黒き馬、世紀末を駆ける 作:馬券童貞は東京優駿に捧げた男
『グラス先輩、いよいよですね!』
『うん、いよいよだ……僕の、復帰戦』
10月11日。
今日は、グラス先輩の復帰戦、毎日王冠の日だ。
見送り、という訳では無いけれど、出発前に少し話す時間を取らせて貰った。
『……テイル。僕は、今出来る全力を出してくるよ』
『はい!』
『君に直接見て貰えないのは、すこし残念だけどね……きっと、テキやトバさんが話してくれると思う。僕の走りを』
『楽しみに待ってますよ!』
実際、凄く楽しみだ。
可能なら直接レース見たいなぁ……
ビデオカメラで誰か取りに行ってくれたりしないかな?
厩務員さん、ラジオで競馬聞いたりしない?盗み聞ぎするから。
「グラス、そろそろ行くぞー!」
『あ、グラス先輩、出発みたいですね』
『そっか……じゃあ、行ってくるよ』
『頑張って下さい!!』
大きく嘶いて、グラス先輩を送り出す。
「ほんと、テイルとグラスは仲良いなぁ……後輩に、良い所見せてやろうな、グラス」
『うん、頑張るさ』
「……お前、今お辞儀したのか?ますますテイルに似てきてるな……」
テイルが、イシヒョウジの方法を教えてくれたんだ。
言葉に対して『分かったよ』などの反応を伝える、あとは『おはようございます』などの挨拶は、首を縦に振ると良い、って。
真似してみたら、驚かれた。
「元々賢いなとは思ってたけど、テイルが来てからはもっと賢くなったな」
『テイルは人の生活を知ってるからね。それを教えて貰ったんだから、まぁ、ね』
彼は、人間として暮らす夢を見ている。
それも、とても長い時間……テイルが言うには、26年?だったかな。
僕が生まれてから今まで過ごしてきた時間を、8回か9回繰り返すくらい?と言ってた。
僕には想像もできないほど、長い時間。
そこで得た経験、知識がテイルにはある。
それを分けて貰ったんだから、僕も少しずつ賢くなるさ。
「……ごめんな、グラス。サイレンススズカが出るって聞いた時に、お前を疑ってさ」
『コニシさん?』
「怪我明けで、本調子じゃなかったからさ……『勝てないだろう』って、思っちまったんだ……お前が負ける姿が、どうしても見たくなくってさ……」
『……良いんだよ』
実際、あの時はまだ『勝ちたい』という想いは強くなかった。
テイルに色々と教えて貰ったからこそ、というのはある。
「でも、もう疑わないよ。お前は、最高の馬だ。勝っても、負けても、な」
『……あぁ。僕は、【凄いセンパイ】だからね』
「だから、全力で走ってこい。【グラスワンダーは帰って来たぞ】って、見ている人達全員に、教えてやろう」
そうだね。
僕は、怪我から復帰して、またレースに出る。
しかも、相手は同年代の無敗馬、そして、1歳上の……今居る馬達の中で、最速と言われる馬。
最高の舞台だ。
見せつけてあげるよ、僕の復帰を。
『さぁ、皆さまお待たせいたしました。今日は、東でも、西でも、競馬場に居る皆さまがワクワク、ドキドキされていると思います。どちらもGⅡなのですが……偉い事になってますからね。東京競馬場、13万人のお客さんが見守る中、天気に恵まれました秋の空の下、毎日王冠です。解説の吉岡さん、どうしましょう、もう2度と見られないような顔ぶれが揃ってますけど』
『そうですね、ここまでもう……馬券を気にしないで見てみたい、そういうレースと言うのは余り無いですから』
『いや、そうですよねぇ!』
『本当に、このレースに関してはもう、レースを見られる喜びと言うか、幸せと言うか……』
『えぇ、もう。ですが、当事者、そして走る馬達にとっては、自分たちの運命がかかっている、レースとはそう言うモノですからね……さぁ、吉岡さん、纏めをお願いします』
『そうですね、10カ月ぶりの復帰戦、古馬への初挑戦……色々とありますが、怪我前に見せた走りからして、グラスワンダーが強い、そう見てますがね』
多くの人達の声が聞える。
今までに見た事が無い程の、大勢の人達。
「グラス、凄い観客だね」
『うん、びっくりしたよ』
「皆、君の復帰を楽しみにしてたんだ……見せてあげよう、今の君を」
『うん』
トバさんの声に、頷く。
ゲートの前で待っていると、1頭、近づいて来る馬が居た。
「鳥場さん」
「海老名さん……」
「お手馬と元お手馬の対決、ですね」
