今話から本作では珍しいシリアスパートに入ります。
それはいつも通りの朝。
中央広場にやってきたベルとレフィーヤは、普段なら先に来て待っているリリが集合場所にいない事に首をかしげた。
「今日は私達の方が早かったようだな」
「珍しいですね。というより、初めてじゃないですか?」
サポーターである自身を冒険者よりも低く見ているリリは、契約相手である二人を待たせないように常に待ち合わせ時刻より早く来ていた。ベルとレフィーヤも遅れないように余裕を持って到着するようにしていたが、それでもリリより先に着いた事は一度もない。
しかし今日に限っては、小さな身体に大きな荷物を背負った可愛らしい姿はどこにも見当たらない。
「どうしたんでしょう? 寝坊ですかね?」
「しっかりしているリリが寝過ごすところはあまり想像できないが……とはいえ、まだ集合時間には早い。待ってみるとしよう」
そう言いながら、二人は近くにリリがいないか周囲を見渡す。
リリは体躯こそ小さいが、背負っているバックパックは巨大なので人の多い広場でも目立つ。いれば見つけられないという事はまずなさそうなものだが、辺りを見てもやはりその姿は発見できない。
「兄さん、あれ」
「ん?」
肩を叩かれて妹が指差した方にベルが視線を移すと、広場の一角にある木陰で何やら言い争っている集団がいた。
男三人と少女一人。そして少女の方は見慣れたバックパックを背負っている。
「リリのようだな。絡まれているのか?」
「分かりません。でも……」
「ああ、すぐに行こう」
何を話しているかまでは距離があって分からなかったが、トラブルなら放っておくわけにはいかない。
ベルとレフィーヤは早足で言い争いの現場へと急ぎ、近付くにつれて声がわずかに聞き取れるようになっていく。
『……いいからっ……寄こせっ!』
『もうっ……ない……ですっ! 本当に……!』
いまにも口だけではなく手が出る争いに発展しそうな雰囲気に、二人はすぐさま飛び込もうとして――
「おい」
その瞬間、ベルは何者かに肩を掴まれた。
振り返るとそこには、見知らぬ冒険者らしき男が立っていた。
「すまない。私はいま忙しい。後にしてくれ」
「いいから聞けよ。あのチビの話だ」
親指でリリのいる木陰を示され、一瞬ベルは判断に迷う。
しかし未だに後ろから聞こえてくる言い争いの声に、即座に決断した。
「レフィーヤ、先に行ってくれ。何かあったらすぐに呼ぶんだ」
「分かりました」
男を警戒しているのかレフィーヤの返事はどこかぎこちないものだったが、それ以上に力強いものだった。
これでもし争いに発展したとしても、レフィーヤがすぐに呼んでくれる。
妹が走っていくのを見送って、ベルは改めて呼び止めてきた冒険者の男と向き合った。
「それで、用件はなんだろう? 先程も言った通り急いでいるので、手短に頼む」
「その前に一つ答えろ。お前、あのチビと組んでんのか?」
ベルの発言を無視して、男が質問をぶつけてくる。
その態度にはリリに対する侮蔑と嫌悪が滲み出ており、それを感じ取ったベルの返答は自然と固いものとなる。
「答える気はない。用があるなら早くしてくれ」
「あ? ――いいから答えろよ。あのサポーターを雇ってんのか?」
ぶっきら棒なベルに、男はあからさまに機嫌を損ねた様子で同じ質問を繰り返す。
しかしそれに付き合う義理はベルにもなかった。
「話があると言ったのはそちらのはずだ。私から何かを話そうとは思わないしその暇もない。答えなければ話す気がないと言うなら、これで失礼する」
「チッ、待てよ。これはお前にとっても良い話なんだぜ?」
背を向けて立ち去ろうとするベルを再度呼び止めて、男は嫌らしく笑う。
眉根を寄せるベルの表情の変化には気付かず、馴れ馴れしく肩を組んで男は小声で目的を明かしてきた。
「お前があいつと組んでるってんなら、俺と協力しろ。ダンジョンでハメてやるんだ」
「なに……?」
「もちろんタダでとは言わねぇよ。報酬は払ってやるし、アレから金を巻き上げたら分け前もくれてやる」
