物心ついた時から、オレの世界は灰色だった。
太陽の光すら届かない家の奥の奥。形だけの玉座に居座る子供がオレ。大層な服を着せられてしたくもない厚化粧もさせられて座ってる。少しでも動けば体温が上がり何重にも着込んだ衣装のせいで汗が気持ち悪い。
反抗はしない。というかしたら何されるか分からない。
「白橡の頭髪は無垢な証。この子は特別な子だ」
「虹色の瞳とは……きっと神の声が聞こえてるわ」
オレの両親がそんなことを宣う。白い髪と虹色の瞳がさぞ物珍しいんだろう。普通の人間は黒髪で黒目だ。そして神の子と言われて崇められたりしない。
うーん。欠片も嬉しくない。こんなのじゃ足りない。もっと心の底から湧き上がるような……
〝雪のようだな、其方の髪は。瞳も、虹彩とはよく言ったものだ〟
まただ。ずっと朧気な誰かの面影を探している。寝ている時も、ふと夢に出てくれないかと願って眠るんだ。起きている時も、目の前で臭い息を吐く可哀想な人の言葉を頭ごなしに聴きながら記憶を辿っている。きっと誰もが無駄だと思うよね。でも何か不思議な感じがするんだ。言葉じゃ説明が難しいんだけど。
もう少しで思い出せるはずなのにもどかしい。何の記憶だろう。赤子の時の記憶かな。声の主は母親だろうか。
そんなこんなにで月日が経ち、自分で服を着替えられるようになったオレは変わらない日常を無為に過ごしていた。歳は数えていないけどさすがに二桁はいったと思う。あとから知ったけど生まれた日は『誕生日』っていわれるらしい。今更だけどさ。
朝起きると豪奢な衣装を着せられて大部屋に移動する。昼過ぎにはぞろぞろと信者が入ってきて、オレに身の上話をしてくる。オレはそれを聞くだけ。日が落ちる頃には信者は帰ってオレは寝る。信者のする話は一言一句全て覚えてる。だって薄っぺらいから。
それにしてもオレがみんなの前で話を聞いている中、父親は信者の女にご執心だ。お気に入りを部屋に連れ込んでは
そんな父親がのっそりと前を歩く。何を考えてるんだろう。
「ねぇ、父上」
「え」
急に振り向いた父親の目は見開かれていた。あーあ。やばい。
────失敗した
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!! 違う違う違う違う違う違う!!! お前は神の子だ! 断じて私の子供なんかでは無い! 断じて断じて断じて!! 我らの子ではない! 我らの子となるなど烏滸がましい!! 申し訳ありません! 申し訳ありません! 申し訳ありません!」
オレの髪を掴んで地面に引きずり倒す。ぶちぶちと髪の毛が抜ける音がした。将来禿げちゃうかもな。
腹に一発。腹筋に力を入れて内臓への衝撃を極力減らそう。それでも相手は大人の男に対してオレは栄養不足の子供。吐瀉物が口の中を支配するが、飲み込む。胃酸で歯がとけた。
胸に一発。肋骨が軋んで肺が凹み、呼吸が著しく乱れる。運がいい。折れなかった。折れると普段通りの振る舞いが痛くてできなくなる。
殴る。蹴る。殴る。殴る。噛む。引っ掻く。蹴る。蹴る。殴る。それでもオレが笑うとさらに激しくなった。笑うのは不正解だった。でもオレは泣けないから笑うしかない。
「…………っ…………ぎ」
オレは間違えたのだ。どう考えてもオレが悪い。選択を誤った。
こいつに向かって、父上呼びなど許してくれるはずもないというのに。今日はおかしい。いつもする選択を全部間違える。厄日決定。
「はっ!? わ、私はなんということを〝
「大……丈夫だよ。許してあげる。聞こえる。神様もそう言ってる……から」
「なんと……神がわたくしめに?」
「うん。気の迷いは誰にでもあるって」
「ありがとうございます! ありがとうございます! 神様! 私は許されたのですね!!」
とても嬉しそうな微笑みだ。オレの両手を大切そうに掴んで傅く。うっとりとした瞳はオレを見ていない。うわうわ。感極まって涙まで流しちゃって。オレは今まで流したことの無い雫。ほんとに涙って出るんだ。
俺の親の頭の鈍さは絶望的だ。そうでなければ極楽教などというつまらない宗教作れないけど。可哀想に。俺が話を合わせてあげないと発狂して殴ってくるんだから。もうどうしようもないんだ、親の脳みそは。だと言うのにここまで信者を集めたんだからすごいよね。上には上がいるのなら、下にも下がいる。馬鹿は無下限らしい。
「いい子だ。いい子だよ。これからもそうやって
「……えへへ」
オレを殴った手で、オレの頭を撫でる。
間違っているのだ。論理の破綻を指摘したところで何も変わらない。
