全く意図してなかったのですが、前回の更新が丁度この小説一周年でした。
最初の頃から読んでくださっている方もそうでない方も、この文を読んでいるということは私の作品を見つけてくれたということです。
ありがとうございます。本当に。
(これが……巌勝さんの見えていた世界。……そりゃ勝てない訳だ)
狛治には全てが見えていた。彼は類稀なる強者達の、その先へと至ったのだ。呼吸術も知らず、歳も重ねていないのにこの世界が見えるなど規格外にも程がある。
ただ一つ狛治には懸念があった。それは恋雪のことである。
(なぜだ。恋雪さんの闘気は無いに等しい。どう考えてもこのままだと数刻も立たずに寿命を迎える。
それに目の前の鬼もだ。何だこの力強くも掠れたような闘気は。寿命と引替えに力を得ているのか?)
目の前の鬼曰く、恋雪は鬼化が進んでいるとのことだ。しかし狛治の目に映る彼女の体にはそれらしき兆候は見て取れず、死人のようだった。目の前の鬼の闘気も不可解。狛治にはもうすぐ二人とも消えてしまいそうな気さえした。
それもそのはず。目の前の鬼はそうあれと鬼にされた。短時間で寿命を貪るのと引き換えに絶大な力を得る諸刃の剣、いや毒に違いない。今やその毒は恋雪をも蝕んでいた。
「死ねェエエ!!!!」
兎も角恋雪をどうするかを先ずは捨て置く。まず狛治は目の前の鬼を斃さなければならない。鬼がやたらめったらに斬りかかってくるが、狛治はひらりひらりと躱す。裂かれるのは道着だけで、薄皮一枚切れていない。
躱す。
「おらぁあああ!!!」
躱す。躱す。
「避けるな貴様ぁああ!!!」
躱す。躱す。躱す。
以前までは体の一部が動いてからどのような動きが来るのか予測して最適解を踏むようにしていたが、最早その必要は無い。感覚が教えてくれる。体が動き始めずとも脳から与えられた信号が動く筋肉を教えてくれ、動き始める筋肉の膨らみで目の前の鬼が何をしてくるのか手に取るようにわかるのだ。
先程の苦戦が嘘のように攻防が反転した。かと言って狛治に余裕はない。ただ余裕そうに見せているだけで、鬼から際限なく送り込まれる情報を処理しながら体を動かすのはかなりの負担である。
「はぁ……はぁ………………この俺が……息切れ? なぜ?」
「教えてやるが、お前の寿命は最早数刻もない。……もちろん恋雪さんも」
「なんだと」
狛治は覚悟を決めた。短期決戦を選んだのだ。
「鬼よ、お前と共に俺の弱さを葬る。弱者の宿痾、肉親の幻霊を置いて、全てを救い俺は生きる」
「減らず口を……! 貴様は死ぬべき存在だ! 俺の寿命がないなど戯言を吐くな! 貴様こそ罪を犯した身で幸せになるなど傲慢の極み。恋雪を殺した後でお前の死体にこう言ってやろう。
『何も守れなかったな』となぁ!!」
「お前がそれを言うかァ!!」
(雑魚が! 正面から叩ききってくれる!!)
(一瞬で多くの面積を根こそぎ抉り飛ばす!!!)
