元陸自のアラサーが貞操逆転異世界に飛ばされて色んなヒロインに狙われる話 作:Artificial Line
/朝霞日夏
9月12日 19:37 ミスティア王国北東部—モンストラ戦線近傍
レティクルの先には漫画でやアニメでよく見た様な異形が写っている。子供程の背丈、緑色の肌、粗末な武器に服、そして醜悪な顔。
ベネディクテに貸してもらった資料で得た知識と照らし合わせる。特徴に合致するのはゴブリンだろうか。ゴブリンは自らが優勢であれば威圧的になり、劣勢だと見れば命乞いする様な小物らしい。仲間意識は薄く、同じ群れの個体が危機に瀕してもすぐに見捨てるような魔物だという。また繁殖力が強く
実際スコープの中にいるゴブリン共はお楽しみの最中のようだった。捕虜とした女兵士、笹耳を見るに
悲惨な状況だとは理解するが、今更それについてどうこう思う事は無い。こんな光景は何度も東ヨーロッパや中央アジア、アフリカで見てきた。これで心が乱れる様な奴は
だが少しの違和感。この世界が貞操逆転しているのは今更の話だが、あの様子を見るに魔物はまた別の理で活動をしているのだろうか。
現在時刻は19時を過ぎ、もうすぐ20時を迎えそうである。暗闇の中、茂みに隠れナイトビジョンでその様子を見ていた。
直ぐ側にはオイフェミアから供与してもらった猫の使い魔——紬が姿勢を引く保ち尻尾を振っている。
ここはミスティアと北方魔物部族連合の戦闘地域であるモンストラ戦線の森の中。
上半身のみを偽装するハーフ
現状見えるだけで15匹ほどのゴブリンがあの森人を犯している。その状況で行動を起こすのは迂闊だろう。それに既にあの森人は死んでいる。瞳孔が開ききり、呼吸をしているようにも見えない。これでまだ息があるようなら行動は変わるのだが、最早何をどうしようともあの森人が生き返る事は無いのだから。
自分が今いるこの世界は間違いなくファンタジー世界であるが、ゲームであるような蘇生魔術はないという話をオイフェミアから聞いた。正確に言えば蘇生はあるのだそうだが、それは傀儡としてや神の業になるらしい。某竜の使命RPGシリーズの様に気楽な蘇生はできないということだ。
現状を整理する。ここはモンストラ戦線の戦闘地域、その領域内でも魔物が制圧している地域だ。夜間の森林部であり、見通しは非常に悪い。
北方には元々ミスティアに属していた子爵の町があったらしいが、今は廃墟と化している。そして周囲1km以内には組織的に行動している友軍グループは居ないらしい。つまり魔物に発見されればフォックスハンティングの対象にされることは間違いないだろう。この場合はマンハンティングになるか。
この世界の魔物というものがどういう存在かを自分の目で確認する為に森人を引きずるゴブリン共を追跡してここまで浸透してきたが、そろそろ潮時かもしれない。これ以上戦線深くに進んでしまっては帰還が面倒な事になるだろう。
大体の状況は確認できた。魔物部族連合というだけあって様々な魔物が群を無しミスティアを含めた人族領域に侵攻を行っている様である。
それだけ組織的な行動ができるのは驚異ではあるが、所詮は烏合の衆なのだろう。
2つの大国相手にこれだけ長大な戦線を構築できるのだからかなりの数を有しており、頭がいることは間違いないのだが、末端の統制が取れていないことは明白である。
いい例が目の前のゴブリン共だ。見張りもまともに行わず、他の魔物グループと連携を取ることも無く好き勝手に犯している。
そして魔物たちの戦術的、戦略的な目的が見えてこない。人族の領域を占領する事が目的だとするならば杜撰にも程がある。
