道化英雄譚   作:真黒 空

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24:戦争遊戯(ウォーゲーム)開幕

 

 ベル達が【ソーマ・ファミリア】のホームを去った後、リリが連れて来られたのは団長であるザニスの私室だった。

 リリも初めて入るその部屋は、思っていたよりも大きくはなかった。しかし盗人稼業で培った審美眼を持つリリには、無造作に置かれている家具の全てが高級品で揃えられているのが一目で分かった。

 主神(ソーマ)は酒造りにしか興味がないため、団員から集めさせた金の殆どはザニスの懐に入る。この部屋の家具は【ソーマ・ファミリア】の現状を正しく物語っていた。

 いま視界に入っている家具を購入するのに、一体どれだけの団員が無理なダンジョン探索に赴き死んだのか。そしてそんな無駄な金を集めるのに、これからどれだけの団員が犠牲になるのか。

 そんな事を考えて、リリは心の中で薄く笑う。

 生まれた時からこのくだらない蜘蛛の糸に絡み取られて、これまで必死に逃げようともがき、結局は余計に雁字搦めになった徒労だらけの人生に。

 自分は【ソーマ・ファミリア】の一員でありながら、他派閥の人間に肩入れして主神であるソーマを危険に晒し、『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を起こすような事態を招いた。

 こんな格好の負債を、あの悪辣な小悪党であるザニスが見逃すはずがない。

 どんなに不満に思っても、そんなつもりはなかったと訴えたとしても、聞き耳など持ってはもらえない。

 なぜならそこに責任があるかどうかなど、最初から関係がないのだ。責められる口実があるかどうか、重要なのはそれだけ。公平な裁定など望むべくもなく、理不尽なペナルティが与えられるのは目に見えている。

 おそらくは派閥を抜けるために貯めていたお金を遥かに上回る罰金を要求され、足りない分は借金という形にされる。それがどれだけの金額になるかは分からないが、きっと自分がどんな後ろ暗い事に手を染めようと完済は難しい額だろう。

 たとえ【ヘスティア・ファミリア】が『戦争遊戯(ウォーゲーム)』に勝って【ファミリア】の脱退が認められたとしても、自分の借金は変わらず残り続ける。

 使い物にならなくなるまでこき使われ、最後は搾り尽くされた雑巾のようにボロボロになって捨てられる末路が待つだけだ。

 それが、リリの人生。

 惨めで弱くてどうしようもない小人族(パルゥム)の盗人の運命。

 ならもう、無駄に足掻くのはやめにしよう。

 こんな人生にも、救いは確かにあったのだから。

 

「来たか、アーデ」

 

 部屋の家具の中でも一層豪華な椅子に腰掛けていたザニスが、ゆっくりと立ち上がり笑い掛けてくる。

 ベルの笑顔とはまるで違うその笑みに生理的な嫌悪を感じるが、もはやそれを表情に出すだけの気力すらリリにはなかった。

 

「なんの用ですか? 覚悟はできてます。好きにしてください」

 

 何もかもを諦めたリリは投げやりに吐き捨てる。

 ザニスはニヤニヤとまるで反抗的なペットを可愛がるように、彼女の自暴自棄な姿を眺めていた。

 

「そう邪険にするな。いまのところ、私はお前に何もするつもりはない」

「……どういう事ですか?」

 

 予想外の言葉にリリは訝しげに眉を寄せる。

 金のために『神酒』さえ利用したこの男が、今更改心などするわけがない。

 驚きよりも不審で顔を染めるリリに、ザニスは笑みを崩さず理由を語った。

 

「あの小僧が別れ際に追加の条件を提示してきたのだ。『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を公平に行うため、当日まで互いの【ファミリア】への危害は厳禁とする。その証明として代表者と随伴者が当日に負傷していた場合、『戦争遊戯(ウォーゲーム)』そのものをなかった事とする、とな」

 

 その説明を聞いてリリは、なるほどと納得する。

【ヘスティア・ファミリア】と【ソーマ・ファミリア】の戦力差は歴然だ。もし【ソーマ・ファミリア】が『戦争遊戯(ウォーゲーム)』前に総力を挙げてベルとレフィーヤを襲えば、【ヘスティア・ファミリア】はひとたまりもない。『戦争遊戯(ウォーゲーム)』のステージに立つ事すらできず敗北するだろう。

 抜けているように見えて意外と目敏いベルのルール追加にリリは内心で感心する。

 しかしそんな彼女の賞賛は次の言葉で吹き飛んだ。

 彼女はまだ理解していなかったのだ。ベル・クラネルがどれだけのお人好しであるかを。

 