「はは……エルコンドルパサー、久しぶりだね」
エルコンドルパサー。
僕と同い年の馬。僕と同じく、今まで無敗で進んできた馬か。
『Hey!そこの君!君がグラスワンダー?』
『うん、そうだよ。君が、エルコンドルパサーだね?』
『Yes!俺がエルコンドルパサーさ!……君に乗ってる人、前は僕にも乗ってくれてたんだ』
『そうみたいだね。こうして同じレースに出るってなってから、ずっと悩んでたみたい』
『ハハハッ、そうか!』
何と言うか、とても元気な馬だ。
話していて、嫌な感じはしないな。
『君の事を選んだ、って事は……君、俺より強いのかい?』
『どうだろうね?―――負けるつもりは、無いけど』
『―――あぁ、俺もだよ』
僕を見るその瞳は、視線は、とても力強い。
『グラスワンダー、いや、グラスと呼んでいいかな?』
『良いよ。君の事は、エル、って呼ぶよ』
『あぁ、それで良いさ。君とは仲良く出来そうだ!』
『うん、そうだね……良い走りをしよう、お互いに』
『あぁ、そうだな!』
「2頭とも、なんかにらみ合って動かないですね……」
「同い年かつ外国産馬同士、通じ合う所があるんですかね?」
「そう言うモノですかねぇ……」
「うーん……テイルと居るからかなぁ?なんかグラスも賢くなったというか、何と言うか……」
「テイル?」
「ブラックテイルです。コスモス賞で1着取った馬ですよ。物凄く賢い馬で」
「あぁ、あの青毛の!」
『4番エルコンドルパサーと6番グラスワンダー、ゲート前でにらみ合っていますね』
『初めて対面したライバルに、何か感じているのかもしれませんね』
『今日注目の2頭、レース前から火花を散らしあっている様子。注目を集めているもう1頭は……おっと、噂をすれば、という所でしょうか、2頭に近づいて行くのが見えますね!』
―――ゾワリ、と、言うべきか。
身体中が、急に冷えたような寒気がした。
エルも何かを感じたのか、揃って同じ方を見た。
そこに居たのは、僕のような色をした馬だ。
ただ、草のような色をしたモノを顔につけている。
「峪さん、どうも」
「どうも。なんだか、スズカがこっちに来たそうだったので、つい」
「注目の3頭揃い踏み、という事ですね」
「そうなりますね」
鞍上の人達が、何か話してるけれど。
それが気にならなくなる程に、目の前の馬に、惹かれていた。
『―――こんにちは』
ただの、挨拶。
だけど、僕は確信していた。
これだけの存在感、間違いない、この馬は……!
『こんにちは……サイレンススズカ』
『あれ、どこかで走った事が?』
『いや、初めて会うよ……話には聞いていたさ』
『グラス、この馬は?』
『サイレンススズカ、今居る馬で最速……最も速い、そういう馬さ』
『へぇ、最も速い馬か!それは楽しみだ!』
『好きに走っているだけなんだけどね……今日は、よろしく』
そう言うと、クルリと回って離れていく。
「っと、それじゃあ」
「えぇ、後はレースで」
「そうですね。ほら、エルコンドルパサー、そろそろ行こうか」
『Oh!分かった分かった、あっちに行くんだな?じゃあな、グラス!』
『じゃあね、エル』
『注目の3頭、それぞれにらみ合って別れていきました……これは、楽しみになってきましたね吉岡さん!』
『いやぁ、そうですね赤芝さん。この毎日王冠、凄い事になりそうですねぇ』
何処からか、音が聞こえる。
テイルが言うには、ファンファーレ、だったか。
レースが始まる事を周りに知らせる、そういう音。
その音が響き渡ると、人達が大きな声を上げた。
ビリビリと、僕の身体に伝わってくる。
『吉岡さん、この歓声……GⅠレースと言われたら信じそうですね』
『いや本当ですね、これがGⅡというのが信じられませんよ』
『テレビの前の皆さんの耳に達したでしょうか、この13万人の大歓声。展開は分かり切っている事がありますが、問題となるのは4歳2頭がどうつけるか、となります……吉岡さん、一言お願いします』
『まぁ、サイレンススズカを負かしに行く、という気持ちはさっきのにらみ合いを見ると2頭にはあると思いますから、どこで仕掛けるのか、っていうのが大事になるんじゃないかと思いますね』
『どこで仕掛けるか、それが重要と』
『はい』
『ありがとうございます』
ゲートに入る。
狭いゲートの中、今か、今かと待ち続ける。
あぁ、これだ。これがレースだ!
