寄生獣 ~第2部~   作:aimo0314

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第14話 親子

 

 車の通りもまばらな幹線道路を一台のスポーツカーが颯爽と駆け抜けていた。後藤が運転する車だった。

 

「しかし、後藤が運転している車に乗っているっていうのも何か違和感があるなあ」

 

 助手席に乗り込んでいた新一は後藤の横顔をチラリと見ると言った。後藤は新一にそう言われると小さな笑みを浮かべた。

 

「ところで、後藤、お前は喜多の居場所は分かるのか?」

 

「ああ」

 

「それは信号とかで?」

 

「そうだな」

 

「でもミギーも深森も喜多の信号は感じることが出来ないんだぜ。お前だけできるってことか?」

 

「俺は特別だ」

 

「ははっ、そうですかい」

 

 新一と会話をしながらも後藤は鋭い視線で前方を見ていた。

 

「ってか、後藤、よく考えりゃ俺たちは今わざわざ敵たちの懐に飛び込もうとしてんじゃないか。大丈夫なのかよ」

 

「ああ」

 

「お前は知らないかも知れないけどよ、この前のエイジと喜多の戦いはヤバかったんだぜ」

 

 新一にそう言われると後藤は口元に小さな笑みを浮かべた。

 

「大丈夫だ。心配はいらない」

 

「なんで?」

 

「今の俺は、最強だ」

 

「かー、そういうことは自分で言うもんなのかねー。でも他ならぬお前が言ってるから説得力はあるけどよ。でも一番よく分からないのは喜多だな。あいつは一体何がしたいんだ?」

 

 新一がそう言うと少しの間車内は沈黙に包まれた。が、その沈黙を破るようにして静かな声で後藤が口を開いた。

 

「奴は求めている。終わりを」

 

「終わり?」

 

 新一がそう聞き返した時だった。後藤は鋭い目つきでバックミラーを覗き込んだ。

 

「つけられているな」

 

「えっ?」

 

「スピードを上げるぞ。しっかり捕まっていろ」

 

 後藤はそう言うとギアを変え、アクセルを強く踏み込んだ。

 

 

********************

 

 

 重厚な調度品で満たされている洋館の一室――部屋の中央に置かれたテーブルを取り囲むようにして樫木を初めとするファミリーのメンバーが集っていた。樫木はテーブルの椅子に腰を掛け、祥子と千佳は樫木と少し離れた場所で肩を並べて座っている。諒はテーブルからは少し離れた場所に置いてあるソファに腰を下ろしていた。そしてエイジは窓の前に仁王立ちし、茫洋とした表情で外を眺めていた。

 

「今にも雨が降ってきそうな天気ね」

 

 窓の方にチラリと視線を送った千佳がそう言った。

 

「涼しくなって丁度いいけど」

 

「うん」

 

 千佳の話に対して祥子はか細い声で相槌を打った。

 

「祥子、あんた本当に大丈夫なの? 無理しないで引っ込んでてもいいんだよ」

 

「大丈夫だよ」

 

 祥子は先ほどよりも大きい声でそう返答したが、表情の翳りを拭い去ることはできなかった。そんな祥子の様子を諒が遠巻きに見ていた。

 

「祥子、厳しいことを言うようだが、我々はこれから航平を始末することになる。分かるな?」

 

「うん」

 

「手出しは一切無用だ。もし航平に手を貸すようなことがあったら、その時は祥子、お前も裏切り者とみなす」

 

「ちょっと、諒、何言ってんのよ」

 

 千佳がそう口を挟んだ。しかし、諒の表情に変化はなかった。ただ静かに祥子を見つめていた。

 

「大丈夫、千佳。航平の犯した罪は分かっているから。ファミリーの一員としてわたしも最後まで一緒にいたいだけだから。私は大丈夫だよ」

 

「祥子……」

 

 千佳は心配そうな表情で祥子を見つめていた。と、その時、窓際にいたエイジが部屋の方に向き直った。

 

「さあ、みんなそろそろ行こうか」

 

 エイジはそう言うとドアに向かって歩き始めた。

 

「裏切り者がもうすぐやってくるよ」

 

 エイジは感情の感じられない口調でそう言うと部屋の中央で立ち止まり、樫木の方に顔を向けた。樫木は少しの間エイジを見つめていたが、間もなくゆっくりと立ち上がった。

 

「行こう」

 

 樫木はそう言うとテーブルから離れ、ドアに向かって歩き出した。樫木の後を追うようにしてエイジ、諒が歩き出し、そして千佳と祥子がその後に続いた。

 