両者構える。
血に錆びれた刀を大上段に構え、間合いに入れば叩き切る気概を見せた鬼。
両の手に尋常ではない血液を溜め、今にも突貫しそうな力で床を踏みしめた人間。
❝血鬼術 怨刀 金儡❞
«素流殺法 破壊殺・滅式»
「つ゛ぁ あ゛あ゛あ゛!!」
「覇ァアアア!!!」
一瞬を無限に分割したような世界で二人は激突した。
先手は勿論狛治である。振り下ろされた左手の手刀が鬼の肩に突き刺さり、左手を付け根ごと切り落とした。鬼は刀を袈裟懸けに振り下ろす筈だったが片方の腕を失い、バランスを失って狛治の左手を切り落すに至った。しかし狛治は表情一つ変えない。神経を無理やり切っているからだ。
そして鬼の鳩尾に狛治の右腕が貫通した。鬼は笑った。左腕は落とされたがまだ右腕は動く。刀を振り上げて今度こそ狛治の首を落とそうとして──
「あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」
「ぐぉああああ!?」
決着。
狛治は力任せに突き刺さったままの右腕を左に振り抜いた。鬼の肋骨が腕に突き刺さりながらも、彼の右腕は鬼の肩や内臓や筋肉を体の外へとぶちまけた。
鬼は立ったまま項垂れて動かなくなった。
静寂が場を支配する。
「はぁ……ぐっ」
「ぁ……狛治……さ」
「はぁ……はぁ。終わり……ました。帰りましょう」
「でも体が」
「貴方の方が大事です」
(片手を失ったか。止血はしておこう。……あの侍は何処にいる。いや、先ずは恋雪さんを安全なところに……家でいいのか? 此奴がいつ起き上がってくるか)
「っ……狛治さん後ろ!!」
恋雪が狛治の背後を見て悲痛な声をあげた。狛治は分かっていた。鬼は再生する。そのことを分かっていたがいくらなんでも早すぎた。回復に数分はかかると思い込んでいたが、数秒で立ち上がるまで再生せしめた鬼。狛治の背中に冷汗がたれる。
「……ちっ」
「倒したかと思ったか……無……駄だ。手足を捥がれ……ようが、腸を引きずり出されようが俺の体は幾らでも再生する!! そらみろ、貴様が与えた傷ももう治ってしまった」
「! ふぅ……はぁ……」
「満身創痍だな、片手で俺を殺すことができるかなぁ? 出来ないよなぁ? じゃあな狛治、まさかここまで傷を負わされると思わなかったがお前には死んでもらう。そして恋雪を連れて俺は行く」
一歩。
一歩。
獣のように伸びた爪で床を踏みしめて迫る鬼。背後の恋雪を抱えて逃げるか、もう一度滅式を使うか。狛治は判断に迫られる。
(……羅針を展開するにももう体力が残っていない。……やれるのか、腕一本で。完全回復したこいつを殺しきることが)
「«素流殺法……破壊……殺»」
「は……なんで俺の体が……よ、用済み? そんな、待ってください! 金夜叉様! お願いです! 俺はまだこれから……あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
「……は」
鬼が盛大に転ける。見れば足首から下は炭化し、灰になっていた。鬼が自分の手指を見た。遠目からわかる程に黒く染まり、染まった所からぼろぼろに崩壊していく。
「お、お助けを! 何故です!? 俺が貴方になんの粗相をしたのですか!」
「恋雪さん。下がって」
「恋雪ぃ…………こ──ゆ……きぃ!!!」
「ひっ」
「……全部……ぜん……ぶ。お前が生きているせい……だ」
そう言い残して鬼は消えた。最後の言葉は恋雪に言ったのか狛治に言ったのか分からない。残った灰と着物が他の門下生の着物と同じように落ちていた。もう見分けもつかないだろう。
決死の戦いは、狛治達にとっては呆気ない形で幕を閉じた。
「何が……いや、早く恋雪さんを巌勝さんのところに」
