曇らせ全振り。上弦勧誘編までのツナギ、戦いは結構ダイジェスト。
ここ好きの総数がえぐい事になってるな……
──話 めでたしめでたし
────これは有り得なかったお話。
かの侍が自分の幸せよりも世界の平和を願った話。人を殺すこともできず、人外として生き延びることもできなかった優しくも弱い鬼の話。
☽︎
夜の帳が降りた世界。炭吉の家を後にし、無惨に血をもらって鬼になった巌勝は縁壱の家へと足を運んでいた。
「縁壱」
縁壱ははっとして起きた。兄が布団の横に鎮座している。軽く恐怖を感じた。兄だと確認し、眠気を吹き飛ばした縁壱は瞠目する。
兄は鬼になっていた。
それも鬼という言葉どおりの暴力さは欠片も存在していない。それよりもどこか、悲しい雰囲気が漂っていた。
「兄上!? 」
「あれだ。見ての通りだ。私は鬼になった」
「……え、えっと。素晴らしくかっこいいですね。特に六つ目の所とか!」
「…………感想を求めているのではない」
弟の天然を咎めながらも、巌勝の口角は僅かに上がっていた。
「あれ、義姉上は?」
「……家に置いてきた」
「……本当に兄上で御座いましょうか……」
「どういう意味だ。ただ、これから始まる惨状には……巻き込みたくないからだ」
「なにを」
「ここを発つぞ。支度をしろ。うたは私の分体に護らせる。鬼の始祖を寂れた町に誘き寄せた。彼奴は私を信頼している。鬼になったのもそういうわけだ。始祖は用心深いからな。それに、目には目を歯には歯を。鬼に鬼をと言うやつだ」
「……俄には信じ難いですが、兄上が言うのなら着いていきます」
「助かる。終わりにするぞ。二人で……な」
「はい!」
かくして、太陽と月が夜の闇へと駆け出した。
☽︎
瞬足の二人にかかれば、常人が一日はかかるような道程も半刻で着くことが可能となる。
巌勝の言う通り、到着した所は寂れた町であった。最早廃村と言った方が正しいのかもしれない。屋根からは薄が生え、秋風に揺れている。
そんな人間が廃村の開けた箇所。そこに一人の男がいた。異様な雰囲気が漂っている。
「……兄上」
「ああ。気を抜くな」
それは彼らにしか分からない独特の雰囲気。縁壱にとっては兄と共に十数年間追い続けた鬼。巌勝の方は数回接触済みであるが、鬼と化した今ならば始祖は主も同然。根源的恐怖を一時的に炭吉の血で抑えているに過ぎない。
黒い着物。黒い髪。赤い目。名を────
「無惨様」
「黒死牟。なんの用で私を呼び出した。優秀なお前のことだ。それなりの理由があるのだろうな」
巌勝を見つけた無惨が話しかけてくる。眉は少々不機嫌に顰められているが、それだけであった。抑、無惨が赤の他人の頼みを聞くのは異常事態である。彼なりの信頼の現れなのだ。
そして巌勝の横に目を向けた。
「ん? ……なんだそいつは。黒死牟。今すぐそいつを殺せ。何処か不愉快だ」
「……」
「どうした?」
巌勝は空気が一変するのを感じた。自分の後ろにいる縁壱が刀を抜いたのだ。鬼に対しては喧嘩早い弟に苦笑する。
遅れて巌勝も刀に手をかける。
「参りましょう。兄上」
「承知……」
「な……」
ここでやっと無惨は理解した。この場に自分の味方は誰一人いないことに。この兄弟であろう二人の剣士は、自分を弑する為に来たことに。そして忠誠を誓われていた腹心に裏切られたことに。
「ふざ……けるなぁぁああ!! 」
太陽と月は日蝕が如く重なる。先に動きだしたのは縁壱だった。進んで前衛を受けてでた。
(そうだ。それでいい)
