「……やっとか」
「え、ええそうですね。正直わたしもこんなにかかるとは思っていませんでした……」
「ふっ……しかし長閑でいい所だな」
鬼殺の里に着いた二人。道中は両方とも目隠しと耳栓をされ、外されるのは隠の使用する宿の中に入った時だけだった。後は全部隠の引く牛車に一週間前後ずっと引かれるだけであった。これでは二人旅も何もあったものでは無い。
疲れ果てている薫を他所に、巌勝は里を観察する。一見普通の村のようだが、その実態は藤の花に囲まれた秘境。比較的簡素な家々が立ち並ぶ。寝泊まりのための家など数える程しかない。
鎹鴉を調教するための家。
隠を育成する設備。
食料保管庫。
それら全てが緊急の引っ越しがしやすいようにしてある。正に実用性のみを求めた里。これまでにも何度か引越しを迫られたことがあったのだろう。そうやって巌勝が一人観察していると、隠が近寄ってくる。
「失礼します、巌勝殿とお見受けします。御館様がお呼びのため、ご同行ください!」
産屋敷耀哉直々のご指名且つ顔パスである。見た目は少年な巌勝に対しても敬語を使う。言い方は悪いが鬼殺隊の消耗品として徹底して教育されている。巌勝は身震いした。漫画だからと受け入れていたが、これではまるで洗脳教育と変わらない。人ならざるものを殺すには、此方も人ならざる所業を積み重ねなければならないということ。
「……わかった」
「いってらっしゃい巌勝君。わたしはここら辺の宿で待ってますね」
隠に連れられて巌勝が去っていく。薫はその後ろ姿を見送った。彼女は含み笑いを浮かべていた。
(これで鬼殺隊での巌勝君の立ち位置は揺るぎないものになる。そうすればわたしが巌勝君と添い遂げても誰も文句を言えない。
でも巌勝君に余計な虫が着くのも嫌。早く、もっと私を好きになってもらわないと……)
★
巌勝は隠に連れられ、産屋敷邸まで歩みを進める。恐らく薫は呼ばれたわけを知っていたのだろう。というか巌勝にも簡単に想像がついた。巌勝の呼吸術のことである。薫も鬼殺隊に広めたがっていたし、何より現炎柱である正寿郎が目撃している。
(……原作より随分と早いな……大丈夫だよな……? まぁいいか、呼吸を教える代わりに縁壱の捜索でも頼もう)
とりあえず巌勝は呼吸が広まる時期は原作の流れにはあまり関係ないと結論付ける。そもそも縁壱の妻であるうたを鬼から救えば縁壱が鬼殺隊に入隊して呼吸を広めることもない。だが縁壱を見つけるためには鬼殺隊の捜索能力に頼りたかった。恩を売って損はない。
数分歩くと、巌勝達は産屋敷邸の前に着いた。巌勝のみが入れるようで、連れてきてくれた隠は家の前で待機である。軽く礼を言って巌勝は質素だが趣のある門扉をくぐり抜けた。
「此方へ。御館様がお待ちです」
今度は隠ではなく鬼殺隊が案内係である。砂利で舗装された道を歩くと玄関らしき所へと着いた。
(上がってもいいのか……)
巌勝はまだそこまで警戒はされていなかった。警備が厳重になるのは当代の産屋敷が原作の巌勝に殺された時である。その時に一気に改革したのだ。今の巌勝に産屋敷を殺す理由は毛頭ないのでどうなるかは分からなかった。原作の黒死牟としては敵の首魁の首を主に持ち帰るといった、侍的考え方から起こした行動なのだろう。
巌勝は客間に案内され、恐る恐る勧められた場所に正座する。目を閉じて瞑想していると、屋根裏と背後の襖に気配を感じる。片目を向けると微かな違和感がそこにはあった。忍が隠れているようだ。さすがに産屋敷もそこら辺はしっかりしているらしい。
★
巌勝が少し待っていると今代の産屋敷が入ってきた。護衛を二人連れている。だとしても例え巌勝が産屋敷を害する気持ちがあって、刀を抜かれたとしても物の数ではない。瞬殺できる。
(武器も取られなかったのは予想外だったな。ならば……朱華ノ弄月で一瞬か)
巌勝は物騒なことを考えながらも、座ったまま、深く頭を下げる。
