「……今、なんと言った?」
ギルドに設けられた小さな一室に響いた、低く、とても重い声が僕の耳朶を震わせる。たった五年の差で、そして対面にいるエイナさんと同じ年齢なのに、どうしたらつい背筋を伸ばしてしまう覇気を含んだ声音になるのだろうか。汗を流しながらソファに座る僕はつらつらとそんな考えを並べる。
わかっている。これがただの現実逃避なんてことは。
「え~っと、ヴァレンシュタインさんに助けられて、好きになっちゃったのでエイナさんに情報を……」
「そうじゃない。お前が惚れた腫れたに至った経緯について聞いている。聞き間違えかもしれんからな」
隣にいるレインさんと目を合わせられない。別に大きな声や不機嫌な表情は一切していないのに、本気で怒ったエイナさんと一緒にいる時より胃が痛い。
「俺は今日、友人の頼みとある物を届けるために、お前のダンジョン探索の面倒は見れないと言っていたよな」
「はい……」
「お前はこれまで窮地と言えるものに出会っていないが、武器を握って命のやり取りをするようになってまだ半月。どれだけ余裕だと思えても、それは1階層から4階層までの話だ。ダンジョンにもぐるなとは言わなかったが、5階層から下はまだ早いと教えたはずだ……違うか?」
「チガワナイデス……」
「ほう。ならば何故、お前は5階層で『ミノタウロス』に追い回されて死にかけ、あまつさえ【ロキ・ファミリア】の【剣姫】なんぞに助けられている?」
レインさんの声が一段と低くなった。この人が怒っているのは僕が言いつけを破っただけじゃなくて、【ロキ・ファミリア】に貸しを作るような真似をしたことなんだろう。
レインさん、本当にびっくりするくらい【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】が嫌いだからなぁ……。詳しい理由は教えてもらえないけど。
「間違いなくその『ミノタウロス』は【ロキ・ファミリア】が怯えさせるなりして逃げ出した個体だろう。【剣姫】がお前を助けたことはマッチポンプもいい所だ。が、連中は蛆虫でも存在する価値すらないゴミ屑までは堕ちていないはずだし、お前の命を助けようとした姿勢は評価できる」
「じゃ、じゃあ?」
「何もしない。元々俺の言いつけを破ったお前にも責任があるし、相殺という形で見逃してやる」
「ありがとうございます!」
エイナからの説教は受けておくことだ、という声も聞き流しそうになってしまうくらいに僕は胸を撫でおろしていた。この件を理由にレインさんが【ロキ・ファミリア】を潰しに行かないか心配だったんだ、本当に。
レインさんが席を立つ。『魔石』や『ドロップアイテム』の入ったバックパックを持っているので、きっとギルドにある換金所に行くのだろう。換金をまだしていない僕も後を追って部屋を出る。
「いい話に纏めながら逃げようとするんじゃなーい! ベル君はまだ説教が終わってない! レイン君も偉そうなこと言ってたけどね、君は10階層まで行ってるでしょうが!! 【ロキ・ファミリア】を甘く見ていることも含めて沢山言いたいこと――ってドアが開かない!?」
エイナさんのお説教から逃げたくて部屋を出た瞬間に走り出していた僕は、レインさんが部屋のドアの隙間に『ゴブリンの爪』を挟んだことに気付かず、何故かエイナさんの叫び声にも気付けなかった。
急いで換金所に向かい、別々の窓口から本日の収穫を受け取る。僕は『ミノタウロス』やヴァレンシュタインさんから逃げていたせいで、ダンジョンにもぐっていた時間が短くなったために一二〇〇ヴァリス。そしてレインさんは、
「七八○○○ヴァリスになります」
……ざっと僕の六十五倍稼いでいた。噂によるけど『上層』レベルの五人パーティーが一日中ダンジョンに籠って稼げる金額は二○○○○ヴァリス前後。僕と同じかそれより少ない時間しかダンジョンにいなかったはずなのに、どうしてこんなに差が出るんだろう? ヴァレンシュタインさんとお付き……な、仲良くなりたい僕の心に圧倒的な
ええい、諦めないぞ。レインさんみたいな例外ばかりを見ていちゃ駄目だ。僕は僕なりに頑張ればいいんだから!
