昼行灯なんて言葉が似合いの人間だった。
いつからだったかなんて分からない。物心ついた時から、いつも私は一人だった。ただそれだけ。
当然誰にも好かれたりなんてしていなかったけれど、だからと言って嫌われもしていない。白昼の中で薄光を燻らすように、その場にいることすら誰にも気付かれない。そんな自分に不満は無かったし、その代わり期待や楽観なんてものも無い。無いものしかないような言い方になってしまったけれど、それでも本当に苦ではなかった。
ぱらり。黄ばんだ古い紙が、擦れて小さな音を立てる。本当に小さな音。でも私にとって、一枚一枚のページが立てるそれは新しい世界の扉を開くような、何よりも楽しく高揚する音だった。
教室の片隅で、誰よりも広い世界を眺めていられる。
「皆さんこんにちは。戸山香澄十四歳です!」
「私、小さい頃星の鼓動を聴いたことがあって。キラキラドキドキって、そういうのを見つけたいです。キラキラドキドキしたいです!」
そう、誰よりも。
中学三年の時だった。始業式のその日、教室での自己紹介でそんなことを宣ったある女の子がいた。
よく目立つ子だった。あまりクラスメイトと関わりのない私でも知っているくらいに。
戸山香澄さん。彼女の言う「星の鼓動」の意味は皆よく分かっていなかったし、「キラキラドキドキ」なんて抽象的な擬音のみで構成された表現は尚更だったように思う。
それでも彼女を嗤う人間がいなかったのは、きっと彼女が
彼女は歌が好きだった。休み時間に口ずさんだり、通学路で小さく歌っていたり。
所構わず歌う頓珍漢なんて穿った見方も出来なくはなかったのだろうけど、あんなに楽しそうに、そして綺麗に歌う彼女を見てそんなことを思えるのは余程歪んだ人間だけだろう。そう思える程に彼女の歌う姿は魅力的で、自然と人が集まることから察するにこう考えるのは私だけではなかったみたいだ。
天真爛漫な性格もあって、彼女はクラスでも中心的な人物だった。
……私とは真反対だなぁ。とか、別段、そんなことは考えていなかった。
眩く歌う彼女をずっと同じ教室で眺めていて思うところが無いと言えば嘘になるけれど、それはそれで。
憧憬と諦観。
きっと生まれてくる星というものがある。その星の下で生きるしかない。だから私は、少しでも違う星の景色を眺めていたかった。それが本で、そして字を書くこと。
ぱらり。ひとつ、またひとつと埋めたキャンパスノートのページを捲る。白く何もなかったそこに、私だけの世界を広げていく。青く澄んだ空でも、碧の輝く草原でも、何でもいい。
けれど、たまに思う。
時折、彼女はどんな景色を見据えているのだろうかと。
目を向けて、また逸らす。窓の外を眺める。陽に目が眩んで、結局向かうのはキャンパスノートと文庫本。それでいい。違う世界の景色を、こうして眺めるだけでいい。誦じるように文字に起こして、一人でその宙を見つめる。
それだけで良かったのに。
「これ、キミが書いたの!?」
「……あ」
その世界に、彼女が踏み込んできた。
西陽の差した教室。誰もいなかった筈の空間に、私のノートを抱えた彼女が立っていた。
茜色に染まった窓を背に、爛々と輝く瞳が落陽にも劣らず私の目を貫く。
ノートを忘れて取りに来た筈が、どういう訳かそれは彼女の手に収まっている。そして、中身まで読まれてしまっていることはその言葉からも明白だった。
黒板の上に掛けられた時計が、カチリと秒針を刻む音だけが静謐に響く。
「そうだけど。……あの、もしかして中に書いてあるの、読んだの?」
どうせ分かってはいるけど、念の為。何となく。
「床に開いたまま落ちてたからつい……。でも、すごく良かった!」
彼女は──戸山さんはそう即答した。
そのノートに書いていたのは、ちょっとした物語だった。引っ込み思案の女の子が、不思議な少女と出会い、二人で旅をする。そんな凡庸な冒険譚。
別に、世に出せばその文は好評を博し栄誉を輝かすだろうなんて淡い期待や愚かな思い上がりは抱いていない。私の中で始まって、そのまま私の中で帰結する。茫と揺らぐ昼行灯の下で、星の煌めきを遠望するための望遠鏡が、この物語なのだ。
だから誰かに読まれることなんて想定していなったし……。
「綺麗で、書いてあることがスって頭の中に浮かんできて、それからそれから──」
ましてや、こんな風に褒められるなんて。
