A.全然わからない。おれは雰囲気でこれを書いている
Q.競バのことは?
A.美少女が出て走る。
一昔……というには、あまりにも遠いだろうか。
かつて、この国に生きる人々の全てを熱狂させた時代があった。
神話の時代。
神と人が共に生きていたとすら呼ばれるその時代は、しかしその知名度に比してあまりにも記録が少ない。
そのことに気づいたのは、恥ずかしながらつい先日のこと。
あの事件が切っ掛けだった。
――第118回、秋の天皇賞。
サイレンススズカ。
異次元の逃亡者。
彼女を襲った悲劇に、当時の世間には無数の憶測が入り乱れた。
曰く、過剰なトレーニングの弊害だった。
曰く、本人の体調にそぐわない出走ペースだった。
曰く、トレーナーの管理不足だった。
周知の通り、現在ではそのどれもが否定されている。
主治医の診断、URAの公式声明、そしてなにより――他ならぬ本人からの言葉によって。
『原因はわからないんじゃない。無いんです』
事実であるかどうかは、厳密には断定できない。
ただ、少なくともそれは『真実』として受け入れられ、そしてこう囁かれるようになった。
その才能が、その精神が、肉体の限界さえも凌駕してしまったのだ――と。
一流のアスリートは、しばしば競技中に「ゾーン」と呼ばれる超集中状態を引き起こし、爆発的なパフォーマンスを発揮することがある。
そのような中でも更にひと握り、超一流の者達は、ときに肉体の限界さえも超越する程の深度で「ゾーン」に入るという。
誤解を恐れずに言うならば――それは決して称賛されるべきことではないと、私は思う。
限界を超えた、超えてしまった先に待つ代償。
その一つが『沈黙の木曜日』のような悲劇である以上は。
だが、私は告白せざるを得ない。
命さえも捧げ尽くすような強烈な煌めきは、否応もなく私の眼に焼き付いて離れなかったのだと。
現在の高度に管理され、安全対策に手を尽くされたレースを否定するつもりは全く無い。
それでも、気付いたときには私の手は歴史書を捲っていた。
いまや遠く、記憶の彼方に去っていった古の強者達。
URA以前の、原初のレース。
彼女らが繰り広げた戦いの痕跡。
記者という職務の一環とは口が裂けても言えないような、そんな利己的な欲求によって、私はこの取材を始めることにしたのだ。
■■■
原初のレースを追いかけようとするのなら、URAの歴史に触れないわけにはいかない。
URA(Uma-musume Racing Association)。
全てのウマ娘が繰り広げるレースを統括・運営する、言わずと知れた特殊法人。
だが、その設立過程には謎が多い。
正確に言うならば、語られていない――というだけのことだが。
尤も、組織の成り立ちなど、それ自体に余程のドラマがなければ注目されることなどない。
注目されなければ、情報など残らない。
そして当のURA自身がその点を特段喧伝するようなことをしていない以上、それは当然の成り行きというものだった。
図書館やネットの表層を漁って時間を無駄にした私が得たのは、そんな毒にも薬にもならない結論だけだった。
思ったよりも壁が高いことを実感しつつ、私は本命の情報源に接触を試みた。
と言っても、特別なことは何もない。
単に地元のURA支部に連絡を取り、資料の閲覧許可を申請しただけのことだ。
考えてみれば当然というべきか、開示された資料はそっけないものだった。
組織の沿革、概要、或いは近年の事業内容。
ホームページを見ればわかるような内容に落胆する私に、担当者はそんなに詳しいことが知りたいのなら、本部の資料室を当たってみればよい、と教えてくれた。
だが、そこからが遠かった。
幾重にも積み重なる申請と手続きの山は、如何にエンターテイメントを生業とする企業とは言え、URAが紛れもない公共機関であり、官僚組織であることを否応なしに叩きつけてくるような有様だった。
幸いだったのは、提出した申請書がどれも規定の所要時間こそかかれど、滞りなく受理されていったことだろう。
決して秘匿しているわけではない。
だが、気軽に触れてほしいわけでもない。