「なんとも、凄惨な道場だな」
「巌勝さん!」
遅れて来た巌勝は道場を一望して、状況を把握した。薫の血が混じった灰。片手のない狛治。そして動かなくなった恋雪。間に合いはしなかったが、一先ず鬼は死んだ。薫はこちらの状況を把握していない。本当にただの気まぐれで鬼を消したのだ。
「遅れたことを謝罪しよう。訳は知っている。見せてみるがいい。その左腕、血は止めたな?」
「はい。恋雪さんをよろしくお願いします」
狛治は一時的にだが『透き通る世界』を発現した。そのため平常状態でもうっすらとだが闘気を感知することが可能になった。いまの恋雪の闘気はほぼゼロ。最悪の結末が狛治の頭をよぎる。だが狛治は巌勝を信じていた。強さもさながら、鬼に関する知識も豊富に違いないと思っている。彼になら恋雪を癒せる。
しかし、巌勝の返答は残酷なものだった。
「恋雪は治らない」
「なん……で。なんでですか!? 貴方は鬼であり医者でしょう! 恋雪さんは難病だったのにやっと回復した!! 貴方のおかげで、太陽の下を歩けるようになった! そこまでできたというのになんでですか!!」
「……毒は完治した。だが、もはや取り返しのつかない所まで来た……そもそも病人が致命傷を負って……普通の人間と同じ所まで回復はしない」
(まさか私の妻がそうなるようにした、だなんて言えるはずもない)
「っ……貴方が人ではないことは……前から分かってた」
「……」
狛治は土下座をする。今まで一度もしたことのない行為である。相手に全てを委ねるという行為は屈辱的で無力的でなぜかほんの少し楽だった。
謝るくらいなら逃げてきた。
頼むくらいなら奪ってきた。
死ぬくらいなら殺してきた。
「頼む。なんでもする。恋雪さんを治してくれ。俺はどうなったって構わない。理解している。俺は何一つ返せない。だから俺の命くらいしか渡せない。鬼なんだろ?」
(選択肢など……ひとつしかない。よもやあちらから頼んでくるとは)
「……例えどうなろうともか?」
「当たり前だ。もう……失うのは……御免だ」
「そうか……」
巌勝は躊躇いなく恋雪の頭蓋に手を突っ込む。形容し難い音とともに沈み込むように手が吸い込まれていった。勿論狛治は言葉を失っている。
「おい……」
「待て。お前はこれでも飲んでおけ」
「……っ………………!! 腕が……!」
(心肺停止。末期ガン……だが細胞はまだ死んでいない。ならば極小量でいい)
……
………………
「ぁ……あ……ふ」
恋雪が息を吹き返す。生前とは違い、肥大化し浮き出た血管が白い肌に異様に映える。命を刈り取る為に伸びた爪。そして今は見えないが犬歯も伸びている。これで恋雪は完全に鬼となった。原作開始まで生きる。また巌勝の手によって運命が変わったのだ。それが吉と出るか凶と出るかは分からない。
「刮目しろ」
巌勝は本来の姿を見せた。睦目の鬼が真正面から狛治を見据える。
「……っ」
「狛治。私は鬼だ。人を喰らい、太陽を忌避する鬼だ。
そしてたった今。お前の恋人も、鬼となった。人並みの幸せも望めんし、子を育むことすら儘ならない。鬼狩りは挙ってお前たちを追いかけ、刀を振るうだろう。
お前に歩めるか? 人を殺し、弱者を踏みにじるような人生を」
「恋雪さんとなら、荊棘の道も俺は歩んでみせる」
恋雪の体は弱い。だが体の弱い存在は鬼化に耐えられない。本当の意味で病弱であれば剣道場の息子に鬼にされた時点で即死していた。恋雪を生き永らえさせた力。それは〝生存力〟に他ならない。あの父親と母親から生まれた恋雪の体が病弱なハズがないのだ。産まれた時からあった恋雪の病魔は常人なら三日と経たずに死ぬほど強く、完治には恋雪の体でも耐えきれない。本能でそう判断した恋雪の体は、待つことを選んだ。体が病魔の殲滅に耐えきれる程の免疫力を得るまで、体の中で飼うことにしたのだ。ただ生死の一線は越えさせずに。
