道化英雄譚   作:真黒 空

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書くのが楽しくて過去最長の文字数になりました。
もう半ばまで過ぎてしまっていますが、是非GWのお供にどうぞ。


10:豊穣の女主人

 

「……ん…………んん……」

 

 暗い眠りから意識が回復し、目が覚めるとそこには白い天井があった。

 いつも寝起きしているホームの茶色い天井とは違う事に、まだぼんやりとする頭が違和感を憶えて無意識に起き上がろうとするが、そこでレフィーヤは自らの身体の重さに気付く。

 まるで長距離走でもした後のような身体のダルさが、起き上がる意思を急速に奪い取る。寝起きという事もあり、それに抗う事を早々に放棄する事にしたレフィーヤは首だけを動かして周囲の確認を行う。

 両隣には自分が眠っているのと同じベッドが何台か設置されており、視線を遮るための白いカーテンが手の届く場所にあるが、生憎と自分以外の人がこの部屋にいる様子はないので使う機会はないだろう。

 明らかに人を静養させる事を目的とした内装。わずかに残る消毒液の匂いもあり、ここがどこかの治療施設なのだという事は簡単に察する事ができた。

 なぜこんなところで眠っていたのかと、レフィーヤは意識を失う前の事を思い返し――身体のダルさなど完全に忘れて飛び起きた。

 

「ミノタウロス…………兄さん!」

 

 記憶は兄に抱きかかえられてミノタウロス相手に足止めの魔法を繰り返していたところまで。

 おそらく逃げてる途中で精神疲弊(マインドダウン)に陥り意識を失ってしまったのだろう。

 周りのベッドに兄がいない事を確認し、レフィーヤは急いでベルの安否を確かめるべくベッドから降りようとするが、その前に部屋の扉から見慣れた白髪が覗く。

 

「おおっ、起きたかレフィーヤ!」

「兄さん!」

 

 いつもと変わらない笑顔で近付いてくる兄に、レフィーヤはホッと安堵の息を吐く。

 見たところ怪我をしている様子もなく、元気そのものだ。

 

「良かった。無事だったんですね」

「ああ、運が良かったようだな。なんとか命を拾えた」

 

 笑顔を交換し、互いの無事を喜び合う。

 たとえ一瞬とはいえ、兄の身に何かあったのではと頭をよぎった時間はレフィーヤにとって生きた心地のしないものだった。

 

「あの状況からどうして助かったんですか? 戦ったわけでもなさそうですし、逃げ切れたんですか?」

 

 兄の身体には傷一つないため、ミノタウロスと交戦したわけでない事はすぐに分かった。

 しかしあんなにもしつこかった猛牛相手に無事生還できた理由が思いつかず、レフィーヤは首をかしげる。

 途中兄のせいでふざけた空気になりはしたものの、あの状況は間違いなく絶体絶命と呼べるものであり、5階層の食料庫(パントリー)辺りが自分と兄の死地になっていても何もおかしくはなかった。

 

「それが実は――」

 

 

 

 

 

 兄から自分が気絶した後の経緯を聞いたレフィーヤは、どこか遠い目をしながら静かに息を吐いた。

 

「そうなんですね。お姉様……いえ、アイズさんが助けてくれたんですね」

「レフィーヤ……?」

 

 妹の態度に憂いが含まれているように見え、ベルは気遣うように彼女の名前を呼ぶ。

 しかしレフィーヤは答えなかった。

 俯いて黙り込む妹を心配してベルは何か言葉を掛けようとするが、その前に突然顔を上げたレフィーヤが思ってもみなかった謝罪を口にした。

 

「ごめんなさい兄さん。私がもっと魔法で足止めできたら、そんな危険な事にはならなかったはずなのに……」

 

 悔しそうに眉を寄せながら、レフィーヤは謝罪と共に自らの無力を嘆く。

 もし助けが来なければ、十中八九死んでいた。

 その事実がレフィーヤの胸に暗い影を差す。

 しかしベルはそんな妹の憂いを笑い飛ばした。

 

「ハッハッハ! 何を言うかと思えばそんな事か。ミノタウロス相手にいまの私達が相手になるわけないだろう。それともまさか、勝てる気でいたんですかレフィーヤさん?」

「そういうわけじゃ、ないですけど……」

「お前の魔法は充分、私達を助けてくれたよ。レフィーヤがいなければ今頃私達はあの雄牛の腹の中だ。恥じる事など何もない。むしろ誇るべきだ」

 

 慰めではなく本心からベルは断言する。

 敏捷の【ステイタス】の伸びが良いとはいえベルはまだLv.1であり、足の速さではミノタウロスの方に軍配が上がる。普通に追いかけっこをしていたなら、助けが来るよりも先に追いつかれてしまっていただろう。

 そうならなかったのは精神疲弊(マインドダウン)するまで必死にミノタウロスの足を止めてくれたレフィーヤがいたからだ。

 

「そして負い目を感じるならばお前よりも私の方だろう! 何せそもそもの原因は、お前の忠告も聞かず下層に降りた私の判断のせいなのだからな! まぁ無事に助かった事だし、それはもう水に流そうじゃないか!」

「……分かりました。兄さんの言う通りこの事はもう水に――――流しませんよ! 何をどさくさに紛れてサラッと自分に都合の悪い事を片付けようとしてるんですか! それに関しては充分に反省してください! もしかしたら――いえ、もしかしなくても死んでたかもしれないんですからね!」

「えー……妹よ、さっきまでの落ち込んでいた態度はどこに……」

「それとこれとは話が別です!」

 

 自分の判断ミスをその場のノリで有耶無耶にしようとしたベルだったが、そうは問屋が卸さなかった。

 そのままの流れで「大体兄さんは~」と説教タイムに入る。いつもならふざけて誤魔化すところなのだが、今回ばかりはベルも甘んじてそれを受ける事にした。といっても我慢できずにたびたびふざけてしまい、それで説教の時間が伸びるのはご愛嬌というしかなかったが。

 そして妹による説教が一区切りついたタイミングでベルは立ち上がる。

 

「それじゃあ私は事情をエイナに話してくる。ついでに魔石も換金してくるから、レフィーヤは休んでいてくれ」

 