 

********************

 

 

 高速道路の追越車線を一台のスポーツカーが颯爽と駆け抜けている。速度は200キロ近くは出ているのだろう。前方を走っている車を並ぶ間もなく次々と追い抜いていた。

 

「流石にもう追ってきてないな」

 

 新一はサイドミラーを覗き込むとそう言った。

 

「でもよ、一般道で100キロ以上出すなよなあ。死ぬかと思ったぜ」

 

 後藤は新一の言葉にも特に表情を変えることなく淡々と運転をしていた。スポーツカーの性能と後藤の運転のうまさが相まって、乗り心地は決して悪いものではなかった。

 

「ところで、目的地まではどれ位かかるんだ?」

 

「おおよそ、あと20分程度といった所だろう」

 

 後藤はハンドルを軽妙に操りながら答えた。

 

「20分か……間に合うか?」

 

「いや、間に合わないだろう」

 

「えっ、っていうことは」

 

「喜多は間もなく奴らと接触する」

 

「くそ、そうか」

 

 新一はそう悪態をつくと黙り込んだ。するとミギーが代わりに後藤に視線を向けた。

 

「後藤、一つ聞きたいことがあるのだが」

 

「何だ?」

 

 後藤は正面をじっと見据えていた。

 

「お前はなぜ奴らの所へ向かう?」

 

 ミギーにそう問われると後藤は一瞬沈黙した。その表情は何かを思い出しているようにも見えた。

 

「知るためだ。俺とは一体何なのかを」

 

 後藤がそう答えるとミギーは興味深そうに後藤を見つめた。

 

「お前やミギーは広川がつくり出したものだってこの前樫木が言ってたぜ、後藤」

 

 新一がそう言うと後藤は口元に小さな笑みを浮かべた。

 

「そうか。では、俺は一体何をなすべきなんだ?」

 

「何を為すべきかなんて、そんなこと俺に聞かれたってなあ」

 

 新一がそう言うとミギーが代わって口を開いた。

 

「後藤、お前は田村玲子に一体何を託されたのだ?」

 

 ミギーは後藤に尋ねた。後藤は依然として正面に顔を向けていたがその瞳はどこか遠くを見ているように見えた。

 

「分からない」

 

「そうか」

 

 ミギーがそう言うと後藤はしばらく何かを考え込むように沈黙していたがやがて口を開いた。

 

「俺は広川や田村によって作り出された人形なのかも知れない。そう考えるとひどく不思議な感覚に取りつかれる。『俺』というのはここに確かにいるようで、実はどこにも存在していない」

 

「後藤?」

 

 新一が問いかけるように声を発した。

 

「お前たち人間はそんな気分になることはないのか?」

 

 新一は首をひねった。

 

「うーん、俺はあんまりそんなこと考えたことはねえけど」

 

「そうか」

 

 後藤は静かにそう言った。ミギーは新一を見た。

 

「シンイチ、それは君の考え方が浅いからじゃないのかい? ちょっと教養のある人間はみな自分自身の存在について考えているぞ」

 

「んな、俺だってその位考えてるよ」

 

「ほう、そうか」

 

 ミギーはそう言うと小馬鹿にするように新一を見た。

 

「もう俺のことは放っておけよ。そんなこと言って、ミギー、お前はどうなんだよ」

 

「私か? 存在に関して言えば私は実在論者だ。ただし一方で運命論者でもある」

 

「運命論者? ってなんだよ」

 

「つまり、わたし達が経験する出来事、そして私たちが考えて為すことはすべて予め決定しているっていうことさ」

 

「はあ? 何言ってるのか全然分かんねえよ、ミギー」

 

「シンイチ、君に分かるように説明すると丸一日掛かりそうだからこの話をするのはまた別の機会にしよう」

 

「んな、馬鹿にしやがって」

 

 ミギーは新一のことなど気にも掛けていないように視線を逸らすとフロントガラスから外を見た。車の外に広がる風景は猛スピードで視界の外へと消え去って行く。

 

「簡単に言うとな、シンイチ、後藤がさっき言ったように私たちは人形に過ぎないと言うことさ。君は自分自身が自由に物事を考え、そして行動しているように感じているかも知れない。しかし、それは錯覚に過ぎず、あたかも操り人形の様に誰かに操られているに過ぎないっていうことさ」

 

「誰かって誰?」

 

「それが分からないからみんな悩んでいるんだぜ、シンイチ」

 