眼前で嬉しそうに話す戸山さん。まるで、宝物でも見つけたかのような。
羞恥だとか以前に、訪れたのは狼狽だった。
「──ちょ、ちょっと待って」
「ん? どうしたの?」
「その、いや……。そんなこと言われるとは思わなくて」
「えー、私はすごく好きなのに」
「そもそも、誰かに読ませるつもりなんてなかったし」
「そうなの?」
首を傾げられる。鳶色の髪の毛がそれに合わせてふわりと揺れた。夕陽を背に、細く嫋やかなそれは輝いているようにも見える。
同性の私から見ても、つくづく整った容姿をしているなと思う。爛漫で快活が過ぎるきらいがあっても、それさえ彼女の魅力として機能している。情報を共有する友達なんていないけれど、きっと男子からの好意は大波の如く押し寄せているに違いない。
「……うん。そうなの」
夕陽から目を背ける。延びる机の影を見つめて、その黒をじっと網膜に焼き付けようと努めた。
「私は昼行灯だから」
「ひる、あんどん?」
またまた首を傾げられてしまった。こてんと小さな顔が振られて、彼女の髪もゆらりと揺れる。影も一緒にゆらゆらと揺蕩う。
「行灯ってあるでしょ? 和室とかに置かれてる、木と和紙で出来てる照明」
「そ、それぐらい知ってるよー! ……それで?」
本当に知ってるのかな。なんて気色からか、唇が僅かに吊り上がるのを感じた。
「あれ、昼に点いてても意味ないじゃん。そんな風に、昼間に点いてる行灯みたいな感じで役に立たなかったり……いてもいなくても同じな、ぼんやりとした人のこと、昼行灯って言うの」
だから、私は昼行灯。そう締め括っても良かったけれど、何か歯切れの悪さというか、居た堪れない気持ちになって、柄にもなく「名前も似てるしね」なんて冗談を飛ばしてみせた。
「だからこの話も、大したことないよ! 褒められてちょっと驚いちゃったけど──」
「──でも、キラキラしてるよ」
「……え」
だけど、戸山さんはそう言い切った。
彼女の紫水晶にも似た瞳には、一切の曇りもなく私が映り込んでいて、円に煌めいた。
「このお話読んで思ったよ、すっごいキラキラしてるって。そして私はドキドキした!」
「……いや、でも」
「あんどん? だって光ってるんでしょ? ならそれはキラキラだよ!」
「──」
彼女としては、ただ思ったことをそのまま口にしているだけなのだろう。だけれど、いやだからこそ彼女の言葉はこんなにも真っ直ぐなのだ。
「私、ちっちゃい頃にキャンプ場で迷子になったことがあって。夜だったし、怖くて泣きそうになりながら森を歩いてた。だけどね! 何となく空を見たらさ、あったんだ!」
「何が?」
「キラキラ!」
にっこりと戸山さんは笑う。
「星がすっごく綺麗でね、怖さとか色々吹き飛んじゃった。それが初めて」
目を輝かせて、歌うみたいに言葉を紡ぐ。
「きっと星も行灯も同じだよ。昼間だったら分かんなくても、ふっと目を向けたらさ、キラキラがあるんだよ」
「……行灯だってとこは、否定してくれないんだ?」
「えっ。あ、わっ! それは違くて……!」
「ふふっ、冗談」
慌てて訂正しようとするも、ぱくぱくと開閉を繰り返す口はさっきの饒舌とは比べ物にならないくらい空回っていた。
そんな彼女に、私は久しぶりに本心から笑えた気がした。
「ありがとね、戸山さん。そう言ってくれるの、嬉しい」
「……! うん、どういたしまして!」
呆れるくらいに素直で、清々しいくらいに愚直。
うん、きっと、だからなのだろう。
──だから、だった。
▽
その日から、私と香澄はよく話すようになった。
勿論日ごろずっと一緒にいる訳ではなかったけれど、例えば休み時間、互いが近くに居る時だったり。或いは放課後、一緒に帰ろうだなんて誘われた時だったり。
その度に香澄は私の小説を読みたいとせびってきて、恥ずかしいからと断っても結局、彼女の憧憬と期待に満ちた瞳の前に私はキャンパスノートを広げる他なかった。
「やっぱり凄いなぁ」
「ここの木の葉っぱをさ、『翠の天蓋』って言い方してるの! 凄い好き!」
そう言いながら、香澄は窓の外を眺めた。
御所染だった桜の枝は、すっかり青々とした葉に覆われていて、陽光に葉脈までもが透けているみたいだった。
「上に葉っぱがいっぱい広がってて、隙間から日の光が差し込んでるイメージがパって浮かんでくるんだ」
逐一描写や登場人物の言葉を拾って、ここがいいとかここはどういう意味なのかとか、訊いてもないのに詳らかな言葉を私に投げ掛ける。
