道化英雄譚   作:真黒 空

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大変お待たせしました。
週末の書籍発売に先んじて投稿再開です。


23:合意

 

「ここが……」

「はい。リリの所属する【ソーマ・ファミリア】のホームです」

 

 自分達の暮らす廃教会よりも何倍も大きい建物を前に、ヘスティアとレフィーヤが緊張した面持ちを浮かべる。

 宣戦布告の手紙を受け取った日の昼下がり、ヘスティア達は『戦争遊戯(ウォーゲーム)』の詳細を話し合うために【ソーマ・ファミリア】のホームを訪れた。

 道案内は団員であるリリが買って出てくれたが、本音を言うならヘスティアとレフィーヤはこの話し合いの場にリリを連れて来たくはなかった。【ファミリア】内で迫害されている彼女を思えばそれも当然の心遣いで、しかしベルを解放する条件としてリリの同伴が指示されていたため選択の余地はなかった。いや、たとえあってもリリ自身が一人ホームで待っている事を決して良しとはしなかっただろう。

 呼び鈴を鳴らして、出てきた団員の案内に従って三人は【ソーマ・ファミリア】のホームへ足を踏み入れる。

 建物の外観に見合った綺麗な内装の廊下は、ギルドにおいても素行を問題視される者の多い【ソーマ・ファミリア】のホームとは思えない。飾られた壺や絵画なんかは、素人が見てもそれなりに高いものだと分かるほどの品々であり、床にも絨毯が敷かれてその上には埃一つ落ちていない。

 どこかの国の貴族の屋敷にでも足を踏み入れたのではないかと錯覚を覚える廊下を三人は進み、その先にあった扉の前で案内人が足を止める。横にはけて身振りで入るように促され、ヘスティア達は緊張と共に扉の前に立った。

 

「この部屋は、応接室です」

 

 ヘスティア達にしか聞こえない小さな声で、リリが教えてくれる。

 他派閥の人間を招く事など滅多にないため、主神のソーマはもちろん団員達も使う機会がなく、派閥の団長しか利用しない部屋になっているらしい。

 

「という事は……」

「はい。気をつけてください」

 

 ヘスティアの意味深な視線にリリが頷く。

 何に気をつけるべきか、それを言われずとも理解して、ヘスティアは緊張から唾を呑み込む。

 チラリとレフィーヤに視線を向けると、彼女も緊張した他面持ちではあったが力強く頷き返してくれる。

 それに力を貰い、深呼吸して気合を入れ直すと、一息にヘスティアは応接室の扉を開いた。

 

「ようこそおいでくださいました。神ヘスティア」

 

 扉の先に広がっていたのは、一室だけで【ヘスティア・ファミリア】のホームと同じくらいの空間があるのではないかという広間だった。

 その中心には眼鏡を掛けた痩身の男が立っている。

 灰掛かった髪に人好きする笑みを浮かべた男は、歓迎の言葉と共に礼儀正しく女神に一礼する。

 

「私は【ソーマ・ファミリア】の団長を務めております、ザニス・ルストラと申します。以後、お見知りおきを」

「ああ、よろしく頼むよ。ザニス君」

 

 ザニスの挨拶に鷹揚に頷くヘスティアだったが、その顔はわずかに強張っていた。

 促されるままにソファに座り、ザニスも対面の椅子に腰掛ける。そこでようやくザニスは視線をヘスティアからリリへと移した。

 

「アーデ、よく女神様とその眷属を連れてきてくれたな。お前にも礼を言おう」

「いえ……」

 

 笑顔のザニスとは対照的に、話し掛けられたリリは視線を背けたまま小さく首を振る。

 そんな少女を気遣って、ヘスティアは話題を変えるために早速本題を切り出した。

 

「『戦争遊戯(ウォーゲーム)』の話し合いという事で呼び出されたはずだけど、肝心のソーマはどこだい?」

「兄さんもです。無事なんですか?」

 

 ヘスティアの問いにレフィーヤが乗っかる。

 ベルの安全はこちら側が第一に確認しておきたい優先事項であったため、ヘスティアもレフィーヤの横やりを諫めようとはしなかった。

 

「残念ながらソーマ様はこちらには来られません。あなたの眷属であるベル・クラネルが犯した不敬に大層驚かれたようで、ショックで寝込んでしまいました。現在は自室にて療養されています」

「……っ」

「代わりに団長であるこの私が、この件に関する全権を預けられています。ルールや条件などのすり合わせも私がソーマ様の代理となって女神様と話させていただきます」

 

