勇者は従者を追放したい   作:ちぇんそー娘

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勇者は従者を

 

 

 

 

 その想いの強さを見ると、どうしてもむちゃくちゃにしてやりたかった。

 

 ワタシにもそういう相手がいたのをよく覚えている。

 親愛も、友愛も、恋愛も、情愛も。沢山沢山経験した。伊達にだいたい30年も生きてはいないんだ。好きだと思った相手くらい、数え切れないくらいいた。

 

 

「……いけないいけない。余計なことは、考えない」

 

 

 リスカ・カットバーン、勇者はもうこちらのものだ。だからあとは彼女の想いの原点さえ潰してしまえば、万が一にもそれが揺らぐことはなくなる。まさか、それが一度会ったことのある相手だったのは驚いたがこれもまた運命ってやつなのだろう。

 

 でも、様子がおかしい。

 彼女の祝福『神断祈泡(セレネ・へスペリス)』は彼女が切れると思っているものならどのようなものでも切れるはずだ。認識を入れ替える前の自分に効いたのならば、今の彼が切断されないのはおかしい。

 本当なら彼女の手で切り裂いて後顧の憂いの無いように断ち切りたかったが、ここは自分の手で斬り殺す方が良いかもしれない。そう思って剣を抜こうとした。

 

 

「さすがにそれはちょっと野暮だと思いませんこと?」

 

 

 意識外から拳が襲ってきた。

 掴みかかってくるかのようなその動きにこそ覚えはあったが、それがこの距離まで気がつけなかったことに何より魔王は驚いた。

 顔にまともに拳を受けた。それだけなのに、生涯でこれ以上の衝撃はなかったとばかりに視界がブレて体が飛んだ。

 

「ちょっとギロン、なんで掴まなかったの? それで動き止めた方が良かったでしょ」

 

「前に殴りあった時に一回掴んだけど、そこから脱出されたんですわよ。でも、殴ったのも効いてなさそうですわね。どうしましょうホシ?」

 

「うぅ……見られた。彼に気持ち悪いところ見られたぁ……もうやだぁ……気持ち悪いって思われちゃう、嫌われちゃう」

 

「今はそんなこと言ってる場合じゃないですわよ。立ってくださいまし」

 

 すり潰れた頭が時間を巻き戻すように形を取り戻しながら魔術師が現れ、両手両足を触腕のように伸ばして形を整えて神官が立ち上がる。

 

「やたら必死だと思ってた、ギロンの行動を隠していたのか。リスカ相手によくそんな余裕があるものだね」

 

「無いから全身切り刻まれてるんですが? あのバカ、本当に私の事死なない程度に好きなだけ切り刻んで。……おかげで気持ち悪いところ彼に見せちゃいました……ホンットにどうしましょう!?」

 

「元から顔面に死臭滲み出てるんで気にしなくていいですわよ」

 

「もう死んでるんでそりゃ当然ですよ。鼻の良い狗でもないと嗅ぎ分けられないくらい香りには気を使ってますが」

 

 ギロンの手を借りて、覚束無い足取りで立ち上がったホシは大きく息を吸ったり吐いたりする真似をする。別に酸素は必要ではないが、生きている振りをすると少しだけ思考が落ち着くのだ。

 

「それよりギロン、準備できたんですか?」

 

「スーイに言われた通り周囲走り回ってきましたわよ」

 

「OK。じゃああとは起動するだけだ」

 

 魔王は、すぐになんらかの大規模な魔術に備えて構えた。恐らく、『神断祈泡(セレネ・へスペリス)』の概念防御を越えられる代物ではないにしろ、無駄なことをするような敵ではないと。意識を研ぎ澄まして相手の殺意に対して敏感になる。

 

 

 

 

 そして魔王は、空を舞っていた。

 

 

 

 

「…………転移ッ!?」

 

 違う、今の瞬間猛烈な重力を感じたのは確かだ。つまり打ち上げられた。地面がせりあがって、転移かと勘違いするほどの速度で空に向かって打ち上げられていたのだ。

 