片や煌々と燃え盛る日輪の人。片や静かに構える月光の鬼。無惨はかつてない程の恐怖を感じていたが、無理やり抑え込む。自分は凡俗とは違う。生ける天災なのだ。それにあろうことか自らの信頼を裏切った巌勝を酷く許せなかった。視界が真っ赤に染まる。怒りに呼応するように無惨の体から触腕が複数生えてくる。
「死ねぇぇぇ!!」
そしてただ思いのままに触腕を振り回した。御伽噺の中に出てくる鬼よりも遥かに悍ましい本物の怪物。まともに受ければ人の体は肉塊と化す威力。それだけでなく触腕一つ一つから独自の血鬼術を飛ばして撹乱する。
そんな存在を前にして、縁壱は日輪刀を構え直す。
«日の呼吸 弐ノ型 碧羅の天»
「なっ……!?」
全て薙ぎ払われる。更に再生することは無い。
圧倒的な力よりさらに圧倒的な力で振るわれた刀は、地面にすら傷を刻む。
切断された触腕は放っておいて、新たに体生やしたものが再び縁壱に殺到する。
«月の呼吸 肆ノ型 虧月突»
縁壱の足の隙間、振り上げた腕の間、屈んだ体の真上の間を縫って月刃が飛んでくる。再生する暇すら与えず掠っただけでも根元まで抉りとる。加えて縁壱の後ろからの攻撃も防ぐ。お陰で縁壱は攻撃に専念できた。
彼らこそ天災。
「ちょこざいな!」
«月の呼吸 拾肆ノ型 月虹・片割れ月»
«月の呼吸 漆ノ型 厄鏡・月映え »
(なんだと!?)
さらに数を増やして伸ばした触腕は、縁壱に届く前に上から降ってくる三日月が縫い止める。地面から伸ばそうにも鬼の力で地面ごと抉り取られる。そうしている間にも体は赫い刀に切り刻まれる。
それは唯の蹂躙であった。圧倒的な力がさらに圧倒的な力で押し潰される。
死。
終わりの影が脳裏にちらつく。
「おい! 黒死牟、教えてやろう……私を殺せばお前も……がっ!?」
巌勝は無惨が口を滑らせる前に刀を生成し、投擲する。それは一条の閃光となって無惨の口内から喉奥へと突き刺さり、後頭部へと貫通する。
咄嗟に強靭な顎で刃を噛み砕いた。そして戦慄する。
(こいつ態と……まさか知っているのか!? 私を殺せば全ての鬼が死ぬことに!! 傷が再生しないのも可笑しい。不条理が起こりすぎている!)
「だが、これは避けれまい!! 体ごと貰うぞ、屑共が!」
パァン!!
無惨の体が砕け散る。細々しく砕かれた肉片は意志を持って縁壱へと向かう。理由はない。ただ近くに居たからである。縁壱が刀を構え直し、攻撃に備える。
それも巌勝は折り込み済み。
「少し乱暴にするぞ」
「な!?」
縁壱に軽く体当たりする。とは言っても軽く持ち上げて放ったのである。まさかの方向からの衝撃に縁壱は為す術なく投げられる。
「あ、兄上!?」
巌勝を包み込むようにして無惨の血が押し寄せる。縁壱の表情は困惑と絶望に彩られていた。対して縁壱の目には兄が笑った気がした。
「そのような……みっともない顔をするでない」
縁壱の目の前で巌勝の体に無惨の血がスポンジのように吸収されていき、巌勝はその場に倒れ伏した。
☾︎
(ほう……お前のこの体。とうに青い彼岸花を摂取していたとはな)
(……精神世界……か)
(そうだとも愚か者め。後はお前の体も思いのままだ……)
(……)
(……なんだ黒死牟。命乞いの1つでもしてみたらどうだ? どの道お前に待っているのは惨たらしい死だがな)
(哀れだな、鬼の始祖よ)
(な……負け惜しみか! 笑うしかできないのだろう! お前は袋小路! 体を乗っ取った暁には、あの忌々しい弟をこの体で嬲ってやろう!)
(いや、短絡的なお前のことだ、考え無しに私の中に入ったのだろう?)
(ない訳では無い! お前を乗っ取ることができば、私は日光を克服できる! 無敵の存在となる!)
(いや、お前の望みは叶うことは無い。足りない頭で考えたらどうだ?)