ベネディクテから聞いた話では数年前に突発的な魔物側の侵攻から始まった争いがここまで泥沼化したらしいが、だとすれば尚更不思議であった。
人族の大国2つを同時に相手にするならばそれなりの覚悟と戦術を持って行動しそうなものである。魔物の知能に差があって難解な作戦行動が取れていないだけかもしれないが、俺はなんとなく『こいつらは何かから逃げているのではないか』とそう感じている。
繰り返しになるがここまで組織的な戦線を維持しつつ、数年に渡り大国2つと戦争を続けるのであればそれなり以上の司令官が存在するはずだ。それを加味して考えればやはり現状は不自然である。
ここ数年で駆除された魔物の数はフェリザリア側も含めると100万に届くとベネディクテは言っていた。それだけの犠牲を出しつつも戦線を維持できているのであれば相当のマンパワーがあることは間違いない。であれば戦術をしっかりと用いるにしろ、平押しにしろ更に戦線事態を押し上げることも可能だろうに。そういう事を含めて考えると魔物達は活動領域を広げるというよりも『現状維持』をしようとしていると俺は感じていた。
とはいえ俺は本職の戦術家でも参謀でもない。所詮一介の陸戦歩兵である。士官教育を受けてはいるものの、軍全体の舵切りができるほどの才も知識もない。精々が中隊単位の作戦立案や連隊指揮官の補佐が関の山だ。
まあベネディクテから王家軍やウォルコット軍、アルムクヴィスト軍の把握している情報は得ている為、この世界の前線兵士達よりは随分と現状に関しての知識は多いだろうが。
とりあえずは場所を変えようかと思い、森の外に存在する岳陵あたりに目星をつける。あそこであればこの周辺の戦力配置が見渡せそうだ。その後戦線後方に設置されたアルムクヴィスト軍の野戦陣地に戻ることにしよう。
だがあのゴブリン共はどうしようか。駆除しとけば後々この周辺地域の友軍が少しは楽になるだろうが、音をたてれば他の魔物グループに補足される可能性もある。
そもそも魔物の討伐は契約外であるし、どうせあの森人は死んでいる。そう判断し離脱をしようとした時、ドクンと心拍数が跳ね上がった。
――何かに見られている。
神経を研ぎ澄ませる。位置は分からないが、確かな殺気を感じた。
これは人間やそれに親しいものではなく、獣によく似た殺気だ。
『大型の魔力反応の接近を探知しました。ただし森林部全体に魔力が飽和しているため、正確な方位測定は不能です』
頭の中に女性のような声が流れ込んでくる。
この声は使い魔の紬のものなのだそうだ。
契約直後に声が流れ込んできたことには驚いたが、オイフェミアやベネディクテによればテレパシーの様なもので簡単な意志の疎通は行えるものらしい。
横目で紬を確認すれば、俺の方へ視線を向けていた。
頷いた後に音を立てないように移動を開始する。目指すは森の西側、岳陵の方向。
この世界でも方位磁石は正常に機能している事が幸いであった。森の中をゆっくりと移動し始めようとする。だが思惑は直ぐに頓挫することになった。
6m程先の木の裏から大型の獣が顔を覗かせる。次いで鎖が擦れる音が聞こえた。
ナイトビジョン越しの視界でその姿をはっきりと捉える。大型の犬科、特に狼によく似た獣だ。
だが決定的に違う所がある。それはその狼の周りに鎖のようなものが浮遊している事であった。
イングランドの民間伝承に登場するブラックドッグが想起される。
『個体識別、バーゲストです。脅威度は英傑者相当。周囲の鎖を自在に操り、中近距離での攻撃を主としています。咬合力も尋常ではありません。警戒を』
紬がその魔物についての情報を即座に共有してくれる。非常にありがたいのだが、現状は最悪だ!
