黒き馬、世紀末を駆ける 作:馬券童貞は東京優駿に捧げた男
グラスワンダーの1999年初戦と、とある話を1つ。
俺ことブラックテイル、1つ勘違いをしていたようだ。
と言うのも、数日後に迫っているグラス先輩の大阪杯なのだけど、ジーワンじゃないらしい。
可笑しいな、前世の記憶だとジーワンだと友人が言ってた筈……
『俺の推し馬がジーワン取った!』と言ってたからなぁ、そうだと思ったんだけど……ジーツーらしいのだ。
北海道が誇る某演歌歌手の馬という事で、友人が大興奮して追っかけてたのはしっかり覚えてるんだけど。
……まさか、レースの格って変わる事もあるのか?
だとしたら、今ジーツーでも後にジーワンに昇格したのかな?
ありえる……
まぁ、レースの格がどうであろうと、グラス先輩が出る事には変わりない!
筋肉痛でレース回避になったこともあり、グラス先輩の闘志というかやる気というか、とにかくそう言うモノが高まりまくっている。
これを爆発させたレースがどうなるのか、楽しみでしょうがないんだよなぁ。
なんてことを考えながら、調教終わりで馬房に戻ってくる。
なんやかんや、スプリングステークスが終わってそこまで経ってないから、今日は軽めの調教だった。
ので、グラス先輩や、他の馬達よりも一足早く戻って来たんだ…………あれ?
「どうした、テイル?」
『菊村さん菊村さん、これ、これ』
担当厩務員の菊村さんが近くに居たので、ハナで『それ』を指す。
「こっちか?……あぁ、ささくれてるなぁ」
『でしょ?出入り口の辺りでこれだと、うっかりぶつけると危ない』
「良く気が付いたなぁテイル、ありがとうな。とりあえず今は布でもあてておくか」
厩舎の入口に使われてる木材。
丁度馬の頭くらいの高さの『そこ』が、結構大きくささくれてるのが見えた。
厩舎の馬がぶつけた拍子にそうなったのか、経年とかそういうアレなのか……
とにかく、自分は気付いたけど、他の馬がぶつかったら危ないくらいには大きなささくれだ。
「とりあえずテイルを馬房に入れて、っと」
『対応お願いしますね』
「さて、と。取りあえず折れるだけは手で折って、タオルか何かをテープで止めておけば良いかな。テキにも報告しなきゃな」
菊村さんはしっかり対応してくれるみたいだな。
これで一安心だ。
『4月、新年度が始まり、競馬も大きな動きを見せる時期となりました。今日のメインレース、GⅡ産経大阪杯、芝2000mがまもなく開始となります』
『エリモエクセルが出走取消となって、12頭立てとなりました産経大阪杯、今日ダントツの1番人気に入りましたのは昨年の有馬記念で見事な走りで復活を示したグラスワンダーです。パドックでの様子は落ち着きながらもやる気十分、といった具合でありましたが、実際の走りはどうか?』
『2番人気はサイレントハンター、今年に入ってからの4レースで1着、2着、3着、4着とすべて掲示板入りしています。今日も先頭を行く走りに期待したいですね』
『3番人気、マチカネフクキタル。京都記念2着、読売マイラーズ11着と少し難しい所。京都記念で見せた復活の兆し、掴む事は出来るのか?』
『4番人気は………』
『トバさんの気にしてた馬は、サイレントハンターとマチカネフクキタル、だったか』
ぐるぐるとタイキジョを回りながら、考える。
テイル曰く、サイレントハンターはサイレンススズカがコショウしたテンノウショウで、サイレンススズカから大きく離されていたとはいえ2番手を走っていた逃げの馬。
マチカネフクキタルは、怪我をしてからは調子が良くないみたいだけど、怪我前は恐ろしいまでに強かったという馬だとか。
……僕としては、サイレントハンターが気になる。
サイレンススズカと同じく、逃げる馬。
……僕の脚が、彼に届くのか。
イメージを重ねるには、良い相手かもしれない。
『さぁ、各馬ゲートイン、体勢完了……スタートしました!!先頭、逃げていくのはサイレントハンター、ランフォザドリームがそれを追う形、その後ろおっと3頭、マチカネフクキタル、アマロ、テイエムトップダンが3頭固まって、その後ろにグラスワンダー、グラスワンダーはこの位置に来ました!』
なるほど、聞いてた通りサイレントハンターは逃げていく。
そして、僕の目の前にはマチカネフクキタルが居る。
「グラス、この位置を保とうか」
『この位置を、ね。分かりましたよ』
トバさんはこの位置を選ぶみたいだ。
確かに、逃げるサイレントハンターを捉えに行くのなら、前めの方が良い。
取りあえず、暫くはこの位置を保とう。
『さぁサイレントハンター逃げる逃げる、2番手ランフォザドリームとの差は5馬身、6馬身程あるでしょうか?後続捉えきる事は出来るのか?』
確かに、良い逃げをしている。
……でも、その位置ならば、十分に狙えるね。