「うーん、何となく分かったような、分からないような」

 

 新一はそう言うとうなだれたようにシートに寄り掛かった。と、その時、後藤がチラリとダッシュボードのデジタル時計に視線を向けた。

 

「ん? どうかしたのか、後藤?」

 

「喜多と樫木達が間もなく接触する」

 

「本当か?」

 

「スピードを上げるぞ。しっかり捕まっていろ」

 

「スピードを上げるって、お前今何キロ出してると思ってんだよ」

 

 新一はそう言ったが、後藤は気にする風もなくアクセルを更に踏み込んだ。

 

 

********************

 

 

 天井まで10メートル近い高さがありそうなホール型の形をした一室――。壁面、そして天井には艶やかで重厚感のある彫刻と装飾が施されていた。部屋の中には樫木達の姿があった。壁沿いの思い思いの位置に各人が立っていたが、エイジだけがまるで対決すべき相手の登場を待つかのように部屋の中央に仁王立ちしていた。

 

「さあ、ご登場だ」

 

 エイジは感情のない表情でそう言った。間もなく、エイジの前方の扉がゆっくりと開いた。そして喜多がその姿を現した。

 

「ふん、ご丁寧に全員でお出迎えって訳か」

 

 喜多はそう言うとゆっくりと部屋の中央に向かって歩き出した。喜多の歩く先にはエイジが無言で立っていた。エイジとの距離が5メートル程になると喜多は足を止めた。

 

「お前が相手になる訳か、エイジ。何なら全員まとめて相手してやってもいいんだぜ」

 

「それで挑発しているつもりかい? 航平。もうすぐ口をきくこともできなくなってしまうんだ。言いたいことはそれで全部かい?」

 

「何だと」

 

「心の準備が出来たんなら掛かってこいよ。僕はいつでもいいよ」

 

 エイジは全く構えを取ることもなくただその場に立っていた。一方、喜多の握りしめた拳は有り余る力で小刻みに震えていた。

 

「てめえだけは絶対に殺す」

 

 そう叫び声を上げると喜多はエイジめがけて飛び掛かった。一瞬の出来事だった。次の瞬間、喜多の身体は力なくエイジにもたれかかっていた。喜多の左胸にはエイジの右腕が突き刺さり、血で真っ赤に染まった右手が背中に突き出ていた。

 

「がっ、はっ」

 

 喜多は苦しそうに一度息をすると吐血した。

 

「分かったかい? 僕こそファーザーの最高傑作。正真正銘のモンスターさ」

 

 エイジは右手をゆっくりと引き抜いた。そして、喜多の身体はその場に崩れ落ちた。

 

「航平」

 

 祥子の叫び声が部屋の中に響き渡った。祥子は喜多の元に駆け寄った。エイジは無表情にその様子を見ると二人から離れて行った。祥子は喜多の頭を両手でそっと抱えていた。そして嗚咽を上げて泣いていた。

 

「祥子」

 

 祥子と喜多の近くまで歩み寄った千佳が小さく声を掛けた。そして、祥子と喜多に近づくもう一人の人間がいた。樫木だった。

 

「ファーザー」

 

 樫木の姿を見止めると千佳が小さく声を上げた。樫木はゆっくりと二人に近づくとその場にひざまずいた。そして樫木は血のりがついている喜多の額をそっと手で拭った。

 

「航平、聞こえるか?」

 

 樫木の声に反応したのか、喜多はうっすらとその眼を開いた。

 

「あ……」

 

 航平はそう声を出すと左手を微かに動かした。樫木はその手を両手でしっかりと握りしめた。

 

「航平、許せ。お前は一つとして罪は犯していない。すべての罪はわたしにある。息子よ」

 

 喜多は視線を樫木に向けた。その瞳からは涙が流れ落ちていた。

 

「あ……」

 

「航平……」

 

 樫木は茫洋とした瞳で喜多を見下ろしていた。喜多は小刻みに唇を震わせながら声を絞り出した。

 

「俺は……し、た……俺は確かに……存在……した……」

 

 そう言い終わった時だった。喜多の身体からすべての力が抜けて行った。上げられた左手は完全に樫木の両手に委ねられた。そして、祥子が漏らす嗚咽だけが静まり返った空間にただ虚しく響き渡っていた。

 

「祥子」

 

