黒き馬、世紀末を駆ける   作:馬券童貞は東京優駿に捧げた男

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お待たせいたしました。
今回は菊花賞、そしてその後の御話を少しばかり。


第21話 第60回菊花賞+『道、分かれる時』

『よし、今日は京都競馬場芝3000m、菊花賞だ!』

『キッカショウ、3000m……だいぶ長いね?』

『あぁ、多分俺達が走る事になるレースでも、2番目位に長いレースだ』

『もっと長いレースがあるんだ?』

『春の天皇賞は3200mだからな、もうちょっと長くなる。もしかしたらもっと長いレースがあるかもしれないしな』

『ふーん』

 

京都競馬場で、リラとそんな話をする。

今日の第11レース、クラシック三冠の最後の1つ、菊花賞。

芝3000mという長距離レースで、『最も強い馬が勝つ』と言われているレース。

まぁ、3000m走れるってだけで1つの才能だもんなぁ……

 

『この間は負けたけど、今回はこの僕ッ!!!テイエムオペラオーが勝たせて貰うよ!!!』

『今度も負けない……勝つのは、僕』

『アァ!?勝つのは俺、ナリタトップロードだ!!!』

『負ける気は一切ないよ、俺もね』

 

オペラオー、トップロード、そしてリラ。

クラシック3冠路線で張り合って来たライバル達。

そんな彼らと言い合っていると、ふと視線が気になった。

彼らとは反対側に視線を向けると、鹿毛の馬がこっちを見ていた。

 

『どうかしたの?』

『え、あ、えっと、その……賑やかだな、って、気になって』

『そっか。折角だし話をしようよ。俺はブラックテイルって言うんだ。君は?』

『ラ、ラスカル、スズカ。ラスカルスズカ、って、言うんだ』

『ラスカル、スズカ―――』

 

【スズカ】という部分が、どうしても、引っかかる。

話によると、『冠名』というモノが存在するらしい。

例えば『メジロ』、『シンボリ』、『ナリタ』……馬主さん毎に、そういう共通名を付けているらしいのだが。

【スズカ】といえば、やはり脳裏を過るのは……

 

『ねぇ、【サイレンススズカ】って名前に、聞き覚えは?』

『サイレンス、スズカ?ある、よ?本当に、速い馬、で、【キョウダイ】?なんだ、って』

『―――そう、なんだね』

 

馬の兄弟関係というのは、母親で決まるらしい。

異父兄弟の事を『半兄』、父も同じ兄弟の事を『全兄』というらしい。

彼が、サイレンススズカとどっちの形で兄弟なのかは分からないけれど。

同じ母から生まれた存在、というのは、確からしい。

 

『何か、知ってる、の?』

『うん、知ってるよ……まぁ、それなりに、だけどね』

『そう、なんだ……す、スズカは、キョウダイの事、あんまり、知らないんだ。お、教えて、くれない、かな?』

『知りたいの?』

『う、うん。前までスズカに乗ってくれた人、キョウダイの話をするとき、辛そう、だっただから……なんでなんだろう、って、気になって』

『……乗ってくれる人、【峪穣】って人だったり、する?』

『う、うん、そう、だよ?物知りさん、なんだね?』

『Oh……』

 

思わず、天を仰ぐ。

そりゃ、悲しそうになるのも納得だよなぁ。

 

『タニさんが、どうかしたの?』

『あぁ、こっちの馬、峪さんが主戦騎手だっていう話でね』

『そう、なんだ』

 

どうやら、こっちの会話が、リラは気になったらしい。

まぁ、リラの主戦騎手は峪さんだ。

だからまぁ、気になっても………そういえば。

 

『アドマイヤベガ。君の新馬戦って、去年の11月だったよな?』

『うん、そうだけど……』

『……こっちの馬、ラスカルスズカ、って言うんだけどな?彼には兄弟が……1つ年上の兄弟が、居たんだ』

『……あれ、君は、確か……同じキューシャの』

『あ、同じ厩舎なんだ?……まぁ、それはそれとして、だ。ラスカルスズカの兄弟はサイレンススズカ、っていう名前で……自分が聞いた話、色んな人たちが【最も速い馬】として名前を挙げる程の、凄い馬だ』

