黒き馬、世紀末を駆ける 作:馬券童貞は東京優駿に捧げた男
コロナに感染したり、異動があったりと本当にバタついておりまして、ずっとずっと長引いておりました……
また投稿していきたいと思います。
執筆から離れていた時期が長かった事もあり書き方が不安定な部分も多々あるかとは思いますが、どうか生暖かい目で見守って頂ければ……
今回はウマ娘編、【彼女】との物語です。
―――『彼女』との出会いは、廊下ですれ違い、挨拶を交わした時だった。
時の生徒会長、5冠ウマ娘『シンザン』と資料を持って移動していた時、私は『彼女』と出会った。
『漆黒』の髪を靡かせて、友人だろうウマ娘―――後に彼女が『アドマイヤベガ』であると知ったが、当時は知らなかった―――と談笑しながら歩いていた所だった。
その時はお互い、一言【こんにちは】と挨拶をして、それで終わった。
その後も、時折見かける事があった。
私自身が一度見た顔を忘れないというのもあるが……一度、彼女の『漆黒』を見てしまえば、忘れる事も難しいだろう。
まるで、星の見えない夜空を切り取ったかのような、光を吸い込んでしまいそうな『漆黒』の髪。
ふと目について、惹かれてしまう、そんな髪のウマ娘。
それが、私から見た『彼女』の、第一印象だった。
そんな『彼女』との接点が、偶然生まれた。
私のデビューの時期が近付き、私の目指す未来―――『全てのウマ娘が幸福で居られる世界』への第一歩を踏み出さんと、無意識のうちに周囲を威圧してしまっていた。
結果、当時同室であったウマ娘に負担をかけてしまい……『もう同室で居たくない』と言われてしまった。
その時に、『もし私で良ければ部屋を代わりましょうか』、と、入れ替わりで私の部屋に来たのが―――
『―――こんにちは、シンボリルドルフさん。今日から貴方の同室となります、【ブラックテイル】と申します』
―――ブラックテイル、『漆黒』のウマ娘だった。
『―――どうも貴方から威圧感を感じるが、何か気に障っただろうか?』
『む、そんなつもりは無かったのだが……』
『しかし、現にそうも張り詰めた空気で部屋を満たされて―――あぁ、成程。これが、彼女が耐えられなかった威圧感というモノですか』
同室としての挨拶を済ませ、少しして。
彼女が荷解きを終えた後、私に対して話しかけて来たのを、今でも覚えている。
『この威圧感、そしてシンボリルドルフさんはたしか……成程、成程』
『?』
『―――シンボリルドルフさん、少し、自己紹介を兼ねて、少し私の趣味を披露しても?』
『構わないが……』
『では、少し時間と場所を……』
そう言って、彼女は荷物の中から幾つかの道具を取り出し、準備を始めた。
手際よく用意されていく道具から、彼女が何を振る舞ってくれようとしているのか、直ぐに分かった。
『―――珈琲、か』
『苦手でしたか?』
『いや、そう言う訳ではないさ』
『それは良かった』
楽しそうに珈琲を淹れる彼女の姿は、しかし真剣さを帯びていて。
妥協を許さない、そういう姿勢が見て取れた。
『―――どうぞ、お口に合えば良いのですが』
『ありがとう』
礼を言って、口を付けた時の驚きは、今でも鮮明に思い出せる。
一口含んだ時に、苦みと僅かな酸味、コクのある味わいが広がっていって。
雑味も感じない、とても丁寧な淹れ方をしているのが、たった一口で分かった。
『―――とても美味しいよ、ありがとう』
『それは良かった……どうも、貴方の張り詰めた雰囲気も、少し解れたようだ』
『む……そう、だろうか』
『えぇ。無意識に気を張っていたのでしょうね、デビューが近付いてきているとの事でしたから』
『―――』
彼女の言葉に、思わずハッとしたのも、今でも覚えている。
【無意識のうちに気を張って、周囲を威圧していた】……そう言われると、思い当たる節が幾つかあったからだ。
その、最たる例は―――先日まで同室だった、【彼女】の事。
ここ最近、目の周りに隈を作って、どこか具合が悪そうだった。
しかし、【大丈夫ですから気にしないで】と言われ、私は何も出来ないでいたが―――
