GetBackers -奪還屋- Parallel Universe 作:世紀末ドクター
―――こっちの世界に飛ばされてから2週間程度の時間が経った。
その頃にもなると麻帆良での生活にもある程度慣れてくるもので、蛮と銀次、マリーアの三人はかなり自由かつ快適に暮らしていた。
マリーアは『占い屋』の露店を開くようになり、蛮と銀次の二人は『奪還屋』として学園側の頼みごとを解決するなどの仕事をしながら暮らしている。
しかし、それと同時に今の彼ら二人は、何故か麻帆良の不良グループのまとめ役として君臨していた。
「おい、銀次」
「何? 蛮ちゃん」
「一体何なんだろうな、この状況?」
「オレに訊かないでよ…」
呆れたように溜め息を吐く銀次。
切っ掛けは1週間前に路上で迷惑行為を働いているチンピラを蛮がぶちのめした事に始まる。
そうしたら、チンピラの仲間連中が次から次へと敵討ちに現れ、そいつらを片っ端からぶちのめしている内に不良グループのまとめ役などという立場に収まってしまった。
「チィース!お疲れ様です、蛮の兄貴!」
「銀次さんもお疲れ様です!」
街中を歩いているとこんな感じで挨拶されるようなことも多い。
蛮が名目上のトップとして君臨している不良グループの名前は『Evil Eyes』。
ある意味、これ以上無い程に蛮にぴったりなグループ名であるが、そのグループは既に麻帆良において最大勢力を誇る規模になっていた。
「ったく、こういう組織のリーダーだとかいうのは俺の柄じゃねえんだがなぁ…。だいたい、こういうのは『VOLTS』のリーダーだったオメェの役割だろ?」
「いや~、昔の『雷帝』だった頃のオレならともかく、正直、今のオレじゃとてもああいう組織のリーダーは務まらないと思うよ?」
蛮に言われた銀次は少し苦笑い気味に答える。
かつての『VOLTS』時代、天野銀次という少年を中心にして多くの仲間が集まった。
別に銀次が自分から仲間を集めた訳ではない。いつの間にかみんなが集まってくれていた。
だが、それを可能としたのは『雷帝』という絶対の強さを持つカリスマが居たからだ。かつての仲間達は今でも銀次のことを慕ってくれるが、それはあくまで対等の友達・友人としてだ。
だから、『雷帝』でなくなった自分ではかつてと同じように組織をまとめることは出来ないだろうと銀次は自覚していた。
実際、人の上に立つ器としては、今の銀次よりも蛮の方がよほど優れているだろう。
「しかし、学園長の爺さんもわざわざ俺に不良グループのリーダーを任せたままにするか、普通? 一応、俺らは部外者だぞ?」
「あー…、それは確かに少し思ったけど、あの爺さんの言い分もそれなりに筋が通ってるんだよねぇ…」
今の蛮と銀次は学園長との相談を終えた帰りである。
相談の内容は蛮と銀次がまとめている不良グループの運営方針についてだった。
グループを解散させるにせよ存続させるにせよ、学園都市に居候している以上一応話は通しておいた方が良いだろうという判断で、蛮と銀次がまとめているグループの運営方針について相談しに行ったのだが、なんと学園長は不良グループの運営については丸投げしたのだ。
そして、その時の学園長の言い分はこうだった。
「すまんが、しばらくは君がリーダーとしてグループをまとめておいてくれんか? あの手の不良グループは潰しても後から新しいグループが出来るだけじゃからの」
実際、麻帆良の魔法先生の何人かがその手のグループを物理的に壊滅させたことがあるのだが、逆にチンピラ共の統制がとれなくなって、却って治安が悪化したことがあるらしい。
下手を打ってそういう事態を招くよりは、強力な1個のグループとしてまとめ上げておいた方が結果的には治安が保てるという判断だった。
「俺らが傘下のチンピラ連中を利用して、あくどい事をするって可能性は考えねえのか?」
「いや、君らはそんな事はせんよ。本当にそのつもりなら、こうやって報告に来ること自体があり得ないことじゃろうからの。君ら二人ならグループのメンバーに一般人に過度な迷惑をかけるような真似はさせないじゃろ?」