「【ヘスティア・ファミリア】側の代表者と随伴者はベル・クラネルとレフィーヤ・ウィリディス、そして【ソーマ・ファミリア】側は団長である私と――アーデ、貴様だ」

「えっ……?」

「良かったな、アーデ。貴様はよほどあの小僧に気に入られているらしいぞ」

 

 嫌らしい笑みを浮かべながら告げるザニスの言葉はリリの耳には届かない。リリの意識はいましがた聞いた『戦争遊戯(ウォーゲーム)』の追加条件の意味を求めて全力で思索に傾いていた。

 代表者と随伴者の負傷によって『戦争遊戯(ウォーゲーム)』が不成立になるルール。ベルとレフィーヤが自分の身を守るために追加したように思えるそれは、しかし【ソーマ・ファミリア】の随伴者の指名によって全く意味を異にする。だって随伴者に指名されたのは『戦争遊戯(ウォーゲーム)』には何も関係がないはずの自分(リリ)で――

 

「――――」

 

 ルールの追加が自分達の身の安全のためではなく、リリを守るためのものだと理解して目に熱いものがこみ上げる。

 どうして、あの人はリリのためにそこまでしてくれるのだろう。

 リリなんて見捨てて、こんな勝ち目の薄い『戦争遊戯』(ウォーゲーム)だって放棄してくれればいいのに。

 どこまでも自分の事を思ってくれる白髪の少年に、嬉しさいっぱいの不満を抱く。

 

「負傷の有無は『戦争遊戯(ウォーゲーム)』当日の朝にギルド職員が確認する。それまでは代表者と随伴者のダンジョン探索も禁止するほどの徹底ぶりだ。これでは私も迂闊にお前に手は出せん」

 

 肩を竦めたザニスがお手上げとばかりに両手を振る。

 しかしザニスは悔しがるどころか、堪え切れないとばかりに含み笑いを漏らした。

 

「何がそんなにおかしいのですか?」

「くくくっ、これが笑わずにいられるか。あの小僧は自らお前の価値を証明してくれたのだぞ」

 

 これまでで一番邪悪な笑みを浮かべたザニスが、まるで価値のない石ころが宝石に化けたところを目にしたかのような、欲に染まった眼でリリを見下ろす。

 

「全く、どこまでも間抜けなお人好しだ。他派閥の役立たずを助けようとするばかりか、こんなにも簡単に弱点を教えてくれるのだからな」

「っ、まさか……!」

 

 弱点、という言葉にザニスが何をしようとしているのか、その下卑た最悪に思い至りリリの顔色が自らの運命を受け入れた時とは比べ物にならないほど青ざめる。

 自らを犠牲にしてまで少年の足枷になる事を拒んだはずなのに、その選択こそが最も少年を縛る鎖になってしまう可能性など、彼女は想像もしていなかった。

 

「神酒を使えば、傷付けずにお前を従わせる事は容易い」

 

 そんなリリの様子を楽しそうに眺めながら、ザニスはルールの穴をついてリリを思い通りにする方法を口にする。

 しかし自らを餓鬼に落とした神酒の恐怖すら、いまのリリを衝撃から立ち直らせるには至らなかった。

 

「だがそれであの小僧にごねられても厄介だ。――――アーデよ、『戦争遊戯(ウォーゲーム)』までの数日、精々最後の安息を謳歌するがいい。その後は、私がお前に相応しい仕事を用意してやる」

「……」

「話は終わりだ。連れて行け」

 

 呆然自失とするリリに背を向け、ザニスが団員に命令する。

 両腕を掴まれ、そこでようやく意識を引き戻されたリリが掴まれた手を無駄だと分かっていながらザニスへ伸ばす。

 

「待って! 待ってください! リリはどうなってもいいから、ベル様には――!」

 

 必死の懇願は、無情にも閉ざされた扉によって遮られる。

 リリの言葉はなんの力も持たず、身体はなす術もなく引きずられるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 ギルドへの『戦争遊戯(ウォーゲーム)』の申請は問題なく通った。開かれた神会(デナトゥス)においても波乱は起きず、事前に打ち合わせていた『代表者の一騎打ち』で対戦方式も決定する。娯楽好きの神達にとっても【ソーマ・ファミリア】が物量で【ヘスティア・ファミリア】を蹂躙するようなワンサイドゲームは求めておらず、【ファミリア】の代表者による一騎打ちが最も盛り上がる対戦方式なのは疑いようがなかったからだ。

