霊能探偵笠沙技、今日もインチキ呼ばわりされながら事件を解決する。 作:ソナラ
そして、そのときは来た。
足音が聞こえる。
同時に伴うのは、この世ならざる違和感、霊質。
それがハナビと――そして幼い少女のものであることが、俺にはすぐ判別できた。
振り返った先に、鼓子実ねねが立っている。ハナビが促すと、緊張した様子でこちらに向かってくる。俺が一歩横に退くと、目に見えて京一郎氏が緊張したのが解った。
同時に、こちらへ向かってくるねねも緊張からか動きが硬い。こういうところが似ているのかと、俺は思わず感心してしまった。
二人が向かい合うまでの時間は一分にも満たない。あっという間に近づいて、向かい合って。なのにあまりにも長い時間がそこで流れたように思えた。
いや、流れたのは、二人が出会ってこなかった八年という時間であり、今ではない。
過去が空白に伸し掛かってくる。
二人の緊張が、過去からの隔絶が、俺たちにそんな時間の長さを体感させていた。
ちらり、とハナビに視線を送る。向こうはその光景に思うところがあるのか無いのか、どこか不満そうな顔でこれを眺めている。俺の視線に気がつくとすぐにこちらを向いている場合かと視線を送ってきて、俺はうなずくと向き直った。
『…………』
『…………』
――既に、この場所へやってきたことでねねは若干ながら霊障になっている。といってもあのトンネルから黄泉の国へ向かえば何の問題もない程度で、これくらいなら現世に長く居座っている霊魂なら当然だ。
だから、二人は既にお互いのことが視えている。
じっと視線を向けあって、何度か口を開こうとして、止めている。
互いに、何を口にするべきか迷っているのだろう。
やがて――
『……お父さん、なの?』
恐る恐る、ねねが問いかける。その様子に京一郎氏は更に緊張した様子で固まり、けれど数秒して、大きく息を吐いてから。
『つむぎさんは……立派な子を育てましたね。ごめん、こちらから先に声をかけるべきなのに……はじめまして、ねね』
『……うん、はじめ、まして』
二人は、それでもぎこちなく挨拶を終えた。
互いに不器用な笑顔を浮かべて、握手をする。そこは抱き合ってもいいと思うのだが、この二人はどこか真面目すぎるところがあるようだ。
似ている、というのがありありと解る。
真面目で、不器用で、そしていい人たちなのだ。ねねも京一郎氏も、ここ一ヶ月ほどねねと関わってきて、彼女の人となりは解ってきたつもりだが、
――そこには親子がいた。京一郎氏は、ねねの父親という他にない人だった。
『あのね、あのね。ねね、お父さんみたいになりたかったの』
『私みたいに? ……ははは、あまりおすすめはできないかな。真面目すぎると、それはそれで嫌われてしまうから』
『そんなの関係ないよ! 私が憧れたの! だからなりたかったの!』
――ねねはいい子になりたかった。
常日頃からそう言っていた。父のようになりたいという憧れ、父のようになってほしいという母の願い。それらが一つの方向を向いていたから、ねねは曇らず腐らず、育つことができたのだ。
『頑張ったね、ねね。君はとてもすごい子に育ったんだ。私が保証するよ』
『……うん!』
片膝をついて、京一郎氏がねねの頭を撫でる。
それに顔を輝かせたねねが、勢いよく京一郎氏に飛びつく。それを受け止めて、ゆっくりと京一郎氏は頭をなで続けた。
――強い。そう思う。
『……本当に、立派になった、なぁ!』
彼にとって、こうしていることはあまりにも辛く、悲しいことだろうに。
立派に育ったねねちゃんは、しかしもう生きていない。自分と同じ、霊魂として現世に留まっているにすぎない。
世界は残酷だ。
俺は世界の理だって変えるけど、視えない不幸を救うことはできない。
俺に限らず、誰にとっても。
“視えない”モノを、救うことなんてできやしないんだ。
――そのことを、俺はどうしても痛感せざるにはいられなかった。
でも、
「――――京一郎さん、ねね」
――此処から先は、救える人の物語。
救わなくてはならない、まだ終わらせてはならない、生きている人の救済だ。
一人の女性が、社の入り口に立っていた。
抱き合うねねと京一郎氏を眺める彼女は、その光景に絶句する。それは悲しみでも、嬉しさでもないだろう。彼女の顔は――
鼓子実つむぎ氏の顔は、悲痛に歪んでいた。
それは、自分の中にある後悔。自分のしてきたことへの罪悪感。そして、目の前にもはや取り戻すことのできない過去が立っていることへの絶望に他ならなかった――
===
お母さんには、言いたいことがいっぱいありました。
お母さんは今でも苦しんでいて、私とお父さんがいなくなった後も生きていかなくてはなりません。それはとてもとても大変なことで――私はただでさえお父さんと会うことにも緊張していたのに、お母さんと顔を合わせた時、頭の中が真っ白になってしまったのです。
『――――』
声が出ませんでした。