 だがそれ以外はなんともない。大した術式だが、高所からの落下程度とっくの昔に対抗策を手に入れている。すぐに地上に戻り、彼を殺しておこうと考えたところでまた何かがぶつかってきて魔王の体がさらに上に打ち上がる。

 

「まさか、ギロン達……時間稼ぎだけしか考えてないなこれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ホシ! とにかく弾幕張ってくださいます!? 何やっても下手くそなんですから数だけは負けたらもう存在価値ありませんわよ!?」

 

「そっちこそ大岩ぶん投げて確実に当ててくださいね! 逃げ道は私が封鎖しますから。スーイも、アンタが一番の頼りなんですからね!」

 

「任せて。飽和攻撃と計算は得意だ」

 

 

 

 地上から大量の射撃と、岩石の投擲と魔術の掃射が魔王の体を襲う。それらは決して肉体を傷つけることが、切り裂くことが出来ないがそれでも持っている運動エネルギーをぶつかった魔王の体に伝え、ほんの少し落下の妨げになる。

 

 特に魔術の掃射が厄介だ。まともに受ければ、永遠に地上に辿り着けないように魔王の体を景気よくポンポンとお手玉でもするみたいに打ち上げ続けるつもりだ。

 

「さて、それで本気出したところで私を何秒止められるかな?」

 

 剣を構え、切断の準備をする。どんな現象であろうと、その奇跡を得た今の魔王にとって切り裂けないものは存在しないのだ。焦る必要は無い。今は確実に、目の前の敵を殺すことが重要だから。

 なのに胸騒ぎがする。作戦は完璧にハマったのに、嫌な予感が胸から離れない。

 

 

 

 計算に集中するスーイと、一心不乱に射撃を続けるホシの横でギロンは投擲の手を止めずに、ほんの一瞬だけ意識を別の方向へと向けた。

 

 

 

「…………そう言えば、勝利祝いに飲もうと思って持ってきたお酒、もしかしなくても消し飛びましたわよね」

 

「間違いなく祝福製の瓶でも使ってない限りは液体が飲める状態では無いだろうね」

 

「ちょっと2人とも、そんなどうでもいい話してないでもっと真面目にやってくれません?」

 

「えー、じゃあもしも無事でもホシには一滴も分けてあげませんわよ? 王族御用達のお高いやつですのに」

 

「私は安くても量が飲めればそれでいいタイプなので。高いのは気分が良くなるんで好きですよ? でも正直、味とかよく分かりませんし。……そんなに、この行為は無意味だと思うんですか?」

 

 

 リスカと彼から全力で魔王を遠ざけ、2人きりの時間を作る。

 それに意味があるのかと言われれば、全くないというのが正解だろう。リスカに加えられたのが異能による力であるならば、それをどうにかできるのは同じく異能、またはそれに類する力だけだ。

 

 

 ホシの『生禍燎原(アポスタシ・サテライト)』は、死体でもない心を操ることなんて出来はしない。

 スーイの『骸天苅地(エスパシオ・ネゴ)』は、本気でやればリスカごと消し飛ばせるかもしれないがそれこそなんの意味もない。

 ギロンの『愛求虚空(ソリーテル・キャビテ)』は、目に見えない心なんてものを動かすことは出来ない。

 

 だからどうしようもない。現状の手札ではリスカ・カットバーンを取り戻すことは絶対に出来ない。

 

 それでも彼女達は時間を稼ぐことを選んだ。

 別に『彼』が奇跡を起こせると信じている訳では無い。彼が自分達に奇跡を起こしてくれて、その結果として今の自分があることは承知の上だけど、それはそれとして彼の能力的な無力さは完璧に理解している。

 

 

 だからそこにある理由は一つだけ。

 

 

「とりあえず、さっさと仲直りしてくれませんかねあの二人。パーティの雰囲気悪くなるんで」

 