完全に目が合う。喉を唸らせゆっくりとバーゲストは距離を詰めてくる。
俺はあくまで兵士であり、猟師ではない。獣との戦いなど殆ど経験がない。あるとすれば自衛隊のレンジャー訓練時代に遭遇した蛇くらいなものだ。
冷静さを保つため改めて自身の装備について頭を回す。現在の主武装は
こんな見るからに厄介そうな相手と接触するならば、プレートキャリアを着てくるべきであった。
偵察ということもあって装甲なしのチェストリグを選択していた事が裏目にでるとは。
銃口をバーゲストに向けつつ、一歩下がる。その瞬間、眼前の大型の獣は木の根を蹴り俺に向かって突撃してきた。
『接触まで2秒』
舌打ちをしながら即座にACRを短連射する。
恐らくは銃を知らないバーゲストに3発の5.56mm×45mm NATO弾が命中するが、その勢いを削ぐには至らない。対人用の銃弾では明らかに威力不足。
バーゲストが地面を蹴り上げ俺に飛びかかる。
『鎖が来ます。回避してください』
紬の忠告通り、宙空で身体を器用に操作しながら、バーゲストがその鎖を叩きつけてくる。
咄嗟に右へ飛びのいてそれを避けた。直ぐ様ACRの照準を合わせ短連射。再び複数の銃弾がバーゲストに命中するが、一切怯んだ様子もない。
『バーゲストの毛皮は高度な防御性能を有しています。接近し毛皮の奥の皮膚へ直接接射してください』
「無茶言うなッ!!!」
紬からの提案に対して悪態を付きながら立ち上がり、バーゲストの頭部目掛け引き金を落とす。
頭部へ飛翔していく弾丸を、バーゲストは器用に鎖で防いだ。顔面部への被弾は避けようとしている?であれば攻めるべきはそこか。
『更に複数の大型の魔力反応を探知。気取られました。即時撤退を』
「わかってるわい!」
後方へ下がりながら牽制射撃を行う。マガジン内部の銃弾が消費され、連続してバーゲスト目掛け飛翔していく。しかし先程と同様に鎖に阻まれ直撃は適わない。
『反撃来ます』
バーゲストが鎖を操作し、下から振りかぶるようにそれが迫る。足元の悪さから反応が間に合わず、ACRの銃先に鎖が命中し大きく上方へ弾かれた。結果
バーゲストはそのまま木の幹を蹴り上げ、その大口を開き突撃してくる。
咄嗟に左腕に
どっと来る全身の倦怠感、これが魔力を持っていかれる感覚。ゼファーとの訓練で幾度か体験していたことだが、完全な術として発動させるのは初めてであった。
直後に襲うのは硬質化した左腕に感じる衝撃と僅かな痛み。バーゲストが完全に左腕へ噛みつき、そのままマウントポジションを取られる。
相手は獣でこちらは人間、膂力の差は幼子にすら理解できるだろう。支える腕が限界を迎えそうになる。加えて尋常でない咬合力が、硬質化した左腕を噛み砕こうと力を込め続けている。骨と肉が圧迫される感覚とともに、顔に血が滴った。
——行動を起こさないと喰われる。そう思った瞬間には右手が動いていた。
咄嗟にナイフを引き抜きバーゲストの右前足の付け根部分を切り裂く。生物であるならば腱があるはずだ。頑強な毛皮に凌がれつつも、強引に肉を切り飛ばす。
思惑通り体勢を崩したバーゲストを、今度は逆に馬乗りになる形で横へと転がす。そしてその瞬間に喉元を切り裂いた。
手に熱い液体が付着する。ナイトビジョン越しの視界でそれが血液だと理解した頃には、バーゲストは完全に動きを停止していた。
『バーゲスト魔力反応減衰。同時に日夏くんの魔力残量、66%です』
「健康管理してくれるなんてスマートウォッチかよ。だがオペレートありがとうな」
『スマートウォッチよりも高性能ですよ。そしてお礼にはなでなでを所望します』
紬が身体を擦り付けてくる。苦笑いをしながらその頭と首元を撫でつけた。すれば機嫌が良さそうに喉を鳴らしている。
紬は地球の単語や概念であっても完全に理解をしていた。それに加えて話し方が昔付き合っていた姫乃と似ている。恐らくは俺の思考や記憶から情報やその特性を形成しているのだろうが、なんとも猫になった姫乃にじゃれられているようで複雑な気持ちであった。
『……♪……こんなことをしている場合ではありません。即時撤退を』
「お前がねだったんじゃい!!」
努めて小声で言葉を返す。使い魔とはいえ、気まぐれさは見た目の通り猫そのものだ。
