知名さんの来訪で悶々とした気持ちを抱えながらも時間と言うものは過ぎ去っていく。再び海上に戻って航路の安全を守るべく職務をこなしていたが知名さんの言葉が頭を離れなかった。
岬さんに何を企んでいるのか直接尋ねようかとも思ったけど忙しい岬さんが簡単に捕まるわけないもなく、私の気持ちは晴れなかった。
「しろちゃん最近、元気ないですね」
「……そんなに私は元気がなさそうに見えるか」
どちらかと言えば人の感情の機微に疎い納沙さんに気が付かれる程、普段と様子が違って見えたのだと思うと少し情けない。
「毎日ため息ばっかり吐いてたら誰でも気付きますよ」
「ため息……気が付かなかったな」
まさかあからさまにため息まで吐いていたなんて迂闊だった。艦長ともあろうものがそんなあからさまな態度でいたら船員の士気に関わる。
「それで副長、一体なにがあったの?」
西崎さんの質問に私はどう答えるか考えざるを得なかった。いや、そもそも知名さんが尋ねてきた事を話していい事だったのかが判断に迷った。
アレは私に対するお願い、あるいは警告のようなものだった。それならば他者に話す事はあまり良くないのではないだろうか。
しばらか悩んでから私は話す事に決めた。だけど全部じゃない。「超えられない嵐はない」と言う言葉に関する一連の不穏なやり取りは話さない事にした。なんとなくアレは、アレだけは私個人に向けたメッセージだと確信していたから話すべきではないと思った。
「あの知名艦長がねぇ」
「どっちかと言えば知名艦長が岬さんの手綱を握る側だったよね。あの岬さんが知名さんを振り回すなんて……」
西崎さんも知床さんも驚いた様子を見せたけど唯一納沙さんだけは違った。
「そうですか? 知名二監って岬艦長のやる事に全力で乗っかって手綱なんて握ってなかったように思いますけど」
ピンとこずみんなの視線が納沙さんに集中する。
「ほら、晴風クラス解散騒動の時とか艦長の一言で舞台に上がってくれましたし。晴風の情報をばら撒いたり、なんなら艦長よりもはっちゃけてましたよね」
言われてみればあの騒動でひっそりと青木さんを使って晴風の情報を拡散させるためのチラシを作ったりしていたな。岬さんやりたい事を達成させるためなら多少強引な手段でもいとわなかった。
規則に反していたわけではないけどあのチラシで学校から注意を受けていたみたいだし案外岬さんよりも無茶苦茶やる人なのかもしれない。
「だとしても知名二監は一度止めようとしたようだし、手綱を握る側だったのは間違いないだろう」
「岬さんを止めようとして止まらなければ艦長以上に暴走するのが知名二監だと思います」
言われてみれば一理あるかもしれない。知名二監は武蔵の艦長を務めた事からも分かる通り頭がいい。普通の学校であれば頭がいいとは即ち成績がいい事を指すが海洋学校ともなればそれだけではすまない。
あの大和型と言う大型艦を運用する上では単純な成績だけで表せない頭の良さと言うものを彼女は持っている。
そんな彼女が全力を出せば岬さんよりも過激で効果的な手段の一つや二つ簡単に思いつくだろう。いや、あるいはそれが知名二監にとっての普通なのか。頭のいい人の考える事はよくわからない。
「頭のいい人が暴走する事ほど手に負えないものはないな」
「しろちゃんは知名二監が暴走してるって思ってるんですか?」
納沙さんの指摘にはたと口に手を当てた。知名さんは別に何か悪い事を企んでいると言っていたわけではない。だと言うのに知名さんの暴走を考えていると言う事は他でもない私自身が知名さんが、岬艦長が何か悪事を働こうとしているのではないと疑っているに他ならない。
