うっすらと、蜜柑の香りに混じって血の匂いがする。
ズキズキする頭の痛みに「……ぅ」声が漏れて、己の擦れた声で覚醒する。気だるすぎる身体と、妙に粘度を帯びた思考に何も考えられない。
「……な、に?」
気持ち悪くて胃がムカムカする。風邪でも引いたのかと、歪む視界が捉えたのは「へ?」ナミさんの愛らしい寝顔。……数秒たっぷりと見つめて(あぁ、これが夢か)と、全身から力を抜く。
なるほど。この痛みとだるさは、ありえない夢を見ている神をも恐れぬ己への自己刑罰か。
(……罪深いな。そしてナミさんかわいい)
恥知らずだけどテンションがあがる。
夢の中とはいえ、同衾というシチュエーションに興奮もする。
柔らかな草の上に寝転がり、木々のざわめきと木漏れ日の温かさにほうっと吐息をこぼしながら、ナミさんの寝顔を見つめる。……ああ、お嫁さんになって欲しい。おはようのちゅーしたい。なにより。
(……あったかい)
ぽかぽかして、ずっとこうしていたい。こんな風に誰かに抱っこされながら眠るのは初めてで、夢なのに嬉しい。
夢を見るってこういうことなんだと、頬が緩む。今日まで知らなかった。15年も損をしていた気分だ。
ああ、ドキドキが止まらない。
高鳴る鼓動の激しさに身を委ね、本能のままにスリッと頬ずりする。ふにゅん、と頬に何ともいえない柔らかい弾力が―――――
「―――ん?」
いやこの感触。
ナミさんとのスキンシップの際、身体のどこに触れてもめちゃくちゃ意識して反芻している”本物”の感触だと、流石にナニかがおかしいと目をかっ開く。
途端、霞がかっていた思考が晴れ渡り、ギョッとして目を見開く。
え? ……ナミさんの顔が近い!? え゛っ、あれ、視界もいつもより明るい、って前髪は!? なんか減ってる!? 混乱しすぎて何に驚けばいいのか分からなくなりながら「ぁ……」唐突に――――昨夜の事を思い出す。
「……っ、そう、だ」
殴られたんだ、私。
……だから、痛いんだ。
おそるおそる額に触れると、真新しい包帯が巻かれている。
「……っ」
衝動的に『どうして』なんて。
そんな、愚かな台詞が口から零れそうになった。……そんなこと、私が言ってはダメだ。
(……だって、私は助けて貰った)
殴られた頭は痛いけど、私を殴ったナミさんは平気だった? この優しくて綺麗な人は、笑顔の下で痛みを我慢できる人だから不安になる。
本当は、私なんて捨て置けば良かったのに、わざわざ手を汚してまで助けてくれた。
(……きっと、本気で殴ってくれたんですね。……ありがとうございます)
海賊に殺されるぐらいなら、自分に殺された方がマシ、なんて覚悟を感じて、少しへこむ。
ナミさんにとって、私はまだ”部外者”でしかないと、突きつけられた気がした……
(出会ったばかりなのは、ルフィさん達も一緒なのに、私は……隣に立てないんですね)
一切の容赦が無いからこそ、ナミさんの気遣いを感じて、すごく嬉しいのに、おいて行かれて……寂しい。
いつから、こんなに贅沢になったのだろう?
(……ねえ、ナミさん。いつかは私にも、背中を預けてくれますか? ……仲間に、なってもいいですか? ……なんて)
いけない。高望みするのはやめておこう。
片思いはしんどいけど、両想いになりたいけれど、なれなくて良いから、ナミさんに守られない立場になろう。
(そしたら、今度こそ一緒に戦えるかもしれない)
守られるだけは嫌だと沈み込んでいると、急にナミさんの腕に力がこもる。「え?」気づけば、背中に絡まる腕がぎゅっと私を抱き寄せて、増してしまう密着力にびっくりする。
(な、ナミさん!?)
寒いのかもしれない、とひらめいたけど、私から抱き返せる訳も無く、頭の奥がカカカッ!! と凄い熱をもったままわたわたしてしまう。
んぐぐぐっ!? 落ち込んでいた事も忘れて、ひたすら幸せな抱擁に耐える。
っ。そして耐え抜いた天国と地獄が合わさり最高だった数分後、私は顔をあげる。
「――――!!」
日は完全に昇りきり、鳥の鳴き声が聞こえる。
さわさわと風が通り抜ける静かすぎる朝に、全てが終わった後なのだと改めて実感する。
「……っ」
深呼吸。ナミさんの寝顔から音をたてる様に目を離して、周りの様子を窺う。
あの後の何もかもが分からない不安に、ゆっくりと身じろいで、振り向いて「くかー……」ルフィさんが「ぐー……」ゾロさんが、傷だらけで寝ているのを視界に捉えた。
「……ぁ」
当たり前に、あまりに自然にそこで寝ている2人に大きな安堵感を覚える。そして、その顔はとても満足そうで……気持ち良さそうな寝顔に、全身から力が抜ける。
はああー……長く息を吐いて、ナミさんの腕の中にいるのに、腰が抜けたみたいになる。
(……キャプテン・クロに勝ったんだ。……良かったぁ)
泣きそう。
鼻をすすりながら、改めて周りを見れば、妙にスパスパ切られた自然破壊の跡がある。どうやら戦いを終えたナミさんたちは、ここで仮眠をとる事にしたらしい。……手当ては、かろうじてしてある。
「……んっ」
現状の理解は概ねできた。
(この空虚感は苦しいけど、1人ぼっちで起きるより全然マシだ! 私がいない事で勝利を掴めたというなら、それを喜ぼう!)
私は、私が無力な事を知っている。
庇われた事への自業自得の弱さで傷ついている暇はない。
(……ぐっすり寝かせて貰ったんです。旅の支度ぐらいは私がしましょう)
無力を嘆くのは、子供の頃にたっぷりと経験して飽きてしまった。
そんな事より、一歩でも動いた方が建設的だと足を動かす。
「……よし!」
変な気を起こさない内に、ナミさんから時間をかけて離れる。
傍にあった鞄から野宿用の薄い布を取り出して、風邪をひかない様にナミさんにかけて立ちあがる。
(……ん?)
歩き出してすぐ、背中に視線を感じた気がして振り返る。
「……」
「くかー……」
「ぐー……」
3人は気持ちよさそうに眠っていて、気のせいかと林を抜ける道を探す。
……林から抜けた後に気づいた。
ナミさんの体温、途中から変化していた。……もしかしたら、起きていたのかもしれない。
どうして寝た振りなんか……と、思いながら、なんとなく頭の包帯に触れて、ナミさんとの間に少しばかりの気まずさがある事に気づいてしまう。
……よし! お買い物が終わったら、そんなもの吹き飛ばすぐらい元気に「おはようございます!!」って。
ナミさんが呆れて笑ってしまう挨拶をしようと、そう決めた。