さっきまでの不機嫌な態度はどこへ行ったのか、男は上機嫌に、まるでベルが断らないと確信しているかのような調子で口の滑りを良くする。
「お前はいつもを装ってあのチビとダンジョンに潜ればいい。後は適当に分かれて、あいつを孤立させろ。後は俺がやる。どうって事はねぇ、簡単だろ?」
口の端を目一杯に裂いて男が思いきり笑う。
その笑みは昔、自分を嵌めて殺そうとしたあの王の笑みと良く似ていた。
「あなたは、あの子に何か恨みでもあるのか?」
「恨みか……まぁそうだな。あのチビには返さなきゃならねぇ借りってやつがあるんだよ」
「その借りというのは?」
「なんでお前なんかにそんな事まで話さなきゃなんねぇんだ? お前はただ素直にハイって頷けばいいんだよ。たったそれだけで金が手に入るんだ、美味い話じゃねぇか」
わずかに気分を害したのか、男は掴んだ肩への握力を強める。
しかしその程度で臆するベルではなかった。
「生憎だが、私は金だけで自分の行動を決めようとは思わない。納得のいかない話には協力しかねる」
「おいおい、良く考えろよ。アレはただの
もはや本性を隠そうともせず、非道な言葉を重ねる男。
その人を人とも思っていない発言が、とうとうベルの我慢の限界を超えた。
「どうやら、これ以上はどこまでいっても平行線のようだ」
「あ?」
肩に回された手を払いのけ、男と距離を取る。
不可解そうにする男を真正面に見据えながら、ベルははっきりと告げた。
「何度でも言うが、私はたとえ相手が誰であれ、自分が得をするために他人を騙して陥れようとは思わない。いくら誘われようとも、あなたに協力する事はできない」
「っだと……!」
明確に否を突きつけられ、男は怒りで顔を赤く染めて凄んでくる。
しかしその口からなんらかの脅しが吐き出される前に、ベルは先程の言葉を強く否定した。
「それから私の雇っているサポーターは決して役立たずでも能無しでもない。経験不足な私達兄妹の未熟さを埋めてくれる頼れる仲間だ。いなくなられては困るし、捨てるなんてとんでもない。もし彼女に手を出すつもりなら、私が全力で相手になろう」
「こんのっ、クソガキ……!」
「できれば私も、あなたと争いたくはない。くだらない考えは捨てて、もうあの子には関わらないでくれないか?」
憎々しげにこちらを睨んでくる男の視線を、真っ向から見返す。
いまにも武器を抜きそうなほど一触即発の空気が流れるが、こんな目立つところで争いを始めるほど男も短絡的ではなかったのか、盛大な舌打ちをしながらベルから背を向ける。
「お前、絶対に後悔する事になるぜ」
捨て台詞を残して、男は去って行く。
その姿を険しい顔で見つめていると、後ろから声が掛かった。
「兄さん」
振り返ると、そこにはレフィーヤとリリがこちらを見つめていた。
言い争っていた男達の姿はなく、二人の身体にも怪我をした様子はない。
「おおっ、レフィーヤにリリ。そっちは大丈夫だったか?」
「はい、ご心配お掛けしたようで申し訳ございませんでした。少し絡まれていただけです」
レフィーヤが答える前に、リリが先んじて頭を下げる。
リリに気付かれないようにベルが視線を向けると、レフィーヤは眉間に皺を寄せて首を横に振った。
「それよりベル様の方はどうしたんですか? レフィーヤ様からは突然話し掛けられたと聞いていますが」
頭を上げたリリが探るような視線を向けてくる。
ベルは顎に手を当ててわずかに考え込むと、逆に訊ねた。
「その事で一つリリに聞きたかったんだが、さっきの彼に見覚えはあるか?」
「……いえ、ありません」
記憶を探るような間の後でリリが答える。
その返事にベルは頷くと、神妙な顔で注意を促す。
「そうか。なら気をつけてほしい。彼はダンジョンでリリをハメて金銭を奪うと言っていた」
「!」
「もちろんダンジョンでは私も警戒するし、もし襲われたとしても私とレフィーヤが必ずリリを守る。だが万が一という事もあるだろう、リリも充分に注意してほしい」
