○○と付き合ってるって言ったらテイオーはどうなるのだろうか 作:ししゃも丸
むかしむかし。日本のトレセン学園に『皇帝』と呼ばれているウマ娘がおりました。
そのウマ娘の名前はシンボリルドルフ。
彼女はG1レースで行われる皐月賞、日本ダービー、菊花賞の3つすべてを制したウマ娘に送られる『三冠ウマ娘』の称号を手にしたウマ娘でもあります。それもそれまで無敗で勝ち進んだので、『無敗の三冠ウマ娘』とも呼ばれているそうな。
シンボリルドルフの存在を知らぬ者はおらず、また彼女を目標にするウマ娘は多いと聞きます。そんな名実ともに今ではトレセン学園の生徒会会長を務めている彼女ですが、なにも一人でここまで来れた訳ではありません。
そうです。彼女の隣にはトレーナーの存在があったのです。そのトレーナーとは、トウカイテイオーのお兄さんなのですが、これがまた謎が多いトレーナーだったそうな。
そんなお兄さんについて今回はお話していきましょう。
さて。まずお兄さんの生い立ちを話しましょう。彼は物心ついた時に母親を亡くし父子家庭で育ちました。幼少期に母親がいないまま育ったお兄さんですが、父親の愛情や比較的近くに親戚もいたこともあって、ひねくれず至って普通に育ちました。
むしろ父親が家事が全くダメなこともあってか、むしろ自分が何とかしなくてはと思ったほどで。高校生になるまでに家事全般は人並みにできるようになっていたぐらいです。
そんなお兄さんの転機は高校に上がってからでした。高校生とはなにとも人生において重要な時間です。特に進路については早めに決めるのはよくあることですが、お兄さんはすでに進路を決めていたのです。
それはもちろんトレーナーでした。進学は元々考えておらず、早く就職して働きたいという気持ちが強かったからだそうです。父親は逆に進学を勧めていましたが本人の意思を尊重し、それ以上深く言うことはなかったようです。
お兄さんがトレーナーを選んだ理由ですが、これまた本人もよく分かっていないのです。確かにトレーナーという職業は、若者がなりたい職業TOP10には入るほどでもあります。ただ彼は「ティンときたから」と友人に話しておりました。
そんな人気職業でもあるトレーナーですが、意外なことにその資格を得るためには厳しい試験があります。筆記テストや面接はもちろんですが、特に書類審査を入念に行うのです。
それもそのはず。彼らの仕事はウマ娘を指導することとはいえ若い女の子たちなのですから、やましい気持ちや猥褻な行為を目的としてトレーナーになる人間もいるからです。そのため過去の経歴をこれでもかというほど洗うのです。なのでトレーナー試験を受ける人間は毎年多いですが、不合格の烙印を捺される人間もまた多いのです。
そんなお兄さんは学生時代から積極的に活動していました。URAが開催する講演会やトレーナーセミナー等々、多くのイベントに参加しながら当然トレーナーになるための勉強をしてきました。
その甲斐もあって在学中にトレーナー資格を取得することができたのです。
しかし、セミナーや講演会に参加し続けて知り合ったベテラントレーナーから、
「卒業と同時にトレーナーになるのも悪くはないがやはり年が近すぎる。ダメではないんだ。ただ、私としてはせめて20歳からがいいと思うんだ。言い換えれば社会経験を積んでほしい。経験は決して無駄にはならないしね。それにトレーナーになると自分の時間も少なくなるから、少しでも遊んでおいても損はないよ」
と、先達の暖かい言葉をもらったお兄さんは、2年間程他の資格を取るための勉強をしながら色んな仕事をするようになりました。
そして20歳になった翌年からトレーナーとして活動をすることになります。
結果から言えば、彼は約4年ほどサブトレーナーとして地方を転々としながらトレーナーとしての見聞を深めていきました。
地方を転々とした原因といたしましては、師事していたトレーナーが退職してしまったことやその時担当していたトレーナーの推薦もあったこと。悪い意味では先の推薦の件のようにお兄さんがあまりにも優秀だったからでしょう。彼はウマ娘とトレーナーの関係や距離感については、これでもかと言うほど現役のトレーナー達から聞いていたので絶妙なバランスを保っていました。また、このころは比較的歳が近いこともあってか、トレーナーには相談できないことを彼が受けていたことも。
あとは彼の人柄もあったのでしょう。身長は180センチを優に超えており、まあそこはあまり問題ではなく、一番の問題はその容姿でした。彼は20代ながら10歳以上は老けて見えており、学生時代もスーツを着れば引率の先生以上に先生してたと言われるほどでした。つまり、仕事着でもあるスーツを身に着ければあら不思議。見た目だけならどうみてもベテラントレーナーにみえるではありませんか!
