予告通り、ダンメモ5周年記念にリューさんの閑話です。
それはまだ、冒険者がダンジョン探索を始めるより早い時間の朝。
営業時間外の豊穣の女主人に訪れる一人の少年がいた。
「ごめんくださーい」
店内に入ると、夜とは雰囲気を一変させたがらんとした空間がベルを出迎える。
そんな中で箒を手にしていた妖精が声に反応して振り返った。
「申し訳ありません。いまはまだ準備中で……おや、クラネルさんでしたか」
「おはようリュー。開店前にすまないな」
丁寧な仕草で来店を断ろうとしたリューだったが、相手がベルだと分かって少し砕けた態度になる。
「おはようございます。どうしたのですか? こんな早い時間から」
「恥ずかしい話なんだが、実は昨日、酔っていたせいか帰りに財布を落としてしまったようなんだ。それでもしかしたら会計を払う時に置いてきたかもと思って訪ねてみたんだが、見ていないだろうか?」
後頭部を掻きながらベルが事情を説明して問い掛けるが、リューはあっさりと首を振る。
「私の記憶の限りでは、そういった忘れ物はなかったかと思います。一応確認してくるので、少し待っていてもらってもいいですか?」
「もちろんだ。面倒を掛けるな」
「この程度、気にしないでください」
店の奥に引っ込んいくリューを見送り、一応ベルは昨日食事した場所や会計のために財布を出した場所をチェックするが、案の定そこには何もなかった。
そんな事をしている内に確認し終えたリューが戻ってくる。
「お待たせしましたクラネルさん。やはり財布の忘れ物はないようです」
「そうか、やはり帰り道で落としたようだな……それが分かっただけでも良かった。ありがとうリュー」
「いえ、力になれずにすみません」
ベルがお礼を言うと、リューは丁寧に軽く頭を下げる。
これで用件は済んだわけだが、すぐにはいさよならでは味気ないと、ベルは話題を振る。
「それにしても、開店は夕方からだろう? いつもこんな時間から働いているのか?」
「私はこのお店で寝起きさせてもらっていますから、掃除は仕事というより日課みたいなものです。それに朝から夜まで働きっぱなしというわけでもないので、心配は無用です」
「そういえばいつか、シルが住み込みをしている者も多いと言っていたな……ちなみにリューはこの後、仕事があったりするのか?」
「この後ですか? 夜は当然店に出ますが、今日は半休のようなものなので掃除が終われば後は買い出しに行くだけですね」
なぜそんな事を聞くのか、という疑問を顔に出しながらも律儀にリューは答えてくれる。
そしてベルはその答えに目を輝かせた。
「なるほど。ならばその買い物に私も付き合おう!」
「……なぜでしょうか?」
脈絡なんてものをぶっちぎった突然の申し出に、リューが困惑に眉根を寄せながら問う。
ベルは親指を立ててウィンクをしながら良い笑顔で答えた。
「それはもちろん、リューみたいな美人さんと買い物デートをしたいからに決まっていたたたたたた!」
「前にも言いましたが、不埒な目的で私やシルに接するのはやめた方が良い。私はいつも、やり過ぎてしまう」
いつもの調子でベルが言い切る前に、リューの持っていた箒の柄が思いきり太ももにめり込む。
もはや刺さっているのではないかという勘違いするほど、どんどん圧力を増していく箒にベルは即座に謝罪に移る。
「ごめんなさいすみません冗談です調子に乗りました! 本当は先輩冒険者リューさんのお話を是非とも聞ければと思った次第で邪な気持ちなんてこれっぽちもありません!」
「なるほど、そういう理由でしたか」
ベルが痛みから逃れるために建前の理由を早口でまくし立てると、あっさりと箒は太ももから離れる。
「つまり荷物持ちをするから冒険者だった頃の話を聞かせてほしいと、そういうわけですね?」
「私としてはリューとの小粋なトークも楽しみたいところだが、平たく言えばその通りだ! 冒険者として先達の話はできる限り聞いておきたい。何せ私の【ファミリア】は、私とレフィーヤしか団員がいないからネ!」
エイナからダンジョンについての話は色々と聞いているものの、やはり実際にダンジョンに潜っていた冒険者の血の通った経験談は知識とは違う重みがある。これから冒険者として名を立てていくつもりのベルにとって、少しでも多く聞いておきたいところだった。
