難産でした。
*
「…………えぇ?」
間抜けな声が出た。
というか、目を疑った。次に自分の頭を疑って、ああこれは死ぬ間際に見ている都合のいい夢なのかなと思い至って、頬をつねったりしてみた。現実だった。
ドカッ、バキッ、と漫画みたいな音が鳴るたび、これまた漫画みたいに餓鬼が次々と吹っ飛ばされていく。
それを引き起こしているのは、今しがた乱入してきたライダースーツの男。いや、ヘルメットを被っているから顔は見えないけど。でもまあ、体つきとか声からしてたぶん男性だろう。
「……ねえ、狐暁」
『……なんじゃ、ユキオ』
「……少ししか見てないからわからないんだけどさ。餓鬼って、普通の人間より身体能力高かったよね?」
『……そのはずじゃのう』
「…………あの人、明らかに餓鬼より強いよね?」
『…………そうじゃのう』
「僕にはもう人間がわからないよ…………」
*
ほどなくして、餓鬼達は全滅した。……いや、そこそこの数がいたはずなんだけど。死体は最初に出てきたときとは逆に、地面に溶けるようにして消えていった。
それらを蹂躙した当人は、あれだけ暴れまわっていたというのに息を切らしもせずに話しかけて来た。
「ふー。災難だったね少年。怪我とかしてない?」
「あ……はい、大丈夫です」
「そっかそっか。ダメだろー子供がこんな時間に出歩いたりしちゃ。今回はたまたま俺が気付いたからよかったけどね、そうでなきゃ危なかったぞ?」
「……すみません。えっと、あなたは……」
「んでね、俺ちょっと探してるものがあるんだけどさ。この写真に写ってる人魂みたいなの知らない?」
聞いてないし……ん、人魂?
「この写真って……」
『妾じゃろうのぉ。この端に写っておる人間の足もユキオじゃろうな』
すると、僕の身体から小さな炎の塊が飛び出し、狐暁の姿になった。
「うわびっくりした。巫女服狐耳金髪ロリ?」
『なんじゃ失敬な。神様じゃぞ神様。まったく、最近の人間には敬意が足りん』
「あ、この娘は狐暁って言います。神様……かはわからないですけど、炎を操る力があるみたいで。僕と契約して憑代に……」
そこまで言いかけて気付いた。初対面の人にこんな話をするって、完全に痛い奴じゃん。
僕みたいなオカルト趣味だったり、
「へー、そうなんだ。じゃあさっき手から炎出してたように見えたのはそれかぁ」
「……あ、普通に受け入れるんですね」
「うーん、さっきの怪物みたいなのもいるわけだしさ。そういうこともあるのかなって」
『話が速くて良いが、変な奴じゃのう……』
なんというか、マイペースな人だ。どこかズレてるというか……
「今は出てきてるみたいだけど、それは?憑代ってことはその子に取り憑いてるんじゃないの?」
『うむ、今は一時的にユキオの身体を離れている状態じゃな。この状態ならば他人にも妾が視えるし、声も聞こえる。しかし、ユキオから遠く離れることはできんし、ユキオもこの状態では妾の力を使うことはできん。力を使えるのは妾がユキオに憑依している時のみだ。ただし、その状態では妾の声はユキオにしか聞こえん』
「ふーん。そこまで自由が利くわけじゃないのか」
なるほど……。状況が状況だったので深く考えずに契約してしまったが、よくよく考えればとんでもないことをしてしまったんじゃないかと今更ながらに思う。
『というかそう、なんなんじゃお主。餓鬼は低級の妖魔とはいえ、ただの人間が膂力で挑むような相手では無いはずなんじゃが。身体強化の術でも使っておるのか?』
「いんや、魔法とかは俺には使えないよ。そういう力とかああいう怪物が存在するっていうのも、今日初めて知ったしね。齧ってる程度だけど武術やっててさ、あの程度なら問題なく対処できるよ」
「あの程度って……」
『武術を齧った程度の動きではないじゃろう……』
……うん、無茶苦茶な人だ。ズレてるとかそういう次元じゃない。
「そう言われても、本当に何か特別なことをした覚えはないんだけどなぁ……。っと、うん?」
