童磨の章 プロローグ
❝素流殺法 破壊殺・羅針❞
羅針の針は寸分違わず敵を示した。握り固めた拳が空気を唸らせて虚空を打つ。対象の動きを限界まで察知する羅針を使用して尚、当たらないのは思考が肉体に追いついていないからだ。
打ち出した拳は今までの狛治の体と比べても数倍の速さ。加速した身体を脳が処理できていない。脳機能は繊細で向上させようがないのだ。
❝素流殺法 破壊殺・空式❞
「嘘だろ……」
拳を空気圧として飛ばせるのでは?
そう思い安牌な技名をつけて殴れば文字通り拳圧が放たれる。摩訶不思議な脳の指令すら肉体が再現するのだ。武芸者はもちろんのこと、何かを極める上ではうってつけの体と言えよう。
«暁の呼吸 肆ノ型 壊劫»
相対するは薫。刀を片手に持ち替え、体を中心にして円を描くような四連撃で全てうち払った。遠心力を乗せることで一撃より二撃目、二撃より三撃目と威力は倍近く上がっている。
「狛治君、強くなりましたね」
「奥方、猗窩座と。そうおよびください」
「お断りします。夫はなんという名前をつけたのか。意図が分かりません」
「不満に思ってはいません。この名は自分の本質をこの上なく突いている。加えて俺は眷属のようなもの。なんと呼ばれようと、何を言われようと受け入れるだけです。そこまでしても奥方達に有り余る恩は返しきれない」
「そうですか」
薫は刀を収めた。途端、湧き上がる力の奔流。伸びた爪、現れた二本の大角、唯我独尊の微笑み。鬼の女王としての彼女が顕現した。
「止めてすいません。続きを始めましょう」
再生し続ける肉体と災害に匹敵する膂力。朱金と蒼空が激突する。文字通り化け物同士の戦いが始まった。
★
「石だ」
「? ……はい。石ですね」
「握ってみろ」
狛治達とは塀を隔てて屋敷の縁側。そこには紫明と恋雪がいた。轟音や旋風や土煙が飛び交う塀の外とは違って穏やかな空気が流れている。それでもたまに余波が飛んでくるが。
頭の上に疑問符を浮かべながら恋雪は紫明に言われるままに石を握る。握ると言うよりはどちらかと言えば包み込むに近い握り方をした。形のない空気をそっと集めるようなふんわりとした手の動き。
ばぎん。と粉々に砕け散る石。欠片が数個、恋雪の頬に当たって落ちた。
「え、うぇぇええ……!」
「ははは!! なんだその情けない声はっ!」
「こ、この石って」
「そこら辺の石。どうだすごいだろ、鬼の力は」
「はわわ……もう私、生き物に触れません」
「じき慣れる。それまでは旦那の手でも握っておくんだな」
狛治と恋雪は薫の血を定期的に摂取している。その度に肉体性能の向上は止まらない。しかし血を与えた母数が圧倒的に少ないので、重大な副作用があってはならないとこうして血を与えたあとは動きの確認を欠かさないのだ。狛治は力仕事をよくするので試合で肩慣らし。恋雪は家にいることが多いので軽い運動のようなもので確かめる。
「そそ、そうですね。狛治さんなら砕け散りませんよね!! ずっと握っておきましょう!」
「……どの時代も夫婦とは皆こうなのか?」
揶揄うような助言を真に受けたので仕掛けた方が面食らった。
一時、江戸時代に流行った娯楽物として『曽根崎心中』などの心中物がある。なんと心中が流行したのだ。
たまたまやっていたから気まぐれに行ったことのある紫明。流行りとかフル無視した個性の塊である
「それはそれとして。血鬼術はまだ無理か?」
「はい。毎日練習してるんですが……コツとかは」
「…………やりたいことを頭に浮かべて、それが実現する想像をするとか?」
「なんで疑問形なんですかぁ」
「分からんものは分からん」
★