 ふてぶてしくも胸に手を当てて神の代理を名乗るザニス。

 どう言いくるめたのかは分からないが、この時点で彼が主神の名を良いように使って『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を仕掛けてきた事をヘスティア達は察した。そしてそれは、ここに来る前にもリリから確度の高い推測として挙げられていた可能性だった。そもそも派閥の運営すらまともに行わない趣味神であるソーマが、多少の不敬を受けたくらいで『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を仕掛けるなど普通に考えてあり得ない。何者かに唆されたと考えるのが自然だ。

 しかしそれが分かっていても不在の理由にベルの名前を出されては、非があるヘスティア側に異論を口にする資格はなかった。

 

「そして件のベル・クラネルですが、事が事ですので現在この屋敷の一室に軟禁させていただいております。危害は加えておりませんので、ご安心を」

「分かった……まずは謝罪させてもらうよ。うちのベル君がソーマに迷惑を掛けてしまったようですまなかったね」

 

 文句を口の中で飲み込み、先んじて非を詫びるヘスティア。

 しかしザニスは首を振ってそれを拒絶した。

 

「申し訳ありませんが、手紙にも記させていただいたように謝罪で済むような話ではありません。ベル・クラネルは我が【ソーマ・ファミリア】のホームに不法に侵入し、主神であるソーマ様に危害を加えたのです。謝罪されたからといって、はいそうですかと許すわけには参りません」

「危害って……! 本当に兄さんがそんな事をしたんですか?」

 

 ザニスの言う事を鵜呑みにはできず、またもやレフィーヤが口を挟む。

 破天荒な事を平気でやってのけるベルだが、それでも神に対する敬意を忘れて軽挙な振る舞いをするような愚かな人間ではない。

 ましてや危害を加えるなど、ベルを良く知るレフィーヤには考えられなかった。

 

「言い争う声に気付いて我らが踏み入った時、ベル・クラネルはソーマ様の胸倉を掴んでいた。これはその場に居合わせた複数の団員が証言している紛れもない事実だ」

 

 問いに返ってきたのは具体的な兄の暴挙。

 信じられない思いからレフィーヤは縋るようにヘスティアに視線を移す。

 神は子供達の嘘を見抜く事ができる。兄の凶行を否定してほしくて主神に頼るレフィーヤだったが、彼女の期待とは真逆にヘスティアは神妙な面持ちで首を振った。ザニスの発言に嘘はないと。

 

「そんな……!」

 

 あり得ない事実にレフィーヤが言葉を失う。

 しかしその衝撃から立ち直る暇を相手は与えてはくれなかった。

 

「理解していただけたかな? 我らが主神にこのような愚挙を働いたベル・クラネルを許す事はまかりならない! よって、我ら【ソーマ・ファミリア】は【ヘスティア・ファミリア】に『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を申し込ませていただく」

 

 立ち上がり両腕を大きく開いて、改めて宣戦布告をするザニス。

 大義は我にありと全身で主張し、その口元をニヤリと歪めた。

 

「当然、受けていただけますね?」

 

 ぐっ、とヘスティアは言葉に詰まる。

 ザニスの――【ソーマ・ファミリア】の主張の正当性は誰が聞いても明らかなものであり、内実はどうあれ喧嘩を売った側であるヘスティアが理由もなく退ける事は難しい。

 

「受けなければ、どうするつもりだい?」

 

 それでも神同士の同意がなければ『戦争遊戯(ウォーゲーム)』は開催されない。

 ヘスティアが断固拒否の姿勢を見せれば、相手側にどれだけの正当性や大義があろうと『戦争遊戯(ウォーゲーム)』が行われる事はないのだ。そのためヘスティアも安易に頷く事は避けて逃げ道を用意する。

 しかし腹芸が得意ではない女神の悪あがきなど、人を陥れる事を生業としてきた男には通用しなかった。

 

「もちろん今回の件を包み隠さずギルドに報告し、然るべき処罰を受けていただきます。他派閥のホームへの不法侵入に神への不敬。事故ではあり得ない、悪意なしにはできない蛮行ですからね。罰金で済めば御の字。都市への貢献もない新興派閥であれば、オラリオの追放もあり得るでしょう」

「追放だって……!」

 

 思っていた以上に厳しい罰則にヘスティアは息を呑む。

 しかしザニスが脅すために話を盛っているわけではない事が、女神であるヘスティアには理解できてしまった。

 

「そして当然、事を起こしたベル・クラネルは憲兵に引き渡します。厳しい取り調べを受けるのはもちろん、この件が片付くまでは冷たい牢の中で処罰を待つ事になるでしょう」

 