ひとまず上体を起こす。
左腕の負傷は大したことは無さそうだ。硬質化というのはかなりの強度があるらしい。体感では強化カーボン並の強度だろうか。しかしそれが食いちぎられる寸前だったと思えば、バーゲストの咬合力の異常さに冷や汗を禁じ得ない。ゼファーに教えてもらっておいて本当に良かった。
その時、小枝を踏む音がヘッドセットに入る。
咄嗟に音の方へ視線を向ければ、醜悪な顔の小人—ゴブリンと視線がぶつかった。
ACRを即座に構えその脳漿を吹き飛ばす。だがその後ろからケタケタと笑う3つの同じ顔が覗き込んできた。
認識と同時に照準を合わせトリガー。しかし2匹のゴブリンの頭を吹き飛ばしたと同時にACRが│弾切れ《ボルトストップ》となる。考えるよりも先にホルスターに手が伸び、P226を撃ち放った。
サプレッサーで減音されていない破裂音が森に木魂し、ゴブリンの眉間へと9mm弾が吸い込まれ、汚い花を咲かせた。
『いまので集まってきます。先導しますので離脱——』
地面が揺れる。草木がざわめき、枝が泣き声を上げる。
背後から感じるのは強烈な嫌悪感。蛇に睨まれた蛙というのはこの様な感覚なのだろうかと思わせる、生理的に嫌悪する視線を感じる。
リロードを行いながら振り返れば、そこにいたのは体長2.5mはあるかという巨体。筋骨隆々な体躯に凶悪な顔。下顎からは牙が突き出し、下衆た笑みを浮かべている。
『……オーガです。通称人食い鬼。知能は人間と同等なうえに魔術も使います』
「説明ありがとう紬!だけど最悪だバカヤロウッ!」
今世紀最も魂のこもった悪態を付きつつ、ACRの引き金を引いた。
/アリスティド・バールケ
9月12日 19:45 ミスティア王国北東部—モンストラ戦線最前線
逃げる、逃げる、逃げる。脱兎のごとく逃走する。
後方から従士達の絶叫が聞こえてくる。罪悪感と焦燥感、そして溢れ出んばかりの恐怖心に脚を突き動かされ逃げ続ける。
50名あまりいた従士や家臣達は、果たしていま何名が生存しているのだろうか。状況は紛れもなく最悪であった。
ここはモンストラ戦線の突出地域、いわゆる橋頭堡と呼ばれる地域。元はウォルコット侯爵軍が確保した地域だったのだが、フェリザリアによる領土侵犯の対応にウォルコット軍の主力が離脱したのに際して私の家が維持を任されていた地帯だ。とはいえ私は所詮南部の弱小貴族、万に届き精鋭揃いの大貴族の軍と比べれば質も量も圧倒的に劣っていた。
本来であればアルムクヴィスト公爵軍やミスティア王家軍が動員されるはずだった。だが我が家の当主たる姉がとんでもない馬鹿をしでかした。なんと魔神と内通し、王都深淵事変を引き起こしたというのだ。
前線で軍役中だった私に与えられたのは2つの選択肢。
私を含めた一族郎党の追放か、軍役を全うし恩赦を受けるか。それでも選択肢が与えられた時点で王家の立場からすれば寛大にも程がある措置なのは間違いない。本来であれば一切の慈悲なく一族郎党処刑でも可笑しくはないのだから。
しかしアホらしい話だ。身内の不手際で大勢の領民や家臣が死んでいる。ふざけるなという言葉を胸中で叫びながら脚を動かす。数騎いた馬は真っ先に狙われ、今は身分の差関係なく地を走って無様に逃走している。
橋頭堡は2平方km程の領域だったのだが、その三正面から魔物共が一斉攻勢を仕掛けてきた。それが大凡15分ほど前。
そもそも50名ばかりの私の軍でこの地域全体を保持するのは現実的に難しかった。それでも私がこの軍役を引き受けたのは、王家への贖いと家臣たちを路頭に迷わせる事を避けたかったからだ。この貴族社会において社会的な死は、肉体的な死にも等しい。汚名を被った元貴族の家臣が信用されるわけもない。突出した才能があれば話は別だが。
とはいえ自殺行為であるとわかった上で軍役を引き受けた訳ではない。ベネディクテ殿下も、私の50人ぽっちの軍でこの橋頭堡が維持できるとは考えていなかったようで、追加要員としてミスティア最強の傭兵部隊——レイレナードの派兵を確約してくださった。裏切り者の家名を背負った身であるのに、なんと寛大なことか。
だが——そのレイレナード部隊と合流する前を狙われたのでは話にならなかった。