『サイレンス、スズカ……あれ、同じキューシャに居た、ような……何時からか、見なくなったけど』

『え!?サイレンススズカと同じ厩舎だったの!?』

『うん。いつもグルグル回ってる馬が居て……その馬が確か』

 

―――ラスカルスズカと、アドマイヤベガ。

この場に居る2頭の関係が、繋がっていく。

いや、まさか同じ厩舎で、しかもサイレンススズカも同じ厩舎って……世間は、狭いなぁ。

 

『おっと、話を戻すけど、サイレンススズカの全盛期―――つまり、最も強かったころ、乗っていたのが峪穣さんだ』

『スズカのキョウダイにも、乗ってたんだ……』

『あぁ。それで……去年の11月1日に行われたレースで、サイレンススズカは怪我を負って……亡くなった』

『―――【あの子】と同じところへ、行った……?』

『……あぁ』

 

リラは、『亡くなる』という言葉を、彼なりに理解している。

すなわち、会えない遠い場所へと旅立つ事、として。

自分がその場所へ行くその日まで、会う事叶わない場所へと旅立った、と。

 

『君の話からすると、多分新馬戦の1週間前だな……きっと、それが、とても悲しい出来事だったんだ、峪さんにとって。悲しくて、悲しくて、心が乱れるほどの衝撃がずっと続いて……君の新馬戦で、斜行という形で出た。自分が乗る馬の制御が出来なくなる程に、辛かったんだよ』

『……騎手さんから感じた【カナしい】は、それだったんだ』

『きっとそうなんだろうね』

 

峪さんの『悲しい』という気持ちを、リラは感じていたらしい。

その『悲しい』が、リラの新馬戦で、悪い形で表れてしまった。

 

『スズカのキョウダイは、遠い所に行っちゃったの……?』

『そう、だね……今の俺達じゃ、会えない所、かな』

『そう、なんだ……』

『……何時か、会える日が来るんだって。それはずっと先の事になるけれど、何時か』

『そう、なの?』

『うん。僕にもキョウダイが居た。だから僕は、その日に胸を張って会えるように、走ってる……君も、そうしてみたら、どうかな?』

『スズカのキョウダイに、胸を張って会えるように……』

『僕のキョウダイと、君のキョウダイ……【亡くなった】理由も違うけれど……僕らにキョウダイが居た事は、同じだ。キョウダイと会う日が来るのも、きっと同じ』

 

リラの視線は、穏やかで……どこか、悲しそうな視線。

ラスカルスズカの事を、そんな視線で見ている。

 

『キョウダイの事、覚えてない?ほら、同じキューシャ……何時も過ごしてる所で、いつもグルグル回ってる馬が居ただろう?』

『え、あぁっと……居た、ような、気がする。あれが、スズカのキョウダイ、だったんだ?』

『……羨ましいな。僕は、キョウダイの事、見た事も無かったからさ……キョウダイに会った時、自慢出来る事を、用意しておきたいんだ、僕は』

『自慢、出来る事……』

『うん』

『……スズカも。スズカも、何か、キョウダイに自慢出来る事、欲しい。スズカのキョウダイは、【一番速い馬】なんだ、よね?なら、それに負けない位』

『なら、頑張って走らないと。一杯走って、勝とう』

『う、うん。頑張る、よ』

 

走る、理由、か。

―――羨ましい、な。

 

 

 

 

 

『―――天候に恵まれました、京都競馬場。本日のメインレースは第60回を迎えますクラシック3冠最後の1つ、菊花賞であります』

『昨年は、セイウンスカイの38年ぶり逃げ切り勝利でワールドレコードを記録するという快挙が成し遂げられましたこのレース、今年は何が起こるのでしょうか?実況には、菊花賞を3勝された事のある南海(みなみ)調教師にお越し頂いておりますが、どうでしょうかこの菊花賞というレースは?』

