「……っぅ」
隕石でも落ちたみたいな周囲の惨状と、見たことない景色が目に入ってきて、すぐに何が起きたかは理解が出来た。
魔王のものと思われる返り血が衣服を濡らし、立ち上がるのに普段よりも体に重さが感じられた。命を懸けた戦いが終わったという安堵が、その重さと共に心地よい疲労となって全身を駆け抜ける。
「勝った、のか……?」
こうして目を覚ませたということはその可能性が高い。 まさか上手くいくなんて、俺ですら思いもしなかったが。
俺が外したならば、リスカと俺は間違いなく魔王に殺されているはずなのだから。
だが、安心はできない。魔王の死体を確認して、確実にトドメを刺したという確信が得られなければまだ俺達の勝ちではない。
『……あー、聞こえますか?』
「この声は……ホシ!?」
声が聞こえた方向に目を向けても、そこにホシの姿はない。そこにあるのは、なにかの肉の塊のような蠢く物体だった。
「…………ホシー!? し、死んでる!?」
『あー……まぁはい。これは私の異の、祝福の応用みたいな感じなので本体は無事です。気にしないでください』
こんがり焼けた肉の匂いがする物体からホシの声が聞こえてきている事実に少しだけ脳がおかしくなりそうだったが、ホシの声色が非戦闘時の穏やかなものになっていることに気付いてとりあえず俺も落ち着きを取り戻せた。
「とりあえず、勝った、のか?」
『はい。恐らくですけどね。周囲に貴方以外の生命反応もありませんし』
明らかにただの肉塊だが、ホシは俺よりも周囲の状況を把握しているようだった。
ギロンとスーイの力を借りて超高速の砲弾として魔王に突っ込んだ俺は、そのまま魔王と一緒に吹っ飛んでようやく止まったのがこの辺りな様子。周囲の悲惨な状況が、俺達が如何に高速で突っ込んできたかを如実に告げている。
「自分で言うのもなんだけど、よく俺無事だったよな。リスカの祝福って凄」
そこまで言いかけて、表情のない肉塊ではあるが、それを通して俺と会話しているホシの表情が明らかに不機嫌なものになるのを感じ取ってすぐに口を噤んだ。
『着弾の瞬間までです』
「え?」
『リスカは負傷して、貴方が魔王とあつーい接触をしてすぐに意識を失って、同時に祝福の効力が途切れました』
「なんか言い方に悪意あるな……。ん、待てそれって」
スーイが俺に施したのはほぼ加速用の術式だけだったし、ギロンに至っては力いっぱい押してきただけ。そして、俺の身を守っていたリスカの祝福が無くなれば、俺の体は当然高速移動になんて耐えられるはずのない普通の生身の体になる。
『咄嗟に私が貴方を守るためにそこの肉塊になっちゃってるものを貼り付けてあげなかったら、今頃ミンチですからね?』
「……ありがとなホシ。まさか、生きて魔王を倒せるなんて思ってなかった」
『何言ってるんですか。貴方を死なせるつもりは私達の誰にもないんです。死ねるわけないでしょう?』
「それもそうだな。ホシ達に俺が勝てるわけもない」
『そういうことです。わかったならさっさと戻ってきてください。スーイもギロンも、無理して動いてたみたいで今は気を失ってますし、私もリスカも似たようなものなので自分で歩いて』
クレーターの様子からホシ達がいる方を見てみるが、最低でも地平線の向こう。同じく疲労困憊の体で歩く距離を想像してさすがに大きな溜め息が零れてしまう。
だが、ようやく終わったのだ。
言いたいことも言えた。やりたいこともやりきれた。だから、もう少し頑張ればいいだけ。そう思うと足に力が湧いてくる。
足に力を込めて、その場から立ち去ろうと一歩、前に出す。
「そうだ、ホシ」
『どうしました? 迎えにはいけませんからね? リスカもなんだかんだ、重傷なんで』
「この肉塊って、ホシがある程度操れるんだよな? 武器の形とかにできるか?」
『……何故、ですか?』
