アニメをもう一回地上波でやってくれないかと思う今日この頃。
恋をした。
届かないほど近くのあなたに。積もった恋心と共に暮らす家族としての親愛。二つ合わせて愛情になるだなんて誰が予想出来ただろう。報われて欲しいだなんて思っていない。ただ私の近くにいてくれればそれだけで満足。
ああ、そう思った時点で私はもう……
★
「すごく似合っています」
「あ、ありがとうございますっ」
上品な着物に身を包み、艶やかな微笑みを浮かべる恋雪。それだけで大半の男は蓬けるに違いない。守ってあげたくなるような可憐さがあった。
しかし、一番彼女に彩りを与えているのは恋心だろう。彼の為を思って自分を飾り付けた。いつもなら謙虚に慎ましく最低限の化粧のみだが、狛治に綺麗な姿を見せたいという大義名分によって輝かんばかりの容貌を際立たせている。
「では行ってきます。師範、奥方」
「……行ってきます」
対して狛治はいつもの道着。味気ないと言えばそれまでだが、狛治が何時でも恋雪を守れるように動きやすい服を求めたこと。慶蔵がよそ行きの服を持っていなかったこと。それなりの服を持っているはずの巌勝だが、サイズが圧倒的に合わなかったこと。などが起因していた。
「おう」
「楽しむんだよ」
二人の若人は連れ立って歩き始めた。初々しく、ぎこちない。微笑ましい限りである。
「さて、どう思う?」
「恋雪が緊張しすぎているなぁ。大丈夫かなぁ」
春夏は多少なりとも着飾っているのに対し、慶蔵は道着である。この親にしてこの子あり。それに慶蔵が道着を選んだ理由は気慣れているから、それだけ。狛治より性が悪い。春夏は危機感を覚えた。この悪習は今代で断ち切らねばと決意した。
「遠くから見守るさ。私たちが心配しなくても、狛治はやる時にはやる男さ」
「随分入れ込んでるなぁ」
「あたしは息子だと思ってるよ狛治のこと。度胸がある。根性もある。それに継がせるんだろ? 道場」
「ああ、これで俺はもうすぐ自由、弟子を集めねばという重圧から解き放たれたんだぁ!」
「やり切ったみたいな顔をしてるんじゃないよ。はぁ、師範になってからというもの、弟子が一人しかいないくせに」
「はっはっはっ! 痛いところをつかれたなぁ。まぁ、なんだ……浴衣、似合っているぞ」
春夏はぷいと顔を逸らした。
それを見て慶蔵は春夏がまだ若かった時を思い出した。忘れもしない青春の日々。慶蔵がからかい、春夏が怒り、慶蔵が慰め、春夏がそっぽを向く。
あの日常と姿が重なるふとした日常に映る若き彼女の面影。それを独り占めするのは自分だけ。誰も知らない自分だけの妻。
「ふん……ありがとよ」
「かぁあいいなぁ」
慶蔵は春夏の頭をくしゃりと撫でた。春夏が時間をかけて整えた髪は完膚無きまでに荒らされた。所々髪が跳ねており、見るに堪えない姿。怒って掴みにかかってくる妻から逃げ、飛来してくる瓦を受け止める慶蔵。その顔はどこまでも笑っていた。
隣には愛する妻。道場を継ぐ息子と愛娘の逢瀬を見守る自分。慶蔵は幸せの絶頂にいた。
★
「ゆっくりでいいですよ。俺もそれに合わせます」
「……そうですか」
既に河川敷は人が集まってきている。家族連れも多い。初めて見る光景に恋雪は目を輝かせた。そんな恋雪を見て微笑む狛治。
彼らは両思いである。……もう一度言うが両思いである。そして彼ら自身も互いが互いに好意を持っていることに勘づいている。だがそれでも踏み出せないのが恋。考え得る最悪が頭の隅に巣食っている。
つまりは……
「……」
「……」
フラれるのが怖いのだ。沈黙が苦しい。口が閉じれば回転するのは頭。二人ともネガティブな所があるので思考はそちらの方へと脱線してしまう。
(こういう時、なんて話せばいいんだ!? 着物も褒めた。歩く速度も合わせた。恋雪さんを見る男は睨めば逃げたし、後ろを着いてくる不審者もいない。恋雪さんの呼吸は穏やかだ。容態を確認するためにじろじろ見るのは不躾だったか。
いや待て。じろじろ見たから引かれてるんじゃないか!?)
