作:『?』
それと拡声器。
今日はグモる日
夜中も更け切って、時刻的には完全に次の日になるであろう頃合い。
あなたは今日の業務…正確には昨日の分の業務なのだが、ともかく仕事に区切りを付けて帰路に着こうとしている最中のことであった。
職場の仄暗い廊下を歩いていた折…まるで死後の世界のようであった重苦しい静寂を打ち破るように、精神に悪い電子音が響き渡ったのだ。
それはさながらホラーゲームで敵役が登場したときのような、思わず身振いをしてしまうような、見て見ぬふりをしたくなるような音楽。
……音の正体は、己が懐に収めていたスマートフォンから鳴り響く着信音であった。
一瞬肩が跳ねたことを自覚しながらあなたは、音楽が2週目に差し掛かるあたりで応答を行なう。
もしもし?お、おぉ!俺だ!
……通話をするなり聞こえてきたものはあなたの知らない…少なくとも想像していたものとは違いすぎる異様に元気な男性の張った声であった。
あなたは困惑して、緩慢ながらスマホの画面を覗く。
通話中と表示されているスクリーンには知らない電話番号が表示されていた。
このときのあなたの内心を上手く表現する方法があるとすれば、それはおそらく沢山のクエスチョンマークで埋め付くされた吹き出しの構図であろう。
あなたは予想外の出来事によって凍りついていたのだ。
心身の疲労によって極限状態にあったというのもあるのだろう。もう完全に思考が停止してしまっている。
それはさながらマネキン同然の状態であり、スマホを持って画面を眺め続けるだけの木偶と言っても憚らないものであった。
……そんなあなたの状況など構いもせずに、電話の男は話を続ける。
ちょうど今、地下鉄にいてな!!
エクストリームスポーツに挑もうとしてるところだったんだ!!!
…しかしそこでな!思わぬ朗報を受けたんだよ!!この電話はな!!!
そう!!俺が今しがた感じている歓喜を堪えきれなくて、思わずかけたものなんだ!!!!
そのまま心臓発作でも起こして死んでしまいそうな狂気的なテンションの高さに着いていくことができず、その異常な相手の絶叫めいた言葉を漠然と聞き続ける。
そこまで行ってようやく脳と体が解凍されて、再び…とはいえかなり鈍いものではあったが、思考力を取り戻したあなたは、薄らと『これは間違い電話なのでは?』という推測を立てた。
……そんな思案の最中も、男はだいぶイカれた様相を呈していた。
相手が話していることはおおむね「エクストリームスポーツなるものを称賛したりオススメするもの」なのだが、肝心の中身が全くないのである。
どれだけ聞いてもエクストリームスポーツの正体はわからないし、それ以外の部分も具体的な言葉が全くない。支離滅裂な様はまるで文章生成ツールで出力されたものを読み上げているかのようだ。
この調子では永遠に進展がないだろうとあなたは、相手に「おちつけ」といった旨の言葉を伝えた。
す、少し落ち着けってか?
すまんな!すこし感極まりすぎたかもしれん!!
ふー、はー…
深呼吸を繰り返す音が聞こえる。
漠然と相手の息遣いを耳に流し込みながら、あなたは相手から間違い電話に気が付いてくれることに期待していた。
あなたの疲れ果てた脳味噌は「こちらから電話を切る」や「間違い電話であることを伝える」といった手段を見失っていたのだ。
……でだ!!本当に俺が伝えたいのは、俺の心境なんかじゃないんだよ!
余りの興奮に話している相手が誰であるのかも分からなくなっているのか、それとも最初から間違い電話などではなかったのか。
何事もなく話を再開させた相手は、確実にあなたの声を聞いたはずなのに間違い電話に気が付く様子はない。
その肝心の朗報っていう奴をだな!!おまえに…まぁ、お前のことだからもう知っているかもしれないけど伝えたいんだ!!!
なんとエクストリームスポーツの概念はな、日本にもあったんだよ!!!!
これはもう素晴らしいな!!!!!!
まだ知名度は高くないようだが、ゆくゆくはこっちと同じくらい発展させてもらいたいものだ!!!!!