ホシの声に緊張感が戻り、それだけで俺のいるこの空間まで空気が張りつめるような感覚があった。
「いや、帰りの結構道のりが長そうだからさ。ここで野生動物に襲われて死んだりしたら嫌だし、何より杖代わりにもなる」
『うーん……声色から嘘はついてなさそうですね。分かりました。もうそろそろこの肉塊とは接続が切れそうなので、最後にやっておきますね』
ではお気をつけて、みんな待ってますよ。
そう言ってホシの声は聞こえなくなり、肉塊があった場所には一振の剣が置かれていた。
重さは見た目に反して軽いが、かなり良く切れそう。軽く撫でた指の腹の皮が薄く切れている。それを確認してから俺は、進むべき方向から
「女の子を騙す時ばっかり声が優しくなって。あんな声で言われたら惚れてる相手ならそりゃあ信じちゃうだろうね。キミ、そういうところが嫌いだなぁ」
「ホシは意外とモテるんだよ。そもそもそういうのじゃねぇから。それに、女の子を安心させる為の嘘は男の勲章だって、アンタらに殺された父親から教わってるんだ」
水が滴る音がした。
相変わらず俺の目には生物の姿は映らない。ホシの言っていたとおり、この辺りの生き物は俺たちが突っ込んできた影響で逃げてしまっているのだろう。
そして、魔王は死んだ。
間違いなく、その命を仕留めた。
「魔王の次は不死王にでもなろうってのか?」
「魔王以外になるつもりもないし、今更なれもしない。それでも、ワタシはここで死ぬわけにはいかないんだよ」
目の前に立っているのは、死体だった。
片腕がちぎれ、頭部が欠けて脳漿が飛び出している。腹部には岩片や木片が幾つも突き刺さり内臓も零れ引きずっている。
辛うじて繋がっている左腕に握られた剣を支えにして、立っていると言うよりは寄りかかり倒れるのをふせいでいる。
何より、それだけの負傷をしているのに血がほとんど流れていない。まるで、もうその流れを作る心臓が止まっているかのように。
「リスカ・カットバーンは削ぎ落とすことにより究極の一にたどり着こうとした。なら、魔王であるワタシは何も捨てないことで究極の一になる。数多の異能を集めたこの体は、既に生き物と呼ぶには歪過ぎるものだった、ってことだろうね」
それは間違いなく死体だった。
それなのに、動いている。確かに魔王という個体の思考と記憶と、意志を持ち合わせている。
「殺したと、思ったんだけどなぁ」
「死んだって言ったじゃん。実際もう死に体だよ。肉体を維持するので精一杯。異能だって使えない」
「それ、俺に言っていいのかよ?」
「別にいいでしょ。だってキミ、ワタシよりずーっと弱いから」
いつかの出会いのように、エオス・ダクリは俺を見下して笑っていた。
その笑い方はリスカにそっくりで、それでいて何処か違っていて、見ていると胸が苦しくなる。
暁の光に照らされたその少女の顔は、生存を許してはいけない宿敵と呼ぶにはあまりにも儚くて、彼女と出会ったあの日のことを思い出させる。
「……あの町で、魔王軍が行動するって知ってたんだよな。だから、俺を止めたんだろ」
「そんなんじゃないよ。キミには、なにか惹かれるモノがあった。自分で言うのもあれだけど、魔王であるワタシが惹かれる程の何か。そんな不確定要素をエウレアと引き合わせたくはないと思っただけ」
嘘は言っていない。
少なくとも俺にはそう感じられる。魔王とまで呼ばれた少女の腹の中なんて、俺なんかに読むことは出来ないのだから考えるだけ無駄かもしれない。
「はぁ……じゃあ、殺し合うか」
ホシに作ってもらった剣を不格好に構える俺を見て、魔王は何がおかしいのか少しだけ笑っていた。
「なんだよ。こんなとこまで来て、そういう殺しづらくなる顔やめてくれよ」
「いや、よくそんなに割り切れるものだなって。キミはワタシに同情してる。親近感を覚え、善悪で言えば善の思考を持ち、できることなら殺したくないと思っている」