 会場となる闘技場のスケジュールはガネーシャの協力で調整が行われ、都市中に盛大な宣伝がなされた結果、もはや【ヘスティア・ファミリア】と【ソーマ・ファミリア】の『戦争遊戯(ウォーゲーム)』は一つの興行となっていた。

 といっても、騒ぎ立てているのは娯楽好きな神や冒険者の戦いを直に見たい市民達が大半で、同業の冒険者の中には大した関心を見せない者も多い。団員数ならオラリオでも有数の【ソーマ・ファミリア】と、最近できた弱小【ファミリア】である【ヘスティア・ファミリア】の『戦争遊戯(ウォーゲーム)』など、結果は分かり切っていたからだ。いくら代表者の一騎打ちとはいえ、【ソーマ・ファミリア】の中にはレベルアップをしている上級冒険者もいる。そんな相手に冒険者になりたてのひよっこが太刀打ちできるはずもない。

 だからこそ、わざわざ『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を見物しようとするのは弱い者いじめを楽しむ悪趣味な冒険者か、祭りや賭け事が好きな享楽主義な冒険者くらいのものだ。

 しかし件の『戦争遊戯(ウォーゲーム)』に挑む少年の事を知る者は、彼らとは違う意味でこの一件に注目する事となった。

 

 

 

「えーーーー! レフィーヤちゃんのところの【ファミリア】が『戦争遊戯(ウォーゲーム)』!?」

「相手は【ソーマ・ファミリア】って、敵うわけないじゃん! レフィーヤとお兄ちゃんってまだオラリオに来てから一か月くらいだよ!」

 

 団員がギルドから持ち帰った情報に驚きの声が飛び交うのは『黄昏の館』。

 オラリオにおいて頂点に立つ二大派閥、【ロキ・ファミリア】のホームで【ヘスティア・ファミリア】の団員――主にレフィーヤと個人的な友誼を持つエルフィとティオナが不満を叫ぶ。

 すぐにその話は団員全体にも広がり、二人ほどではないがあまりの戦力差に眉をしかめる者も多かった。 

 

「騒ぎたくなる気持ちは分からなくはないけど、【ファミリア】同士の諍いに横槍は厳禁だ。短慮は起こさないでくれよ」

 

 段々とヒートアップしていくエルフィとティオナに釘を刺すように、団長であるフィンが注意する。

 都市最大派閥として当然のその指示に、しかしティオナは複雑そうな顔で唇を尖らせる。

 

「それは分かってるけど……でもさぁ、フィン」

「こらバカティオナ! 我儘言って団長を困らせるんじゃないわよ」

 

 何かしらの反論をしようとしたティオナの頭を叩いてティオネが発言を止める。

 それを視界の隅に入れながら、金髪の少女はついこの前にデートした少年の事を思い出していた。

 

「ベル……」

 

 

 

 ところ変わって、太陽と弓矢のエンブレムを掲げる豪邸では、青髪の少女が顔色を自らの髪と同じくらいに青くして友人に泣きついていた。

 

「だ、ダフネちゃん! どうしよう、ベルさんが『戦争遊戯(ウォーゲーム)』をするって! しかも【ソーマ・ファミリア】と!」

「はぁ? 誰よそいつ。っていうかあんた、派閥の外に知り合いなんていたの?」

 

 懸命に訴えかける少女とは対照的に、ダフネと呼ばれた少女は意外そうな顔をして首をかしげた。

 

「やっぱり予知夢(ゆめ)のお告げの通り……急いで兎を落とし穴から助けてくれる栗鼠を捜さなくちゃ!」

「はぁ? なにそれ、また夢の話? 兎と栗鼠がどう『戦争遊戯(ウォーゲーム)』に関係するって言うのよ」

「わ、分かんないけど、でも捜さなきゃダメなの!」

「どう考えたって、『戦争遊戯(ウォーゲーム)』の前に兎や栗鼠なんて渡されても迷惑なだけでしょ。そんなバカな事しないで、そのベルって冒険者の応援でもしてあげたら? そっちの方がきっとそいつも喜ぶでしょ」

「待ってダフネちゃん。信じてよ~ベルさんを助けなきゃいけないの~!」

 

 聞く耳を持ってくれない友の背を追って、預言者の少女は予知夢(よちむ)を回避する方法を探そうとしていた。

 

 

 

 そしてとある施薬院。

 