『―――――誰であっても、新たなる一歩を踏み出さんとするときは緊張してしまうものです。その際に無意識に周囲を威圧してしまうのも、十分にありえます』
『ッ、し、しかし……私は、私は、無意識とはいえ、【彼女】を!』
『【彼女】については、今後は私の元ルームメイトが何とかしてくれるでしょうから、気にしないで下さい……と言うより、今の【彼女】に関して、貴方が接触すると苦手意識が出来ている関係で余計に拗れます』
『うっ……それは、そう、か……』
『はい』
私が何を言いたいのか、どうしようと思っていたのか、察しているかの様な言葉。
―――事実、私の言いたい事等について先回りされてしまい、何も言えなくなってしまう。
『清廉な貴方には酷でしょうが、【彼女】の為を思うなら今はそっとしてあげて下さい』
『……分かった、そうしよう。そしてすまない、取り乱してしまった』
『いえ、お気になさらず』
微笑む彼女の姿に、どこか安心感を感じてしまう。
―――同時に、ほぼ初対面の筈なのに、とても強い懐かしさを、感じていた。
そして始まった彼女との共同生活は、実に心地よいモノであった。
彼女は規則正しい生活を送る善良な生徒であり、また、どちらかと言えば穏やかな性格の生徒。
その為、共同生活を送る事が全く苦にならない、と言うのはとても良かった。
『お帰りなさい、シンボリルドルフさん。丁度良いタイミングでした、珈琲、飲みますか?』
部屋に戻ると、温かな珈琲が、そして彼女の微笑みが迎えてくれる。
共同生活が始まって1週間もすると、それが当たり前のようになっていて、私もそれをすっかり受け入れてしまっていた。
『今日も生徒会の手伝いで?』
『そうなんだ。守秘義務に触れるから詳しくは言えないが……』
『そうでしたか。何時も大変ですね、遅くまで』
『なに、これくらい問題ないさ。それに、将来的には生徒会長の座を狙っているのだから、これは言ってしまえば予習の様なモノだ』
『なるほど』
不思議な事に、彼女と話をしていると、つい会話が弾んでしまう。
思わず守秘義務に触れかねない事まで話してしまいそうになって、何度も慌てて会話を切り替える事になったりしたな。
それだけ、彼女と過ごす穏やかな時間は、心地よかった。
『―――7月23日に、メイクデビューが決まった』
『おめでとうございます!距離と、場所は?』
『新潟の芝1000mだ。足の負担を考慮して、短い距離でまずデビューを終え、次走から距離を伸ばしていくつもりだ』
『なるほど』
―――メイクデビュー、つまり【皇帝】としての覇道の第一歩を踏み出す日が決まった時。
私の言葉に、少し考えるような仕草を見せた。
『流石に新潟となると、見に行くのは……いや、行けなくは無いかな?』
『っ、見に、来てくれるのかい?』
『勿論ですよ、シンボリルドルフさん。大切なルームメイトのメイクデビュー、見届けたいと思って当然じゃないですか』
彼女の言葉に、自分でも信じられない程、『嬉しい』、そう感じた。
『大切なルームメイト』、その一言が、とても嬉しかったんだ。
『そ、そうか……そうだ、折角来てくれるのなら、東条トレーナーに掛け合って、関係者席を……』
『いえ、そこまでして頂くのは。一部の生徒を優遇するのは、後に生徒会長を目指すと言うのなら控えた方が良いかと』
『っ、それも、そうだな』
『……気持ちだけは受け取ります、ありがとう、シンボリルドルフさん。ただ、これは私が勝手に貴方のレースを見ようとしているだけですから、どうか気にしないで』
私の将来を案じて、私の提案を断って。
自分の意思で、自分の出来る範囲で、見に来てくれると言ってくれて。
―――そして、時は経って、メイクデビュー当日。
ゲート前、ゲートインを待つという時。
目を閉じて瞑想していた所に、心のどこかで待ち望んでいた声が聞えて来たんだ。
『―――シンボリルドルフさん!』
『ッ、ブラックテイル……!』
『頑張ってください!貴方の歩む道の、第一歩!!』
―――本当に、私のレースを見に、わざわざ新潟レース場まで来てくれた。
―――私の歩みを、心の底から、応援してくれている。
