いまより15年前。
フィーナはハーフエルフではない、純然なエルフ――レフィーヤ・ウィリディスとしてこの世に生を受けた。
生まれたての記憶があるわけではないが、物心がついた時には自分の前世がどんなものであるかを思い出していたレフィーヤは、すぐにこの時代が自分が生きていた頃とはまるで違う世界になっている事を理解した。
まだ舌足らずな幼い時分でありながらそれに気付く事ができたのも当然で、自分が生きてきた時代にはこんなにも平和を保つエルフの里など、どこに行っても存在しなかった。
それは他の種族の土地にしても同じ事で、森も山も街も魔物によって蹂躙され、まだ魔物の手が伸びていない場所も常に恐怖に包まれ誰もが張り詰めた空気を身に纏っていた。
しかしレフィーヤが生まれたエルフの里はそんなものとは無縁だった。
父も母も魔法は使えるが武器など持った事がなく、里では魔物に対する備えも最低限しかしていない。
何より里には笑顔が飛び交い、いつ魔物に襲われるか分からない緊張した雰囲気などどこにもなかった。
教えられるのではなく、肌で感じ取ってそれを知ったレフィーヤは、この世界が全く別の世界などではなく、自分が生きてきた時代よりも遥かに未来の世界なのだと気付いた。
それに気付いたきっかけは単純だ。
何せレフィーヤが生まれたこのエルフの里の名前が『ウィーシェの森』だったのだから。
その名前の由来に気付かないほど、レフィーヤは薄情な生き方をしていない。
自分が生まれ変わったのが未来の世界だと知ったレフィーヤは、自分と周囲の認識の違いを埋めるためこの時代の常識を学ぶ事から始めた。何よりレフィーヤも、自分達が没した後で世界がどうなったのかを知りたかった。
そして次々と出てくる驚愕の史実に、レフィーヤは目を丸くする事になる。
神の降臨による神時代の始まり、最果ての大穴の封印、『
調べている途中で自分が生きた時代が『古代』と呼ばれる1000年も昔の事だと知り、それと同時に見知った人物が同じく見知った人物によって英雄として語り継がれている事実も知った。語り継いだのは古代三大詩人、ウィーシェとオルナ。語り継がれたのは、『狼帝ユーリス』、『争姫エルシャナ』、『ドワーフの大英雄ガルムーザ』、そして――『始まりの英雄アルゴノゥト』。
喜劇として本にもなっているその英雄譚を読んだ時、レフィーヤは兄も自分と同じようにこの時代に記憶を継いで生を受けている可能性に思い至った。
それは限りなく0に近い可能性。そもそも自分がなぜ前世の記憶を持ったまま生まれ変わったのかも分からないのだ。他の人が同じようになっているかなど分かるはずもなく、もし同じように兄が生まれ変わっていたとしても、全く別の時代に生まれ落ちている可能性の方が遥かに高い。何せ自分達が生きていた時代から1000年もの時が経っているのだ。ほんの少しの誤差で、同じ時代には生きられない。
だがそれでも、自分がこうして生まれ変わった以上、その可能性は0ではない。
ならば、会いに行こう。
レフィーヤは自然とそう決めていた。
世界中を捜し回って、いるともしれない兄を見つけよう。
たとえ死ぬまで見つけられなかったとしても、自分がいるべき場所は兄の隣を置いて他にないのだから。
魔法の訓練をしながら身体の成長を待ち、充分に身体ができ上がるとレフィーヤは生まれ育った里を出た。
目的地に悩む事はなかった。里で過ごす間に外界の情報を調べていたレフィーヤは、
その噂はどう考えても兄の物としか思えないものであり、そして案の定そこへ向かうと、幾分か幼くなっている兄がいた。
兄の姿を見た時、兄の声を聞き、自分と同じように記憶があるのだと確信した時の喜びは、到底言葉では表せないような筆舌尽くしがたいものだった。
それを兄に言えば調子に乗るだろうから、絶対に口にはしないけれど。
でもきっと、兄も同じように思っていてくれたはずだという根拠のない確信もあった。
再会した兄と共にオラリオを目指す事を決め、前世と同じように兄に振り回されながらも、兄を支えて一緒に歩んでいける事をレフィーヤは喜んだ。
だがそれも、兄が英雄としての頭角を現すまでだった。
レアスキル【
それは強力な魔法が使えるアドバンテージなど置き去りにするほどのスピードで、兄は英雄への階段を駆け上がっていく。