「すげぇな。全部当たってる」
「勉強したからね。……そして、その上で殺すことに一切躊躇いがない。はっきり言って普通の人間の精神構造じゃない」
「そりゃあそうだろ。真っ当な人生を送ってきたつもりなんてないからな」
そもそも思い返してみれば、割と早くに両親が亡くなってその後はずっと旅をしていたわけで。
両親が死んで、帰る場所を失って。あの日に俺は一度確かに死んだのだ。生物的な死ではなく、人間として一度そこで終わっていた。
それでも、俺が今日ここまで生きてこれたのは出会いに恵まれたからだ。
炎の中で助けなきゃいけないあの子の声を聞いて、ここで死ぬ訳にはいかないと己を奮い立たせられた。何も助けられない、何も出来ない無力な自分にも、価値があるものだと思い込むことが出来た。
あの日、本当に命を救われたのは俺の方だったんだ。
「……やっぱ、今はそれなりに真っ当な人生を送ってこれたって思うかもな。良い幼馴染がいて、良い仲間がいて、良い師匠がいて、あと変なストーカーみたいなやつがいて」
「キミの旅は、楽しかったみたいだね」
「そうなのかもな。色んなやつに出会って、色んなやつに教えて貰って。一人前の人間にして貰えたんだ」
だから今では胸を張ってこう言える。
色んな人が殺されて、色んな悲しいことがあって、色んな辛い出来事があったこの世界が、この世界でした自分の選択が。その全てが大好きだと。
「じゃあ、ワタシを殺すのは世界を守る為?」
魔王は俺に対してそう質問した。
だから、俺はこう答えた。
「
「……そうだ。君はそういう人間だ。優しくて、非情で。でもやっぱり優しいんだ。だからこそ、未練の残らない選択をできる」
魔族と人間。
決して相容れない自分達。それでも言葉が通じて、心を持つ自分達ならもしかしたらって。
「リスカが、ホシが、スーイが、ギロンが。明日も笑顔で暮らせる世界にお前は───」
「
夢に見たような相互理解に唾を吐く。
邪魔だから、殺す。
譲れないから、殺す。
己の欲望の為に、世界中全ての敵を殺し尽くしても構わない。
世界すら滅ぼすその意志を持つものを、昔の誰かがこう名付けた。
魔王、と。
暁に照らされながら、二人の魔王が剣を交える。
エオス・ダクリはどこにでもいる弱い魔族だった。
弱いが故に群れから見放され、弱いが故に餌にありつけず、弱いが故に死ぬ。そんな普通の弱い魔族だった。
「なんだお前。そこは私の寝床なんだけど。……何、死にかけてんの? やめてくんない? そこで死なれたら寝心地悪くなるじゃん」
レニヨンと出会ったのは、数週間ろくな食事にありつけなかったエオスが弱り果て、偶然にも彼女の寝所に転がり込んだことが始まりだった。
レニヨンは卓越した剣技を誇り、人間魔族問わずに『剣鬼』として恐れられている魔族だった。
近づけば何もしてなくても切り殺されるだの、同族からすらそんな風に恐れられている彼女。しかし、エオスから見たレニヨンと言う魔族はそんな噂とは違っていた。
「ほら、人間の肉だよ。……何って、保存してあるんだよ。別にいいから食え。ここで死なれた方が嫌なだけだよ。お前に死なれたら化けて出てきそうで怖いじゃん」
そう言って、弱りきっていたエオスに食事をくれた。
それどころか怪我の手当もしてくれたし、寝床も提供してくれた。最初こそ、エオスは素直では無いのだと思っていたが、どうやら本気で幽霊や霊魂と言ったものを信じ、恐れているのだと知った時は思わず笑ってしまったが。
「何か恩返しがしたい……? いや、そう言われてもお前くっそ弱いし足でまといじゃん。あ、待て泣くな! 悪かったから! あー、じゃあそうだな……まずは稽古だ。稽古つけてやっから、強くなってからな?」
レニヨンは強くて長生きな魔族だったからたくさんのことを知っていた。
