黒死の刃   作:みくりあ

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感想、誤字報告、評価ありがとうございます!
しっかり感想欄が賛否両論ですね。



丗壱話 鬼子母神

 薫は逃げていた。屋根の高低差をものともせず、一直線に町の外を目指す。彼女はただ帰りたかった。あの日常に戻りたかった。あの腕に我が子と一緒に抱かれたかった。それだけが今や果てしなく遠い。

 

「止まれ」

「あら?」

 

 一人の隊士が薫の前に立ち塞がる。元より町の警護を担っていた隊士である。計画の概要も理解していたため、薫の逃走にいち早く駆けつけられたのだ。

 

「刀を置いて、降伏しろ。万が一人質が抜け出した場合は子供諸共切り捨てる許可を貰っている」

「そうですか」

 

 薫は笑う。凄惨に、嗤う。

 

「やれるものならやってみなさい」

 

 隊士の宣告に返ってくるのは底冷えするような声。薫は紫明を持つ手に力を込める。紫明は母の温かさに包まれて眠りながら微笑む。我が子の可愛さに少々悶絶した後、もう片方の手で日輪刀に手をかける。

 薫が降伏の意思を示さないと判断した隊士が指笛で仲間を呼ぼうとする。

 

「……え?」

 

 一瞬だった。

 支えがなくなって、隊士の視界が宙をむく。激しい痛みが手足を焼いた。彼の手首は笛を掴んだまま地面に落ちており、足は付け根から両方とも斬り払われていた。未だ情報を処理しきれていない彼の耳には、刀を納刀する軽快な音がやけに鮮明に聞こえた。

 薫は強い。柱達と互角以上に渡り合える実力は伊達ではない。遅れて自分の四肢が喪われていることに気がついた哀れな隊士は泣き叫ぶ。

 

「あ、ああっ! 足、俺の……足! ……ひっ……く、来るなっ!?」

 

 隊士に薫という死が近づいてくる。逃げられない。避けきれない。子に危害を加えると高々に宣言された母の怒りは生易しいものでは無い。

 

「やめでぇぇたすげで…………っ……」

「紫明が起きてしまうではありませんか」

 

 容赦なく首を落とす。笛がなくても叫ばれると面倒だった為、息の根を止める必要があった。物言わぬ骸となった隊士。薫の興味は既に彼から外れ、向かってくるもう一人の隊士の気配に向いていた。

 程なくして進行方向から一人剣士が駆け寄ってくる。薫はその顔貌に見覚えがあった。女性として、恋敵の把握は欠かせなかったのだ。

 

「あら、阿茶さん…………でしたっけ?」

 

 向かってきた隊士は阿茶だった。嘗て巌勝に最終選別で命を救われ、縁壱を師と仰いで師事し、道場を訪れた巌勝に月の呼吸の道場は無いのかと聞いた人物である。

 彼女は四年で風格も剣気も格段に上昇していた。腰に指してある刀をは紛うことなき日輪刀であるし、常に呼吸法を使って呼吸している。

 薫は先程殺した隊士よりも格上と判断して、この場を立ち去ろうとする。口封じするよりかは、戦う方が手間だと判断したのだ。

 

「薫さん……ですよね? え……? 今斬ったのって……!?」

「ただの屑です。私は行くところがあるので少し失……」

 

 

 

 «日の呼吸 弐ノ型 碧羅の天»

 «暁の呼吸 壱ノ型 暁闇の明星»

 

(ま、そう簡単にはいかないか)

 

 薫が言い切る前に阿茶が斬りかかってくる。跳躍してからの腰を支点とした半円切り、薫は迎え撃つように片手で燕返し。

 すれ違った後に肩から血を吹き出したのは……阿茶の方であった。

 

「……くっ」

「危ないですよ阿茶さん……紫明が目を覚ましたらどうするんですか。悪いことは言いませんから、退くことをお勧めします」

「戯言を。それに師匠の呼吸の模倣……甚だしく不愉快です。裏切り者。子供諸共に腹を切って師匠にわびなさい」

「苦しそうな顔で言われても怖くないですよ。それに……貴方が不愉快なのは師匠である縁壱君の呼吸を使ってるからではありませんよね」

「……何を」

 

 薫が得意そうに口を開く。阿茶が醸し出す感情は不愉快や不快感等といった生易しいものではなかった。もっと強い感情。憎悪や憤怒である。

 