(黙れ! 死にゆくだけのお前…………がっ……がぁぁあああああ!!!!! 熱い熱い熱い痛い熱い熱い痛い!?!?)
(さぁ、私の体から出ていけ!)
(やめ……ろ! 待て! お願いだ!)
(お前はここで死ぬのだ鬼舞辻無惨。潔く消えたらどうだ?)
(巫山戯るな巫山戯るな巫山戯るな! こんな最期あってたまるか! ……ぐぁぁあああああ!!!)
(さらばだ鬼の始祖よ……案ずるな……私もすぐそちらへ向かう)
(やめろぉぉぉぉ!!)
☾︎
目を開く。満月が見える。縁壱が視界に映る。
「兄上!」
「縁……壱」
「そうです! 兄上の弟の縁壱です!」
「縁壱。終わったぞ」
「ええ、お疲れ様です兄上。……そして申し訳ありません……こうしろと兄上の鎹鴉から……」
「構わない……八咫にそう命令したのは私だ」
巌勝の肩には縁壱の日輪刀が刺さっている。彼は血液と化して体内に入り込んだ無惨を弱体化させるため、弟に赫刀を突き刺させた。効果は覿面。しっかり鬼の始祖は苦しんでいた。縁壱はゆっくりと赫刀を抜く。
ここに鬼舞辻無惨を超える鬼の王が誕生した。
「くっ……」
そして巌勝は体勢を崩して倒れる。足は砂のように粉々になっていた。彼にはもはや体中の感覚が消え去っていた。
縁壱は気づかず、疲れたために兄が倒れたのかと思った。
「はぁ……全て。もう全部終わりました。どうです? このまま私の家にでも………………え?」
縁壱は刀を落とす。日輪刀は赫を失う。そんなことはどうでもよかった。すぐさま兄に近寄り、心配そうに粉々になった足を震える手で触れようとする。しかし触ったところから脆くなったため、咄嗟にやめた。
「…………兄上、……お体が……!?」
「落ち着け縁壱」
「これが落ち着いていられますか! ど、どういうことです!?」
巌勝は微笑む。酷く儚い笑み。対して顔を強ばらせ、取り乱している縁壱。縁壱の顔は今にも泣き出しそうな幼子のようであった。そうこうしているあいだにも巌勝の痣は鼻付近まで拡大していた。体の制御がきかなくなったのだ。
「……こうなることは……予想外であった……が、私は鬼になったのだからな……道連れは業腹だが……仕方ないことだ」
巌勝は支配には抗った。しかし道連れには抗えなかった。中途半端に摂取した無惨の細胞を根底から書き換えるには時間が足りなさすぎた。
「道連れ……? ま、待ってください……じゃあ兄上はこうなることも承知の上で……!?」
「縁壱。お前のような最高の侍を弟に持てて……私は誇らしい。これからもうたを大切にし、幸せになるのだぞ」
(ある結末では……お前はうたと心を失っていたのだから)
「い、嫌です!! そんな急に、俺が侍をめざしたのは兄上に憧れたからだというのに! 兄上がいなくては俺もうたも幸せになどなれません! これでは始祖を殺した意味が……!」
縁壱が歯噛みする。理屈では理解しているのだ。透き通る世界はもう巌勝が数分も経たずに塵になることを示していた。だが感情では理解出来なかった。
「そう悲しむな縁壱……何も無意味ではない……見ろ」
巌勝は自分の掌から青い血を滴らせる。空いたもう片方の手で懐の瓶にそれを入れた。
「……?」
「この薬は……」
巌勝の視界の端で黄色い髪が揺れる。
「はぁ……はぁ……やっと追いつきました。ふふ。私を置いていこうとしたってそうはいきませんよ。巌勝君が居ることろであればたとえどこにいたとしても分か…………?」
「義姉上……! 来てはダメだ!!」
「え……み、巌勝君!?」
薫が現れる。間もなく彼らを発見する。駆け寄って巌勝の手をにぎりしめた。薫は自分を見て驚愕と絶望を示す義弟と生気の失われた顔をした夫の二つから只事ではないと確信した。