あの岬艦長が悪事を働くなんて考えられない事だし、そこに知名さんが加われば尚更だ。
「仕事が休みの宗谷さんをわざわざ訪ねてまで話したって事はそれだけ秘密で重要な話だったって事だよね」
「そうだろうな。ブルーマーメイド内ではどこで聞き耳を立てられているか分からないからわざわざ訪ねてきたんだろう」
知床さんの指摘は当たり前の事ではあるが、改めて言われてみればおかしな話だ。海の安全を守る正義の機関であるブルーマーメイドに知られるとまずいと言う事は、逆説的にそれは悪いことになるのではないだろうか。
いや、だからと言って艦長達が必ずしも犯罪まがいな事をしようとしているとは限らない。単にブルーマーメイドの現体制にとって都合が悪い事をしようとしているだけの可能性だってある。
「みかんちゃんに相談してみる?」
「伊良子さんに?」
「みかんちゃん結構情報通っぽいし何かわかるかもよ」
「確かに伊良子さんは居酒屋経営でで色々情報を得ていたようだが、そう都合よくいくだろうか」
彼女と再会してから色々と話をして思い知ったのが、酒は怖いと言う事だった。
岬さんと知名さんが言い争っていたと言う話は聞いて知っていたが、伊良子さんはそれ以外にもブルーマーメイド高官の様々な痴態や後ろ暗い事情に精通していた。
例えば総務部長の阿部二監の労働法無視のブラックな人使いや私の元上司、野際三監が後輩である知名二監が優秀すぎたせいで出世できない事を千葉二監に愚痴っていたとか。あとは真冬姉さんが相変わらず誰それ構わず尻を揉みまくって訴えられかけたとか。
「……伊良子さんに聞いてみるか」
考えれば考えるほど伊良子さんはブルーマーメイドの内部に精通しているように思う。
早速艦橋に来てもらって話してみると返ってきた答えはこうだった。
「たしかにお店にはいろんな人が来て内部事情をポロポロこぼしていったけど、何でもかんでも知ってるわけじゃないんだよ」
まぁ当然といえば当然だ。伊良子さんが元ブルーマーメイドだったから少し口が軽くなっていただろうけど本当に話したらまずい事まで話すはずがない。
「けど知名さんがプライベートで会おうとした理由はなんとなく想像がつくよ」
「分からるんですか?」
納沙さんが尋ねると伊良子さんは頷いて答えた。
「宗谷さんと会った事を知られたくなかったんだと思うよ」
「それは私達も考えた。だけど一体誰に知られたくないと言うんだ」
しららたくないからプライベートで会いに来た。それは当然の理屈だ。だけど一体誰に知られたくなかったのかがわからない。
「多分、岬さんかな」
「知名二監と岬さんの関係で私と会った事を隠す必要があるのか?」
「少なくとも阿部二監とか千葉さんと比べたらあると思うよ」
阿部二監と千葉二監は岬さん達とは違う派閥でむしろこの二人に知られることの方が良くなさそうだけど違うのだろうか。
「私も岬さんが何をやろうとしているのかは知らない。けど一つ言える事がるんだよ」
「それは私達よりも色々な事を知っているから推測できることではないのか?」
「客観的に見て言えることだからみんなも分かると思うよ」
皆目見当もつかない私とは裏腹に納沙さんは何かに気がついたようで「あっ」と声を上げた。
「何か気が付いたのか?」
「もしかしたらなんですけどしろちゃんを関わらせないようにしていますか?」
私を関わらせないように?