「ミアハ様、それ……本当ですか?」

「ああ。先程神会(デナトゥス)に行って直接確認してきた。ヘスティア達がソーマのところと『戦争遊戯(ウォーゲーム)』をするそうだ」

 

 主神が持ち帰った話を聞いて、犬人(シアンスロープ)の少女はいつも眠そうな瞳を見開いた。

 

「でも……ベル達はまだ冒険者になったばっかりで……」

「ナァーザよ。動揺する気持ちは分かる。しかしこれはもう、決まってしまった事だ」

 

 動揺する眷属の慮りながらも主神は厳然たる事実を告げ、その肩に手を置いた。

 

「大丈夫だ。ヘスティアも勝算はあると言っていた。私達はベル達を信じ、見守ろうではないか」

「……はい」

 

 ギュッと、着ている服ごとナァーザは手を握り込む。

 

「……わたし、回復薬(ポーション)たくさん作ります」

「そうだな。私も手伝おう」

 

 自分達を助けてくれたベル達の力に少しでもなるべく、少女と男神は薬品作りを始めた。

 

 

 

 はたまたある酒場では。

 

「あの白髪頭、面白そうな事するみたいだニャー」

「【ソーマ・ファミリア】ってお酒売ってる【ファミリア】だっけ? 前にバカな客がそこの酒と比べてうちの酒が不味いとか言って、ミア母さんにぶっ飛ばされてたよね」

「まさか【ソーマ・ファミリア】にも、少年のお尻を狙う輩がいるのかニャ!?」

 

 猫人(キャットピープル)の少女達とヒューマンの少女が騒ぐ傍ら、薄鈍色の少女は顔を曇らせて両手の指を祈るように胸の前で絡ませた。

 

「ベルさん……」

 

 その様子に気付いたエルフが、少女の手に自分の手を重ねる。

 

「大丈夫ですよ、シル」

 

 あの人達は強い。そう告げる妖精の表情は、言葉とは裏腹にわずかな不安を滲ませていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして『戦争遊戯(ウォーゲーム)』当日。

 闘技場の観客席は満員に近い盛況を見せた。

 しかしその中で【ヘスティア・ファミリア】の勝利を見に来たものは殆どいない。

 観客の大半は勝敗は既に決まったものとして、その過程を楽しみに来ていた。

 冒険者同士の真剣勝負を見に来た者、お祭りとして興味本位で足を運んだ者、そして弱小派閥が潰される様を見物しに来た者。

 誰もが一か月ほど前にできた弱小【ファミリア】が、団員数ではオラリオでも有数の【ソーマ・ファミリア】に勝てるとは思っていない。

 例外といえば金髪金眼の女剣士や、褐色のアマゾネス。それから青髪の魔導士に、犬人(シアンスロープ)の薬師、酒場のウェイトレスくらいのものだろう。

 そしてベルの勝利を信じる筆頭でもあるヘスティアは、観客席の一つに座りながら緊張した面持ちで始まりを待っていた。

 ついさっきベルへの激励を済ませた。

 この日が来るまでに、準備も話し合いも入念に終わらせている。

 勝算はある。少なくとも、ベルはそう信じている。

 ならば主神である自分も、眷属を信じる事になんの迷いがあるだろう。

 そう思うのに、胸の奥の不安は消えるどころか、試合開始が迫るほどに膨れ上がっていく。

 

『あー、あー! えーみなさん、おはようございますこんにちは! 今回の戦争遊戯(ウォーゲーム)実況を務めさせていただきます【ガネーシャ・ファミリア】所属、喋る火炎魔法ことイブリ・アチャーでございます! 二つ名は【火炎爆炎火炎(ファイアー・インフェルノ・フレイム)】! 以後、お見知りおきを!』

 

 魔石製品の拡声器を片手に実況を名乗る褐色肌の青年が声を響かせる。

 それはいよいよ『戦争遊戯(ウォーゲーム)』が始まる合図と同義だった

 

『解説は我らが主神、ガネーシャ様です! ガネーシャ様、それでは一言!』

『――俺が、ガネーシャだ!』

『はいっありがとうございましたー!』

 

 いつものガネーシャの叫びを慣れた様子で流す実況者のイブリ。

 それを気にした様子もなく、ガネーシャは腕を曲げて己の肉体美を披露していた。

 

『では改めて説明させていただきます! 今回の戦争遊戯(ウォーゲーム)は【ヘスティア・ファミリア】対【ソーマ・ファミリア】、形式は代表者による一騎打ち! 代表者のどちらかが戦闘不能になるか降参を宣言する事で決着となります!』

