道化英雄譚   作:真黒 空

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22:笑顔の意味

 

 ホームにいるヘスティアとレフィーヤにリリを預け、宣言通りベルは彼女を助けるために行動を開始した。

 話を聞いた限り、リリが盗みに手を染めるほどに追い詰められた原因は【ファミリア】の体制に問題がある。

 ならばまず話すべきは主神であるソーマだろう。

 リリから聞いたところによると、神ソーマは外出など殆どせず【ファミリア】のホームか自前の酒蔵にいる事が大半らしい。そして神酒を求めて金稼ぎに傾倒する派閥事情もあり、両方に万全な警備を敷く事は叶わず、ホームはほったらかしに酒蔵の方の警備を厚くしているそうだ。

 ベルからすれば優先する方が逆なんじゃないかとも思うが、リリがホームではなく宿で寝泊まりしている事情を考えれば、そこには部外者の自分では知り得ないなんらかの理由があるのかもしれない。

 とにかく重要なのは、警備が酒蔵に偏っているためホームはがら空きという事実だ。

 ソーマの所在が分からない現状、彼に会うためにはひとまずはホームか酒蔵のどちらかに行くしかないが、いきなり主神に会わせろと部外者が訪ねて行っても門前払いが関の山だろう。

 

「となれば、やはりここは忍び込むしかないか」

 

【ソーマ・ファミリア】のホームを遠くから眺めながら、不穏な一言をベルは呟く。

 見たところ、リリの話していた通り警備は殆どいない。外壁も『神の恩恵(ファルナ)』を授かっているベルならば充分に乗り越える事ができる高さだ。

 

「今世では使う機会こそなかったが、腕は(なま)っていない。鍛え抜かれた我が隠密術をいまこそ発揮する時だ!」

 

 一人であろうとふざけたテンションで至って真面目に言い切ったベルは、早速外壁をよじ登って【ソーマ・ファミリア】のホームへと侵入する。

 前世で覗きのために培った技術を最大限に活用し、そのまま誰にも気付かれずに建物の構造を把握していく。

 

(もう日が沈んでいるというのに、建物の規模に反して人の気配が少なすぎる)

 

 窓から覗いた様子や物音から建物内の気配を感じ取ろうとするベルだが、ここが【ファミリア】のホームだと思えないほど中は静まり返っていた。これならまだ、自分達のホームである廃教会の方が騒がしい。

 ベルは首を捻りながら、裏口と思われる扉から建物の中へと入る。

 しかしやはり、人の気配は殆どなかった。

 全くないわけではなく、所々から話し声や物音は聞こえるが、夕食時でもあるこの時間であればもっと賑わっていて然るべきだろう。

 

(人が少なければ見つかる可能性は減るのだから、それは都合が良いのだが……)

 

 気配を消し、建物の中を動き回りながらベルは眉をひそめる。

 拭い切れない違和感に胸の辺りがモヤモヤする。

 それらを無理やり抑え込んで、建物の散策に集中した。

 主神のソーマはホームにいてもその殆どの時間を酒の製造に当てており、自室にいる事すら稀だとリリは話していた。となれば酒の製造部屋さえ見つけてしまえば、ソーマがこのホームにいるかどうかは分かるだろう。

 

(しかし、ひとまず向かうべきはあそこか……)

 

 外から観察した時に見つけた一室に当たりをつけ、ベルは階段を上る。

 足音を立てないように気をつけて、人の気配がない隙をついて一気に駆け上がる。

 そして辿り着いた部屋の前で、中から物音がしない事を確認してこっそり忍び込む。

 予想通り、部屋の中には誰もいなかった。

 部屋の持ち主は内装に頓着がないのか、テーブルや床に書き物やベルには良く分からない植物の鉢が無造作に放置されている。

 その中の一つに見覚えはあるが読めない文字を見つけて、ベルは自分の予想が的中していた事を知る。

 

「構造的に主神の部屋にするならここだと思ったが、やはり当たりだったようだな」

 

神聖文字(ヒエログリフ)】で書かれたメモのような何か。下界の人間でこの文字を解する者は滅多にいない。つまり十中八九、この部屋の主は神ソーマで間違いないだろう。

 ベルは部屋を見渡し、いまからしようとしている事に一抹の罪悪感を覚えながら、それでも意を決して首を大きく縦に振る。

 

「後でいくらでも謝るので、どうか許していただきたい」

 