「なんで体が崩れて……鬼になった……んですよね? 鬼になったら一度体が崩れてまた生まれ変わるの? もしかして、人型では無くなるの? 大丈夫。貴方がどう在っても私は愛しています。ねぇお願い……何とか言ってよ……でないと」
「薫。この薬は痣者でも百年は生きられる薬だ……痣者にしか効かぬ故に……数人分で私は用済みだが……何とか生成できた」
「え、ど、どういうこと……待って、巌勝君……お願い……説明して……」
「見ての通りだ薫。私にはもう……時間は残されていない……始祖は殺したが、始祖の命は配下の鬼の命と呼応している。故に私はもう消える。それでも……お前には……どうしても幸せに……」
「駄目、駄目だよ! そんなの!」
薫の目から涙が零れ落ちる。今起こっていることは夢だ。目を覚ませばまたあの満ち足りた日常が戻ってくるのでは無いかと愚考した。するしか無かった。でないと耐えられない。満ち足りていた世界が絶望の底に叩き落とされる音がした。
薫は差し出された薬を頑なに受け取らなかった。
「ふざけないでよ……! 知ってる? 私の幸せなんて……なかったんだよ……? 巌勝君が私を見つけてくれたから、幸せになれた……貴方が私に手を差し伸べてくれたから……受け入れてくれたからっ!」
「私こそ、薫に救われた。本来なら私はここにいるような存在ではない。闇に堕ち、孤独に消え去る筈だった。しかしお前が共に歩んでくれたからここまで来れた。お陰で多くの人が笑顔になる」
巌勝は薫を抱きしめる。薫も二度と離さない気持ちで抱きつく。最後の抱擁。薫はそれが永遠に続いて欲しかった。しかし、抱擁に込められた意味は永遠の別れ。
「大嘘つき! ずっと一緒にいるって言った! こんなことになるなら私は鬼になってもよかった! もっと一緒にいたかった! 貴方がいれば、私はただそれだけで……許さない! 許さない! こんなの許さない! 許さな……い……ああっ!?」
掴んだ手は塵となって消える。受け取った温もりはすぐ冷める。宙に舞う塵をかき集めようと手を伸ばす。そうしている間にも崩壊は進んでいた。
「待って……何か方法があるはず……! 鬼……だったら、私の血肉……私の血肉を食べれば……!」
薫が己の腕を切り落とそうとするが、巌勝がボロボロの片手で止める。
「もう手遅れだ……薫…………私はお前に生きていて欲しい……鬼のいない夜を過ごしてほしい……」
「まだ何か方法があるはずです兄上! 諦めないでください……兄上は絶対に死なせません! だからそんな、顔を」
「そんなの……あんまり……そんなこと言われたら、直ぐに巌勝君の所まで行けないっ」
掴んだ手は灰になる。
抱きしめた体は塵になる。
触れた頬は屑となる。
とうとう侵食は顔にまで及んだ。
「待って……待って! 行かないで! お願い! 私はまだ何も……貴方にしてあげてない! いつも私がもらってばっかで……また二人で遠くまで旅をしたかった! また木漏れ日の中で一緒に昼寝もしたかった! 私はただそれだけで十分幸せだった! 貴方ともっとたくさんの思い出を重ねて……!」
「生…………き……ろ」
最後の言葉は呪いとなって最愛をバラバラに切り刻む。鬼となったものは何一つ残らない。残せない。骨すらも残らない。
人の想いは不滅。鬼の想いは必滅。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛っ!! 嫌! 嫌! 嫌! お願いします神様! 巌勝君を! 私達を! 私の幸せを……連れていかないで!!!」
もう彼女を抱きしめてくれるものはこの世にいない。二度と彼女の名前を呼ぶ声は紡がれない。残された紫の着物を抱きしめる。
薫はたった一晩、一瞬にして全てを失った。