 

 主神を無視してイブリが対戦形式を発表すると同時に、闘技場の選手入場口の柵が開かれる。

 

『それでは本日の主役に登場していただきましょう! まずは【ヘスティア・ファミリア】から冒険者歴わずか一か月! 格上の【ファミリア】への無謀な挑戦者、ベル・クラネル~~~~~!』

 

 イブリの選手紹介と共に入場口から姿を現したのはまだ10代前半の白髪の少年。

 軽鎧を装備した姿は冒険者というより、子供の英雄ごっこに間違われてしまいかねない幼さが残っている。

 しかしその幼い雰囲気とは裏腹に、少年は堂々した足取りで闘技場の中心へとゆっくりと足を進める。

 

『そして相対するは、酒造りで神々さえ虜にする【ソーマ・ファミリア】の団長にしてLv.2の上級冒険者、【酒守(ガンダルヴァ)】ザニス・ルストラ~~~~~~~~!』

 

 ベルとは反対の入場口が開き、眼鏡を掛けた細麺の男が歩み出て来る。

 その足はベルと同様に真っ直ぐ闘技場の中心へ向かい、数(メドル)の距離を挟んでベルと相対する。

 

『片や駆け出しルーキー、片や上級冒険者、実力差は明白のように思われますが、そこのところいかがでしょうか、ガネーシャ様?』

『それは……ガネーシャか!』

『ガネーシャ様は戦わないでしょうが!』

 

 解説がバカな問答をしている中で、ベルとザニスが何やら言葉を交わしているのが客席にいるヘスティアにはかろうじて見て取れた。

 何を言っているのかは分からないが、どんな内容かは想像がつく。

 

「頑張れ、ベル君」

 

 ヘスティアは両手を合わせ、祈るように届かないと分かっている声援を送る。

 同時により一層の声を張り上げるイブリの声が闘技場中に響き渡った。

 

『それでは時間になりましたので始めましょう! 戦争遊戯(ウォーゲーム)――――開幕です!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争遊戯(ウォーゲーム)』の当日。ギルドで身体の無事を確認された後、リリが連れて来られたのは『戦争遊戯(ウォーゲーム)』が行われる闘技場ではなく、【ソーマ・ファミリア】が管理している酒蔵――その中にある地下の牢屋だった。

 そこは派閥内での懲罰、あるいは『神酒』によって理性を失って行き過ぎた者を幽閉する地下牢だ。

 おそらくはここで、折檻という名のストレス解消でもするつもりなのだろう。

 できるなら最後に、こんな事になってしまった事をベルに謝りたかったが、それを望む自由はもはや自分にない。

 今回の件におけるリリの役割は『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を成立させる事と、ベルへの人質だ。

 前者はもう開幕間近であり何をしても止められず、後者にしてももはや自分の身に何があろうとベルには確認する術がないため、役割は果たされている。

 つまりこの先に待っているのは、ただ搾取されるだけの毎日だ。

 鋼鉄の格子の外で魔石灯のわずかな明かりに足元を照らされながら、リリは身体を小さくするように膝を抱える。

 牢の中には下級冒険者でも引きちぎれない極太の鋼線もあったが、リリが手足を拘束されるような事はなかった。

 そんなものは必要ないと、ザニスもその部下も、そしてリリ自身も理解している。

 だってもし逃げられたところで、行く場所なんてどこにもないのだから。

 そう考えた脳裏に一瞬だけ、自分を助けると言ってくれたお人好しと、彼と同じくらい甘い妹と主神の顔が浮かび、リリは首を振ってその光景を消し飛ばした。

戦争遊戯(ウォーゲーム)』が成立してしまった以上、【ヘスティア・ファミリア】はこれから自分のせいで一生物の負債を背負う事となる。その原因になった自分が、どの面下げて匿ってくれなんて言えるだろう。

 自分の事なんて、見捨ててくれれば良かったのに。

 そうすれば、【ヘスティア・ファミリア】が巻き込まれる事なんてなかった。

 リリのためにこれからの人生を棒に振るような選択をするなんて、どうかしている。

 そう思うのに、どうしようもなく愚かな自分は、それを嬉しいと感じてしまっていた。

 

「ごめんなさい、ベル様……」

 

 騙した事。巻き込んでしまった事。引き留めてくれた手を振り払ってしまった事。あんなにも優しい言葉を掛けてくれたのに、何も返せないどころか重荷になってしまっている事。