『そうですね。やっぱ特別なレースですよね。4歳頂点を決める最後のレースですから』

『えぇ、それはもう……解説の大久保(おおくぼ)さん、今日のレースはどうなると思われますか?』

『そうですね、皐月賞馬テイエムオペラオーはそうですし、ダービー馬2頭、アドマイヤベガにブラックテイル、この3頭の2冠争いがあって、最後の冠を取りたいナリタトップロードが加わった4強。この争いがどうなるかという所ですけれども……先行馬が2頭、出走回避しましたから、ペースを握るのは恐らくブラックテイルが逃げるかどうか。そこにラスカルスズカやメジロロンザンといった先行馬がどう動くかと言う感じですが……南海さん、ラスカルスズカに跨った事があるという事ですが、どんな馬だと感じましたか?』

『そうですね、自分から行くというよりは、相手が来たら自分も前に行く、って感じの、ちょっとズブい所がある馬ですね』

『なるほど。そうなると杉埜(すぎの)さん、昨年のセイウンスカイみたいなハイペースにはならないんじゃないでしょうかね』

『ならないでしょうかね』

 

 

 

ゲート前、ゲートインを待っていると、ダダッと近づいて来る馬が1頭。

 

『テーイールー!!!』

『グローリー』

『エヘヘェ、来ちゃった!』

『鞍上の人驚いてるだろ?急に走っちゃ駄目だぞ?』

『あ、アハハ……』

 

「いやぁ、本当に仲が良いですねグローリーとブラックテイル」

「ですね。調教でも近くに居たら寄ってくるくらいですから」

「……テイオーの初年度産駒で、クラシックに挑めるなんてね。嬉しい限りです」

「親子3代でクラシック制覇、ですか?」

「狙うは当然です……勝たせて貰います」

「いえ、ブラックテイルが勝ちますよ」

 

鞍上の会話に耳を傾けていると、グイとグローリーが頬をすり合わせてくる。

そっちを見ると、ギラギラとした目つきのグローリーが。

 

『―――僕ね、今日をずっと、ずーっと待ってたんだ』

『グローリー……』

『君と、一緒に走りたかった。君には感謝してもし切れないくらいに、色々教えて貰った。そのお蔭で走れるようになった……そんな君と、走りたい。君に、勝ちたい!!』

『……俺も、君と走れて嬉しいよ』

『テイル。全力で走ろう!!!』

『あぁ!』

 

 

『ゲート前、ノボグローリーとブラックテイル、頬をすり合わせて見つめ合ってますね』

『美浦では、ブラックテイルは仲の良い馬が多い事でそこそこ有名になってるみたいですねぇ。今までのレースでは栗東の馬とも仲が良い様子も見られましたし』

『先日の毎日王冠では、キングヘイローやメジロドーベルとも顔を合わせていましたからね。あの馬は何か、他馬に好かれやすい雰囲気を纏っているのかもしれませんね』

『あっと、ゲートインが始まるみたいですね』

 

 

ゲートインが始まったみたいだ。

自分は今回内側、3番での出走となる。

鳥場さんが選んだ走りは先行策。

逃げも考えたみたいだけど、菊花賞の逃げ、という事に思う所があったらしい。

まぁ、昨年のセイウンスカイが38年ぶりという位、逃げでの菊花賞は難しいレースとの事だからなぁ。

スッとゲートに入る、静かにレース開始を待つ。

 

 

『メジロロンザンがややゲートインを拒んでいるみたいですが……入り、ましたね』

『はい、最後にアドマイヤベガがゲートに入りますと全頭ゲートインとなります』

『今日の1番人気アドマイヤベガ、ゲートに……収まりました。各馬ゲートイン、体勢完了』

『さぁ、第60回菊花賞………スタートしました!』

 

 

よし、スタートは良好……あれ?

トップロードが隣に居る!?

 

『よぉテイルゥ!!』

『お前、なんでこんな前に!?』

『何処走ろうが関係ねぇだろうが!!今日は、俺が勝つ!!!』

 

 

『先頭はメジロロンザン、メジロロンザンが先頭、内からタヤスタモツ、その後ろ1番トップロード、その外並んで3番ブラックテイル』

 

 

この大一番で走りを変えてくるか!