「羨ましいですか?」
「母様」
素山夫婦は帰ってしまったので何もすることの無い紫明はぼーっと庭の外を眺めていた。そこに薫が現れ、紫明の隣に正座した。対して紫明は胡座を崩したような座り方をしていた。戦闘の汚れがついたためか簡素な着物に着替えてきている。
紫明の父は太陽の香りがするとすれば、母は夜の香りがした。雨上がりの土から香るような、夜風が涼しさと共に運んでくる香りである。
「珠世さんの所へは行かなくていいのかしら?」
「なんか作ってる薬の効果が出るまで数十年かかるみたいで暇を出されたの」
「……暴れすぎて追い払われた訳ではなくて?」
「私は外では頼れる冷静な女だからね!?」
珠世が今作っているのは老化薬。無限の寿命を持つ鬼の細胞が数分のうちに何百年も衰えるような劇薬である。手始めに作ったものは数十年単位で老化の推移を見るものであり、力仕事は必要ないためしばらく紫明はお払い箱である。
「ふふ、それならよかった。さあおいで」
「……」
むすっとした顔をしながらも無言で紫明は薫に撓垂れ掛かる。ゆっくりと薫は紫明の頭を膝に乗せた。夜を溶かしこんだような漆黒の髪が床に広がった。
指が髪を梳く。形が纏まった時、頭の形をなぞるように撫でた。眠気が少しずつ湧き上がってくる。
「いいこいいこ。あなたが小さかった頃はこうやってよしよししてあげたのよ?」
「……むぅ。もう百歳はこえてるんだけど」
「幾つになっても紫明は私の可愛い可愛い宝物よ」
一切隠されていない剥き出しの愛情表現に小恥ずかしくなるも、満更でもない紫明は相好を崩した。文字通りでろでろに甘やかされている。
「あなたがね。鬼にならなかったら私は、私達は子供を見送らなければならなかったのよ」
「……」
「いつも感謝してるわ。本当にありがとう。私達と生きてくれて」
薫は紫明の額にそっと口付けをした。鼻腔を擽る香りが紫明を落ち着かせた。
あの時二人は鬼であり、紫明は人だった。紫明にはその気持ちはわからないが、総じて子を看取る親の気持ちとは子が想像しても分からないものであろう。親思う心に勝る親心である。
「…………でもさ、生きるのに飽きる日っていつか来ると思うの……私にも母様達にも」
「……」
「そうなったら私は」
「ワタシを呼んだかしら!! ええそうよ他ならぬこの優美で至美で美人で可憐で絶佳で綺麗で秀美で高麗で優雅で端麗で美麗で麗美で玲瓏で耽美で美貌で佳絶で素敵で粋美で絶美で絢爛で艶美な美神のワタシよ!」
「天外」
少ししんみりとした空気が霧散する。紫明は少し助かった。きっとあの言葉の後に何を言おうと薫は悲しんだだろう。なにより話題が適切ではなかった。時間はたくさんあるからまた今度話せば良い話である。
「もうそろそろ
「っ……了解」
(あの親共は……!)
紫明は恨み言を吐きそうになったがすんでのところで止めた。だが刺すような怒りは蟠りとして心の底で燻っている。こうも近くに完璧な親がいるとどうしても比較してしまうのだ。あの毒親達と。
「私、母様が母様でよかった」
「その気持ちは嬉しいわ。ありがとう。それで何の話かしら?」
「それと母様、
「??????????????」
「わーすごい顔だよ母様」
離乳食→幼児→誰の赤子→紫明→限界→育児放棄
「離乳食」の一言が一瞬で薫の脳内で変換、否、誤変換され薫の脳が理解を拒否した。
「なんかね。神の子って呼ばれてる赤子がいるの」
「……なるほど、紫明の子供なのだから可愛すぎて神の子と呼ばれているってこと?」
「紫明! ちゃんと説明するのよ!!」
紫明
ころころ口調が変わるけどこの章は巌勝ver.。