 目に見えぬ誰かに――それこそ神に言い訳するようにベルは両手を合わせ、部屋の中を荒らし始めた。

 といっても、触れる物は決して乱暴に扱わず、位置も動かさないようにどかした後で必ず元にあった場所に戻す。

 目当てのものはいくつかあった。

 そのどれもが部外者であるベルが見るべきものではなかったが、不法侵入をしている時点で綺麗事など言ってはいられない。ベルは黙々と神の私室に不敬を働く。

 家探(やさが)しを焦る必要はない。主神がいない部屋を訪れるような眷属はいないだろうし、元より神ソーマはこの部屋にいる事自体が稀なのだ。仮に誰かが入ってくるならそれは主神であるソーマの可能性が高く、ベルの目的はソーマと話す事である。余計な手間が省ける分、帰ってきてくれた方が都合が良いとさえいえた。

 

「あった。これだ」

 

 部屋に入ってから20分ほど経過してやっと、ベルは目的の一つを見つける。

 それはホームの見取り図だった。引き出しの奥で埃を被っていた羊皮紙には、詳細にこの建物の構造が描かれている。

 

「良し、ここがこの部屋だな。とすると、酒の製造部屋は離れていない。同じ階か」

 

 見取り図から部屋の配置を把握し、ベルはついていると頷く。

 他にも知っておきたい情報はあったが、何よりも優先するべきは神ソーマと話す事だ。そろそろ罪悪感が限界に近い事もあり、この辺りで家探しは終わりにするとしよう。

 念のためホームの見取り図を懐にしまい、同じ場所にしまわれていた酒蔵の方の見取り図もついでに拝借しておく。

 もしソーマがホームにいなかった場合、次は酒蔵に不法侵入する事になるためだ。

 こういう事をしていると、自分もリリと同じ盗人になったような気がしてくる。

 彼女もこんな罪悪感を抱えていたのかと苦々しく思いながら、全部終わったら返しに来る事を心に決めてベルは部屋を出る。

 幸い廊下には誰もいなかった。

 足早にこっそりと移動し、目的の部屋の前へと辿り着く。

 部屋の中には確かな人の気配があった。

 ベルはわずかに迷い、部屋の扉を数度ノックする。

 

「失礼する」

 

 不法侵入している身で失礼も何もないが、それでも言わずにはおれず、ベルは唾を呑み込みながら扉を開いた。

 そこに確かに、ソーマはいた。

 作業机の上で乳鉢を用いて何種類もの植物を混和させており、こちらには目も向けようともしない。

 もしかしたら突然入ってきたベルに気付いてすらいないのかもしれない。

 見ただけで分かる職人気質な背中が、目の前の作業以外の全てを拒絶していた。

 

「神ソーマ。まずは突然の訪問を謝罪する。私の名前はベル・クラネル。どうか私の話を聞いてほしい」

 

 神への敬意を持って、ベルはいつものふざけた口調を慎んで語り掛ける。

 ソーマはチラリと振り返ってベルを見たが、それも一瞬の事で無視してすぐに作業に戻ってしまう。

 

「私のような若輩がいきなり何をとお思いだろう。しかしこれはあなたの眷属、リリルカ・アーデの話だ。どうか耳を傾けてほしい」

「雑事は全て……ザニスに任せている。話なら奴にしろ」

 

 頭を下げるベルをもはや一瞥すらせず、ソーマは無関心にそれだけ告げる。

 己の眷属の話を雑事と言い切る神に、思わずベルの眉根がわずかに寄る。

 しかしその感情を口に出す事なくベルは言い募った。

 

「私の話はあなたの【ファミリア】に関する事。ならばそれを真っ先に話すべきは、主神であるあなたをおいて他にはいない」

「どうでもいい」

 

 誠実に言葉を吐き出すベルに、まるで興味を示さずソーマは話し合いを拒絶する。

 そのあまりにぞんざいな態度と返答に、ベルは怒る前に困惑が先立った。

 

「どうでもいいだと? 何を言っている? あなたがその手で恩恵を与えた、眷属の話だというのに」

 

 およそ神が口にするのに相応しくない言葉。

 信じられない思いでベルが真意を問うと、ソーマはほとほと面倒そうに口を開いた。

 

「簡単に……酒に溺れる子供達の話を聞く事に、なんの意味がある?」

「――!」

 

 答えになっていない、血の通わない問い返しにベルは口を半開きに言葉を失う。

 リリは言っていた。主神であるソーマは派閥の事になど関心がなく、その全てを団長に丸投げしているのだと。

 そのせいで団長は好き放題に後ろ暗い事にも手を染めており、リリも脱退のために多額のお金を集めるしかなかったのだと。

 

「まさか、それが理由なのか? あなたが眷属を顧みようとしないのは……?」

 

 愕然と声を震わせながら、ベルは問う。

 リリを狂わせたという『神酒』。それを飲んで獣に落ちた己の子供達の姿を見て、ソーマは下界の子供達に()()()をつけた?

