早朝。
巌勝は曇天の下を歩いていた。仄暗い朝日が気持ち悪い輝きを放つ。湿った空気が着物をべたつかせ、不快感に眉をひそめた。とは言っても不快なのは天気だけのせいでは無い。
(そうだよな。疎まれている弟と次期当主の兄が会っていたらこうなることくらいわかっていたさ)
父親に連れられて元の廃屋に閉じ込められた縁壱。 抵抗はせずとも最後まで申し訳なさそうに兄の姿を見つめていた。母親は既に世を去っており、記憶からすると自分は既に双六や凧揚げを教えていたらしい、無論哀れみからであるが。
「儘ならんな」
幼い子供に対してやりすぎではないかと現代の記憶が判断しようとするが、戦国の世だと至極当たり前では無いかと思った。当主が絶対である。だが不快感は拭えない。
故に呼び出したら十中八九父親に連れ戻されてしまうため、今度はこっそり自から赴くことにしたのである。
(まぁいい、人が嫌って近寄らないのは好都合。……しかし稽古してもらうついでに原作通りに笛を作ってみたはいいものの……どうなのだろうか)
縁壱が隔離されているのはいかにもな廃屋である。閉じ込めるためにあるので勝手に出ていくのは困難な筈なのだが、やはりここは公式チート。先程はどうにか抜け出したようだ。巌勝は作った笛を片手でくるくると回しながら、呼吸を教えて貰いに弟の待つ廃屋へと向かっていた。
ちなみに巌勝は前世の才能も相まって手際がいい。原作とは違ってしっかりと音のなる笛を作ることに成功していた。
(何せ教えてもらうのだからな、これくらいの手間は許容範囲だ。
……なんならまた双六や凧も持って行ってやろうか、一緒に遊んでやればさぞ喜ぶだろう)
「……廃屋というよりは、小屋だな」
人がひとり住むにはあまりに粗末、所々壊れかかっているのは手入れが行き届いていないからである。そもそも手入れを行っているかすらも定かではないのだ。縁壱の扱いはその程度のもの。巌勝はより不快感を顕にした。
外からしか開かない扉を開けて中に入る。不気味なくらいに静かな中、既に正座で縁壱が待ち構えていた。目が合った。巌勝は恐怖を感じる。確実に兄が近づいてくる気配を察知して準備していたのだ。
「縁壱。参ったぞ」
力は違えど立場は巌勝の方が上。縁壱もそれを受け入れている。
「兄上! 態々御足労頂きありがとうございます! 稽古の件。この縁壱に全てお任せ下さい!!」
縁壱は目を輝かせ、兄の役に立てることを心の底から喜んでいた。兄のことになると能面にも少しは感情が浮かび上がる。背後に見えないはずの尻尾が勢いよく振られているのを幻視した。
「そ、そうか。……ならば早速始めよう。……まずはその独特な呼吸法を教えてくれ」
巌勝は逸る気持ちを感じていた。今日はなんの予定もない。父親は急用のために城に出かけた。これで邪魔が入ることなく稽古に集中できるのだ。
縁壱は呼吸法の開祖。
彼の呼吸を学ぶことによって回復力の促進や、身体能力の活性化が可能になり、尋常ではない力を振るえるようになる。縁壱のようにはならずとも、あの黒死牟のような剣技を使うことができる。それが巌勝には楽しみで堪らなかった。
(よし、やっと鬼滅の醍醐味にありつける!)