 レフィーヤをバベルの治療施設に運び、身体の血を洗い流してここに戻ってきたベルは、まだミノタウロスが5階層に現れたという『異常事態(イレギュラー)』の説明をギルドにできていない。おそらくは自分達を助けてくれた【ロキ・ファミリア】が既に自分よりももっと詳しい説明をしている頃だとは思うが、一応事態に遭遇した者としてこちらからも話はしておくべきだろう。

 

「なら私も……」

「いや、ダンジョンでは無理をさせてしまったからな。これくらいは兄に任せて、ゆっくり寝てていいぞ」

「でも……」

 

 普段ならこういうところは聞き分けの良いはずのレフィーヤが食い下がってくる。

 その表情はどこか憂いを含んでおり、ただ報告に付き添いたいから、なんて理由ではない事が付き合いの長いベルには一目で分かった。

 残念ながら悩みの内容までは分からなかったが、おそらくはここ最近気落ちしていた事にも関係があるのだろうと察し、ベルはいつものように笑う。

 

「なぁレフィーヤ。明日はヘスティアがバイト先の打ち上げがあると言っていたし、夜に二人で美味しいものでも食べに行かないか?」

「えっ……?」

 

 突然の提案にレフィーヤが目を丸くする。

 だが自分が突飛な事を口にするなどいまに始まった事ではないとばかりにベルは続けた。

 

「実はオラリオに来た日に知り合った女性がいるんだが、彼女が勤める酒場に食事に行くと約束しているんだ。丁度いい機会だし、生還祝いに豪勢に食事としゃれ込もうじゃないか!」

 

 冒険者になるまでは安定した収入が得られるか不安だったダンジョン探索は、ベルの予想外の成長もあって思った以上に順調であり、それに応じて懐に入ってくるお金もそれなりのものになっている。

 今後装備を新調していく予定なので無駄遣いする余裕はないが、たまの贅沢をするくらいならなんの問題もない。

 

「そうですね……それもいいかもしれません」

 

 兄の気遣いに、レフィーヤも静かに微笑んだ。

 

「じゃあ決まりだ! 楽しみにしていてくれ!」

「はい!」

 

 笑顔を返して、部屋から出て行く兄を見送る。

 そしてベルに言われた通り、身体を休めるために再び横になる。

 しかしベッドに横になったその顔からはさっきまでの笑みが消えており、そこには兄の言いつけを守る明るく元気な妹ではなく、小さく唇を噛み締めて丸まる妖精の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 レフィーヤの体調も戻り、念を取って5階層ではなく4階層でダンジョン探索を終えた二人は、約束通り豊穣の女主人という酒場の前に立っていた。

 

「ここが兄さんの知り合いのお店ですか?」

「ああ! 話に聞いたところによると美人のウェイトレスさんがたくさんいるらしい! 胸が熱くなるネー!」

「クズ兄さん……」

 

 不埒な思考でテンション高く叫ぶベルに、レフィーヤが冷たい眼差しを向ける。

 このまま入店しては絶対に碌な事にはならないと確信したレフィーヤは、人差し指を立てて兄に釘を刺した。

 

「いいですか兄さん。お店に入っても、店員の方を口説いたりなんてしないでくださいよ。社交辞令とはいえ折角誘っていただいたのに、初日で出禁になったら誘ってくださった方にも迷惑が掛かるんですから」

「出禁になる事前提!?」

 

 大袈裟な動作でおどけるベル。

 これ以上は何を言っても変わらないと分かっていたレフィーヤはため息をつき、それを横目にベルはスキップでもしそうなほどルンルン気分で開きっぱなしになっている店の入り口をくぐる。

 

「いらっしゃいませ――あっ、ベルさん!」

 

 入店すぐに、鈍色の髪をした少女が近付いてくる。

 それに応じてベルも手を上げた。

 

「やぁシル! 約束通り夕餉を楽しませてもらいに来た」

「はい、お待ちしてました。いつ来てくれるかって、私ずっとヤキモキしてたんですよ」

「それはすまなかったな。女性を待たせるなど、このベル・クラネル一生の不覚!」

「ふふっ、じゃあその分はいっぱい食べて、お店に貢献してください。そうしたら許してあげます」

「もちろんだ! このお店の食材を全て消費するほど食べてみせよう!」

「そんなに食べられる胃袋もお金もあるわけないじゃないですか……」

 

 ともすればいつもの英雄になるという言葉以上に達成困難な大言壮語をのたまうベルに、レフィーヤは呆れながらツッコむ。

 そこでようやくシルと呼ばれた少女もレフィーヤに気付いたのか、ベルに向かって首をかしげた。

 

「ベルさん、そちらの方は?」

「ああ、妹のレフィーヤだ。レフィーヤ、こちらはシル。私のファン第一号だ!」

「どうも、レフィーヤさん。ベルさんのファン第一号のシル・フローヴァです」

「レフィーヤ・ウィリディスです。……恥ずかしながらベル兄さんの妹です」

 

 ベルの妹である事を恥じた事はないが、調子に乗って一度会った女性を自分のファンと紹介する兄を恥ずかしいと思う心が自己紹介に滲み出る。

 そしてそのままレフィーヤは流れるように頭を下げて謝罪に移った。

 

「兄さんからお話は聞いています。私が目を離した隙に兄がご迷惑をお掛けしてすみませんでした」

「迷惑だなんて、ベルさんには私の方がお世話になったんですよ」

「いいえ、そんな訳はありません! 兄さんがあなたみたいな美人を相手に迷惑を掛けないなんて、天地がひっくり返ってもあり得ませんから!」

「えぇ……」

「レフィーヤさん? それはあまりに兄への信用がなさすぎるんじゃない?」

 

 力強いレフィーヤの断言に引き攣った笑みを浮かべるシルに、盛大に肩を落とすベル。

 そして自己紹介を終えた二人はカウンター席に案内された。

 

「あんた達がシルのお客さんかい? ははっ、冒険者の癖に二人とも可愛い顔してるねえ!」

「おおっ、初めての好感触! やはり私の容姿は可愛いと分類されるべきものだったか!」

「それを武器にしようとしてる時点で、絶対誰にも見向きされないですからね……」

 