……いや、自分も周りの事言える立場じゃないなこれ。

逃げと先行で走り方変えて走ってるし。

それに、差しと先行で走り方を変えるなんてグラス先輩もやってるしな。

ちょっと驚いたけど平常心平常心。

 

 

『全体的にやや掛かり気味でしょうか、テイエムオペラオー前に行っている、その外アドマイヤベガ、アドマイヤベガも前目に付けています。サクセスエナジー内で良い感じ、その外タイクラッシャー……ラスカルスズカがこの位置?中団より後ろに付けています!テイエムチョウテン、ロサードと続いてノボグローリーです!』

 

 

段々と位置取りが決まって来たな。

自分は先行馬として良い位置に付けられたと思う。

その内側にはトップロード、並走している感じだ。

うん悪くない。取りあえずこの位置をキープする事を意識しながら走ろうか。

観客の前、1周目のホームストレッチに差し掛かる。

 

 

『さぁホームストレッチに差し掛かる。先頭はなんとタヤスタモツ、タヤスタモツが先頭です。その後ろ白い帽子が揺れてナリタトップロード、その横並んでブラックテイル、後方にはテイエムオペラオーアドマイヤベガ、そしてラスカルスズカが変わらず後方でレースを進めています』

『ややスローペースになって、これから第1コーナーに入ります。渡邉騎手が周りを見渡しています、これはブラックテイル以外の2頭、テイエムオペラオーとアドマイヤベガの位置を確認したのでしょうか?』

 

 

コーナーを曲がりながら少し周りを確認する。

んー……ちょっと掛かってる馬が居るな。フロンタルアタックが少し掛かっている。

自分の前を走る馬だ、垂れてきたら避けられるように気を付けないといけない。

音から察するに、自分のすぐ後ろに1頭居るな。その横、つまりトップロードの後ろにも1頭、って感じか。

第2コーナーを曲がりきる頃には、ある程度周囲の状況を把握する。

 

 

『さぁタヤスタモツが先頭、タイクラッシャーがやや掛かり気味、内を通ってメジロロンザン、その外フロンタルアタックも掛かり気味か、その後ろではブラックテイル、漆黒の馬体は相変わらず落ち着いた様子、その内ナリタトップロードこの馬も落ち着いて見えます、その後ろサクセスエナジー外ペインテドブラック、アドマイヤベガが居てラスカルスズカが外上がって来た、内オースミブライト、3頭の後ろテイエムオペラオー落ち着いている、さぁここで京都の坂へと差し掛かります!』

 

 

―――京都競馬場の長距離は、ハードなレースになる。

なにせ、1周目ホームストレッチに入る前と、この第3コーナーから、合計2回も坂を上り下りする事になる。

高さ4m程の坂を2回、そりゃあ『最も強い馬が勝つ』なんて言われるわけだ。

だが―――

 

「行くぞ、テイル」

『スタミナには、それなりに自信がある!』

 

自分の長所は、踏み込みの力と、持久力。

末脚では周りに劣るが、この2つはそう簡単に負けない!

グッと、力を込める。

 

 

『さぁ16頭一団となって坂を上ります。場内騒然となってまいりましたが、おっと此処でブラックテイル、ブラックテイルが動きました!ナリタトップロードはまだ動きません、まだトップロード動かない!アドマイヤベガ、ラスカルスズカは動き出した!テイエムオペラオーもまだ動きません!アドマイヤベガがテイエムオペラオーより前に出た!ここで倭田騎手の手が動いて―――最後方、岡部だ!岡部ノボグローリーが猛追!!!』

 

 

第4コーナー抜けて直線に入る頃には、先頭に立てる!

なら後は最後まで走り切って―――!?

 

「前が開いた―――」

『―――こっからは、俺の番だァァァ!!!!!』

 

 

『さぁ直線に入って先頭ブラックテイル!しかし内からナリタトップロードだ!トップロードが迫る!アドマイヤベガ外!その前に赤い帽子が2つ並んでラスカルスズカとテイエムオペラオー!!大外からこれはノボグローリー!!』

 

 

『今日こそはァ!!俺がァ!!!勝ァァツッ!!!!!』

『負けて、たまるかァ!!!』

 

内のトップロードと、競り合いになる。

ただ、コイツ、段々と前に……!!

 

『俺が、俺が頂点(トップ)になるんだよォォ!!!』

 

―――なんて、気迫…!

だけど、俺も負けたくない!

振り絞れ、ありったけ!!!