世界が音を立てて崩れ落ちていく。鮮やかな情景が色褪せていく。あらゆる音が雑音へと変わる。温もりは全て上弦の壱が奪っていった。最強で最後の鬼は鬼殺隊の頂点を絶望の底に叩き落として見せた。
零れた涙は紫の着物に滴り落ちて滲みる。
「愛してる! 愛しています! 愛してるからお願い……戻ってきて!」
やり場のない慟哭が響き渡る。
「兄上……っ」
至らぬ力は最後の最後で家族を守りきれなかった。生まれ持った天賦の才も、日輪刀も、呼吸も、赫刀も役立たず。
……………………
(大丈夫だ縁壱。お前はできる弟だ、同時にその弱さを私は知っている。何も気に病むことは無い。人生は長い。お前の才はこれから何人もの人を助けるだろう。そして助けられなかった人も何人も思い出すだろう。私はその孤独を、痛みを知っている。私がいる。だから大丈夫だ。胸を張れ)
……………………
「そうだ。そうだとも。私は……肝心な時にいつも無力だ……兄上に……何一つとしてお返しできず。私は弟失格だ」
熱を失って紫紺の輝きへと戻った日輪刀が月光を反射していた。
この国の夜は平和になった。鬼殺隊は涙を流して喜び、名も知らぬ無惨討伐を果たした英雄を讃える。たった今鬼に襲われていた者は鬼が塵となって消えたことに驚き、助かったことを天に感謝した。
────しかし
「うそ……じゃ。うそじゃ。うそじゃ。うそじゃ。うそじゃ。うそじゃ。どうしてじゃ義兄上! どうして薫を置いていった! 薫はこれからずーっと独りなのだぞ! 大馬鹿者が! ばかもの……めがっ! ……ぅぁあっ……」
義兄の死を知ったうたは泣き叫んだ。家族の死はもう二度と経験したくなかったトラウマであったのだ。いつもの四人がいつもの三人になることはなく、疎遠になって行った。
☽︎
「ようやく私は死ねるのですね。ありがとうございます。巌勝様。たとえ私の人生で何一つとして成し遂げたものはなくとも。貴方と出逢えたことを誇りに思います」
しかし珠世は路地裏で塵になるまでずっと、己の存在意義を残酷な世界に問いていた。
☽︎
「無惨が……鬼舞辻無惨が……死んだ!?」
「無惨が死んだ! 無惨が死んだ!」
「やったぁあああああ!!」
「これで鬼のいない夜が迎えられる……!」
鬼殺隊は解散。産屋敷は病も治り、元隊士達のアフターケアに奔走する。残った隠や隊士達と共に商いを立ち上げて有意義な毎日を送った。
一件落着。任務完遂。
画して、みんなはしあわせにくらしましたとさ。めでたしめでたし。
★
「そんな……」
「事の顛末は以上です。伝えられて嬉しかったです。夫も喜ぶでしょう」
平和の実現から数年後。痣の寿命が近づいた薫は、縁壱の勧めで炭吉の家を訪ねていた。女剣士が訪ねてきた時初めは誰かわからなかった炭吉だが、腰に差してある見覚えのある日輪刀と、彼女が身につけている
そして月の侍はもうこの世を去ったのだと。
炭吉に一部始終を話した薫。炭吉は涙を流さずにはいられなかった。かの侍はただの鬼ではない、日本一優しい鬼であった。
「ちょっと……待っててください。すぐにもどります」
「ええ、わかりました」
「ふふっ。炭さん、いっぱい練習したからね」
涙を抑えながら家の中へと消えていった炭吉。すやこはそれを微笑ましそうに見つめた。薫は現れた女性に意識を向ける。
「貴方は」
「私はすやこ。宜しくね」
一人になった薫にすやこが話しかけてくる。彼女の足の影に幼い女の子が隠れていたのを目に止めた。
「私は継国薫です」
「凛々しい名前ね……よいっしょ。この子はすみれ。貴方の夫さんが名付け親よ」
「え、え? 巌勝君が?」
「本当に素敵な名前でしょう? そうだ、薫さんも抱いてみては?」
「わ、私がですか?」
「ええ是非。炭さんよりも背の高い貴方なら、すみれも喜ぶと思うの!」
「……ええっと」
「ん。だっこ」