本人もそこは気にしているのですが、まあ当のウマ娘達はそのギャップ萌えに大層喜んで遊び弄っていたそうな。
……………まあつまりは嫉妬による異動だったのです。特にお兄さんの評価については数多くベテラントレーナーから顔を覚えられていて交流もあったので、そこまで評価には影響しなかったようです。
そして約4年間サブトレーナーとして勤めて晴れてお兄さんはトレーナーとしてスタートすることになりました。しかしもその勤務地は日本で最大のウマ娘トレーニングセンター学園ことトレセン学園だったのです。
トレセン学園に所属する際、トレーナー達にはトレーナー寮へと入る資格があるのですが、丁度実家が近くまた家事ができない父親のためにお兄さんは実家から通うことになりました。
さあいよいよです。トレセン学園所属のトレーナーになったからには担当ウマ娘を持たなければなりません。最低でも1人、多い所では10人も抱えるトップチームもあるのは流石トレセン学園と言ったところでしょうか。
担当ウマ娘を持つためにはもちろん自らスカウトするのですが、それにうってつけなのが年に4回ほど行われる選抜レース。我先にと有望なウマ娘をスカウトすべく多くのトレーナー達が集います。
そこでお兄さんはついに彼女──シンボリルドルフと出会ったのです!
……しかし。彼女は優秀です。多くのトレーナー達が彼女をスカウトすべくすでに声をかけているではありませんか。ですが彼女は誰一人として首を縦に振ることはありませんでした。
ルドルフはこの若さで自分の力量というものを把握していましたし、何より彼女は賢いウマ娘です。多くのトレーナーが自分にどんな言葉を告げるか、その大体の想像はできていました。だからこそ、そんな自分の心を動かすような、帝道を歩む自分の隣に立つことのできるトレーナーを待っていたのです。
もちろんお兄さんもルドルフを見ていました。しかし声をかけようにも大勢のトレーナーでそれでどころではなく、とりあえず彼はほとぼりが冷めるまで待つことにしました。
そして数日経った日のこと。
お兄さんは何十回かもわからぬトレーナーと対応して、見るからに疲れているのは承知で声をかけました。
「あーシンボリルドルフ? 少しいいですか?」
「ん。ああ、君もか。構わないよ。では、トレーナー。君はどうして私のところへ来た?」
「──特等席でキミを見ていたいから。キミはすごいウマ娘だ。それは俺にだって、誰だって分かる。だからこそ、キミの隣で勝ち続ける姿を見ていたいと思った。もちろんそのための努力は欠かさないけどね。……どうした? ちょっと顔が赤いが……」
こうして後に皇帝と呼ばれるようになるシンボリルドルフを見事口説き落とし、お兄さんとシンボリルドルフのコンビがこうして誕生したわけですが……。実はこのあとすぐに彼はとんでもない存在に目をつけられてしまいました。
「なあそこのオマエ。アタシと勝負しないか?」
「……いや。俺がウマ娘であるキミに勝てるわけないんだが」
「そっちじゃねえよ。コレだよ、コレ」
「将棋……?」
「おう! もしオマエが勝ったら、このいつ買ったのかもわからない飲みかけのお茶を進呈しよう!」
「いらん。他をあたってくれ」
「しかしゴルシちゃんからは逃げられない!」
ゴールドシップ。後に色んな意味でトレセン学園の問題児となる彼女にお兄さんはまるで、ポケモンでいう目と目があってしまったかのように彼女に目をつけられてしまったのです。
そしてそれは彼女だけではなかったのです。
さて。正式にコンビを組むことになったお兄さんとルドルフの関係は、一年目はまずまずといった感じで終わりました。まあそれもお兄さん目線であり、ルドルフからすれば一年という短い時間の中ですでに彼の人間性はだいたい見えていました。
お兄さん自身は徹底してルドルフとの距離を近すぎず、離れすぎてもいない距離感を保っていました。それはサブトレーナーからトレーナーになったことでより一層に意識をしていたからでしょう。
しかしそれはルドルフとの間だけ。根が優しいお兄さんは困っている子を見るとついつい助けてしまう癖がありました。またゴールドシップという問題児の面倒を見ている(学園からはチーム扱いされていた)ので、学園が頭を悩ませているウマ娘にそれとなく彼を誘導する事が多々ありました。その代表的なウマ娘となると、まああのアグネスタキオンなのですが……これは割愛しましょう。