その事実が、その声色が、私の中にあった僅かな不安を、完全に吹き飛ばした。
『―――見ていてくれ、ブラックテイル。今から君に見せよう、【皇帝】の第一歩を!!』
―――その後のレース結果は、言うまでもないだろう。
『お帰りなさい、シンボリルドルフさん』
『ただいま……それで、これは?』
『祝勝会ですよ、ささやかではありますが』
メイクデビューの後、学園に戻って、やるべきことを終えて。
部屋に戻ったのはもう夜遅い時間だった。
しかし、部屋に戻った私を待っていたのは、彼女の優しい出迎えの声だった。
部屋に入れば、何時もは置いていない丸テーブルと、その上には1つの箱……2、30cm四方程の箱が。
促されるままにテーブルの前に座ると、事前に用意していたのだろう、珈琲が差し出される。
『箱、開けてみてください』
『で、では……』
彼女の言葉に従って、テーブルの上の箱を開ける。
すると、甘く、香ばしい香りが広がる。
『これは―――タルト・タタン?』
『はい。リンゴ、好きでしたよね?』
『確かに、リンゴは好きだが……』
箱の中には、直径20cm程のタルト・タタンが。
思わず、ゴクリ、と喉がなってしまう。
―――リンゴは、好きだ。特に『ふじ』という品種のリンゴが好ましい。
目の前の彼女と朝食を取る時も、よく一緒に食べていたが……覚えていてくれたのか。
1人感動していると、ある事に気が付く。
『―――まだ、少し、温かい……?』
『あ、さっき型から外す時に少しバーナーで型を炙ったからかなぁ……もうちょっと早く取り出しておいた方が良かったかな』
『……………手作り、なのか?』
『あ、そうなんです。何回か練習はしてて、でも今回は練習以上に上手く出来た自信はあるんですけれど』
言われて、改めて目の前のタルト・タタンを見る。
お店で買ってきたと言われても、私は信じる。そういう出来だ。
これを、彼女が……
『東条トレーナーから許可は貰ってますから、どうぞ食べて下さい』
『そ、そうか……それじゃあ、頂きます』
8等分されたそれを一切れ、皿に乗せる。
そこから1口分フォークで取り、口に運ぶ。
キャラメリゼされたリンゴの味が口に広がる。
『―――美味しい』
『それは、良かった』
『うん、うん……とても美味しいよ』
『さ、珈琲も淹れましたので、一緒にどうぞ』
リンゴの甘さに、キャラメリゼする事で加えられた香ばしさ。
気が付けば、1切れをあっという間に平らげてしまう。
差し出された珈琲は、この甘さに負けない、濃く苦い珈琲。
口の中に残っていたタルト・タタンの味がリセットされ、次の一口を求めてしまう。
『気に入って貰えて良かったです』
『んむっ……す、すまない、夢中になってしまった』
『いえいえ』
『……ありがとう、ブラックテイル。ここまでして貰えるなんて』
『―――1勝するだけでも、本来難しい事なんですよ、シンボリルドルフさん』
ブラックテイルの視線が、突き刺さる。
どこか、悲しそうな、そんな表情を浮かべる彼女は、言葉を紡ぐ。
『貴方も、知っている筈です。【三冠】を、【グランプリ】を勝ち取らんと意気込んで―――1勝も出来ず、涙を流し学園を去るウマ娘が、何人、何十人という単位で済まない程居る事は』
『……そう、だね』
『だからこそ、1つの小さな勝ち星でも、大切にしないといけないじゃないですか。特に、最初の1勝は……可笑しいですかね?この考え方は』
『……いや、可笑しくは無いさ』
―――内心の驕りを、見透かされたような。
そんな気持ちになってしまったのを、今でも覚えている。
『皆の幸福を導く存在になる』という目的、使命の為にと、その1歩を歩んだ。
そんな私の……『導く側に私はなれる』という考えを、咎めるような、そんな言葉。
私の進む道のりの、過程にある1つの勝ち星。その価値を、彼女は私よりも……『勝ったウマ娘』よりも、重く受け止めていた。
『……っと、なんだか説教じみた話になってしまいましたね、すみません』
『謝らないでくれ、ブラックテイル。君の言葉は正しいよ』
『だとしても、貴方を祝う席でする事では無かったですよ……この話はこれで終わりにしましょう』
