*
日常なんてものは、たぶん……ガムテープで塞がれた穴のように、醜いものを必死で覆い隠してできているのだろう。
そして、僕はそのテープを剝がしてしまった。好奇心のまま、それが何を、何故隠していたのかも知らずに。
そう。これは僕と、日常の裏に隠された世界の物語だ。
*
僕の名前は
昨日までは。
きっかけは、些細なことだった。
休日に、いつも通り心霊スポット巡り────「出る」と噂の、寂れた神社────に行ったとき、神主らしき人に話しかけられた。
まさかこんなボロボロの神社に人がいるとは思っていなくて、大袈裟に驚いてしまったのだけど、神主さんはにこやかに対応してくれた。
────ありがたいことに、このような寂れた場所にも、訪れてくださる方はいるのですよ
────あなたのようにお若い方は、少々珍しいですが
なんだか申し訳なくて、すみません、心霊スポット巡りなんです…と白状してしまうと、神主さんは少し驚いた様子で言った。
────なるほど、ここはそういう場所と噂されているのでしたか
────では、少し趣向は違いますが
────ひとつ、私の知っている話をいたしましょう
そうして聞かされたのは今までに聞いたことのない話だったが、今まで聞いたことも無いような現実味のある怪談だった。まるで現実で起こった事をそのまま話しているような、真に迫った話。僕は、夢中で聞き入った。
話が終わっても興奮冷めやらぬ僕に、神主さんは笑みを深めてこう言った。
────本当は、いけないのですが
────深夜に、もう一度お越しください
────面白いものをお見せしますよ
僕は食い気味に頷いた。
*
そして深夜。その頃にはいい加減冷静になっていた僕は、やはりこんな時間に出歩くのはまずいんじゃないかと考えた。けれど約束してしまった手前、行かないわけにもいかず……結局、こっそりと家を抜け出し、再び神社を訪れた。
「あれ……神主さん、いないのかな」
僕を呼んだはずの神主さんはおらず、辺りを見回したが影も形もなかった。
「…………あれ?」
騙されたのかな、と帰ろうとした時。あるものが目に留まった。
小さな祠だった。それだけなら特に気にならなかったが、その祠はどこかおかしかった。
昼間、神社に訪れた時。こんな祠は無かったはずなのだ。
見落としていた可能性がないわけではないが、あの時は何かないかと境内を調べて回っていた。こんなものがあれば気付かないことは考えにくい。
では、これは?
今にして思えば、やはり来るべきではなかったのだ。もしくは、祠を気にしないで帰ればよかった。
けれど、僕はそうしなかった。こんな不思議なことが起こって、見ないふりなんてできるはずがなかったのだ。
祠に近付いてよく見てみると、こんな神社には似つかわしくない、西洋風の魔法陣が刻まれていた。他にも何か貼られていた紙のようなものが破られた形跡があったが、それにしたって気になるのは魔法陣だろう。何せ、それは不規則に淡い発光を繰り返していたのだから。
それを調べてみようと手を伸ばし、魔法陣に触れた時。どこからか、神主さんの笑い声が聞こえた気がして──────
──────そうして、僕の日常は終わりを告げた。
*
「うわっ……!?」
魔法陣に手を触れると、まるで鍵が開くように動き、消えてしまった。あ、何かまずいことしたな、と気付いた時にはもう遅く。
次の瞬間、祠は音を立てて崩れ去った。
「な、なんなんだ……!?」
まずいまずいどうしようどうしよう、これ事故だよな?ヤバいんじゃないかこれ怒られる、いや誰に?
混乱した思考はしかし、次の瞬間それを上回る衝撃で吹き飛ばされた。
「う……うわぁぁぁぁっ!?」
突如、崩れた祠から青白い炎が燃え上がり……その中に、人のような形が見えた。
驚きと恐怖に、思わず腰を抜かしてしまう。
そして、やがて"そいつ"を包む炎が消え、現れたのは……
『やぁ~……っと出られたのじゃあーーーーーっ!!』
「…………えぇ?」
予想外の外見と言葉に、思わず間抜けな声を出した。そこにいたのは、巫女装束のような衣装の、狐耳と尻尾が生えた金髪の女の子。
…………えぇ?