だからこそ、始祖よりも完全な鬼の血が入れば──
「あ」
「恋雪さん!!」
恋雪は意識を取り戻した。上体を起こし、きょろきょろと周りを見た。力無くへらりと笑っているが、血のように赤い瞳は愛する人を写した瞬間に一際輝いた。
狛治は信じられないものを見たように硬直していた。だが微笑みかけてくる愛する人を見て、恋雪……ではなく恋雪の膝の上の布団に突っ伏して泣いた。そうさせたのはひとえに勝手に人ならざる存在にした罪悪感。そして守ると言ったのに守りきれず、辛い思いをさせた自責の念。それらが恋雪に触れることを憚らせた。
「恋雪さん! ……ああ……恋雪さん! ……ごめん! 俺が弱いばっかりに沢山……辛い思いをさせてしまった!! 俺がもっと強ければ……こんな……ことには……!」
恋雪は慈愛の籠った目で狛治を見下ろした。そして抱きしめた。恋雪は狛治の葛藤を分かっている。もちろん沢山痛かったし、沢山泣き叫んだ。でも狛治が無事なら良い。それだけでいいのだ。
「狛治さんはしっかり守ってくれました。守ってくれたからこうして今、私は貴方を抱きしめることができる」
(……)
原作漫画で見た悲しい一コマ。狛治が口の端から血が溢れた恋雪を泣きながら抱きしめているそれ。恋雪は既に事切れており、狛治が己の無力さを呪ったであろう時。
今は違う。
恋雪は血の通った手で愛する狛治を抱きしめている。狛治は泣きながらも口元は幸せを噛み締めるように笑っていた。彼は己の手で鬼の手から恋人を守り抜き、己の心で恋雪とともに鬼として歩むことを決めた。
そして巌勝は驚愕していた。
(理性が……残っているのか。いや待て。可笑しい。恋雪と薫の条件はほぼ同じだ。弱った体に鬼の血を入れた。違うのは今回は私の血であり、薫のは無惨の血。竈門家の血を飲んでいる私の血は副作用が少ない。その時点で薫の方が負担が大きい。
肉体の強さは関係ない。薫の容態は、『透き通る世界』を持つ縁壱、治療も行う隠の筆頭であったうた、鬼の体に詳しい珠世。その三人が口を揃えて『危篤だ』と言っていたほどだ。もしかすると恋雪よりも酷い状態だったかもしれない。
ならば、記憶の混濁もなく……理性を失わず……食人衝動にも余り駆られなかった薫は…………どれだけ……苦しかったのか)
「叱るに叱れんな」
薫と恋雪はどちらがより死に近かったとは判断しかねる。どちらも臨死だった。そして巌勝は妻に甘かった。
「体が軽い! 肺が痛くない! 立ち上がれる!! 思いっきり走れる!! 飛んで! 跳ねて! あはっ。あははは!!!」
「恋雪さん!? 動きすぎで……いや、動いてもいいのか?」
「あれ、狛治さん。目の色が青……黄色い?」
「っ……それは」
「……狛治、説明しておけ。私は少し用ができた」
「は、はい」
禍福は糾える縄の如し。彼らはもう沢山苦しんだ。太陽が照らさずとも月の光の下、彼らは生きていくのだ。
☆
(狛治と恋雪の物語はここで完結か)
巌勝は新たな種族となった二人を放置して夜闇に身を乗り出した。理由は夜風から漂う血の匂い。まだ夜は終わっていない。剣道場の息子も死んだ。恋雪も狛治も生きている。
血の香り漂う方向に向かって駆ける。香りの正体は鬼舞辻無惨と、その犠牲者であった。
「無惨様……」
「おお黒死牟。会えて嬉しいぞ」
「……光栄の極み」
「見ろ、こいつは十二鬼月になれるとは思わんか」
「……」
頭に無惨の腕が貫通している慶蔵。恐怖一色に顔色を染めた彼の妻、春夏。巌勝の頭の中で、疑問がいくつか浮かぶがその全てを押し込む。残ったのは結果だけ。
