体が重い。
羽根をもぎ取られたかのような感覚だと、羽根なんて生えていたこともないのにアグネはそうとしか言いようのない倦怠感に苦しんでいた。
致命傷は避けたが、『切断』の勇者から受けた蹴りはかなり効いた。内臓が潰れたのか口からは黒色の血液が零れ落ちる。
なるほど、魔王様が危険視していた理由がわかった。
あの女こそ、魔王様が日頃から警戒していた魔王の対になる概念、本物の『勇者』だ。『
「ラクス、生きて……いるのか?」
もう一つの戦場、予想通り元魔王軍幹部の裏切り者、ギロンと戦闘をしていた魔王軍幹部、ラクスの元へと辿り着いていた。
戦場の真ん中でお互いの首を掴んだままピクリとも動かない様子に違和感を覚えたが、微弱ながら両者ともに心音がある。
「炎は、やはり出ぬか」
どのような術を施されたのか、異能が使えなくなっている。この状態での戦闘は少々どころではなく分が悪い。祝福や異能を持つ相手には、前提として同じく祝福や異能を持つ者でなければどれだけ腕を磨こうとも勝利するのは難しい。その力は本当に神の力の一片と言われても信じられてしまうくらいに、あまりに強大だとアグネは己の力を以て知っている。
アグネの異能は近付くもの全てを焼き尽くした。
それが何なのかは関係ない。炎はどんなものであれ関係なく灰にする。『
『なんでも使いようだと思うよ。キミの力だって、今みたくワタシを守る事に使えるんだから』
ボロボロの姿で、そんな炎に手を差し伸べてくれたのがあの方だった。
『
こんな自分に憧れてくれるような者がいた。ならば、自分は炎で良い。あらゆるものを燃やし尽くして、その果てにそれだけを守れればいいと思えるものがある、幸福な炎だ。
「一人で逃げないその意気は大したものだけど、逃げられる算段もなしでやることではないかな」
ぞくりと傷口を抉られるような声。
無機質な瞳でアグネを追っていた勇者が追いつき、その刃を彼に向ける。落ちていた毀れた槍を拾い上げ、炎を纏おうとするがやはり何をどうしても異能が発動出来ない。
「貴様は、我に何をした?」
「斬った。それが私に出来る唯一のことだから。何もかも斬り裂いて、平にしてやっただけ」
会話をしている気になれないほど簡素な言葉であったが、アグネは一つだけ理解出来た。
一時的だとか、そんな甘いものでは無い。
自らの異能はこの世から永久に失われてしまったのだと。
「アンタはもう私に勝てないよ」
「だろうな」
「だから、見逃してあげてもいい」
「そうか……助かるな」
一歩、アグネが後ろに下がると一歩だけ勇者も足を進める。その刃はアグネではなく、ラクスへと向けられている。
このままではラクスは間違いなく殺される。かと言って、既にアグネに出来ることはなく今は逃げて魔王に『勇者』の祝福についての情報を持ち帰るのが正しい行動だ。
「待て」
「…………見逃してあげてもいいって、言ったよね?」
「こちらが貴様を見逃せない理由が出来た」
「そう」
勇者はそれ以上特にアグネへ意識を向けることは無かった。彼女にとって、既にアグネという魔族は眼中に無い。その事をわかった上で、アグネは槍を向けた。
それが愚かな行為であることも、合理的では無い行為であることも、魔王軍幹部として間違った行為であることも理解していた。その上で、アグネは自分が自分であるためにこの行為に間違いはないと、選択をした。
「じゃあ、アンタから斬る」
アグネの100年と少しの生の中で、彼は己を鍛え続けた自信があった。得物は槍であったが剣であろうとそこらの人間には決して劣らず、異能の力だけにあぐらをかかずに己を磨き続けた。ここ20年、魔王と出会ってからは特に念入りに磨き、一つの到達点に至ったという感覚もあった。
事実としてアグネの槍による突きは、勇者の反応速度を上回っていた。決して退けない理由、負けられない理由を纏ったその槍の冴えは確かに一つの極点を名乗るに相応しい。