 厨房で鍋を振るドワーフの女将に顔立ちを褒められてベルは図に乗るが、隣から呆れ果てたレフィーヤが容赦ない評価を下す。

 しかしそんなものはベルの耳にも女将の耳にも入っていないのか、二人は怒鳴り合うような声量で言葉を交わしていた。

 

「なんでもアタシ達に悲鳴を上げさせるほどの大食漢なんだそうじゃないか! じゃんじゃん料理を出すから、じゃんじゃん金を使ってくれよぉ!」

「なんと、それは私も初耳…………だが心得た! 今日は遠慮なく腹がはち切れるまで食べさせてもらおう!」

「いいねぇ! 冒険者はそうじゃなくっちゃ!」

 

 思わぬところでシルの虚言が明らかになったが、ベルはまるで気にしない。代わりにレフィーヤがチラリと視線を向けると、シルは片目を瞑ってペロッと舌を出した。

 どうやら見た目よりも腹が黒いようだと、レフィーヤはシルの印象を修正する。それでもベルが気にしていない以上は野暮な事は言わなかった。

 

「ミアお母さん、ベルさんの事が気に入ったみたいですね」

「兄さんは後先考えずノリで喋ってるだけのような気もしますけど……」

 

 悪気も気まずさも感じさせないシルに話し掛けられ、レフィーヤは言葉を交わせば交わすほどテンションが高くなっていく兄を見て悟ったような顔をして答えた。

 

「ほぉ! 英雄を目指してるって? あんたみたいなひょろくさいガキがなれるもんなのかい!?」

「ハッハッハ! そう言っていられるのもいまのうちだぞミア母さん! すぐにこのオラリオで私の名を知らぬ者はいなくなる事だろう!」

 

 豪快なドワーフとベルの物怖じしない性格は思った以上に相性が良かったらしく、機嫌良く二人は大声で笑い合う。

 その間に注文していた飲み物が運ばれてきて、ベルはミア母さんとの会話に一段落つけてレフィーヤと向かい合った。

 

「それじゃあ私達の奇跡的な生還を祝って!」

「はい!」

 

 

「「かんぱーい!」」

 

 

 醸造酒(エール)の入ったジョッキとアルヴの聖水が入った杯をぶつけ合う。

 まだ子供ともいえる年齢だが、冒険者にもなって酒の一つも飲めないというのは些か格好悪い。それに前世も含めれば相応の歳なのだから、少しくらいは許されるだろう。

 その点に関しては意外とレフィーヤも寛容で、お酒に呑まれない程度ならと簡単に許可してくれた。しかもそれに加えて、一緒に飲むのにも付き合ってくれている。

 

 

「やはりシルが言っていた通りウェイトレスの女性は綺麗どころばかりだな! 実に心躍る!」

「兄さん、変な視線を向けるのはやめてください! もし叩き出されたら他人のフリしますからね!」

「それはあまりに薄情じゃないですかレフィーヤさん! というか私と一緒に入店した時点で他人というのは無理があるだろう」

「叩き出されるのは兄さんだけのはずなので、私は一切庇わず無視して食事を楽しみます」

「それは他人よりも無関心な気がするんですが!?」

 

 

「それにしてもまさかミノタウロスが上層に上ってくるなんて、そんな事があるんですね」

「そうだな。『異常事態』(イレギュラー)というやつなのだろうが、エイナやミイシャが言っていた通りダンジョンでは何があるか分からないというのが身に染みる出来事だった」

「これからは何かあった時の事も考えて、常に余裕をもっておいた方が良さそうですね。体力にしても精神力(マインド)にしてもアイテムにしても」

「もしまた精神疲弊(マインドダウン)を起こしても私がおぶるから安心して良いぞ、レフィーヤ!」

「私の黒歴史を思い出させないでください! そうならないように考えてダンジョン探索をしようっていま話してるんですよ!」

 

 

「兄さん兄さん、私さっきから気になってたんですが……」

「言いたい事は分かっているぞ妹よ。あの麗しいエルフのウェイトレスの事だろう」

「その言い方には物申したいところですけど……はい、その通りです。あの人、リュールゥさんにそっくりですよね」

「だがリュールゥに比べて愛想が皆無だな。ウェイトレスなのにニコリともしてないぞ」

「なんだかちょっと気難しそうな方ですね。でも仕草が格好良いと思いませんか? 動きにキレがあるというか……」

「それよりも、あれだけ無愛想だときっと笑った時の笑顔は花も恥じらうほどの可愛らしさだろう! リュールゥとはまた違った魅力をビンビンと感じるな!」

「はぁ……クズ兄さん」

 

 

「んんっ! 兄さん、このパスタ凄く美味しいです!」

「ステーキも絶品だ! シルが自信をもって勧めてくれただけはある! ミア母さんサイコー!」

「嬉しい事言ってくれるじゃないか! ほら坊主、もっとじゃんじゃん食べな!」

「もちろんだとも! もっともっと持ってきてくれ! このベル・クラネルに二言はない! 今日は腹がはち切れるまで食べまくるぞ!」

「に、兄さん! あまり無駄遣いしないようにってヘスティア様に必要分以外のお金預けてきたの忘れてないですよね!?」

 

 

 そんな風にして、料理の味の話から今後のダンジョン探索の方針まで、二人は飲み食いしながら話し合う。

 食べて話して、飲んで話して、腹も膨れ酔いも回ってきたところで、不意に一際大きな声が酒場に響き渡った。

 

「ニャー! ご予約のお客様、ご来店にゃ!」

 

 元気の良い猫人(キャットピープル)の少女の声に続いて、十数人規模の団体が入店してくる。

 その一団は種族がてんで統一されていない冒険者の集団で、そこにはベルとレフィーヤが見知った顔もいくつかあった。

 といっても、レフィーヤはともかくベルにとっては一方的に知っている顔というだけで、知り合いではない。

 

「ふふっ、驚きましたか?」

 

 いつの間にか近くにいたシルが、得意気な笑みを浮かべて声を掛けてくる。

 

「【ロキ・ファミリア】はうちのお得意さんなんです。主神のロキ様が私達のお店をいたく気に入ってくださったみたいで」

 