まだ2週間くらいの付き合いでしかないが、すでに学園長は蛮と銀次の大体の性格を見切っていた。
もちろん蛮達に警戒の目を向ける者はまだ多く存在するが、既にある程度の気を許しているような者も幾人か居る。
学園長はどちらかと言えば後者の方で、蛮たちが『使える』ということが判明した後は、面倒事のいくつかを任せることも多くなっていた。
学園長室での話を思い出して蛮は少し不機嫌そうに溜め息を吐く。
「何つーか、体良く利用されてる気がするんだがな…」
「それはある程度は仕方ないんじゃない? 所詮、こっちは居候な訳だし…」
適当に会話を続けながら街の中を歩く蛮と銀次。
そして、しばらく歩いているとマリーアが占いをしている露店にまで辿り着いた。
どうやらそれなりに繁盛しているようで、彼女が露店を開いている世界樹前広場の一角には中学生から高校生くらいの女の子たちで賑わっている。
別に広告を出した訳でも無かったのだが、マリーアという占い屋の存在は口コミで広まり、今ではかなりの人気店となっていた。その人気の理由は単純に『当たる』というだけでなく、手品のスキルなどの演出を織り交ぜたパフォーマンス的な要因も大きい。
「か、格好いい…」
客の誰かが思わず感嘆の声を漏らす。
マリーアの占いは基本的にタロットカード占いだ。
だが、彼女の見せるカード捌きはそれ自体が芸術と言っても良いほどに洗練されている。
集まった女の子の中には占いに来たのではなく、彼女のカード捌きを見物するために来ている者も多いようだ。
「へぇー、本当に凄いわねぇ」
「な? ウチの言った通りやろ、明日菜?」
実際、近衛木乃香という少女などはほぼ毎日遊びに来ていて、すっかり蛮や銀次とも顔見知りである。
どうやら今日の彼女は友達を一緒に連れて来たらしく、眼の色が左右で違うツインテールの女の子を隣りに連れている。
蛮と銀次の存在に気付いた木乃香は、パアッと顔を明るくさせた。
「あ、蛮さんに銀ちゃんや!」
「よう、また来たんだな」
「こんにちは、木乃香ちゃん! えっと…、こっちの子は?」
隣りのツインテールの少女について訊ねる銀次。
「ウチのクラスメートや」
「はじめまして、神楽坂明日菜です」
明日菜と名乗った少女は頭を下げて挨拶する。
だが、木乃香が連れて来た明日菜を見た蛮と銀次は、何か言葉に出来ない妙な違和感を感じてしまう。
何というか、間久部博士やマリーア、エヴァンジェリンといった見た目と実年齢が一致していない者と同じような気配を感じる。
(あれ?)
(コイツ…)
一瞬、違和感を感じた蛮と銀次の二人だが、特に悪意や危機感は感じないためにそれ以上は突っ込むようなことはしなかった。
とりあえず感じた違和感については棚上げし、銀次は人懐こそうな笑みを浮かべて言葉をかける。
「へー、木乃香ちゃんの友達か。うん、君も可愛いね」
可愛いと言われて悪い気はしないのか、少し照れた表情を見せる明日菜。
「えーっと、木乃香、この二人は? 木乃香の知り合いみたいだけど…」
「俺ら二人はマリーアの関係者だよ。ちょっと訳ありでな。少し前から麻帆良で暮らしてるのさ」
そう言って、自己紹介をする蛮と銀次。
パッと見の印象では気の良い兄ちゃんという感じだ。
「ふふふ、こう見えてこの二人はこの辺りの不良グループのトップなんやでー」
「え!? そんな危ない人なの!?」
木乃香の言葉に驚きの声をあげる明日菜。
そんな連中と交流のある親友のことを心配する明日菜だが、当の木乃香は全く気にしていないようだった。
蛮と銀次の性格を知っている木乃香はそうした心配が要らないことを知っていたからだ。
「おいおい、俺らが不良グループのまとめ役になったのはただの成り行きなんだぜ?」
「そうそう! それにオレらがトップに居る以上は、グループのメンバーに非道いことは絶対させないし!」
しかし、自分で自分のことを悪人だと言う奴など普通は居ない。
それを考えれば、明日菜が蛮と銀次の二人のことをジト目で睨むのも仕方ないだろう。
「怪しい奴はみんなそう言うのよ! 木乃香、こんな連中と付き合うのは止しなさい!」
「え~? 蛮さんも銀ちゃんも良い人やえ~?」
お前らは親子か?