 罪悪感に押し潰されそうになりながら、リリは膝を抱えたまま自己嫌悪の底なし沼に沈んでいく。

 逃げた先でお世話になった花屋のお爺さんとお婆さんの嫌悪と非難の目を思い出す。

 騙した冒険者達から向けられた怒りと憎悪の視線が脳裏に浮かぶ。

 そして一人にはしないと抱きしめてくれた、少年の優しい深紅(ルベライト)の瞳を想起する。

 結局、自分は疫病神でしかなかった。

 善人も悪人も関係なく、関わった者を不幸にする薄汚れた小人(パルゥム)

 そんな自分がどうして助けてもらえるかもしれないなんて、夢を見てしまったんだろう。

 バカな夢を見て傷付くのは――不幸になるのは、自分だけじゃないのに。

 そんな事はずっと前から、分かっていたはずなのに。

 

 ――ガコッ。

 

 古びた扉が開く音がする。

 そしてすぐに、誰かが階段を降りて来る気配があった。

 膝の間に埋めていた顔を上げてそちらを見れば、降りてきたのは同じ【ソーマ・ファミリア】の団員であるカヌゥとそのパーティだった。前回の【ファミリア】の会合でしきりにリリが隠しているお金の事を聞き出そうとしてきた男でもある。

 

「へっへっへ、数日ぶりだな。アーデ」

 

 下卑た笑みを浮かべ、格子の外からリリを見下ろしてくるカヌゥとその仲間達。

 その笑みにもはや何も感じず、リリは力なく問う。

 

「どうしてあなた達がここに? 団員は『戦争遊戯(ウォーゲーム)』の観戦か、ダンジョン探索に行ってるはずでは?」

 

 彼らはザニスの息の掛かった団員達ではなく、『神酒』のためにダンジョン探索する一般の団員のはずだ。それがなぜダンジョンに行かずに自分の前に現れたのか。

 どうでもいいと思いながら投げやりに質問を投げたリリに、カヌゥは肩を竦めた。

 

「おいおいつれない事を言うなよ。同じ【ファミリア】の仲間のお前が酷い扱いを受けてるって聞いて、わざわざこうして来てやったっていうのによ」

 

 心にもないカヌゥの言葉に仲間達も嘲笑を含んだ笑い声を上げる。

 一頻り仲間達と笑い合った後、カヌゥは懐から鍵束を取り出して続けた。

 

「ここから出してやるよ、アーデ。いくらお前がバカな事をしたって言ったって、牢屋に閉じ込めるなんてあんまりだ。そう思うだろ、お前ら?」

「ああ、そうだな」

「全くだ」

 

 取り巻きの二人がわざとらしく頷く。

 言っている事はまともだ。その顔にリリを嘲る感情がありありと浮かんでいるのを考慮しなければ。

 

「だが【ファミリア】の方針に逆らってまでお前を助けてやるんだ。お前も、俺達に感謝の一つもあってしかるべきだよな?」

 

 牢屋の鍵を開けて中に入ってきたカヌゥが、リリを見下ろし唇をニィと大きく開く。

 欲に目が眩んだ醜悪な笑みが何を求めているのか、リリはすぐに理解した。

 つまりカヌゥは団長であるザニスが徴収する前にリリの隠している財産を奪いに来たのだ。『戦争遊戯(ウォーゲーム)』の最中は何をしてもザニスの目が届く事はない。そして今回の件で徴収するはずだった金をリリが持っていなくとも、それはリリの責任でありカヌゥとは何も関係がない。全ての負債はリリ背負う事となる。

 

「なぁアーデ。俺の言ってる事、分かるよな?」

 

 肩に手を置かれ、もう片方の手がリリの目の前で分かりやすく拳を握る。

 既に『戦争遊戯(ウォーゲーム)』は成立している。ザニスが団員に命じていたリリへの危害を禁止する命令も『戦争遊戯(ウォーゲーム)』が始まる前までの事であり、もはやリリへの暴力を抑止するものは存在しない。

 

 ――それなら、もういいのではないだろうか。

 

 そんな諦観が、リリの頭をよぎる。

 ここで抵抗しようがしまいが、何年も貯め続けたお金が奪われるのは確定している。ザニスに渡すのかカヌゥに渡すのか、それだけの違いでしかない。

 それにザニスは自分にも仕事があると言っていた。ならたとえお金がなくとも、無駄な暴力は振るわずそちらでリリに稼がせようとするだろう。ザニスとは、そういう男だ。わざわざ意地を張って痛い思いをする必要はない。