それが気に入らないのが我らがシンボリルドルフでした。気に入らないと言ってもルドルフからのお兄さんの評価はそれなりに高いのです。
トレーニングは文句が付けようがないものですし、ちゃんとこちらが意見を具申すればそれを考慮したうえで指導してくれます。普段から笑わずムスッとしたような可愛げがない顔をしていますがちゃんと自分を見てくれていて、トレーニング後のケアはしてくれたり、色々と気が回る男性でもあります。
では何が気に入らないと言えば、他のウマ娘達にはちゃんと人間らしい表情をするからです。つまりはもっと自分に対して優しく……もっと普通に接してくれていいのではないか、とルドルフは周りと比べて不公平だと思っているのです。
何よりトレーニング中でも自分にはいつものような態度なのに、気づけばどんどん増えていたウマ娘達に困った顔や自分には見せない顔をするのが納得いかない。
だからルドルフは目標であるクラシック三冠を取るため、その皐月賞の前日にお兄さんとある約束を交わしました。
「なあトレーナー。もし私が三冠を達成したら、お願いを3つ聞いてはくれないだろうか?」
「三冠だけにか?」
「まあ、そうなる」
「それはいいが、行き過ぎたお願いじゃなければ可能限り善処はするが……」
「よし、言質は取ったぞ」
「どうしたんだ急に。別に今までのレースだって何かお願いがあれば聞くつもりでいたし。別に1勝ずつでも構わないぞ?」
「いや、三冠を取ってこそ意味があるんだ」
「キミほどのウマ娘が言うんだから、きっと意味があるんだろうな。分かったよ、楽しみに待ってる」
「ふふっ。ああ、楽しみに待っていてくれ」
この時の彼は食事とか何かを買ってくれてとか、そういうことぐらいしか頭にありませんでした。女性経験がないわけではありませんでしたが、年頃の女の子が何を求めるかなど特に男性が理解するのは酷というものでしょう。
対してこの時のルドルフは普段以上に尻尾を振っていたそうです。
さて。ルドルフは約束通り皐月賞を制し、次の日本ダービーを前日に迎えていたのですが……。
「すまないルドルフ。明日の日本ダービーなんだが、ちょっと家庭の事情で朝から一緒に同行できないんだが大丈夫だろうか」
「それは構わないが、何かご家族に大事でもあったのか? そうなら明日はそちらを優先しても──」
「いや、別に大したことじゃないんだ。ただどうしても身内が明日のレースを見に行きたいと言ってな。だからそっちの方に付きっきりになるだけだ。レースが終われば合流できるから」
「わかった。なら明日はいつもより一層気合いをいれなくてはな」
「あまり気負わなくてもいい。いつも通り自分の走りをすればいいんだ」
「ああ。分かってるよ、トレーナー」
ここで少し時間は戻り、この時期のお兄さんはとある問題を抱えておりました。それは昨年のある時期から彼には新しい家族ができたのです。勘違いしてはいけないのはお兄さんがではなく、彼の父親が再婚したのです。
まあお兄さんからすればそれは何ら驚くことではありませんでした。実家に帰ってくる少し前から父親からとある女性と関わりをもつようになったと聞いていましたし。
ただお兄さんが予想外だったのは母になる人には娘がいたのです。それもウマ娘で、まだ小学生の小さな子供が。
子供の名前はトウカイテイオーという可愛らしいウマ娘です。
顔合わせの際お兄さんは色々と不安を抱えておりましたが、ファーストコンタクトはうまくいったので歳の差はあるけどうまくやれるだろうと思っておりました。
しかしここで小さな問題が発生。それは父親も母親も仕事柄多忙な人達だったことです。それでも幼い娘のためにできるだけ傍にいましたが、どうしてもこの頃は難しい時期だったそうです。なのでそこでお兄さんにトウカイテイオーの面倒を見てほしいと頼まれました。
お兄さんは文句を言うことなく引き受けました。もちろん理由はあります。まだ出会ったばかりの関係ですが、向こうが自分と彼女の仲を少しでも縮めたいこと。なによりお兄さんはテイオーと同じように父子家庭で育っているから独りぼっちの寂しさを知っているので、テイオーにはそんな想いをさせたくはないと考えていたからです。