まるで子供の友達付き合いに口出しする母親とその娘のようなやり取りに思わず苦笑を浮かべる蛮と銀次。
そうして、しばらくは明日菜の説得をのらりくらりと木乃香が躱すというやり取りが続いていたが、いつの間にか仕事を終えたらしいマリーアが話し掛けたことで彼女らのやり取りは中断される。
「あら、また来てくれたのね。木乃香ちゃん」
「あ! こんにちは、マリーアさん!」
マリーアに元気よく挨拶する木乃香。
占い研究会に所属するほどの占い好きなだけあって木乃香はマリーアに随分と懐いているようだった。
そして、マリーアは微笑みながら明日菜の方を見た。
「貴女は木乃香ちゃんのお友達かしら?」
「え、あ、はい」
マリーアに訊かれた明日菜は思わず間の抜けた返事をしてしまう。
何しろ見た目だけは、同性であっても気後れしてしまいそうになるような美女である。
波うつ豊かな黒髪と褐色の肌、女神のプロポーション。その圧倒的な美貌を間近で見た明日菜は思わず見惚れてしまっていた。
「ふふふ、マリーアさんはウチが知ってる占い師の中で一番凄い人なんや。過去当てなんて百発百中なんやよ」
まるで自分のことを自慢するかのように、木乃香は「えっへん」という感じに笑みを浮かべる。
「今日の仕事は終わりか?」
「ええ、今日の仕事はこれで終わりのつもりだったけど…」
もう一度、明日菜の方に向き直るマリーア。
「ひょっとして、何か占なって欲しいことでもあるのかしら?」
「え? えっと、実は恋愛運について…」
いかにも年頃の女の子らしい占いの内容。
しかし、もう営業時間の締め切りは過ぎている以上、ここで明日菜の占いだけを引き受けるのはちょっと不公平かもしれない。
「良いじゃねえか。お得意様の木乃香ちゃんの友達なんだ。サービスで占なってやれよ」
マリーアが少し迷っていると、蛮がそう言った。
そして、マリーアが蛮の方を見ると、何故か蛮はサングラスを外す。
そうして、二人の目が合うことで、両者の間に完璧なコミュニケーションが成立する。
こういう時、蛮の『邪眼』は本当に便利だ。現実時間で最大1分間の幻影を見せる蛮の特殊能力だが、幻術の体感時間そのものは蛮の任意で操作できるため、他者にバレない情報伝達の手段としても活用できる。情報伝達の手段として使うのなら、邪眼の持続時間は現実時間で1秒で足りる。その1秒の体感時間を何倍にも引き延ばすことで、その気になればいくらでも情報を伝えることが可能だからだ。
(…なるほどね)
蛮の言いたいことを全て理解したマリーアは、明日菜と木乃香の方に向き直って言った。
「うーん、木乃香ちゃんの友達なら仕方ないわね。時間外だけど特別に占なってあげるわ」
「やった! 流石、マリーアさん、話が分かる!」
嬉しさにはしゃぐ木乃香。
そんな木乃香の様子に少し苦笑しながら、マリーアは占いの準備をする。
マリーアは携帯用のテーブルを用意すると、その上に裏向きのタロットカードを並べた。
「じゃあ、このカードを裏向きのままかき混ぜて貰える?」
「は、はい!」
タロットカードの占いの方法は千差万別。
だが、基本的にはシャッフルしたカードをスプレッドと呼ばれる特定の配置でカードを並べ、その各配置にあるカードの意味を解釈していくという形になる。
