「大変なんです!」
「落ち着け、一体何があったんだ」
納沙さんの慌て方は尋常ではなかった。普段は綺麗に整えられている長い髪は乱れ、視線は右往左往している。
「落ち着くだなんて……しろちゃんはどうしてそんなに落ち着いているんですか!!」
「落ちついているもなにも、納沙さんが報告しなければ慌てようがないだろう」
報告もされていないと言うのに、一体どうやって慌てるというのか。言っている事が無茶苦茶だ。
納沙さんの慌て方は尋常ではないが、見ている側としては逆に冷静になれる。
「まずは深呼吸して、なにが起きたのかだけを教えてくれ」
「は、はい……」
納沙さんは大きく息を吸い、少ししてそれを吐き出した。それで少しは落ち着いたようで、視線が真っ直ぐ私に向いた。
「どこから話せばいいのか分からないんですけど……」
深呼吸さて落ち着きは取り戻したが、納沙さん自身が情報の取捨選択をできず混乱しているようだった。
「それなら過程は後で聞くとして、結論だけを言ってくれればいいとおもうよ」
伊良子さんの言葉に納沙さんは視線を落とし、唾を飲み込んでから口を開いた。
「今から四時間前に横須賀女子海洋学校校長、つまりしろちゃんのお母さんが逮捕されたんです」
それは、動揺するなと言う方が無理な話だった。私の知っている限り、母さんが逮捕されるような行為に手を染めたことはない。誤認逮捕、それが頭をよぎった。
「い、一体なんの容疑で!?」
「それがRATtウィルスを用いたテロ容疑なんです」
RATtウィルスを管理する立場にいない母さんがそんな事をできるわけがない。だからこれは誤認逮捕だ、そう断じたいけど逮捕したと言うことはそれだけの証拠があったと言う事だ。
「校長だけじゃないんです。先代の安全監督室室長、つまりしろちゃんのお姉さんの宗谷真霜一監も滞在先のドイツでシュペーに対するテロ容疑でヴァイマルブルーマーメイドに拘束されました」
姉さんはもっと縁遠い存在だ。今はドイツにいるのに一体どうやってRATtウィルスを使ってテロを起こしたなんて言う馬鹿げた結論に達するのだろうか。
「他に逮捕、拘束されたのは平賀二監や沿岸調査部部長、地方支部の宗谷派支部長と言った宗谷派幹部と横須賀女子海洋学校の教官。ドイツだとヴェロナ二監とそのご両親が拘束されました!」
「真冬姉さんはどうなった!?」
母さんと真霜姉さんが逮捕されたのなら、室長の真冬姉さんが逮捕されない道理はない。
「逮捕はされていませんけど今回の事件で室長を辞任したそうです」
「逮捕は時間の問題か、逮捕されなくても最悪ブルーマーメイドを辞める事になるな」
真冬姉さんは現在宗谷派のトップだ。その宗谷派から大量の逮捕者を出したとなれば、派閥の長として責任を取る事になるだろう。
「宗谷さんも他人事じゃいられないかもしれないよ」
「……わかっている。私自身は宗谷派ではないが、宗谷の一族だ。おそらく、いや確実に私にも影響があるだろうな」
「それはどうでしょうか」
納沙さんは懐疑的みたいだが、そう私に都合よく事が運ぶわけがない。
「わたしは宗谷派ではないが、世間はそうは見てくれないだろう。こんな時だが、今回の逮捕劇に連座した処分が下されることは間違い無いだろう」
「今回の逮捕、どうやら宗谷派以外の三派閥が合同でしたみたいなんです」
宗谷派以外の三派閥。つまり横須賀、佐世保、舞鶴の三派閥。千葉二監、阿部二監共に面識がないわけではないが、私を見逃してくれるほど親しいわけではない。
「けど主導したのは警備救難部部長、つまり岬艦長みたいなんですよ。だからもしかしたら……」
「見逃されると言いたいのか。RATtウィルスを用いたテロ容疑を掛けられた人物が身内にいるのに?」