 ベルの処遇を聞いて、ヘスティアの後ろにいたレフィーヤが息を呑む。

 こちらの痛いところを的確に突いてくる話の運びに、ヘスティアはザニスがリリの話していた通り――いや、それ以上に陰湿でずる賢い子供だと確信した。

 

「状況は分かったよ」

 

 内心の動揺を隠しながら、平静を装って首を縦に振る。

 いつものヘスティアなら悪辣な手口に短気を起こして喚き倒していただろう場面だったが、囚われているベルのためにもここで自棄になるわけにはいかない。

 自分には向いていないと知りながら子供達のために駆け引きの矢面に立つ女神は、一歩も引かず不慣れな交渉に臨んだ。

 

「その上で『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を受けるかどうかは、【ファミリア】の全員で話し合いたい」

 

 ハッと、レフィーヤとリリがヘスティアを目を向ける。

【ファミリア】の全員、それが意味するものは明白だった。

 ヘスティアとレフィーヤはここにいる。ならば話し合うために必要な者はあと一人しかいない。

 逃げ道を塞がれ、追い詰められた立場にあって、ヘスティアはその状況を逆手にとって自らの要求を口にした。

 

「ベル君と会わせてくれ。話は全部それからだ」

 

 毅然とした態度でヘスティアが告げたそれは、ベルと会わせる気がないなら『戦争遊戯(ウォーゲーム)』は受けないという意思表明でもあった。

 現在【ヘスティア・ファミリア】の団員は二人しかいない。当然『戦争遊戯(ウォーゲーム)』をするとなれば、実際に戦うのはヘスティアではなく団員であるベルとレフィーヤだ。大派閥であれば一人二人欠けていようと派閥の方針を決める事もできるのだろうが、主神を含めて三人だけの【ヘスティア・ファミリア】はベルを抜きにして派閥の一大事を決めるわけにはいかない。

 そう主張するヘスティアに、ザニスはふむと顎に手を当て理解を示す。

 

「確かに。当人と話をさせずに決断を迫るのはフェアではありませんね」

 

 驚くほどあっさりと、ザニスはヘスティアの言い分を認めた。

 

「良いでしょう――ベル・クラネルをここに連れてこい」

 

 ザニスが入り口にいた団員に指示を出すと、団員の一人が一礼して部屋を出ていく。

 そして数分後、本当に【ソーマ・ファミリア】の団員に連れられてベルが姿を見せた。

 

「ベル君!」

「兄さん!」

「ベル様!」

 

 一斉に彼の名前を呼んで立ち上がる三人。

 目立った傷のない様子に安堵の表情を浮かべながら駆け寄るヘスティア達に、神妙な面持ちで部屋に入ってきたベルが一転して目を輝かせた。

 

「おおっ! 美少女達が私の胸に飛び込んでくる! これは夢か!」

 

 男ならば一度は経験してみたいシチュエーションを前にして、状況を忘れてはしゃぎだすベル。

 一瞬で有頂天になったベルはヘスティア達の行動を都合良く解釈し、目いっぱいに両手を広げて迎え入れる態勢を取った。

 

「私も会いたかったぞ! ベル・クラネルの愉快なハーレム達よぶばぁぁぁあ!」

「目を離したと思ったら半日でなんて事してるんですかバカ兄さーーん!」

 

「「……」」

 

 自らの胸に飛び込んでくる美少女を期待していたベルを襲ったのは、妹からの容赦のない鉄拳だった。

 しかも一発では気が収まらなかったのか、謝るベルの言い訳にも聞く耳持たずエルフにあるまじき暴力の雨を降らせ続けている。

 他派閥の主神(ソーマ)への不敬の罰にしても重すぎるのではないかという折檻に、ヘスティアやリリだけでなく、ザニスや【ソーマ・ファミリア】の団員達ですら唖然としていた。

 しばらくしてようやくレフィーヤの怒りが収まった頃には、ベルの顔はパンパンに腫れ上がっていた。

 それはもう、もしこの状態でベルが部屋に入ってきたのなら【ヘスティア・ファミリア】の方から『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を仕掛けていたのではないかというほどに。

 

「ベル様……大丈夫ですか?」

 

 床に伏して沈黙――というかもはや沈没しているベルに、恐る恐るリリが声を掛ける。

 

「だいひょうぶだ。なひももんひゃいない……」

 

 力なく右腕だけ持ち上げて、サムズアップするベル。

 どう見ても無事ではない様子に、さすがにやり過ぎではと、リリがジト目を向ける。すると自覚はあったのか、妖精は気まずそうに頬を掻きながらそっぽを向いた。

 このままでは話にならないとヘスティアに言われ、仕方なくレフィーヤが回復魔法を掛けた事でベルはなんとか復活する。

 