最初はただただ気恥しいだけだったけれど、いつの間にか私にとってもっと違うものになっていた。
「じゃあ、キラキラドキドキしてる?」
「うん! ……って、もしかして私の感覚それしかないって思ってないー?」
「そんなことないって。香澄、いつも色々感想くれてるから」
こんな風に冗談なんかを飛ばせるようになり、戸山さんから香澄なんて気安い呼び方をするようになった頃には、もうそれは確実だった。
「今日書けたのはここまで。ごめんね、最近あんまり書けなくって」
「ううん! 少しでも読めて嬉しいから」
ぱたりとノートを閉じて、香澄はにこにこと嬉しそうだった。
少し久しぶりだったから緊張してしまったけど、彼女の反応を見て私は内心で胸を撫で下ろす。
いつも通りの放課後。西陽が差す教室を、私と香澄は並んで後にする。校舎を出ると、吐く息は淡く溶けていく。白く霞がかったその残滓を木枯が攫っていってしまう。時間が過ぎるのと同じように。
もう冬が来ていた。
「読ませるのは全然良いんだけどさ、香澄ちゃんと勉強してる?」
「うっ……。し、してるよー?」
もうすぐ高校入試の時期だ。
ぎくり。そんな擬音が相応しいくらいに、彼女の言動は歯切れが悪い。
「でもでも、まひるちゃんのお話読むのも勉強になるよ! 現代文のとか!」
「あはは、そんな大層なものでもないと思うんだけどなぁ……」
「そんなこと──」
「ん。分かってるよ。香澄が凄いって思ってくれてることはさ。だから結構自信持てたし」
「本当?」
「うん。我ながら、この話こんなに長く書くとは思ってなかった」
あの時、香澄が私の小説を読んでいなかったら。
この物語は星見の道具として早々にその役目を終えていたに違いない。
それで良い。私が、私だけの空想を現身にしたに過ぎない。私がふとした瞬間に書いて、またある日突然終わらせる。
けれどいつの間にかそこに香澄がいて、私だけの世界を認めてくれて。
本当に面映ゆいけれど、私はそれがとても嬉しかった。
「だからありがとね」
「私は何もしてないよ。むしろ私こそありがとうだよ! 読んでてすっごく楽しいから」
「そっか。なら、ちゃんと書き終わらせないとね」
「うん! 楽しみにしてるね!」
にぱっと白い歯を見せながら破顔する香澄。薄暮時の中でも、彼女の笑顔は眩しかった。
路地に並ぶ影は伸びて、交わらなかった。
そうして、雪に代わり桜が降り積もる頃になった。
卒業証書だなんて大仰な名前の紙を一枚、黒い筒と一緒に押し付けられて、私たちはまた一つ世界を捨てる。
「結局、書き終わらせられなかったなぁ。ごめんね」
「大丈夫! 私、いつでも待ってるから」
気にしないでと言う香澄だけれど、この日だけは眩い笑顔に一抹の翳りが見えた。
私は公立の共学に、香澄は私立の女子校に進学することになった。もう同じ教室で話をすることもなくなる。
そんな当然の予見でも、寂寥は感じるもので。
「うん。じゃあ、書き終わったら連絡する。高校上がったら携帯も買ってもらえるし、絶対に」
「絶対だよ! 私、まひるちゃんのお話でいっつもキラキラドキドキして、まひるちゃんは特別だって思ってるから! まひるちゃんのお話、すごいから!」
「……! もう、そんなに泣きそうにならなくてもいいって」
涙ぐみながら力強く訴える香澄に、却って冷静になりはしたものの。
(……とくべつ、か)
この日の香澄の言葉を、私は忘れることはないだろう。
暖かな日差し。咲き誇る桜。頬を撫でる風。手をとる温もりと、輝く瞳。
その全てが、そうだったんだ。
▽
高校生になって、私は文芸部に入った。
消えかけていた物語の灯火を彼女につけられてしまったというのもあるけれど、きっと私の意志に他ならなかった。
同じ志を持つ仲間。西陽の差す教室でノートを広げたあの高揚感。私はそんなものを求めていた。
「──よろしくお願いします」
ぱちぱち、と疎らに響く拍手。
校舎の隅っこに設置された部室には、一年生から三年生、男女合わせて五人という何とも寂しい人数と同じ数だけの椅子、それから長机が一つだけが置かれていた。
「安藤さんはどんなジャンルよく読むの?」
「えっと、割となんでも読むんですけど……紀行とかファンタジーとかが好きです」
「んー、そっかそっか」
「あ、でも……。先輩たちが書いた作品とか、興味あります!」