彼女はとても良い人だな、と、そう強く感じたのは、この時。
大人びていて、常識と良識を持ち、他者を気遣えて。
それでいて、勝負の世界の厳しさの理解も深い。
そんな彼女を……ルームメイト、という関係に終わらせたくない、そう思った。
デビュー以降も、私がレースを走る度には見に来てくれて、勝つ度にデビューの時ほどではないが祝ってくれて。
遂に、皐月賞の前日、という時。
私は、美浦寮の屋上にブラックテイルを呼び出した。
『話がある、と言う事でしたけれど……この大切な時期に、何か……?』
『―――大切な時期だからこそ、君に話したい事があるんだ』
私の声色と視線から、ただの雑談などでは無いと察してくれたのだろう。
私を気遣うような様子で話しかけるブラックテイルに、私は1歩間合いを詰めて話しかける。
『ブラックテイル……その、だな……えっと、その……』
『―――私は逃げも隠れもしませんよ、シンボリルドルフさん。だから落ち着いて、私に言いたい事を纏めてください』
『い、いや、言いたい事はもう纏まっているんだ………よし、【勇往邁進】こそ今の私に求められる事だ』
迷ってしまう私に対して、優しく微笑んでくれるブラックテイル。
そんな彼女を見て、気持ちを固める。
『―――ブラックテイル。君とは、もうそれなり以上に長い付き合いになる』
『そうですね。もう、1年でしょうか』
『そうだな……この1年、君と過ごす時間は、とても心地よく、楽しいものだった。きっと、これからも』
『ありがとうございます』
『だから……だからこそ、君とはもっと、仲良くなりたいんだ。ルームメイトと言う関係より、より一層』
彼女の手を掴み、私は言う。
『―――【友達】に、なってくれないか』
『―――はい?』
ぽかーん、と、口を開けて固まるブラックテイル。
そんな彼女に、畳みかける様に私は言う。
『私にとって、君は……君が思っている以上に、大切な存在になっているんだ』
『え、えぇっと、その……』
『―――君が、悪いんだ。君があんなにも優しく、親身になってくれるから……ルームメイトという関係よりも、深い繋がりが、欲しくなってしまったんだ』
そう、そうだ。
君が、あんなに優しいから。
あんなにも、親身になってくれるから。
君の与えてくれる【それ】に浸る心地よさを、知ってしまったから。
君との繋がりが、欲しくなってしまったんだ。
ルームメイトという繋がりが切れたとしても、その先も残る、別の繋がりが。
『……返事を聞いても、良いか?』
『……私なんかで良ければ』
『君【なんか】じゃない。君【だから】良いんだ』
『……では、喜んでお受けいたします、シンボリルドルフさん』
そう言ってくれた時の喜びを、きっと私は、生涯忘れないだろう。
得難き友が出来た、その喜びを。
『ありがとう、ブラックテイル……じゃあ、早速なんだが、お願いしたい事があるんだが、良いだろうか?』
『何でしょうか……?』
『【さん】付けを、止めてくれないか?もっと言うなら、【ルドルフ】と呼び捨てで呼んでくれ。君とはもっと、腹を割って話したいんだ』
『―――良い、んですか?』
『あぁ、それが良いんだ。もっと気軽に、ありのままの君で、私と話そう……私達は、【友達】だろう?』
そう言うと、視線を泳がせて、何やら考える仕草をして。
10秒程だろうか、時間が経って、彼女が口を開く。
『―――――ハァ……分かりまし……分かった、分かったよ、【ルドルフ】……これで、良いんだね?』
『―――あぁ!』
『後悔しないで欲しい。君の前ではかなり気を遣っていた所があるんだからね……素を出す、と言う事は、こういう事なんだから』
『いや、むしろ好ましいよ。そうか、そうか、君の素は、そう言う感じなんだな、ブラックテイ―――』
『―――【テイル】で良いよ、ルドルフ……【友達】、なんだろう?』
『―――あぁ、そうだな、【テイル】!』
素の、ありのままの彼女に触れられた事の喜びを、噛みしめながら。
私と彼女―――テイルとの新たな関係は、こうして始まった。
皐月賞、日本ダービー、菊花賞と、無敗での3冠を成し遂げて。