 だってこの先に待つ未来は、何をしたって結局変わらないのだから。

 

「…………りません……」

「あ?」

 

 リリの呟きが聞こえなかったのか、カヌゥが耳を寄せて来る。

 だからリリは、今度こそはっきり聞こえるようにその答えを叫んだ。

 

「リリはあなたの言ってる事なんて、ちっとも分かりません!」

 

 大声に鼓膜をやられて耳を押さえるカヌゥの無様な姿を見上げながら、リリは己の行動に疑問を持つ。

 もうとっくに諦めたはずなのに、どうしてわざわざ損しかない選択をするのか。

 卑しくてずるい、己の事しか考えていないパルゥムらしくもない。

 こんなのは無意味な意地だ。無駄な反駁だ。バカで愚かな、きっと数秒後には後悔する選択だ。

 分かってる。でも――

 

 きっといまこの時も、あの人はリリを思って戦ってくれているはずだから。

 

 だったらリリだって戦わなくちゃ、もう二度とあの人の顔をまともに見れない。

 たとえもうそれが叶わない願いだったとしても――もうこの先の人生であの人に会う機会なんてなかったとしても、その希望まで失う事だけは絶対に嫌だから。

 

「ああ、そうかよ」

 

 カヌゥは耳を押さえていた手を合わせ、両の指をボキボキと鳴らす。

 リリはその音に反射的に身体を竦ませた。

 

「ならその身体に分からせてやるよ!」

 

 拳が振り上げられる。

 恐怖で竦んだ身体は防御の姿勢も取る事ができず、リリはただ自分に向けられた拳を見ている事しかできない。

 襲ってくる痛みを覚悟して反射的に目を閉じようとした瞬間、予期せぬ声が地下牢に響き渡った。

 

「【シャドウ・ハイズ】!」

 

 鈴のような凛とした声に入り口を振り仰げば、そこに人の姿はなく、代わりに膨大な黒い煙が出現していた。

 その煙は瞬く間に地下牢全体へと拡散していき、カヌゥ達の上半身を埋め尽くした。

 

「な、なんだ!」

「火事か!?」

 

 視界を奪われたカヌゥ達が混乱した声を上げる。

 訳が分からずリリも目をしばたかせたが、暗闇の中から誰かが自分を呼ぶ。

 

「リリさん! こっちに!」

 

 聞き覚えのあるその声にリリは反射的に従って駆け出した。

 黒い煙はカヌゥ達の上半身を覆う高さまでしか広がっていないため、座り込んでいたリリの視界はまだ奪われていない。

 元々身長の低いリリは、いつもよりさらに体勢を低くしてカヌゥ達の横をすり抜け、煙に突っ込むように階段を駆け上がった。

 段数を数えて最上段まで上がったところで扉を開けようと手を伸ばすが、既に扉は開いていてつんのめる。勢いを殺しきれず無様に地面に転がりそうになったところで、柔らかい何かがリリを受け止めた。

 

「遅れてしまってごめんなさい! 無事ですか、リリさん!」

 

 柔らかい何かから顔を上げると、そこにいたのは数日ぶりに会う山吹色の妖精だった。

 切羽詰まった表情でこちらを見下ろす瞳に、リリは理由も分からず胸が苦しくなる。

 

「怪我は――ないみたいですね。良かった……!」

「アーデ! どこ行きやがったテメェ!」

 

 安心した顔をレフィーヤが見せたのも束の間、地下牢からカヌゥ達が怒鳴り声を上げてこちらに向かってくる気配がする。

 

「少しだけ下がっててください」

 

 扉を閉めたレフィーヤはリリを後ろへ下がらせると、持っていた杖を構えた。

 

「【契約に応えよ、凍土の氷雪よ。我が命に従い狂気を凍らせ】」

 

 杖を向ける先は閉じられた扉。

 すぐ向こうから聞こえてくるカヌゥ達の叫びを打ち消すようにレフィーヤは魔法名を叫んだ。

 

「【アイス・フリージング】!」

 

 外枠をなぞるようにして扉があっという間に凍りつく。

 直後にドアノブを動かそうとする音が扉の奥から聞こえてくるが、凍ったドアノブはビクともしなかった。

 

「これで時間稼ぎにはなるはずです。行きましょう、リリさん!」

 

 当然のように手を差し出してくるレフィーヤ。

 

「い、行くって、一体どこに……!?」

「兄さんのところです!」

 

 答えを叫び、動こうとしないリリの手を強引に取ってレフィーヤが駆け出す。

 手を引かれて走るしかなくなったリリだったが、それでも疑問は消えず口をついて出る。

 