ひたすらに長く曲がりくねった参道が、その石畳に降り積もった土や枯葉の分厚さが、訪れる者を静かに拒絶するように。
それはさながら、寂れゆくままに放置された墓所のようだった。
最奥に佇むであろう墓標の下には、何が眠っているのか。
私はますます興味を惹かれていった。
URA本部、地下二階。
幽かなカビ臭さを漂わせる廊下を案内板に従って歩くと、やがて『第五資料室』と書かれたプレートが見えてくる。
閲覧許可は下りたが、当然ながら資料の持ち出しは禁止されている。
複製についても、これまた申請と許可の応酬を経た果てにようやく確保できる程度のもの。
そして『資料を痛める恐れがある』という分かったようなわからないような理由で、電子機器や筆記用具の持ち込みも禁じられていた。
どれだけの情報を見出し、持ち出すことが出来るか。
閲覧期限が二週間程度しか無いことと合わせれば、結論は単純だった。
私の記憶力に全てがかかっている、というわけだ。
学生時代の試験前ですら覚えがないほどの必死さで、私は資料室に通い詰め、資料を漁った。
URAの歴史を語る上でしばしば語られる問題の一つとして、戦前と戦後における連続性――というものがある。
戦争と、その敗戦。それを境目として、両者は断絶しているとされる。
GHQの行った統治政策が、日本の再軍事化を阻止すべく様々な「民主化政策」を施したからだ。
戦前、全国の公認競バを一つに統合して運営されていた日本競バ会は、独占禁止法の観点からアンチトラスト・カルテルの対象とされた。
実際、解散団体と指定される直前まで追い込まれた彼らは、遂には自主解散を経て国営競バへと移管された。
その後、国営競バは新設された特殊法人URAに移管されることで、再び半官半民の姿を取り戻して現在に至る。
もちろん、ここまでは教科書にも載っているありふれた内容だ。
だが、資料を追っていく中で、奇妙な類似点が目につくようになった。
一人のウマ娘に関する記述。
そしてそこに残された『三本足』という暗号。
情報としては不十分なものが多い。
だが、私はそこに惹かれた。
私はこのウマ娘を通して、原初のレースを追いかけることにした。
その先には何かがある。
この国のレースの歴史――その隠された姿か、ただのおとぎ話か。
そのウマ娘に会うことは出来なかった。
存在自体があやふやだ。
ただ『彼女』と関わりのあった人物数人を突き止めることはできた。
半ば以上本業を放り出し、駆けずり回った果てに、私は『彼女ら』とのアポイントメントを取り付けることに成功した。
歴史の彼方に消えた原初のレース。
それを当事者として駆け抜けた彼女らが見たもの、感じたことを知りたい。
衝動のまま予定表に「長期取材」の一言を書き殴った私は、編集長の罵声を背に、飛行機に飛び乗った。
■■■
URA以前の時代、中央で39戦を走り抜け、11勝を挙げたスプリンター。
北海道浦河郡。
古くから名バを産する土地として知られた、『霧深い川』の名を持つ町。
一線を退き故郷に戻った彼女は今、その町で家族と共に静かに暮らしている。
――●REC
あら、もう撮っているの?
そう……それで、どこから話せばいいかしら。
なんて、決まっているわよね。
7月23日。メイクデビュー戦。
彼女と会ったのは、函館の芝の上だった。
あの日のことはまだ鮮明に覚えてる。
直前で出走登録の取り消しがあって、三頭立てになってしまったのは不本意だったけど、あの頃じゃ仕方のないことだった。
今ほどスポーツ医学も、トレーニングのノウハウも蓄積していなかったんだもの。
補給も整備もやり方を知らないまま、ただがむしゃらに飛び続ける飛行機みたいなものよ。
オーバーワークで練習中に足を痛めてメイクデビューを走ることすらできない、なんて珍しくもなかった。
そう。どの子も多かれ少なかれ、同じようなものよ。
だけど、あのときの私は運良くそういう不調とは無縁だった。
追い切りの調子は悪くなかった。当日の体調も万全。一番人気だって取ってた。
まあ、所詮は三人の中での一番ってだけだったけどね。
最初に彼女を見た時?