『お互いが、お互いを知り尽くしています。府中1800毎日王冠―――スタートしました!!』
良し、スタートは悪くない!
『出遅れた馬は居ません、がしかし後ろに下がりましたのはサンライズフラッグです。西日を浴びて、サイレンススズカが当然前に出ます。今日はどの様なペースで走るのか。2番手にはエルコンドルパサー、今日は海老名
「よし、良い位置だ。この位置をキープするよ、グラス」
『了解』
テイルから聞いていたけれど、先頭をサイレンススズカが走っている。
そして、その後ろにはエルコンドルパサーを含めた3頭。
隣で少しずつ前に行こうとしている馬も気になるところではある。
僕とエル以外は年上とは聞いていたが、やはりその分身体が鍛えられているのだろうか。
速い……あまりにも、速過ぎる!
「これが、サイレンススズカのペースか……!」
『なんて速さだ……!』
速い原因は、サイレンススズカか!
離されないように、追いかけてる。
その追いかける相手が、速過ぎるのだ。
『さぁ第3コーナーのカーブ、問題のペースですがここまで800mをサイレンススズカ、それほどちぎってはいません!45秒後半から46秒というペースです!現在5馬身程のリードで峪穣とサイレンススズカの逃げ!』
「―――行こうか、グラス」
『了、解……!』
トバさんの合図で、速度を上げていく。
サイレンススズカの『溜め』……僅かに速度を落とす、その瞬間を捉える為に、動く。
『2番手はランニングゲイル、その後ろはビッグサンデーだ!その後にエルコンドルパサー、そして外からグラスワンダーが早めに出て来たぞ!大欅を越えて、サイレンススズカに詰め寄ってくるのは外外グリーンの帽子!!』
もう少し、もう少し……!
『グラスワンダー鳥場弘、サイレンススズカを捉えに行く!』
「今だグラス!」
『ここで、仕掛ける!!』
ここしかない、というタイミングでムチが入る。
僕と、トバさん、完全に噛み合った、完璧なタイミングでの仕掛けだ。
ここで捉える!!
「―――スズカ」
『―――あぁ、行こうか』
もう少しで、前に入れる。
その、『もう少し』が来る前に、サイレンススズカが、加速していく。
いや、加速なんてものじゃない、速過ぎる……!!
『ビッグサンデー、エルコンドルパサーも迫ってくるが、最終直線でサイレンススズカ加速する!!グラスワンダー捉えきれない!!』
出鱈目にもほどがあるだろう!?
完璧なタイミングだった!出せる全力を出したはずだ!!
なのに、なのに、その背中が遠い……!!
『さぁサイレンススズカ、リードは2馬身半!グラスワンダー懸命に追う!後ろから迫るのはビッグサンデー、エルコンドルパサー海老名ァ!!!』
『グラス、ここからは俺のステージさ!!』
『エ、ルゥ……!!』
『速いなサイレンススズカ、だがまだだ!まだ、まだァ!!』
『大歓声巻き起こる中、坂を上る!!サイレンスまだ逃げッ!!』
上り坂で、息が苦しくなってくる。
くそ、サイレンススズカの背中が遠ざかっていく!
向こうが速いのもあるけれど、僕の脚がどんどん遅くなっている!!
『失速するグラスワンダー、躱してエルコンドルパサーが前に出る!!』
エルに、抜かれた!?
抜き返す……駄目だ、脚が重い!苦しい!
もう、追いつけ、ない……
後ろからもう1頭、更に1頭、抜かれて……
『速過ぎ、だろうがよぉ!!サイレンススズカァァ!!!』
『エルコンドルパサーよれるが懸命に、だが200を通過して先頭はサイレンススズカだサイレンススズカだ!!!』
駄目、なのか?