「心配と、それから多くの迷惑を掛けてしまった。すまない、三人とも」

 

 さっきまでの緩んだ雰囲気などなかったかのように真面目くさった顔で頭を下げるベルだったが、いくら取り繕うとも数秒前の醜態を忘れられるわけもなく、どこか滑稽な空気が漂う。

 しかしそれを指摘してまたさっきのような茶番を繰り返すわけにもいかない。ここは他派閥のホーム――いわば敵地であり、自分達は『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を仕掛けられている大ピンチなのだ。

 いままでの空気を払拭するようにヘスティアは大きく咳払いをした。

 

「いいんだベル君。君の気持ちは分かってるから」

 

 三人を代表して、ヘスティアがベルの行動を許す。

 この場にいる誰も、『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を仕掛けられたからといってベルを恨んでなどいない。

 それを言葉にされずとも感じ取り、ベルはもう一度深く頭を下げた。

 

「ありがとう――では早速で済まないが、状況を教えてもらえるか? 【ソーマ・ファミリア】から『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を申し込まれたとは聞いたが、話し合いはどこまで進んでいる?」

 

 謝罪を早々に切り上げ、ベルは端的に状況説明を求めた。

 最低限の情報だけは知らされていても、軟禁されていたベルには【ヘスティア・ファミリア】と【ソーマ・ファミリア】の会談の中身など知りようがない。そのためいままでの話の流れをヘスティアとレフィーヤが簡潔にまとめて説明する。

 

「なるほど……」

 

 事態を把握したベルは頷き、少しだけ考え込んで視線をソファに座っているザニスへ向けた。

 

「『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を受ける前に幾つか確認しておきたい事があるのだが、いいだろうか?」

「もちろんだとも。私に答えられる事であればな」

 

 ベルが相手のため、女神(ヘスティア)と話していた時よりも砕けた口調でザニスが応じる。

 ヘスティア達と共にザニスの対面に腰掛け、ベルは早速確認を始める。

 

「ではまず1点、【ヘスティア・ファミリア】と【ソーマ・ファミリア】では派閥の規模が文字通り桁違いだ。対戦形式によってはまともな勝負にすらならない。その点は考慮してもらえるのだろうか?」

「喧嘩を吹っかけてきたのはそちらであろう? まさかそれを買ってやったら、今度は公平に勝負をしろ、などと難癖をつけるつもりかな? それはあまりに恥知らずな主張だとは思わないかね?」

「……」

 

 質問に対してノータイムで返ってきた答えにベルは沈黙する。

 理由はどうあれ、今回の件はベルの行った軽率な行いが発端となっている。『戦争遊戯(ウォーゲーム)』はそんなベルの行動に対する【ソーマ・ファミリア】の返答であり、あちら側には互いの戦力差を考慮する謂れはない。

 しかし同時に勝敗の分かり切った勝負を仕掛けられれば、負けると分かっていてこちらが承諾するはずがない事も、あちらは理解しているはずだ。だからこそベルは何も反論をせず、ザニスの次の言葉を待った。

 

「しかしまぁ、そちらが言う事も尤もだ。我ら【ソーマ・ファミリア】が全勢力を以て戦えば、それはもはや勝負にすらないない一方的な蹂躙となるだろう。それでは『戦争遊戯(ウォーゲーム)』も成り立たなくなってしまう」

「……」

「なのでどうだろうか? ここは【ファミリア】の代表者による一騎打ちで勝負をつけないかね?」

「それは……こちらとしては願ったりだが」

「では決まりだ」

 

 口元に笑みを浮かべ、数の利を簡単に放棄するザニス。

 予想していたよりも遥かに譲歩した内容に相手の真意が見えずベルは訝るが、まさか条件が有利だからと断るわけにはいかない。

 この提案を断る事はすなわち、『戦争遊戯(ウォーゲーム)』の申し込みを拒否するのと同義であり、ひいてはベルのオラリオの追放を意味するのだから。

 

「ではもう1点確認させていただきたい。『戦争遊戯(ウォーゲーム)』で互いの求めるものだ」

「ほぅ……」

 

 疑問はひとまず脇に置き、ベルは話を進める。

 その発言にザニスも興味深そうに目を細めた。

 

「『戦争遊戯(ウォーゲーム)』をするならば、これは派閥同士の争いであり立場は対等だ。勝利した暁には、私達にもそちらの【ファミリア】に何かしらの要求をする権利が生まれるはずだ」

「まさかこの状況において対等と来たか。面白い男だ」

 

