熱狂に包まれた闘技場。
観客達の声援や歓声と共に、金属がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。
数千の視線を浴びながら、中心で剣を振るうのは二人のヒューマン。
この『
当初レベルの差からあっさりと決着が着く事も危惧されていた両者の戦いだったが、開始からしばらく経ったいまもなお戦闘は続いている。しかしその趨勢は大多数が予想していた通り、一方的なものだった。
「ほらほらほら! どうしたベル・クラネル! 足が止まっているぞ! そんな様で私の相手が務まると思っているのか!」
下級冒険者とは到底比較にならない威力と速度を持ったLv.2の攻勢。まともに食らえば一撃で戦闘不能になり得る斬撃が絶え間なくベルを襲う。
それをなんとか防ぎ、躱し、ギリギリのところでベルは試合として成り立たせる。
この戦いが始まってから、ベルの持つ剣は未だ一度も攻撃に用いられてはいない。防戦一方という言葉を体現するかのようなワンサイドゲームだったが、それでも能力差から考えれば、試合として成り立っている事自体が奇跡に近い。
それほどまでに、この神時代において『レベル』とは絶対的な力なのだ。
「もっと愉快に踊り私を楽しませてみろ! ベル・クラネル!」
大きな踏み込みと共に放たれる鋭い刺突。
ベルの身体の中心を狙う必殺の一撃は、見てから反応したのでは防ぐ事も避ける事もできないほどの速度だった。しかしザニスの予備動作からかろうじて突きの兆候を見て取っていたベルは、ザニスの踏み込みと殆ど同時に回避行動に移っていた。
最小限の動きで身体を捻り、突きの軌道から逃れる。だがそこまでしてもLv.2の速度はベルの先読みと回避をわずかに上回り、寸前のところで
「っつ!」
いまにも叫び出してしまいそうになる激痛を、唇を噛んでなんとかベルは耐える。
そして堪えた先に光明を見つけ出した。
防御など考えず無造作に放たれた刺突は、ザニスに致命的な隙を作っていたのだ。
いくらLv.2といえど、刺突を放った体勢からでは攻撃も回避もわずかに遅れる。その隙をつけば下級冒険者であるベルの攻撃も届く。
傷を負った代価に得た絶好の機会。
しかしこの千載一遇のチャンスにベルが選んだのは、攻撃ではなく離脱だった。
ようやく訪れた反撃の機を不意にして大きく退き、ザニスとの距離を取る。
それは傍から見れば、ザニスの猛攻に翻弄されたベルが及び腰になって反撃の隙を逃したように見えただろう。実際、観客席からは所々でベルへの落胆の声が上がっていた。
だが、このベルの愚かな行動には隠された理由があった。
「無様だな。逃げるだけでは私に勝つ事はできないと分からんか?」
距離を取ったベルの方をゆっくりと振り返り、ザニスが余裕を滲ませた挑発を向ける。
歩いて悠々と近付いて来るその顔には笑みが浮かんでおり、この戦いを心底楽しんでいるのが良く分かる。
「少しは反撃をしてきたらどうだ? もっとも、お前の剣が私の肌にわずかでも触れれば、アーデがどうなるかは知らんがな」
臆面もなく下劣な脅しを口にする男に、ベルは怒りを込めた眼差しを向ける。
『
「リリルカ・アーデの身の安全を思うなら、私に歯向かうような真似はしない事だ」と。
そのたった一言で、ベルは攻撃の一切を封じられてしまった。
ベルの目的はリリを救う事であり、その過程でリリが傷付くのであれば
ザニスはそれを理解していたからこそ数の利を捨て、代表者の一騎打ちという対戦方式を提示してきたのだろう。
「そぉら、続きだ!」
大振りに剣を振り上げたザニスが襲い掛かってくる。