「男は既に……」
「む」
黒死牟と無惨が話しているうちに慶蔵……いや、慶蔵だったものは塵のように消えていた。さらさらと灰のようになった細胞が風に乗って飛ばされる。血の着いた道着だけがその場に残った。
「どうやら既に体細胞の大半が死滅していたようだ。ならばなぜあそこまで戦えたのか……黒死牟、こいつは一撃で頭蓋を穿ったはずなのに、私の腕に向けて拳を振るったのだ」
「それは……」
「まぐれとはいえ、私の体に傷をつけた。鬼化に耐えられる強者かと思ったのだが……使えんな。お前もそう思うだろう?」
巌勝は疑問に思った。慶蔵は一般人より遥かに強い。鬼化ならばかなりの血を摂取しても問題ないだろう。だが慶蔵は鬼化に耐えられずに塵となった。ならば原因はもっと別の──
「────!? ──!!!! っ──!?」
「煩いぞ女。よもやすると夫だったのか? そうか。案ずるな、記憶なぞすぐに無くなる。そんなに欲しいのなら血を追加してやろう」
「あがっ……あああ。あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
鬼だ。本物の鬼がいる。
「はははっ。活きがいい。黒死牟、これは十二鬼月になれるのではないか? 物は試しだ。この町に解き放って……」
«月の呼吸 拾漆ノ型 千夜一夜・涅槃»
斬。
刃を赫くせず、痛みをともなわない死。鬼の体には赫い刃は壮絶な痛みを伴う。あえてそうしなかった。日の呼吸には無い月の呼吸ならではの、静かに葬送する黒死の刃。因みに水の呼吸は呼吸法の中でもこの特徴を受け継ぐ唯一の呼吸である。
(何がおかしい。何が面白い。命をなんだと思っている。……等と縁壱のように言えた義理でもない。義憤に駆られようが……もはやこの身は悪鬼羅刹。
だが)
「……あの時……川で殺しておけば」
「なんのつもりだ」
「十二鬼月は……これより私が再編する……弱者は不要……貴方様の手を煩わせる訳にはいかない。それとも……私では不服であったか……」
「ふむ」
無惨は少しの間逡巡した。
「まぁなんだ。やはりお前に任せておけば安心というもの。頼りにしているぞ。お前の役に立つかと思ったが、この二人は雑魚だった。比べるのも烏滸がましい。熟不幸な奴らだ。生まれて来てもなんの意味もなかったとはな」
「……」
二人の着物を踏みつけながら機嫌が良さそうに語る無惨。黒死牟は無意識に日輪刀に手をかけていた。鞘の中で刃は赫く灼熱を帯びている。無惨からは見えない。
(落ち着け……縁壱。こいつを殺せば薫も死ぬ。薫が死ねば、薫の中にいるうたも死ぬ。もう少しの辛抱だ。落ち着け)
無惨がずっと黙っていることに気がつく。
疑問に思って無惨を見れば、酷く脅えていた。瞳孔は開き、無意識のうちに後ずさりをしている。更には身体中に夥しい量の古い刀傷が浮かび上がっている。巌勝はそれに見覚えがあった。巌勝が近づくと無惨は「ひっ!?」と情けない声を出して尻もちを着いた。
「無惨様?」
「……は……今……確かにお前があいつに……! …………」
「? ……なにを」
「……近寄るな!!!」
「御意」
「ぁ」
無惨は捨てられた子供のような声を出した。彼にとって巌勝は命令に従順な下僕な筈だ。
自分は間違えない。だから自分の言うことを聞いているだけでいい。だが、目の前の男はそうか? 今まで鬼にしてきたのはどうしようもない屑で、社会の膿で、世間の掃き出し物。鬼狩りの柱一人葬れない雑魚。彼にとって想像以上の結果を出してくれる存在は黒死牟しかいない。
紛うことなき最強であるこの男に見放されれば────
────私は本当に限りなく完璧に近い生物か?
