黒死の刃   作:みくりあ

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感想、誤字報告ありがとうございます!
少し遅れてしまった……短めです……
あと薫ちゃんが好評でなによりです!


参話 素流道場の日常・上 (狛治視点)

 俺は鬼子だ。

 生まれた時から歯が生えていたし、力も強かった。家は貧しく、親父は病弱。だから俺は看病しながら、親父の薬を買うために盗みを繰り返さなければいけなかった。全く苦じゃなかった。親父の為なら罰として滅多打ちにされても、骨を折られても耐えられた。

 ある日、家に帰ってくると親父は首を吊って死んでいた。盗んだ金で生きながらえたくないと、そう遺書に書いてあった。

 自分から死んだその訳が分からず、自暴自棄になって放浪している所をこの道場の主である慶蔵さんに拾われた。今では弟子入りし、師範と呼んでいる。

 

 

「ふっ……!」

 

 

 次に繰り出す攻撃を頭の中で組み立ながら型通りの動きを繰り出す。こうやって体を動かすのは好きだ。睡眠で凝り固まった筋肉が解れて心地いい。さらには朝風が汗に濡れ、火照った体を透き通るように流れてくれる。

 こうして拳を振るうのは嫌いではない。この拳は守るための拳。俺にはこれしかない。だから強くなって拾ってくれた恩を返す。きっとどこまでも強くなって、師範に一撃入れれば師範も喜ぶだろう。こんな得体の知れない俺をいつまで置いてくれるかわからないが。

 

「狛治ー!」

「……」

 

 師範の声が聞こえた。どうやら自主練もここまでらしい。遅れても笑って許してくれるが、俺は断じて遅れない。必ず駆けつける。何があろうとも。絶対に。

 

「ふぅうう……はぁ……」

 

 緩んだ道着の紐を締め直し、気合を入れた。

 玄関から聞こえてきたから客人だろう。俺に紹介したいのか? だったら尚のこと無様な姿は見せられない。手頃な布で汗を拭く。客人には敬意を払うものだと教えられた。

 敷地内を走って玄関に顔を出せば、師範の他にもう一人男がいた。紫を基調とした着物だったからすぐに誰かわかった。

 

「邪魔しているぞ……狛治」

「……どうも」

 

 巌勝さんだ。相変わらずでけぇ。特徴的なのは首筋から頬にかけてと、顬からでこに向かっての燃えるような痣。

 あの痣は俺の刺青みたいな人為的なものじゃない。生まれつきだとか先天性のものだ。どうやったらあんな綺麗な痣が出来るのか少し知りたいまである。無性にもなんだかかっこいいと思ってしまった。

 

「?……私の顔に……なにかついているか?」

「い、いえ」

 

 失態だ。凝視しすぎたようだ。そして言葉の合間に入る沈黙も健在。この話し方は最初は全く慣れなかった。しかし今になってはそれが言葉を選ぶための沈黙だと気がついてからはあまり気になっていない。ただ威圧感はしっかりとある。本人がそれに気づいているのかは分からないが。

 

「狛治、茶を頼まれてくれねぇか」

「わかりました」

 

 俺を呼んだのは茶を用意させるためだったようだ。素直に従う。これはよくある事だ。寧ろ作法を覚えられるという点で勉強にもなるからありがたいことこの上ない。

 

「失礼します」

 

 とりあえず茶を用意するために一時退室する。

 

「慶蔵。茶は必要ない。私は恋雪を診たらすぐに帰らせてもらうが」

「相変わらずつれねぇなぁ。ま、ゆっくりしていってくれ。うまい酒があるんだ。それにだ日頃の礼だと思って泊まってってくれ」

「だから礼には及ばんと言っている……私はただの藪医者だ」

「まだ夜まで時間があるだろう?」

 

 薄らと会話が聞こえてくる。巌勝さんは師範の恩人であり、恋雪さんの主治医でもある。……本人は藪医者だと言っているが、冗談だよな? だが持ってくる薬はどれも効果覿面だ。なのにどこからどうみたって侍。それもかなり位の高い部類だ。とても医者とは思えない。医者なのか藪医者なのか侍なのか。

 それほど親しい訳でもないが、どこか親父を思い出させる雰囲気だ。あの人の言動はどこか親父と重なる所がある。

 茶を準備し終わった為、玄関に戻る。

 

「恋雪の調子は……どうだ」

「何も目立ったことはないなぁ。強いて言うなら、あまり咳き込まなくなったくらいか?」

「ほう……喜べ。その調子ならば……十六になる前には完治するだろう」

「だってよ、ごめんな狛治。それまで看病よろしくなぁ」

「……いえ、苦に思ってなどいませんので」

 

 巌勝さんに茶を差し出すと巌勝さんは「感謝する」と言って飲んだ。やはり品がある。本当に失礼を承知だが、師範とは雰囲気が似ても似つかない。この人の所作も勉強になる。

 素性は不明だな、恋雪さんを救ってくれたんだったら善人に変わりはない。無償で他人のために時間や労力を割ける奴は信用出来る。

 どうやら恋雪さんはもう数年で完治するらしい。良かった。いよいよもって俺は用済みになってきたな。

 大人二人が話してるんだったら俺がここにいる意味はないだろう。

 