誰もオレを見ない。正確には子供のオレ自身を見ない。何故ならばオレは神の子であるのだから。神は悩みを持たない。神は万人を救う。神はそのためにある。それ以外はしない。してはならない。
そうだとも。オレは神の子だ。幸か不幸か親は馬鹿だから、神の子でいればいつかきっと愛してもらえる。子供は親に愛してもらうのが
だけど問題がある。愛が分からない。なにせオレは親のことが好きじゃないからだ。愛されているのならオレが親のことを好きになるはずだ。愛とはそういうものだと信者が言っていた。
愛するのなら愛さなきゃいけない。愛されたのなら愛しなければいけないと。……信者でも増やせば愛してくれるかな。
痛む腹と頭を気合いで我慢し、襖を開ける。
「教祖様! 我らをお救い下さい!」
「教祖様!」
「お願い教祖様!」
「「「「「教祖様!」」」」」
「なんだい? 俺が聞いてあげよう。俺が認めてあげよう。俺が救ってあげよう」
「っ〜!」
聞く。
認める。
救う。
上辺だけのオレの声に無言で頭を垂れる大人達。中にはすすり泣く声も聞こえてくる。可哀想に。自分が騙されているなんて知らないままただ見た目が珍しいだけの子供に哀れまれるなんて。
自分が何者でもないから何かになりたい。若しくは何者でもない自分を受け入れたい。そうして何かになるためには他者からの承認を求める。自分の話を聞いて、存在を認めて、自己嫌悪から救って欲しいんだ。
信仰って「肯定」されたいからだよね。
んー誰にしようかな。信者達にも序列があって新顔を指名すると信者が怒り狂って殺した例もあるから最初は常連さんにしよっと。
「じゃあ君。二回目だよね?」
「はい! お、俺は酷い目にあったんです」
「何があったんだ? 聞かせてくれよ」
「俺は何も悪くないんだ! ただ、道を通った女があまりに美しくて! 気がついたら、へへ、付き人を殺して女を襲っちまって……城主の姫だったなんてしらなかったんです! それで傷物にしたって侍に追いかけられたんだ! 」
「そうなの! それは大変だったね」
「俺はわるくないですよね!? あんなに美しい女が、不意打ちで倒れる付き人が全部悪いんですよね!?」
口の端から唾を飛ばして必死だね。というか前も似たような話をした。前よりも誇張されているな。虚偽を述べてもこの男の人生はそれだけの質と量しかないんだ。自分がどんな存在かに気がつけばそうはならなかったけど、取らぬ狸の皮算用だ。
「平吉。君は間違っていない」
「お、おいらの名前を……覚えておいて下さった! ……教祖様!」
「うん。聞いてるよ。大丈……」
あれ? オレの名前って、なんだったっけ? 親からはつけられてなかったな。かと言ってオレがつけるのもなんか違う気がするな。
〝会うのは二回目だというのにもう私と識別できておるのか。赤子とはいえ随分賢しい子よな。童のくせして、錬磨されておる〟
くそ。あと少しで、もうすぐ思い出せるはずなんだ。靄がかかって見えない。なんでこんなに執着するんだ。ただの記憶だろ? オレは何を記憶の誰とも知らない人間に求めているんだ?
──オレが、
────オレが、記憶の人にオレを
──────────認めて欲しいからじゃないか?
違う。
いや違う。
オレは認められている。信者にも…………いやそれは『神の子』だ。オレじゃない。両親もだ。オレ『神の子』だと信じて疑わない。じゃあオレは何者なんだ。この世界には極楽も地獄もない。神もいない。
『神の子』でないオレは何者なんだろう?
「あーくそ。なんだ。オレもこいつらと変わんねぇじゃん」
「き、教祖様?」
「ん……? あ、あぁごめんね。ちょっとした考え事さ」
「もしや神の声が!?」
「そうだよ。神も祝福してくれている。君は間違っちゃいない」
「ありがとうごぜぇますだぁ……!」
あっさりと嫌なことに気づいちゃったなー。ほんとに厄日。まぁ正解だからぐうの音も出ない。
だから認めて……だなんて贅沢。こんなに多くの人から施しを貰う代わりにオレは座っているだけでいい。うんそうだとも。親からの愛は期待しない。自分にも期待しない。
親が愛し、信者が信じたところでそれは神の子でありオレでは無い。そしてオレがオレ自身を認めることなどない。この中でオレしかオレが神の子でないと気づいていないから、本当のオレが認められることは無いんだよなー。
地獄があるとするのなら、オレにとってそれは現世だ。ここまでが地獄。そしてこれからも地獄なんだから。
???「感想と評価くれくれ」