道化英雄譚   作:真黒 空

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27:不細工な笑顔

 

 闘技場で行われる【ヘスティア・ファミリア】と【ソーマ・ファミリア】の『戦争遊戯(ウォーゲーム)』は、いままでとは比べ物にならない最高潮の熱狂を迎えていた。

 元々はレベルの差もあって始まる前から勝負が見えていると噂されていた決闘。その予想に違わず一方的な展開となった『戦争遊戯(ウォーゲーム)』がいまいち盛り上がりに欠けていたのは当然の成り行きだった。

 しかしいま、それを覆す光景が観客達の前には繰り広げられている。

 

『凄い! 凄いぞベル・クラネル! これまでの仕返しとばかりに、目にも止まらぬ剣捌きの怒涛の攻めだ! これには【酒守(ガンダルヴァ)】も苦しいか!? この戦いが始まって初めて守勢に回っています!』

 

 実況のイブリが二つ名に恥じない熱量を持って叫ぶ。

 観客達も煽られるように目の前の戦いに夢中となり野次や声援を飛ばす。

 

『一体ベル・クラネルに何があったのか! まるで試合中にランクアップでもしたかのような鋭い攻勢! 上級冒険者相手に一歩も臆さず、ラッシュラッシュラッシュラーーーーーーッシュ!!」

 

 決着が着くと思われた、その瞬間の反撃。

 そしてそこからの逆転劇に、もはやお行儀良く座っている者などいなかった。

 弱者が強者を圧倒する最高の展開を目に焼きつけようと、観客は興奮のままに声を上げて拳を振り上げる。

 いまや会場全体がベルの味方になっていた。

 

「凄い、凄いよアイズ! あの子、Lv.2の冒険者と互角に戦ってる!」

 

 観客席の一角でベルを応援していたアマゾネスの少女も例外ではなかった。

 ぴょんぴょんと飛び跳ねて、一緒に観戦に来た金髪の少女の肩をゆする。

 

「うん……本当に、凄い」

 

 褐色の少女と比べると分かりづらいが、金髪の少女も眼下の戦いに釘付けとなり、驚きに目を瞠っていた。

 以前に成り行きでする事になったデートで、彼女はベルが冒険者になったのはついこの間の事だと聞かされていた。しかし眼下で戦うベルの動きは、到底冒険者になった駆け出しのものではない。

 デートの一環としてダンジョン探索に行った際も同じような感想を抱いたが、あの時は『神の恩恵(ファルナ)』を授かる前から鍛えていたのだろうと納得する事もできた。しかしいま闘技場の中心で剣を振るうベルの動きは、デートをした2週間前と比べても比較にならないものだった。

 どれだけ才能に溢れた冒険者でも、2週間程度では目に見えた変化など得られるものではない。

 冒険者となって9年間、休む事なく戦い続けていたアイズはそれを実感として知っていた。

 なのに、目の前の光景がその当たり前を否定する。

 

「まるで、アルゴノゥトみたい……」

 

 ティオナが戦うベルに目を輝かせながら、そんな呟きを零した。

 

『アルゴノゥト』

 

 それは一つのお伽噺。

 英雄になりたいと夢を持つただの青年が、牛人によって迷宮へと連れ攫われた、とある国の王女を救いに向かう物語。

 時には人に騙され。

 時には王に利用され。

 多くの者達の思惑に振り回される、滑稽な男の物語。

 友人の知恵を借り。

 精霊から武器を授かって。

 なし崩しに王女を助け出してしまう、滑稽な英雄の名前。

 

 ティオナの目には、幼い頃に何度も繰り返し読んだ物語の英雄の姿が、小人族(パルゥム)の少女の叫びで奮い立ったベルと重なる。

 

「あたし、あの童話、好きだったなぁ……」

 

 両手を胸に抱き、懐かしむようにティオナは口元を緩める。

 第一級冒険者の少女達は、自分達と比べるとあまりにも未熟なその戦いから目を離せなかった。

 だからだろう。あまりにも夢中になっていたせいで、その呟きを聞き逃したのは。

 

「頑張って、アル……」

 

 無意識にティオナから零れ落ちた声援。

 それは隣にいる友はもちろん、口にした少女自身にも聞こえる事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣が重い。