時期的には夏を過ぎた辺りだったでしょうか。お兄さんはルドルフに申し訳ないと思いながらも無理を承知で言いました。
「すまないルドルフ。家庭の事情でしばらくは早く上がることになってしまうんだ。これからが大事な時期なのに本当にすまない。一人でも問題ないトレーニングプランは考えているから、何かあれば遠慮なく言ってほしい」
「家庭の事情なら仕方なさいさ。トレーナーもその年になると多くのプライベートな悩みを抱えることぐらい察することはできる。やはりあれかな。子供の送り迎えとかかい?」
「ん? 俺に子供なんていないぞ」
「……ん? てっきりキミはすでに家庭を持っていると思っていたのだが……」
「ないない。だって俺はまだ二十代半ばだぞ? ほら結婚指輪だってしてないし。ここ最近は彼女だっていない」
「……初耳だぞ、それは」
「言ってなかったか?」
「言ってない!」
とまあここでルドルフはお兄さんの素性を改めて知るわけです。余談ですが、これの件についてゴールドシップを筆頭にひと悶着あったのは別のお話になります。さらに余談ですが、ルドルフが彼を意識しはじめたのはこれがキッカケでもあったそうな。
さて。時間はまた戻り日本ダービー当日。ルドルフは圧倒的強さで二冠を制し、レース後のウイニングライブのあとの控室で彼女はお兄さんに言いました。
「なあトレーナー。実は記者会見の時に小さなウマ娘──トウカイテイオーと言うんだが、その子が私に言ったんだ。私のようなウマ娘になるって。嬉しかったよ。自分の走りが誰かの目標になる。ちょっとこそばゆくもあるけど、やはり勝利した時と同じくらい嬉しい気持ちになったよ」
「……いないと思ったらそこにいたのか」
「何か言ったかい?」
「いや、何でもない」
ルドルフの記者会見には当然立ち会う予定でいたお兄さんでしたが、その少し前にテイオーが突然いなくなったために、親戚のおばさんと一緒に探していたのです。それがまさかルドルフの所にいたとは盲点だったようです。
またその日の夜。家に帰えるとテイオーがお兄さんに言いました。
「お兄ちゃん! ボクね、シンボリルドルフさんみたいなウマ娘になるよ! お兄ちゃんは……応援してくれるよね……?」
「……当然だよ。ならそのためにはまず少しずつ始めないとな」
「うん!」
これもまた運命だとお兄さんは思いました。それから彼はテイオーのために少しずつ秘密のトレーニングをしていくようになるのですが、それはまた別のお話です。
それから少し時間が経ち、ルドルフは見事に菊花賞を制し『無敗の三冠ウマ娘』の称号を手にしたのです。同時にそれはルドルフとの約束を叶える時がきたのです。
「おめでとうルドルフ。見事に無敗の三冠ウマ娘になったな」
「ありがとう。それもトレーナーがいたからだよ」
「そう言ってくれるとトレーナー冥利に尽きるよ。で、見事に約束を果したわけだが……今日の俺はどんなお願いでも聞くかもしれんぞ?」
「その言葉を待っていたよ」
普段はルドルフに対してお堅いお兄さんでしたが、この時ばかりは普段通りの雰囲気でした。それに気づいたルドルフもそれが嬉しくて気分が高揚していました。
「ではまず一つ目のお願いだ。私のことをルナと呼んでほしい。もちろん二人っきりの時でいい」
「意外なお願いでちょっと拍子抜けしたけど、キミが──」
「ムっ」
「ンンッ……ルナ。これでいいかい?」
「ああっ」
「で。二つ目のお願いは?」
「なに。シンプルに記念写真を取ってほしいんだ。この日のために新しいカメラを買ったし、三脚も持ってきているんだ」
「て、手が込んでるな」
ルドルフの用意周到な所に驚きながらもお兄さんは彼女と写真を撮ることに。菊花賞のトロフィーを自分が持ちながらルドルフの隣に立つのですが、そこで彼女が腕を組んで言ってきました。
「折角の記念写真なんだ。ちゃんと笑顔で頼む」
「……こ、こうか?」
「フフッ。まあそれでいいよ」
そこまで難しいことではないのですが、お兄さんもお兄さんで少し恥ずかしかったのでしょうか。やけに引きつった笑顔をカメラの前に向けておりました。そちらに意識を向けていたせいか、ルドルフと腕を組んでいることについては、特に彼は追及しませんでした。