 派閥の運営を丸投げし、趣味にだけ没頭し、愚かな子供には求められた『神酒』の報酬だけを恵んで。

 

「酒に溺れる子供達の声は……薄っぺらい」

 

 ベルの推測を肯定するように、ソーマは淡々と言い切る。

 そこにはなんの感情も込められていなかった。

 ソーマは問答すら面倒になったのか、立ち上がって棚から白い酒瓶を取り出す。

 そして杯に中身を注ぐと、ベルにそれを差し出した。

 

「これを飲んで、まだ話がしたいと言えたなら、耳を貸そう」

「っ!」

 

 それが何か、ベルには言われなくとも理解ができた。

 見た事はない。飲んだ事もない。だが確信できる。

 これは、『神酒』だ。

 リリを狂わせ、多くの子供達を獣に落としたという、酒の神が作り出した至高の飲み物。

 眩暈を催すような甘く涼しい芳香に、ゴクリと、ベルの喉が大きく鳴った。

 

「……私がこれを飲めば、あなたは話を聞いてくれるのだな?」

 

 ソーマは答えない。

 ただ無言でベルに杯を差し出し続ける。

 息を呑み、震える手でベルはそれを受け取った。

 透き通る酒の水面に、己の顔が映る。

 ただの一滴でも口にしてしまえば、自分もリリが言っていたような獣に落ちてしまうかもしれない。

『神酒』の事以外は何も考えられず、それを得るために他人を蹴落としてでも金を求めるような、そんな()()に。

 呼吸が乱れる。汗が滲む。

 あの恐ろしい猛牛でも一度は抗う事ができずに屈した、神の作りし一品。

 

 ――その魔力に、私は抗えるのか?

 

 飲まなければ。

 ここで引いてしまえば、ソーマは決して話を聞こうとはしないだろう。

 リリを助けるために、なんとしてもベルはこの酒を飲み下さなければならない。

 覚悟を決め、ベルは杯に口を寄せる。

 そして一気にその中身を呷った。

 

「――――――」

 

 瞬間、酩酊する。

 まるで天上にでも昇ったかのような幸福感。 

 この世にこんなにも美味しいものがあったのかと、感動が留まる事を知らずに押し寄せる。

 いままで口にしたものが全てゴミに思えるほどの味わい。

 杯がベルの手から零れ落ち、床に転がる。

 もはやそれにすら気付かず、ベルの全てが『神酒』に塗り潰されていく。

 

 ――あぁ、ほしい…………欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい!

 

 口の中に広がる極上の感覚に思考を埋め尽される。

 抵抗する意思どころか、抵抗するという発想すら出て来ない根源的な欲求がベルを突き動かそうとする。

 意思も、夢も、自分すらも、塗り潰していく『神酒』の魔力にベルが虜になってしまう直前。

 決して忘れられぬほど焼きついた、あの時の少女の笑顔がベルの脳裏にフラッシュバックする。

 

『惨めで汚い最低なパルゥムのリリですけど……それでもまだ、リリは人間でいたいから』

 

 笑っていた。

 涙を浮かべる事もなく、リリはいつものように笑っていた。

 ベルが決して許せない笑顔で。

 

「……けるな」

 

 ベルの唇から、堪え切れない言葉が零れ出る。

 それを聞いたソーマは怪訝に眉を寄せ、そしてすぐに信じられないものでも見たかのように目を瞠った。

 

「ふざけるな! こんなものを、あなたは年端もいかない子供に飲ませたのか!」

 

 激情のままに、ソーマの胸倉を掴んでベルが叫ぶ。

 それは普段のベルなら決してしないであろう不敬だった。

 しかし『神酒』による酔いもあいまって怒りを身の内に留められず、ベルはソーマの身体を乱暴に揺さぶりながら吠えた。

 

「何が酒に溺れる子供達の声は薄っぺらいだ! ならばあなたは美神の魅了に抗えるのか? 武神との立ち合いで一本取れるのか?」

「――――」

「酒の神ソーマ! あなたの酒は人を狂わせる! そんな事を製作者であるあなたがなぜ理解していないのだ!」

 