(本当に狛治さんが道着でよかった。狛治さんは気づいていないでしょうがあなたをちらちらと見る女性のなんと多いことでしょう。もし狛治さんが着飾っていたらさらにこの目がさらに増えるのでしょうね。しかし狛治さんは先程から周りを見回している様子。もしや……私より素敵な女性がいらしたら声をかけるつもり……狛治さんに限ってそれは無いですよね?)
狛治は理由があって辺りを見ていたが、良くも悪くもその行為が恋雪の背中を押した。周りを見るくらいなら自分に向けて欲しいという気持ちで話しかけた。言うなれば独占欲である。
「狛治さん」
「はい」
「楽しい……ですか?」
「楽しいですよ」
「……本当に?」
狛治は優しい。優しいからこそ、恋雪は自分に気を使わせているのだと思った。胸の奥が摘まれているような気がした。
ネガティブになっていることを一足先に自覚した恋雪は、新しくて楽しい話題。狛治が嬉しくなりそうな話題を考えようとして────
「ひゃあ!?」
「っ!!」
つまづいた恋雪を狛治は咄嗟に受け止めた。頭の隅で恋雪の歩幅を注視していた故、反応が早かった。
「痛っ……すいません!」
「大丈夫ですよ。見せてください……あー、鼻緒ずれですね。手当をしますので少々お待ちください」
恋雪は立ったまま、しゃがんだ狛治の肩を支えにした。ひりひりと焼け付くような痛さを感じて足元を見ると、親指と人差し指の間を中心に痛々しく血が滲んでいる。狛治は道着の端を口で噛み割いて、簡易な包帯にした。丈夫な道着も鬼子には布切れも同然。
道の端で止まった二人を追い越して行くように人が歩いていく。中にはなんだなんだと一瞥する人もいたが、すぐ歩き始めた。
「う……ぁぁ……っ」
その光景に恋雪は吐き気がした。ここ数ヶ月は忘れていた。忘れていることが出来た光景。自分のせいで家族に迷惑をかけ、家族を道連れにしている。狛治が路傍の石ころを見る目を向けられている。
(なんで、なんで。今日は大丈夫でしたのに! まだ始まったばかりなのに!! 私は普通の女の子みたく、好きな殿方と歩くことさえ許されないのですか!?)
「出来ました。……恋雪さん? …………顔色が悪いです。とりあえず人の少ない横道に逸れましょう。つかまってください」
「ごめんなさい……ごめんなさい、本当に」
「…………」
そうしてゆっくりと脇にそれる二人。ちょうどいい高さの切り株が二つあったので二人は座った。
「私は弱いですね、本当に! どうしようもなく! ふふっ。笑えますよね……!!」
「いいえ……恋雪さ」
「っ……弱いだけじゃありません! 弱いだけなら一人でゆっくりと野垂れ死にも出来ました! 出来たというのに……っ……わたしは……身の程知らずにも、狛治さんの自由を奪ってのうのうと生きてます!