「こういう時は二人っきりで話し合わせるのが一番だからね。それに怒りと殺意は一過性の感情だ。長続きするものじゃあない。ホシ、今回は割り込んじゃダメだよ」

 

「わかってますってば。でも心配でしょう? リスカ、ちゃんと言いたいこと言えればいいんですけれど」

 

 

 リスカ・カットバーンが敵であるならば、もう勝ち目はない。けれど、そうでないならば単純な話だ。

 喧嘩している二人がいるパーティなんて空気が最悪だ。そんな状態じゃ、魔王なんて倒せるわけが無いからさっさと仲直りして欲しいという話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 啖呵は切ったもののこれは無理だと思いながら真っ暗闇を見つめている。

 なんでこんなことになっているかと言うと俺も知らない。リスカに立ち向かったはいいもののぶっ飛ばされて多分地面か岩かに刺さっている。呼吸は何とかできているけどそれよりもプライドとかが折れた。

 

 ここまで派手にぶっ飛ばされて何されたか分からないとか、ほんとすげぇなアイツ。

 そう考えていたら、足が誰かに掴まれて視界が戻る。急な光に少し目が眩みながらも何とか目の前の相手に視線を向ける。

 

「なんなのよアンタ。どれだけぶっ飛ばせば死ぬの?」

 

「逆に俺がそれを聞きた」

 

 有無を言わさず、顔面が思いっきり殴られる。痛みとかはないけどとにかくものすごい衝撃で体が吹き飛びそうになり、腕を掴まれて吹き飛ぶからだが無理やり止められる。

 

「じゃあ死ぬまでぶっ飛ばす」

 

 ぶっ飛ばされて、引き戻されてまた殴られる。都合の良いサンドバッグに成り果てた俺は何か言うことも許されずにひたすら殴られ続けている。

 そもそも口が動かない。不思議なことに殴られた衝撃で頭蓋骨が弾け飛んだり、首が引きちぎれたりはしないがひたすら体が高速で振り回されているせいで血液の循環がおかしくなってるのか、視界がモノクロになって舌が痺れる。口を開こうにも拳で無理やり閉ざされる。

 

「リッ、おま、ちょ」

 

「…………」

 

「何か、言えッ、よホント!」

 

 こうなったら俺も奥の手だ。

 多分この世界で俺だけしか知らないリスカの『弱点』を使わせてもらう。

 振り抜かれた拳が顔面を狙っているものだとわかれば、それを狙うのは容易い。

 

 

「ここだッ!」

 

「ひゃっ!?」

 

 

 素っ頓狂な声を上げて身体を震わせたリスカは、猫のように飛び上がって思わず俺から手を離してしまった。

 

 手の甲をなぞっただけだと言うのに、相変わらず大袈裟なやつだ。昔から何故か手の甲がやたら敏感で触るのはいいが、軽くなぞったりすると変な声を出してしまうほどだった。まだ治っていなかったのかと思いつつもとりあえず殴られ続けるのからは解放された。

 

「昔からそこが弱いの変わってな──────」

 

「死ねッ! 死ね死ね死ね! この変態!」

 

 腹を蹴っ飛ばされてまた上空に打ち上げられる。

 視界の向こうで天と地がぶつかるような爆発が起きているのが見えた。多分ホシ達が向こうで頑張ってくれているんだろう。俺も頑張らなくちゃな、と思いつつもどうしようもなくてもう笑うしかない。本当にリスカってやつは天才だ。

 

 天才だからこそ、誰かが止めてやらなければいけなかったのに。

 

「リスカ、話を」

 

「うるさい」

 

 蹴飛ばされて地面に叩きつけられる。もう何回こうしているんだろうか。少しづつではあるが殴られた部分が痛み始める。俺を守っている何かが解け始めている。このまま殴られ続けるだけでは、俺は多分リスカに殺されてしまう。

 

「もう戦いたくないの。これを最後にしたいの、だからお願い。死んでよ!」

 