「……女の子?」
『失礼な。これでも神じゃぞ。お主なんぞより永いこと生きておるわ』
神。
宗教に熱心な人には怒られるだろうけど、ある意味ではオカルトの代名詞みたいな存在。
この女の子が?
いや、祠から急に出て来たし、炎を操っているみたいだし……この際、オカルト的な存在であることは間違いないんだろうけど。
ただのコスプレをした女の子にしか見えないこの存在が神であるとは、僕にはとても思えなかった。
『小童よ、お主が妾を出してくれたんじゃろ?礼を言うぞ。して、何が望みじゃ?わざわざこの妾の封印を解くなぞ、みみっちい願いではないじゃろ。しかし、こんな小童があの結界を破って妾を見つけるとはのう……。人は見かけによらず、凄腕の術者ということか』
「え……え?封印?結界……?」
『む……?なんじゃ、何も知らぬのか?』
「いや、その……」
僕はこれまでの経緯を話した。自分がオカルト趣味なこと、訪れた神社で神主さんに唆されてここにいること、昼には無かったはずの祠を見つけて調べようと触れたら崩れ去ったこと。話しているうち、なにしてるんだろう僕はと自分が情けなくなった。改めて考えて、自分が今相談しているのが正体はともかく見た目的にはコスプレした小さな女の子であることに思い至り、軽く泣きそうになった。
『……ふむ。なるほどのぉ。まあおおかたその神主とやらが下手人じゃろうな。目的まではわからんが。というかお主、警戒心無さすぎじゃろう』
「……今それを自覚して泣きそうになってたところだよ。仕方ないじゃないか、オカルト趣味に特効のエサをぶら下げられたんだから……」
ぶつぶつと言い訳を続ける僕に、女の子はひとつ溜息を吐く。
『で。その神主とやらはどんな人相じゃった?探して吐かせれば全部わかるじゃろ』
「ああ、あの人は…………あれ?」
おかしい。
あの人の顔が、思い出せない。
ただ一つ、笑っていたのは覚えている。
……笑っていた?
本当に?
いや、明確な表情は一切思い出せない。ただ、"笑っていた"という印象だけが脳裏にこびり付いている。
どうにもおかしい。
彼は笑っていた。
彼?
性別もわからないだろう。
『……い……おい』
あの人は笑っていた。笑っていた?笑っていた。
あの人は笑っていた。
どのように?
『おい……おい!小童!』
にこやかに笑っていた。
本当に?
あの人はにこやかに笑っていた?
あの人は笑っていた。
にこやかに?
違うだろう。
あの人は嘲笑っていた。
そう。
そうだ。
あの人は嘲笑っていた。僕を嘲笑っていた。世界を嘲笑っていた。
怪談の中の哀れな犠牲者を嘲笑っていた。恐ろしい怪物を嘲笑っていた。
自分自身を嘲笑っていた。全てを嘲笑っていた。
あの人は嘲笑っていた。
あの人の顔を思い出せない。
顔?
あの人に顔なんてあったか?
『おいッ!!小童ッ!!』
「……はっ!?」
意識が醒めていく。僕は何を考えていた?
『まったく……考え込んだと思ったら急に顔を青ざめさせおって。妾の声も届かぬほどにただならぬ様子じゃったぞ』
「いや……あの人の顔がどうしても思い出せないんだ。男だったのか、女だったのかも。ただ、嘲笑っていたことだけは確かなんだ」
『思い出せない?認識阻害の術でも掛けておったのか、それとも……む?』
背筋がぞっとする感覚。辺りの空気が、急激に冷え切ったような気がする。
『……妾の力に惹かれて来たか?いや、違う……妾の封印が、この地の守護結界に紐付けされておったのか。……これも神主とやらの細工か?』
女の子が何か言っているが、それを聞いている余裕はない。
底冷えするような恐怖感。辺りに満ちたこれは────邪気?