「私の呼吸に月の呼吸の面影を見出したでしょう? 私が巌勝君の呼吸を使っているのが気に入らないのですね」

 

「……」

「動揺しましたね。私の読みは的中し……」

 

 «日の呼吸 壱ノ型 円舞 »

 

(折角、かっこいい台詞を言えると思ったのに……まぁ、冷静さを奪えたのは僥倖かな)

 

 薫は半身で構えた刀で受け止める。相手を挑発して尚、彼女の目は冷ややかに敵を見定めていた。対照的に阿茶の目は激情に燃えている。戦場で感情を発露することが致命的なのは阿茶も理解しているが、それでも譲れない物が彼女にはあった。

 

「あなたが! 巌勝様を誑かした! あの方は鬼になるような人ではなかったというのに……!」

「何か勘違いをされているようですが」

「黙れ! ありえないありえないありえない! あんなに綺麗な剣技を振るうような方が鬼に堕ちるなどと……あってはならないのです!」

 

 阿茶は阿茶なりに巌勝を理解しようとしていた。結果生まれたのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()それが阿茶の見出した巌勝像であった。手を伸ばせば燃え尽きると分かっていても手を伸ばさずにはいられない存在。

 故に完璧な人間を鬼に堕としたとされる薫を、阿茶は許せなかった。

 

「それに、あの方は! あの方の呼吸は……! 私一人が受け継ぐべきだったんです! 模倣も許さない!」

 

 皮肉にも阿茶は柱達と同じ結論に至った。彼女の持つ完璧な人間としての彼は死ぬ訳にはいかなかった。死ぬのなら自分の思い出のままの姿で死んで欲しい。だから巌勝の持つ月の呼吸を彼女は自分だけのものにしようとした。そうすれば彼女が見蕩れた呼吸は残る。誰にも犯されない理想を手に入れることができるのだ。

 薫は不快感を露わにする。傲岸不遜な考え方に顔を歪めた。

 

「正気とは思えませんね。貴方頭大丈夫ですか? 本当に吐き気がする。貴方の目には月の呼吸だけで、彼が映っていない」

 

(ですが、自分の理想を押し付けているのは私も同じ。それでも私は彼に見ていて欲しい。彼の瞳に映るのは私がいい。私だけの声に振り向いて欲しい。なんて醜い女。それでも私は彼に受け入れられて、この女は受け入れられなかった)

 

 激昂する阿茶を見て、満たされるはどす黒い欲望。想い人の幸せを願うと同時に自分色に染め上げてしまいたいという二律背反の願い。たとえ巌勝が薫の本性を知ったとしても笑って受け入れてくれるという自信があった。想う気持ちが無限に強くさせる。薫にとって彼は、手を伸ばせばいつだって掴み取ることができる太陽であった。

 

 

 «暁の呼吸 伍ノ型 天流乱星»

 

 

 大上段からの振り下ろし。

 単純な技だが片手で振り下ろすことにより間合いが伸び、単純な技だからこそ使わない筋肉に供給されている酸素を全て片手に集約させる。日の呼吸の特徴である、使用者の肉体強化という点に着目した型。

 

(速い!? それに斬撃が重い!? 威力が感情に左右されるとでも言うの!?)

 

 攻撃を受け止めきれずに阿茶の体が吹き飛ぶ。阿茶は空中で一回転して着地した。傷はない。しかし力で易々と押し切られたのは事実。阿茶の額に冷や汗が流れる。

 

「それに巌勝君以外が振るう月の呼吸なんて、月の呼吸じゃないですし」

「っ……お前が言うなぁああ!」

 

 «日の呼吸 肆ノ型 灼骨炎陽»

 «暁の呼吸 肆ノ型 壊劫»

 

(私の方が速いですね……このまま腕を斬り飛ばしましょう)

(そうだ。あの方の子供なら……月の呼吸が使える……使えてしまう……使えるかもしれない)

 

 力の差は歴然。このまま行けば阿茶は四肢のどれかを失い、薫に逃げられてしまう。走馬灯のような思考の中、結論に至る。敵が母親ならば狙うべきものは一つ。

 阿茶は剣の軌道を変えた、それは真っ直ぐ紫明に向けられる。

 

「なっ────」

 