(ど、どうすれば……)
すみれが薫の紫の羽織を掴んで催促してくる。恐る恐るすみれの脇に手を挟む。擽ったそうにすみれが身を攀じると、自然と薫の顔も綻んだ。
そうしてゆっくりと抱き上げる。薫は赤ん坊に触れるのは初めてであった。故に少し力を入れるだけでも壊れてしまいそうで怖々としていた。
「きゃっ、きゃはは!」
(私たちに子供がいたとすればちょうどこの位の)
「……っ…………」
「薫さん?」
「いえっ……だい、大丈夫です…………なんでもありません」
声を出そうとすればツンと喉の奥が痛んだ。そうして嘔吐きそうになるのを堪える。
すみれが心配そうに瞳を覗き込んでくる。薫は深呼吸をしてゆっくりと下ろす。名残惜しそうに裾を掴んでくるが、名残惜しいと思っていたのはすみれだけではなかった。下ろして尚、薫の手はすみれに触れていた。
巌勝はこの子供の笑顔で誰かが救われて欲しいという願いを込めてすみれと名付けた。しかし皮肉にも、彼が一番幸せに生きて欲しいと思っている存在を悲しませるだけに終わった。
そこで炭吉が丁重に収められた刀を持ってくる。継国家に伝わる刀。巌勝の愛刀。蛟落天津である。
「薫さん……これを」
「これは」
「巌勝さんが残しておいたものです。約束通り本人にお返しすることは叶いませんでしたが、せめて貴方には返しておきます。
……しかし、その前にもう一つ見せておきたいものが」
「……?」
炭吉は徐に足を庭へと進める。蛟落天津を携えて。炭吉は涙を抑えて無表情になる。
(見ていてください巌勝さん)
────ホォォオオオオ
彼の形見を握りしめ、舞う。
«ツクヨミ神楽 闇月・宵の宮»
«ツクヨミ神楽 朱華ノ弄月»
«ツクヨミ神楽»…………
「あーあ。本当なら私が舞うはずだったのに。炭さんみたいに、私も感謝を伝えたかったな……」
「うー?」
「大丈夫よー。すみれも舞えるようになるからねー」
薫は炭吉の姿に愛する人を幻視する。もう二度と見られないと思っていた姿。彼以外にはできないと思っていた型。本物には程遠い。しかし命の芽生えを祝う神楽として神に奉納するには十分すぎるほど美しかった。
「あ……ぁ……」
視界が滲む。視界が滲んだことでかえって刀を振るう炭吉の姿がぼやけて、ほんの一瞬だけ彼と姿が重なった。薫は無意識に手を伸ばす。そうしたところで彼は帰ってこない。分かっていてもいつもみたいに手を伸ばせば掴んでくれると信じて伸ばした。
(沢山……残してた)
「受け継いで……くださるのですね……」
「はい。そう約束しました」
「でしたら……その刀は貴方が……私にはもう受け継ぐ意味が……」
「いえ、これは薫さんが持っていてください」
炭吉が刀を薫へと差し出す。
「この刀はあるべき場所へと帰ろうとしている。巌勝さん亡き今。その場所は貴女の元です」
「……私は……巌勝君じゃ……」
「それでもです。まだこうやって繋いでいる間はまだ私たちの中であの人は生きています。そうでないと、そうで無ければっ、悲しすぎるではありませんか」
「……」
掴む。しっくりとくる重み。まるで愛刀のように慣れ親しんだかのような心入れ。試しに刀を抱きしめてみる。何も感じない。冷たい鞘よりも冷たくなった自分の体温しか感じない。
薫は刀を背中に括りつけ、無言で一礼し、振り向かずに歩き出す。それで炭吉達は察する。もうここに彼女は来ないのだと。かの侍のように消えるつもりなのだと。
「薫さん! 死なないでくださいね!」
足が止まる。
「巌勝さんのことを覚えていられるのは薫さんだけです!」
「そうよ薫さん! またいらっしゃい! すみれと一緒に待ってます! ほらすみれも!」
「ぁーぅ?」
再び離れていく背中。姿が見えなくなるまで炭吉達は目を離さなかった。涙を拭う。
「薫さん。大丈夫かな」