(違うのだ……私は)
鬼の首魁もまた、変わり始めていた。いい方向か悪い方向か、はたまた根底の残虐さは変わらないのか。赫い刃は消えない傷を体に刻んだ。対して冷たい月は無惨の心をゆっくり、じんわりと蝕んでいた。
★
慶蔵と春夏だったものの灰が煙のように立ち上っている。そこで巌勝は立ち尽くしていた。町の方が騒がしい。剣道場の惨劇が人の目に触れた事を暗示していた。巌勝は第一発見者を哀れに思った。あの凄惨な光景は普通の人間が見るにはあまりに目に毒である。
「狛治達には……否。全てを話すべきだ」
巌勝は片膝を着いて丁寧に慶蔵達の着物を拾い上げた。灰のこびりついた着物は重々しく────
────なぜ薫の血がついている
「流石に完全模倣は出来ないか」
鬼が一人。眩いばかりの金髪を波のように揺らして降り立った。世界が塗り替えられる。魔性の美は、武を纏う巌勝をして互角の存在感を放っていた。そしてこの世でただ一人にしか見せない万遍の笑みを浮かべ、巌勝を見つめた。
「鬼は私が作った偽物。ふふ、今のいままで気が付かなかったでしょう? こほん。慶蔵さん達は、鬼を見た。その事実を無惨は知っている。そしてあいつは世間に鬼の存在が広まることを良しとしない。なら次にすることは決まってる、口封じしかない。
それにこの町には隠が居たから、上司特権で適当に誤魔化しておかなきゃいけなかったからね」
「……本物は?」
「本物のお二人は医者の家でぐっすり眠ってるよ。春夏さんの方はまだもう少し治らないけどね。それにしても……ふふふ……あっはははは!! 滑稽だったね。まさか無惨が。鬼の始祖が! 気が付かないだなんて!!」
けらけらと楽しそうに笑う薫に巌勝は確信を得ていた。
薫が第二の無惨になることに。
彼女は無惨ほど馬鹿では無いし、頭も回る。その気になれば際限なく鬼を増やせるし、組織として纏まりをもつようにするだろう。
人間を超越した肉体を持つ鬼が統率の取れた動きで襲いかかってくる等悪夢そのものだ。
(かくなる上は……)
何れ自分達は選ぶ時が来る。薫達が完全に日光を克服して、用済みとなった無惨を滅却したその時、鬼殺隊は第二の鬼の始祖になりうる薫に刃を向けるかもしれない。刃を向けられた薫はその力で以て世界そのものに牙をむくかもしれない。
そしてもしそうなった時、巌勝は迷わず世界を切り捨てることを選ぶだろう。かつて鬼殺隊にそうしたように。巌勝という特異点が原作の流れを変えている。これから薫や紫明が物語の主要人物と大きな関わりを持つかもしれないし、四百年早く鬼殺隊に協力している珠世は自分達への恩があるとはいえそれこそ上弦に通用するような毒を生み出すかもしれない。
だからこそ、今は仲間を集める時だ。
「薫、助かった。お前が私の妻であることを、とても嬉しく思う」
「嬉しいのかぁ……えへへ。喜んでくれたんだ……だったら私も嬉しいなー!」
巌勝は、得意げに前を歩く薫の髪の一束を指で梳いた。月光を受け止めて太陽のような煌めきを放つそれに、彼の口角は上がっていた。後ろに倒れ込んできた妻の首に手を回して、二人は歩く。
鬼を殺す鬼、佳宵の天満月と鬼殺隊で暗躍する金夜叉。彼らはそれ以前に唯の夫婦であった。
(時代の流れも、数珠繋ぎとなった人の想いも全てを斬り伏せよう。私には……否、私達にはそれが出来る)
無惨
善意100パーセントで部下を助けてかえって部下を困らせる上司。
怖いから兄上に側にいて欲しいが、その兄上にトラウマを想起させられて感情がぐちゃぐちゃ。無惨曇らせもありかな。
次回、猗窩座の章エピローグです。