 目が霞む。

 吐き気と耳鳴りが絶えず、全身が悲鳴を上げ、もう何もかも放り出して休んでしまえと肉体が叫んでいた。

 だがその全てを無視する。

 泣き言しか言わない身体の訴えになど耳を貸さず、一心不乱に剣を振るう。

 目の前の男に勝つために。

 その先にある、たった一人の少女の笑顔を見るために。

 

「ああああぁぁあぁああああああああぁぁぁああああ!」

 

 気力が声と共に溢れ出す。

 瀕死の身体から繰り出される剣が、ここに来て最大の冴えを見せる。

 駆け出しとは思えない速さと威力の怒涛のラッシュに、上級冒険者ですら守勢に回る事を余儀なくされる。

 

「このっ……! ふざけるなよ、ひよっこのルーキーが!」

 

 攻撃の間隙を縫ってザニスが鋭い突きを放つ。

 それはベルのどんな攻撃よりも速く重い、上級冒険者の一撃。

 しかしベルはあっさりと、わずかに身体を傾けるだけでそれを回避してみせた。

 

「なに!?」

「はああぁぁぁぁぁぁ!」

 

 無防備となった身体に反撃の一撃が振り下ろされる。

 ザニスはそれをLv.2の【ステイタス】で以て無理やり躱そうとする――――が、完全に避けきる事は叶わなかった。

 

「~~~~! この私に、傷を――――っ!」

 

 肩口に浅い傷を負ったザニスが顔を怒りに染めるが、間髪入れず襲ってきたベルの追撃に感情を爆発させる暇さえ与えられなかった。

 一瞬の油断さえ許さないとばかりに、ベルは攻撃の手を緩めない。

 先程までは追撃を警戒しなければいけないのは常にベルの方だった。ザニスは自分の攻撃に対して必死に足掻くベルの無様を嘲笑い、隙をあえて見逃して甚振る過程を楽しんでいた。

 しかしいま、その立場は完全に逆転した。

 用意していた人質がこの場に現れた事で、一方的な加虐ショーは対等な決闘へと本来の舞台を取り戻し、圧倒的に格下であるはずの駆け出しの冒険者が上級冒険者へ牙を突き立てる。

 

「なんなのだ……」

 

 こんなはずではなかった。

 ザニスにとってこの『戦争遊戯(ウォーゲーム)』は、ただ奴隷を増やすために必要な作業であり余興。それだけのはずだった。

 なのになぜ、自分はこんなにも追い詰められ、あまつさえ傷を負っているのか。

 満身創痍で向かってくる目の前の男は、なぜいまも立っていられるのか。

 

「貴様は一体、なんなのだ! ベル・クラネルゥゥゥゥ!」

 

 破れかぶれのザニスの反撃を冷静に避け、お返しとばかりにベルは反撃を見舞う。

 それは勝負を決めてもおかしくない一撃だったが、上級冒険者だけあってザニスは寸前のところで回避する。

 技でも駆け引きでもない、単純な【ステイタス】に任せた強引な回避行動。

 それがまかり通るのは、ベルとザニスの明確な【ステイタス】の差の表れだ。

 急激な速度で成長していると言っても、ベルは未だLv.1。成長著しいベルの【ステイタス】の中でも一際伸びている『敏捷』ですら、Lv.2のザニスには一歩も二歩も及ばない。

 本来まともに戦えば、ベルがここまで攻勢を出る事すら難しかっただろう。

 しかし――

 

(視線のフェイク――ならば警戒すべきは下ではなく、上!)