 本気なんだろうな。

 リスカの声色を聞けば、本気でそう思っていることくらいわかる。もしも俺がリスカに殺されて、リスカが幸せになれるんだったらそれはそれでいい。元から抵抗できる実力差じゃないし、喜んで殺されてやった。

 

「死んでやるかよ。お前がそんな顔してたら、俺は絶対に死んでやれない」

 

「口だけのくせに邪魔しないでよ!」

 

 本当に口だけで、いつの間にかリスカは俺に馬乗りになっていた。体は抑え込まれて身動き1つ取る事が出来ない。

 

「アンタが誰とか知らない、考えたくもない! 考えたって、辛いことしかない! ……でもようやく、何も考えずに、幸せだって思える場所に辿り着けたの」

 

 顔を殴り付けられる度に、痛みが増していく。

 何度か味わった明確な死のビジョンが迫ってきている。

 

 

 リスカと勝負すると、いつもこんな光景ばっかりだった。俺は絶対こいつに勝てないんだろうなって。夜空に輝く月に手を伸ばしてるみたいで。

 なんであんなにキラキラと楽しそうに笑えるんだろうって心の底から惹かれて、どうして俺はアイツに届かないんだろうと心の底から妬んで、そして同時に──────

 

 

 

 

「大好きなんだよ、俺は」

 

「私は嫌いだよ。お前を、殺したいくらいに」

 

「お前が笑ってくれるなら、それでいいんだよ。お前が幸せなら、全部いいんだ」

 

「なら、アンタが死んでくれれば私は幸せなの」

 

 

 

 ずっと隠していた本音。

 あの日、泣きじゃくるお前を見て抱いたものか。

 食い殺されそうになった俺を助けてくれた時か。

 流れるような剣技で何が起きたのかも分からないまま倒されたあの時か。

 

 違うだろうな。

 多分、出会った時からずっとそうだったんだ。

 

 

 

 ずっと最初からわかっていた。

 俺ではお前の隣に立つ資格はないんだってこと。

 

 俺には何も無い。お前の隣に立つに相応しいだけのモノが何も無いんだ。血統も、特別性も、才能も、何も無い。今の時代に魔族に故郷を滅ぼされた奴なんて珍しくもなんともない。

 

 子供の頃に魔獣を素手で殴り倒したり、大人の剣士に勝ってしまったりなんて話もない。俺は特別ではないんだ。

 

 夜空に輝く星のように、優しく皆を包み込むことは出来ない。

 空を駆ける彗星のように、誰かを照らして導くことも出来ない。

 誇り高き獣のように、決めた道を貫き通すことも出来ない。

 

 弱くて、矛盾ばかりで、頼りなくて、情けなくて、諦めの早い人間なんだ。

 

 それでもここまで戦ってこれたのは、光というものを知っていたからだ。

 

 

 人は頑張れない。

 人は弱い。

 苦しいことがあったら諦めたくなってしまう。リスカ・カットバーンという女の子もそうだった。天才で、なんでも器用にこなしてしまうくせに無理だと思うのは意外と早くて、苦しいことや頑張ることが苦手な面倒くさがりな女の子。

 

 

 でも、諦めなかった。

 リスカは諦めなかった。どんなに苦しくても、どんなに辛くても、アイツは頑張り続けた。何処か届かない空を見て、歩き続けていた。それを見て俺も思ったんだ。

 

 もう少しだけ頑張ってみようって。

 その輝かしく、あまりに痛ましい姿を見て思ったんだ。

 

 

 

「俺は、お前のことが、大好きなんだ」

 

「──────そう。私は、アンタの事が嫌い」

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺はお前のことが大好きだから。勇者なんてやめて欲しかった」

 

 

 

 

 ああ、そうだ。

 ずっとずっと、言いたかった。

 

 でも言うのが怖かったんだ。この言葉は、もしかしたらリスカという存在を否定してしまうかもしれないと。俺とリスカの唯一の繋がりを断ち切ってしまうんじゃないかって。

 

 でも口にしなきゃ思いは伝わらないからな。

 

 

 

 