 紫明の喉を刀が刺し貫く未来が見える。薫はそれを全力で阻止する。

 このままでは薫の刀が阿茶に届いたとしても、阿茶の黒刀が紫明を刺し貫くと判断したのだ。

 

「っ」

 

 薫は何とかして、紫明の着物が多少裂かれる程度に済ませる。紫明には傷一つ着いていない。しかし薫の背中に浅くない傷が刻まれる。背中に赤い線ができ、着物が血に染まっていく。

 

(まーた傷ついちゃった。巌勝君の顔が悲しみに歪むのは見たくないんだけどなぁ……)

 

「ぐっ……」

「ざまぁないですね裏切り者……! 次こそはその腹の立つ童……ご…………と」

 

 阿茶が突然勢いを無くす。彼女の目は見開かれ、先程の余裕は嘘のように霧散し、息が荒くなる。堪らず日輪刀を落として、後ずさる姿はまるで怯える子犬のようであった。

 

 

 

「お前……それ…………は?」

「バレましたか」

 

 切り裂かれた紫明の着物。その隙間から露出された背中から肩にかけての巌勝と同じ炎のような痣

 

「あ……うそ……あぁあああ」

 

 阿茶は頭を掻き毟る。髪が振り乱され、目が充血する。幽鬼のような形相で睨めつけた。

 

「どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして! どうして私はあの方に対して何も残せない! どうして私はあの人になれない! どうしていつも私ではなく、お前達だけが目にかけられている! 私とお前達の何が違う!?」

 

 貪欲な愛が、偏屈な愛が、迷子の愛が、皮肉にも阿茶を()()()へと導く。どれだけ歪んでようが愛は愛であり、強い感情なのだ。

 

 阿茶が狙うのは紫明一人。紫明を攻撃するだけで薫はそれを守るために防戦一方になり、勝手に傷が増えていく。そうやって阿茶の自尊心が満たされていく。

 あわよくば鬼子諸共に斬るつもりで。

 子を守るために戦う母、それをいいことに斬りかかっていく剣士。これでもまだ薫と紫明は誅殺対象である。

 

 «日の呼吸 拾弐ノ型 炎舞»

 

「……か……ふっ」

 

 加えて、日の呼吸は連撃を与え続けるには最適すぎた。拾弐ノ型全てが円環を成して一周する頃には薫は紫明の周り以外血濡れであった。

 最後に浅くない傷をつけられて。薫は血溜まりに膝を着く。だが対照的に紫明には一切血が着いていない。薫の刀を握る右手や頬、足は着物が真っ赤に染まるほど傷だらけであったが、紫明を抱える左手に傷はひとつも着いていなかった。

 薫は痙攣する体に鞭打って立ち上がる。

 

「な……んですかあなたは……立ち上がれるような傷じゃないはず……」

 

 薫の痣がさらに濃く、大きくなる。

 

「本当に揃いも揃って屑しかいませんね。理解不能です。巌勝君が居るから今の鬼殺隊があるというのに。その優しさに漬け込んでおきながら鬼になればすぐ処分……なんですか? 貴方たち鬼殺隊は……紫明を……私を……巌勝君をなんだと思っているんですか?」

「っ! お前が! その名前を! 口に出すなぁ!!」

 

 «暁の呼吸 弐ノ型 参魂天羅»

 «日の呼吸 参ノ型 烈日紅鏡»

 

「ふんっ!」

 

 薫の刀は阿茶の刀と鍔迫り合い……阿茶の日輪刀を叩きおった。折れた刀身が宙を舞い、地面に突き刺さる。だが間合いが有利になっただけであり、闘志は消えていなかった。

 

「ああああああ!!! 許さないぃぃぃ!」

「それでも向かってきますか……いいでしょう」

 

 

(腕の一本くらい覚悟しますか……)

 

 ────赫刀が阿茶の腕を薄くなぞった。

 

 太陽の耳飾りを揺らして到着したのはうたを抱えた縁壱。担がれているうたは顔色が悪かった。兄の危機に駆けつけるためにうたを担いだ縁壱が全力疾走したのだ。担がれているうたも最初は家族の危機に我慢していたものの、今や吐きそうであった。

 

「師範!? なにを!?」

「縁壱君……ですか」

 

(万事休す……ですかね)

 