「俺は恋雪さんの様子を見に行ってきますので失礼させて頂きます」

「ああ……あとから私も行こう」

「ありがとうなぁ。お前がいてくれてよかったよ」

「……ありがとうございます」

 

 一礼してこの場を去る。

 

『いてくれてよかった』か。

 初めて言われた気がする。いや親父に言われたことがあるか? ここに来てから絆されすぎた。親父との生活は忘れないがこの生活に慣れた分薄れていくような気さえする。

 明日の飯も食えるか分からない状態で病人の看病もしなければいけない生活から、衣食住がしっかりした病人の看病もしなければいけない生活に変わったんだ。仕方の無いことなのだろう。

 だが俺は薄情だ。ここで暮らしている時間が長くなるにつれて親父の記憶が薄れていっているのだから。こんなの人として間違っている。おかしい。

 

「……」

 

 立ち止まる。無性に親父の仏壇に手を合わせたくなった。恋雪さんの部屋に行く途中に仏間があり、そこに行けば親父がいる。親父の遺灰を師範は仏壇に置いてくれている。かなり気を使ってくれた。本当に感謝してもしきれない。

 仏間で膝を着いて正座をし、手を合わせて黙祷した。……こんなの柄じゃないが今日くらいはいいだろう。

 

「親父。見ているか? 俺は今幸せだ。だからこれからも見ていてくれ。俺は親父が生きるはずだった分までしっかりと生きるから」

 

 ああそうだ。俺は今幸せだ。これ以上望むのは分相応だろう。

 

 

 

 ──────────────────────

 

 

 薬一式をもって恋雪さんの部屋の前で正座をする。声をかければ部屋の中から恋雪さんの許可が出たので襖を開けて部屋に入る。

 

「具合はどうですか」

「大丈夫……です。こほっこほっ……っ……だいっ……大丈夫です」

 

 相変わらず苦しそうだ。咳をしなくなったと言っていたはずなのにこれか。きっと俺が来る前はもっと酷かったに違いない。かわいそうだとは思わない。俺がそうやって俺基準の感情を抱くだけでこれまで耐えてきた彼女に失礼だろう。

 

「落ち着いて。無理をしないでください。俺がいるからって無理やり咳を止めなくてもいいですよ。かえってそのほうが苦しいでしょうから」

「ううっ……ごめんなさい」

 

 ……何故謝る。親父もそうだ。病人は恰も自分が悪いことをしているかのように罪悪感を抱え込む時がある。俺は辛くない。体も動くし、不自由などない。

 一番辛いのは病を抱える本人だと言うのに。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい」

「……恋雪さん。どうして謝るのですか?」

「ぇ?」

「何度も言っていますが、俺は全く嫌じゃありません。恋雪さんが謝るようなことはなにひとつありません」

「だ、だって私は狛治さん達の時間を奪っています。私が自分の体調すら整えられないせいでみんなに迷惑を……」

 

 違う。もっと欲張れ。そうだ。俺は恋雪さんを親父の二の舞にはさせたくないんだ。

 親父は多分、俺を産んだことを後悔しながら死んでいった。育て方を間違えた自分が悪いとでも思っていたんだろう。

 だが俺はこの生き方を選んだことに後悔はない。親父の為なら薬だっていくらでも盗めたし、捕まって骨を折られようが肉を裂かれようが親父の為ならいくらでも耐えられた。

 だから恋雪さんは後悔や自責の念に押し潰されて欲しくない。自分は生きてていいって気がついて欲しい。俺は大丈夫なんだ。辛いのはいつも親父や恋雪さんのような病人で、誰にもどうすることもできず身の置き場がないほど苦しいだろうから。

 

「違います。もう一度言いますが、恋雪さんは何もわるくないんです。こう見えて、俺も恋雪さんに救われているんですよ」

 

 恋雪さんは目を丸くした。少し驚いてしまった。何せ初めてみる表情だ。少し気後れしたのを誤魔化すために薬の準備をしながら話すことにした。

 

「え……私に……? 狛治さんがですか?」

「は、はい。恋雪さんを看病しているこの時間は、俺に父を看病していた時を思い出させるのです」

「そうなんですか」

「ええ。だから看病には慣れています。……父は完治して俺は武者修行として送り出されました。父は恋雪さんと似たような病気でした。だから恋雪さんもきっと治りますよ」

「……!」

 

 仏間の遺灰に恋雪さんは気がついていないし、気づくこともないだろう。下手に不安を抱かせるようなまねはしない。親父のことはこのまま誤魔化しておこう。

 恋雪さんはさっきの暗い雰囲気が嘘のようにぱあっと花が開いたような笑みを浮かべている。自分が一人の女性を笑わせたという事実がむず痒い。

 

「もう一度言いますが、何があろうと恋雪さんはわるくないです。もっと俺をこき使ってくれていいですよ」

「こき使うだなんてそんな」

「私は小柄ですが力はありますので、『私をおぶって何処へでもー』とかでも構いません」

「ど、何処へでも……」

 