そこから更に勝利を―――2度の敗北と共に、重ねて。
そうして迎えた、国外遠征計画。
アメリカで数戦走り、そこからヨーロッパへと向かう計画。
ヨーロッパでは、先に海外に渡ったシリウスとも合流して、共に凱旋門賞へと向かう計画だ。
シンボリ家全体でバックアップを受け、いざ、という時に、テイルから言われた事があった。
『ルドルフ。君にはまぁ、釈迦に説法となってしまうかもしれないが……海外は、何もかもが日本と違うだろう。時差、気候差、文化の違い、レース場の違い、そもそものレースの走り方……そう、何もかも、だ。』
『独自ではあるけれど、君が走る予定のサンタアニタパークレース場について調べておいた事と、そこから考えられる注意点を、私なりに纏めておいた。資料はこのファイルに、要らないかもしれないけれどデータの方はこっちのメモリに入れてある……シンボリの方で纏めた資料があるなら、きっと余り役に立たないだろう。暇な時に存在を思い出したら、見てくれればいい』
『流石に、アメリカまでは応援にいけそうにない……時差を考えて、時折メッセージなんかで応援する程度しか出来ない、かな。あと、テレビで中継が繋がった時は、しっかり見させて貰おうかな』
『―――長々と話をしてしまったけれど、まぁ、君は【皇帝】だ。きっと上手く走り切ってくれるんだろうね』
『気負うな、堂々と胸を張って行けよ。向こうの言葉で言うならば、【Take it easy】って所かな』
そう言って渡された資料を、渡米の飛行機で真っ先に目を通した。
―――目を見開き、飛行機内の陣営で即座に共有した。
なにせ、手渡された【ソレ】は、長年レースを見て研究してきた関係者達から見ても思わず唸ってしまう程の着眼点の鋭さと、それに対する【成程】と納得してしまう考察の数々。
学内のアメリカ出身ウマ娘達から直に聞いた事で得られた【アメリカのレース】に関する生の声に、アメリカでの生活に関する様々な知識、注意点。
そして―――それに対する、【シンボリルドルフ専用の対策方法】を、テイル自ら考えてくれてあったのだから。
実際にアメリカで過ごす中で、テイルから貰った資料に書いてあった事はとても役立った。
特に、アメリカで過ごす中での注意点、という部分……彼女が、学園中のアメリカ出身ウマ娘から情報を集め精査したというその情報は、まさに値千金と言えるものだった。
シンボリ家で集めた情報というのは、レースに重点を置いたモノであった。
それと比べ、テイルの資料で重視されていたのは、【海外で長期間過ごす事】に対してであった。
アメリカという国に、カリフォルニア州という土地に慣れ、適応し、その場所で100%のパフォーマンスを発揮出来る様になる事。
それに重点を置き、その為に【シンボリルドルフ】がするべきことは何か、気を付ける事は何か……それが、丁寧に、分かりやすく纏められていたのだ。
『まずは時差に慣れる事。君は寝起きがあまり良くない傾向にあるから、特に気を付けるべきはここ』
『水の違いは気を付けないといけない。可能なら遠征前にアメリカ、カリフォルニア州の水が身体に合うか調べるべき。余りにも合わないなら、日本から水を取り寄せる事も視野に入れるべきだと思う』
『シンボリ家の情報網なら当然入手しているだろうけれど、ハクチカラさんのレース動画は必ず確認するように。インタビューや著書にも目を通し、少しでもサンタアニタパークレース場の特徴を把握して欲しい』
書かれていた事の一部を抜粋するだけで、【あぁ、確かにそうだ】、と納得してしまう言葉ばかりであった。
目を皿にして、一字一句見逃さんと読み漁る。
トレーナーや、遠征に同行したシンボリ家の者にメモリーを渡し、自分と平行して資料を読ませる。
1時間近くかけて資料全てに目を通し、その後数時間かけて、飛行機の中で議論しあって。
―――結論として、【我々の遠征計画の完成度が数段跳ね上がった】。
シンボリ家とトレーナー、そして私で考え抜いた遠征計画を補強しつつ、抜けていた部分を埋めてくれたのだ。
感謝してもし切れない程の、素晴らしい贈り物。