「なんで? どうしてレフィーヤ様がここに? いえ、それよりどうやってここまで……!?」

 

 この酒蔵は主神が最も大切にしている酒を保管する場所だけあって、ホームよりもよほど厳重な警備が敷かれている。いくら冒険者とはいえ容易く侵入できるような場所ではない。

 リリの疑問にレフィーヤは杖を持った手で器用に懐から羊皮紙を取り出した。

 

「まったく胸を張れる事ではないんですが、実は兄さんが【ソーマ・ファミリア】のホームに不法侵入した時に盗んでいたんです。この酒蔵の見取り図を」

 

 レフィーヤに渡された羊皮紙に描かれていた、この酒蔵の詳細な構造の見取り図にリリは目を丸くする。

 その様子にレフィーヤはイタズラが成功した子供のような笑みを浮かべた。

 

「普段なら怒るところですけど、今回ばかりはつい褒めちゃいました」

 

 そう言って、片眼を閉じてウィンクするレフィーヤ。

 本来なら一度は拘束されたベルが屋敷や酒蔵の見取り図など持ち出せるはずはなかったのだが、そこは【ソーマ・ファミリア】の組織としての杜撰さがベルにとって良いように作用した。

 ソーマに不敬を行った事で拘束されたベルだが、ホームの一室に軟禁されただけで尋問どころか身体検査すら行われなかったのだ。団員はベルの対応を団長であるザニスに任せ、ザニスはその報告を聞いて【ヘスティア・ファミリア】を嵌める事にばかり意識がいき、肝心のベルには2、3質問するだけだった。

 結果的にベルはソーマの部屋から懐に忍ばせていた盗品を持ち出す事に成功し、それを使ってレフィーヤは誰にも気付かれずにこの酒蔵に侵入を果たしたというわけだ。

 

「いたぞ! 侵入者だ!」

 

 聞こえてきた怒声に顔だけで振り向けば、後ろからカヌゥ達ではない別の【ソーマ・ファミリア】の団員が迫ってきていた。おそらくは騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。

 レフィーヤはリリの手を引いているのとは逆の手で杖を構え、()()()()()()()()()()()()()詠唱を開始する。

 

「【契約に応えよ、凍土の氷雪よ。我が命に従い狂気を凍らせ】」

 

 紡がれる歌が魔力を集め、レフィーヤは杖を自らが走る足元へと向けた。

 

「【アイス・フリージング】!」

 

 放たれた魔法がレフィーヤとリリが走ってきた廊下をツルツルの氷原へと変える。

 追ってくる【ソーマ・ファミリア】の団員達は凍って滑る床に足を取られて無様に転倒した。

 

「れ、レフィーヤ様! 並行詠唱なんてできたんですか!?」

 

 詠唱と逃走。二つのアクションを同時に行う高度な技術を目の当たりにして、リリが驚愕の声を上げる。

 短文詠唱とはいえ、未熟な者が行えば魔力暴発(イグニス・ファトェス)は免れない。上級冒険者ですら習得している者は少ない並行詠唱。

 ダンジョンでは一度も見せなかったまさかの隠し玉に、リリは目を真ん丸にしてまだ駆け出しのはずの妖精魔導士を見上げた。

 

「いえ、初めてやりました」

「初めて!?」

「でも、できる自信はありましたよ」

 

 前世ではベルを守りながら魔物と戦っていたため、攻撃を避けたり逃げたりしながら詠唱するのは日常茶飯事だった事を振り返りながらレフィーヤが胸を張って告げる。

 片やリリは、笑顔でとんでもない事を抜かすレフィーヤに、常識人に見えて彼女がベルの妹だった事実を思い出す。

 いつも騒がしいベルが悪目立ちしているので忘れがちだが、レフィーヤだって彼のとんでもない成長速度に難なくついていく規格外の魔導士なのだ。

 まだ冒険者になって一月程度の駆け出しにも関わらず、10階層を踏破する大型ルーキー。

 その才能の片鱗を改めて見せつけられ、リリは思わずゴクリと息を呑んだ。

 

「さぁ、闘技場まで逃げますよ! 兄さんが待ってます!」

 

 追手から逃げる切羽詰まった状況の中、どこまでも明るくレフィーヤがリリの手を引っ張る。

 その笑顔をなぜか真っ直ぐに見る事ができず、リリは足元を見つめながら引かれる手の方向へとただ必死に走った。

 

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