「え?」
瞬間、何を言っているのだろうという十の瞳が私を捉まえた。数瞬の空白が続き咀嚼しきった後で、部長は申し訳なさそうな、家の中に入ったヤモリでも追い出すみたいな気怠さを孕んだような顔で言う。
「あー、別に俺ら自分たちで書いたりとかはしないんだ。読みたいもの持ってきて読むだけみたいなさ」
「ごめんね。でもほら、うちの高校って部活は強制じゃない? 適当に本読んどくだけで部活認定されるならラッキー、みたいなさ」
「そうそう、だから気楽にやってよ。文芸つったって皆ラノベ系しか読まないから」
同調して、口々に先輩たちは言い出す。
その言葉と瞳には、輝きなんてものはなかった。無為に過ごす人達の淀んだ空気がそこに蔓延していた。
「あ、そうなんですね……」
勿論私は、キャンパスノートを広げることなんて出来やしなかった。
だとしても、私は諦めたくなかった。
こんな私を特別だと言ってくれた彼女に、その時から進み始めた物語に報いる為に。
「小説甲子園?」
「はい。全国の高校生対象にやってる公募で、うちの文芸部も……」
「無理無理、そんなの俺ら書けっこないよ。個人でやりたいなら全然いいけど」
「第一応募したって予選も通過しないでしょ。そういうので通る人はね、よっぽど特別なのよ」
「……」
(特、別……)
そうだ。
特別な人間は特別だ。だとしたら、きっと群れる必要なんてない。
黒い粉を吐き出すシャープペンシル。指の腹で払うと、濃い鼠色がべったりと文字の表に貼り付いた。手繰り寄せて紡ぐ文字の連なりと同時に、汚れも影のように付いてくる。多分、消えない汚れだった。
ふとスマートフォンが通知音を鳴らす。デスクライトと違う光源が唐突に現れて、少しだけ目が驚いたように感じた。
メッセージの差出人の名前を見て、きゅっと心臓が縮んだ。
『まひるちゃん久しぶり!』
『香澄だよ』
キーボードが打ち出した無機質な文字列の筈なのに、打っている本人の顔がありありと浮かんでくる。気の所為だろうけど。
『久しぶり』
『うん! 元気?』
『元気だよ』
気の所為だと思いたい。
『香澄は?』
『元気だよ! 高校もすっごく楽しい!』
でないと今の私が、そのまま香澄に透けて見えてしまうのだから。
『私バンド始めたんだ!』
『Poppin’Partyって名前』
『今度ライブやるから観に来て!』
黒く汚れた指先で、メッセージを返す。
『わかった』
『楽しみにしてるね』
薄っぺらい言葉を連ねることだけは、何よりも上達していた。
結局あんな返事を送っておいて、私が香澄のライブに足を運んだのはそれからかなり経ってからだった。
香澄だって頑張っているんだ。私も頑張らないと。いつか賞を取れたら、その時に、本当の意味で私は香澄に会いに行ける。
そう思って、何度も応募をした。編集社に持ち込んでみたりもした。特別なら、輝いているのなら、いつかは。
いつかは──
『──ベストバンド賞、Poppin’Party!!』
熱が渦巻く会場。歓喜の声。数千の観客が、羨望と友愛と希望の目を向ける。ステージの中央、そこで輝く少女たちに。
思わず、背を向ける。光から目を逸らして、スポットライトの当たらない通路へと。
此処はきっと、こんな私がいていい場所の筈がなかった。
──落選。
届く結果の通知は、いつもこれだけ。
それでも尚惨めに文字を書き続ける私に構おうとする人間は、クラスにも部活にもいなかった。
誰も目を向けない。
私は、特別なんかではないから。
(あれ……? そもそも──)
──何故、自分は特別なのだと思ってしまったのだろう。
「まひる、あなたちゃんと受験勉強してるの? もう三年生なんだから、いい加減に……」
「今の成績のままだと、行ける大学もかなり限られてくるぞ。他に何か実績なんかがあれば選択の幅も広がるだろうが、今はとにかく建設的に計画を……」
「敢えて厳しい言い方をすると、貴方の文章からは全く力強さが感じられませんね。抽象的な比喩の多用だけでは読者の共感は得られません。……もうウチに持ち込んで何回も見させて貰ってるけど、多分向いてないんじゃないかな」
分かっていた筈だ。
自分は昼行灯だと。いてもいなくても同じで、その人生を無為に浪費する有象無象。
どうして違うと思ったのか。何を以て彼らと自分を線引きしていたのか。
そんなことをして何を得られた?