 この騒動の原因はベルの暴挙であり、【ソーマ・ファミリア】は立場上は被害者だ。派閥規模からしても【ヘスティア・ファミリア】とは比べるまでもない。立場的にも勢力的にも明らかに【ソーマ・ファミリア】が上であるのに、ベルはそれでも臆面もなく対等と言い切った。

 そんな駆け出しの冒険者とは思えない豪胆さに、ザニスは唇の端を吊り上げる。

 

「だが道理でもある。『戦争遊戯(ウォーゲーム)』は神と神の代理戦争。勝者は全てを手に入れ、敗者は全てを失う。それがルールなのだからな」

 

 普通なら激怒してもおかしくないベルの言い分に、むしろザニスは同調した。

戦争遊戯(ウォーゲーム)』をするとなれば、そこには加害者と被害者という立場も、派閥規模も関係がない。ただ主神の意思に従って争う、対等な競争相手でしかないのだと。

 

「敗北した場合はそちらの要求は全て受け入れよう。しかしこちらが勝利した場合も同じだという事は、当然理解しているのだろうな?」

 

 眼鏡の位置を指先で直し、その隙間からザニスはベルに鋭い視線を向けた。

 そこに理性的な振舞いで隠した猛禽の獣性を感じ取り、ベルはわずかに息を呑む。

 

「もし我ら【ソーマ・ファミリア】が勝利したなら、【ヘスティア・ファミリア】には賠償金として1000万ヴァリスを要求する。さらに今回の件の詫びとして、毎月【ファミリア】が得た稼ぎの半額を【ソーマ・ファミリア】に納めてもらう。永久にな」

「なっ……!」

「そしてもちろんこれは、賠償金の1000万ヴァリスとは別の話だ」

 

 あまりに法外な要求にヘスティアがあんぐりと口を開くが、ザニスの要求は止まらない。

 一切の容赦なく理不尽という言葉ですら生温い条件を矢継ぎ早に提示する。

 

「この毎月の支払いには下限を設け、下回った場合にはこちらが提示した仕事を無償で手伝ってもらう事で補填とする。つまりあまりに【ファミリア】の収入が少なければ追加で仕事をしてもらう」

「――――」

「そしてさらに、現在【ヘスティア・ファミリア】の団員であるベル・クラネルとレフィーヤ・ウィリディスは、【ファミリア】を脱退したとしてもこの負債は続くものとする。1000万の賠償金も毎月の支払いも、個々で【ソーマ・ファミリア】に行ってもらおう。これはベル・クラネルが我らが神に対して行った不敬の連帯責任として、だ」

 

 もはや本性を隠そうともせず、邪悪な笑みを顔いっぱいに浮かべてザニスは賛同を求めるようにベルに片手を伸ばした。

 

「これがこちらが『戦争遊戯(ウォーゲーム)』で勝利した際に求める条件だ。どうだね、受けてもらえるかな?」

 

 さっきまでの理知的な振舞いはどこへやら、爛々と瞳を欲に染め上げるザニス。

 提示された敗北の代償は、一言で分かりやすく表現するなら『負けたら大人しく奴隷になれ』。そう言われているも同然の内容だ。

 そのあまりに法外な条件にヘスティアが立ち上がり、猛然と抗議する。

 

「バカを言わないでくれよ! そんなもの受けられるわけないじゃないか!」

「ではこの件はギルドに報告させてもらうとしましょう。【ヘスティア・ファミリア】は仲良く追放。ベル・クラネルは罪人として裁かれるでしょうな」

「ぐぬっ……」

 

 あからさまな脅迫に、ヘスティアが反論に詰まる。ザニスの口元がさらに醜悪な弧を描いた。

 悪辣なその表情は、断る事ができるのか? むしろ断ってもいいのか? そう問うていた。

 

「これは……ソーマの神意なのかい?」

 

 追放か『戦争遊戯(ウォーゲーム)』か、理不尽な二択を前にヘスティアは相手の主神の神意を問う。

 この『戦争遊戯(ウォーゲーム)』も、勝利時の条件も、全てがソーマの意思であるのかと。

 神の前で嘘はつけない。

 そしてそれを承知で、ザニスは()()()()()()()

 

「もちろんですとも。全ては我が主神の御心のまま。私はそれを代理で語っているに過ぎません」

 

 嘘だと見破られると分かった上で、だからどうしたとザニスは臆面もなく虚実を騙った。

 この場にソーマがいない以上、【ヘスティア・ファミリア】にはその神意を確かめる事は叶わない。仮にソーマがこの場にいたとしても、結果は変わらない。酒にしか興味のない主神が、それ以外の全てを団長に放り投げるのはいつもの事なのだから。