 千佳が祥子のすぐ脇に寄り添うとそっと祥子の背中をさすった。と、その時、部屋の入口の外から足音が聞こえてきた。客人の到来は既に分かっていたのだろう。エイジと諒は特に表情を変えることもなく入口の方に視線を向けていた。間もなく、部屋の入口に3人の人影が現れた。新一と深森、そして後藤だった。

 

「喜多」

 

 部屋に入ると新一が声を上げた。血まみれになった喜多の身体は樫木と祥子によってそっと抱えられていた。樫木は新一に視線を送ることもなく、口を開いた。

 

「航平は息を引き取った」

 

 樫木はそう言うと喜多の肩と膝裏に腕を回し、抱き上げた。

 

「弔ってやらねばならん」

 

 樫木はそう言うと新一達に背を向け、部屋の奥へと向かって歩き始めた。千佳も祥子を抱きかかえるようにして立ち上がらせると、樫木の後に続いた。

 

「おい、ちょっと待てよ」

 

 新一がそう叫ぶと樫木は足を止めた。そしてゆっくりと振り返った。

 

「何だ?」

 

「何だも何もねえ。喜多を殺しておきながら今度は弔ってやるなんて……自分中心で進め過ぎだ。勝手すぎるだろ」

 

「言いたいことはそれだけか?」

 

「な、なんだと」

 

 新一は噛みつくような口調で言った。樫木は静かに、そしてどこか透徹した表情で新一を見ていた。

 

「何人たりとて他者の命を身勝手に奪う権利など有していない。例え相手が何者であろうとな。そういう意味で、私は取り返しのつかないことをしてしまったことを自覚している。私はこれから死ぬまでの間、自らが犯した罪に苛まれ続けるだろう」

 

「だからってお前のやったことが許されるわけじゃねえ」

 

「ああ、もちろんだ」

 

「くっ」

 

 新一はそう言うとやり場のない怒りを散らすように樫木から視線を逸らした。樫木はしばらくその場に佇んで静かな表情で新一を見つめていた。

 

「泉、永遠の命を手に入れた人間というのは一体どんなことを考えると思う?」

 

「知るかよ」

 

 新一は吐き捨てるように言った。樫木は新一から視線を逸らし、入口のドアの上部の壁面の彫刻をぼんやりと眺めていた。

 

「そうか」

 

 そう言うと樫木は再びゆっくりと身を反転させ、新一に背を向けた。

 

「わたしにもかつて、愛した人がいた。妻、そして娘だ。娘は生まれながらにして先天的な病に苦しんでいた。私はそんな娘を助けたいと強く願っていた」

 

 新一は視線を上げた。その瞳は睨みつけるようにして樫木の背中を見ていた。

 

「幸いにして私には娘を救う手段があった。だが、堅気の人間であり続けることは不可能だった。だから私はその時、この世界で手に入れた自らの地位をすべて捨てた」

 

 樫木が話を止めると部屋は静寂に包まれた。どことなく空気の張りつめた緊張感の漂っている、そんな静寂だった。

 

「後悔はなかった。間もなく娘も元気になった。元気に走り回る娘を見て私は強い悦びと未来への希望を感じていた、しかし、幸せな日々は長くは続かなかった。娘、そして妻は唐突にして私の元から離れて行った。もう二度と会うことも叶わない所へ」

 

 樫木はゆっくりと視線を上げ、天井を見上げた。

 

「すべてのものを一度に失ってしまった。私は絶望した。救いの道は見えなかった。そしてある時、私は人間であることをやめた」

 

 樫木はそう言い終わると沈黙した。誰一人として口を開こうとする者はいなかった。永遠とも感じられるような凍りついた時間が流れていた。そして、樫木は再びゆっくりと歩き始めた。

 

「広川は死んでしまった。航平は殺してしまった。喪失とは何度味わってもつらいものだな。私とは一体何なのだろうか。存在自体に時々懐疑的になる」

 

 樫木の後を追うようにして、千佳と祥子、諒が歩き始めた。

 

「もう無闇に命を奪うような真似はすまい。道なき道を進み、やがて力果て休むのもまたいいだろう。さらばだ、泉」

 

 遠ざかる樫木に対して新一が何かを言おうとした時だった。立ち塞がるようにしてエイジがその姿を現した。

 

「ということだ。残念だけど、ここでお別れだねえ。また会える日が来るのを楽しみにしているよ」

 

 エイジは深海の海底の様に深遠で、そして光の感じられない瞳を新一達に向けて言った。そして後藤に視線を移した。

 

「君とはもう一度戦ってみたかったんだけどなあ。ところで君、どうしたんだい? 前回あった時から随分変わったねえ。何かあったの?」

 