 

 ザニスのフェイントを見切り、ベルは反撃の一撃を危うげなく躱す。

 

「チィッ……!」

 

 苛立たしげに零れた舌打ちを切り裂くようなベルの反撃が、ザニスの頬を掠める。

 病的に白かった肌から血が滴り落ち、怒りで紅潮した顔をさらに赤く染め上げる。

 それがザニスの感情をどこまでも逆撫でした。

 当初は享楽と愉悦に(まみ)れながらもどこか優雅だった剣が、怒りと敵意によって荒々しく振り回される。そのどれもが、当たれば一撃でベルを沈める必殺の威力を有していた。

 しかしただの一撃も、ベルの身体には届かない。

 まるで動きを読んでいるかのように、ベルはザニスの剣から難なく逃れる。

 否――『まるで』、『ように』、ではなく。ベルはザニスのフェイントや癖を見切り、確信を持って動きを予見していた。

 

「こんなところで手を足も出せずにやられ続けた経験が活きるとは、人生何が役に立つか分からないものだ」

 

 戦う才がなく、人にも魔物にも負け続けた前世での辛酸の日々。それは苦い記憶ではあったが、確かな糧としてベルの血となり肉となっていた。

 逃げる事にも、妹におんぶされる事にも、一切の恥を感じないベル(アルゴノゥト)。それでも彼は必要となればどんな戦いにも臆する事はなかった。

 時には魔物に襲われる村娘の盾となり、時には運命から逃げ出す正体不明の美少女のために囮となり、時には姫を攫った恐ろしい牛人の魔物に立ち向かった。

 相対するのが逆立ちしたって勝てないと分かっている強者であろうと、道化(アルゴノゥト)は守るべき誰かのために躊躇わず前へ出た。

 しかし、どうしようもなく道化は無力だった。

 虐げられる誰かを助ける優しさも、どうにもならない理不尽に立ち向かう高潔な意志も持っていながら、敵対する者を打ち破る力だけは持っていなかった。

 だからこそ才能のない道化(アルゴノゥト)は負け続け、その末にたった一つの小さな技術を得た。

 それは言うなれば、生き延びる力。

 より正確に表現するならば、相手の動きを観察し、致命傷を避ける観察眼。

 アルゴノゥト程度の実力では、多少の先読みができたとしても戦闘では役に立たない。精々相手の狙いをわずかに外すくらいが関の山だ。

 だがそれがあったからこそ、アルゴノゥトは凄惨な古代を生き延びられた。

 凶悪な魔物の爪牙に身体を裂かれても、筋肉言語で語るドワーフの大槌に吹き飛ばされても、顔が怖い誇り高き狼人(ウェアウルフ)の蹴りをその身に受けても、恐ろしきアマゾネスの暗殺者が振るうナイフに切り刻まれても命があったのは、負け続けた事で鍛えられた観察眼()のおかげ。これがなければ、妹の助けがあったとはいえ無茶ばかりしていた愚かな道化(アルゴノゥト)は、『英雄』と呼ばれる前にあっさりおっ()んでいただろう。

 誰よりも弱く、あまりに多く負け続け、数えきれないほど逃げ回ってきた道化だからこそ得る事のできた敗北者の目。

前世(アルゴノゥト)』では生き繋ぐくらいにしか役に立たなかったちっぽけな取り柄が、『神の恩恵(ファルナ)』を得て冒険者の経験を積んだ『今世(ベル・クラネル)』に至り開花する。

 英雄と呼ばれるに相応しい相手からも九死に一生を得てきた弱者の観察眼は、冒険する事を忘れた冒険者の拙い技と駆け引きなど容易く見切る。

 

「なぜだ…………なぜ当たらん!」

「はああぁぁぁああぁぁぁ!」

 

 焦りと困惑が怒りと共に吐き出されても、ベルの攻勢は止まらない。

 時を追うごとにザニスの傷は増え、形勢がベルの方へと傾いていく。

 

 このままいけば、ベル・クラネルが勝利する。

 

 観客はおろか、相対するザニスさえそんな決着を予見する。

 しかしベル本人だけは、まるで違う見解を抱いていた。

 

(決め切れない……! これが、上級冒険者!)

 

 確かに押しているのは自分の方だ。

 このまま攻め手を緩めなければ、遠からず勝利の天秤はこちらに傾くだろう。

 だがそれは、()()()()()()()()()()()の話だ。

 

「っ……!」

 

 ベルの激しい攻撃にザニスが焦っているのと同様に。ベルもまた、自分の身体の状態に内心で焦りを隠せなかった。

 ザニスが口にしていたように、ベルの身体はもはや立つのすらやっとなほどボロボロだ。

 なんとか気力を奮い立たせ剣を振るってはいるものの、いまにも倒れてしまいそうな肉体を無理やり動かしているような有様なのだ。

 そんな限界を超えた無茶が長時間続けられるわけもない。

 

(もってくれ、私の身体よ……! 頼む、ここで倒れるわけにはいかないんだ――――!)