「……」
「もし良ければ、今日からしばらくは宿まで送らせてはくれないか? もし彼が地上で襲ってきたとしても、それなら対処できるだろう」
リリの身を案じてベルはそう提案する。
しかし当のリリは何も反応をせず顔を俯かせている。
「リリ?」
名前を呼ぶとリリは勢い良く顔を上げ、何かを誤魔化すように笑った。
「すみません、少し驚いてしまって……」
「無理もない。人から悪意を向けられるというのは、それが見当違いのものであっても不安になるものだ」
自分よりも身体が大きく強い冒険者が襲ってくるかもしれないと聞けば、誰だって恐怖を抱く。
心配げに視線を送るベルだったが、リリは気にしなくても良いとばかりに笑顔を見せた。
「先程の話ですが、そこまでしていただく必要はありません。人目の多い地上で襲ってくるような事はないでしょうし、リリも気をつけるので大丈夫です。ご忠告ありがとうございました」
「だが、それでは何かあった時に……」
「そんなに心配していただけなくても平気ですよ。それに契約外の事でベル様にご迷惑をお掛けするわけにはいきません。こう見えてリリにもサポーターとしてのプライドがありますので」
「……分かった。そこまで言うなら無理にとは言わない。しかし本当に気をつけてくれ」
「はい、もちろんです。人目のないところには近付かないようにしますね」
頑ななリリの態度にベルは渋々引き下がる。
契約外と言われてしまえば、善意を押しつけるわけにもいかなかった。
「それでは行きましょうか。すっかりいつもの時間を過ぎてしまいました。張り切らないと稼ぎが少なくなってしまいますよ?」
そう言ってリリは二人の返事も聞かないまま先導して歩き始める。
しかし二人がついて来てない事を気配で察すると、足を進めながら瞳を伏せて小さく呟く。
「もう、潮時か……」
その呟きはリリの望み通り二人には聞こえなかった。
同時に自分の背中に視線を送る二人の会話も、リリの耳には届かない。
「レフィーヤ、さっきのは……」
「リリさんは誤魔化していましたけど、多分同じファミリアの人だったんじゃないかと思います」
「そうか……」
レフィーヤの答えに、ベルは何かを考え込むかのように顎に手を当てる。
その姿に兄も自分と同じ不安を抱いているのを感じて、レフィーヤは口を開く。
「兄さん、リリさんは――」
「すまない。レフィーヤ」
「えっ?」
自分の言葉を遮っての突然の謝罪に、レフィーヤは目を丸くする。
しかし構わずベルは続けた。
「場合によっては、迷惑を掛ける事になるかもしれない」
申し訳なさそうに眉を下げながらベルが今後の不安を口にする。
兄らしくないその姿にレフィーヤは少しだけ驚き、そしてすぐに吹き出した。
「何を言ってるんですか? 兄さん」
いきなり笑い出した妹にベルは困惑するが、それを無視してレフィーヤは兄の頓珍漢な発言のおかしさを楽しそうに指摘する。
「そんなの、いつもの事じゃないですか」
どこか得意気にレフィーヤが言い切る。
ベルは目をしばたかせ、やがて口元を綻ばせて笑う。
「ああ、そうだったかもしれないな」
妹からの言外の信頼に、申し訳なく思っていたモヤモヤが消えていく。
そして二人は小さな身体には不釣り合いな荷物を背負う少女の背中を追った。
「今日もありがとうございました! ベル様、レフィーヤ様。リリはこれで失礼しますね」
分け前を受け取り、いつも通りの別れの挨拶を口にしたリリは二人に背を向ける。
二人の姿が見えなくなるところまで歩き、すぐに裏路地に入って姿を隠す。
周りに誰もいない事を確認し、フードを被ったままリリは小さく魔法の解呪式を唱えた。
「【響く十二時のお告げ】」
頭の上にあった感覚と腰の尻尾が消える。
そしてすぐにまたリリは魔法の詠唱式を口にした。
「【貴方の
途端にフードのしたのリリの容姿は変化し、
【シンダー・エラ】
それがリリの持つ唯一の魔法の名前だった。
能力は見ての通り、姿を変える事のできる変身魔法。