ふと、何かに気付いた様子で本殿を見つめる。
一体なんだろうと思った瞬間。また、
あの餓鬼が現れた時のような……いや、それ以上に強い寒気。
恐る恐る本殿に目を向けると、建物の中から湧き上がる影。
それは、餓鬼なんかより遥かに巨大な──────
*
「……参ったな。流石にアレをどうこうするのは厳しいかなぁ」
いや、なんでそんなに落ち着いてるんですか。
そう文句の一つでも言いたかったが、緊張のあまり言葉が出ない。
手足が異様に長く、獣のような四足歩行の、くすんだ緑色の肌をした異形。細身だが巨大で、体長5メートルはあるであろう体躯。餓鬼のものよりもさらに鋭く長い爪。
本来顔のあるべき部分には眼や耳といった器官が見られず、ただ、大きく裂けた口だけがあった。剣山のごとく鋭い歯が並び、だらりと垂れた長い舌からは絶えず唾液が滴っている。
感覚器官が無いにも拘らず、"それ"は真っ直ぐとこちらを捉えていた。
『……少しばかり厄介な妖魔じゃな。万全ならば、今のユキオでも何とかできる可能性はあるが……先の戦闘で消耗している。全力を用いても逃げられるかどうかじゃろうな』
「逃げ切ったところで、こんな奴を町中に放つわけにもいかないもんなぁ……。一か八か、やってみるしかないかな」
とんでもない事を言ってのける男。そういえばこの人の名前知らないな……と、何故か呑気な思考が浮かぶ。感覚が麻痺したのだろうか。
『……お主、正気か?アレは餓鬼どものような雑魚ではないぞ』
「それくらいはわかるさ。けど、こいつが町で暴れまわったらそれこそ大惨事だろ?なら、最悪刺し違えてでも……っと!」
振るわれた爪を既の所で避ける男。僕を庇うように前に立つ。
「ほら、早く逃げて。それくらいの時間は稼いでみせるからさ」
「えっ!?ぼ、僕も戦えます!あなた一人じゃ……!」
「いいから。こんなところで死んで親御さんを泣かせる気か?大丈夫、俺は死なないよ」
この人は、強いんだなあと思う。
マイペースだ変な人だと呆れたものの、それでも僕みたいな力も無いのに恐れず化物に立ち向かえる勇気ある人だ。
そして、命の危機を救ってくれた恩人だ。
対して、僕はなんだ?
さっきからずっと、怯えてばかりで……。
今だって、この人に守られているだけだ。
『おい、早まるな!お主らは知らんじゃろうが、怪異の処理を専門とする人間の組織はいつの時代にも存在する!アレはそ奴らに任せておけばよい!!』
「あ、そうなんだ。うーん……でも、今この場にいないような人たちはちょっと信用できないかなぁ。……危ねぇな!早く逃げてくれ!君を守りながら戦う自信はないよ!」
攻撃をいなしながら言う。その顔……はヘルメットのせいで見えないが、声色には焦りが含まれていた。
「こっちだ化物!出来損ないの犬みたいな造形しやがって、気色悪いんだよ!!」
気を引くためか、大声を出して叫びながら化物に石を投げつける男。化物の注意はそちらに向く。
…………僕は。
拳を強く握りしめて無理やり震えを止め、唾を飲み込む。
『く……仕方ない!ユキオ、妾達だけでも逃げるぞ!』
「いや……狐暁。やっぱり、僕も戦うよ」
そう言うと、狐暁は信じられないものを見たかのような顔で振り向いた。
『馬鹿者!!あの男が時間を稼ぐと言うのじゃから、甘んじて逃げればよいのじゃ!!アレを倒したいならば、一度逃げて機会を伺えばよい!憑代であるお主が死ねば、妾の存在にまで影響が出る!お主を殺させるわけにはいかんのじゃ!!』
「このままだと、いくらあの人でも危ない。……僕はまだ、あの人の顔も名前も知らないんだ。助けてもらった借りだって返してない。それに、これは元はと言えば僕の責任だ。あの人に騙されて、狐暁の封印を解いた僕の」
『ユキオ……』
「ここで逃げたら……僕は一生後悔する。そんなのは嫌なんだ!だから狐暁、もう一度僕に力を貸して!!」
『……ええい、仕方ない!どうせユキオから離れることはできんのじゃ、妾はどうなっても知らんぞ!!』