そう意気込みながらまだ時間がかかりそうなレインさんを待つために、先に出口の近くにいると、
「おやおや、どうしてギルドにみすぼらしい田舎の兎が紛れ込んでいるのですか」
「え?」
いきなり悪意の込めた声を投げかけられて振り向くと、そこには魔導士の装備を身に纏うエルフの男性がいた。未だに忘れらない【ファミリア】入団交渉失敗の時、十連敗目の派閥で歓迎されていた人だ。
硬直する僕を気にせず、エルフの男性は見下す表情を浮かべたまま口を動かす。
「君みたいなヒューマンを眷属にするなんて、どんなみすぼらしい神なのでしょうか」
「……ッ!」
僕を拾ってくれた神様を――大切な家族であるあの人を侮辱された。ギルドの支給品じゃない上等な装備をしている相手の方が格上だとか、派閥同士の揉め事は避けた方がいいとか、ギルドで問題を起こせば
激情に突き動かされるまま、薄ら笑いを浮かべる相手に掴みかかろうとして――腕を黒い手袋に包まれた手に掴まれて止められた。
「何をしている」
……きっと僕は踏ん切りがついていなかった。それによって生じた時間は、
「どうすればこの短時間で問題を起こせるんだ……と言いたいが、大体の事情は理解している」
「……」
「――このエルフは度胸がないのだろう。エイナに好意を寄せてはいるものの、アドバイザーでエイナを指名する勇気も彼女の指導を受け続ける根気もないものだから、お前に嫉妬して絡んできたんだろうさ」
「え、嫉妬ですか?」
「ああ、嫉妬だ」
燻っていた怒りが一気に霧散した。確かに大した接点もないのにどうしてこんなことを言われるんだと思っていたけど、この人の性格が悪いとかじゃなくてただの嫉妬?
エルフの男性を見る。レインさんの声はよく通るので周囲にははっきりと聞こえたのか、あちこちで笑い声が零れていた。笑われている本人は真っ赤になって震えている……ほ、本当に当たってたんだ。
「いいいいいいい加減なことを言うなぁ!? どんな証拠があってそんな妄言を述べる!?」
「? 話したこともないお前等がじゃれあう原因がこれぐらいしか思いつかないからだが?」
「なぁっ!? だ、第一に、何故私がエイナ嬢に好意を寄せていると言えるのかね!」
「……何となく?」
「~~~もういい、帰る!」
肩を怒らせて立ち去ろうとするエルフの男性。しかし、途中で振り返って叫んだ。
「いいことを教えておいてやろう。半月ほど前に【ロキ・ファミリア】に喧嘩を売った馬鹿がいるらしくてな。そいつらは白髪と黒髪の男達だそうだ。見るからに腑抜けた面をしているお前達ではないだろうが、うっかり襲われないよう気を付けておくことだな!」
そしてそのまま町の雑踏に消えていった。
「……結局、何だったんでしょうか?」
「髪色で誤解されたりしないよう対策しておけ、という純粋な忠告だろう。嫉妬の感情が先走って会話の始まりは最悪だったけれど、入団を断られて落ち込んでいたお前を気にかけていたんだろうさ。そうでもなければ
言われてみれば確かに。神様を悪く言われて手を出しそうになったけど、エルフのように知的な種族の人がギルドで揉め事を起こそうとするだろうか? 用があるとでも言ってその辺の路地裏に連れ込めば隠蔽だって簡単に済むのに。
「所謂『ツンデレ』という人種だ。プライドが高く、話題を選ぶセンスが最悪だがな」
「そういえばレインさんの皮肉も軽めだった気が……ん?」
ふと気が付く。レインさんの言う通りならあのエルフさんは【ロキ・ファミリア】に喧嘩を売った二人組の片方に僕が似ていたから話しかけてきたことになる。つまり、【ロキ・ファミリア】に喧嘩を売った人がいなければ、僕はこんな気分にならなかったんじゃ……。
本当の原因に思い当たりそうになった時、思考の海に沈んでいた僕の肩を誰かが叩いた。レインさんかと思って振り向く。
「ヒッ」
「お説教は始まってすらないし、こうしている間にも増えてるよ……ベル君」
隣にいたはずのレインさんは影も形もなく、代わりに
僕は今日、『ミノタウロス』に続いて二度目の死を覚悟した。
「エイナからの説教は受けろと言っただろう?」
やつれて帰って来た僕に
「神様……僕、強くなりたいです」
「うん……」
近い内に同じセリフを聞きそうな気がする。そうヘスティアの勘が囁いたが、彼女は何も言わずに神妙に頷いておいた。
♦♦♦
喧嘩とも言えない小競り合いをした翌日の夕方。レインはベルと一緒に西のメインストリートを歩いていた。