「分かりました。それでは掃除が終わるまで少し待っていていただけますか。そう時間は掛からないので」
「もし良ければ、私も手伝うが?」
「いえ、もう終わるので大丈夫です。適当な席に座っていてください」
そう言ってリューが掃除の続きを始める。
こうして堅物な妖精との初デートの誘いにベルは成功したのだった。
「あなたが冒険者である限り、必ず冒険しなければならない日が来るでしょう。そしてその中でしか、あなたが望むものは手に入らないと思います」
雲一つない青空の下。
食材の買い出しを終え、約束通り冒険者に必要な多くの経験談を聞かせてくれたリューは、そう話を締め括った。
「なるほど。やはり実際に冒険を体験している者の言葉には含蓄があるな」
額面的な事を学ぶだけでは分からなかった冒険者としての心構えや知識を教わり、ベルは珍しく真面目な顔で頷く。
リューの話は新米冒険者であるベルに不足していた多くのものを気付かせてくれた。
それはカサンドラから聞いたダンジョンの体験談よりも踏み込んだもので、エイナの講義だけでは埋まらなかった穴が綺麗に埋まっていくような貴重な話だった。
「しかし身のこなしから只者でないと分かってはいたが、リューは随分と経験豊富なのだな。引退する前はさぞや名の知れた冒険者だったんじゃないか?」
明らかに修羅場を何度も潜り抜けている事を感じさせる経験談に、もしかして引退前は上級冒険者だったんじゃないかとベルは首をかしげる。
その質問にリューはわずかに眉根を寄せた。
「名前ですか……確かに広まってはいるかもしれませんね」
「……?」
どこか自嘲のようなものが含まれている、彼女に似合わない皮肉気な物言いにベルは疑問を覚える。
だがそれについて訊ねる前に、リューは話を続けた。
「ただ実力面で言うなら、私よりも強い者は【ファミリア】の仲間に何人もいました。むしろ私は【ファミリア】への加入が最も遅かったのもあって、様々な面で足りない事が多かったんです」
その言葉にさっきまでの皮肉気な響きはなかった。
それどころかどこか誇らしそうに彼女はわずかに口元を緩める。
「先程クラネルさんに語った話も半分以上は私が【ファミリア】で教わった事の受け売りです。というより、私が得た知識も経験も【ファミリア】に入ってから培ったものなので、ある意味では全て【ファミリア】が私に齎してくれた恩恵だったと言えるかもしれませんね」
嬉しそうな口振りに、彼女が【ファミリア】とその仲間を大切に思ってる事が伝わってくる。
そんな彼女が【ファミリア】から離れ、あの酒場で住み込みで働いている理由が気にならなかったと言えば嘘になるが、ベルは詳しく経緯を訊ねようとは思わなかった。
「そんな大事な知識を私に教えてくれて良かったのか?」
「構いませんよ。別に隠していたわけでもありませんし、私もあなたには生きて帰ってきてほしいですから」
そう言って口角を上げるリューの表情にベルは見惚れる。
それほどに普段表情を変えない彼女の微笑みは綺麗だった。
「それに私が与えたのはあくまでも知識。それを『知恵』に変えられるかは、あなた次第です」
思い出話から指南に話の質が変わり、彼女の声に厳しさが戻る。
冒険者としての心得を説くリューの言葉に自然とベルも表情を固くした。
「知識を『知恵』に……」
「はい。これも受け売りではありますが、冒険者ならば重要な事です。ただがむしゃらに戦うだけでは、ダンジョンが与える過酷に呑み込まれてしまう時がきっと来る。しかし知識が行動に紐づき、応用できるようになれば、そんな窮地も抜け出す事ができるかもしれません」
リューはベルに話をする時、何度もダンジョンでは何が起きるか分からないと繰り返した。
まだ上層しか体験していないベルでも、時折ダンジョンの恐ろしさを感じる時はある。
きっと自分が感じた底知れない恐怖は下層に下るほど大きく凶悪になっていくのだろう。
「大丈夫。あなたとウィリディスさんなら、きっとできます」
不安が顔に出ていたのだろう。
安心させるようにリューはベルの目を見て告げる。
「ああ。ありがとう、リュー」
元気づけるには些か不愛想な表情と声音だったが、それを指摘するような野暮をベルはしなかった。
代わりに思った事を率直に口にする。