「面をあげよ」
巌勝は顔をあげる。改めて今代の産屋敷と目が合う。四百年後とは違い、威厳に溢れている。筋肉もあり、鍛えていることが伺える。だが、透き通る世界で見ると身体中が病の巣になっていた。これでは十年と経たずに死ぬだろう。
「私が今代の産屋敷当主、産屋敷柊哉だ。
お前の活躍は聞いている。継国巌勝。継国の跡取りだが失踪。鎌倉への道中で鬼を倒し、煉獄薫と合流。その後、鎌倉で煉獄正寿郎率いる鬼殺隊と共闘し、名付きの鬼、以津真天を討伐したと報告にある。一先ず、名付きの鬼・以津真天の討伐ご苦労であった」
「お褒めに預かり光栄でございます」
「うむ。でだ、私が巌勝をここに呼んだ理由はもう察していると思う。単刀直入に言うが、その呼吸法とやらを柱達に教えて欲しいのだ。報告によれば超常の力を振るえるそうではないか。それがあれば鬼殺隊の戦力の底上げに繋がるだろう。もちろん、こちらとしてもできる限りの事はさせてもらおう」
「……ならば、一つだけお願いしたいことが御座います」
護衛二人の気が揺らぐ。一介の鬼殺隊、それも数日前に鬼殺隊見習いになったばかりの新米が御館様に意見するのが気に入らないのだ。産屋敷は本人は戦闘能力こそ皆無なものの、人の心をつかむ術は長けていた。この時代の産屋敷も配下からの忠誠を集めているようだ。
部下の怒りを産屋敷は目配せして黙らせた。
「すまん……では申してみよ」
「……私の弟。継国縁壱を捜索して欲しいのです。彼は私の弟。しかし家を出ていったきり帰ってきませんでした。縁壱は私と同じ呼吸の使い手、しかも彼が起源です。必ずや鬼殺隊のお役に立ちましょう」
「……そうか、分かった。こちらとしても戦力が増えるのは嬉しいことだ。至急取り計らおう」
「ありがとうございます」
(案外すんなりと通ったな)
「ああ。早速だが明日は柱合会議の日でな、その時に巌勝にも出席してもらう。かくいう私もその呼吸とやらを自分の目で見たいのでな。柱とも模擬戦をしてもらう。私を失望させるなよ」
「……」
巌勝の真顔が固まる。だがもう後には引けない。
「御意」
★
巌勝は門をくぐって、産屋敷邸を後にする。
(今代の柱か、楽しみでもあるな。縁壱捜索も頼んだし、鬼殺隊の情報収集能力で見つけてくれるだろう。次の目標は……特に無いな。強いて言えば無惨が私に勧誘してくるまでにさらに鍛えなければ、鬼になってもある程度、支配に対して抵抗ができるように)
巌勝は今後の方針を決定する。しかし、とりあえずは次の日の柱合会議である。気持ち行きよりも早歩きで薫の言っていた宿に着くと────
────ひょっとこがいた。
「初めましてだね。儂は弔替八尋。日輪刀の刀鍛冶さね。御館様直々のお願いで、お前に日輪刀を打ってきてやった。というか前もって打っておいたやつさ。
素材となった猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石は何れも他とは違って苦労して富士から取ってきたやつさ。普通は陽光山から取ってくるんだが……そんなことはどうでもいい。
儂の人生の中で最高で最後の刀だ、さぁ、抜いてみな」
ひょっとこはお面であり、刀鍛冶の里の者は総じてつけている。巌勝が見たところかなりの年齢を重ねた老婆であった。体躯も衰えてはじめているが技術は本物。
家の中には薫もいたので、二人で話していたのらしい。二人の間には祖母と孫のような雰囲気が漂っていた。巌勝は自分の腰に差してある予備の日輪刀を脇に置く。八尋はそれを引っ掴んでしげしげと観察していた。
(刀に細やかな傷。最近できたものだね。一体どうやったら刀の表面に傷がこんなにしっかりとつくのかね)
八尋は既に巌勝が只者では無いことを察していた。目の前の老婆がそんなことを思っているとは露知らず、巌勝は渡された日輪刀を凝視していた。
(うぉおおお! すげぇ!!)