「分からない。分からないけど……どうか報われて欲しい」
★
「……」
(私はどうなるのかな……巌勝君の遺してくれた薬を飲んで……そしたら…………)
山を下る薫の足取りは重かった。聞こえてくるのは枯葉を踏み締める自分の足音だけ。
背中の重み。失った者の重み。一生共にいると言う約束を果たせなかった呪いの重み。幾ら時間が経とうとも、癒えることは無い。人と会えば気が紛れるものの、一人になってしまえばまた失った温もりが蝕んでくる。
右腰には自らの日輪刀。左腰には紫紺の日輪刀。背中には蛟落天津。三本分の想いを冷たい体に宿すには失いすぎた。
「う……」
足を止める。夏だと言うのに彼女の吐く息は白かった。残酷なまでに美しい空すら見上げる気力もない。取り繕っているだけで彼女は最愛を喪った時から、伽藍堂であった。縁壱達は必死に元気づけようとしたものの、どうにもならなかった。乾いた笑いが溢れる。全ては無力な自分への蔑み。
(このまま……彼みたいに消えてしまえたら)
薫が近く藤の花の木に体を預ける。膝を抱えて座り込み、顔を埋める。奇しくもその木は巌勝が鬼になる前に炭吉の家を訪れた際、触れた木であった。
そして目を瞑る。無駄に鮮明に見える視界を閉じて視覚以外の感覚を研ぎ澄ます。
「────!!」
「──!!」
「──────────!」
(…………煩い)
凡百所から聞こえてくる鬼のいない夜を謳歌する声。
鬼殺隊が笑っている。
巌勝が消えた後、彼らは無惨を討伐したのは日柱だと賞賛した。そして月柱は鬼になって然るべき存在だったと罵倒した。挙句の果てに薫は月柱の被害者だと憐れんだ。幾ら薫や縁壱が彼の功徳を並べようが無意味。
彼らは知らない。鬼を倒した英雄が紛れもなく鬼であることに。鬼のいない夜を謳歌するということは、彼の存在を真っ向から否定し、泡沫と消えた有象無象の鬼の一人と看做していることに。
(嗚呼嗚呼嗚呼。駄目ダメダメダメダメ。許せない。許せるはずがない)
「ぎ……っ!」
薫は歯を食いしばる。口から血が溢れて鉄の味が口いっぱいに広がろうが、歯が粉々に砕け散りようが、激痛が脳髄を穿とうが、知ったことではない。この程度の痛みなど、彼を喪った痛みに比べれば無に等しい。
試しに自らの日輪刀を少し抜いてみると、根元から鋒まで漆黒に染まっている。彼女にはもう暁の呼吸は振るえないのだ。
彼も鬼もいない今、呼吸は無意味で何にも使えない無価値なモノで彼を救えなかった無能だからである。
一番救いたい人を救えなければ全て無駄。存在価値などありはしないい。
そして目を開く。
だから見つけた。
見つけてしまった。
地に足をついても清廉と輝く青色の彼岸花を。
(あれ? この色は……確か……)
薫は懐から巌勝の形見でもある痣の薬を取り出す。色に関していえば、全く同じ。透き通った青である。灰色の世界でもこの色だけは鮮明であった。それだけで十分。この花は鬼の力に連なる。若しくは根源なのだ。そう結論づけた。奇しくもそれは当たりである。
「……」
何が彼女をそうさせたのかは分からない。想い人と一緒の存在になりたかったのか、只只復讐がしたかったのか、はたまた好奇心からなのか。それとも、鬼になって悪行を積み重ねれば同じ所へ行けるとでも思ったのか。
薫は憎らしいほど蒼い花に手を伸ばした。
…………
…………………………
………………………………………………………………
「おいたわしや。義姉上」
主人公が、「世界>>>自分や薫の幸せ」√。本編とは真逆。
巌勝は薫に鬼化をもちかけないし、態と鬼と疑われるようにして、薫が傷ついても鬼殺隊を殺さない。紫明も生まれていない。
小話
黒死の刃を短編にしようかと思ってた時は、これをラストシーンに構成を練ってた。