チラリ、とゴールの位置を確認する。
そこから、自分が走るコースを考えて……捉えるなら、あのカーブ、かな。
動き始める準備をしておく。
「グラス……うん、そうだね。そろそろ、外側に出ておこうか」
『ですよね』
「あそこのカーブで、仕掛けよう」
『はい』
何となく、トバさんがどのあたりで仕掛けるか、分かって来た気がする。
僕の考えた通り、トバさんもあのカーブで仕掛けたいみたいだ。
それに備えて、少し外側に出ておく。
『第3コーナー入って、先頭は依然変わらずサイレントハンター、後続差を詰めていますがまだリードは4馬身程、ここからどうでるか、おっとグラスワンダーが外に出てきています!動き出しましたグラスワンダー、サイレントハンターを捉えられるか!?』
外に出て、目の前の集団を抜きにかかる。
グッ、と力を込めて、数歩で集団の横に並び、更に一歩、抜け出していく。
次に抜くべき相手を、目で捉える。
『マチカネフクキタルらを抜き去った!さぁグングン加速していくグラスワンダー!第4コーナーでランフォザドリームと並ぶか!並ぶか!!並んだ!!抜いた!!!瞬く間に抜き去って、先頭サイレントハンターへと詰め寄ります!!!』
―――先頭を走る、馬を見る。
もしも、先頭を行くのが『彼』ならば、ここで少しだけ『溜め』に入るだろう。
僅かに、しかし確かに身体を休め呼吸を整え、直線に入った瞬間に、再び加速する。
あの日、1度だけ共に走った時の感覚は、今でも思い出せる。
そんな『彼』の姿が、居ないはずの『彼』の姿が、先頭を走る馬の隣に、うっすらと見える。
(そうだ、『君』ならば、そう動くはずだ。だから、それを捉える為には―――)
うっすらと見える『彼』を捉えに、僕は動く。
前へ、前へ、前へ。
加速するその前に、僕が前に出る為に。
コーナーの終わりが、見えて来た。
(直線に入ったら、もう彼を止められない。だから、仕掛けるのはコーナーが終る前でないと)
直線に入る、その前に。
僕は、『彼』の前に、入らないと……
「グラス、逸るな」
『ッ……………すみません、トバさん』
「今は詰めるだけ。直線に入ったら、一気に駆け抜けるよ……良いね?」
『はい』
……なにをしているんだ、僕は。
あくまでイメージは重ねるだけ。
あくまで、今走っているのは『彼』ではなく、サイレントハンターだ。
トバさんに声をかけられるまで、すっかり忘れてしまった。
(サイレントハンターは……うん、『彼』ほど突き放されてない。大丈夫、十分狙える)
一度落ち着いてしまえば、しっかりと『サイレントハンター』を捉えられた。
少しずつ、しかし確かに、距離を詰めていく。
『さぁ第4コーナーを抜けて最終直線!グラスワンダーがサイレントハンターに迫る!!懸命に逃げるサイレントハンターリードは3馬身!!しかし、リードが縮まって2馬身半!2馬身!!グラスワンダー驚異の末脚!!!その差はもう1馬身!!!』
(すまなかった、サイレントハンター……あの時完全に、僕は君では無く『彼』を見てしまった)
心の中で謝って、僕はサイレントハンターの横を抜けていく。
『並ばず抜き去ったグラスワンダー!!グラスワンダー先頭!!グラスワンダー先頭!!サイレントハンター懸命に追うが!先頭は!!グラスワンダー!!!』
『見事な走り!グラスワンダー、1999年の初レース、文句なしの勝利です!!勝ちタイムは1分59秒6、産経大阪杯が2000mになってから、歴代2位の記録となりました!!!3歳でも4歳でも強かったグラスワンダー、5歳になっても、やはり強い馬は、強い!!!』
『レース中に、サイレンススズカの姿を追ってしまった、と』
『うん……サイレントハンターのその先を行く【彼】を、見たんだ。トバさんに言われなかったら、僕は……』
『うーん……』
レースから戻ってきて、僕はテイルに相談していた。
このままでは、トバさんとオリアイをつけられない。
それは、避けないと。
『……あくまで、参考程度にして貰えれば、って話なんですけど……』
『うん』
『先輩、レースの前に一回集中する時間を作りましょう。ゲートに入る前か、もしくは待機所を回ってる時くらいに』
『……それって』
『【
テイルの言葉に、首を傾げる。
『レースに集中してても、最後にはサイレンススズカを見てしまう。そこで折り合いがつけられず上手くいかなくなるのが、今の問題ですよね?』
『うん』
『だから、一度落ち着いて、サイレンススズカの事を頭の中から切り離しましょう』
『でも……それじゃあ、彼を抜ける走りが出来たかが……』
『レースの後で、思い返してみれば良いじゃないですか。【今の走りなら、彼を抜けたかな?】って、レース後に落ち着いて考えるんです。なにも、レース中に彼の姿を幻視しながら走る必要はありません』