この世に二枚しかない記念写真。引きつった笑顔でトロフィーを持つお兄さんと、三冠を取った証である三本指を立てながら、友人にも見せたことない笑みを浮かべたルドルフが写ってるのでした。
そして3つ目のお願いを尋ねると、ルドルフは言いました。
「それは取っておくよ。いつか来る、その日のためにね」
「じゃあ俺はそんな日が来ないことを祈るとしようかな……ッッ! なんで足を踏むんだ!?」
「すまない。流石に私でもイラっときただけだ」
「はい?」
乙女心が分からないお兄さんですが、ルドルフが不機嫌な顔を見るのがこれが初めてだったので、
ある意味では二人の関係がまた少し進展したようなものでしょうか。
それからルドルフはジャパンカップにも出走したものの3着に終わってしまいましたが、翌月の有馬記念は見事勝利して二年目を終えました。
そして三年目のある日。お兄さんはルドルフに辛い告白をしなければなりませんでした。
「話とはなんだいトレーナー」
「今年でコンビを組んで三年目を迎えるわけだが、それは同時に一つの節目でもあることは知ってるよな」
「ああ。多くのトレーナーとウマ娘はだいたいその期間のあとコンビを続けるか、あるいは互いに別々の道を歩むと聞いている。もちろん意見の相違や方向性の違いなどで途中で解消することもあると聞くが……その話かい?」
「……ああ。本当は続けてキミのトレーナーでありたいと思っていた。だけど、以前にも話したように家庭の事情でな。今年いっぱいで第一線から退くことに決めたんだ」
お兄さんも苦渋の決断でした。
今までも午後のトレーニングを早めに切り上げる日がありましたが、それは最初に比べれば頻度は減っていました。それは彼の両親の仕事が昨年の場合比較的落ち着いていたからです。それでも多忙な二人には変わりなかったのですが、最初に比べれば家族全員で過ごす日はとても増えていたのです。
ですが、来年から二人の職業柄の関係上重要な仕事が始まるそうで。家を空ける時間が今までより増えることになったからだそうです。
本来なら今までの形を続ければいいのですが、いつまでも一個人の私情を挟むわけにもいかず、また上の印象もよくはないので、お兄さんは悩んだ末に義理の妹であるテイオーを優先することを決意しました。
「再婚した人……まあ俺の母さんなんだが、子供がいてね。これが高校生ぐらいなら俺も特にここまでする必要ないと思っていたんだが、その子はまだ小学生なんだ。家族に一番いてほしい時期でもあるし、何より家で独りぼっちで過ごす寂しさを知っているから余計にね」
「そう……なのか。もう三年目になるのに、私は君のことを全く知らないことにいま気づいたよ」
「自分を責めないでくれルナ。悪いのは俺なんだから」
「君は悪くないよ。むしろ素晴らしい兄だと私は思う。だけどチームはどうするんだ? 解散、ということになるのだろうか?」
この時点で気づけばルドルフだけ(お兄さんはそう思っていた)のチームだったのですが、何故かいるゴールドシップをはじめとする後のトレセン学園のトップチームである『チームリギル』の前身となるメンバーがいました。
「いや、そのことについてはもう学園にも話してあってね。近いうちにサブトレーナーとして東条ハナという女性が来ることになってる。何度か話はしてるから知っているけど、彼女は優秀だしルナ達の肌に合う女性だよ。まあアイツらは無理だろうけど」
「彼女達は君がいるからここにいるだけ、みたいなところがあるからね。……そうか。では、君と過ごせるのもあと一年だけなのか。正直に言って寂しくなる」
「ごめん」
「謝らないでくれ。自分が決めたことなんだから、最後までその意思を貫いてほしい。それにトレーナーを辞めるわけではないんだろ?」
「ああ。理事長や知り合いの先輩からの推薦もあって、しばらくは後進の育成とか地方の査察っていうか視察? みたいな仕事やあとはスカウトなんかもする予定だよ」
お兄さんは地方でも活動していた時期もあり、またその頃から知人を通してURAに改正案などを送っていたこともあって、それが評価されていて次の仕事に付けるようになったようです
「ではまたここにも?」
「かもね。トレセン学園のトレーナーの所属数は日本一でもあるし、実際に要請があれば出向くと思うよ」
「もちろんその時は顔を見せに来てくるんだろ?」
「まあ……邪魔にならない範囲でね」