 

 かつて失明するほどに身体を酷使したベルだからこそ分かった。

神の恩恵(ファルナ)』を得ているとはいえ、雷霆の加護もない肉体の活動限界はすぐそこまで迫っている。

 気力だけではどうにもならない身体の悲鳴に急き立てられるように、ベルは勝負を急いだ。

 そしてその焦りが、彼の判断力をわずかに鈍らせた。

 

「食らえ!」

 

 剣を振り下ろそうとするのと同時にザニスが何かを投げつけて来る。

 咄嗟にベルは剣の軌道をずらし向かってくるそれ――小袋を切り裂いた。

 瞬間、小袋の中に満ち溢れていた砂が中空にぶちまけられる。

 

「なっ――!」

「掛かったな、ベル・クラネル!」

 

 小袋から放たれた砂塵は慣性に従ってベルの顔面へと向かい、無防備な目の中に入り込む。

 咄嗟に瞳を閉じるも間に合わず、眼球の痛みにベルは思わず剣を持っていない方の手で瞼を押さえた。

 

「ぐっ……! 目が!」

「そぉらどうした! 隙だらけだぞ!」

 

 止まる事のなかったベルの猛攻。目潰しによってようやく作り出したその間隙を、ザニスが逃すわけもない。

 致命的な隙を晒すベルに向かって大きく剣を振りかぶり、決着をつけるべく全力で振り下ろす。

 それはベルの命すら奪いかねない必殺の一撃。

 しかしザニスの殺気を察知したベルは、気配だけを頼りに前に出る。

 不意打ちを食らった直後とは思えない驚異的な反応速度。

 目を押さえていた手で再び剣を握り直し、声のした方へ全力で振り上げる。

 その反撃はいまのベルが出せる最良の攻撃だった。

 

 ガキン――――!

 

 無機質な金属音が響き渡った。

 同時に剣だったものの半分が宙を舞う。

 冒険者になってから使い続けてきたベルの剣。

 それがザニスの一刀によって半ばから折られる。

 

 ベルの渾身の一撃が、ザニスの剣によって打ち砕かれる。

 

 前進しての迎撃だったおかげで、ザニスの一撃がそのままベルを切り裂く事はなかった。

 しかし、勝負の結果は明らかだった。

 振るった剣の勢いのままに、ベルはザニスの側面へと倒れ込んでいく。

 それはまるで、ベルがザニスに向かって(こうべ)を垂れるかのようだった

 

 ベルの一撃がザニスの一撃に敗れた理由はいくつも考えられる。

 元々の剣の耐久度の問題や、度重なるダンジョン探索による摩耗。

 反応したとはいえ反撃のタイミングが一瞬遅れた事によって、ベルの剣が最大の威力を発揮できなかったのかもしれない。

 そして何よりも、【ステイタス】の差。

 技術や経験では覆せない下級冒険者と上級冒険者の純粋な力の差が、この結果を齎した。

 

 折れた剣。倒れゆくベルの身体。そしてベルが剣の柄からも手を離した事を見て取り、勝利を確信したザニスの口元がぐにゃりと弧を描く。

 あとは無防備に転がるベルの身体に剣を突き立てるだけで『戦争遊戯(ウォーゲーム)』は終わりを迎える。

 痛みに泣き叫ぶ白兎の姿と共に終幕を幻視するザニスはしかし、ここに至ってもまだ、ベル・クラネルという冒険者を見誤っていた。

 それがこの場面で致命的な油断を招く。

 

 ザッ、と。

 地面を踏み締める音が響いた。

 それは倒れ込んでいたはずのベルの足が大地を捉える音だった。

 

「なに――!?」

 

 予想外の事態にザニスが身体ごと振り返る。

 そこで目にしたのは、剣を落として空手になっていたベルの手が拳を握っている姿だった。

 武器は落としたのではなく捨てたのだと遅れて悟ったザニスが、牙を失っていなかった兎が何をしようとしているのか理解して顔を青ざめさせる。

 