どれだけ言葉を絞り出そうとしても、言葉が出ません。
こんなはずじゃなかったのに、言いたいことはいっぱいあるはずなのに。この日のためにいろんなことを考えてきたはずなのに。
――私は、何も言えなくなってしまいました。
お父さんと話をするときは、緊張もあったけど不思議と言葉が口から出ました。なぜだろうと思いましたが、今ならすぐに分かります。私がお父さんを知らないからです。
知らないから、伝えたいことは私のことだとはっきりしています。お父さんはそれを聞いてくれたし、私もそれを話せばよかった。
いい子になりたい。ずっと思ってきました。
それはお父さんに憧れたからで、私はいっぱい頑張ったつもりです。それをお父さんに伝えたかった。最初から、お父さんに伝えるべきことは決まっていて、私はそれを実行しただけなのです。
だけど、お母さんのことになると、私は何も言えません。だって私はお母さんのことを知りすぎているから。知っているということは、考えてしまうということ。お母さんはきっと私がいなくなってしまうことを悲しむでしょうし、私がいい子になろうといったことを後悔しているだろうし、そのことを口にすると、お母さんを悲しませてしまう気がしてならなかったのです。
何より、お母さんはこれから長い時間を一人で生きなくてはいけません。遺してしまう私達に、果たしてどんな言葉がかけられるでしょう。
私には――さっぱりわかりませんでした。
お父さんに抱きしめられたまま、お母さんのことを見つめます。
お母さんは普通の人ですが、今ならばお母さんにも私達のことが見えるようで、お母さんは呆然としたまま私達の名前を呼んで、立ち尽くしていました。
私達から声をかけなくては行けない。それは私もお父さんも解っていて、でも、言葉ははっきりと口から出ることはありません。
私がそうであるように、お父さんも言葉が出ないのか。
……そんなはずはありません、お父さんは立派な大人で、ちょっと緊張しいで不器用なところはあるみたいだけど、こういう時に黙ってしまうほど子供ではないはずです。
私みたいに、未熟ではないのです。
でも――お父さんは黙っていました。
黙ってこちらを見ていました。それは、なんというか優しい目で、慈しむような目で、何かを訴えかけるような目でもあります。
私は――そして思い出していました。
こうしてお母さんと再会すると決まった時から、何を話すかという相談は、もっぱら探偵さんとハナビちゃんにしていました。一度だけ“ママ”にしたことはありますが、あの人はなんというか、変な神様なので、よくわかりません。
でも、そう、そうです。
私は最終的に結論を出していたはずなのです。
何をするのか、何をしたいのか、何をすればお母さんの助けになれるのか。色々いっぱいずっとずっと考えて、やっと結論を出したはずなのです。
お父さんは――きっと、私の言葉をまっているのでしょう。私がなにか言いたいことがあるということを察して、それを待っている。
私は、意を決してお父さんの手を離れて一人で立ちます。
言いたいことは、間違いなくありました。
言わなくてはならないことは、すでに決まっているはずでした。
それを、頭が真っ白になってしまった私は、もう考えることすら難しいですが、それでも、私は私のやりたいように、進みたいように進めばいいのです。
ちらりと、ハナビちゃんを見ました。ふん、と鼻を鳴らして視線をそらされます。さっさと進めと言っているかのように。それから探偵さんを見て、穏やかに微笑む、少し珍しい彼を眺めた後。
私はもう一度お母さんを見ました。
とても不安そうにしています。
緊張と後悔で、今もどうにかなってしまいそうなのだと思います。それを思うと、とても心が苦しくなって、私は今にも叫びだしたく鳴ってくる。
だったら、それを言葉にすればいいではないですか。
私の思いを、お母さんへ向ける言葉を、私はただ思うがままに叫ぶのです。
駆け出して、お母さんに向かって駆け出して。
お母さんは驚きながら――それでも手を伸ばしてくれました。
そう、私が言うべき言葉は、最初から決まっています。ずっとずっと、私は遠くに行っていたのです。お母さんの手から離れていたのです。
つまり、私は――
『――ただいま!』
そう、お母さんに言いたかったのです。
===
抱き合う母子と、そこに歩み寄る父親。
ここまで長く、あまりにも長く時間がかかってしまったけれど、停まってしまった鼓子実つむぎ氏の時間はゆっくりと進み始めようとしていた。
そこからの会話を、俺が聞き届ける必要はないだろう。京一郎氏は間違いなくつむぎ氏の夫で、ねねの父なのだから。
少しすれば、三人からは笑顔がこぼれていた。
「……一件落着、か?」
「……そうだな」
ハナビがぽつりと口を開く。
俺たちは三人の様子を遠くから眺めながら、隣り合う。
自然と言葉は口から飛び出してくる。
「思い出すのだ」