半ばヤケクソ気味に叫ぶと、狐暁は炎となって僕の身体に憑依する。これで力は使える、覚悟も既にできている。
後は行動に移すだけ。
「"狐火"ィッ!!」
放たれた炎は、空気を切り裂き……今まさに男へと振り下ろされる寸前の、化物の腕に命中する。
耳障りな絶叫。
「よし、狐暁の炎はこいつにも効くみたいだ!」
「ユキオくん……!?」
「今です!そいつが怯んだ隙に!!」
「ッ……おらァ!!」
何体もの餓鬼を打ち倒した、鋭い蹴りが化物の頭部を捉える。狐暁の炎ほどではないが、少なくとも効いてはいるようだ。
「おい、逃げろって言ったよな!?なんでまだここにいる!?」
「僕だって男なんだ、意地も責任もあるんですよ!それに、一人より二人の方が戦える!」
「死ぬかもしれないんだぞ!?」
「あなただってそうだ!」
僕に引く気がないと悟ったのか、何を言っても無駄だと諦めたのか……ひとつ舌打ちをして、化物に向き直る。
「ああわかった、もう勝手にしろ……!ただし、前には俺が出る!万が一の時には俺を見捨ててさっさと逃げろよ!」
「そうならないために、僕はここにいるんでしょう!」
「言ってろ!」
言うが早いか、男は化物に向かい走り出す。懐に入り込んで有利に立ち回る心算のようだ。軽やかな身のこなしで爪での攻撃を搔い潜りって接近し、連続で打撃を叩き込む。一発一発の効果は低くとも、何度も打ち続けることで確実にダメージを与えていき……
……あの人本当に人間か?
『最初からユキオを守ろうとしてなければ、あ奴一人でもどうにかなったんじゃないかのう……』
「まあ……いくらあの人でも、体力の限界はあるでしょ。……あるよね?」
『怪しいもんじゃのう……』
それでも、やはり危ういことはあるので。そういう時は、僕が"狐火"でフォローする。
まあ流石にあの人も人間であるので、次第に回避しきれないことが増えて……いや攻撃のペースは全く落ちてな……
……むしろ上がってる!?さてはあの人、どうせ僕が防ぐからって攻撃だけに集中してるな!?
いくら僕が無理を言って共闘してるとはいえ、人使いが荒……流石にこう連続で力を使わされると保たないんですけど……!!
『ふむ……しかしユキオ、無意識じゃろうがお主だんだんと力を効率よく使えるようになっておるぞ?無駄な消費はほとんど無くなっておるな』
「はぁ……はぁ……そりゃあ、そうもなるでしょ……!」
やがて。
男の拳により、化物は大きく体勢を崩す。
それはつまり、大きなチャンスを意味していた。
「ッ……"狐火"!!これで──────」
「──────終わりだッ!!」
僕の炎と、男の渾身の蹴りが同時に叩き込まれ……
化物は、ついに倒れ伏した。
*
「ぜぇ……はぁ……倒し、た……?」
『……そのようじゃな。よくやったぞ、ユキオ』
その言葉を聞いた瞬間、一気に全身の力が抜け……へなへなとその場に座り込む。
「はぁぁぁぁぁ……。僕、生きてるのか…………」
「お疲れ。いやぁ、一時はどうなることかと思ったけど。案外何とかなるもんだね」
『あれだけ大立ち回りを演じておきながら「何とかなる」で済ませるのはお主くらいじゃろうのう……』
憑依を解き、僕の隣に立つ狐暁が呆れた様子で言う。
「いやいや、援護してくれて助かったよ。俺一人じゃ流石にいつかやられてただろうからさ」
そんな言葉に、あははと乾いた笑いで返すことしかできない。
と、視界の端で何かが動く。
(…………ん?)
見れば、まだ息があったらしき化物が、男を狙い腕を振り上げていて。
「ッ、避け──────」
「"
瞬間、塵と化した。
「──────え?」
『ほぉ、高位の法術か。ようやく、怪異祓い様のご登場かのう』
「…………結界がぶち壊されたっつーからわざわざ来てみれば」
「妙なの宿した異能者のガキに、見るからに不審者ですって格好のバカ。手前ェら、何
時代錯誤の、狩衣の男が一人。
こちらに剣呑な視線を向けていた。