剣術についても詳しく、人間の言葉や知識、法や習性。それからこの世界の色々なことを知っていた。
「お前も異能を持ってるんだろ? ならそれでどうにか……使い方がわからない? ……そういうやつもいるんだな」
レニヨンは短気で怒りっぽく、それから短気で、あと短気で。いつもなにかに怒っているような魔族だった。天気にも気温にも空の明るさにも暗さにも、人間にも魔族にも、何よりエオスにも厳しかった。
でも、優しかったとも思う。エオスはレニヨン以外の他人から優しくしてもらったことは無かったから、価値基準としての優しさは知らなかった。
それでも、人間が記した概念としての『優しさ』を、自分がレニヨンに与えてもらっているものだと定義できた。
「ワタシ、レニヨンとずっと一緒にいたいな」
「何だ急に気持ち悪いな。私はごめんだね。お前とずっと二人っきりとか、寿命より先に子育て疲れでくたばりそうだよ」
「じゃあもっとたくさんの友達と一緒に、みんなでずっと一緒に笑いあえたらいい?」
「……いいんじゃねぇの。それがお前の夢なのか?」
「んー、わかんない。でも、そっちの方が楽しそうじゃない?」
エオスは幸せだった。
世界の広さも恐ろしさも、知って尚レニヨンと洞穴から見上げる空の色が好きだった。それだけがあれば何もいらないと心からそう思っていた。
大切な人と、大切だと思える時間を許される限りずっと。
それこそがエオスの幸福であり、それだけしかエオスは求めなかった。
身に余る欲は破滅を招く。本能的にそういうものだと直感していたエオスが望んだのは、ほんの小さな、些細な幸せだけ。
「…………エオス。悪い。しくじった。私は、これから死ぬ」
そう願った、次の日の事だった。
それすらもお前には過ぎた願いだと言われたようだった。
片腕を失い、全身の至る所から血を流して。焦点の合わない濁った瞳で帰ってきたレニヨンは、その日の夜に息絶えた。
彼は決して弱い人間ではない。
それが人にできることならばなんだってしてきた。鍛錬だって怠らなかった。戦術についても学び、魔術に関しては才が無かったが対抗策を学ぶことは忘れなかった。
彼を弱いと言う人間はそうそういない。だが、祝福や異能を持ち、技を極めた化け物達の戦闘に割り込める程ではない。
対する魔王はその化け物そのものだった。
確かに彼と同じく才能はない。だが彼女には異能があった。託された思いがあった。背負っている重さがあった。
その重さに負けないように鍛え続けた少女の体は、いつの間にか限界の先の先の先。本来ならばありえないほど強靭に成長していた。
「はぁ、ッ、ァ、魔王のくせに、俺なんかと互角でいいのかよ?」
「ここまで死にかけの、ワタシ相手に、圧倒できないなんて。キミみたいな弱者がこの戦争を生き抜いたことが、一番の奇跡だろうね」
魔王は既に死に体。
ちぎれた神経、ひしゃげた骨、潰れた臓器。本来ならば死んでいるはずの体を幾つもの異能の力で無理やり動かして生きている、いや動いている死体そのもの。執念の化身とも呼べるその姿は、可憐な顔立ちを差し置いても悪鬼羅刹の如き圧を放っている。
「……もういいだろ。譲ってくれよ」
「何が、いいんだよ」
「お前の仲間は……みんな俺達が殺したんだ。これ以上、戦う理由はないだろ」
魔王の剣からほんの少しだけ力が失われる。
その隙を彼は見逃さず、緩んだ剣筋を自らの剣で逸らし、魔王の懐めがけて渾身のタックルを叩き込んだ。
たかが人間の男一人の突撃。魔王と呼ばれた彼女が本来その程度でどうにかなるわけが無い。
はずなのに魔王の体は面白いくらいに吹き飛んで、傷口から零してはいけない肉の塊が零れ落ちる。
「そう、かもね。もう戦う理由なんて無いかもしれない」
「なら大人しく死んでくれ」
「キミに殺されるなら悪くないかなって、本当に思ってたんだよ。でもさ」