これまでのように弱い兄を自分が守るのではない。足を引っ張る自分を兄が守ってくれるという立場の逆転に、レフィーヤは酷く動揺した。
だからだろう。自分でもらしくないと思えるほどの行動力を発揮して、話し掛けるのも烏滸がましい
「お願いですリヴェリア様! 私に魔法を教えてください!」
レフィーヤの不躾ともいえる願いに、それを向けられた
しかしすぐに元の表情に戻り、思案を巡らせるように今度は逆に目を細めた。
「…………レフィーヤ、と言ったな」
「は、はい!」
高貴なる方に名を呼ばれ、レフィーヤの肩が跳ねる。
緊張に息を呑む彼女にエルフの王族はすげなく首を振った。
「生憎だが、私は弟子など取っていない。諦めてくれ」
「そ、そこをなんとかお願いします! どうしても私は強くならないといけないんです!」
拒否の姿勢を見せるリヴェリアにレフィーヤは頭を下げて食い下がる。
元より簡単に受けてもらえるとは思っていない。
邪険にされるのも覚悟の上で、レフィーヤは懸命に言い募る。
「少しで良いんです! 空いてる時間にほんの少し指南していただければ、それ以上は求めません! お礼も私にできる事ならなんでもします!」
大声を出して頭を下げるレフィーヤに、夜が遅いとはいえ周囲を歩く人から注目が集まる。
しかしそれを気にしている余裕などレフィーヤにはなかった。
「どうか……どうかお願いしますっ! リヴェリア様!」
身体が直角になるほど深々と誠意を見せるレフィーヤ。
それをなんともいえない表情で見下ろしながら、リヴェリアは硬質な態度を崩す事はなかった。
「……お前にも何か事情があるようだが、同じファミリアならまだしも他派閥から弟子を取るなど、私個人としてはもちろん【ロキ・ファミリア】の幹部の立場としても受け入れられるものではない。まだ日は浅いとはいえ、お前も冒険者ならば分かるはずだ」
神同士が仲良くしている懇意の【ファミリア】ならまだしも、大抵の【ファミリア】は他の【ファミリア】との過度な交流を避ける。それは無駄な軋轢や弊害を避けるために当然の事で、レフィーヤもその辺りの説明は恩恵を刻まれた日にヘスティアから受けていた。
「っ……分かってます。分かってはいますが……それでも、私は……!」
【ファミリア】の常識を持ち出された事でレフィーヤは言葉に詰まるが、それでも発言を撤回しようとはせず、なんとか説得の言葉を探す。
スカートを握り締め、唇を噛みながら必死になって望みを通そうともがく。その様子に何を見たのか、初めてリヴェリアの方から問いが投げられた。
「どうしてそうまで強くなりたいと願う?」
「えっ?」
「そこまで焦るからには、何かしらの理由があるのだろう? 相手の都合を曲げてまで自らの願いを押し通したいというなら、まずは事情を明かせ」
まるで教え諭すように、透き通ったリヴェリアの声がレフィーヤに道理を説く。
手前勝手な望みを好きに語るのではなく、そこに至る経緯を――思いを打ち明けろと。
何を悩み、どんな道筋を辿り、どれほどの覚悟を以てこの場に立っているのか。
それを明かさずに願いを叫ぶだけでは、答えなど変わりようもないのだと。そんな当たり前の事実を伝える。
「……そう、ですよね……申し訳ありませんでした」
リヴェリアの言いたい事を理解し、レフィーヤは懇願ではなく謝罪の意味で頭を下げた。
思いばかりが先行してしまった事を反省して深呼吸する。
一度頭に上っていた熱をそれで落ち着けると、先程とは違いレフィーヤは静かに語り始めた。
「……酒場でも言っていたように、兄さんは英雄を目指しています」
「兄さん?」
酒場と英雄という単語からベルの事を言っているのは明白だったが、目の前の少女がハーフではない純粋なエルフであったため思わずリヴェリアはその呼称を反復する。
しかしすぐに深掘りする事ではないと思い直し、目線で続きを促した。
「身贔屓に聞こえてしまうかもしれませんけど、兄さんは凄い人なんです。普段はどうしようもないくらいクズでお調子者でバカな事ばっかりするろくでなしですけど、いざという時は頼りになって、何があっても諦めないで、どんな困難も笑顔で乗り越えていく。でもすぐに無茶をするから放っておけなくて……」
思い返せば、自分が魔法を覚えたのも兄と一緒に生きていくためだったとレフィーヤは懐かしさに瞳を細めた。