「今回の逮捕劇はあくまでも七年前のRATt事件に関するものです。当時学生のしろちゃんには逮捕手は及ばないと思います」
「今回の事件に関連しての逮捕じゃないのか?」
いや、よくよく考えたら真霜姉さんがヴァイマルブルーマーメイドに拘束された理由もシュペーに対するテロ容疑だったな。今回の事件に対してのものでないのなら、私が今の任務を解かれる可能性は低いのか。
「はい。当時海洋学校に入学したばかりのしろちゃんに容疑がかかるとは思えません」
安心できる、とまでは言えないがひとまず私に関してはあまり心配しなくてよさそうだ。そうなると問題は母さん達だ。
「一体どうして母さん達が逮捕されたんだ」
「事の始まりは沿岸調査部の柳原さんが七年前の事件の再調査をした事みたいです。柳原さんは再調査中に、実験体を乗せたまま沈んでいたとされていた潜水艦が、実際にはかなり早い段階で海底から地上に姿を現していた事を突き止めたんです」
「ブルーマーメイドの記録とは違ったと言うことか?」
「ブルーマーメイド以外の機関が保管していた海底隆起の記録と潜水艦の位置を照らし合わせた結果、ブルーマーメイドの記録が間違っていると結論付けたみたいです」
ブルーマーメイドの記録が間違っている。どこよりも正確なはずのブルーマーメイドの記録が間違っていると結論付けたからには相応の根拠があるのだろう。
「他全ての記録と比べてブルーマーメイドの記録だけが違っていた、あるいはブルーマーメイド関連機関以外は全て違う記録だった。そんなところか?」
これだけでもかなりきな臭い。自分の母と姉とはいえ、疑うなと言う方が難しい。
「そうです。私も目を疑いましたけど、これなら私達が疑問に思ったシュペーと武蔵の感染もある程度説明がつきます」
武蔵とシュペーだけは感染ルートが分からなかった。だがもしも本当にこの事件が母さん達の手によるものなら説明がつく。両艦とも直前には横須賀女子海洋学校にいて補給を受けている。その時にRATtを忍び込まされたのだろう。
「考えれば考えるほど、母さん達がやったとしか思えないな」
元情報調査隊の人間としては、たとえ身内だろうと疑うべき時は疑わなければならない。あのRATt事件で得をしたのはブルーマーメイド、ひいては宗谷派だった。あの事件をきっかけに、ブルーマーメイドは艦艇を増やして戦力を増強。反対に大きな被害が出たホワイトドルフィンは予算を削られ規模を縮小せざるを得なくなった。
状況証拠的にも母さん達が黒なのは確実だろう。
「校長先生達が絶対に犯人だと決まったわけじゃないんじゃないかな」
「……それはないだろう。状況証拠的に、母さん達が全くの無実だとは言えない。宗谷派のトップだった事を考えるとむしろ主犯格だった事は殆ど間違いないだろう。あの事件をきっかけに、宗谷派とブルーマーメイドは日本国内で大きな力を得たわけだしな」
伊良子さんの意見は甘いと言わざるを得ない。
「確かにそうだね。だけど必ずしも主導したのが校長先生達だとは限らないと思うよ」
「……宗谷派の誰かが勝手にやった事だと言いたいのか?」
「それもあるかもしれないね。当時の宗谷派とブルーマーメイドはイコールで繋げられる関係だったし、なくはないんじゃないかな」
そうか、言われてみればそうだ。母さん達が犯罪行為に手を染めるような人じゃないというのは私が一番よく知っている。なら宗谷派を語る誰かの暴走だと考えた方が納得がいく。
だけどそれは岬さん達も同じなんじゃないだろうか。私ほどではないにしろ、母さんが人格者である事はよくわかっているはずだ。納沙さんが驚いた様子を見せていたことから、岬さん達が今回の逮捕劇を起こすにあたり相当な葛藤があったことは疑いようがない。