 

『くそ、追いつけな―――』

『キョウダイの分も僕が―――』

『―――待て待て待てェェェ!!!!!』

 

 

『トップロードだ!トップロード先頭だ!外で食い下がるブラックテイル!!外で3頭追い込んでくる!!しかし―――トップロードだ!!!遂にやった!!!渡邉やった!!!渡邉ガッツポーズ、ガッツポーズです!!!2着にブラックテイル、3着は僅かにラスカルスズカ、4着これも僅かにテイエム、そして5着にノボグローリーです!!!』

『サッカーボーイも喜んでいるでしょう!産駒初のクラシック制覇です!!!』

 

 

 

 

 

『―――勝った。勝った勝った勝ったァァァッ!!!』

 

トップロードが興奮しながら足踏みする横で、荒く息を吐き出す。

―――競り負けた。

持久力には、自信があった。

その分野で、負けた。

 

『クソッ……!』

『―――漸くだ。漸くテメェらに並んだ、って訳だな、これでよォ?』

『トップ、ロード……』

『テイル。クラシックサンカン、これで終わりなんだよな?』

『あぁ、そうだ』

『ッシ!負けたまま終わりたくねェからな!ここで勝てなかったらヤバかったな!!』

 

クラシック3冠レースは、これで終わる。

皐月の冠はオペラオーが、ダービーの冠は自分とリラが……そして、菊花の冠は、トップロードが。

それぞれ、分け合った形になる。

 

『―――クッ、悔しいが、今日は負けたよ、トップロード』

『オペラオー、テメェとこれで並んだぜ!こっからは負けねぇ!俺が1番上だ!!』

『次はこの僕が勝つさ!頂点はこの、テイエムオペラオーだよ!!』

 

おっと賑やかになってきたな?

オペラオーがトップロードの横に行くのと同時、自分の方に近づいて来る足音が幾つか。

 

『―――テイル!テイル!!』

『グローリー!』

『エへへ……楽しかったぁ!!今日のレース本当に楽しかったよ!!』

『そうか?それは良かった』

 

心の底から楽しそうに、グローリーが話しかけてくる。

そんなグローリーの横から、ラスカルスズカが顔を出す。

 

『ブ、ブラックテイル、君』

『テイルで良いよ、ラスカルスズカ』

『じゃ、じゃあ、僕の事も、好きに呼んで良い、よ……今日は、ありがとう。楽しかったし……走る目的が、見つかった、から』

『どういたしまして』

 

ラスカルスズカのお礼に言葉を返す。

すると、丁度2頭の反対側、自分の後ろの方から足音がまた聞こえてくる。

そっちを見ると、リラが。

 

『クロ……僕、あんまり今日は……』

『……リラ。全力は出したか?』

『勿論』

『なら、良い。体力切れ、みたいだけど……』

『そう、だね……ちょっと、長かった、かな……』

『そっか。向き不向き、っていうのがある。3000mもの長距離はリラには向いてなかった、それだけだよ、きっと』

 

リラはどうも、長距離になるとスタミナ切れになるようだ。

2400m……もしくは、有馬記念の2500mくらいが、しっかり走れる距離の限界、って事かな。

 

『今度走る時は、ダービーと同じ位の距離だと良いな。お互いに全力で競い合えるし』

『そう、だね……痛ッ……!』

『リラ?』

 

リラが、小さく声を上げる。

それを聞き逃さず、近寄る。

 

「っと……テイル?どうかしたのか?」

「鳥場さん?」

「いえ、ブラックテイルが……テイル?」

 

『リラ?』

『う、うぅん、何でもな―――』

『―――リラ』

『……左の、前脚。なんか、ちょっと、痛い、ような……気のせい、だと思う』

『左の前脚、だな?」

 

顔を寄せる。

 

『どのあたりだ?』

『脚の、先……』

『蹄?』

『えっと、もうちょっと、上……クロ?なんか、怖い』

『黙って』

『え、あ、うん……』

 

蹄より、少し上……自分の足で、少しだけグリグリと動かして、感覚を確かめる。

この感覚だと……人の場合の手首、辺り?