 その声を聞きながら、ベルは再度入店してきた【ロキ・ファミリア】の面々に視線を向ける。

 そこにはあの頃の知り合いと同じ顔がいくつも並んでいた。

 ウェイトレスにリュールゥそっくりのエルフがいる事も含めれば、王都で共に戦った仲間の殆どが揃っている。

 ただそれに感傷を覚えるのは、自分達の身勝手なエゴなのだろう。

 

「おねえさ……アイズさんもいますけど、挨拶に行くのはやめておいた方がいいですよね」

「ああ。折角ファミリア水入らずで食事に来ているというのに、私達が水を差すのは無粋だろう。命を助けられたお礼は、また次の機会にでもするとしよう」

 

 二人は揃って【ロキ・ファミリア】から視線を外して、再び自分達の食事に戻る。

 しかし席がそう離れていない事もあって、【ロキ・ファミリア】の声は意識していなくても聞こえてきた。

 

「よっしゃあ、ダンジョン遠征みんなごくろうさん! 今日は宴や! 飲めぇ!」

 

 おそらく彼らの女神の音頭と共に、騒々しさが増す。

 それを背にしながらベルとレフィーヤも美味しい料理と酒に舌鼓を打つ。

 しかしそれも聞き捨てられない声が聞こえてくるまでだった。

 

「そうだ、アイズ! お前のあの話を聞かせてやれよ!」

「あの話……?」

「あれだって帰る途中で何匹か逃がしたミノタウロス! 最後の一匹、お前が5階層で始末しただろ! そんで、ほれ、あん時いたトマト野郎の!」

 

 身に覚えがあり過ぎる話に思わず二人が視線を向ければ、相当出来上がっているのか顔を真っ赤にした銀髪の狼人(ウェアウルフ)が行儀悪く椅子の上で片足を組んでいた。

 

「ミノタウロスって、17階層で襲い掛かってきて返り討ちにしたら、すぐに集団で逃げ出していった?」

「それそれ! 奇跡みてぇにどんどん上層に上っていきやがってよっ、俺達が泡食って追い掛けて言ったやつ! こっちは帰りの途中で疲れていたってのによ~」

 

 不満そうに言ったかと思えば、狼人(ウェアウルフ)の男はすぐに笑みを戻し続きを話す。

 

「それでよ、いたんだよ。ミノタウロスに追い掛けられてたひょろくせえ冒険者(ガキ)が!」

 

 話の流れと侮辱的な響きに、ムッとレフィーヤが表情を曇らせる。

 だが当のベルは、本日二度目のひょろくさいという評価に自分の身体を呑気に確認していた。

 

「抱腹もんだったぜ、兎みたいに壁際へ追い込まれちまってよぉ! 自棄になったのか精一杯に虚勢張ってミノの野郎にぶつかりに行ったら、その瞬間アイズが細切れにした牛の汚ねえ血を全身に浴びて……真っ赤なトマトになっちまったんだよ! くくくっ、ひーっ、腹痛えぇ……!」

「うわぁ……」

「アイズ、あれ狙ったんだよな? そうだよな? 頼むからそう言ってくれ……!」

「……そんな事、ないです」

 

 狼人(ウェアウルフ)を筆頭に【ロキ・ファミリア】の面々から笑い声が上がる。

 別のテーブルで飲んでいた客達も話が聞こえたのか釣られて出る笑い声を必死に噛み殺していた。

 

「それにだぜ? そのトマト野郎、アイズが声を掛けたら訳わかんない事をいきなりまくし立てて、とんでもねぇスピードでどっか行っちまったんだ! うちのお姫様、助けた相手に逃げられてやんのおっ!」

「……くっ」

「アハハハハハッ! そりゃ傑作やぁー! モンスターにも冒険者にも逃げられちゃうアイズたんマジ萌えー!」

「ふ、ふふっ……ごめんなさい、アイズっ、さすがに我慢できない……!」

「……」

「ああぁん、ほら、そんな怖い目しないの! 可愛い顔が台無しだぞー!」

 

 一際大きな笑い声に包まれる中、無表情ながらに顔を強張らせる金髪の少女にアマゾネスの女性が絡む。

 しかしそれ以上に怖い顔で黙り込んでいるのが、ベルの隣にいる妖精(レフィーヤ)だった。

 ミノタウロスの件の顛末はレフィーヤも担当アドバイザーのミイシャから聞いている。それは彼らがいま言っていた通りのどうしようもない経緯で、レフィーヤだってミノタウロスを怯えさせた【ロキ・ファミリア】が悪いとは思っていない。

 

 ――だが、これは違うだろう。

 

 自分達のせいで起きてしまった事故に巻き込まれた被害者を笑う権利が、どうして彼らにあるというのか。自分達は冗談でもなんでもなく死にかけたのだ。そもそもミノタウロス相手に上層にいる冒険者が太刀打ちできるはずもない。逃げるのは当然の事であり、破れかぶれで立ち向かったのもそれしか生き残る術がなかったからだ。なのに原因である彼らがそれを反省するでもなく、あまつさえ必死に抗おうとした兄を酒の肴にして笑いものにしている事実に、レフィーヤは怒りで身体が震えるのを抑えられなかった。

 

「しかしまぁ、ありゃホントに滑稽だったぜ。恐怖でいかれちまったのか、ミノタウロスの前でヘラヘラ笑ってやがってよお、あのままアイズが割り込まなかったらあのトマト野郎、無様に笑いながら死にやがったんじゃねぇか?」

 

 離れたテーブルに座る妖精(エルフ)の様子になど気付くわけもなく、狼人(ウェアウルフ)の青年は酒の勢いで滑りが良くなった舌でレフィーヤの怒りに油を注ぐ。

 もし死んでいたとしたら、それは誰のせいなのか。そんな事も理解せず、ふざけた冗談を笑いながら口にする。

 

「あんないかれた野郎が俺達と同じ冒険者なんか名乗るんじゃねぇっての。俺達の品位まで下がるっていうかよ、勘弁して欲しいぜ」

 

 兄を見下し侮蔑する言葉に、とうとうレフィーヤの我慢が限界を迎える。

 恩ある狼人(ウェアウルフ)と同じ顔をしていようが許すものか。

 レフィーヤがテーブルを叩き立ち上がろうとした瞬間、酒場全体に届くほどの笑い声を上げてベルが先に席を立った。

 

「ハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

 そのあまりに大きな笑い声に、酒場にいる全員の視線がベルに集まる。

 出鼻をくじかれる形となったレフィーヤも目を丸くして兄を見つめる。

 

「それはすまなかったな! 何せまだ駆け出しなもので右も左も分からないのだ! 多少の無様は見過ごしてほしい!」

「に、兄さん……!?」

「あ?」

 

 注目を集めながら【ロキ・ファミリア】のいるテーブルに近付いていくベルに、レフィーヤも慌てて立ち上がって後を追う。

 一方いきなり話に割って入られた狼人(ウェアウルフ)の青年は、不愉快そうに眉をしかめて不躾な視線をベルにぶつけた。

 

「テメェ……まさかあの時のトマト野郎か? クハハハハ、こりゃ傑作だぜ! 話の主役がこの場にいるとはなあ!」

「登場していなくても話題になってしまうとは、さすが私だ! これは綴るしかない、英雄日誌!」

 

 狼人(ウェアウルフ)の嘲笑などまるで堪えた様子もなく、ベルは唐突に懐から一冊の本と羽ペンを取り出す。

 

「『冒険者になって早々ベル・クラネルは、都市最大派閥の【ロキ・ファミリア】に噂されるほどの頭角を現した』うん、嘘はついてない! 少しくらいの誇張はありだよネ!」

 

 本に何かを書いたかと思えば満足そうに頷くベルを【ロキ・ファミリア】の面々はもちろん、他の客も唖然とした様子で見つめる。

 その中にあって金髪の少女はベルの顔に見覚えがある事に気付いたのか、驚きに目をしばたかせた。

 

「あなたは……」

 

 美女の小さな呟きをベルは聞き逃さなかった。

 本と羽ペンをしまうと、流れるような優雅な動作で膝をついて彼女の手を取る。

 

昨日(さくじつ)は挨拶も早々に立ち去ってしまい申し訳ありませんでした、美しい人。よろしければお礼を言わせていただくためにも、あなたの名前を教えてもらえませんか?」

 

 展開についていけないのか、手を取られた金髪の少女はベルを見つめながら困惑したように眉を寄せた。

 しかし律儀な性格をしているのか、戸惑いながらも拙く自分の名前を告げる。

 

「えっと、アイズ・ヴァレンシュタインです」

「アイズ! 良い名前だ」

 

 少女の名前を聞いたベルは、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。

 レフィーヤから聞いて既に知っていたとはいえ、こういうのは相手から直接聞く事に意味がある。

 

「改めてお礼と感謝を。あなたのおかげで私と妹は命を救われた。ありがとう、アイズ」

 

 アイズの手を取っていない方の腕を胸に当て、ベルは丁寧に頭を下げる。

 この時ばかりは騒がしい酒場から喧騒が消えていた。

 だが次の瞬間にその静寂を破ったのは、やはりというべきかその空気を作った張本人だった。

 

「もし良ければお礼も兼ねて、後日私と一緒に食事でもどうだろう! 是非、私にあなたのエスコートをさせてくれ!」

「え、えーと……」

「待ちやがれテメェ! いきなり出てきて何ふざけた事言ってやがる!」

 

 真面目な感謝から一転、ナンパに舵を切ったベルに戸惑うアイズと、それを許さないとばかりに怒声を上げる狼人(ウェアウルフ)の青年。

 しかしその程度の妨害で怯むベルではなかった。

 

「ふざけてなどいない! 私は至って大真面目だ!」

「なお悪いだろうが! 雑魚のくせに調子乗ってんじゃねえぞこらぁ!」

「生憎と調子に乗る事に関して私の右に出る者はいない! そして調子に乗る私を止められた者もまたいない!」

「何を訳の分からねえ事でマウント取ってやがる! お呼びじゃねえって言ってんだよトマト野郎が!」

「呼ばれなくても現れるのが私だ! よろしく、狼人(ウェアウルフ)のアンチャン!」

「蹴り殺されてえのか!?」

 

 いきなり気安く距離を詰めるベルに狼人(ウェアウルフ)の青年は顔を真っ赤に怒鳴る。

 傍から聞いていると微妙に話が噛み合っていないのが、なんとも滑稽な空気感を形作っていた。

 

「あー……察するに君が、僕達が逃がしたミノタウロスに追われていた冒険者かい?」

 

 そんな二人の会話に割って入ってきたのは、小人族(パルゥム)の青年だった。

 

「ん? 君は……?」

「僕はフィン・ディムナ。こう見えて彼らをまとめる団長を務めている」

「噂に名高い『勇者(ブレイバー)』か! 会えて光栄だ!」

 

 ライ、フィナ、ルゥの話を思い出してベルは瞳を輝かせる。

 現代での英雄と呼ばれるべき第一級冒険者は、ベルにとっても目指すべき憧れの対象だった。

 

「テメェ何を俺を無視して……」

「お主は一旦黙っとれ、ベート」

「ぐぶっ……!」

 

 自分を無視してフィンと話し始めたベルに狼人(ウェアウルフ)の青年が噛みつこうとするが、いい加減見かねたドワーフの老兵が後ろからその顔面をテーブルに叩きつける。

 Lv.6の腕力に抵抗する事はできず、ベートと呼ばれた青年はじたばたと手足を振り回すが、拘束を解く事は叶わないようだった。

 そんなどこかコメディチックな様子を――というよりドワーフの顔を、ベルはマジマジと見つめる。

 

「なんじゃ? 儂の顔に何かついとるか?」

「いや、そういう事ではなくて……聞きたい事があるのだが、いいだろうか?」

「儂にか?」

 

 まだお互いに名乗ってもいないのに質問があると告げるベルに、ドワーフは首をかしげる。

 

「まぁいいが……一体なんじゃ?」

「私が聞きたい事はただ一つ! ――ご年齢は?」

「は?」

 

 威勢よく指を一本立てて脈絡なく年齢を問うベルに、ドワーフの眉が怪訝そうに寄る。

 そんな相手の態度に構う事なく、ベルは顎に手を当てて真面目な顔で拭い去れない疑いを口にする。

 