「俺は、お前に戦って欲しくない! 傷ついて欲しくなかった! ずっと、俺の傍で笑っていて欲しかったんだよ!」

 

 

 

 

 それでも、どうしようもなく情けない、独占欲(オモイ)だったとしても。伝えないまま消えてしまうのはあまり勿体ないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いらないものは切り捨てた。

 それは別に強いからじゃない。私が弱いからだ。

 

 朧気な記憶の中で、私はいつも周りの人と差を感じていた。自分が特別優れている自覚はあったけれどそれ以上に、どんな人も自分よりなにかに頑張れていることが怖くて仕方がなかった。

 

 なんで痛いことも苦しいこともある『努力』なんてものを進んで自分からできるのだろう。どうしてこんなに頑張れるんだろう。

 

 

『■■■ちゃんはすごいよね、なんでも出来て』

 

『■■■さんは凄いですよね。私なんかじゃもう歯が立ちませんよ』

 

『おのれ……勇者! ■■■! 何故貴様はそれほどの力を……』

 

 

 そう言ってみんな私を特別に仕立て上げる。私じゃない私を見て、私に幻想を重ねて、私が私じゃなくなって。

 

 

 

『リスカはすげぇよな。でも、俺もいつか追いついてやるよ』

 

 

 

 それでも、1人だけいたんだ。

 私を追いかけてくれる人、私を追い越して、空まで駆け上がってしまう太陽みたいな人。

 

 

 

 

 ……あれ、違うよね? 

 私を救ってくれたのは魔王様だよね? 

 でもどれだけ頭を振り絞っても、その答えが出てこない。魔王様のことは嫌いじゃない。私はこの方と仲良くできるんだろうなぁとは漠然と思う。

 

 それでも、理由がない。こんなに臆病な私が、剣を振るうだけの理由が思い出せない。

 

 

「理由とか意味とか、どうだっていいよ。こうすれば幸福になれる。こうすれば、苦しまなくて済む」

 

 

 そうだよ。自分で考えてもずっと苦しいだけだった。でも、魔王様に全てを任せてからは楽だった。笑顔になれた、報われた気がした。想いが結実した、嬉しかった、楽しかった。

 

 こうするのが一番楽なんだ。きっと、この方は私を何処かで切り捨てるそんな予感がするけれど、それでも今は幸せで切り捨てられたとしても私はこの方の役に立てたなら幸せだ。それで人生の全てを喜べるくらいに幸せだ。幸せだ! 

 

 

 

 

 

 

『大好きなんだよ、俺は』

 

 

 

 

 

 

 そんなくだらない言葉に、殺意も憎悪も熔けてしまっていた自分がいた。

 

 一目惚れ、とでも言うのだろうか。でも違う。この気持ちは魔王様に捧げた気持ちだ。だから、こんな気持ちを殺さなければいけない魔王様の敵に抱くのなんて間違いだ。

 

 切り捨てたはずの想いが脳の中で軋んだ音を立てていた。

 自分というものを削ぎ落として得たはずの力が歪んで、吐き出してしまいそうになりながら目の前の敵を殴り続ける。

 

 

 

『俺は、お前のことが、大好きなんだ』

 

 

 

 踊り出しそうになる気持ちを抑えて、もう殆ど抱いていない殺意を込めて殴り続ける。

 嬉しい、心の底からその言葉を嬉しいと思う。それでもこれを認めてはいけない。だってこれは『毒』だ。この感情を求めれば、また私は苦しむことになる。

 

 魔王様は私を最も簡単に楽にしてくれる。私が望む言葉を、展開を与えてくれる。こんな鈍感野郎なんかと違って、全てに応えてくれる。

 もう悩む必要なんてない。私は私のまま、受け入れてもらえる。

 大嫌いな努力も苦しいことも、もうおさらばできる。だから、その言葉はもう遅すぎるんだ。

 

 

 

『俺はお前のことが大好きだから。勇者なんてやめて欲しかった』

 

 

 