 ソーマはベルの声が聞こえているのかいないのか、ただ呆然と目を見開いている。

 その反応すら苛立たしく、悔しく、ベルは胸倉を掴む手にさらなる力を込める。

 酒を飲めば耳を貸すと言ったのだ。なら存分に聞いてもらおう。言わせてもらおう。耳を塞ぐ事など、絶対にさせるものか。

 ソーマが口にした言葉は、ベルにとって到底許せるものではない。

 

「欲望に流される意思に価値はないのか? あなたの神酒に心を狂わされ、もう二度と酒に溺れる獣になりたくないと泣く少女の涙は偽物か? 親から当たり前の愛情を受ける事もできず、一人で必死に不幸と戦ってきた女の子の人生は、酒一つに歪められる程度の些細なものでしかないと、あなたはそう言うのか!? 神ソーマよ!」

 

 もはや自分が不法侵入している事も忘れて、ベルは建物全体に響くような大声で問い質す。

 その迫力に、ソーマは言葉を返せない。

 

「勝手に期待して、勝手に失望して、勝手に見限って! あなたは自分の造った酒にでも酔っているのか!」

 

 自らが製作した酒が人を狂わせる事に気付きもせず、身勝手に子供達の意思を値踏みして飲んだ者に責任を押しつける。その傲慢で理不尽な姿勢は、酒に溺れる酔っ払いと何が違うというのだろう。

 ベルの目から見れば、誰よりも酒に溺れているのは『神酒』を飲んだ子供達などではなく、目の前の神の方だった。

 

「ならばあなたには何も見えていない! 子供達の顔も、心も、己が造った酒すらも!」

 

 侮辱とも取れるその言葉に、ソーマはつい視線を酒瓶へと移す。

 それがベルのさらなる激情を煽り立てた。

 

「顔を上げろ! あなたは自らの眷属と話す時も、そうやって酒に視線を落としているのか! あなたが向き合うべきなのは酒ではなく、自ら恩恵を授けた子供達だろう! そんな事も分からずに酒造りに明け暮れるなら、あなたはなんのためにこの下界へ降り立ったのだ!」

 

 身体を揺さぶり、ソーマの視線を無理やり自分へと戻しながらベルは問う。

 未だにソーマの顔には驚きしかない。

 後悔も、納得も、怒りすら感じられない。

 それがどうしようもなくもどかしく、ベルは唇を噛む。

 

「お願いだから、あの子の顔を、涙を、ちゃんと見てやってくれ。親を失い、主神からもそっぽを向かれた彼女が浮かべるのは、いつも寂しそうな作り笑いだ」

 

 リリの笑顔を思い出し、ベルはこれ以上ないほど顔を歪めて訴える。

 女性を――特にその笑顔を褒める事に余念がないベルが、リリの笑顔だけは一度も賞賛した事がない。

 それは彼女の笑顔の裏にあるものがなんなのか、ベルには理解できてしまっていたから。

 誰にでも好かれるような綺麗な笑みに隠された、少女の想い。

 それを彼女(リリ)の神に知ってほしくて、ベルは感情を宿さない墨色の瞳を見つめ、少女を見ていれば簡単に気付く事ができる事実を口にした。

 

 

「彼女の笑顔は、彼女が流す涙そのものなんだ」

 

 

 出会ってから一度も、リリは泣かなかった。

 冒険者の男に殴られた時も、自らの境遇を語る時も、彼女は涙の一滴も零す事がなかった。

 きっとそれは、彼女には泣き場所も、涙を拭ってくれる人もいなかったから。

 いくら泣いても何も変わらない事を理解した少女は、いつしか涙を流す事を止めて、涙の代わりに嘘の笑顔を浮かべるようになった。

 そうする事でしか、少女は生きていけなかったから。

 ベルがどれだけふざけた事を言って素の笑顔を引き出そうとしても、彼女の笑顔はいつも絵に描いたように同じもので、一度も心から笑ってくれた事はない。

 それがベルには、どうしようもなくつらかった。

 笑顔を見たいと思うと同時に、こんな笑顔は見たくないと思ってしまうほどに。

 

「何をしている! 貴様!」

「っ!」

 

 大声に気付いた【ソーマ・ファミリア】の団員達が部屋に雪崩れ込んでくる。

 瞬く間にベルは取り押さえられて、強制的に部屋から連れ出された。

 ソーマは己の眷属に怪我はないか問われるが、そんなものは聞こえてすらいなかった。

 ただ呆然と、ソーマは追い出された少年が消えた扉を見つめ、その言葉の意味を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫でしょうか……兄さん」