「……でも、そんなんじゃ
もしもその槍に異能の炎が乗っていれば致命の一撃になったかもしれない。だがそんな『もしも』は既に勇者が切り捨てた。
本来なら頭蓋を貫き脳髄を焼き切る業火の一撃も、勇者にとっては砂塵程度にも意識を割く必要は無い。ただ決して切れることはないと定めた己の体でその一撃を受け止め、自分はいつも通りに剣を振るうと
「ガッ……ァ……」
魔王軍幹部の中でも最強と謳われた戦士、『灼熱大公』はそうして胴を輪切りにされ、それでもしばらく立ち上がろうともがいて、まるで虫のように死んだ。
「さて、そこのお前はそのまま見てるだけのつもり? それならそれでコイツと同じように、虫みたいに殺してあげるけど」
「──────ぶっ殺してやる」
ギロンの首から手を離し、掴まれていた手を振りほどき、激昂したラクスは標的を勇者へと定め直す。ギロンとの我慢比べで最早肉体は限界ギリギリに近かったはずなのに、いつの間にか全身に力が漲っている。
ラクスは生まれた時から完全だった。
その異能『
だからなのか分からないが、ラクスは生まれつき何かを『学ぶ』ということが苦手だった。言葉も覚束ず、歩くことすらなかなか上手くいかず、一人では上手く食事も出来ない。強いだけで何も出来ずに死んでいくはずだった自分を拾ってくれたのが魔王様と、
どれだけ学んでも辺りを焼き尽くすことしか出来ない。どれだけ教えられても誰かを凍えさせることしか出来ない。
『ラクス。お前は物覚えが悪い。剣も槍も何度振るっても型が身にならず、術も使い方を覚えられない。だが、お前は一度だって努力することだけは放棄しなかった。その在り方だけでお前は灯火足り得る』
『アグネってラクスにだけ甘くない? ワタシはちょっとでも気抜いたらグチグチネチネチ言ってくるくせに』
『我が魔王様に厳しいのは貴方がそうするように言ったからです。そうしないとサボるからと』
『最初と比べて随分大きくなったからね魔王軍も。アグネくらい背丈があればこんな頑張らなくても威厳とか出たのになぁ』
何もかも壊すことしか出来ない私の唯一の居場所がここだった。
だから、私は壊すことしか出来ない災害のままで良い。そのままで、私の家族の敵を全て壊す。
「怒りで動くのは減点、動き自体は満点。妾を無視したのは、零点ですわね」
沸騰した血液を凍らせるような冷たい声だった。
胸部が急に寒くなり、少し視線を下げるとラクスの薄い胸から誰かの腕が生えて、それが心臓を引きちぎって掴んでいた。
「申し訳ありませんわね。隙だらけだったので、つい」
「ギッ……ロ、……なんで、だよ……」
瞳に最後まで憎しみと怒りを抱き、口から最後まで怨嗟を吐きながらラクスは地面に倒れ、血を流して動かなくなる。
最後の魔王軍幹部はそうして息絶えた。
「もう……何がなんなんですか本当に!」
急にリスカが飛び出してきたと思ったら、何もかも全部ぶった斬って、自分で蹴っ飛ばした相手を追ってどっかに行ってしまった。状況がよく理解できていないが、心配なのはリスカの精神面だ。
誠に遺憾ながら、リスカという少女に関してホシはべらぼうに詳しくなっている。表情筋の僅かな動きからだいたい全てを察することが出来るくらいには知っている。
そんな自分が、先程の勇者の表情からは何も感じ取れなかった。
あの意地っ張りでそのくせ泣き虫で頑固な女が、表情一つ動かさず戦うことなんてできるはずがない。怖さも弱さも何もかも我慢して無理やり自分を立たせることが
「リス……んぎゃっ!?」
「あ、神官ちゃん。ちょうど良かった」
噂をすればなんとやら。どこからともなく現れたリスカに、ホシは身長差故にそこそこ豊満な胸に顔を埋めることになってしまった。体格比なら自分の方が大きいので嫉妬したりはしない。そもそも可変であるホシにそういう感情はない。