それでも、魔王は立ち上がった。
「やっぱりさ、許せないんだよ。ワタシの仲間達はみんな死んだ。ワタシも、もう既に死んでいる。負けなんだってわかっていても、許せないんだよ」
「ワタシ達が死んだ後、キミ達が幸せそうに暮らしているところを想像すると、悔しくて苦しくて、少しだけ嬉しくて。吐き気がするんだ」
たった数匹の獣の集まりを文明を滅ぼすに足る軍勢にまで纏めあげ、その頂点に君臨した者。
魔王と呼ばれた彼女の顔は、雨に濡れた少女のように涙に歪んでいる。とても彼女を魔王だなんて思えない。でも、だからこそ彼女は魔王になることが出来た。
「ベルティオは、花が好きだったんだ。本当は戦うことなんかよりも、花を育てて生きていきたいって言ってた」
「……リスカだってな、花くらい好きだよ」
「アグネは酒が好きだった。色々試して、自分で酒を作ったりもしてたんだけど自分の炎で一度全部ダメにした時はすごく落ち込んでてね、らしく無さすぎて悪いんだけど笑っちゃったんだ」
「ホシだって、酒が好きだよ。いっつも吐くほど飲んで後悔してるのに、何度言ったって酒の席ではいつも笑顔でガバガバと飲んで、吐いて、馬鹿だって思うけど、そういう時のホシは周りも笑顔にするからさ。あんまり強く言えないんだよ」
お互いに自分が何を言っているのかも、相手が何を言っているのかもよく分からない。今のこの場で話すべきことでは無いことだけはわかっているが、止める気にもならない。
体力の限界。剣を握る手が震え、ぶつかり合う剣戟の音すらも疲労が滲み出る中で、彼らは旅路を懐かしむように口を開いていた。
「グレイリアは騙すのは得意だけど、実は騙されやすくてすぐに嘘を吐くノティスと顔を合わせる度に喧嘩してたんだ。でも、ノティスは相手をからかうのが確かに好きなところもあったけど、よく相手を見てガス抜き程度に留めていてさ、本当に助かったよ」
「スーイもよく俺達のことを見てくれてた。無茶なこと言ったり、変なこと言ったり、本当によくわかんないことが多いけれど、アイツは絶対に俺達が無理なことは言わない……って、思えるような、よくわかんないけど、優しさを感じるんだ」
「それを言うならラクスやヒルカだってさ……」
「なんならギロンだって……」
「あ、ギロンは私も知ってるからいいよ。彼女、この世界で生きるのがとても苦しそうだったろ?」
「……ああ。それでも、アイツはすごいやつなんだよ。俺だったら、惚れたなんてただそれだけで全てを賭けられない。アイツは誰よりも純粋で、だからこそ複雑な世界は息苦しいんだ」
「そう……。あの子はキミという理解者を見つけたみたいだね。それなら、まぁ良かったかな」
殺し合いの場に似つかわしくない思い出話、世間話。その中で魔王と彼はお互いにお互いを理解する。
ああ、コイツは。
この世界が好きなんだなって思えた。
大切な仲間たちと出会えて、大切な時間を共有できたこの世界が好きなんだ。
だからこそ。
「俺が」
「ワタシが」
愛した世界に。
仲間を苦しめた世界に。
大好きで、壊れてしまえばいいと思う世界に。
「「オマエの愛は、邪魔だ!」」
相手の世界を、思いを否定する。
そんな世界滅んでしまえと、叫ぶように剣を振るう。
きっと目の前の敵は優しいやつだ。
きっと目の前の敵は悲劇を許さないやつだ。
だからこそこんなに心惹かれた。
だからこそ有り得もしない『もしも』を思い浮かべた。
「もしも、キミが魔王軍にいてくれたら」
「もしも、お前がリスカの友達になってくれたら」
きっとワタシは君を愛した。
きっと俺はお前を好きになった。
けれどそんな言葉は必要ない。
ここにいるのは魔王と魔王。世界を滅ぼす意志を持ったもの達。
「死ね、死んで! お願いだから死んでよ! そしてワタシ達に道を譲れ! 世界も、文明も、何もかも!