「その顔でまさか10代とか、そんな事は……」

「あるわけなかろうが。……56じゃ。お主などよりよっぽど長く生きとるわ」

「は、ハハハハ、やはりな! その年を食った老け顔は歴戦の戦士の証だと信じていたぞ!」

「なんじゃか白々しく聞こえるが……いずれにしても、礼儀のなっとらん小僧じゃな」

「すみません……」

 

 呆れたように息を吐くドワーフの呟きに、ベルの後ろについて来ていたレフィーヤが咄嗟に謝る。

 ベルが注目を集めていたためそれまで誰にも彼女の存在には気付いていなかったが、その謝罪によって彼女もまたベルの連れとして存在を認知される。そしてそれは当然レフィーヤと面識がある彼女達も同様だった。

 

「あっ、レフィーヤ……」

 

 ティオナが驚いたように名前を呼び、次いでティオネも目を丸くする。

 レフィーヤは自分の名を口にされた事で二人に目を向けるが、挨拶はせずに硬い表情で小さく目礼だけ行う。

 それでようやく自分達がバカにして笑っていたのが知り合いの兄だと気付いたのか、アマゾネスの姉妹はバツが悪そうに視線を俯かせた。

 一方ベルはドワーフの年齢を聞いて自己完結した後、仕切り直すように腰と胸に手を当てて名乗りを上げる。

 

「改めて、私の名前はベル・クラネル! いずれ英雄になる駆け出しの冒険者であり、命の危機をここにいるアイズに救われてミノタウロスの血を全身に被ったトマト野郎だ!」

『……』

「トマトは好きなのだがまさか自分がトマトになる日が来るとは思ってもみなかった! いやー人生何があるか分からないネ!」

 

 キラーンと、効果音がつきそうなほど清々しい笑みで歯を見せるベルに、誰もがなんと反応していいか分からず黙り込む。

 本気で言っているのかブラックジョークなのか周囲の全員が測りかねる中、そのなんともいえない空気を打ち壊したのは『勇者(ブレイバー)』と呼ばれる小人族(パルゥム)だった。

 

「ベル・クラネル、といったね」

 

 咳払いして注目を集めた後、フィンは友好的な笑みを浮かべる。

 それに応じるベルも、また笑顔を返した。

 

「ああ。親しみを込めてベルと呼んでくれ!」

「ありがとう、じゃあベル。遅くなってしまったが謝罪をさせてほしい。僕達の不手際で君達兄妹を危険な目に遭わせた挙句、恥知らずにも自分達のミスを棚に上げて笑いものにしてしまった。派閥の団長として、心より申し訳なく思う」

「団長……」

 

 派閥を代表して頭を下げる『勇者(ブレイバー)』の姿に、ベートの話を聞いて笑っていた団員達が決まり悪そうに顔を曇らせる。中には原因を作ったベートを睨む者もおり、神妙な空気が酒場に流れた。

 しかし謝罪を受けたベルが一番、そんな空気を望んでいなかった。

 

「いいさ! 私はあなた達に命を救われた。その恩が少しでも返せるというなら、いくらでも酒の肴にしてくれ!」

 

 まるで気にしていないとばかりに、ベルは明るく笑う。事実、ベルは何も気にしていなかった。

 むしろあれだけの侮辱を受けて尚怒りを示さないベルに、謝罪をした【ロキ・ファミリア】の方が面食らっていた。

 

「それに未来の英雄として親しみやすいエピソードの一つでもほしいと思っていたところだ。モンスターに追い回されてその血を全身に浴びたなど、実に私らしく、私ならではの顛末ではないか! これで未来に語り継がれる私の英雄譚は子供にも大人気のものとなるだろう! イェイ☆」

 

 親指と人差し指で顎を挟み、渾身のドヤ顔を決めるベル。

 ついでとばかりにウィンクまでしてみせると、ベルのノリについて行けずまるで珍獣でも見たような態度の団員達を置いてフィンが噴き出すように笑った。

 

「ハハハ、君は随分愉快な人みたいだね」

「ああ、良く言われる! そしてその通りだと私も思う!」

「自分で言わないでください……」

 

 げんなりした様子で後ろからレフィーヤがツッコむ。

 しかし、案の定誰も聞いていなかった。

 一頻り笑ったフィンは一息をつくと、少しだけ顔を引き締め――だが友好的な笑みは崩さないままベルに提案をした。

 

「だがやはり僕らのせいで迷惑を掛けてしまった事には変わりない。もし君が良ければ、謝罪として何か贈り物でもさせてもらいたいのだけど、どうだろうか?」

「いらない――と言いたいところだが、ここで断るのは君の顔を潰す事になってしまいそうだな」

「理解が速くて助かるよ」

「なら贈り物とは違うが、是非お願いしたい事がある!」

 

 まさかイエスとノー以外の返事があるとは思っていなかったのか、少しだけフィンは意外そうな顔をしたが、すぐに頷く。

 

「いいよ。僕らにできる事なら、可能な限りなんとかしよう」

 

 快く首を縦に振ったフィンの目には、わずかに興味が滲んでいた。

 公衆の面前で団長である自分が約束したのだ。それがよほど無茶な願いでない限りは断れない。

 その意味を理解して話の流れを作ったというなら、目の前の少年はとんだ策士だろう。

 しかも贈り物ならばこちらで品物を選べるが、頼み事なら主導権はあちらにある。

 駆け出しの冒険者が都市最大派閥の【ロキ・ファミリア】に頼みたい願いというのはなんなのか、期待と同時に試すような視線を向けるフィンに、全く臆する事なくベルは自らの願いを口にした。

 

「助かる。ではフィン! ――――ここの会計を持ってくれないだろうか?」

「えっ?」

 

 ダンジョンでも滅多に見る事ができない『勇者(ブレイバー)』の呆気に取られた顔が衆目に晒された。

 

「実は調子に乗って注文をしすぎてしまったせいで財布の中身が危ういのだ! 皿洗いでもして許してもらおうと思っていたのだが、フィンが助けてくれるというなら是非もない! どうか奢ってくださいお願いします!」

「クズ兄さん……」

 