「貴様――――!」

 

 もしザニスがベル・クラネルを単なる鴨ではなく、対等な冒険者として見ていたなら気付けたかもしれない。

 目を潰された。力で負けた。剣を砕かれた。ベル・クラネルがそんな事でわずかにでも心を折られるような潔い冒険者ではない事に。

 上級冒険者との『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を強制されても、人質を取られて勝機のない戦いを強いられても、反撃すら封じられて一方的に痛めつけられても、一度として揺らぐ事のなかった強固な思い。

 まだ駆け出しでありながら、しぶとく諦めの悪い、その一点だけは誰よりも冒険者らしい冒険者。

 そんな男が、たかだか武器を失ったくらいで怯むわけがないのだ。

 

「ま、待てええぇぇぇぇぇ!!!」

 

 ザニスが見誤ったベル・クラネルの真価。

 それは上級冒険者に挑む向こう見ずさでも、駆け出しとは思えない【ステイタス】の高さでもない。

 それはどんな目に遭おうとも決して歩みを止めない――――強靭な意志の強さだ。

 

「はあああぁぁあああぁああああぁぁぁああああああああああああああああああああああああ!」

 

 肺から全ての酸素を吐き出すかのような叫びと共に、ベルの拳がザニスを襲う。

 剣での反撃は間に合わない。懐に入ったベルには、もはや剣のリーチと殺傷力など意味を為さない。

 無防備となった鳩尾にベルの全力の拳がめり込む。

 

「がっ――!」

 

 衝撃にザニスの身体がくの字に折れ曲がり、苦悶の声が漏れる。

 だが、それだけだった。

 ベルの渾身の一撃は、ザニスの意識を刈り取るまでには至らない。

 いくら不意を突いた全力の一撃であろうと、Lv.2とLv.1の圧倒的な【ステイタス】の差を覆すには、それだけでは足りない。

 故に――――ただ一撃では終わらない。

 

「まだまだぁぁああああああぁあああああぁああああああ!」

 

 砲声と共に、ベルの両拳が目にも止まらぬ速さでザニスの身体に打ち込まれる。

 目で追う事すら困難な乱打。

 こうなればもはや【ステイタス】の差など無意味だった。

 懐に入られ、無防備な身体に初撃を食らったザニスには回避も防御も叶わず、ベルの拳を身体で受け止めるしかない。

 拳の威力にザニスの足が地面から離れ、声にならない悲鳴が身体の生理的反応に取って代わる。

 

「~~~~~~~~~~!!!」

 

 片やベルも、とうに限界を越えた身体の酷使に気絶しかけていた。

 常人であればとっくに昏倒している負傷と疲労に声にならない絶叫を上げながら、それでも拳を打ち出すのを止める事はない。

 その意識と心をつなぎとめているのは、たった一人の少女から向けられた、期待と信頼。

 そして彼女の悲しい笑顔。

 あの子(リリ)があんな笑顔を浮かべなければいけなかった理由を思い出し、いまにも闇に沈もうとする意識が怒りで塗り潰される。

 

 少女の不幸の全てが、目の前の男(ザニス)に原因があるとは思わない。

 派閥の体制や主神の神意、彼女の両親と、もしかしたら彼女自身にも問題はあったのかもしれない。

 だがそんな少女に手を差し伸べる事もせず、この男はそれを利用し、あまつさえ嘲笑った。

 その事実が、何よりもベルには許せない。

 少女を狂わせた『神酒』よりも。身勝手な理由で理不尽に自身の眷属を見限ったソーマよりも。

 弱者を踏みつけにし、少女から立ち向かうどころか逃げる選択肢すら奪った男の卑劣な行いに、ベル・クラネルはずっと怒り続けてきたのだ。

 

 かつて前世で魔物に抱いた瞋恚(しんい)と同等の激情を拳に乗せ、ベルは血反吐を吐きそうになりながらもその全てを全身全霊でザニスの身体に叩き込む。

 まるで少女が長い月日耐え抜いてきた不幸を一つ一つ返すように。まるでこれが、彼女の痛みだというように。

 

 

「くたばれぇ!」

 

「ぐぶるっ!」

 

 