「しかし話を聞くに、リューの【ファミリア】の仲間は凄い人達だったのだな。是非とも一度、会って話を聞いてみたいものだ」
「それは……」
なんて事なくベルが望みを口にすると、リューは一瞬苦しげな表情を見せる。
しかしそれはすぐに取り繕われ、元の表情に戻ったリューは何事もなかったかのように答える。
「いえ、そうですね。クラネルさんとは馬が合わなそうなメンバーも数名いますが、あなたならきっと良い関係を築けるでしょう」
その表情の変化を、ベルは見落とさなかった。
リュー自身は気付いていないのだろうが、いまもいつもと変わらないように見えて、どこか表情が寂しげだ。
何が原因かは分からないが、デート相手にそんな顔をさせてしまったベルは反射的に何か言って笑わせなければと、何も考えずに声を上げようとし、ふと目の端にある物を見つける。
「おや?」
ベルが見つけた物、それは露店商が売っている楽器だった。
「これは
思わず足を止めて、楽器を手に取る。
すると隣にいたリューが不思議そうに首をかしげる。
「クラネルさんは楽器の心得があるのですか?」
「昔ちょっとだけな。友人が奏でる音色があまりに美しかったので、真似したくなって少しだけ習ったんだ」
そう言って、ベルは買い物袋を置いて
弾いてみてもいいか訊ねると、露店商は快く許可してくれた。
あの頃のように瞳を閉じ、吟遊詩人の友人が笑いながら教えてくれた指の動きを思い出して、ベルは弦を弾いて記憶の中にある旋律をなぞる。
『♪~~♪~~~♪』
あなたには繊細な旋律は似合わなそうだ、そう言って彼女は素人でも弾ける陽気なメロディを指南してくれた。
それをこの身体になっても指が憶えていた事が、なんだか少し嬉しかった。
「どうだろうか?」
演奏が終わり、ベルは達成感と共にリューに感想を求める。
しかしその反応は芳しくなかった。
「確かに齧ってはいるようですが、正直あまり上手だとは言えませんね」
「ぎゃっふん!」
渾身の演奏を酷評され、ベルは大仰に傷付いたリアクションを取る。
しかしその感想も当然ではあった。ベルの技術は素人に毛が生えた程度のものであり、旋律はなんとか曲となっているものの、お世辞にも他人の耳を喜ばせるレベルには至っていない。手ほどきしてくれた吟遊詩人に感想を求めたとしても、きっと笑って言葉を濁されるか高度な皮肉が返ってきた事だろう。
「ですが音色からクラネルさんの明るさが伝わってくるようで、私は嫌いではありませんよ」
「おおっ! 落としてから上げるとは、リューは中々人の喜ばせ方を知っているな!」
付け加えられたフォローにベルは顔を輝かせる。
それは関係のない第三者が聞いても分かるようなあからさまなおべっかではあったが、ベルは素直に賞賛を喜ぶ。
そして褒められたら図に乗り出すのが、この男の悪癖でもあった。
「良し! では今度はリューが私の音色に合わせて踊ってはくれまいか? そうすれば私の下手くそな
「遠慮します」
「一瞬の迷いもなく!?」
「なぜ私が踊る事になるのですか? それにこんな衆目でダンスなど……私は二度とごめんです」
心底嫌そうに首を振るリュー。
しかし調子に乗ったベルはその程度の拒絶では引き下がらない。
「む~ならば私が踊ろう! 代わりにリューが
「申し訳ありませんが、私に楽器の心得はありません」
「ならばならば、リューも私と共に踊ろうじゃないか!」
「何がならばなんですか? 意味が分からないのですが……」
「意味なんてないサ! ただ楽しければそれでいい! 踊って歌えば自然と笑顔になる。それはとても素敵な事だ!」
理屈になっていない感情を笑顔で言い切り、ベルは
そしてリューの返事も聞かずダンスを始めようと彼女に手を伸ばした。
「さぁ、愉快な舞をここにいるみんなに披露してやろうじゃ――」
「っ――触れるな!」
「ほぇ……」
ベルがダンスのためにリューの手に取った瞬間、その視界が180度回転した。
一体何が起こったのか、それにベルが気付く前に激しい衝撃が頭を襲う。
訳の分からぬまま薄れていく意識が青空を見つけ、『あっ、私は投げられたのか……』そう気付いたと同時に闇に落ちる。
一方、仰向けに倒れて白目を剥いているベルを見て何事かと自分達を取り囲んでくる群衆を前に、リューは手の平で自分の顔を覆う。