「何をだ?」
「初めて、お前さんと出会ったときのこと。お前さんにハナビと呼ばれたときのこと」
――それは、一体何を見て、だろう。
俺とハナビの出会いは、ここまで感動的なものではなかったはずだ。
「――言葉が出なかったのは、ねねと同じだ」
「……ああ」
確かにそうだった。俺が名前を呼んだ時、ハナビは結構な時間沈黙していた。何を言うべきか、そもそも何かを口にするべきなのか、迷っているようだった。
それは――
「……怖かったのだ。お前さんはハナビを見つけてくれた。ハナビに名を与えてくれた。それは見ての通り、ハナビに生きていいと言われているようなものだ」
社に引きこもり、外界との接触を全て断ったハナビは、生きているとは言えない状況だった。それが今ではゲーム三昧で、現世を謳歌している。
俺にとっては嬉しいことだが、ハナビにしてみれば不安しかなかったということか。
「そう不安だった。本当に、ハナビは幸せになっていいのか? ――とな」
「それは――」
俺は、鼓子実一家を見る。
あの一家は、それは不幸な一家だった。これからも、決して最高の幸福とは言えない人生を歩くだろう。それでも、これから先――
「――この世界の誰にも、幸せになる権利はある。それが別の誰かを幸せにするなら、なおさらだ」
――幸せになっちゃいけないなんてことは、絶対にない。
ハナビも同じだ。ハナビは誰かを不幸にしたくなくて、ああして一人孤独であることを選んだのだ。しかし、だからこそ幸せになってもいいと俺は思う。
「ハナビは、嫌か? 幸せになって、それが嫌になったか?」
「……バカを言うな。ハナビはいつだって、今もずっと、世界の誰よりも幸せものだ」
顔を赤らめてそむけたハナビに苦笑して、それから俺はもう一度鼓子実一家をみた。彼らもまた、俺の方を向いていた。
――話が、終わったのだろう。
『探偵さん』
京一郎氏が代表して呼びかけてきた。俺はハナビに視線で合図を送ると、一歩前に出る。三人の視線がこちらに向いて、俺は更に一歩、足を進めた。
『……ありがとうございます、もう十分です。本当に、もったいないくらいに幸せな時間でした』
「いえ……ここまで頑張ったのは貴方ですよ、京一郎さん」
俺が返すと、京一郎氏は顔を綻ばせる。
安堵したようにしながら、その視線は如実に語っていた。――後をお願いします、と。
「……あの、私からもお礼と、謝罪を。大変ご迷惑をおかけしました、探偵さん。そして……二人ともう一度話をさせてくれて、本当に……本当にありがとうございました」
「鼓子実さん……」
今にも泣き出しそうにしながら、必死にそれを堪えてつむぎ氏が言う。
きっと、別れたくはないだろう。それでも、彼女はそれを堪えている。
俺は――
「それじゃあ、京一郎さん」
『……はい』
――この事件に、始末をつけなくてはならない。
京一郎氏の体がゆっくりと消えていく。
それは、一足先に成仏していくように見えるだろう。つむぎ氏もねねも、霊能に関して詳しくはない。だからこれが、霊障の消失であることには気が付かない。
京一郎氏だけが、それを知っている。
だからこそ、二人は泣き出しそうに成りながらそれを見送るのだ。
「――本当に、これでいいんですよね?」
『……後悔は、あります。でも、こうすることが正しいことなら、私は絶対にこれを選びます』
最後の確認。
「――ねねちゃん。一つだけ。ねねちゃんはいい子になりたかったんだよな」
『……うん、そうだよ?』
「じゃあもし、いい子であることが、誰かを傷つけるとしたら、ねねちゃんはどうする?」
『どうって、えっと――』
「……答えを出すまで、猶予はもう少しだけある。だから、よく考えるんだ。その答えを、どうか俺に聞かせてほしい」
――ねねちゃんは、不思議そうにしながらうなずいた。
「であれば、京一郎さん」
『――はい』
そして、俺は――
「――俺は、貴方を消滅させることはできない」
――俺は、彼の願いを否定する。
けど、たしかに京一郎氏は言った。
「貴方の行動は、決して正しいわけじゃない」
こうすることが正しいならば、絶対にそれを選ぶ。
なら、そうでないのなら?
「貴方は、この世界の理を変えかけた。そのことを、俺は無視するべきじゃない」
そして、
――ねねは迷った。
いい子に成りたい。でも、そのせいで誰かを傷つけるなら、
京一郎氏に、いい子の父としての姿を貫かせてしまうなら、ねねは迷う。
だから、俺は俺の方法で始末をつける。
『な――』
「だから貴方には――」
俺はハナビに手で合図をする。
この瞬間、ハナビは三人の視線から外れていた。だから京一郎氏の背後から“出現”しても誰も気が付かない。俺だけが、ハナビの姿が視えている。
「――黄泉の国へ、一足先に送られてもらう!」
――――直後。
背後から出現したハナビは、
京一郎氏の頭へ、術式を起動させるための呪具――猫の被り物を叩きつけるように被せたのだった。