虚栄心だけがぶくぶくと膨れ上がって、この巨大なバケモノは大いに暴れ回った。
そうしてかつてあった筈の私の世界には、もう何もかもが跡形も残っていない。
ふらふらと街を歩く。漂白の地を行く浮浪者みたいな足取りで、失くしたものを探していた。或いは逃げていた。
何かが前まで其処に在った。誰かが其処に居た。
分からない。気分がわるい。はきそうだ。
「う……」
内臓ごと喉にせり上がってくるようだった。筋肉が痙攣すると、酸っぱくて生暖かい液体が口に溢れた。堪らず側溝に駆け寄って、電柱に片腕を預ける。
まるで酔っ払いだった。いや、正に、私は酔っ払っていたのだ。
心地好い言葉に浮かされて、後先考えずに口と手先だけ達者で、その実何も成し得ない。
醒めた後に残るものだって、何も。そう、知っていたのに。
どうして私は──
「まひる、ちゃん?」
私、は……。
……あぁ。そうか。
貴女だったね。
「大丈夫……?」
久しぶりに会った彼女からは、少しだけ大人びた雰囲気を感じた。肩まで伸びた髪も、あどけない顔立ちも、何も変わらないと言うのに。
「香澄……」
それに比べて、私はどうだ?
何をして、何を得たかなんて。いや、そもそも比べること自体烏滸がましいだろう。
私と彼女では、生まれてきた場所が違う。
理解した瞬間漏れたのは、嗚咽でも嫉みでもなく。
ただただ、力のない笑みだった。
「……うん、大丈夫。それと、ライブ観たよ。ごめんね、今までライブ行けてなくて」
「ううん! 来てくれてて嬉しい」
「すごく良かった。歌も、パフォーマンスも。ほんと、キラキラしてたよ」
青い顔をしながら急に自分を誉めそやす目の前の同級生に、香澄はさぞ困惑したことだろう。したに違いない。解る筈がない。
だって……。
「やっぱり、香澄は特別だよ」
「え?」
昼行灯なんかと違って。
「だから、もう一つ謝らせて」
「……え?」
「あの話の続き、私もう書けないや」
香澄はいつだって輝いている。
「……じゃあね」
もう一度、背を向けた。
「ま、待って!」
後ろから呼び止められる。
香澄は何を言おうとしているのだろう。困惑か、悲哀か、憐憫か。或いは希望なのか。
「私! ステージの上から分かったよ! まひるちゃんが観に来てくれてるの!」
どれでもいい。
「だから会いたくて! 会って直接、話したくて。なんだか、悲しそうな顔してたから……」
どれも聞きたくない。
「私ね、まひるちゃんのお話すっごく好きだよ! バンドも楽しいけど、それとは違うキラキラがあって、だから私──」
「──やめて!」
私にとってその言葉は。
「やめてよっ……」
「……っ」
「そうやって、また……私を呪わないでよ……!」
届かない、星の輝きだったから。
▽
それは小さな女の子の冒険譚だった。
森で育った内気で気の弱い主人公の少女は、ある日美しい少女に出会う。森しか知らないと言う主人公に、少女は快く外の世界を案内するのだ。
開けた青空、鳥の鳴く海原、風がそよぐ草原。
其処には主人公を虐めるいじめっ子も、勉強ばかり押し付けてくる先生もいない。
少女と旅をして、色々な人と出会って、主人公は
主人公は……。
──主人公は、どうなるんだったっけ。
表紙の薄汚れた、古いキャンパスノートだ。
殆どのページがびっしりと埋め尽くされている癖に、最後の方だけ真っ白だ。
確かにあの時、続きは書けないと彼女に言った。けれど、私の中でもう結末は決まっている。書けるけど、この物語はここでお終いなのだ。
かつてコレは、星見のための望遠鏡だった。
違う星の下。違う世界。そんなものを空想し、覗くための。
あの時から、きっと近付き過ぎたのだと思う。
そして、自分にも手が届くのだと愚かにも勘違いしてしまった。昼行灯は輝けない。星の光が灯る中でなんて、尚更。
勝手に自惚れて、勝手に自爆して、勝手に目を背けた。
その光は、私には眩し過ぎた。たったそれだけの話。
だから、この話はお終いだ。
改めて思いますが誕生日に書くお話じゃないですね。深く反省しています。