スタート位置につくのを嫌がって暴れてたわね。冷静さを失ってるように見えた。
多分もう一人の子も、私と同じように思ってたんじゃないかしら。
ああ、これは間違いなく勝てるなって。
スタートの直前まで集中できないような、痩せっぽちの非力なウマ娘。
その時はまだ、誰もがそう思っていたのよ。
……私も含めてね。
それが大間違いだってことは、レースが始まった瞬間に分かった。
上手くスタートを切れたはずだった。
出遅れなんてない。最速で、最高の踏み込みができたはずだった。
でも、気付いたら背後には『彼女』の気配があった。
たった800メートル、流して走ったって50秒もかからない。
私の脚質で言えば、勝って当然の短距離だった。
そんな状況で、スタートした直後から尻尾の先に触れるぐらいぴったりと背後に食いつかれたわ。
こっちは大逃げのつもりで最初から全速力だったのに。
悪い夢でも見ているのかって思った。
どんなに力を振り絞って加速しても、やっと振り切ったと思っても、また直ぐに『彼女』の気配がくっついてくるのよ。
殺気とか、気合とか、そういうのとも違う。
まるで幽霊みたいに透明で、色のない――冷たい気配だった。
飲み込まれてしまえば、底なしに沈んでいってしまいそうな、そんな感覚。
全力で最終コーナーを駆け抜けて、そこからゴール板まではたったの262.1メートル。
それでも、ぴりぴりとした感覚が耳鳴りみたいにまとわりついて、引き剥がせない。
なんとかしようと焦って、力の限りに踏み込んで。
――そして、気づけば冗談みたいなバ身差で負けてた。
……いまでもまだ、あの時の感覚が耳に残っているわ。
■■■
通称、『鋼の脚』
強烈な踏み込みでダートを蹴散らし、実に75戦ものレースを駆け抜け、28の勝利を奪った古豪。
中央に残ることもなく、ただの競争ウマ娘としての生き方を望んだ女。
現在は盛岡の地方トレセン学園でインストラクターを努めている。
――●REC
こっちだと教え子たちが自主トレしている間くらいは、好きなように走れるんだ。
中央じゃそうもいかないだろ。人手もなけりゃ、生徒も多い。
自分のために走ってる時間なんてどこにもなくなっちまう。
だからここに居るのさ。
ああ、あのときのことかい。
あんたも古い話を聞きたがるもんだね。
……まあいいさ。
もらった酒の分くらいは話してやるよ。
そうさね。
あれは9月の初め、少し肌寒いくらいの日だった。
札幌のダート1200メートル、ゴール前3ハロン。
あたしは顎を引いて思いっきり歯ァ食い縛って、バ群に包まれた中から何とか脱出した。
追い風に煽られながら抜けた先には――遠ざかる『あいつ』の背中があった。
途方もなく遠くて、あいつはまるで、何もないただの荒野を一人で走ってるみたいだった。
どれだけ走れば追いつけるかもわからない。
あの頃の札幌は「砂」でね。
今のダートよりもずっと硬いのさ。
踏み込むにも蹴り進むにも、力を込めにくいんだ。
だってのに、あいつは一人だけ、まるで芝の上でも走ってんのかってぐらいの勢いで遠ざかっていきやがる。
途方に暮れたよ。
こちとらその時までは3戦3勝、無敗のウマ娘だ。
それなのに、あの時のあたしと来たら、見事なまでのやられっぷりだった。
もうこのへんが潮時なんじゃないかとさえ感じたね。
だけどその時――前の方から轟音が響いた。
あいつの足音だ。
まあ、今にして思えば錯覚か何かだろうけど、あたしにはそいつが聞こえたのさ。
ハッと顔を上げてみりゃ、悠々と遠ざかるあいつの背中があった。
結局、終わってみりゃ言い訳しようもないぐらいの大差負け。
正直、嫉妬したよ。
あたしは試合後の案内も待たずに、近くの駅に向かった。
とにかく早くトレセンに戻って、鍛え直したかったんだ。
今度こそはあいつとまともな勝負をしてやろうって、そればっかり考えてた。
結局、最後まで敵わなかったけどね。
――おや、よく調べたもんだ。
そうだよ。
あの頃は試合の後にウイニングライブなんてもんはなかった。
走って、競り合って、決着がついたらさようなら、だ。
それでよかったのさ。
何しろ、あの頃のレースは今みたいにお上品な見世物じゃない――ご見物達が丁半転がす賭場だったんだからね。
あん? 後ろの壁の蹄鉄?
――ああ、こいつか。
あたしが引退した時に履いてたやつさ。
まあ、ちょっとしたゲン担ぎでね。
衒学趣味の語学教師から聞きかじった言葉を刻んでもらったのさ。
CAST IN THE NAME OF GOD, YE NOT GUILTY.
ご見物達はチップでも点棒でも好きに賭けてりゃいい、あたしはただ走るだけだ――ってね。
まあ、そんだけのことさ。
白状しますが、本作は根本的に以下の名作をパクっています。(大胆な告白
クソ面白いのでみんな読んで♡
エースウィッチ達に「鬼神」について聞いてみた
https://syosetu.org/novel/243425/