意気揚揚としている巌勝を他所に、縁壱は屋外へと出ていく。巌勝は口頭伝授では無いのかと困惑しながらもついて行く。
「兄上。まずは……走りましょう!」
「…………走る? 」
「はい! まずは肺を大きく力強くするのです! 見たところ、私の肺と兄上のとでは大きく違っているので!」
訳、巌勝の肺は弱すぎる。
勿論縁壱に悪気はないし、そんなことは巌勝もわかっているのですんなりと受け入れる。原作ならプライドが粉々になりメンブレしていただろう。
「わかった。しかし家の者に見つかっては面倒だ。……裏山を走るぞ」
巌勝はシンプルな方法に戸惑いはしたものの納得した。
鬼滅の刃での呼吸とは肺を大きくして、空気を取り込み、酸素を身体中に送ることで爆発的な力を得る方法であった。その状態で刀を振るうことで鬼すら殺す一撃となるのだ。とりあえず走って肺を大きくするのは理にかなっている。
(この身体の限界も知っておきたいしな)
★
数時間後。
「…………はぁ……はぁ……思ったよりも体のスペックは高そうだ」
「兄上? その……すぺっく? とはなんでしょうか」
「……あー……性能の事だ。あまり気にするな」
「成程、勉強になります」
「覚えなくてもいいぞ」
空気の薄い裏山の山頂。山を走るのは主人公の修行を彷彿とさせた。
巌勝は自分の体の壮健さに驚いていた。早朝に走り始め、現在の時刻は正午過ぎ。ゆうに六時間半近く走り続けていたことになる。それも休み無しで。肉体は子供に変わりないが、公式チートキャラの兄。身体能力は伊達ではなかった。加えて巌勝は
彼もまた天賦の才能を持っていると言っても過言どころか、縁壱ほどではないにしろ化け物クラスであった。もちろん縁壱は息一つ切らしていない。
(もしかして縁壱並にチートキャラなのでは?恐らく鬼になる前の鬼殺隊時代は柱だったのだろうが、
縁壱>越えられない壁>厳勝>越えられない壁>柱達……みたいな)
ふと湧いた疑問をかき消す。今はそんなことを考えるほどの余裕がない。汗が体からとめどなく溢れてくる。体の底から熱が絶えず放たれている。シャワーならぬ、水浴びでもしたいところだった。
「兄上。……休みましょうか? 見たところ肺への負荷が深刻です」
「……いや、続けろ。……はぁ……ふぅ……肺は痛いがのたうち回るほどでは無い。だが、暫し待て」
(肺への負荷か……恐らくだが、
『透き通る世界』
呼吸を極め、自らの血管1本1本を認識し、明鏡止水。所謂心を無にすることで見える世界。呼吸を極めた強者の中でもごく限られた一部しか会得できない視界である。巌勝は今の体の限界を探るためにはこれを試してみるしかないと判断した。
(ならば身体中の血管が疼いている今がチャンス、それっぽくやってみるか)
原作において、時系列的に巌勝の透き通る世界は成人を迎えた後に縁壱から教えられたものではあるのだが、その常識は転生者であり前世の記憶がある彼には通用しない。体のセンスのおかげか、大きく深呼吸をすることで身体中の血管が膨らむのを感覚で掴み取ることが出来た。脈動する身体中の血管に注視して刀を振る動作をし、要る血管、いらない血管を意図的に選別し要らない血管を休ませた分、いる血管に血液を送る。
「……それでは兄上、次にして頂くことは……えっ? ……兄上……! その体は……」
縁壱の目には巌勝の体が自分と同じそれへと変化していくのがありありと分かった。自身の推測よりも遥かに速い変化。集中している兄には縁壱の心配そうな声は聞こえなかった。
(視界が明暗し、酩酊する。 縁壱が何か言っている。自分の心臓の鼓動で聞こえない。……しかし気分は晴れている。……不思議な感覚だ)
巌勝の気がどんどん遠くなる。
暗くなる世界の中、巌勝は何かを掴む。
自分の限界のその先。生死の狭間すら見極める。
────これが……
「……! 兄上! 体に空気が足りていません! すぐにお止めなさってください!」
「……! がはっ……! ……はぁ……はぁ……」
巌勝は体が一気に冷える感覚がした。弟の悲痛な叫び声が彼の心を呼び戻したのである。
(掴んだ、掴んだぞ……まだか細いが確実に!)