朝まで不機嫌な様子を隠そうともせず一人でダンジョンに行ったベルだが、帰って来るなりお詫びとして外食でもしないかと言ってきたのだ。別に気にしていないと断っても『ゴブリン……小石……全身爆砕』と震えるベルは譲らず、仕方なく外食に同行することになった。
ちなみにヘスティアはいない。異常に伸びたベルの【ステイタス】を見るなり不機嫌になって、謎の打ち上げに行くと言って出て行ったからだ。
「あ、多分ここです」
「どうして多分なんだ」
「だって名前が……」
示された看板に綴られた店名を見てみる。『豊饒の女主人』……反応に困る名前だ。もっと言うならアマゾネスが働いていそうな名前だ。更に言うなら店員が喰って、客が喰われそうな名前だ。
ベルがここで食べると約束したのは可愛らしい純朴な街娘。なるほど、ベルが戸惑うのも頷ける。しかし入口から店内を窺ってみれば、ドワーフの女将と獣人やエルフの女性店員が働いているのが見えた。
「名前は確かにとんでもないが、飲食店なのは間違いない。入るぞ」
「え、いやでも、まだここにシルさんがいると決まった訳では……」
綺麗な女の子に免疫がない故にまごついているベルの意見をガン無視し、レインは開きっぱなしになっている入口をくぐる。
「いらっしゃいませー! 何名様ですか?」
声をかけてきたのは薄鈍色の髪を後頭部で纏めた少女だった。店の制服である若葉色のジャンパスカートを着ていて、更に外見的特徴からこの娘がベルの話していたシル・フローヴァだとレインは察した。
二名だ――そう答えようとしたレインの口は、違う言葉を吐いていた。
「お前……
「――」
「いや、変なことを聞いたな。忘れてくれ」
「……ふふっ、大丈夫です。久しぶりにそんなことを聞かれましたよ」
「そうか。ちなみにベルなら扉の陰にいるぞ」
「ありがとうございます! お客様一名はいりまーす!」
声を張り上げながら入口に歩いていくシル。案内はしないのか、とシルの頭部から生えて揺れる一本の尻尾を見ながら思うレインは、ひとまず空いているカウンター席の一つに座った。何も言われないので大丈夫だろう。
用意されていたメニューを開く。一番値段が低いパスタが三○○ヴァリスだった。奢ってくれるベルの財布を心配したが、足りなければ自分が払えばいいと本日のオススメである肉料理をカウンター内でフライパンを振るう女将に注文する。
酒をどうするかと聞かれた。身体に悪いからいらないと断ったが、女将は
もったいないのでどうにかしてヘスティアの土産として持ち帰れないか考えていると、
「何の用だ?」
「……」
店員の一人であるエルフ――リューと呼ばれていた女性が斜め後ろに立っていた。無言で立ち尽くしていたかと思えば料理を運ぶためにどこかへ行き、それが終わればレインの後ろで佇むのを繰り返している。
注文した料理が来てもリューはレインの側に立っている。シルのようにベルの隣に座って談笑するでもなく、ただひたすら佇んでいる。……何か言いたげに小さく口を動かしてはいるが、振り向かないレインは気付かない。
「……後ろに立たれていると鬱陶しいんだが」
「……ッ」
「何か言いたいことがあるならハッキリと言え。……気のせいかもしれんが、俺はアンタと初対面じゃない気がする」
ヒュッ、と背後のリューが息を吞む音がした。心配になって振り向けば、リューは血の気の引いた顔で震えていた。柄にもなくレインは焦った。
「おい、大丈夫か? エルフは他者との接触を許さないと聞くが、まさかお前は話すだけでも駄目なのか?」
「ちが……違います。違うんです……」
何故かレインが心配すればするほど、リューの顔色は悪くなっていく。遂には目尻に涙が浮かんできた。チラホラと視線も集まり、レインの焦燥が煽られる。
異変を感じ取り、
『御予約のお客様、ご来店ニャー!!』
店にいる全ての者の視線を搔っ攫う集団――【ロキ・ファミリア】がやって来た。
ある物を届けるというのは異端児の遺品のことです。
レインが過保護のように思えますが、これはベルの危機感のなさにイラついているだけです。もし同じことをすれば見捨てる可能性があります。
ゴブリンを小石で倒したところをベルは見たのかもしれません。
誰得なツンデレエルフ(♂)。でもレイン達がロキファミリアに喧嘩を売ったりしてないと信じてるいい人。
資格試験とかで忙しくなってきたので次は未定。