今回、マリーアが使用するスプレッドは『ヘキサグラム・スプレッド』と呼ばれるタロット占いの中でもオーソドックスな方法である。
そして、配置された7枚のカードはそれぞれ以下の要素を暗示している。
・1枚目: 過去。
・2枚目: 現在。
・3枚目: 未来。
・4枚目: 周囲の状況や環境。
・5枚目: 願望。無意識の望み。
・6枚目: 問題解決のための手段。とるべき行動。
・7枚目: 最終結果。問題の核心。
だが、『占い』というのは科学的に分析するならば、ホットリーディング、コールドリーディング、マルチプルアウトと確証バイアスなどといったテクニックを組み合わせたものと考えられている。
つまり、誰にでも該当するようなあいまいで一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう人間の心理を利用したもので、このような現象を心理学では『バーナム効果』と呼んでいる。
特にタロット占いなどはその傾向が顕著で、はっきり言ってどうにでも解釈できてしまうのである。相手の表情や仕草などの反応を観察しながら、相手が無意識の内に望んでいる答えや心の中に隠していた問題を炙り出していく。つまり、ある意味、占いとはカウンセリングの一種なのである。
しかし、それは世間一般の占い師の場合の話であって、本物の魔術師であるマリーアの場合は話が異なる。
(これは…)
カードを並べ終わったマリーアは少し考えていたが、やがて真剣な顔をして明日菜に話し始めた。
しかし、実際のところ、この時点でマリーアが占なっていたのは恋愛運などではない。実際にはもっと別のことを調べていた。
だから、表向きに明日菜へ告げる恋愛運についての占いの結果は、はっきり言ってしまえばデタラメだ。並べられたカードが持つ意味から、相手に当て嵌まって良そうな解釈を選び出して、あとは話術テクニックでそれっぽく聞こえるようにしているだけだ。
だが、そうしたテクニックに優れた者がやれば、相手に『当たった』と信じ込ませることは極めて容易である。
実際、明日菜もマリーアの巧みな話術にあっという間に引き込まれてしまっていた。
「……さて、最終結果は『太陽』のカードね。意味は、物質的な幸福・幸運な結婚・満足」
「それって良い意味のカードですよね?」
「そうね。貴女の言う通り、一般的には良い意味のカードなんだけど、恋愛関係では少し注意が必要なカードだわ。このカードが出た時、相手からの好意はどちらかといえば愛よりは友情寄りな場合が多いのよね~」
「そ、それって振られるってことですか?」
「それは分からないわね~。でも、貴女の好きな人――高畑先生と貴女の間には深い縁があるように見えるわよ?」
「え!? 私、好きな相手の名前なんて言ってないですよね!?」
見事に言い当てられたことに驚いた顔をする明日菜。
しかし、実際にはこれも魔術など使っていない。彼女たちが通っている学校が女子校であるという情報。必然的に男性との接触は少なくなるだろうという推測。木乃香の担任が高畑であるという事前情報。
それらの事前情報に加えて、会話の中での相手の仕草、反応などに対する注意深い観察から読み取っただけである。