 ……なんだ、そう思っていたんだ。

 じゃあもっと早く言ってくれればよかったのに。そう思いながら、殴る手を止めない、止められない。もう遅いんだ。たとえやり直せるとしても、もうあの辛い道に戻ろうと思えない。

 

 勇者であろうとすることは苦しかった。辛かった。それでもそうじゃなければ私に幸せを夢見ることすら許されないと、自分を定義してしまった。弱くて情けない自分の素を見せたくなかった。

 

 ごめんなさい。貴方は優しい人だってわかってたのに、私は自分の弱さ故にその優しさを踏みにじってしまう。受け入れてくれるとわかっているのに、楽な方へと逃げてしまう。

 

 

 

 

『俺は、お前に戦って欲しくない! 傷ついて欲しくなかった! ずっと、俺の傍で笑っていて欲しかったんだよ!』

 

 

 

 

 その言葉を聞いて、手が止まった。

 本当に本当に嬉しくて、本当に本当に悲しくて、本当に本当に悔しくて。私はその言葉を受け入れる資格がないのだろうなと、首を引き裂いてしまいたくなった。

 

 手を伸ばしてしまえば弱くなる。切り捨てることで強くなった自分は、拾ってしまえばまた弱くなる。

 

 

 

 

「お前には向いてないんだよ。勇者なんてやめちまえ」

 

「……簡単に言ってくれるよね」

 

 

 私がどれだけ悩んだと思っているのだろう。

 ここまでの努力を全部否定して、ここまでの苦しみを全部否定されて、最初からこうしておけと、理不尽な正解を叩きつけられる。

 

 これを正解にしてしまったら、私はきっとまた苦しみ続けるだろう。どれだけ認めてもらえても、私は弱いからそれを受け入れられずにどうにかして完璧な自分を作り出そうとする。認められる自分を作り出そうと、またもがき苦しむことになる。

 

 

 それでも、だ。

 リスカ・カットバーンは従者で良かった。

 輝きに向かって歩き続ける貴方の背中を追い続けることは、どれだけ辛い道のりであろうとも不思議と胸が踊っていたから。

 

 リスカ・カットバーンは、勇者で良かった。

 どれだけを遠く見えない道を歩んだとしても、貴方が必ず追いついて、寄り添って、引き摺り堕としてくれるから。

 

 

 

 

 

 だから、リスカ・カットバーンは成りたかった。

 愚かで勇敢で、無謀な君が、誰にも傷つけられず、誰にも汚されず、いつまでも私の隣で笑顔でいてくれるような。そんな自分に。

 

 

 

「両思いじゃぁ、仕方ないよね」

 

 

 

 そんなに思われていたんじゃ仕方ないけど頑張るしかない。

 どんなに苦しくても、どんなに辛くても、私は貴方と一緒にいたい。それだけが私の断ち切れない想いなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬乗りから解放されて、泣きじゃくる女の子をただ抱きしめた。これくらいしかできることが思いつかなかったし、これくらいしかやれることは無かった。でも、これくらいのことが出来たなら、今までの苦難には確かに意味はあったんだと思う。

 

「もう、戦わなくていい。傷つかなくていい。苦しまなくていい」

 

「いいの? それじゃあ私、ただ偉そうで才能だけはある面倒くさい女になっちゃうよ?」

 

「自覚があるなら前よりずっといい。それに、これが俺の願いだったんだよ」

 

 

 一発当ててやったと、はじめての笑顔で。

 それでいて、燃えてなくなった故郷での日々を思い出すかのような笑顔で、俺はリスカにこう言った。

 

 

 

 

「俺はお前を、追放してやりたかったんだからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







・勇者
空に輝く太陽のように、激しく焼き付き手の届かないモノ。
空に佇む月のように、儚く光り手の届かないモノ。


・従者
空に浮かぶ貴方にただ隣で当たり前の笑顔を浮かべていて欲しかった傲慢なモノ。






好き

  • リスカ
  • ホシ
  • スーイ
  • ギロン

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