…まぁ、ここまで来れば早いもんだろ!?きっと俺が得意とする競技もすぐに流行するはずだ!!
エクストリーム合同演習をやる日も遠くないかもな!!
果ては世界中の全ての国にエクストリームスポーツが広まって全人類が………
短い音楽が流れる。
それは鉄道駅の類で見られる、接近メロディを彷彿とさせるものだ。
普段は徒歩で出勤しているあなたには、少々馴染みが薄い音楽だろう。
おっと、すまんが競技が始まるみたいだ!!
話の途中で悪いが、電話を…
いや、友人に電話を掛けている状況は加点対象だったっけな…
少し付き合ってくれよ!!すぐ終わるからさ!!!
女性的な特徴を示す声がくぐもって聞こえる。それは少なくともあなたの知らない未知の言語で、同じフレーズを数回ほど繰り返した。
続けて聴こえるようになった音を聞いて、あなたはそれを電車の走行音であると確信する。
皮膚の表面がざわざわとした得体の知れない感覚に襲われていた。
嫌な予感がする。
よし、今だ!!いくぞ!!!!
感覚が非常に短い足音。どうやら通話先の男は走っているようだ。
漸増的に大きくなっていく狂ったような笑声と、それに掻き消されて微かにしか聞こえない車両の走行音が気持ち悪い。
……それでもあなたは言葉を発せない。
ただ呆然としたまま硬直し、明らかにマズいことをしようとしている男の声を受け入れることしかできない。
グモッチュイーン!!!!!!!!!
ある瞬間。
形容しがたい擬音を無理やり形容したみたいな、そんな奇妙な叫び声がスマホのスピーカーを震わせた。
その声量は明らかにスピーカーの性能を超えているようなものであったが、しかしあなたは僅かな反応も示せないまま呆然とスマホの画面を眺め続ける。…そして直後に変則的かつ奇妙なすりつぶす音を聞いた。
……どうやらそれは身体の外側で発生した音ではないようであった。
その数字を告げるアナウンスを最後に電話も切れたのか、手元のそれから話中音が…おそらく5回ほど繰り返される。
ややあってようやく通話が切れてしまったことに気が付いたあなたは、ぼんやりとしたままスマホの電源を落とした。
……きっと悪い夢でも見ていたのだろう。
そうではなかったとしても、少なくとも会社の電話ではなかった。
先程よりも幾分か青褪めた表情を浮かべたあなたは、何事もなかったかのように振る舞ってそれを懐に収め、寮に向かって歩き出す。
そのとき不意に、脳の内側で不可解な声が響いた。
……それをきっかけにあなたの思考に天啓が訪れる。
今までの霞が掛かったような速度とは打って変わって、やるべき事のために凄まじい勢いで回転を始めた。
まるで背中を押されているかのような焦燥感。
あるいは期待にも近い感情に急かされるがそれを抑え…あなたは現在の時刻と、引越すにあたって使用したっきりであった駅の時刻表について考えた。
未だかつて無いほどに冴え渡った思考は、完全に忘れていたといっても過言では無い記憶から即座に結論を出す。
駅は遠いが問題ない。
始発列車がくるのは3時間ほど後のころだが、走ればそれまでには辿り着くだろう。
そうと決まれば、あなたの行動は早いものであった。
寮と会社を行き来するための道具でしかなかった足を、久方振りに全力で動かしはじめる。
ここまで力強く地面を蹴ったのは、きっと学生時代以来のことだろう。
前方からぶつかって後方に流れていく空気の勢い。すっかり痩せ細ってしまった足が地面に衝突するたびに感じるエネルギー。少しの痛み。
あなたの絶望したまま殺されて死後硬直が始まってしまったような顔が、清々しい開放感と共に晴れ渡っていくような感じがした。
きっと今のあなたは笑顔だろう。
ふと、あなたは思い立つ。
この感動を誰かに伝えなければならないと。
『エクストリーム・スポーツ』の素晴らしさを誰でもいいから共有せねばならないと。
あなたは己が胸にて沸き立つ歓喜に突き動かされ、先程しまったスマートフォンを取り出した。
……そして規則性を持った、少なくとも数字ではない奇妙な文字を打ち込んでいく。