「ふん、さあな」

 

「そうか、じゃあその謎解きも次に会う時の楽しみに取っておこうかな」

 

 そう言うとエイジは軽い身のこなしでクルリと踵を返した。そして、樫木達が出て行った扉に向かって歩き出した。が、直ぐに立ち止まると新一達の方に振り返った。

 

「そうだ、泉、一つだけいいこと教えてやるよ」

 

「なんだよ」

 

 新一は訝しげな視線をエイジに送っていた。

 

「さっき、ファーザーが永遠の命を得た人間が何を考えるかってお前に聞いただろう?」

 

「それがどうしたってんだよ」

 

「答えを教えてやるよ」

 

「答えだあ?」

 

「ああ、そうさ。永遠の命を得た人間は一体何を考えるのか? 正解は、何も考えない、さ。僕が言うんだから間違いないよ。じゃあね」

 

「お、おい」

 

 新一はそう声を掛けたがエイジはもう振り向くこともなくそそくさと部屋から出て行った。

 

「あいつらは本当に一体何がしたいんだ?」

 

 新一は不服そうな顔をして言った。ミギーが新一の顔を覗き込んだ。

 

「さあな。しかし、どうやらわたし達の命は助かりそうだな」

 

「でも、このまま終わりにしていいのかよ。喜多も殺されて」

 

「喜多はお前にとって敵じゃなかったのか? シンイチ」

 

「くっ、まあ確かにあいつのしたことは許せねえ。でも奴らのやり方も無茶苦茶過ぎる。喜多もある意味では被害者だろ」

 

「シンイチ、君は一体何がしたいんだい?」

 

「分かんねえ。でもこのまま終わりじゃ何か気が収まらねえ」

 

「じゃあ、奴らの後を追って一発殴ってから帰るか?」

 

「ミギー、お前、絶対俺をからかって言ってるだろ」

 

「そんなことはないぞ、シンイチ。わたしはいつでも真剣だ」

 

「あーあー、どうせお前に聞いた俺が馬鹿でしたよ」

 

 新一はふてくされたようにそう言うと後藤を見た。

 

「後藤、お前はこれでいいのかよ」

 

「ああ」

 

「はあ、そうか。深森は?」

 

「これで終わりでいい。奴らが我々から手を引くと言うのであれば、敢えてこれ以上事を荒げる必要性はないだろう」

 

「そうかい。ってことはやっぱり俺だけが仲間外れってことだな」

 

 新一はそう言うと天井を見上げた。深森は冷静な表情で新一を見つめていた。

 

「泉、気を落とすことはない。お前は人間なのだからな。わたし達とは考え方が異なっても当然だ」

 

「人間……か」

 

 新一はどこか感傷を帯びた口調でそう言った。

 

「樫木の野郎も人間だったんだよな。娘もいたのか……俺がもし奴と同じ境遇になったらもしかすると同じことをしたのかなあ」

 

 新一はそう言うとぼんやりと前方を見た。天窓からは曇りガラスを通り抜けて柔らかな陽射しが差し込んでいる。そして喜多の身体から流れ落ちた血が、まるでスポットライトを浴びているかのように窓から差し込む陽光によって照らしだされていた。

 

 

********************

 

 

 一人の男が煙草をくゆらせてぼんやりと窓の外を眺めていた。村山だった。空には秋の雲が浮かんでおり、夏はもう過ぎたことを見る者に伝えている。その時、喫煙室の外を平間が数人の人間と一緒に通りかかった。村山の姿を見つけたからだろう。平間は集団から離れるとゆっくりと部屋の中へと入って行った。

 平間が入ってきても村山は我関せずという感じで窓の外に視線を送っていた。

 

「村山、どうだ、調子は?」

 

 平間がそう声を掛けると村山は漸く我に返ったように平間に視線を移した。

 

「ああ、警視でしたか」

 

 村山は吸い終わった煙草を灰皿で押しつぶすと軽く腕を伸ばしてストレッチをした。

 

「悪くないですよ」

 

 村山はそう答えた。しかし言葉とは裏腹にその表情は冴えなかった。

 

「そうか。休みもちゃんと取っているか?」

 

「ええ、あの一件以来配員も増やして頂いてますしね。時間を持て余している位ですよ」

 

 村山はそう言った。『あの一件』とは3週間程前に敢行された襲撃作戦のことだった。新一から聞き出した情報を元に樫木達のアジトを突き止めた平間は部隊を率いて乗り込んだのだったが、建物の中は既にもぬけの殻になっていたのだった。