 

 リリと共にソファに座っているレフィーヤの呟きが、やけに大きくホームに響いた。

 ちょっと出掛けてくる、そう言っていなくなったベルだが、結局その日の内に帰ってくる事はなかった。

 憔悴するリリを任されたとはいえ、やはり自分も一緒に行くべきだったんじゃないかと、いまになってレフィーヤは後悔する。誰かのために兄が無茶をするのはいつもの事だというのに、お目付け役の自分が傍にいなければ止める事すらできないのだから。

 もう既に夜も明けて日が昇っているが、ベルからは連絡の一つもない。

 出掛ける前にやけに【ソーマ・ファミリア】についてリリに聞いていたらしいので、恐らくは【ソーマ・ファミリア】のホームにでも行ったと思われるが、確証もなく他派閥のホームに乗り込むわけにはいかなかった。

 結局待つ事しかできず、全員が帰らぬベルを思ってヤキモキしていた。

 

「やはり、リリがホームに戻って確認してきます」

 

 そんな中で我慢の限界を迎えたリリが神妙な面持ちで申し出る。

 この場で唯一リリだけが【ソーマ・ファミリア】のホームに無条件で入れる権利を持っていた。

 

「それはもう何度も話し合ったじゃないですか。【ファミリア】の人達に狙われてるリリさんがホームに帰るのは危ないって」

 

 いまにも飛び出してしまいそうな雰囲気を放つリリを、レフィーヤが冷静に止める。

 昨夜から幾度も繰り返したやり取りだったが、今回はリリもすぐには引き下がらなかった。

 

「でもベル様はリリのせいで危険な目に遭ってるかもしれないんですよ! それなのにリリが何もしないなんて……!」

「それでもです! 兄さんを助けるためにリリさんが犠牲になるんじゃ、本末転倒もいいところです。もし様子を見に行くのなら、その役目は私が引き受けます」

「レフィーヤ様ではホームに入れないじゃないですか!」

「なんとかします。これでも兄さんに付き合わされて色々と無茶もやってきたので、これくらい慣れっこなんですから!」

「だとしても、あの人はリリのせいで……!」

 

 どちらが様子を見に行くかで言い合いを始めるレフィーヤとリリ。

 それを横目で見ていたヘスティアは、口論が激しさを増す前に神らしく仲裁に入った。

 

「ストーーップ! 少し落ち着きなよ、レフィーヤ君もサポーター君もさ。まだベル君に何かあったって決まったわけじゃないんだから」

 

 内心の不安は押し隠し、当たり障りのない気休めを口にするヘスティア。

 説得力のないその発言に、リリは眉間に皺を寄せながら最低限の礼節を保って反論した。

 

「でももう朝なのに帰ってこないんですよ? 何かあったとしか思えないじゃないですか!」

「そうかもしれない。でもベル君なら多少のトラブルなら自分で解決して戻ってくるはずさ。だろ? レフィーヤ君」

「はい! ……って頷きたいところですけど、兄さんはなんて事ないトラブルも自分で大きくしちゃう人だから……」

「ほら! やっぱり何かあったんですよ!」

「レフィーヤ君……君、どっちの味方なんだい?」

「ご、ごめんなさい……」

 

 まさかの掌返しにヘスティアがレフィーヤをジト目で睨む。

 普段の兄の言動を振り返って首を縦に振れなかった正直な妖精は、主神の視線に身体を小さく縮こまらせた。

 

「あーもう! ならもし昼までに戻って来なかったら、ボクが直接ソーマのところに様子を見に行ってくるよ。だからそれまでは待ってみようじゃないか。ね?」

 

 神である自分が行くならソーマの子供達も安易に手出しできないだろ。そう言われたリリは、納得したとは言い難い顔をしながら不承不承頷く。

 形だけではあるが口論は収まり、しかし明らかに悪くなってしまった空気を払拭するため、ヘスティアはパンと手を叩く。

 

「とりあえず、もうこんな時間だし朝食にしようぜ。お腹を空かせて待ってても、ベル君が帰ってくるわけじゃないんだからさ」

 

 笑顔で親指を立てるヘスティア。

 突然の提案にレフィーヤとリリは驚くが、妖精の方はすぐに主神の意図に気付いてソファから立ち上がった。

 

「そうですね。言われてみれば、何も食べていませんでしたね」

「リリは部外者ですし、そこまでのご迷惑は……」

「迷惑だなんて思わないでください。食事はみんなで取った方が楽しんですから」

「そうだぜサポーター君。今日の朝は三人で女子会としゃれ込もうじゃないか」

 