巌勝のために作られた。彼専用の刀。柄は黒い紐で編まれた黒一色の意匠を凝らしている。鍔は秋草文様で彫られており、鞘は黒い光沢のある下地に金の彼岸花が描かれている。男であるのなら興奮せずにいられなかった。刀を上に向け、柄を握り締め、抜刀する。途端に蒸気のようなものを上げて刀身が根元から紫色へと変化する。仄かに発光しているそれは幻想的な空気を醸し出していた。
「やはり紫か……」
「は? ……」
「……巌勝君のは紫色?」
(月の呼吸は紫だったか、強く握れば全ての日輪刀は赫刀になるのだった。もし赫刀が使えるようになったら、刀から月要素は完全に消えるな……日の呼吸以外はそうなるか)
巌勝の困惑を他所に弔替は狼狽える。呼吸が乱れ、動揺を隠せていなかった。
「どういうことだい!? 日輪刀の色が変わるなんて聞いた事がない!」
八尋は巌勝が持っている日輪刀をひったくるように奪う。その刀身を隅から隅まで観察した。それは目線で刀の方が折れそうな眼力だった。
「あのー。弔替さん、わたしもなんですけど……」
「はぁ!? なんだってぇ!? 抜いて見せな!」
「は、はい!」
薫も慌てて抜剣する。刀身は熱を持っているかのように橙色に輝いている。八尋は日輪刀を巌勝へと返す。今度は薫の日輪刀に惹き付けられた。数秒後、丁寧に薫へと日輪刀を返した。
そしてぐったりと天井を見上げるようにして倒れた。
「……どういうことだい……」
「……恐らくだが私と薫は特別な呼吸を使える。それが影響したのだろう」
「……もう驚かないさね。はぁ……長生きはしてみるもんだね。とりあえず儂は帰る。この事実を御館様と刀の里の奴らに伝えなきゃいけないからね。……巌勝とやら、その刀、折りでもしたら喉元をかっ捌いてやる。いいね?」
「……肝に銘じる」
「……ふん」
弔替は巌勝を軽く脅迫して出ていく。少し早足だったのは早く伝えたいからであろう。いつの時代も刀鍛冶は刀を折られるのはご法度らしい。巌勝は抜き身の刀を鞘に収めた。
「……それで? 巌勝君! 御館様とは何を話したんですか!?」
薫は待ちきれない様子で巌勝に問いかける。もはや刀の事など眼中に無い。彼女は正座の姿勢から流れるように手をついて四つん這いで近寄った。質問の為に傾けた顔は、期待に満ちていた。何となく巌勝は恥ずかしくなって目をそらす。
「明日の柱合会議で柱達に呼吸を教えて欲しいと言われた。断る謂れはないので受けた」
「ありがとうございます! これで鬼殺隊は強くなります!」
(鬼殺隊っていうか巌勝君が名をあげれば煉獄家のわたしと釣り合うという印象をもたせられる。そして一緒に任務に行く回数が増えれば巌勝君も……)
巌勝に顔を近づけたまま考え出した薫。居た堪れなくなった巌勝は窓の外を見る。空には朱が差していた。いつの間にか夕方になっていたらしい。もうそろそろ就寝の時間だろう。
「とりあえずは明日だな……私はここが宿として割り当てられているが……」
「偶然ですね! わたしもここが宿ですよ!」
「……そうか、ならば……私は彼処の部屋を使わせてもらうとし」
「何処へ行く気ですか?」
薫が巌勝の裾を掴んでいた。巌勝が珍しく焦燥を顕にする。顔はこれでもかという程に引きつっていた。対して薫は万遍の笑み。目だけは笑っていなかったが。
「待て。それは色々とまずいと思」
「いいじゃないですかぁ〜何も起きないですって。……それとも巌勝君はなにかするつもりなんですか?」
薫は自然と寝転がる。湯浴みでもしたのか、湿った髪が畳に広がる。得意げに微笑んだ顔は夕日のせいなのか少し赤くなっていた。挙句の果てに寝転んだまま巌勝に向けて両手を伸ばす始末。巌勝の理性は縁壱の赫刀でズタズタに引き裂かれたように、瀕死であった。しかし、
「……もしそうだと言ったら?」
「ふぇ?」
巌勝は澄まし顔で薫に問いかける。勿論内心は動揺して、顔が真っ赤になりそうであったが「透き通る世界」を全開にし、顔への血流を極力通常に抑えた。なんとも無駄な使い方ではある。なんと効果は覿面であった。薫は驚きの余り、両手を後ろについて上体だけ起こす。巌勝は薫に近づく。
「うえっ!? わ、わたしは……」
(なんで誘惑が効いていないの!? しかも今の発言って!)
方やあたふたと手を動かす薫。方や真剣な顔(内心大慌て)で近づく巌勝。薫は目を瞑ってしまう。
「気迷っているんだったら見栄を張るのはやめろ。
……せめてもだ、そちらの部屋が空いている。布団を引くから襖を閉じて休むように。でないと……」
「え? ……わっ!? ……っ! わ、分かった! わかりました!!」
巌勝は薫を横抱きにする。俗に言うお姫様抱っこである。薫は頭が沸騰し、真っ赤に染って何度も頷く。巌勝は部屋を跨いで移動する。そこに薫を優しく下ろし、襖を閉じる。
「……」
巌勝は透き通る世界を全開にしても、額に朱が差し始めていた。それ程までに理性が決壊を迎えそうだった。なんとかして気持ちを落ち着かせる。先程のことを考えながら布団を敷き、先程のことを考えながら着替えて横になる。
(でも……あれは……反則だ! 頬も柔らかそうだったし、それに、首筋も……!)
目を閉じても瞼の裏に浮かぶのは薫一色。今晩は寝られそうになかった。
…………
(わぁぁああ!?!?!)
それは薫も同じであった。布団にくるまりながら足をばたつかせる。が、余計に熱くなるだけである。頭だけ布団から出しても自然と目が向くのは巌勝の部屋の襖。
(やばい、明日どんな顔してあったらいいの!? この胸の高鳴り……二人で朝日を見た時の比じゃない!)
それでも夜が更けていく。
ラブコメかな?
弔替八尋(はりがいやひろ)
時透くんの刀鍛冶を想像していただければ。老婆で刀鍛冶ってかっこよくないですか?