 

「そうか、それならいい」

 

 平間はそう声を掛けたが村山は関心なさそうにそっぽを見ていた。

 

「それと、村山、来週から東京の捜査本部がこちらに移ってくることになったから一応伝えておく」

 

「へえ、そうですか」

 

 村山は少し興味がそそられたようにそう返した。

 

「泉新一の身柄もこちらで預かることになる。彼の家族がこちらにいるというのと、捜査の機動性を考慮しての決定だ」

 

「その方がいいでしょうね」

 

 村山はまるで他人事の様にそう呟いた。平間はまだ何か言いたそうに村山のことを見つめていたが、間もなく部屋から出て行った。

 

 

********************

 

 

 海に面した丘の上に一軒の古びた屋敷が佇んでいた。海の波は穏やかで、静かな呼吸を繰り返しているかの様に浜辺に打ち寄せてはまた引いて行っている。

 屋敷の中では一人の男が窓辺の安楽椅子に腰を掛け、静かにその身を横たえていた。樫木だった。窓からは時折風が流れ込んでくるようで、白いレースのカーテンが風に合わせてゆっくりと揺れている。

 眠りについているのだろうか――樫木は瞼を閉じ、身動きもすることなくただ横たわっていた。そして、その静寂を破るように不意にドアをノックする音が聞こえてきた。

 

「ファーザー、入るよ」

 

 間もなくドアが開き、千佳が部屋の中に入って来た。

 

「ファーザー、なんか贈り物が届いてるよ。誰からだろう? 何にも書かれていないから分からないけど」

 

 千佳はそう言ったが樫木には反応はなかった。

 

「ファーザー……寝ているの?」

 

 樫木に反応は無かった。その表情は大きな安らぎを得た人間が見せるそれの様に静かで柔らかいものだった。

 

 

********************

 

 

 薄暗く、伽藍堂とした空間。夕刻なのだろう。曇りガラスからは暖色の薄日が差し込んでいる。部屋の中には一人の男がいた。何もない部屋の中央に置かれている古めかしいグランドピアノに向かっているその男は後藤だった。

 明るい長調の旋律でありながらどことなく哀愁を感じさせる音色が部屋の中を満たしていた。後藤は無表情にただピアノを弾き続けていた。

 不意に後藤の背後のドアが開き、一人の人間が部屋の中に入って来た。その人間は静かにドアを閉めると数歩進み、立ち止まった。

 後藤は背後に佇む人影にもまるで関心がないかのようにピアノに向かっていた。部屋の中に入って来た人間もその場に静かに佇み、後藤が奏でるメロディーに耳を傾けている様だった。

 やがて曲を弾き終わり、後藤の手が止まった。どちらも口を開くことはなく、しばらく部屋の中は静寂に包まれたが、間もなく後藤は鍵盤から視線を上げた。

 

「お前か……久しぶりだな」

 

 後藤は背後を振り返ることもなくそう言った。

 

 

********************

 

 

「はあ、やっと戻れるのか」

 

 新一はそう言うと部屋の中の椅子にどっかりと腰を下ろした。その部屋は警察が新一の拘留用に手配した部屋だった。かなり高層にある部屋の様であり、眼下では東京の都心の風景を一望することができた。

 新一はつい先刻までの取り調べの中で、来週から捜査本部が東福山に移ることを告げられていたのだった。

 

「長かったぜえ」

 

「わたしはここでの生活が続いてくれた方がいいのだがな」

 

「まあお前はそうかもしれないけどよ」

 

 と、その時、何かを感じ取ったかのようにミギーが不意に視線を上げた。

 

「ん、どうかしたのか? ミギー」

 

 ミギーは何かを観察しているかのように暫く沈黙していたがやがて緊張をほどいた。

 

「いや、何でもない。気のせいだろう。それよりシンイチ、お土産はちゃんと買ったのかい?」

 

「お土産?」

 

「ああ、君は向こうを出る時、娘に約束していたじゃないか」

 

「そう言えばそうだったなあ。すっかり忘れてた。何を買おうかなあ」

 

 新一はそう言うと肩肘をつき、あれやこれやと考え始めたようだった。ミギーはそんな新一の様子を確認すると視線を逸らした。そしてまるで何かを警戒しているかのように一人じっと窓の外を見つめていた。

 

~第2部 完~

 




永い間ご愛読ありがとうございました。

またいつか会いましょう。

では (#・∀・)
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