「文明とかなんていくらでもくれてやるって言ってんだよ! リスカを、傷つけんなバカ!」
「足元に爆弾が埋まった世界で安心して暮らせるわけないだろ! 勇者が殺されることで、ようやくワタシ達は安寧を得られる、勝利に到れる!」
「なら死んじまえバーカ! リスカが死なないと得られないような安寧になんて、クソほどの価値もねぇんだよ」
「あんな……あんなワガママでどうしようもない女の命が、命を含む全てを賭けても皆が得られなかったものよりも、価値があるわけないだろォ!」
「ワガママでどうしようもなくてもいいところもあるんだよ!」
相手に勝ちたいと、心の底から思えない。
お願いだから倒れてくれ、死んでくれ、譲ってくれと願いながら戦っていた。殺意と怒りと涙でぐちゃぐちゃの顔で剣を振るっていた。
そう言えば、あの日もワタシは泣いていたなぁ。
エオス・ダクリはいつかの涙を思い出した。
「ごめん、やっぱり負けられないや」
「そうかよ」
既に去っていった仲間達の思いを胸に、魔王は未来に向けて剣を振るう。
今此処にある愛を胸に、彼はその未来を阻む為に剣を振るう。
金属が砕ける音が響き、刃が肉を抉る感触が手に広がる。
地面に血が撒き散らされ、手から刃が滑り落ちる。静寂が広がり、夕日が世界を赤く染めあげていく。
「……終わりだ。魔王」
彼は魔王の腹にさらに深く剣を切り込みながらそう告げた。
数多の異能の力を失い、自らの剣を破壊不能にする『
剣を失ったその瞬間の隙。
叩き込まれた一撃は間違いなく致命傷だった。
「──────あ」
致命傷。
絶対の勝利の確信。
「キミは、祝福も異能もない。だから、仕方ないことだよ。『殺して終わり』なんて、そんな常識的な戦い方するわけないだろう」
魔王と同じように致命傷を負いながらも、リスカ・カットバーンの片足を塵にした魔族が居た。
頭を完全に粉砕されたにもかかわらず、ギロン・アプスブリ・イニャスの眼球を奪った魔族が居た。
下半身が消し飛ばされようとも最後の瞬間まで魔王の為に尽くした魔族を、龍骸精霊は知っていた。
彼らのように精神の力だけで肉体の死を瞬間的に克服した存在を知っていたのならば、彼はここで確信を得ることは無かったかもしれない。
だが、彼は凡庸な人間だった。
彼が戦えるような敵の中で、殺しても死なないような者がいなかった。ただそれだけの理由。
「ワタシの勝ちだ。勇者くん」
魔王は既に死んだ肉体が『
最後まで魔王の目を見続けて戦った彼だからこそ、魔王が既に死んでいるという事実が戦闘の中で頭から抜け落ちた。
回避や防御を取るよりも早く、魔王の渾身の蹴りが彼の腹に突き刺さる。
全盛期の全力ならばこの一撃で彼の肉体が柘榴のように弾け飛んでいたが、既にちぎれかけている足から繰り出される蹴りの威力は、その数十分の一もない。
それでも普通の人間一人が受けるものとしては十分過ぎる威力だった。
彼の体は吹き飛ばされ、背後の木にぶつかって止まる。痙攣する横隔膜で必死に呼吸をしようとしたが、一気に空気を押し出されたことによる酸欠と後頭部の強打。そこに先程までの激戦の疲労。限界を迎えた彼の意識は闇の中に落ちていった。