これに見合った戦績を―――アメリカでの勝利、そしてヨーロッパ遠征、凱旋門へ。
そう意気込んで―――
―――結果として、アメリカ遠征は、失敗に終わってしまった。
サンタアニタパークレース場のコースに存在する、ダートコースを横切らないといけない部分。
そこで私は、芝とダートの境目に足を踏み込んで、バランスを崩してしまった。
その時の体勢が悪かったのだろう……私は、左足の繋靭帯炎を発症してしまったのだ。
掲示板入り―――それも、3着までは確保した。
もしもバランスを崩さなかったら、勝ちきれただろうとも思っている。
それだけ、体調は万全であったし、レース場に関する知識も蓄えたつもりだった。
そのつもり、だったんだ……
アメリカの重賞で掲示板入りを果たしこそしたが、その代償に引退せざるをえない怪我を負った。
そんな私を、ファンの人たちは温かく迎えてくれた。
インタビューなどを受け、帰国してから初めて寮に戻って……
私は、自室の前で立ち止まってしまった。
『あれほど素晴らしい資料まで貰っておいて、この様を晒す』と言う事に、言葉に出来ない程の恐怖を抱いてしまった。
ノックしようと持ち上げた手が、震えて止まってしまう。
私は、どうすれば―――
『―――ルドルフ?おかえり』
『テ、イル……』
『丁度帰って来たんだね、良かった良かった。タイミングはばっちりだったみたいだ』
立ち止まる私の横、寮の通路から、テイルが現れた。
両手で箱を持った彼女は、相も変わらず、私を優しく迎えてくれる。
『さ、中に入って入って。君が遠征してる間に練習した新作を―――』
『―――責め、ない、のか?』
『ん?』
『あれだけ期待してくれて、あんな資料まで貰っておいて、私は、私は……!』
『……ルドルフ、部屋に入ろう。ここでする話じゃないだろうからね』
促され、部屋に入る。
フワリと、彼女が手に持つ箱から香る匂いに一瞬気を取られるが、今はそれよりも優先すべきことがある。
『ほら座って、ルドルフ』
『あ、あぁ……』
『珈琲は……ふむ、淹れるのは後にしよう。まずは話をしてから、かな』
ベッドに腰掛けると、隣にテイルがやってくきて―――そのまま、ギュムッ、と両手で頬を押して離してを何度もされる。
『テ、テイル、何を!?』
『ん、分からないかなぁ?』
意地悪な笑みを浮かべ、テイルが今度は私の両耳に、指でそっと触れる。
なぞる様に優しく触れられ、くすぐったい。
遂には、困惑を上回ってしまい、笑ってしまう。
『テイル、止めてくれ…!』
『―――漸く笑ったね、ルドルフ。暗い顔は似合わないよ、君には』
『テイル……?』
『君が……うん、君の性格的には、申し訳なさが勝ってしまうのは、仕方のない事なのかな。だけどねルドルフ、少なくとも私は、君に怒りも、失望もしていないんだ』
さっきとは違い、いつもの、優しい微笑みを浮かべて。
彼女は、どこまでも優しく、諭すように語り掛ける。
『私が君に思う事は、そうした負の感情じゃない』
『言葉にするなら、【お疲れ様】、そして、【ありがとう】、だね。君は無敗の3冠馬として、堂々と世界に立ち向かったんだ……怪我をしてしまうのは、誰でもある事だ。それを責める事は誰にも出来やしない』
ギュッと、優しく抱きしめられて。
フワリと、微かに漂う珈琲の香りに、安堵を覚えてしまう。
『―――改めて。お帰りなさい、ルドルフ……お疲れ様。ゆっくり、ゆっくり休んで……次に君が立ち上がり、【全てのウマ娘が幸福で居られる世界】を目指す、その時まで』
―――ズルい。ズルいよ、テイル。
君は、本当にズルい人だ。
君のその優しさが、今の私には、抗えない。
『―――すまない、テイル……少しだけ、胸を借りて良いか』
『幾らでも。ここには私とルドルフ―――【私の友達】しか居ない。【無敗の三冠馬】、【絶対を知る皇帝】なんて、どこにも居ない』
―――その言葉に、私は、入学以来自らに課していた全てを、捨て去った。
あの瞬間だけ、私は【シンボリルドルフという1人のウマ娘】として、友達の胸を借りて、泣いて、弱音を吐き出した。
その全てを、テイルは、ただただ優しく受け止めてくれた。