 つまりヘスティアの問いは全くの無意味だった。ザニスの語ったソーマの神意が嘘だろうが本当だろうが、どちらでも同じ事。

 主神の神意ではないから『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を受けられないなどと拒んで追い詰められるのは、他派閥の主神に不敬を働いた罪がある【ヘスティア・ファミリア】の方なのだから。

 

「ヘスティア」

 

 神相手に平然と嘘をつき、厚顔無恥にも理不尽な選択を迫るザニスにヘスティアが言葉を返せないでいると、これまで黙っていたベルが割って入ってくる。

 そしてヘスティアが予想もしていなかった願いを口にした。

 

「この勝負、受けてはもらえないだろうか?」

「は……? 本気かい、ベル君!?」

 

 あまりにも不利な条件を無条件に受け入れようとするベルにヘスティアは目を剥く。

 しかしベルは言葉を翻さず、真っ直ぐとその瞳を見ながら頭を下げた。

 

「頼む」

 

 普段は騒がしい癖にこういう時だけ言葉少なく、真摯に頼み込んでくる。

 それをずるいと、ヘスティアは思いながら、しかし安易に頷く事もできなかった。

 もし『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を受けて、そして負けてしまえば、待っているのは奴隷のような悲惨な未来だ。自分一人ならまだしも、その負債はベルとレフィーヤにも及ぶ。

 己の眷属を大事に思うヘスティアだからこそ、彼の願いを聞き入れる事に迷い、返答に窮してしまう。

 

「そちらの眷属は随分と物分かりがよろしいようですね」

 

 安全か、それとも願いか、己の眷属のどちらを優先すべきか葛藤するヘスティアに、ザニスが嫌らしい笑みを向けてくる。

 しかしヘスティアもベルも、そちらを一瞥すらしなかった。

 ベルは頭を下げ続け、ヘスティアの答えを待っている。

 その意思の頑なさを見て取り、ヘスティアは大きく息を吐き出した。

 

「はぁ……分かったよ。ベル君」

「ヘスティア様! 本気ですか!?」

 

 根負けして許可を出すヘスティアに、止めてくれると信じていたリリが抗議の声を上げる。

 ベルからリリへと視線を移したヘスティアは、諦めたように首を振った。

 

「サポーター君。君の言いたい事も分かるけど、こうなったベル君は止まらないさ」

 

 言われてリリがベルを見ると、顔を上げた彼は決然とした面持ちで対戦相手(ザニス)を見据えていた。

 

「こちらからも勝利した際の要求を伝えておこう」

 

 指を一本立てて、ベルは告げる。

 

「1つ、神ソーマが造った『神酒』を器の昇華していない者に無闇に飲ませない事」

 

 酒の神ソーマの神酒は危険過ぎる。

 リリの話を聞いただけでも分かっていたが、実際に口にしたベルはその考えをより強固にしていた。

 下手な麻薬や毒よりも、あれは厄介な品物だ。

 好き放題にバラまけば、リリのような被害者が無尽蔵に生まれてしまうだろう。

 

「2つ、退団を希望する団員がいれば無条件にそれを認める事」

 

【ファミリア】の中には、派閥から退団するのに条件をつけているところもある。【ソーマ・ファミリア】の退団の条件は厳しく、脱退金には1千万もの大金が必要だ。そのためリリも、神酒を得るためではなく【ファミリア】から抜けるために、後ろ暗い事にも手を染めて大金を集めるしかなかった。

 もしかしたら、リリの他にも派閥を退団したいのにできない団員がいるかもしれない――いや、派閥の内情を聞く限り、少なからず存在しているだろう。ならばリリを派閥から退団させるだけでは、根本的な解決にはならない。

 

「3つ、退団した団員への接触の禁止。ただし退団した団員が望んだ場合はこの限りではない」

 

 現在の【ソーマ・ファミリア】の現状からして、『神酒』を得るための手段として退団した団員に金銭の無心や冒険者依頼(クエスト)の協力要請などを行ってもおかしくはない。派閥内の力関係がどうなっているかは分からないが、断れない状況に追い込まれるような事態にもなれば、退団した意味そのものがなくなる。

 

「4つ、退団した団員への直接的・間接的に関わらない嫌がらせや危害を加える事の禁止」

 

 そして直接接触しなくても、相手に言う事を聞かせる手段は存在する。

 かつて【ファミリア】から逃げ出したリリはお世話になっていた老夫婦の店を潰され、否応なく派閥へと連れ戻された。

 そのような蛮行を許すわけにはいかない。

 

「5つ、神ソーマは己の派閥の全団員と1対1できちんと話す機会を設ける事」

 