夜間の森林部のため見通しがつき辛いが、背後数十mには魔物が迫ってきている。
眼前の木の上が揺らいだ。咄嗟に停止し、腰に帯びた直剣を抜刀する。だがそれに気が付かなかった恐慌状態の従士は脚を止めること無く先へと進んでしまった。
「馬鹿、止まれ!待ち伏せだぞ!」
そう叫ぶが既に遅い事は私が一番理解していた。直後に従士の上から背骨の曲がった人型シルエットが飛来し、従士を組み伏せる。そのままその鋭利な爪で従士の首を捩じ切った。
月明かりが僅かに差込み、その姿が鮮明になる。曲がった背骨、よく伸びた鋭利な爪、ゴム質のような醜悪な外皮、犬のような狂暴な顔——食屍鬼。
悪路をものともせず馬並みの速度で走るこいつらが追手とは、いやはや逃げられるわけがない。
恐怖心で脚が竦む。手が震える。だがこんな場所で死にたくないと、死なせてしまった家臣たちに顔向けできないと、己を奮い立たせた。
自身を鼓舞するため腹から声を出し叫ぶ、所謂ウォークライ。
自己暗示の一種であるが、効果はあったようで自然と震えが収まった。
神経を研ぎ澄ませる。英傑者以上であれば生身で食屍鬼を片付けられるのであろうが、生憎と私は凡人であった。
そのため構造強化の業を用い、自らの能力を底上げする。
じわじわとすり足で位置を変えながら、最適な攻撃タイミングを伺う。
そして先にしびれを切らしたのは食屍鬼の方であった。一気に間合いを詰め跳躍しながらその鋭利な爪で私の首を切り裂こうと襲いかかってくる。だが反射の強化された瞳で間合いを見切り、カウンターを浴びせた。
下段から上段に振り抜くように直剣を一線する。膂力の強化されたその一撃は、食屍鬼を股下から首にかけて真っ二つに割った。生暖かい返り血を浴びつつ、すぐさま地面を蹴る。未だ後方から食屍鬼の大群が迫ってくる事に変わりは無いのだから。
駆け出しながら直剣の刃を確認すれば数箇所の欠けが見られた。やはり強化された膂力の一撃に、数打ち物の直剣では耐えられなかったらしい。これがもっと練度の高い剣士などであればそんな事は無いのだろうが、所詮私は凡才である。だが凡才であっても無能よりは圧倒的にマシであろう。あの姉は地獄で再会したらもう一度殺す。
しばし走れば先行していた斥候の従士の後ろ姿が見えてきた。足音に気がついたのか従士が振り返り、こちらに手招きをする。
「アリスティド様、あちらを」
従士が指を指した方に目をやれば、そこには月光に照らされた城が写っていた。
あれはここが魔物の手に落ちる前にこの周辺地域を治めていた子爵の砦跡だ。焦燥感と恐怖心ですっかりと頭から存在が抜け落ちていた。どの道人の脚で食屍鬼共から逃げおおせる事などできるはずもない。あそこに籠城して援軍が来るまでの時を稼いだ方がまだ生存の余地がある。
私は頷き信号魔術を用いる。攻撃力は一切ないただの光を発生させるものだが、この夜闇の中であれば良い道標になるだろう。散り散りとなった従士達も確認し、廃砦で合流できる可能性が出てくる。まあそれは食屍鬼達にとっても同じなのだが。
しかしどの道少数でバラバラに逃げ回っても結局狩り尽くされるだけだ。
「信号魔術を焚きながらあの砦を目指すぞ。もはや何名生き残っているか検討もつかないが、確認すれば他の従士たちもきっと砦を目指すはずだ」
「了解です。殿と後方誘導は私が」
「……すまない」
「何を仰るのですか。元よりこの身はアリスティド様に捧げております。御身を守れて死ねるなら本望。ご武運を!」
そういって後方へと駆け出していく斥候の姿が見えなくなるまでただ見ることしかできなかった。
私はなんと無様で、非才なのだろうか。あの様に有能で忠誠厚い部下に死ねとしか命令できない自分に殺意が湧く。
しかしここで死ねばあの者の命が本当に無駄になってしまう。込み上げてきた涙を振り切りながら再び走り出した。
数分走れば廃砦へとたどり着く。
そこには既に数名の従士の姿があり、私の姿を確認するや否や、ギリギリ門としての体を成していた扉を空けてくれた。
礼もそこそこに、月へ向けて信号魔術を撃ち放つ。散り散りで逃げる家臣と、後方に居るアルムクヴィスト軍に見えるように。
……正直不安はある。私たちは裏切り者の汚名を背負う家。そんな私たちをアルムクヴィスト軍は助けてくれるだろうか?