弱っちいくせに誰彼構わず助けようとする兄を守るために、自分が強くなるしかないと必死に努力したのだ。
「そんな兄さんを、私は少しでも助けてあげたくて……だから兄さんと一緒に冒険者になりました」
別にレフィーヤは英雄になりたいわけでも、冒険者という職業に憧れがあるわけでもない。
レフィーヤが望むのはただ一つ。兄の力になる事。それだけだ。
「でもいまの私じゃ、兄さんを支えられない。兄さんは冒険者になって間もないのに、凄いスピードで成長しています。私なんか、及びもつかないほどの速さで」
もし自分が兄さんと同じくらいの速さで成長できていたら、きっとミノタウロスに追いかけ回された時も、兄を命の危機に晒すような事はなかったはずだ。下層に降りようと提案された時だって、兄の意思を汲んでダンジョン探索を進められたかもしれない。
まだ冒険者になってほんのわずかな時間しか経っていないのに、もう兄は私じゃ手の届かない力を身につけつつある。
「だから、置いていかれたくないと?」
寂しそうに語るエルフの心中を察して、リヴェリアは問う。
成長する兄に置き去りにされるのが怖いから、兄の傍にいられなくなるのが嫌だから、力を求めるのかと。
だからレフィーヤは首を振った。縦ではなく、横に。
「いいえ」
意外そうな顔をするリヴェリアに、苦笑しながらレフィーヤは答える。
「私も置いていかれるんじゃないかって最初は不安に思いました。でもすぐに、そんな心配はいらないんだって気付いたんです」
むしろそうだったら、どれほど良かっただろう。
そんな風に思いながら、レフィーヤは兄という人物を語る。
「だって兄さんは、何があっても私を見捨てない。私を放って一人で先に行っちゃうような人じゃないんです」
暴走して一人で勝手に走り出してしまう事はあっても、いつだって兄は自分が追いつくのを待ってくれた。
立ち止まったり膝をついてしまった時は、手を引いて歩いてくれた。
でも――
「だからこそ、このままじゃいけないって思ったんです」
兄は自分を見捨てない。
力不足を嘆き、置き去りにされる不安に身を震わせながらそれを思い出した時、レフィーヤが抱いたのは恐怖だった。
だってそれは、自分の存在が兄の障害になってしまうという事だから。
前世でそうであったように、兄はきっとこの先多くの壁を乗り越えて、英雄と呼ばれる人物になる。
なのに自分が足を引っ張ってしまえば、その壁を越えられず、兄は英雄への道を昇り詰める事ができないかもしれない。
自分という足手纏いのせいで、あんなにも求めている英雄の称号を捨てる事になるかもしれない。
――そんな事、認められるはずがなかった。
「それはなぜだ?」
静かにリヴェリアが問う。
その視線には試すような色があったが、臆する事なくレフィーヤは答えた。
「私は兄さんの――ベル・クラネルの妹です。血がつながっていなくても、種族が違くても、私の方が年齢が上でも、私はあの人の妹なんです」
胸に手を当てて、レフィーヤは力強く宣言する。
たとえどれだけ時が過ぎようとも、死が二人を分かつ事があっても、それだけは変わらない事実なのだと。
「だから私は、それを誇れる自分でありたい。兄さんが英雄になった時も、胸を張って、誰にも恥じる事なく、兄さんの妹だって誇れる私でいたい。そして兄さんに、誇ってもらえるような妹でありたい」
きっと兄は、自分の成長が兄のそれについていけなくても何も言わない。成長の遅い自分を気遣い、足並みを揃え、一緒に頑張ろうと励ましてくれる。
でもそれではダメなのだ。そんな事のために自分は生まれ育った里を出たのではないのだから。
「力がいるんです」
自分の存在が足枷になってしまうくらいなら、兄の元を去ろう。
そんな考えが頭をよぎったりもした。
でもそんな事をしても意味などないのだ。
たとえ兄に何も言わずひっそりと身を隠しても、絶対に兄は自分を見つけ出す。
それがレフィーヤの意思だろうと関係ない。
前向きではなく後ろ向きで為した決断を、兄は決して認めない。
「私は、あの人の枷になるわけにはいかないから」
ならば、もうレフィーヤにできる事など一つしかなかった。
一人で泣き喚くだけだった私に笑顔をくれた、あの人の力になれるように。
きっとこれからも多くの人を助け、笑顔にして、英雄へと至るあの人のために。
私が兄さんを支えられるくらいに強くなるしかない――!