 リリのように派閥に対し含むところがある者が退団しても、それだけでは【ソーマ・ファミリア】の現状は大きく変わらない。

 主神であるソーマが眷属と向き合う姿勢を見せなければ、【ソーマ・ファミリア】の問題の抜本的な解決は望めない。

 そしてもう一つ、派閥の現状を改善するためには必要な条件がある。

 ベルは立てた5本の指の内の4本を降ろし――残した1本の指で対面に座るザニスを指した。

 

「そして最後に――ザニス・ルストラ。あなたには団長の座を降りていただく」

「なに?」

 

 最後の要求にザニスが片眉を上げて不快感を露わにする。

 だがベルも譲るつもりはなかった。

 リリから話を聞いた限りにおいて、このザニスという男が団長でいる限り【ソーマ・ファミリア】は変わらない。たとえ『戦争遊戯(ウォーゲーム)』に負けて厳しい制約に縛られようと、必ずまた腐敗への道を進む事になる。

 実際に会って話しをして、ベルはその確信を得ていた。

 

「この私に団長の座を降りろとは、他派閥の人間が随分と図々しい要求だな」

「『戦争遊戯(ウォーゲーム)』ではそれが認められているはずだ」

 

 悪感情を隠そうともしないザニスに物怖じせず、ベルも即座に言い返す。

 数秒、二人の視線がぶつかり合う。

 火花でも飛んでいそうな険悪な沈黙が流れるが、しかしそれはすぐに終わりを告げた。

 

「よかろう」

 

 小さく頷き、ザニスはベルへと向けていた視線をヘスティアに移した。

 

「神ヘスティアもそれでよろしいか?」

 

 最終確認に唾を呑み込み、深呼吸してヘスティアは頷く。

 

「分かった。その条件で『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を受けようじゃないか」

「決まりだ!」

 

 ヘスティアが返事を口にしたその瞬間、ザニスは勢い良く立ち上がった。

 

「いま話した事を書面に記し、すぐにギルドに申請させていただきましょう。しばしお待ちいただけますか?」

 

 言うや早いや、ザニスは同席していた団員に指示を出して申請書を作成させる。

 出来上がったそれを自身で確認し、【ヘスティア・ファミリア】にも不備がないか確認させると、両手を広げて高らかに宣言する。

 

「ここに合意はなりました! 『戦争遊戯(ウォーゲーム)』の開催決定です!」

 

 互いに『戦争遊戯(ウォーゲーム)』に対し真逆の感情を抱きながら、しかしだからこそ【ヘスティア・ファミリア】と【ソーマ・ファミリア】の争いが決定づけられる。

 

「それでは約束通りベル・クラネルはお返しします。決戦の日に、再びお会いしましょう」

 

 丁寧な仕草で出口を示し、ザニスは別れの口上を述べる。

 ベルの身柄も『戦争遊戯(ウォーゲーム)』成立のための駒でしかなかったのだろう。あっさりと解放された。

 

「ああ、そうだ。一つ忘れておりました」

 

 出口へと向かうヘスティア達――その最後尾を歩くリリを見据え、ザニスは最後にヘスティア達にとって特大の爆弾を落とした。

 

「リリルカ・アーデは置いていってもらいましょうか」

「えっ……?」

 

 思わぬ要求に、名指しされたリリが目を丸くする。

 突然の事態に何も言い返せないリリ。彼女をザニスの視線から守るようにヘスティアが前に出た。

 

「ザニス君、それはどういう事だい?」

「どうと言われましても、『戦争遊戯(ウォーゲーム)』をするような敵対派閥に大事な団員を預けるような真似はできない、と言うだけの話です。どんな目に遭わされるか分かったものではありませんからね」

「っ、どの口が……!」

「公正に『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を行うためには当然の要求かと思いますが? それともまさか、リリルカ・アーデを人質に勝利を要求するつもりででもいましたか?」

「そんな事するわけないだろ!」

「では、引き渡していただけますね?」

 

 建前を完全に取り繕ったザニスの要求に、ヘスティアは何も言い返せなかった。

 ザニスの要求は本来なら至極真っ当なものだ。

 もしヘスティアが逆の立場であれば同じ要求をしていただろうし、事実として拘束されていたベルは解放されている。これで【ソーマ・ファミリア】の構成員であるリリを【ヘスティア・ファミリア】が連れて行くというのはおかしな話だ。ザニスの言う通り、人質にする目算だと邪推されても文句は言えない。

 しかしだからといって、危うい立場にいるリリを置いていく事などできるわけもなかった。

 元々ベルはリリのために【ソーマ・ファミリア】の本拠(ホーム)に乗り込んだのであり、今回の件の発端はリリの存在にあると言える。

 そんな弱みを、目の前の悪辣な団長が見逃すわけがない。

 リリをここに残せば、ほぼ確実に今回の件の責任を追及され、酷い仕打ちを受けるだろう。もしかしたら『戦争遊戯(ウォーゲーム)』の前に取り返しのつかない事になる可能性もないとは言えない。