僕は……
―――頑張ってください!!―――
―――後輩に、良い所見せてやろうな、グラス―――
―――見せてあげよう、今の君を―――
……そうだ。
僕の活躍を期待しているコーハイが居る!
僕の事を信じてくれるコニシさんが居る!
僕を勝たせてくれようとしてくれるトバさんが居る!!
『諦めて、たまるかッ!!!』
今出せる全力を、出し切れ、グラスワンダー!!!
『2番手はエルコンドルパサーだが離れているぞ!グラスワンダーは5番手、いや息を吹き返したか!?4番手、3番手に上がれるか!?』
『どけ、どけ、どけェェェ!!!』
『先頭はサイレンススズカ、これがグランプリホースの貫禄です!!!どこまで行っても逃げてやると言わんばかり!!!見事、見事ですサイレンススズカ!!!』
『これは、すごい……』
『天皇盾に向けて、視界は良好!時計は1分44秒9、上がり3ハロンは35秒1!2着エルコンドルパサー、3着はサンライズフラッグかグラスワンダーか写真判定、5着にプレストシンボリとなりました!!』
『ハァ、ハァ、ハァ………』
全力を出して、そこから更に絞り出した。
息が苦しい。もう数歩だって走れない。
『いやぁ、一番速いって言ってもあそこまで速いのかよサイレンススズカ!これは何も言えないくらいの完敗だなぁ!!』
『エ、ル……』
『グラス、最後の直線入る前にサイレンススズカの前に行こうとしたじゃん?あそこはGoodだったぜ!!あそこで前に出れてたら、また結果が違ってたかもな!!』
『は、はは……まぁ、失敗した、けどね……』
同じ位に疲れてるだろうに、なんて元気な奴だ……
呆れていると、少し奥から1頭、近づいて来る。
『―――今日は、ありがとう。良い走りが出来たよ』
『こっちこそ、最高に熱いレースが出来た!Thank You!!』
『ありがとう、ございます……良い、経験が、出来ましたよ……』
あれだけのペースで先頭を走り続けていたのに。
余裕そうな、顔をして……なんて、奴だ。
『この間とは違って、後ろから大きく音が聞こえた。【あの景色】に近づくには、もっと、もっと速く走らないと』
『『【あの景色】?』』
『うん。前に誰も居ない、音も聞こえてこない……自分と、この人だけしか居ない、そう思える景色。自分たちだけの場所さ。前のレースで、たどり着きそうだったんだ……うん、もう少しで、たどり着けそうな気がする』
『自分と、鞍上だけの世界……』
『うん。そこにたどり着けたら、何か見えそうな……そんな気が、してるんだ』
自分と鞍上だけの世界、か……
凄い、ような気はするけど。
それってつまり、テキも、コニシさんも、テイルも居ない……寂しい、世界だ。
『なんだか良く分からないけど、サイレンススズカ……スズカ、君は何と言うか、変わった馬だな』
『そう、かな?……そう、なのかも?』
『そうだな……まぁ、良いか!今日は最高に楽しかったぜ!いつかまた、一緒に走る事があったら、また最高のレースをしよう!Bye!!』
『うん、そうだね、また機会があったら、その時は』
『えぇ、はい……次こそは、貴方を捉えて見せます』
『ははっ、次もまた、自分が先頭を走らせて貰うさ』
1998年10月11日 毎日王冠 芝左1800m
1 サイレンススズカ 1:44:9
2 エルコンドルパサー 2.1/2
3 サンライズフラッグ 5
4 グラスワンダー ハナ
5 プレストシンボリ 3/4
史実と成績が変わった競走馬
グラスワンダー
史実では5着で、プレストシンボリにクビ差で敗れている。
が、本作ではブーストによりプレストシンボリに抜かれたあと差し返した。
プレストシンボリ
史実では4着で、位置は本作と同じサンライズフラッグと3/4差。
本作ではグラスワンダーを抜いた後、差し返された形になる。
サイレンススズカの強者感、そして先頭主義をウマ娘から逆輸入してみたかったのですが、上手く描写するのが難しいですね……あとあ○嶋節も難しい……
というか、レース描写が難しい。上手く書ける人が羨ましいです……
色んな作品に触れて、描写の勉強頑張ります。