 どこまでも情けない事情を赤裸々にまくし立てて流れるように土下座するベル。

 周囲の客達は呆然とそれを見ていたが、唯一兄のクズっぷりを余すところなく知っていたレフィーヤがため息混じりに罵倒を零した。

 

「はは、ハハハハハハハ!」

 

 そんな中で盛大な笑い声を響かせたのは、やはりフィンだった。

 心底愉快そうに満面の笑みで笑声を上げて全身を震わせる。しまいには目元に浮かんできた涙を指で拭って、フィンはまだ声に笑いの名残を留めたままベルの頼みを快諾した。

 

「分かった、そういう事なら君達の会計は僕が持とう。もちろんいままで注文した分だけじゃなく、これから注文した分もだ。遠慮なく好きなだけ頼んでくれ」

「さすがは『勇者(ブレイバー)』! その小柄に見合わぬ太っ腹! 二つ名に恥じない器の大きさだ!」

「そんな褒められ方をしたのは初めてだよ。でも、不思議と悪い気はしないな」

 

 土下座からガッツポーズを掲げて立ち上がったベルが、調子良くフィンへの賞賛を口にする。

 対するフィンも、肩を竦めながら満更でもない様子で笑みを返した。

 

「ミア母さーん! このお店で一番高い料理を頼む! あと麦酒(エール)も追加で!」

「あいよ!」

 

 フィンの言葉通り手を挙げて遠慮せず注文(オーダー)するベル。

 財布の心配がなくなった事で心なしか胃袋にも余裕が生まれている錯覚があった。

 

「いつまでも部外者の私達がいては折角の宴が台無しだろうから、この辺りで失礼させてもらおう」

 

 注文を終えたベルは振り返って、お暇を告げる。

 すっかり場をかき乱してしまったが、【ロキ・ファミリア】は遠征の打ち上げに来ているのだ。これ以上ベルがいては邪魔にしかならないだろう。

 しかしこれだけは忘れてはならないと、ベルは金髪の少女を振り返った。

 

「その前に、良ければ先程の答えを聞かせてもらってもいいだろうか。アイズ」

「えっ……」

 

 話を振られるとは思っていなかったのか、アイズは目を丸くする。

 そこでようやく、そういえば食事に誘われていたのだと気付き、しかしどう答えていいか分からず救いを求めるように視線を頼れる団長(フィン)へと投げた。

 アイズからの救難信号を受け取ったフィンだったが、残念ながら小人族(パルゥム)の英雄が彼女の救世主になる事はなかった。

 

「本来なら他派閥の冒険者との過度な交流は戒めるべきなんだろうけど、今回は事情が事情だからね。君の判断に任せるよ」

 

 救いを求めた手をそっと差し戻され、アイズは捨てられた子犬のような表情を浮かべる。

 視線をベルに戻すと、兎のような真っ直ぐな目が期待に満ちていた。

 子犬と兎の視線が絡み合う。

 

「じゃあ……一回だけなら」

「アイズたん!?」

 

 すぐ傍から主神(ロキ)の悲鳴のような声がアイズにも聞こえるが、もう遅い。

 快い返事をもらったベルは嬉しさを隠しもせず笑うと、すぐに予定の詰めに入った。

 

「ありがたい。なら一日置いて、明後日などはどうだろう? 遠征終わりという事なら、しばらくは余暇があるのではないか?」

「……うん。大丈夫」

「なら決まりだ!」

 

 電光石火で逢引の約束を取りつけ、満足気にベルは何度も頷く。その視界の端では「アイズたんがどこの馬の骨ともしれん奴とデートなんてー!」と貧乳の女神が叫んでいたが、気品あるエルフがそれを諫めていた。

 

「それではさらばだ、【ロキ・ファミリア】の冒険者達よ! この後は私の事など気にせず、むしろ酒の肴にして存分に楽しんでくれ! 私もフィンのお金で盛大に楽しませてもらう!」

「言い方を考えてくださいベル兄さん! すみません【ロキ・ファミリア】のみなさん、お騒がせしました。失礼します!」

 

 笑いながら去って行くベルと、申し訳なさそうに頭を下げてその場を辞す連れのエルフ(レフィーヤ)

 彼らは元々座っていた席には戻らず、鈍色の髪をしたウェイトレスに頼んで【ロキ・ファミリア】のテーブルとは離れた席に移っていた。

 そして彼らがいなくなった【ロキ・ファミリア】のテーブルは、まるで嵐が去った後のような静寂に包まれた。

 

「だー! いい加減手を放しやがれクソジジイ!」

 

 そんな中でいまのいままでずっと顔面をテーブルに抑えつけられていたベートが勢い良く吠える。

 

「おっとすまんすまん。忘れとったわ」

「危うくこっちは窒息するところだったんだぞ! 忘れてたで済むわけねえだろうがジジイ!」

「それよりベート! ベートのせいでレフィーヤに嫌われちゃったかもしれないじゃん! どうしてくれるのさ!」

「知るか! 誰だよレフィーヤってのは! それよかあのトマト野郎どこ行った!」

 

 途端に賑やかになる面々。

 他のメンバーもそれを見て笑ったり囃し立てたりと、宴の様相が戻ってくる。

 それを静かに麦酒(エール)をあおりながら見ていたフィンの横に、付き合いの長いエルフが腰掛けた。

 

「嬉しそうだな、フィン」

「分かるかい? リヴェリア」

 

 リヴェリアが座ったのは、ベートをシメるためにティオネが立った事で空席になっていた席だ。

 自身の内心を見透かすエルフの言葉にフィンはわずかに口角を上げる。

 

「面白い少年だったな。自らを笑いものにされたというのに、それを逆に笑い飛ばすとは。あの歳で中々できる事じゃない」

「彼の器の大きさには感謝しなくちゃね。おかげで僕らは悪役にならずに済んだ。……まさかたかられるとは思ってもみなかったけど」

「なんなら私も半分出してやろうか?」

「遠慮するよ。彼の会計は僕が持つと約束したからね」

 