 それが分かっているからこそヘスティアは必死にリリを保護する大義名分を探すが、この状況で敵対派閥の人間を連れ出す正当性など見つけられるわけもなかった。

 

「ヘスティア様」

 

 自分を守ろうと懸命になってくれる女神の名前を、リリが後ろから静かに呼ぶ。

 そしてゆっくりと、思いを込めて、感謝から頭を下げた。

 

「お気遣いいただきありがとうございます。でも、リリはここに残ります」

「サポーター君!?」

 

 誰よりも戻る事の危険を理解しているであろうリリの宣言に、悲鳴のような声をヘスティアが上げる。

 しかしリリは自らに待ち受ける仕打ちなど些細なものだとでも言うように笑みを浮かべた。

 

「大丈夫ですよ。リリは元から【ソーマ・ファミリア】の一員なんですから、ここに残るのが当たり前なんです。心配なんていりません」

 

 震えそうになる声を必死に抑えて、精一杯にいつも通りに振舞う。

 見つめてくる三人の視線から目を逸らしそうになるのを堪えて。

 

「ベル様達がリリのために戦ってくれるんです。だからリリだって、少しくらい戦って見せます」

「リリさん……」

 

 これから待ち受ける未来、それが怖くないと言ったら噓になる。

 でもそれ以上に、もうこの人達に迷惑を掛けたくはなかった。

 

「だからみなさんは、リリの事なんか気にしないで全力で戦ってください。リリはベル様達の勝利を、心よりお祈りしています」

 

 胸に手を当て、告げる。

 それが限界だった。

 

「では……さようなら」

 

 これ以上は堪えられないと、リリはベル達に背を向ける。

 ニヤニヤと笑みを浮かべるザニスに向けて一歩踏み出そうとしたところで、後ろから手を掴まれた。

 

「リリ」

 

 思わず振り向いてしまったリリの視界に飛び込んできたのは、いつもの天真爛漫な笑顔ではなく、少年の柔らかな笑みだった。

 

「嫌なら残らなくていい」

「っ!」

「君が笑えないなら、どこだろうとそんな場所にいるべきじゃない。君を守れないなら、『戦争遊戯(ウォーゲーム)』なんてやる意味さえないんだ」

 

 ベルの表情はとても穏やかでありながら、どうしようもないほどの切実さを瞳に宿していた。

 その瞳に見つめられているだけで、取り繕っている全てをかなぐり捨ててしまいそうになり、リリは唇を噛んで必死にそれに耐えた。

 

「だからリリ――」

「リリは残ります」

 

 ベルの言葉を遮って、突き放すようにリリは告げる。

 もうあと一言だって聞いてしまえば、自分を抑えられる自信がなかったから。

 

「ベル様、ありがとうございます。でも……お願いですから、放っておいてください……」

 

 なんとかそれだけ絞り出した。

 ベルは少しだけ寂しそうな顔になり、しかしすぐにまた笑顔を浮かべる。

 

「……分かった。だけどリリ、忘れないでくれ」

 

 続いた言葉は、表情とは正反対に力強いものだった。

 

「約束は必ず守るから」

 

 ベルが口にしたのはそれだけだった。

 それだけの言葉で、リリの心は限界を迎えて咄嗟に顔を逸らした。

 ベルに見られないように地面に向けられた顔が、言葉では言い表せない思いによってクシャクシャに歪む。

 

「…………ぁ」

 

 掴まれていた手が離される。

 思わず口をついて出た小さな声は、誰にも聞かれる事はなかった。

 

「出口までついて来てくれないか?」

「私がか? まぁよかろう」

 

 訝みながらもベルの頼みを聞き入れ、リリの横を通り過ぎてザニスがヘスティア達と共に部屋を出て行く。

 膝が崩れ落ちそうになるのをなんとか堪え、リリは窓の傍まで近付いて外を見下ろした。

 しばらく待つとベル達が屋敷の出口から現れ、その背がどんどんと遠ざかっていく。

 敷地から出たベルがこちらを振り返ったのが見えて、リリはとっさにカーテンの陰に姿を隠した。

 

「ベル様……」

 

 きっともう、あの綺麗な深紅(ルベライト)が自分を映す事はない。

 それはいままで味わってきたどんな不幸よりも悲しい事なのかもしれないと、涙を忘れた少女は皮肉気に自身の不幸を笑った。

 

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