次の瞬間、"それ"らは現れた。
*
薄紫の肌。人間の子供くらいの体躯。ガリガリに痩せ細っているのに、腹部だけがぽっこりと膨れている。異様に伸びた、刃物のような爪。"餓鬼"、まさにそう呼ぶのが相応しいであろう化物が、地面から湧き上がるように出現した。それが、いくつも。
「ひっ…………!?」
その一体が、爪を振るう。
辛うじて飛び退くことができたが、僕がいた場所の地面の石畳が粉々になっていた。あと一瞬避けるのが遅ければ、僕は簡単に引き裂かれていただろう。
『チッ……!低級の妖魔如きだが、憑代もない今の妾では……ッ!』
神を名乗る女の子とは違う、一目で危険だとわかる異形の化物。逃げなければと脳が警鐘を鳴らすが、恐怖で強張った身体は言うことを聞かない。
「ひ、ああ……!!」
じりじりと詰め寄ってくる化物。無様に怯える僕を見て、耳障りな声で笑う。このままでは殺されてしまう。嫌だ、逃げないと。竦み上がって動けない。
『……おい、小童!聞け!助かりたいか!!』
助かる?
「あ……そうだ、たす、助け」
『今の妾は復活したばかりで力が無い!お主を助けることはできん!しかし、お主を憑代とすれば最低限の力は引き出せる!』
怖い。怖い。助けて。
『助かりたければ契約を結べ!そうすれば、助かるための力をくれてやる!』
……契約?
『そうじゃ、助かりたければそれしかない!命が惜しくば、早く契約を結ぶがいい!』
「ッ……わかった!結ぶ!だから、早く、早く助けてっ……!!」
『契約にはお主の名前が必要じゃ!お主、名は何という!』
名前。
僕は。
「僕は……ユキオ!綾樫幸雄!!」
『よかろう!妾は
そして、女の子は……狐暁は、青白い炎の塊となり、僕に吸い込まれるようにして消えた。
『契約は成された!ぶちかませ、ユキオッ!!』
「ッ……うわあああぁぁぁァッ!!」
"狐火"。
僕が闇雲に振るった腕から、狐暁のものであろう青白い炎が放たれ──────化物の一体を包み込み、耳障りな絶叫と共に燃やし尽くした。
『所詮、餓鬼なぞ低級の妖魔よ。妾の炎では過剰じゃろうな』
「はっ……!はぁっ……!これが、力……!?」
『そうじゃ。お主は今、妾の憑代となることで妾と同じ力の一部を使えるようになっておる。今は妾の力も弱くお主の術者としての能力も貧弱であるから、あの程度の炎しか出せんがな。しかしそれでも、餓鬼を屠るには十分じゃろう』
「う、くッ……!うおおおおおおおッ!!」
炎を撒き散らし、化物……"餓鬼"達を燃やす。
やれる。この力があれば。
やらなければ、やられる……!
やらなければ……ッ!!
『ッ……馬鹿者!!力を無駄に使い過ぎだ!敵に当たる分だけ放てばそれでいい!そのように撒き散らしていては、すぐに体力の限界が来るぞ!!』
「そうは言っても、僕は戦うなんて初めてなんだッ……!いきなりそんな効率のいい戦いなんか、くっ……!?」
頭痛に襲われ、足元がふらつく。
それを好機と見たのか、餓鬼の一体が飛び掛かってくる。
『ユキオッ……!避けろおおおぉォッ!!』
「させねえよ」
吹き飛ぶ。
何が?
今、僕に飛び掛かってきた餓鬼だ。
木の幹に叩きつけられ、動かなくなる。
どうして?
視界に現れた人物を見上げる。
「……よっと」
漆黒のライダースーツ。燃え盛る炎のような……しかし、狐暁のものとは対照的な、オレンジ色のヘルメット。
異形の存在、凶暴な怪異である餓鬼を
「大丈夫かい?ちょっと待ってな、こいつら全部ぶっ飛ばすからさ」