「邪魔に思うウマ娘などいないさ。君は
「……? まあ兎に角だ。最後までよろしく頼むよ、ルナ」
「こちらこそ最後までよろしく頼むよ。私のトレーナーは、君
そして最後の一年。ルドルフは天皇賞(春)、ジャパンカップ、有馬記念を制し七冠ウマ娘を達成し、その名を歴史に刻みました。
こうして初めての担当ウマ娘であるシンボリルドルフをここまで導いた功績は学園、URA共に評価されつつも、現役を退くことを惜しまれる声が数多くありました。
一部にはただのまぐれ、ウマ娘がすごいだけ、運がよかったなどの声もありましたが、彼がルドルフと一緒に育てたウマ娘や、他のウマ娘達は多大な成績を残していること、また後の『チームリギル』の前身を作り出した実績もあることで、そういった陰口は次第に消えていきました。
これまた余談ですが、お兄さんが辞める話をした際にまたひと悶着あり、同時に彼が学園を去ると同時にチームから消えたウマ娘が数名いたとかいないとか。
「──とまあ、こんな感じでトレーナー時代を過ごしていたわけだ。どうだテイオー。分かりやすいように絵本風にして説明してみたんだが……」
「うん。お兄ちゃんが多才なことはすごーーく分かったよ。絵もかわいいし、丁寧でまるで本当のお話を聞いてるようだったよ。だけどね? これだけは言わせて。……なんでトレーナーだったって教えてくれなかったのさ! それもカイチョーのトレーナーだって!」
この時のボクは複雑だった。怒りもあったし、それと同じくらい別の感情も入り混じっていたからだ。それが何なのか、この時のボクには分からなかったんだ。後になって思えば、それは嫉妬だったんだと思う。カイチョーに対してズルいとか羨ましいって。
「色々と理由はあるんだけど。言ったらお前、絶対にボクのトレーナーになってよって言うだろ?」
「当たり前だよ!」
「あの時、お前がルドルフのようなウマ娘になりたいって言った時に俺もそう思ったよ。だけど、ある日気づいたんだ。俺は絶対にお前のトレーナーになれないって」
「どうしてさ」
「お兄ちゃんはさ、どこまで言ってもお前のお兄ちゃんなんだよ。ウマ娘とトレーナーっていう関係ではなくて、兄と妹の関係のままなんだ。これじゃ公私混同だと思ったし、それじゃあテイオーの夢を叶えることはできない。だから入学するまでの下地は作って、あとはお前のトレーナーになる人に任せたんだ」
お兄ちゃんにそう言われて、ボクはお兄ちゃんの気持ちが分かった。お兄ちゃんは言っていた。常にウマ娘との距離感を大事にしていたって。仮にボクのトレーナーになったとしても、ボクはトレーナーとしてではなく、お兄ちゃんとして接してしまうに違いない。お兄ちゃんが言いたいのはそういうことなんだ。
それでも隠していて欲しくはなかったと思う。
「……色々不満はあるけど、我慢する。代わりに我儘言っていい?」
「いいよ」
「テイオーラーメンが食べたい」
「今からじゃ仕込みに時間がかかるけど、明日でもいいか? 代わりに今日の夕飯はテイオーハンバーグ作ってあげるから」
「……うん」
「じゃあまずは買い物にいかないとな。……一緒にいくか?」
「行く。先に下で待ってて。準備するから」
「わかった」
お兄ちゃんが部屋を出ていくのを確認して、ボクは天井を見上げた。
「はあ……。やっぱりお兄ちゃんの言う通り、無理やり誘うんじゃなかったなぁ」
どうしてお兄ちゃんのトレーナー時代の話を聞いていたのか。それは先日トレセン学園で開かれた感謝祭に、ボクがお兄ちゃんを誘ったからだ。これまでも何度も誘っていたんだけど、お兄ちゃんは何かと理由をつけていけないの一点張り。
だけど今年はライブもあって、それにボクも出るからどうしてもお兄ちゃんに来てほしかった。それがまさかあんなことになるとはその時のボクは思ってもみなかった。
……待てよ。
「もしかしてあの人とかあの人とか……ああもう! 兎に角みんながボクのところに来るのって……!?」
ボクは気づいてしまった。
否。気づいていなかったのはボクだけだったんだ。
ど、どうしよう。みんながお兄ちゃんを見つけてしまった。知ってしまった。ボクのお兄ちゃんが誰かに盗られてしまう……。
ああ、今からでもいい。タイムマシンに乗ってあの時のボクに言いたい。
感謝祭にお兄ちゃんを誘っちゃダメだって。
次はラーメンやな。