もうちょっと先かもしれないけれど、その辺りだろうか。

ペロン、と、おそらく『そこ』と思った場所を舐める。

 

『ク、クロッ!?』

『痛みがあったの、今舐めた所か?』

『え、あ……うん、大体、そこ』

『ジッとしてくれ』

『クロ、くすぐったい……』

『良いから』

 

ペロペロと、リラの言葉を信じて、そこを舐める。

土の味とかするけれど、我慢だ。

頼む、頼むから気付いてくれ……!

 

「アドマイヤベガの、脚?」

「なんか、舐めてます、けど……」

「……テイル。もしかして、アドマイヤベガの『そこ』に、何かあるのか?」

「―――まさか」

「『まさか』、って笑えればいいんですけどね……」

 

疑問に思ってくれた!

よし、そう思ってくれた、それだけで十分な成果だ!

小さく頷きながら、まだ続ける。

 

「鳥場さん、でも、『そこ』って」

「……球節の、辺り、ですね」

「いや、そんな……だって、『そこ』は」

「……峪さん。念のため、確認を」

「え、えぇ、勿論です。『これ』が本当なら……」

「早めに発見出来れば、それだけ対処がしやすい」

 

―――競走馬の、脚の不調。

それは、競走馬としての活動にとって、致命的だ。

何かあるのなら、早く見つけて欲しい。

リラと走れなくなるなんて―――そんなの、嫌だ。

リラが口にした『脚の痛み』、それが、ほんのわずかな不調なら良いけれど。

無視は、出来ない。

 

「引き揚げましょう、直ぐに」

「え、えぇ……頼む、頼むから違っていてくれ………!」

 

上から聞こえる、2人の会話。

不安が、抑えられない。

引き上げる間も、リラの様子を伺いながら、俺たちは一緒に引き上げた。

 

 

 

 

「―――ジャパンカップに、テイルを」

「はい。今年のジャパンカップにはスペシャルウィーク、それに凱旋門賞馬モンジューも出てきます。今年の締めくくりとして、出走させたいと」

「ダービー馬が菊花賞からジャパンカップへ行くとなると、去年のスペシャルウィークと同じ道を行く事になりますね」

「府中の2400mで、ダービーと同じですしね。テイルの体力的にも、走れるとは思ってます」

「それはまぁ……回復、早いですしね。輸送にも強いですし」

「えぇ、ほんと」

 

菊花賞を終えて、テキと話す。

どうやら金尾さんは、テイルをジャパンカップに出したいらしい。

テキと話した通り、別にそこはそこまで問題視してない。

よく眠る馬だからか、こいつは回復が早い。

それに、輸送にも強い馬だ。新馬戦、次戦コスモス賞と北海道に輸送してケロッとしてたのだからそれも確かだ。

ただ、問題なのは………

 

「………グラスも、ジャパンカップですよね」

「えぇ、そうです。金尾さんからは、グラス優先で、と聞いてますけど」

「鞍上の問題、ですか」

 

―――グラスワンダーもまた、ジャパンカップに出走予定という事だ。

毎日王冠でも起きた、同厩舎戦。

またも、鞍上を誰にするか、という問題が起き―――

 

「いえ、実は今回、僕の方で前から話は聞いていたので、先に動いておきました」

「と、言いますと」

「テイルの鞍上、依頼して受けて貰っていますよ」

「そうなんですか?」

「えぇ。菊花賞に全力で挑んで欲しいという金尾さんの意向で、鳥場さんには内緒でしたけどね」

 

ホッと、安堵する。

前の様にバタバタ動かなくて良い、というのは、気が楽だった。

しかし、そうなると気になるのは……

 

「一体、誰が……」

「今日から調教で来て貰う約束はしてますけど―――」

「―――お待たせしました」

「噂をすれば、ってヤツですね」

 

後ろから、声をかけられる。

振り返ると、そこには……

 

「岡部さん……貴方が」

「えぇ、そうです。ジャパンカップでは、ブラックテイル号の鞍上は、自分が」

「ここ最近、ノボグローリーの調教時に一緒に居る事が会った事もあって、興味を持って頂けたみたいで」

「ノボグローリーは菊花賞で今年は休ませるって話でしたし、ジャパンカップの時に乗る馬が居なかったので丁度良かったですよ」

 