『……うん』
テイルの言葉を、しっかりと聞いて、自分で考える。
……レース中に考えるから、考えが乱される。
ならば、一度考えないようにして、事が終ってから、落ち着いて振り返る、か。
『先輩。自分が人の生活をする夢を見てた時に、知った言葉があるんです』
『ん?』
『【精神一到、何事か成らざらん】……心を一点に集中させれば、出来ない事など無い、って意味です。自分が最高の走りをする事、レース中はその一点を目指しましょう。そうすればきっと、サイレンススズカの走りを越える事だって、きっと出来るようになります』
『【セイシンイットウ、ナニゴトかナらざらん】……』
何故だろうか。
テイルが教えてくれた言葉が、スッと、悩むことなく記憶された、そんな感覚を感じる。
1つの事に全てを集中させれば……自分が最高の走りをする、その一点に集中すれば。
そうすれば、サイレンススズカだって、越えられる。
『……なる、ほど。そうか、そういう考え方が、あるんだね』
『はい……あと、その』
『何かな?』
『……俺は、グラス先輩が別の事考えながら走るなんて、見たくないです』
『!?』
『俺にとってグラス先輩は、鳥場さんやテキが認める最高の馬であって欲しいんです。調教を熱心に熟して、レースでは常に先頭を目指して走る、俺が憧れ、目指すサラブレッド……それがグラスワンダー、貴方なんです』
『テイル……』
僕の事を思って、色々考えてくれて、教えてくれる、僕のコーハイ。
そんなテイルからの、尊敬の気持ちが籠った言葉。
その言葉で、僕は、自分が間違っていた事に、気付かされた。
『―――テイル』
『は、はい!』
『君に、約束しよう。レースの中で、僕が狙うのは【サイレンススズカ】じゃなくて、【僕の最高の走り】だ。僕は、君が目指すべき目標に、超えるべき壁に……………僕にとってのサイレンススズカに、なってみせよう』
―――そうだ。
サイレンススズカは、何を思って走っていた?
【自分と鞍上だけしか居ない、そう思える世界】を見たいと、そう思っていたんだ。
その一点を目指して、今出来る己の最高の走りを目指していた。
僕と違うのは、【今走っているレース】を見ていたのはサイレンススズカで、【今走っているレースとは違うモノ】を見ていたのが、僕だ。
今のレースを見ていなくて、最高の走りなぞ、出来る訳がない。
相手を見据え、鞍上を信じ、共に駆ける。
それでこそ、最高の走りと言うのは出来るモノだ。
【セイシンイットウ、ナニゴトかナらざらん】
この言葉を、自分の心に刻み込む。
―――結果など、後で付いて来る。
レース中は、自分の最高の走り、その一点を目指す。
そうすれば、いつか、サイレンススズカを越えられる最高の走りを、見つけられるはずだ。
『痛い、痛い、痛い……!!!』
脚が、痛い。
スプリングステークス、ってレースに出るはずだった。
『彼』と、一緒に走れるはずだった!
親切で、物知りな『彼』と、僕は走りたかった!!
【クッケンエン】なんてビョーキにさえならなかったら、僕は!!!
『テイルと、走りたいのにぃ……!!!』
テイルが出る、そう聞いたんだ!
だから頑張って頑張って頑張ったのに!!なのに!!!
『せっかく、レースで勝つ方法だって、教えて貰って……あのレースで勝って……なのに、なのに……』
最後にレースに出たのは、随分前。
大分離されたけど、2着にはなった。
『お前なら行ける』『テイオーのショネンドサンクでジーワン行けるかもしれない』って、人も褒めてくれたのに!
『走りたい、走りたいよぉ……』
―――乗ってくれる人は、君を勝たせたいと色々考えてくれる。だから、その気持ちを信じて、指示には従う事。自分は、それを大事にしたいと思ってるよ―――
『……僕の周りに居る人は、僕が勝ってほしいって、走って欲しいって、そう思ってくれてる……そうなんだよね、テイル?』
テイルの言葉を、思い出す。
その言葉を信じて走ったシンバセンでは、僕は1着になった。
まだ、その言葉を、信じても良いんだよね?
『走れるようになるには、人を信じて、今は我慢……そうすれば……』
―――テイル。いつか、君と、走れるよね?
グラスワンダー、覚醒。
そして、ノボグローリーのお話でした。
ノボグローリーの元馬さんですが、1998年10月から2000年3月までととても長い期間の空きが存在するんですよね。
調べた所、屈腱炎を発症していたとの事。
本作ではどうなるか、それは暫く先の話となるかと思います。
次回はクラシック初戦、皐月賞……もしくは、ウマ娘編。
ウマ娘編の場合、ちょっとした日常系にするか、ウマ娘世界でのイシノフォーチュンやノボグローリーの話にするか、どちらかになると思います。