
「それでいいのよ」
恐ろしい恐怖の偶像は僅かに目を細めて愛しんだが、けれども次の瞬間には気が狂った人形の様に笑うばかりになった。
地下室には男のものとも、女のものとも…あるいは人間のものとも取れない、ただ悪魔めいた奇妙な嘲笑が響き渡っている。
そうして変態を経て出来上がった面相は、もはや顔とは呼べない代物になっていた。
なぜならそこには巨大な口蓋しかない。
ただ、悪魔があった。
そこに少女の姿はなかった。
……今は地下牢にて人影が二つ。
あるいは笑声にも聞こえるかもしれない狂った叫声が響くばかりだ。
かわいそうなあくま
陶器に映っている女性は端正であった。
それは高名な芸術家が才と労力を費やして描いたような美しい芸術品、あるいは作り物めいた美しさを持っている。
ミルク色の光沢する表面にて、ゆらゆらと波打つ水面に映った太陽の様に揺らめきながら、微笑みを向けているのだ。
怪談においては定番である、人形や絵がこちらを見ているという構図。
おそらくその類の恐ろしさと似た恐怖心が微かにあって、そしてそれ以上にこの世の物ではない冒涜的で邪悪な何かに恐れ慄いていた。
それは外見上は決して恐ろしげな物ではないのだ。
ただゆらめく女性の像なのに、それなのになぜか恐ろしい。
それに魅入られてはならないのだと。
ある種の呪いのような作用で理性を溶かされる。
草食獣が肉食獣を恐れるような被食者の…本能の最も奥深くにある様な根源的な恐怖を刺激されている。
恐ろしい。
来るな。こっちを見るな。
やめろやめてくれ、俺を見るな。
いやだ。見ないで…
見せないでくれ……
見ないでくれ………
呼ぶ声がして玄関を開けたら、そこには膝がありました。
……でもよく見るとそれは黒尽くめの影を着込んだ大きな人で、彼は大変そうに「よっこいせ」としゃがみこんで、私と顔の高さを合わせます。
そしてにっこり微笑んで「あなたはとっても素敵な人ですね」といいました。
私は笑って返事をします。
「正直なところ、汁が無くなるほど伸びた麺はきらいです」
そうすると彼は、少し大袈裟に驚く仕草をして…それからすごすごと帰っていきました。