 ……少し変な言い方になってしまったか? 何か恥ずかしくなって照れ笑いをしてしまった。くそ。恥ずかしいな。

 目を逸らして頬を掻いていると、恋雪さんがぼおっとこちらを見ていた。その後逡巡する様子をみせた。

 

「あー……恋雪さん?」

「……狛治さん」

「はい、なんでしょう」

「私……その…………花火を見てみたくて……」

「え?」

 

 

 

私! 花火を見てみたいんですっ!! 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 …………

 

 

 

 

 

 呆気にとられてしまった。

 

 

 

 

「花火……ですか」

「はい」

 

 確かに近くでは毎年のように花火大会が開催されている。当日の夜、河川敷は団扇を持った浴衣姿の人で溢れかえる。この家からは遠すぎて見えない。せいぜい音が聞こえるくらいだ。俺は興味がなかったから態々見に行ったことがない。

 それくらいお易い御用だ。

 

「分かりました。但し約束してください」

「約束?」

「はい。約束です。絶対に一人で行こうとしないでください」

「は、狛治さん……!? 手を握っ……!」

 

 大事な人が危険な時に俺はいつも居ない。認めよう。俺は怖いんだ。また無力な犬だと証明されてしまうのが怖い。それは恋雪さんでもだ。恋雪さんになにかあってからは遅いんだ。病気からは春夏さんと巌勝さんが守る。暴力や理不尽からは師範と俺で守る。

 

「お願いします恋雪さん。約束してください」

「分かりました。約束しますからっ! 手を離してください! 手汗が!」

 

 さてどうするか。花火大会までまだ半年はある。治りかけとは言え、体の弱い恋雪さんは俺がおぶっていくとして、その場合俺の両手は使えなくなってしまうのだ。何かあった場合、恋雪さんを連れて逃げなければならない。戦うという選択肢もあるが、どんな場合でも不利な時は逃げるのが一番正解だ。守りながら戦うのはやはり悪手でしかない。だが逃げ切れるのか?

 ……師範に手伝ってもらおう。いや待て。師範も春夏さんと行きたいはずだ。師範は春夏さんを守らなければならない。師範程の強者でも二人分を守りながら戦うのはしんどい。

 だとすると────

 

 

 

 

 

狛治さんっ!!! 

 

 

 

 

「!?……手を……!も、申し訳ありません!」

 

 いつの間にか恋雪さんの手を握っていたらしい。上がった体温が急激に下がっていくのを感じる。最低だ。最悪だ。しかも手汗とか言われた。絶対不快だっただろう。

 

「私としたことが……どんな罰も受け入れます……」

「私は大丈夫ですから! 手汗というのも違うんですよ!? 狛治さんでは……な……く……すいませ……あ、また謝って」

「……」

「……」

「……失礼します」

「……はい……ありがとうございました……」

 

 ────────────────────────────────

 

 その後のことはよく覚えていない。

 着替えなどを持った春夏さんがちょうどよく入ってきて入れ替わるようにして俺は恋雪さんの部屋を出た。俺と恋雪さんの気まずい雰囲気を察した春夏さんが揶揄う様な表情を浮かべていたことが少し気がかりではある。

 

「……」

 

 そんなことを考えながら呆然としたままフラフラと廊下を歩いていった。たったひとつ分かることは恋雪さんから嫌われたであろうこと。関わってきた人が少なすぎて今まで嫌われることなんてなかったが、明確に誰かから嫌われるというのはここまで辛いものなのか。

 

「………………」

 

 まだじんわりと恋雪さんの手の感触が残っている気がする。熱が出ていないとはいえ病人だから手は温かいだろう思っていたが、実際はひんやりと冷たかった。

 握って開いて試してみる。そして自分の両手で握手するように動かしてみる。

 

「………………………………って……何してんだ俺」

 

 なんだかんだしてしまったことはどうしようもない。何回でも頭を下げれば許してくれるだろう。だが一人に嫌われただけだと言うのは何故かひどく心が痛い。出来れば仲は改善しておきたい。花火大会におぶっていく時、気まずい雰囲気は作りたくないからだ。

 

「師範に聞くと……笑われそうだな。春夏さんは……そんな気にすることないって言われそうだ」

 

 というか師範夫婦はかなり豪快だ。過ぎたことは忘れるし、気になったことはこちらが答えるまで質問してくる。恋雪さんは繊細なのだが。

 あの夫婦にはこうしたことは専門外だろう。だとすると……

 

「巌勝さん……まだ師範と話しているから恋雪の容態を見た後にでも話しかけてみるか。花火の護衛も頼んでみよう」

 




狛治
遅れたり、知らないところで家族が害されることにトラウマ。恋雪の手が冷たく感じたのは、恋雪とのやり取りで自分の体温が高まっていたから。

恋雪
頑張れば一人で歩けたりするが、次の日に病状が悪化する。
狛治の白馬の王子様発言で動揺し、デートに誘うような発言をしてしまう。

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