巌勝は笑みを浮かべた。タガが外れていたのだ。体と精神の限界を掴めたどころか、生死の狭間すら見極めたのだ。人間の理から外れるための修練をする上でこの上ない成果であった。なんとまだ稽古が始まった初日である。
「……すまん、助かったぞ……縁壱……」
「滅相もございません……縁壱は……兄上の邪魔を……」
「……皆まで言うな、お前は私が酸欠になるのを止めてくれた。もしかすると命を落とすかもしれなかったのだ……はぁ……私の身を案じてのことだと理解している。それを感謝こそすれど叱ることはしない。縁壱、私の感謝を受け取ってくれ」
「……! ありがとうございます! 私は幸せものです!」
「……………………」
当然のように数十秒で回復した巌勝。彼の表情は生き生きとしていた。一度感覚を掴んでしまえば、あとは近道である。体力の回復速度も、格段に上昇していた。
(縁壱は自己評価が低いきらいがある。それに起因して家を出ていくのだろうが、私は家の事があるためそれに付いては行けない。私の修練が終わるまでは少しでも自信をつけてこの家に残っていて欲しいものだ)
「あ、兄上、先程のあれはどうなさったのでしょうか! まるで……まるで私と同じでした! ……あ、仰りたくなければ……」
縁壱が目を輝かせて巌勝に迫ってくる。一分の曇すらない眼。ここまで来ると可愛いものである。それにどう対応したものかと思案を巡らせるが、まさかやり方を知っているとは言えなかった。開いた口は苦し紛れであった。
「…………見よう見まねだ」
「何と! やはり兄上は選ばれしお方! 初見で見切るとは……紛うことなき天才です!」
(なんだこいつかわいいな。めっちゃ兄したくなる)
巌勝は縁壱に愛着が湧いてきた。同時に原作において彼が兄に嫌悪されている理由が巌勝には分かった気がした。良くも悪くも純粋なのだ。自分の天賦を才とすら思っていない。謙虚といえばそれまでだが努力しているものにとっては嫌味でしかない。
人が血反吐を吐いて、数十年自分の無力さと向き合い、幾多のも死線を潜り抜けて身につけた経験や技。それを生まれた時から当たり前のように身につけ、それを誇らしいとも思っていない。むしろそんなものいらないと、一言で片付ける。
(当然だ。天才に才能を褒められたら誰だって嫉妬や嫌味くらいする。
だが、前世でそんなやつはいくらでも見てきた)
巌勝は兄として考える。願わくばこれから先、弟が無意識に傷つける人が減るように。人を傷つけることのないように。
そしてあのような最期を迎えさせないために。
「縁壱……」
「……? なんでしょう兄上」
「前にも言ったがお前には才がある。それを控えめに言うのは謙虚な事だ。お前の魅力だ。しかし忘れてはならない。その才は謙虚で補うには有り余る。自分を落とすだけでなく自覚するのだ、自らの可能性も」
「自らの……可能性を自覚?」
「そうだ。何も自分の才を誇張しろと言っておるのではない。お前は自分のことをまだこの家の周りしか知らない。云わば大海の蛙だと思っているだろう。
だが縁壱よ。何れ飛び出す世界においてお前よりも才のある剣士はいない。それは兄である私が認める。つまりだ。お前よりも才の無いものがほとんどだということを心に留めて置いてほしい」
(縁壱は才能に任せて威張ったりするようなことは絶対にしないことは分かってはいる。だが、何せ人は妬み憎む生き物。いくら善性があろうがこれは避けられぬ)
「しかし……兄上……父上は私の事を忌み子で継国家に災いをもたらすと……」
「育てられてすらいない人間の言うことなど無視すれば良い。お前は災いなどではない、少なくとも私にとっては可愛い弟だ。縁壱。私の言うことを信じろ」
(続きを言うのは気恥しいからやめておこう。まだ私が転生して2日目、原作通りならば母が世を去った時点で既に縁壱の剣の才は父上にも知られていると見ていい。
既に原作は少し狂っている。1年だ、1年経ったら笛を渡して縁壱が家出するフラグを立てる。それまでには縁壱の技を全て身につける)
「……兄上ぇ……あり……がとう……ございますっ……」
縁壱は泣き出してしまった。巌勝はどうしていいかわからず狼狽えてしまう。ふと、縁壱が迷子の子供のように見えた。いくら天賦の才を持ったところで母親は死に、父親からは忌避されている一人の子供なのだ。家族としての優しさをむけられたこと自体少ないに違いない。
巌勝は縁壱を抱きしめる。
「うえっ」
「大丈夫だ縁壱。お前はできる弟だ、同時にその弱さを私は知っている。何も気に病むことは無い。人生は長い。お前の才はこれから何人もの人を助けるだろう。そして助けられなかった人も何人も思い出すだろう。私はその孤独を、痛みを知っている。私がいる。だから大丈夫だ。胸を張れ」
その言葉は原作で縁壱が全てを失った後、炭治郎の祖先に言われ救われた言葉だった。
(我儘だが数年後に炭吉が教えてくれる前に私が教えてやりたかったからな、これぐらいの寄り道はいいだろう)
煌々と輝く太陽が二人を照らしていた。
★
──そして1年後、麗かな春の日に特別頑丈に作った笛を渡した翌日。
縁壱は寺に行ったっきり終ぞ帰ってくることは無かった。
次話は縁壱視点です。お待ちくだされ