 遠慮しようとするリリを、レフィーヤとヘスティアが説得してすぐに食事の支度に取り掛かる。

 料理は専らレフィーヤの担当で、ヘスティアはその手伝いだ。基本的に【ヘスティア・ファミリア】の料理はベルとレフィーヤが作っており、何もしないのも申し訳ないと料理ができないヘスティアはその手伝いに回る。

 今回はリリも手伝うと申し出てくれたが、お客様であり、未だに憔悴している彼女に頼るのは気が引けたため大人しくソファで待っていてもらう。

 そうして二人が朝食の準備に取り掛かっていると、珍しく外につながる扉からノックの音がした。

 普段は来客など皆無であり、そもそもこの場所を知る人間すら限られているため、レフィーヤとヘスティアは揃って首をかしげる。

 

「……ベル君かな?」

「兄さんならノックなんて気遣いをするとは思えませんけど……」

「でもサポーター君もいるし、ここにいるのは女性ばかりなんだから、着替え中だったりしたら大変な事になると思ったんじゃ……」

「いえ。むしろ兄さんなら、そういう場面は嬉々として飛び込んでくるはずです。間違いありません」

「……ベル君が信用されてるんだか信用されてないんだか分からなくて反応に困るな」

 

 力強いレフィーヤの断言に、ヘスティアは苦笑いを浮かべる。

 とにかく誰かが来たのなら迎えなければとレフィーヤがエプロンを脱いで向かおうとすると、ヘスティアがそれに待ったを掛けた。

 

「ボクが出るから、レフィーヤ君はそのまま料理を続けてくれ」

「えっ、でもヘスティア様にそんな雑用をさせるわけには……」

「いいからいいから」

 

 手を振って、率先してヘスティアは入口へと向かう。

 エルフらしく礼節を弁えたレフィーヤは、神を敬う気持ちが強くヘスティアに雑事をさせるのを嫌がる。最初はこうして一緒にキッチンに立つ事すら畏れ多いと断っていたほどで、ヘスティアとしてはもうちょっと打ち解けてもらった方が嬉しいとさえ思っていた。

 ヘスティアが来客の対応をしている間、レフィーヤは言われた通りに料理の工程を進める。

 といっても、もう殆ど終わりに近い。

 そんなに凝ったものを作っているわけでもないので、後は軽く味を調えて終わりだ。

 出来上がった料理をリリと一緒にテーブルに移し、食事の準備が整ったところで来客対応を終えたヘスティアが戻ってきた。

 

「あっ、終わったんですね。どちら様だったんですか?」

 

 後ろに誰もいない事から、やはりベルではなかったらしい。

 レフィーヤの問い掛けに、ヘスティアは先程までの緩んだ空気はどこへやら、真剣な表情でそれに答えた。

 

「ああ。ソーマのところの子供だったよ」

「ソーマ様の!?」

 

 ガタリとリリが勢い良く立ち上がる。

 ヘスティアは頷き、受け取ったという手紙を示して書いてあった事実をそのまま告げた。

 

「ベル君がホームに不法侵入した挙句、ソーマに不敬を働いて捕まったらしい」

「そんな……!」

「兄さんが……!」

 

 予想していたとはいえベルがピンチになっている事実を知り、リリとレフィーヤの顔が青ざめる。

 しかしすぐに立ち直って、二人は同じ意思を共有した。

 

「すぐに助けに行きましょう!」

「もちろんです! 兄さんを早く迎えに……」

「待つんだ。二人とも」

 

 いてもたってもいられず外へ駆け出そうとする二人をヘスティアは制止する。

 普段ならいの一番に行動を起こそうとする女神の深刻そうな様子に、レフィーヤはまだ話が終わっていなかった事を悟る。

 

「急いで助けに行く必要はない。ベル君を返してもらうための条件なら、この手紙に書いてあった」

「条件?」

 

 思わぬ展開にリリが目をパチクリさせる。

 ヘスティアはいままで見た事もないほど眉間に皺を寄せ、【ソーマ・ファミリア】が提示した条件をたった一言で明かす。

 

戦争遊戯(ウォーゲーム)だ」

「なっ……」

「それって……」

 

 驚愕して目を見開くリリとレフィーヤに頷きを返し、ヘスティアは改めて信じたくない事実を告げた。

 

「今回の一件を理由に、【ソーマ・ファミリア】がうちに戦争遊戯(ウォーゲーム)を仕掛けてきた」

 

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