「どうしたの、話し相手でも欲しくなった?」
「……冗談よ、怒らないで」
「大丈夫、これで上手く行くはず」
「でも忘れないで」
「私が、あなたが、どれだけ手を尽くしても」
「最後に選ぶのはあの子自身よ」
「でも、そうね」
「彼女の協力が得られれば、あるいは」
「……本当に察しが良いのね、あの子と同一存在とは思えない」
「さぁ、行ってらっしゃい」
「これを言うのは2回目ね」
「頼んだわよ、ナイン」
*****
―――――風の音が聞こえる。
どこか寂し気なそれは、5月の夜を流れていく。
人の温度が消えた空間で、それは酷く冷たい。
あるいは単純に、高度が高いせいだろうか。
住宅街の一角、マンションの屋上。
夜景を一望できるその場所で、まずは両手の動作を確かめる。
指先から、1本ずつ折り曲げる。
拳を作り、開き、また握る。
感触が無い。
強力な麻酔を掛けられたまま無理に動かしたような、不快な痺れだけを感じた。
動く気の無い肉体を動かしているのだから、当然か。
時間を掛けてようやく制御できた両足で立ち上がる。
一度動けば簡単なもので、階段を下り、オートロックの内鍵を開け、外に出る。
そのまま目的地へ歩き出す頃には、既に自分の体と遜色無いほどに動かせるようになった。
やはり人間は、歩める生き物なのだと思う。
九十九神社。
全ての始まりの場所。
人知れず神を失った境内に、砂利を踏む音だけが響く。
目を向けた先、古びた本殿の隙間から、現代都市では滅多に見ることの無い橙色の光が漏れていた。
<コン、コン>
乾いたノックの音に、跳ねるような気配。
「誰……?」
警戒心がありありと浮かぶ声は、しかしどこか滲むように弱弱しい。
「驚かせて、すみません」
「!!」
息を飲む音。
間髪入れずに足音が響く。
慌ただしく開かれた扉の向こうで、彼女はただ茫然と、こちらを見た。
「……」
「…………え?イメチェン?」
「え?」
予想打にしない応答に、お互いの時間が止まる。
先ほどまでの空気が一気に軟化した。
「いや、髪とか、それカラコン?目が真っ赤っか」
「え?」
「ちょーっと待ってー……パシャっとな、ほいよ」
巫女装束の懐から取り出したスマホで手早く写真を撮り、こちらに見せてくる。
そこに映っていたのは、慣れ親しんだ男の顔。
けれど、その毛髪は白銀色に染まり、瞳は白うさぎのように赤く染まっていた。
「え!?」
「どしたの突然、ぼっち拗らせ過ぎておかしくなった?」
「いや、いやいやいや!」
「うぅ、ごめんね……先生、気づいてあげられなくって……」
「止めてください、やめろ!可哀そうな物を見る目でこっちを見るな!」
「ま冗談はここまでにしておいて」
ため息を吐くようにして、彼女は尋ねる。
「それ、アーティファクトのせい?」
「……でしょうね」
「副作用みたいな?大丈夫?」
「今はなんとも」
「そか、取り合えず中入って、こんな時間にコソコソしてると怪しまれるから」
「分かりました」
本殿の扉が閉まる。
短くなった蝋燭の炎が揺らめく中、姿勢を正した彼女はポツリと、こぼす様に尋ねる。
「全部、終わったってことで良いのかな」
「その事で、ちょっとお話が。ソフィ?」
呼び掛けると、何もない空間に歪みが生じ、形容しがたい闇色のゲートが現れた。
その内から顔をのぞかせたのは、馴染みのある不気味な人形。
大きな耳と体を真っ二つに割るファスナーが特徴的なマスコットは、その体を半分だけ出して、訝しむようにこちらを伺っている。
「……どういうこと」
「警戒するのも無理は無い、ちゃんと説明するから、何でも聞いてくれ」
「……」
ふぅ、と息をつき、観念したように全身を見せる。
「え、何かモノモノしい雰囲気……」
「すみません、先生。少しそこで聞いていて下さい」
「あいよ、私にも分かる言葉で話してね」
ふわふわと浮かぶ幻体は質問を考えているのだろう、しばらく沈黙し、やがて口を開いた。
「率直に聞くわ、あなた、誰?」
首を傾げる先生。
確かに毛髪も瞳も色が変わっているとは言え、判別ができないほどの変化ではない。
その空気を感じ取ったのか、ソフィはこう続けた。
「見た目は多少違うけれど、姿形も声色も翔その物、けれど魂の気配が異なっている。そして何より―――――ごめんなさい、沙月。これから少しショックなことを言うわ」
と、少し間を置いて。
「新海翔、私たちが良く知るあの子は、既に死んでいるの」
「………………ぇ」
時間が止まったかのような沈黙の最後に、辛うじて吐き出した息が音になり、消えた。
「正確には、"止まった"と言うべきかしら。イーリスを倒す為、限界を超えてアーティファクトを行使した代償に、疲弊した魂は完全に停止した……私の目の前で」
「魂の死は肉体の死、後は塵になって消えるだけ、か?」
「……」
「すまない、警戒させたい訳じゃなかった。不快にさせたなら謝る」
「ハァ」
何度目かの息を吐く。
ある程度の察しが付いているのか、どこか飄々とした様子だった。
「あの、えっと、その」
堪え切れないと言った具合に、彼女は声を出した。
言葉を探す様に間を取って。
「本当に、翔は」
「はい」
明言は避けた。
けれど怯えるようにビクンと震えた彼女は、きっと、理解したのだろう。
理解して尚、分からないという風に。
「でも」
「自己紹介、しましょうか」
長引かせてはいけないと、そう思った。
「俺は"ナイン"……オーバーロードのユーザーです」