 闘技場にいる誰もが永遠に続くかと錯覚した拳打の嵐が、かつての旧友達の乱暴な言葉を借りたベルの渾身のアッパーにより終わりを告げる。

 人体の急所の一つである鳩尾を打ち抜かれ、醜い叫びと共にザニスは中空を舞った。

 長い時間を掛けて綺麗な放物線を描いた身体が、ぐしゃりと地面に叩きつけられる。

 顔面から落ちたため土とキスし、ケツを天に突き上げるような体勢となっている身体がひくひくと痙攣した。

 誰の目からも意識がないと分かる無様な姿。

 それを見て、闘技場は一瞬の静寂に包まれた。

 そして次の瞬間、割れんばかりの大歓声が闘技場を揺るがす。

 

『け、決着~~~~~~~~~!? 誰もが予想しなかったジャイアント・キリング!  【酒守(ガンダルヴァ)】ザニス・ルストラを破り、戦争遊戯(ウォーゲーム)の勝者は【ヘスティア・ファミリア】! ベル・クラネルだーー!』

 

 実況のイブリの勝敗宣言。

 それによりさらに会場は狂乱の熱気に包まれる。

 アッパーしたまま拳を天に突き出しているベルの姿が、まるで勝利のガッツポーズをしているように見えたのもそれに拍車を掛けた。

 

 

「やったー! アイズ、あの子やったよ!」

「うん。凄い……!」

 

「ダフネちゃーーーん! ベルさんが勝ったーーーー!」

「引っつくな! そりゃ凄かったし、興奮するのも分かるけどさ」

 

「ベル……おめでとう」

「素晴らしき戦いであった。今夜は存分に労わらなければな」

 

「良かった、ベルさん……」

「泣かないでください、シル。こういう時は、笑うものですよ」

 

 

 客席の各所でベルの知り合いが歓声を上げる中、その戦いを最前列で見ていた少女は、いまも中心で拳を掲げている少年から目を離せないでいた。

 耳が痛くなるほどの大熱狂を尻目に、少年が拳を下げる。

 そしてゆっくりと彼女の方へ振り向いた。

 

「見ていてくれたかい、リリ」

 

 その声は決して大きくなかったが、騒がしい会場の中でも確かにリリの耳に届いた。

 

「どうだったかな? 私の勇姿は」

 

 そう言って、少年は笑う。

 それはとても不細工な笑みだった。

 幼さが残る可愛らしい顔立ちは痛めつけられたせいで腫れ上がり、血と土で汚れて見るも無残なものとなってしまっている。なんだかんだ人を安心させる少年のいつもの笑みとは真逆で、誰が見ても心配を先に抱かせてしまうような落第点な笑顔。

 しかしリリの目には、これまで出会ったどんな人の笑顔よりも輝いて見えた。

 

「はい……!」

 

 頷いた少女の瞳から、枯れていたはずの涙が溢れ出る。

 

「とても格好良かったです、ベル様……!」

 

 自分でもいつ振りか分からない涙で頬を濡らしながら、少女はとびきりの笑みを浮かべる。

 それはベルと同じく、とても不細工な笑顔で。

 この日少年は、1人の少女の英雄となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソーマは、それをすぐ傍で見ていた。

 ボロボロになりながら少女に笑い掛ける白髪の少年と、涙を流して笑みを浮かべる自らの眷属。

 その光景を間近で目にして、ようやくソーマは自らの疑問が氷解していくのを感じた。そしてベルが言っていた言葉の意味もまた、理解できた気がした。

 いまも大粒の涙を零しながら笑う少女の思いを、ソーマは尊いと感じたから。

 たとえその思いが、自身が作った『神酒』を飲ませれば泡のように消えてしまうものだったとしても。価値がないと見限ってしまうにはあまりにも惜しいと、そう思ってしまったから。

 

「分かるかい、ソーマ」

 

 隣にいたヘスティアが勝ち誇るでもなく、静かに語り掛けて来る。

 そしてソーマと同じものを見ながら告げた。

 

「あれが、君が捨ててきたものだ」

 

 ソーマは答えなかった。

 何も答えず、ただ目の前の光景を瞳に焼きつけた。

 

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