 冗談交じりの言葉ではあったが、その提案からは彼女もまたあの少年に感謝を抱いていている事が察せられた。

 それもそうだろうとフィンは内心苦笑する。いくら酒の席であったとはいえ、他の客もいる場所でベートの嘲笑はあまりにも目に余った。誇り高いエルフであるリヴェリアが不快に感じたのは当然の事、アイズも気分を害している様子が垣間見え、フィンだってベートがあれ以上暴言を重ねるようなら団長として止めに入っていただろう。それを自分達に先んじて割って入り場をおさめてくれた上に、あれだけの侮辱を受けて怒りもせず、大した謝礼も求めないで水に流してくれたのだ。上に立つ者として好感を抱くのも当然といえる。

 フィンとしても酒代を奢る事で体面上の話はついたが、心持ち的にはベルに対し借りができたと認識していた。

 とはいえ、フィンが上機嫌なのはそれだけの理由でもなかったが。

 

「すっかり最強派閥の団長なんていう立場に慣れてしまっていたからかな、初対面であれだけ気安く接されたのは新鮮だったよ。それに会話のペースが掴めないっていうのも、随分と久しぶりだったしね」

「会計を持ってくれと言われた時のお前の顔は見物だったな。あんな顔は久しく見ていなかった」

「からかわないでおくれよ。もし僕じゃなくて君が彼と話していたら、その顔は君がする事になっていたはずなんだからさ」

 

 薄く笑いながら揶揄するリヴェリアに、フィンは肩を竦める。

 団長という立場上、ベルとの会話を受け持ったのはフィンだったが、この場にフィンがいなければ副団長であるリヴェリアが彼と話す事になっていたはずだ。そうなればいかにリヴェリアであろうと、初見であの少年のペースに呑まれずにいる事は難しかっただろう。交渉の場であったのなら話も変わるが、今回は謝罪する立場だったのだから。

 

「ねぇフィン?」

 

 不意に話し掛けられて振り返ると、そこにはアマゾネスの姉妹が立っていた。

 

「どうしたんだい? ティオナ、ティオネ」

「あの子のところに謝りに行ってもいい? 私達、レフィーヤと知り合いなんだ」

 

 珍しくどこか気落ちしたような、神妙な表情でティオナは問うてくる。

 横にいるティオネも似たような顔をしていた。

 

「レフィーヤというのは、彼の後ろにいたエルフの子の事かな?」

「はい。この前アイズと三人で出掛けてる時に偶然知り合って、話の流れでファミリアに誘ったんです」

「ファミリアに?」

「うん。オラリオに来たばっかりで冒険者になるって言ってたから、丁度いいかと思って。ロキもレフィーヤなら入れてくれるだろうし」

 

 ティオナが付け足した言葉に、ベルの後ろにいた妖精の顔を思い出してフィンも納得する。

 あの容姿であれば我らが主神は二つ返事で入団を許可しただろう。ティオナ達の推薦があれば尚更だ。

 

「じゃあ君達はベルとも面識があったのかい?」

「ううん。レフィーヤとだけ。私達と会った時は逸れてたみたいで、一緒に捜すのを手伝ったんだ」

「結局見つからなかったので、あのヒューマンとは今日初めて会いました。そのせいで私達もあのクソ狼の話につい笑っちゃって……」

 

 後悔を滲ませるティオネの発言に、その背景をフィンも理解する。

 既にフィンとベルの間で話はついているが、直接的ではないとはいえ彼女達がベルをバカにしてしまった事は確かだ。このまま何も話さず別れたのでは確かに遺恨が残ってしまうだろう。

 

「そういう事なら構わないよ。ただあちらも気遣って僕らから離れてくれたようだし、あんまり長話はしないようにね」

「うん、分かった! ありがとー!」

「ありがとうございますっ! 団長!」

 

 笑顔で感謝を告げたアマゾネスの姉妹が、踵を返してベル達の座るテーブルへ向かっていく。

 それを微笑ましく見送っていると、隣で話を聞いていたリヴェリアもまた、彼女達の後ろ姿を眺めながら笑みを零す。

 

「人の縁とは、どこでつながっているか分からないものだな」

「そういう意味では、彼らがティオナの誘いに乗って僕らのファミリアに入っていたら、なんて考えてみるのも面白いかもしれないね」

 

 珍しく益体のない事を口にして、フィンは麦酒(エール)をあおる。

 この日、色んな意味でベル・クラネルの名前は【ロキ・ファミリア】の団員達の記憶に刻まれる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宴が終わり、【ロキ・ファミリア】の面々が酒場を出るとすっかり夜は更けていた。

 悪酔いして足元がおぼつかない団員に節度を守った他の団員が肩を貸し、最も酒癖の悪い主神は二次会がどうとか叫んで無理やり己の眷属に引きずられている。

 それを少し離れたところで見ながら、リヴェリアは疲れたようにため息をつく。

 ロキを止めるのを他の団員達に任せるのは酷かと、進んで貧乏くじを引きに行こうとしたリヴェリアだったが、最初の一歩を踏み出す前に聞き慣れない声に呼び止められた。

 

「あの、リヴェリア様!」

 

 振り返ると、そこには宴の最中で割り込んできたベル・クラネルの連れのエルフが立っていた。

 

「お前は先程の……」

「レフィーヤ・ウィリディスと言います。畏れ多くも、お呼び止めしてしまい申し訳ございません」

 

 自らの名前を名乗って頭を下げる少女。その姿からは滲み出る緊張がありありと伝わってくる。彼女もまた数多くのエルフと同じように王族(ハイエルフ)である自分に対し過度な敬意を抱いている事は明白だった。

 

「そんなに畏まらなくていい。あの少年はいないようだが、私に何か用か?」

 

 レフィーヤと名乗った少女は一人だった。

 話し掛けてきたタイミングを考えるに、おそらく一人で自分を待っていたのだろう。

 

「えっと、不躾なお願いだという事は分かっているのですが……」

 

 言いづらそうに少女は口ごもる。

 しかしすぐに意を決したように眦を吊り上げ、叫ぶように用件を口にした。

 

「お願いですリヴェリア様! 私に魔法を教えてください!」

 

「………………なに?」

 

 予想外の願いに、リヴェリアは理知に満ちたその瞳を少しだけ見開いた。

 





この話でようやく思い描いていたアルゴノゥトらしさを存分に出せたかなと感じました。
今作で私が書きたかったアルゴノゥトはこんな感じなのですが、それが文面から伝わってくれていたなら嬉しいです。
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