だが当主であるヴェスパー公爵やオイフェミア殿下がそうであるように、アルムクヴィスト軍の将軍は聡明な方ばかりだ。
彼女らは味方を見捨てることがどれだけ友軍の士気を低下させるかよく理解している。だからきっと増援を送ってくれる。
しかし援軍が来るまでは早くても4時間程度掛かるだろうか。それまではなんとしてでも耐えなければならない。
それに傭兵のレイレナード部隊は付近にいるはずだ。彼女らの任務が私たちと同じ橋頭堡の維持である以上、異変を察してすぐに動いてくれる可能性も高い。
更に十数分すれば生き残っていたであろう家臣の殆どがこの廃砦へと合流できた。
全部で21名。半分以上の姿が見えなくなっている。そしてあの斥候の姿も無かった。下唇を血が出るほどに噛む。全てを投げ出したい様な無力感がどっと襲いかかってくるが、まだ心を折る訳には行かない。寧ろここから本当の地獄は始まるのだ。
それを指し示す様に、砦の周辺の森に複数の気配が集まりつつあるのを感じている。人ほどではないが、知能のある食屍鬼の事だ。砦攻めとなれば全体の戦力が集まるまで待っているのだろう。
この砦はそれなり以上に広いようだった。白骨化した死体などが複数転がっている事から、モンストラ戦線が構築される以前の第一波侵攻で放棄されたものだろう。
この規模の砦を21名で守護するのには如何せん無理がある。決め打ちで4階部分の一室などに籠もった方が良さそうだろうか。
しかしながら最初から籠もったのでは直ぐに限界を迎えるのは容易に想像がつく。それに21名の中にも複数の負傷者がいるようだ。
最悪な事に
だが問題なのはリソース的な限界時間よりもメンタル的な限界時間であった。
最初期の恐慌状態からは脱している者が大半(正確に言えば恐慌状態だった新兵などは皆死に、ベテランだけが生き残っている)だとは言え、憔悴しきっているのは隠せない事実である。増援が来るかも不確かな状態での籠城戦など気を持つほうが難しい。
「皆、聞いてくれ」
故に指揮官としての役目を全うしなければいけない。
「既に信号魔術は撃った。アルムクヴィスト軍であれば4時間以内に増援を派遣してくれるだろう。それにレイレナード部隊とも合流直前だった。今が耐え時だ」
従士達の目が私を見据える。その誰もがこの数年の軍役を共にしてきた、部下と言うよりも戦友と呼べる仲間たち。
「すまないが皆の命をくれ。必ず生きて家に帰ろう」
従士達の顔に微笑みが浮かぶ。そしてすぐさま配置へと付き始めた。
とりあえず初期ではできるだけ砦に近づけない様に迎撃行動を行い、その後一斉に引くのが現状の最適解か。数はできるだけ減らしておきたい。現状どれだけの食屍鬼が周囲に蔓延っているかは不明だが、多くても200体ほどであろう。どの道それが一斉に砦内に流れ込んできては籠城どころではなくなる。
魔術に長けた者達が砦の外縁部に陣取り、何時でも十字砲火を叩き込める様にクロスラインを形成する。
さあ、地獄がくるぞ。とにかく時間を稼ごう。遅滞戦術に徹しよう。
何にせよ、今はそれしかできないのだから。
好きなヒロインは?
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ベネディクテ
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オイフェミア
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ゼファー
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アリシア
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レティシア
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ゼータ