「ギロン! 血を止めてって言ってるでしょう!? ちゃんとやってください!」
「やってますー! 下手に移動を奪いすぎると全身の血流止めちゃうんですわよ! ……あぁ、傷口の大きさから考えられない量の血が出てますし、組織が壊死を繰り返してるし、なんなんですのこれ?」
「魔王のヤツめ、リスカを道連れにするつもりだったんだろう。最後に全身全霊の呪いを刻んでいったみたいだ。リスカじゃなかったら、治療の暇すらなく全身が腐り落ちて死ぬ事も出来ない奇形に変生させられてただろうね」
うるさいなぁ、と思いながらリスカは目を開ける。
目に映ったのは、黄昏の空。いつかの海辺でみたものとそっくりな、闇と光の狭間の空の色。
「……リスカ!? 目を覚ましたんですか!?」
「ホシ、なんか、お腹痛いんだけど。私何が……」
「喋らなくて、大丈夫ですよ。何も心配しないでください。絶対に死なせてなんかやりませんから」
いつも憎たらしい言葉しか吐かないホシが、妙に自分に優しい。
ギロンもスーイも見たことない表情で必死になにかしている。それが何故なのか、リスカは考えようとしたが頭が上手く回らない。
「えぇ……私死ぬの?」
「そうならないように頑張ってるんだからあんまそういうこと言わないでもらえます!?」
ホシの口調は間違えてホシが楽しみにしていた酒瓶を叩き割った時よりも怒りに満ちていて、リスカは大人しく口を閉じることにした。
それに、言葉は今は必要ないだろう。
みんなの顔を見れば自分が今ここで死んだとしても死なせて貰えないことくらいわかっている。
そもそもせっかく魔王を倒したのだ。こんなところで死ぬわけにはいかない。
「まだやりたいことがあるからさ、死なせないでよ」
「──────あぁ。君の人生はここからだ。ちょっと痛いかもしれないけど、くたばらないように気をつけてねリスカ?」
「まぁ最悪死にそうになったら妾が無理やり心臓動かすんで、五回くらいまでなら死んでもセーフですから気楽に構えててくださいまし?」
「リスカ今本当に死にそうなんですからね? わかってますギロン?」
「でも妾も一回死んだしリスカなら五回は無理でも一回くらいなら……」
会話を聞いているとちょっと心配になってくるので、リスカはこれから訪れるであろう治療の激痛に備える意味も含めて遠くの空を見つめることにした。
「……流れ星」
黄昏から夜に変わりゆく空から、一つの星が流れ落ちた。
願い事を唱えるにはあまりにも速すぎるその速度。気がついた時には星は消え果ててしまっている。
「──────」
気がつけば何故か、リスカは彼の名前を口にしていた。
空を駆けて燃え尽きるように消えてしまう星にその姿を重ねたのか、或いは別の理由か。
その理由を見つける前に、リスカは抗いがたい眠気に再び襲われて目を閉じる。
再び目を開けることが出来るという確信はあった。だから、流れ星に願うことはただ一つ。
どうか、彼が無事でありますように。
泡のように儚いその願いを、神様が聞き入れたかどうかは誰にも分からなかった。
好き
-
リスカ
-
ホシ
-
スーイ
-
ギロン