私は、そんな私が許せない!!」
声を荒らげる恋雪に、狛治は驚き固まった。しかしここで荒らげた声を宥めるのは違うと思った。狛治は動揺する心を無理やり押さえつけ、恋雪の本音と向き合う覚悟をした。
「俺なんかより、恋雪さんの方がずっと強いですよ」
「え?」
零れた言葉は善意で包み隠されていない心からの本心。剣道場の一件を経て変わった『強さ』の理由。
恋雪は目を丸くした。自分に『強い』だなんて言葉は一番遠い言葉だと思っていた。貧弱、脆弱、惰弱、病弱、軟弱。全てが当てはまる。寧ろ『弱い』が妥当だろう。第一、『強い』の権化のような存在が目の前にいる。
「俺には、拳しかないんです。以前、巌勝さんは言っていました。『恋雪が軽快したのは何も薬が理由ではない。抑、薬だけで病魔に打ち勝つ程の薬では体の方が持たぬ。病は気から。意思が病に打ち勝っただけのこと』だそうです」
「……」
「教えてください。何があなたをそこまで強くさせたのですか?」
狛治はずっと知りたかった。もし巌勝の言う通り、薬に関係なく意思が病に打ち勝ったなら、恋雪と違い狛治の父親は生きるという意思がなかったことになる。狛治の父親が持ちえなかったそれを、目の前の女性は持っている筈なのだ。
「何がなんて、そんなの……は」
最初から決まっている。全ては目の前の存在に追いつくため。少しでも視界に入りたいから、振り向いてもらいたいから病魔に侵されている暇なんて無かった。
喉が渇く程に彼と話したい。
迷うほど街を歩きたい。
体が動かなくなるほど愛して欲しい。
そして願わくば、両親のように支え合って生きたい。
……なんて言えない。吃る恋雪、狛治は早く答えが聞きたかった。
「っ……親父はなんで死んだんですか」
「え……完治したのでは……」
「すいません。嘘をついてました。俺の親父は薬を盗む俺に耐えかねて自殺しました」
「そんな……」
「答えてください恋雪さん。なぜ親父は……死ぬ必要があったんですか! 俺の親父の体はともかく、心までも弱かったのですか!」
恋雪は、泣きそうな声で詰め寄ってくる狛治がまるで帰る場所を持たない仔犬のように見え、呆気に取られていた。いや、きっと仔犬なのだろう。鋼の肉体と、持ち前の善意に篭っていた彼の『弱さ』。
狛治もここで恋雪を問い詰めた所で意味がないことを心のどこかで理解している。それでも聞きたかったのだ。
「狛治さんのお父さんは決して弱くなかったと思いますよ。ただ……狛治さんに頼るのが耐えきれなかったのだと思います」
「っ! 俺は親父のためならいくらでも……!!」
「言い方を変えます。狛治さんのお父さんは
音が消えた。
「なン……なにを言って………………」
「誰かに頼るというのは辛いものなのです。それが愛する家族ならば辛さもより一層。大切な方々な時間を奪い、齷齪して手に入れた金銭を高い薬の為に湯水の如く使わせてしまう。病いに罹った自分よりも、家族の方が価値があるのは自明の理だというのに」
疑ってかかりたい。違うだろうと否定したい。なのに狛治は声が出なかった。恋雪の目は本気だったのだ。狛治の感覚はある種の殺意を感じ取った。それは狛治の父親も持っていた殺意。自分に向けての殺意である。だからこそ理解出来た。恋雪も死のうとしたのだ。狛治の父親のように。
恋雪は踏みとどまり、狛治の父親は踏み込んだ。ならばその違いは────
「それでも私はあなたが好きです」
今度は恋雪が泣きそうな顔をしていた。
「あなたが好き。先程言いましたのは紛れもない本心。本当は今すぐにでも諦めたかったです。罪悪感に押し潰されるくらいなら死んだ方が遥かに良かった。