岡部幸男さん、競馬界のレジェンド。

そうか、この人が、テイルの鞍上を……

これほど安心出来る騎手も、そうは居ないだろう。

 

「テイルを、よろしくお願いします」

「任されました……参考までに、どんな馬か、聞いても?」

「―――とても、賢い馬ですよ」

「ハハハッ、なるほど……『賢い馬』の扱いは、それなりに自信がありますよ」

 

笑いながら、手を差し出す岡部さん。

『賢い馬』とは、『彼』の事なのだろうな、と思うが。

―――さて、テイルの異質なまでの賢さを、この人はどう思うのだろうか。

そんな事を思って、思わず笑みを深めた。

 

 

 

 

 

―――――頭が、真っ白になった。

伝えられたその言葉を聞いた時、冗談抜きに、頭が真っ白になった。

震える唇を、気合でなんとか抑えて、もう1度聞き返す。

 

「そ、それは、本当なんですか?」

「―――はい。峪さんの言う通りでした」

「そう、ですか……」

 

嘘であってほしかった。

漆黒の馬が、アドマイヤベガの脚、その一部を舐めた時に、脳裏を過った可能性。

 

「―――靭帯の炎症。ごく軽微ではありますが、確かに」

 

繋靭帯炎。

名馬たちを蝕み、引退に追い込む恐るべき症状。

屈腱炎と並んで、最も恐れられるもの。

気のせいであって欲しかった『それ』が、アドマイヤベガに。

 

「早期発見出来たのは幸いでした。馬主さんと相談して、引退させず回復を目指す方向で動く事が決定しました……ただ、回復までどれだけかかるか」

「そう、ですよね……」

 

捻挫であれば、また違うのに。

よりによって炎症、それも球節廻りだ。

時間がかかる事は、確実である。

 

「峪さん、あんなに軽微な炎症に、よく気付いてくれました。念入りに調べて漸く判明した程に小さな、しかし放置していたら取り返しのつかない事になっていたモノです……本当に、ありがとうございます」

「い、いえ……第1発見者は、僕じゃない」

「と、言いますと?」

「信じて貰えるかは別ですけど……ブラックテイル。彼が、アドマイヤベガの脚を、舐めたんです」

「それは……偶然、では?」

 

自分で言ってて、信じられないが。

でも、確かに、僕と鳥場さんの前で、彼はアドマイヤベガの脚を舐めた。

的確に、蹄の上、球節の辺りを。

 

「偶然なのか、はっきりとした意思を持ってかは、分かりませんけど……確かにあの時、ブラックテイルは、アドマイヤベガの脚を……それも、球節の辺りを、舐めた。それで、不安に思ったから、僕は報告したんです。発見者は誰かと言ったら、彼です」

「……記憶に留めておきます。アドマイヤベガは今後、総研の常盤支所に行かせて休ませるそうです」

「温泉、ですか」

「えぇ……回復してくれると、良いんですが」

「回復例はあります……信じるしか、ありません」

 

そう、回復例はある。

有名所なら、サクラスターオー、それにオグリキャップ。

回復し、その後レースに勝利した馬は、確かに存在する。

だから、信じるしかない。

 

「どうか、復帰してくれ……」

 

小さく、しかし、心の底からの願いを込めて、呟いた。

 




クラシック戦線の終わり、そしてそれぞれの今後について、でした。

ブラックテイルはジャパンカップへ。
そして、グラスワンダーもジャパンカップへ。グラスワンダーのジャパンカップ出走は史実でも計画されていたそうですが、筋肉痛で回避となっております。
ただ本作では、『鍛えすぎると筋肉痛になる』という事をグラスワンダー自体がしっかり理解しているため、そんな事が起きず、予定通りに出走となりました。
2度目の同厩舎対決、ブラックテイルの鞍上は『名手』となります。

そして、アドマイヤベガ。
史実のアドマイヤベガは、長期休養からの復帰に向けた調教で繋靭帯炎発症、引退という流れに。
しかし本作では、『友とのクラシック3冠での勝負』に全力を出した結果、菊花賞の舞台で『軽微な』炎症の発生、長期休養となりました。
この辺りの違いがどう出るか、それは今後の展開で……
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