「だからどうか、お願いしますリヴェリア様! 私に魔法を教えてください!」
それがどれだけ途方もない事でも。
不可能としか思えないくらい困難な道だったとしても。
私は不可能を可能にした『始まりの英雄アルゴノゥト』の妹で、
いずれ英雄になる『冒険者ベル・クラネル』の妹だから。
「あの人の隣に立つために、私はこんなところで足踏みしてるわけにはいかないんです!」
悩んで迷って苦しんで、そうしてようやく出した思いの丈をレフィーヤはぶちまける。
夜半の大通りに、妖精の叫びがこだまする。
遠巻きに二人の様子を窺っていた【ロキ・ファミリア】の面々などは、その迫力に面食らっていた。
「……なるほど。お前の思いは理解した」
レフィーヤの思いを受け止めたリヴェリアが、その気持ちを汲み取るように瞑目しながらゆっくりと頷く。
痛いくらいの沈黙。
リヴェリアが次の言葉を口にするまでの時間が、レフィーヤには途方もなく長く感じた。
「だが先程も言った通り他派閥の者であるお前を弟子に取る事はできない」
その答えに、レフィーヤの顔が色を落としたように暗くなる。
派閥幹部としての自覚と矜持を持つリヴェリアは、どれだけ同情しようが安易にそれを逸脱するような行動を取らなかった。
【ファミリア】というものの壁はレフィーヤが想像した以上に厚く、まだ馴染めていない価値観がこんなところでも立ちはだかって妖精の望みを砕く。
意気消沈なんて言葉では生温いレフィーヤの落ち込みに、それを憐れんだわけでもないのだろうが、リヴェリアは先程の内容とは相反する言葉を口にした。
「しかしミノタウロスの件と今日のベートの件、私達【ロキ・ファミリア】がお前達兄妹に多大な借りを作ってしまったのは事実だ」
「えっ……」
思わぬ切り返しに、驚いたレフィーヤが目を丸くしながらリヴェリアを見つめる。
それに柔和な笑みを返し、リヴェリアは軽い口調で告げる。
「酒場のお代を払ったくらいで、その借りを返せたとは私も思っていない。そもそも、酒代を払ったのはフィンだしな」
冗談交じりの言葉の意味を呑み下すのに、レフィーヤは数秒の時間を要した。
そして理解した途端、暗かった表情がみるみると明るくなる。
「じゃ、じゃあ――」
「明日の昼、私達のホームに来るといい。直接指南してやる事はできないが、私が行っている修練の方法を教えよう。それで強くなれるかは、お前次第だがな」
あくまでも弟子を取るのではなく、修行法を教えるだけだと告げるリヴェリア。
しかしそんなのは些細な事だと言わんばかりに、レフィーヤは満面の笑みで拳を握った。
「ありがとうございますっ! リヴェリア様!」
後ろでまとめた髪が大きく暴れるほどの勢いで頭を下げる。
リヴェリアは微笑ましくそれを見下ろし、何度も何度もお礼を言うレフィーヤを落ち着けと諭す。
そんなやり取りが数分も続き、ようやく頭を上げたレフィーヤにリヴェリアは別れの言葉を告げた。
「ではお前ももう帰るといい。あまり遅いと、あの兄が心配するだろう」
「はい! 明日お伺いしますので、その時はよろしくお願いします!」
笑顔でもう一度頭を下げて、レフィーヤはリヴェリアと別れる。
兄に追いつくための一歩を、ようやく踏み出せた。
そんな確信が、山吹色の妖精の胸を満たしていた。
「れ、レフィーヤ君! 君、昨日と今日の短い間で一体何があったんだい!?」
翌日。約束通りリヴェリアから修行法を教わり、夜にまとめて2日分の【ステイタス】更新をしたレフィーヤは、
レフィーヤ・ウィリディス
LV.1
力:I14→16 耐久:I13→18 器用:I21→25 敏捷:I30→35 魔法:I83→H101
《魔法》
【カラミティ―・フィア】
・
《スキル》
【
・兄のスキルの一部を自己に反映
・早熟する
・渇望が続く限り効果持続
・兄とのステイタス差により効果増減
ベルがメインの話とレフィーヤがメインの話の、あまりの緩急差に書いている自分でも驚きを隠せない今日この頃です。
レフィーヤに成長スキルを発現させるかは悩んだのですが、発現させないと作中でレフィーヤをLv.2に上げる事は実質的に不可能になるため、つける事にしました。
補足を入れておくと、ベルの【
イメージとしてはヘルンの魔法に近い形で、対象者ありきのスキルといった感じですね。
とりあえず話は一旦ここで一区切りとなります。
原作ではここから