そして、マリーアは口元に微笑を浮かべながら最後に告げた。
「彼も貴女のことはきっと大切に思ってる。だから、焦らずに相手との絆を大切になさい。その絆を恋人という形に出来るかどうかはこれからの貴女次第よ」
「は、はい!」
角の立たない一般論的なアドバイスを送るマリーア。
だが、そんなありきたりな言葉も、マリーアレベルの美女が言うとまるで至言のように聞こえる。
実際、明日菜は感激してしまっているようだった。
「なあ、マリーアさん達、いつまで麻帆良に居るん? ウチに占い教えて欲しいんよ」
「うーん、いつまで居るかはちょっと分からないのよね~。でも、ちょっとしたコツなら教えてあげるわ」
そう言って、マリーアは木乃香に連絡先を書いたメモを手渡した。
木乃香はメモを大切にしまうと必ず連絡すると約束する。
「ほな、またね~」
木乃香はニコニコと嬉しそうに明日菜と共に帰っていく。
蛮と銀次、そしてマリーアの三人は、去りゆく二人を微笑ましげな顔で見送った。
そして、明日菜と木乃香の二人の姿が見えなくなったところで、マリーア達の表情が真剣なものに変わる。
蛮は視線を強めて『本当の占い』の結果をマリーアに訊ねた。
「どうだったよ?」
「蛮の予想通りね。あの子もただの中学生じゃないのは間違いないわよ。私の『過去視』の魔術が完全に弾かれたわ。一体どのレベルの魔術まで打ち消せるのかは分からないけど、魔術・魔法を自動的に打ち消す能力を持っていると考えて良いでしょうね」
その結果を聞いた蛮は「やっぱりな」という風に溜め息を吐いた。
この学園には自覚の有る無しに関わらず、異常・異能を持つ能力者―――『逸般人』が多すぎる気がする。
そして、蛮は感心と呆れが混じったように呟く。
「しかし、この学園はマジで異常だな…。良くもこれだけの異常な連中を集めたもんだぜ」
ここまで来ると、もはや異常者・異能者の見本市である。
しかし、どういう訳かこの学園都市の連中は、そうした異常を当然のこととして受け入れている。
つまり、そうした異常を不思議に思われないようにするための何らかの『からくり』があると考えられる。
そのような『からくり』を学園側が作っていることを非難するようなつもりは蛮には無い。だが、もしも、そうした何らかの『からくり』の効果が無い一般人がこの学園に居たとしたら、その一般人は周囲との軋轢に苦労しそうだ。
(一人や二人はそういう奴が居ても不思議じゃねえ気がするけどな…)
3割くらいの思考で考える蛮。
そして、実際のところ蛮の推測はずばり当たっていたと言えるが、彼らがそのことを知るのはもう少し後になってからだった。
◆
蛮が麻帆良の異常性について考えているちょうどその頃、
(―――この学園は異常だ)
長谷川千雨という少女もまた麻帆良学園の異常性について考えていた。より正確に言うならば、子供の頃から毎日そう思っている。
メートル単位で吹っ飛ぶ学生。何故か集まる天才集団。学校に通うロボットを筆頭に女子中学生とは思えない濃い面子。オリンピック選手顔負けの速度で爆走する女子中学生。
(おかしいのはアタシじゃない! 絶対、この学園の方だ!)