反撃を気にしない上級冒険者の猛攻は凄まじく、一瞬でも気を抜けばそれが生死を分かつ瞬間になる事は明らかだった。
しかしベルにとっては脅威の攻めも、ザニスにとってはおそらく本気ではない。ザニスはその気になれば、すぐにでも決着をつける事ができるはずだ。だがあえて、ベルがなんとか対処できる程度の攻撃しかせず甚振って遊んでいるのだ。
リリの事を抜きにしても上級冒険者と下級冒険者のレベルの差は圧倒的であり、そんな遊びの攻撃を防ぐたびにベルの身体には細かい傷が増えていく。
このままでは好きなだけ嬲られた挙句、反撃もできずに敗北する。
しかしそれが分かっていても、リリを人質に取られたベルに反撃は許されない。ただザニスの剣から必死に逃げ延びる事だけが、許された唯一の戦い方だった。
「っ……!」
ザニスの強烈な一撃と打ち合い、ベルの体勢が大きく崩れる。
致命的な隙を晒してしまったベルの視界に、ぐにゃりと邪悪な笑みを浮かべたザニスの顔がはっきりと映る。
次の瞬間、ザニスの狙いすました刺突がベルの左肩に深々と突き刺さった。
「がっ……ぁぁああぁぁあああああああああああああ!」
痛みが脳を焼くよりも速く、ベルは崩れた体勢から無理やり背後へと跳ぶ。
そのおかげでザニスの剣が肩を完全に貫く前に離脱する事に成功する。
しかし多少は距離を取ったとはいえ窮地は終わっていない。
左肩から迸る灼熱の感覚に泣き喚いて暴れたくなるのを堪え、尻もちをつきながら追撃を応戦するため剣を構える。
だが結果的に、その行動は無意味だった。
ザニスは追撃を仕掛けてくる事なく、ベルの様子を面白そうに眺めていた。
まるで水たまりに溺れたネズミでも観察するように。
「くっ……」
遊ばれている事を痛感しながら、ベルは立ち上がる。
肩の傷は深いが、腕が動かなくなるほどではない。
もう数えるのもバカらしくなってきた身体中の傷も、気合を入れればどうという事もない。
大きく深呼吸して痛みを頭から追い出し、ベルは両手で持った剣の切っ先をザニスへと向ける。
「ほぅ、まだ歯向かう気概があるか」
楽しげにそう言うと、ザニスは剣を振り払って付着したベルの血を地面へと飛ばした。
「そのつまらん意地がいつまで持つか見物だな。精々長引かせて、私と観客達を楽しませてくれよ!」
嘲りと共に突っ込んでくるザニスを、ボロボロの身体でベルは迎え撃つ。
そこに1%の勝機もないと分かっていながら、ベルの心には一欠けらの諦めもなかった。
闘技場で戦うベルとザニスの姿を観客席の最後方で眺めながら、ソーマは長いため息をついた。
子供達の戦いは終始一方的であり、戦いに疎いソーマにすらどちらが勝つかなど簡単に予想がついてしまう。
こんなものを見るために貴重な酒造りの時間を削っていたのかと、ザニスの口車に乗って『
それもこれも、全ては眼下で傷だらけになってみっともなくもがく、ベル・クラネルという子供のせいだ。
突如として、ソーマが酒を造っているところに現れた少年。訳の分からない事を言い募り、子供達であれば酩酊するはずの『神酒』を飲み干してなお、酒に溺れず意思を訴えた下界の子供。
あの白髪の少年に、ソーマは久しく目にしていなかった子供達の輝きを見た。
だからだろう。こんなにもらしくない事をしてしまったのは。
普段ならば『
だが今回に限って、ソーマはザニスに言われるがままに『
ベル・クラネルの輝きを、もう一度見るために。
かつては自分も信じていたはずの、子供達の未知の可能性。
全知全能の神では想像もできない下界の神秘を、あの少年に期待して。
しかし、それもどうやら無駄だったようだ。
ザニスの猛攻になす術もなく、無様に逃げ、みっともなく倒れ、泥臭く立ち上がるベル・クラネルの姿には、先日のような輝きは見られない。