 薫は鬼殺隊の首を切ったことを少し後悔していた。縁壱が鬼殺隊に情をかけた場合。脱出が少し難しくなる。縁壱が薫に刀を向ける可能性があるのだ。

 

「阿茶。私怨で手を出すのは鬼と変わりない」

「……な……んで……腕が……」

「今私は腕の腱を割いた。力を入れれば激痛が迸るだろう。日常生活に支障は無いが、お前はもう二度と刀を振るえん」

 

 縁壱の刃は赫い。人の身ならまだマシだが、たとえ阿茶が傷を癒すために鬼になったとしても傷が焼けるように熱く痛むだろう。絶望的な表情を浮かべて倒れ伏す阿茶を縁壱は受け止めて寝かせる。

 縁壱は薫の前に片膝を着いて頭を垂れた。

 

「遅れてしまい……申し訳ございません。義姉上」

 

(似てるなぁ)

 

「来てくれて本当にありがとうございます。縁壱君」

「はい……」

 

 縁壱は黙り込む。義姉が人を殺す必要に迫られ、傷だらけなのは自分の到着が遅れたこともあるのだと本気で思っているのだ。薫は少し悲しい顔をする。

 

「……縁壱君」

「はい」

「貴方は優しいですね。しかし、優しすぎるのも考えものです。貴方は自分が他者より特別強く生まれたのは他者を助けるためだと思っているでしょう?」

「はい」

 

 縁壱は間髪入れずに答えた。

 

「その考え方は万人が尊く正しいと讃えるでしょうが、助ける対象にはあなたも入っているのですよ」

「自分で……自分を助ける……ですか?」

「ええ、弟が不幸でありながらも……誰かの幸福の為に奮闘しているのは……寂しいですからね」

 

 縁壱はこの目が好きだった。本当の姉のように、いつでも欲しい言葉をくれる薫の慈しむような目。いや、本当の姉なのだ。守らなければならない家族。

 

「義姉上、私は……」

「ええい! 縁壱! 後にしろ! 薫も薫じゃ!」

 

 隠の家からありったけの包帯と諸々の治療薬を両手に抱えたうたが飛び出してくる。

 

「最後にひとつ……! 縁壱君は今の私を見て、どう思いますか?」

「……怒りませんか?」

「ええ、縁壱君の目に、私はどう写っていますか?」

「……鬼子母神だな……と」

「ふふっ……」

 

 満足そうに薫は倒れた。衝撃に揺れた紫明が目を覚ます。見上げると母親が血塗れで倒れているのが目に入った。直ぐに笛を吹く。この音は巌勝の所まで届くだろう。

 縁壱はそんな紫明をとても申し訳なさそうな目で見つめていた。

 

「義姉上……!?」

「相も変わらず天然だな縁壱は!? わしが薫を見る! 縁壱は義兄上を頼んだぞ!」

「……分かった。うた。あとは頼む」

「任せろ! ……紫明。我らは敵などでは無い。お前の母を助けに来たのだ! このわしに任せよ!」

「……」

 

 薫の治療に取り掛かったうたを尻目に縁壱は走り出す。縁壱は紫明をあやすうたをこんな状況でも愛おしく思った。

 

(状況は思ったよりも深刻か。兄上は人を殺した。それは紛れもない事実。だが、柱達の策略も残酷が過ぎる。もしもだ……もしも仮に俺が兄上の立場でうたと子供達が人質に取られ、最悪うたが斬り殺された時……()()()()()()()()()()()()それに、もし既に兄上が殺されていた場合、俺は……仕方なかった……どうしようもなかったと受け入れられるのか?)

 

 ────遠くで、鈍色の衝撃波と月刃が夜空を犯した。




阿茶
兄上によって無意識に作られたメンヘラ。
兄上の強さに手を伸ばし続け、燃え尽きて落ちた人。強さの理由を呼吸法に見出した。彼女が呼吸法だけでなく彼自身を〝見て〟いたら結末は変わっていたかもしれない。


殺すことに躊躇いのない夫婦のうち、妻の方。頑張って戦う。その先に家族の幸せがあると信じて。
かなり重傷。紫明が無事ならよし。

縁壱とうた
最優先は巌勝一家の安全確保と鬼殺隊の説得……。子供達は信頼出来る弟子達に預けてきた。鬼殺隊の気持ちも分かるが、兄上の闇も同時に知っているため迷いがある。
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