身体の大きさ自体を変える事はできないが、この魔法を使ってリリは多くの冒険者から金品を騙し取ってきた。
「これでもう、お別れですね」
ダンジョンで隙を見て掠め取ったベルとレフィーヤの財布を片手でお手玉しながら。リリは小さく呟く。
いつものように笑顔で二人と別れたリリだが、あの兄妹とは二度と顔を合わせるつもりはなかった。
ベルがあの男――リリがダンジョンで金品を巻き上げ、そして魔法の瞬間を見られて正体を知られてしまった相手――と話していた事で、これ以上は危険だとリリは見切りをつけたのだ。
このまま一緒にいれば、いつボロが出て正体が露見するか分からない。
あの兄妹はお人好しで実に都合の良い鴨ではあったが、引き際を見失って痛い目を見るのはごめんだった。
「……」
普段ならダンジョンで罠に嵌めた挙句、金目になりそうな武器や貴重なアイテムを掠め取るところだが、生憎ベルとレフィーヤはリリのお眼鏡に叶うものを持ってはいなかった。さらには罠に嵌めるまでもなく隙だらけであり、気付かれずに財布を取るくらいリリからすれば赤子の手をひねるよりも簡単な作業だった。
それでもいつものリリなら、冒険者への恨みから死なない程度の――といっても、運が悪ければ死ぬくらいの――罠に嵌めて別れの挨拶代わりにした事だろう。
リリが冒険者を騙すのは、金品を奪うだけが目的なのではなく、自分を虐げる冒険者への復讐も兼ねているのだから。
しかし今回それをしなかったのは――
「お礼……というには、自分勝手すぎますね」
自嘲するようにリリは暗い笑いを零す。
身を挺してまで自分を助けてくれたベルを陥れるのは、さすがのリリでも良心が咎めた。
自分にまだこんな良識が備わっていたとは失笑ものだが、それでも必要もないのにわざわざ嵌めてやろうなんて気持ちにはどうしてもなれなかった。
「はぁ……」
重たいため息をつき、リリは首を振って意識を切り替える。
もう二度と会う事はないのだ。気にしていても仕方ない。
財布を懐にしまい、リリは誰にも気付かれないよう裏道を通って宿まで戻る。
そこで一旦荷物を置き、換金せずくすねておいたドロップアイテムをいつものバックパックから目立たない子袋へと移し替える。
「こんなものですかね」
仕分け作業が終わり、リリはドロップアイテムを入れた子袋を持って再び宿から出る。
レアモンスターのドロップアイテムはギルドで換金するよりも、売りさばいた方が金になる物も多い。
リリは慣れた足取りで目立たない路地をいくつも経由して行きつけの骨董店を訪れる。
『ノームの
入店して店内を見渡してみると、自分の他に客はいないようだった。
といっても、この店に客が出入りしている事の方が少ない。
たまに自分と同じ
店に足を踏み入れたリリは、店内の商品には目もくれず店主がいるカウンターへと向かう。
そこに今日の収穫を全て取り出し、言葉少なに取引を始める。
「お願いします」
「あいよ」
余計な会話は不要だと言わんばかりのリリの態度に、店主のノームがカウンターに置かれたドロップアイテムを持って店の奥へと引っ込んでいく。
そして帰ってきたノームはリリの満足いく金額を提示し、取引は成立する。
現金ではなく宝石での支払いを手早く懐に収め、リリはすぐに店を出た。
この後は稼ぎを貸金庫に預けて、次の鴨になる標的でも捜しにダンジョンの入り口で品定めでもしに行こう。
なんだか憂鬱に傾きそうになっている自身の気分を振り払うため、リリは前向きにそう考える。
頭の中で予定を決めてリリは歩き出すが、その足は横手からいきなり現れた腕に首元の襟を掴まれた事で止まる事を余儀なくされた。
「やっぱり来やがったな」
「えっ……ぎゃ!」
突然の事態に振り返ろうとした瞬間、腹に重い衝撃を受けてリリは吹き飛ぶ。
日々ダンジョンに潜っているとはいえ、冒険者としての才がこれっぽっちもないリリは受け身を取る事もできず、地面を転がって路地裏にあったゴミ箱に叩きつけられた。
(な、何がっ……?)