レベルの差に翻弄されて足掻くその様は、ひたすらに惨めで憐れだった。
「…………」
自分が感じたものはまやかしだったのだと、かつて抱いた失望が再びソーマの心を満たす。
所詮はベル・クラネルも、自らの眷属と同じ下界の子供。
『神酒』に塗り潰される程度の意志しか持たない、欲に溺れる獣と変わらなかったという事だろう。先日のあれは、何かの間違いだったに違いない。
もうこんな試合など見ている価値もないと、闘技場から出ようとソーマが立ち上がったところで、思いがけず横合いから声が掛けられた。
「ソーマ。やっと見つけたよ」
名前を呼ばれ振り向けば、そこにいたのは長い青髪を左右に結んだ幼女の女神。
「ヘスティア……」
先日『
「話があるんだ。この
「俺にはない。……俺はもう、帰るところだ」
もはやソーマにとって、この『
ベルが勝とうがザニスが勝とうが、その結果何を得ようが失おうが、興味はない。
自分はただ、酒を造れればそれで良い。
ヘスティアの話を無視してソーマは踵を返す。
「ベル君はきみの眷属、リリルカ・アーデ君を人質に取られている」
「……なに?」
「ソーマ。これはきみの指示か?」
寝耳に水の話に足を止めてソーマが振り返ると、ヘスティアは鋭い眼差しでこちらを睨みつけていた。
『
「違う。俺は何も指示していない」
ザニスは『
やってもらう事は『
これまで全ての雑事をザニスに任せていたソーマは、言われるがままにそれを受け入れた。
「だったらソーマ。君も一緒に来てくれ」
「なに?」
「君のところの団長に捕まってるサポーター君を助け出すんだ」
そう言って、ヘスティアはソーマに手を差し出してくる。
しかしその頼みは、ソーマにとって受ける理由のないものだった。
ザニスのしている事は人道的に考えれば最悪なものだが、【ソーマ・ファミリア】の利益という面のみを考えれば決して間違ってはいない。
もしソーマがザニスのやり方に不満を覚えたとしても、それは『
「……」
ヘスティアの提案にソーマは答えず、いまも闘技場で戦っている二人を――ベルを見下ろした。
反撃を封じられ、【ステイタス】の差に圧倒され、しかし決して諦めずに、歯を食いしばってひたすらザニスの攻撃に耐えている少年の姿を。
「ソーマ。ベル君はサポーター君の――きみの眷属のために戦っているんだ」
傷付き、ボロボロになりながら、少年は上級冒険者相手に必死に食らいついていた。
希望すら見えない戦いを。勝っても得るものなど何一つとてない勝負を。ただ少女のためだけに。
「頼む。ベル君に力を貸してくれとは言わない。でもせめて君の眷属の助けるために身体を張ってる、あの子の気持ちを汲んではくれないかい?」
胸に手を当てたヘスティアが真摯に言葉を紡ぐ。
しかしソーマは彼女を見ていなかった。
ソーマの視線は、眼下で戦う少年から
「なぜ……ベル・クラネルはそこまで俺の眷属のために必死になる?」
それはソーマが最も不可解に感じた疑問だった。
一体自分の眷属の何が、あそこまでベル・クラネルを奮い立たせたのか。
酒に溺れ、本能のままに『神酒』を求めるような子供のために、どうしてそこまで必死になるのか。
自身が見限った眷属に価値を見出すベル・クラネルの思いを、ソーマはまるで理解できなかった。
「簡単だよ、ソーマ」
問われた女神は、ソーマの疑問にあっさりと答えを出す。
「あの子は目の前で泣いてる女の子を、見捨てられるような子じゃないのさ」
自らの疑問になんの解も与えないその答えに、ソーマは返す言葉を持たず、ただ口をつぐむ事しかできなかった。
次回、レフィーヤ&リリ回。