「納沙さんも知っての通り私は派閥に属していないから岬さんがやろうとしている何かに関わってもブルーマーメイド内のパワーバランスに影響はない。そんな事をする意味がないだろう」
何を言っているんだと言うのが正直な感想だった。岬さんとは昔ほど接点はないしそんな事しなくとも関わる可能性は少ない。何より関わったところで岬さんにデメリットがあるととは思えない。
そう思って伊良子さんに視線を向けるが、返ってきた反応は思っていたのとは違った。
「……まさかそうなのか?」
「間違ってないと思うよ。だって昔の岬さんなら宗谷さんの事をもっと頼りにしていたもん」
「そういえばそうだね。競闘遊戯会の時とかクラスの出し物を纏めるのに真っ先に副長に相談してたみたいだし」
「今の岬さんはあの頃とは真逆の動きをしているし見方によっては関わらせないようにしているって言える……かも?」
西崎さんと知床さんは納得している様子だけど、正直私は納得できない。
「なぜ私を関わらせたくないんだ。知名二監は嵐で船体がズタボロにならないように支えると言った。副長だった私もそれを支える義務がある。だと言うのにその支えられる岬さん自身にそのつもりがないなんで意味がわからない!」
「そ、そこまではわからないけど……」
「本当にわからないのか? あんなにもいろんな事を知っている伊良子さんが知らないと言っても……」
「しろちゃん!」
「なんだ!!」
「知らないのなら詰め寄ったところで話せるわけないです。もし仮に知っていたとしても話さないってことは何か事情があるって事です。どっちにしても問い詰めたところで意味はないですよ」
納沙さんに言われて私は自分が思っている以上に岬さんに隠し事をされていると言う事が自分にとって不愉快な出来事なのだと気がついた。理由を知っているかどうかもわからない伊良子さんに我を忘れて詰め寄るなんてあってはいけない事だ。
それにいくら問い詰めたところで知らないことは知らないし、仮に知っていたとしてもPRDT所属の伊良子さんが答えるとも思えない。
「す、すまない。少し熱くなりすぎた」
「こっちこそごめんね。宗谷さんの気持ちも考えずにこんなこと言って」
「いや、今のは全面的に私が悪い。伊良子さんの言うことはもっともだった。客観的に見て岬さんが私を関わらせたくはないようにしているのは間違いない」
冷静になってみれば分かる。特に派閥に属しているわけではない私と知名さんが会ったところで他の派閥に直接大きな影響があるとは考えにくい。強いて言うなら宗谷派は影響があるかもしれないがそれくらいだ。
逆に大きな影響があるのは横須賀派だ。派閥のツートップの片割れが無派閥とはいえ宗谷家の人間と接触したとなればあまりいい印象は与えないだろう。横須賀の二頭体制が崩れるような事になりかねないし軽率な行動だ。
「だけどそれならどうして知名二監は私と会ったのだろうか。いや、岬さんと私の扱いに関する方針が違うと言うのはわかるがなぜそれが隠さなければならないほど重要な事になっている理由がわからない」
私の疑問に答えてくれる人はいなかった。この中にいる誰もが岬さんの派閥に入っていないから理由なんてしりようがなかったからだ。
いや、一つだけ答えてくれたものがあった。艦内電話だ。
「私でますね」
納沙さんが受話器をとって話をしていくと段々とその表情が曇っていった。
「何があったんだ?」
「それが、演習中だった横須賀女子海洋学校の艦隊の位置情報が喪失したみたいなんです。私達が一番近い場所にいるから確認に行ってほしいと宗谷校長から要請があったみたいです」
「なに?」
位置情報の喪失は私たちからすればトラウマでしかない。RATt事件の際にはRATtのせいで反乱の嫌疑をかけられ位置情報のビーコンを切って難を逃れたりしているがそれだけに私達はこれが喪失することの危険性をよくわかっている。
「すぐに向かうぞ。もし何かトラブルがあったのならブルーマーメイドとして対応しなければならない。なにもなくとも母さん、校長達を安心させないといけないからな」
岬さんの事を知るために考える時間が欲しかったが仕方が、これも仕事だ仕方がない。
いや、仕事の忙しさで悩む時間がないのは、その分周りに心配をかけない事につながる。むしろ私にとってはいい事なのかもしれない。だけどブルーマーメイドとしてはもう少し安全な海になってほしいと思う。難儀なものだ。