―――その後の私達2人について、だが。
美浦寮寮長に就任したヒシアマゾンから『2人が仲良いのは分かってるんだけど、後輩達から2人と……特にテイル、アンタと同室になりたいってお願いが沢山来ててね。新生徒会長もトゥインクルシリーズを退くんだろう?このタイミングで別れて貰えないかい?』と言う依頼―――私に対して震えながら直談判してきた生徒も数人居た―――を受け入れ、ルームメイトとしての私達の付き合いは終わる事になる。
また、私自身がシンザン生徒会長の後を継ぎ、生徒会長の座に付く。
新たな生徒会のメンバーとしてエアグルーヴ、ナリタブライアンを迎え入れ―――当然ながら、私はテイルも生徒会にスカウトしていた。
彼女の聡明さと優しさは、必ず生徒達を救えると、確信を持っていたからだ。
『―――すまないね、ルドルフ。君の誘いは嬉しいが、生徒会には入らないよ』
―――キッパリと断られた時は、流石に堪えた。
だが、理由を聞けば、納得出来るモノではあった。
『エアグルーヴさんやナリタブライアンさんと違い、君が生徒会に私をスカウトする姿は、傍から見れば【ルームメイトだったから】という贔屓に見えてしまうと思う。周囲を納得させられる程の実力も実績も無い生徒を優遇するのは、今後の君の為にはならないだろう』
正直、彼女の事を知るものならば【実力を買われている】と分かるのだろうが……
確かにまぁ、贔屓の様に見えなくもない、かもしれない。
生徒会長という、トレセン学園においてはかなり強大な力を持つ座に就いたモノがそのような振る舞いをするのは、あまり良くないだろう。
良くない、とは、分かるが……納得したくても、どうしても諦めきれない私に、テイルが語りかける。
『……ルドルフ。私は、そうだな……善意の協力者として、求められたら力を貸す。ただ、生徒会所属では無い事を良い事に、悪い所は悪いと批判もする……そういう関係で、どうかな?』
『……分かった。君が見てくれるのならば、安心出来る』
『まぁ、エアグルーヴさんが居るなら私が目を光らせなくても大丈夫だろうけれどね』
善意の協力者、あえて外部に留まり監視する立場に、彼女は居てくれる。
常識と良識を兼ね備えた彼女が見てくれるのならば、私の生徒会長としてのかじ取りが正しいかどうかの基準としてこれほど頼もしいモノは無い。
『まぁ、それに』
『?』
『手伝い以外に、ただ単純に話し相手や、遊び相手が欲しい時とかでも、手が空いてれば行けるからね。君、息抜きとか苦手だろう?』
『む、むぅ……』
『……【友達】、だろう?常識の範囲内なら、遠慮せず頼ってくれ、ルドルフ』
『……そうだな、そうさせて貰うよ、テイル』
【友達】、か。
かつては、彼女との繋がりを求めて、遂にたどり着いたその関係。
確かに、そうなんだが―――少し、もどかしい。
そう、感じる様になっていた。
「―――おい、あれって……」
「シンボリルドルフ……?どうして札幌レース場に?」
―――そして、今。
私は、夏の札幌レース場にやって来ていた。
私服に着替え、サングラスや帽子で隠しても、分かる人には分かってしまうらしい。
オープンクラスのレースまでしかやっていないレース場に私が現れた、それを訝しむ人たちの声が聞こえる。
「それに周りのウマ娘……あれ、リギルのメンバーじゃないか?」
「ナリタブライアンにエアグルーヴ、フジキセキ……マルゼンスキーまで居る!」
「リギルのメンバーのメイクデビューなんじゃないか!?」
「あらあら、噂になってるわね、私達」
「まぁ、集まっているメンバーがメンバーだけに、ね。そればっかりは予想してたんじゃない?」
「―――6Rまで寝てる。始まる前に起こしてくれ」
「おい貴様、それは流石に無礼が過ぎるだろう!」
「今日の出走者で興味があるのは、【アイツ】だけだ……」
リギルのメンバーも誘って、私は此処に居る。
目的はただ1つ―――彼女の、デビュー戦。
それを見る為に、私はこうして札幌まで来たのだ。
「エアグルーヴ、ブライアンの事は許してやってほしい。私が無理に付き合わせたんだ」
「だそうだぞ、副会長」