「今魔王軍幹部っぽいの2体倒したんだけど、おっきい子人間の子が死にかけちゃってるから、貴方なら多分治せるでしょ? 剣はこのまま借りてくね。じゃ」
それだけ言うと風のような健脚で走り去り、リスカの姿は見えなくなってしまった。なんでこうもまぁ、揃いも揃ってうちの馬鹿達は自分勝手なのか。
どう考えても今のリスカは
ぶん殴ってでも引き止めて、泣いても気にせずに治療してやるべきではあると分かってはいたけれど、さすがに
出来ることなら分体を1人くらい付けて行ってあげたいが、全力で走るリスカに追いつく出力を出せる分体を作り出す余裕は、アグネにボコボコにされたホシには残されていない。
「全部終わったら泣くまで説教してやりますから、覚えておいてくださいね」
それはそれとして。
炎を斬り裂いて現れたリスカの事を不覚にもかっこいいと思ってしまったことは言わないでおこう。後で色々弄られる未来しか見えない。
あの神官の子の名前なんだったかなぁ。
そんなことを考えながら、足はなんの迷いもなく目的地に向けて動いていた。どっちが重要かなんて考えるまでもなく目的地なんだけど、あの神官の子の名前も大切な気がしてしまうのだ。
感覚が変だ。
背の大きな子が倒れて動かなくなった時も知らない人のはずなのにすごく心配だったし、そのことを神官の子に伝えたら何故か今度はすごく安心できた。もう大丈夫だと確証のない安心だ。
「知り合い……なわけないか」
客観的に、自分と仲良くしてくれるような子なんていないだろうし、特にあの神官の子なんてきっと優しい聖女様みたいな子だろうから自分とは性格が合わないだろう。
それに、
こういう時はどうすればいいかわかってる。少し集中して、余計な思考を
……先程までの悩みが吹っ切れて、思考がクリアになるし足も1秒前より速く動く。いいことづくめだ。
「大丈夫……まだ覚えてる。まだ、名前を言える」
もうどうして大切なのか、どうして忘れたくなかったのかも覚えていない、幼なじみの彼の顔と名前を思い浮かべる。
これだけは忘れない、これだけは忘れたくない。致命的に何かを間違えてしまった自分だけれど、きっとこれさえ手放さなければそれで幸せだと認めることができるから。
古い城の門を切り裂き、中を進む。
誰もいないその城は、外見に反して笑ってしまうくらい警備が薄くなんだか自分みたいだと変な笑いがこぼれてしまう。
階段を昇る。
近づく度にはっきりと伝わってくる。この先にいるのが自分の宿命。生まれた時から殺し合うことを定められた、ある種の半身。
「はじめまして、勇者さん」
「こちらこそ。早速だけどその首貰うよ、魔王さん?」
玉座に座す血のような赤黒い髪をした少女。
それが、全ての始まりでこの旅の終着点の姿だった。
・ラクス
魔王軍の末っ子ポジションにして完成された暴力装置。学習能力がないが努力家。目に付くものをひたすら攻撃して敵意を向けているその姿にかつての自分を重ねたアグネに拾われ、野生児から礼儀正しい軍人御令嬢に進化した凄い子。心の中で魔王をママ、アグネをパパと呼んでる。礼儀正しいので人前ではちゃんと義父さんと呼んでる。
・アグネ
魔王軍のお父さんポジションにして最古参。昔は荒れてたタイプ。魔王とは最初に出会った時に殺し合い、なんだかんだで共闘し、忠誠を誓うまでに一悶着あった仲。誰もが恐れる『炎』ではなくアグネという個人を見て手を差し伸べた彼女ならば王に相応しいと思い、彼女の王座の為に奮戦した。
ラクスのことは昔の自分と重ね、一番の部下として育てたがパパと呼ばれた時はどうしてこうなったんだろうなぁと思いながらも特に直させたりはしなかった。
・魔王
いよいよ後が無くなった。
・ギロン
我慢比べの勝者。うっかり心臓が止まっちゃった。
好き
-
リスカ
-
ホシ
-
スーイ
-
ギロン