そう思っていても、何故か周囲はそれを当然のこととしてと受け入れている。
そんな状況で自分がこの学園の異常さを声高に叫んでも、周囲との軋轢を生むだけだ。
ある意味、諦観にも似た境地に達した千雨は、出来るだけ周囲の人間と関わらないようになった。
ネットアイドルなんて趣味を持ってはいるが、それもあくまでネット上の付き合いだけでオフでのイベントに参加するようなことも絶対しない。
今日だってクラスの女子が占いを話題にして盛り上がっていたようだったが、千雨はそれらに関わることもなく足早に教室を後にした。
そして、その帰り道、千雨が下校途中の横断歩道で赤信号を待っているとき、どこからかヒラヒラと一枚のカードが舞い落ちてきた。
「ん?」
自分の足もとに落ちた一枚のカード。
そのカードを拾い上げた千雨は思わず感嘆の声を漏らした。
「へぇ…」
カードの裏側の面は魔法陣のような幾何学的な模様が刻まれている。
そして、カードの表側の面に描かれた精緻なイラストの美しさに千雨は数瞬、目を奪われた。
カードに描かれているのは雷の幻獣。右手を天に掲げ、荒々しい咆哮をあげる鎧を纏った獣人。そして、その咆哮に呼ばれた落雷が、全身を帯電させている様子が描かれている。
名は体を表すと言うが、まさにそのカードのタイトル通りのイラストであった。
「Thunder Emperor…雷帝か」
そう、千雨が呟いた時だった。
ドクン、と手に持ったカードから心臓のような鼓動を感じたかと思えば、手に持ったカードが眩い光を放った。
「っ!?」
数秒で光は収まり、静寂が戻る。
しかし、その時の千雨は本来と違う『何者か』の人格に乗っ取られた後だった。
千雨(?)は顔を上げ、自分の姿を確認するように見渡して溜め息を吐きながら言った。
「やれやれ…また面倒なことになったな…。まさか、この俺がこんな形でもう一度この世に戻ってくるとは…」
見た目には完全に女性の身でありながら『俺』なんて全く似合わない表現をしたのは、かつて天野銀次という少年に宿っていた別の意思。
かつて無限城世界において『雷帝』と呼ばれた最強の雷使い。文字通り無限のエネルギーを内包し、物理法則すらも無視した圧倒的な攻撃力と回復力を持つ最強クラスの怪物。
呪術王と刺し違えたことで一度はこの世から消滅したはずの怪物は、どういう訳か再びこの世に戻って来ていた。
「このカードが原因か…」
手元のカードに視線を向ける。
自分がこの世に戻って来る切っ掛けになったであろう『神の記述』のカード。
だが、自分という存在を呼び出しただけで全ての力を使い果たしたのか、カードのイラスト部分は真っ白の空白に変わっていた。
白紙になった今のカードからは最早何の力も感じられない。
バチッ!
彼女は電撃で手に持った白紙になったカードに火を点けると道路に向かって放り投げる。
火の点いたカードはものの数秒で灰になって燃え尽きて消えていった。
「……」
灰になって消えていくカードを静かに見つめながら彼女は少し考えていた。
ここが無限城世界とは違う別の世界だということは強制的に眠ってもらった宿主―――長谷川千雨の記憶を読み取ることで容易く雷帝には理解できた。
だが、わざわざ消えたはずの自分が呼び戻された理由が分からない。
「……一体何の目的で俺を呼び戻したんだかな、この世界は」
最後に呟くように言うと、彼女は肉体の主導権を千雨へと譲り渡した。
しかし、雷帝が表に出ていた時の記憶は千雨には無い。千雨の主観では、数秒の間、立ったまま意識を失っていたという感じだろう。
「あ、あれ?」
思わず間の抜けた声を上げてしまう千雨。
周囲をキョロキョロと見回すが、変わったことは何もない。
さっきのカードはいつの間にか無くなっているが、それ以外に何か変わっている事と言えば、横断歩道の信号の色が青に変わっている事くらいだ。
「一体、何だったんだ? さっきの…」
千雨は首を傾げるが、疑問に答えてくれる者など誰も居ない。
どこか違和感を感じながらも、千雨は再び家に向かって歩き出す。
結局、この日からしばらくの間は何事も起こらなかったため、千雨自身もこの日のことは完全に忘れていた。
しかし、彼女の内に潜んでいた『雷帝』がおおやけになるとき、彼女は自分が『逸般人』への仲間入りを果たしたことを知ることになる。
―――神の定めた運命すら捻じ伏せる力を持つ怪物。
そんな怪物をその身に宿した長谷川千雨という少女の運命がこれからどのように変わっていくのか。
そして、千雨の内に潜む『雷帝』もまだ知らなかった。こんな異世界に来てまで、蛮と銀次の二人に再び出会うことになることを。あの二人と再会することで、どんな運命の歯車が動き出すのか今はまだ誰にも分からなかった。