「私はいつも……やり過ぎてしまう」
言い訳染みたリューの小さな呟きは喧騒に紛れ、気絶したベルにすら届く事なく消えていった。
「申し訳ありませんでした」
あの後(白目を剥いて気絶した後)、すぐに目を覚ました(強制的に目覚めさせられた)ベルはリューと共に酒場への帰路を歩いていた。
いきなり投げ飛ばした事を謝罪して頭を下げてくるリューに、ベルは気にしないでくれと手を振る。
「いや、私も配慮が足りなかった。エルフは認めた者以外と肌の接触を嫌うというのは分かっていたのに……いつもレフィーヤと一緒にいたせいで、つい忘れてしまっていたな」
頬を掻きながらベルは苦笑する。
元来エルフというのは気難しい性格をしている者が多い。
特に肌の接触は全ての者に当てはまるわけではないが、その種族的習性に縛られる者が大多数だ。
今回の件は自分の不注意が招いた事故といえるだろう。
「そういえばさっき、衆目の前で踊るのは二度とごめんだと言っていたが、もしかして一度目があったのか?」
投げ飛ばされる前に聞いた言葉を思い出してベルが訊ねる。
するとリューはその鋭い指摘に驚いて、目を少しだけ見開いた。
「良く気付きましたね。私が望んだ事ではありませんでしたが、あなたの言う通り友人に手を取られて強引に踊らされた事がありました。彼女は楽しそうでしたが、衆目にあられもない姿を晒してしまったあの時の事を、私は恐らく生涯忘れないでしょう」
当時の事を思い出したのか、恨みがましくも懐かしそうに目を細めるリュー。
その姿からは言葉に反して、決して悪い思い出でなかった事が窺える。
「あなたはその友人とどこか似ている」
と、不意に優しい眼差しをベルに向けてリューはそう言った。
「性格はまるで違いますが、強引で、人の話を聞かずに私を踊らせようとするところなんかは、なんともいえない既視感を覚えます」
眦を下げ、口元を緩ませながらリューはいつかの友の面影をベルに重ねる。
そういえば彼女も人を笑わせるのが上手だったと。
「察するに、その友人もリューと踊ろうとして投げ飛ばされたのか?」
彼女の笑みにつられるようにベルも微笑んで、冗談交じりに問う。
しかしその瞬間、リューは気まずそうに視線を逸らした。
「いえ、その……彼女はいつも私に抱きついてきて、触れられてもあまり気にならなくなっていたので投げ飛ばすような事はありませんでした。できなかった、というのが正確なところかもしれませんが……」
「なんと! ならば私も今度こそ一緒にダンスをできるように、もとい抱きつけるようにリューとの交流を深めなければ……!」
「二度とごめんなので、もし彼女と同じ事をしようとしたならまた投げ飛ばさせていただきます」
良からぬ決意を抱こうとするベルに、リューは先手を打って釘を刺す。
そのまま他愛もない雑談を続けていると、程なくして酒場に辿り着いた。
「名残惜しいが、リューとのデートはこれでおしまいか」
「デートではなく買い出しです」
ベルの軽口を律儀にリューが訂正する。
荷物持ちとして同行していたため持っていた買い物袋を手渡して、ベルは改めて今日のお礼を告げる。
「色々とためになる話をありがとう、リュー。もし良ければ、またこうして聞かせてくれるとありがたい」
「ええ。機会があればいずれ」
ベルの頼みに快くリューは頷く。
その日を心のどこかで少しだけ待ち望む自分がいる事を自覚しながら。
「いつものように食事に来られるのを、この酒場でお待ちしています」
「ああ、近いうちにまた会おう!」
ぶんぶんと手を振って、ベルは去って行く。
その背中を見送りながら、リューは遠い昔の知己との会話を思い出した。
「あなたが好きだった童話の英雄は、もしかするとあんな人だったのでしょうか……」
答えが返ってくる事はなかったが、酒場に入る妖精の口元には柔らかい笑みが浮かんでいた。
アストレア・レコードの書籍化も決定したので、それに合わせて3周年にがっつり寄せた話にさせてもらいました。
個人的にアストレア・レコードで登場したメインキャラはみんな好きで、特にアリーゼはアルゴノゥトに次ぐほど好きなキャラです。
彼女はアルゴノゥトと絡ませてもかなり相性が良さそうな気がしますね。
次回からはまたリリの本編に戻ります。