いままで何度も受けてきた痛みが襲い掛かってくるのを感じながら、リリはそれに耐えて地面に肘をつき四つん這いの態勢になる。
渾身の力で腹を殴られた事だけは理解し、なんとか視線を上げると自分を殴った人物がそこには立っていた。
「嬉しいねぇ、大当たりじゃねぇか。念には念を、コツコツとテメェに盗まれたアイテムを探した甲斐があったってもんだ」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたヒューマンの冒険者は、今朝ベルと話していた男。リリの元雇い主だった。
つまりはリリが罠に嵌め、盗みを働いた人物。
使い捨てのサポーターに一杯食わされ、その報復に怒りを燃やす――リリがいま最も会ってはならない相手だった。
「あの白髪のガキがこっちに協力してれば話も早かったんだけどな。ま、無事に店も見つかって、こうしてお前に会えたんだから結果オーライってとこか。これで金は俺の独り占めだ」
心底愉快とばかりに男は嗤う。
それでようやく、リリは事情を理解する。
おそらくこの男はアイテムをリリに盗まれてからというもの、リリを探すのと同時に、自分のアイテムが売られたアイテム屋を探していたのだろう。
本来なら広いオラリオで都合良く自分が盗まれた盗品が売られている店など見つけられるはずはないのだが、運の悪い事にリリが魔法を解く瞬間を見られた現場はあの店のすぐ近くだ。男がその近辺の店から調べたのなら、見つけるのはさして難しくはなかっただろう。
ぶつけられる言葉からその事に気付いたリリは、ギリっと唇を噛む。
なぜもっと警戒しなかったのか。店を変える事には抵抗があったにしても、せめて盗品を捌くのはほとぼりが冷めてからにしていれば、こんな事にはならなかったのに。
「それじゃあ金をいただく前に、詫びを入れてもらうぜぇ? こんの糞パルゥムがっ!」
「ふぎっ!」
リリが立ち上がる前に、その胴体を思いきり蹴り飛ばされる。
再び地面を転がって、リリはまるで雑巾のように身体で地面を擦る。
「おっと、そうだ。ひとまずその魔法を解いてもらおうか。いまのままじゃ、別人を殴ってるみたいで腹の虫が収まらないからなぁ」
「ひっ……!」
ギロリと殺気混じりに睨まれ、リリの身体が反射的に震える。
男の言葉に従ったところで自分に対する暴力に容赦が与えられるとは到底思えないのに、リリは恐怖から男の言う通りに魔法の解呪式を唱えてしまう。
「【響く十二時のお告げ】」
リリの姿が、少年の姿から元の少女の姿へと変化する。
それを眺めていた男は、見覚えのある少女の顔に満足気な笑みを浮かべた。
「そうだよ。その面だ。その糞生意気な面に一発入れなきゃ、俺の気が済まねぇんだよ!」
リリの胸倉を掴んで無理やり立たせて、男は拳を振りかぶる。
反射的にリリは両手で顔を庇い、目をきつく閉じながら思う。
なぜリリがこんな目に遭わなければならないのか、と。
悪いのは、冒険者ではないか。
冒険者が初めから正当な報酬を払って理不尽な扱いなどしてこなければ、自分は盗みなど働く事はなかったのだ。
サポーターだからと馬車馬のようこき使った挙句、訳の分からないいちゃもんをつけてただ働きを強制し、暴力を振るって酒の肴にする。
そんな奴らしかいなかったから、リリは盗みに手を染めるしかなかったのだ。
自分は悪くない。悪いのは全て冒険者で、自分のような者からしっぺ返しを食らうのも自業自得でしかない。
(でも……)
リリの脳裏に、バカみたいな笑みを浮かべた白髪の少年と山吹色のエルフの姿が浮かび上がる。
あの二人だけは、自分を虐げようとはしなかった。
それどころか、どんなに立場の違いを説いても対等に接してくる事を止めようとはしなかった。
そしてそんな二人から、自分は金品を騙し取った。
ならこんな状況も、目の前の冒険者と同じく自業自得の結果でしかないのかもしれない。
自分を助けてくれた相手を陥れた、最低な
そう考えれば、こんな仕打ちにも少しは納得できる気がした。
(ベル様。レフィーヤ様。……ごめんなさい)
迫りくる拳と、それに伴う痛みを覚悟して、リリは心の中で自分を仲間だと言ってくれた二人に謝る。
その謝罪に応えるように、聞き慣れた声が人気のなかった路地裏に響き渡った。
「やめろ!」
突然の制止の声に、リリを殴ろうとしていた冒険者が拳を止めて振り返る。
予想外の事態にリリも固く閉じた瞼を開いて、この状況に割って入ってきた人物を見た。
「そんな、どうして……」
白色の髪に、
彼女が裏切ったはずの少年が決然とした面持ちでそこに立っていた。
「テメェ……」
「言ったはずだ。もし彼女に手を出すつもりなら、私が全力で相手になると」
憎々しげに睨みつけてくる男の視線を真っ向から見返し、少年は欠片も臆する事なく一歩を踏み出す。
「リリを離せ。彼女は私の、かけがえのない仲間だ」
もう二度とリリが会うはずのなかった少年――ベル・クラネルは、彼女が一度として他人と築いた事のない関係を口にして剣を握る。
それはまるで、英雄譚の一幕のような光景だったと、柄にもなくリリはそう思った。
個人的にアルゴノゥトは日常回よりシリアス回の方が書きやすいという稀有なキャラクターです。