「―――ハァ……………分かった、分かった。5Rには起こすぞ」
「それで良い」
ブライアンはそう言うと、アイマスクをして眠り始める。
エアグルーヴの言う通り、真剣に走る出走者達に対して失礼だと思うが、私が無理を言って付き合わせている関係上、あまり強くは言えない。
「あら、向こうの御一行は……」
「アルタイル、だね。見る限り、チーム全員で来たみたいだ」
「まぁ、そうなるだろう……アルタイルというチームにとって、今日は待ちに待ったリーダーのデビューだからな」
「そうよね……まぁ、私達にとっても、彼女のデビューは待ち望んでいた事なんだけれども、ね?」
「だね」
マルゼンスキーの言葉に、全員が頷く。
チーム【アルタイル】の新リーダーにして、私達、中央トレセン学園の生徒にとって、彼女は欠かせない存在となっている。
そんな彼女のデビューを待ち望んでいたウマ娘は、少なくない。
「デビュー前から既に、彼女の走りは一定以上の完成度を見せていた……それが、本格化を迎えてどう変わったのか、楽しみではあります」
「あら、本当にそれだけ?」
「エアグルーヴ、君、個人的に彼女の事を憎からず思っているじゃないか。なんでか向こうからちょっと避けられてるけれど、さ」
「べ、別にそんな事は無い!……ま、まぁその、なんだ。普段から良く世話になっているからな、だからまぁ、気になっても可笑しくないだろう別に」
「そういう事にしておこうか」
そんな事を話しながら、時間は過ぎていき。
『今のレースはこうだった』等と感想を言いながら、遂に迎えた、第6レース。
1人のウマ娘が、レース場に足を踏み入れる。
「―――へぇ、やっぱレースの時は変わるね、テイルは」
「ゾクゾクしちゃうわね、ホント……!」
穏やかな笑みを浮かべるそのウマ娘は、しかしその笑顔の下で、遠くから見ても隠し切れない程の闘志を燃やしている。
誰にでも優しい良き隣人としての側面は鳴りを潜め、今この瞬間は、レース走者としての【君】が居る。
「―――あの目をしているアイツが、一番良いな」
「相変わらず、温度差の激しい奴だ……」
普段を知っているからこそ、その落差を強く感じてしまう。
普段とうって変わって、走る時の彼女は……【容赦無い】、と言えばいいか。
自身の持ちうる全てをもって、僅かでも勝てる可能性に賭けて、諦めず走る、そういうウマ娘だ。
―――そんな彼女が、本格的にレースを走ると、どうなるんだろう。
あぁ、楽しみだ、とても、とても―――!!!
「―――テイル!!!」
「―――ルドルフ!?」
周りが騒がしくなるが、もうどうでも良い。
この胸の高鳴りは、興奮は、もう抑えきれない。
想いのままに、彼女に叫ぶ。
「どうして君が、ってリギルの人多くない!?」
「【友達】のメイクデビューだ、見届けたいと思っても可笑しくないだろう!」
かつて彼女が私に言った言葉に、わざと似せて。
自分の気持ちを、そのまま伝える。
「―――見せてくれ!【あの日】、私が君に見せたように!!」
そうだ。
見せて欲しいんだ、君の歩む道の、第一歩を。
この目で見たい、この目に焼き付けたいのだ。
私の言葉に、気持ちに、目を見開く。
そして、一瞬目を閉じ、最高の笑顔を見せる。
「―――見ててくれ、ルドルフ。見ててくれ、皆」
「【俺】の走りを、見てくれ」
昂った時の彼女が垣間見せる、荒々しい口調で。
まるで歴戦の猛者の様な、風格すら感じさせる、堂々とした姿で。
そう言い切って、彼女はゲートへと向かう。
―――結果は、言うまでもないだろう。
シンボリルドルフの秘密その○
実は、ブラックテイルのタルト・タタンが好きすぎて、時折ホールで作って貰っている。
ブラックテイルの秘密(?)
レシピを見て数回練習すれば大抵のスイーツは作れるが、一番得意なのはふわっふわのパンケーキ。
アドマイヤベガの密かな自慢
テイルのパンケーキ作成技術は、彼女が自分に振る舞う為に磨かれたモノだと知っている。
エイシンフラッシュの休日の過ごし方その○
ブラックテイルと共に午前中早くから買い出しに出て、そのまま午後一緒にスイーツ作りに勤しむ時が時折ある。
次回は競走馬編書きます。