「他の二派も加担していたな。どんな働きをしたんだ?」
「千葉二監は保安即応艦隊を使って支部長の拘束に向かったみたいです」
「保安即応艦隊が今回のRATt事件に投入されなかったのは、これを狙っていたからなのかな?」
「かもしれないな。RATt事件の鎮圧に手こずったりすれば岬さん達は……」
RATt事件の鎮圧よりも宗谷派幹部の拘束を優先した? 今回の逮捕がかなり前から周到に準備されていたことは間違いない。だが今回の事件よりも優先する必要があったのだろうか。延期して事件を鎮圧した後でも十分に時間はあったはずだ。
「しろちゃん?」
「いや、なんでもない。保安即応艦隊の動きはわかった。阿部二監の総務部の動きはどうだったんだ」
「総務部は主に政府や関係各所との調整に動いたみたいですよ」
「流石にここまで大掛かりだと様々な部署に支障が出るだろうし阿部二監らしい動きだな」
阿部二監はブラックな人使いで有名だが、それは使われる側が能力を最大限に使えばギリギリ倒れないラインを見極めて使っているからだ。それらは阿部二監の調整能力と部下の能力や気質を見極める力が高いからこそできる事であり、今回のような各所との調整においては抜群の力を発揮したみたいだな。
「情報調査隊はどうだったんだ?」
柳原さんが今回の件に気がついたとの事だが、横須賀派の一翼を担うのは情報調査室室長の知名二監だ。何か動きがあると思うのだが……。
「宗谷派に知られないようにするために情報統制をしてたみたいですね。お陰で保安即応艦隊が支部を、警備救難部が本部と横女を鎮圧するのに大きな抵抗を受けることはなかったみたいですよ」
知名さんらしくはないが、裏方の情報調査隊ならこれくらいの活躍が限界なのだろう。
「それと今回の件の事後処理として柳原さんが三監に昇進して首席監察官代理に、沿岸調査部部長代理には宮里二監が着くことになるそうです」
柳原さんは大抜擢と言えるだろう。これまで十分な実績を積んでいるが、海洋大学卒業からわずか二年で三監とは最速に近いんじゃないだろうか。
宮里二監はやっと日の目を見た、と言うべきだろう。二年飛び級して卒業したが、同期には岬さんと知名さんがいた。二人に比べて昇進速度は少し遅く、昇進しても沿岸調査部の課長として上の椅子が空くのを待つ日々だったようだ。
「それにしてもよく短い時間でそれだけの情報が集まったね」
伊良子さんが感心した様子でそう言ったが、これには私も同意する。事件が起こったのは四時間前。天津風の鎮圧はほんの一時間前の話だ。いくら情報集めが趣味といってもここまで詳細な情報をよく集めたものだ。
「阿部二監名義でブルーマーメイド全体に今回の事件の全貌の報告と、緘口令を出すっていう安全監督室室長代理の命令が交付されたんです」
「なるほど、下手に噂話をされるよりは全て公表した方がいいと判断したのか」
上手い手だ。これでも様々な陰謀論が出る事は間違いないが、公表しないよりはずっといい。それにブルーマーメイド内の混乱も最低限に抑えることができる。
「……ところで安全監督室室長代理とは誰なんだ?」
なんとなく、その人物の予想はついていた。だけどその名前を納沙さんの口から聞かないまではそれはただの予想でしかない。
「……岬さんです」
そうだろうなと言うのが正直な感想だった。阿部二監はともかく、千葉二監と岬さんの活躍にそれほど大きな違いは見られない。それなのに主導したと言われると言うことは、その後に明らかに大きな利益を得ていると言う事だ。おそらくこのまま一監に昇進して安全監督室室長の座に、ブルーマーメイドのトップの座に着くのだろう。