そんな時に限ってあなたが部屋に来てくれた。とても嬉しかった。そこで思ったんです。『死にたい』なんて思うよりも、この人のことを考えていたい。もっとこの人と生きていたい。ずっと看病されていたい。ああ、この気持ちは恋なんだって。……あ、浅ましいですよね……こんな……すいません」
「……っ」
強いと思った。綺麗だと思った。現に彼女の放った刃は彼の心臓を穿ち抜いている。いや、それはきっとずっと前から刺さっていた。本当の意味で『強い』とは目の前の人のことを指すのだ。きっと喉笛に刀を突きつけられたとしても、彼女は一切信念を曲げないのだろう。
「……言われてしまいましたね」
「え?」
「看病だって、悪いことだらけじゃないですよ」
「どういう……」
「……俺が今こうして歩いているだけで幸せなように、看病するだけで幸せにな人もいるんですよ。『ありがとう』といってもらえる。頼りにされていると訳もなく嬉しくなる……それが好きな人ならもっと」
狛治は恋雪の両手を包み込むようにして握った。父親を喪ったが、その代わりに彼女だけは守るなんて思わなかった。第一父親にも恋雪にも不義理だった。
家族だから、病人だから、女性だから、可哀想だから恋雪を助けてあげたわけではなかったと狛治は自覚した。茶屋の看板娘に好意を向けられた時に流したのも、遊女に声をかけられた時無視したのも意味があった。
他ならぬ恋雪だから少しでもそばに居たいと思っていたのだと。
剣道場の息子に握られた時に強ばった恋雪の手は、狛治に握られた時に強ばることは無かった。
「俺は誰よりも強くなって、一生あなたを守ります」
きっと綺麗な告白とは行かないのだろう。狛治は取り乱していたし、恋雪は狛治の内面を踏み荒らした。だがそれでいい。
恋雪は真っ赤になっていた。あんなに冷静に狛治と話していた彼女とは似ても似つかず、狛治は吹き出した。
「ふふ」
「な、何がおかしいんですか!?」
今度は恋雪が取り乱す番だった。
花火はいつの間にか始まっていたが、二人ともそんなもの気にしていない。目の前に愛が、花がある。閃光に照らされた互いの顔は幸せに満ち溢れていた。重ねた手で体温を共有し、上がった口角で幸せを伝える。
この気持ちを二人は一生忘れないだろう。
★
地獄があった。
噎せ返る血の匂い。転がる骨は何処の誰のものか分からない。人間は内臓の損傷や血液不足を経て死に至る。骨を砕くだけでは到底死なない。よってこれは死ぬまで痛めつけた証拠なのだ。
「はぁあああああ……素晴らしい……!!」
力に酔うとはまさにこの事。人が力を得たなら、試して見たくなるのは道理。赤子ですらそうなのだ。
「ほらよっ……と」
「ぐぁぁああっ!!!!」
向かってきた勇者の腹部をすれ違いざまに切りつけ、もれいづる臓腑を啜る。戦闘の間に食事をいり混ぜた吐き気を催す光景。一口で五臓六腑を全て抜き取られた男は即死した。彼が最後の一人。
「やはり不味い。不味いが、悪くは無い」
味覚は冴えていた。睡眠欲も性欲も食欲へと変換された。食欲が全ての価値基準となった。
初めての食事は父親だった。躊躇う事すらせずに手にかけ、悲鳴を聞いて駆けつけた父親の弟子を殺した。そこからは連鎖的だった。
花火大会の日だと言うのに夜間稽古があったのが運の尽き。鬼と化した一人の男によって剣道場は文字通り壊滅した。
「アァ、そうだ俺としたことが忘れていた。極上の一品は最後にとっておかねばな」
鬼は思い出した。きっといちばん美味い女のことを。病気を持っていたが、それすら程よい苦味となるぐらいに彼女は美味しいのだろう。
まだ夜は始まったばかり。花火大会に赴いているだろうが、彼女は雑魚中の雑魚だ。直ぐに帰るだろう。
「待っていてくれ恋雪。今度こそオレと一緒になれるからな……ひひひっ!! あの罪人の前で生きたまま喰われたなら、どんな顔をしてくれるんだろうなぁあ!!!」