始まりは海の向こうから   作:天凪。

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X=1 第一村人

「ふむ、早速北上してコーン(ベルト)の跡地に向かいたいところだが」

「流石に全裸で原生林を進むのは無理があんね。特殊部隊のメンツだけならまだしも、ゼノも一般人もいるわけだし」

「となると、やはりこの辺りで一旦拠点を作り装備を整えるべきだね」

 

 蔦と葉で局部を隠しただけの貧相な身なりでゼノは一つ二つ頷いた。

 突如として我々を――否、世界を襲った石化現象。いつの日か同僚に尋ねられた『もしも』の話を、復活者全員が移動の支度を整えるまでの束の間にゼノは思い出す。

 『もしも石器時代の世界に飛ばされたら』。その時のゼノはこう答えた。『ゼロから科学の武器を作って独裁者になれる』と。

 

 おお、文明が滅びを迎えた今が正に、その仮定を現実のものとする絶好の機会ではないか! 倫理や政治などのゴミのような御旗をかざす愚者が尽く消えた今こそ、科学の力で全てを支配することができる。

 偉大なる人類の進歩を何者にも邪魔されない理想郷。それを作り上げる好機を手に入れたゼノは、自然と悪辣な笑みを浮かべた。

 

「ねえ、ちょっと! これを見て!」

 

 しかし特殊部隊の隊員の一人、マヤの声に妄想も途切れる。

 彼女が指したのは一本の木。その太い幹に刻まれたものにゼノは目を丸くした。

 

――Head West.(西に向かえ。) I'm waiting there.(私はそこで待っている。)

 

 切れ味の悪いナイフで刻んだような無骨な文字を指でなぞる。苔と蔦で覆われ、見えづらい位置にあったそれ。間違いなく、人間の文字だ。

 

「おお……我々以外にも復活者がいるようだね」

「……刻まれたのは随分前だな。少なくとも数ヶ月……否、一年は経ってる。削り口が妙に荒い……使ったのは普通のナイフじゃねえな。石器か?」

 

 文字の朽ち具合からスタンリーが推測を立てる。本当に文明の全てが滅び、金属を加工する技術を失ったのなら、刃物が石器でもなんらおかしくはない。

 

「ていうか私達より早く起きれるものなのぉ? 私達以外周りは皆石像じゃない」

「復活時間が環境によって左右されるのであれば不思議な話ではない。現に同じ場所にいた我々はほぼ同時に復活している」

「でもこれ書いたやつが味方だって確証は? 待っているのが石化攻撃してきたやつらの仲間だったら危険すぎないか」

「そもそも復活者じゃなくて生存者の末裔の可能性も……」

 

 騒ぎ立てる周囲を他所にゼノは文字に見入っていた。

 元来ゼノは好奇心旺盛なのだ。科学者たるもの不思議なものに目がないのは当然のことであった。

 

「……『行きたい』って顔してんね、ゼノ」

「! おお、スタン。やはり隠し事はできないね。うん、この文字を刻んだ彼ないし彼女がどんな人物かとても気になるよ」

 

 この文字の主は一体どんな人物か。導きの言葉を残すということは他の復活者を助ける余力を持っているということだ。石の世界でゼロから生活基盤を整えるのは一朝一夕でできることではない。

 

「敵の可能性は確かにゼロではないが、あの石化光線は南から発生していた。発生源に敵がいるならまだしも、わざわざこちらまで移動してくる理由はない」

「つまり俺らと同じ復活者の可能性が高いって言いたいワケね」

「そういうことだ。それに万が一敵だったとして……スタン、君なら制圧できるだろう?」

 

 それは絶対の信頼だった。疑いの問いかけではなく、幼馴染を心から信じている言葉だ。

 スタンリーは口角を上げる。

 

「――ああ、できるね」

 

 いつもの煙草がないのが惜しいくらいの艷やかな笑みで、いつものように返した。

 

 

 * * *

 

 

 スタンリーの手を借りて岩をよじ登ったゼノが息を切らせながらぽつりと呟く。

 

「即北上しなくて正解だったよ……」

「ゼノは頭脳労働派だかんね」

 

 おぶってやろうか? と揶揄ってくる幼馴染にゼノは口を尖らせた。

 背の高い木々が連なる鬱蒼とした原生林。かつては綺麗に整備された道は面影もなく、足場は非常に悪い。体を鍛えていないゼノや一般人のルーナは肩で息をしていた。ルーナの付き人であるカルロスとマックスはある程度体力があるためついていけてはいるものの、やはり軍人と比べるべくもなく消耗は激しいようだった。

 

「日も落ち始めてっし、今日は野営を……ん?」

 

 太陽の位置を確認すべく西の空を見たスタンリーの目に、灰色の筋が飛び込んでくる。

 あれは、そう、煙だ。

 

 煙の元へ向かうと、明らかに人の手の入った獣道が一本伸びているのが分かった。この道をそのまま使うのは万が一の時危険だが、それ以外は足場が悪く歩くのには不向きだ。

 そこでスタンリーは自身を含めた数名で斥候の役目を負うことにした。こちらのブレーンであるゼノを危険に晒すわけにはいかないからだ。 

 獣道から逸れた茂みの中を音を極力立てずに目的地へ向かう。しばらく進むと開けている土地が見えてきた。そこに人工的な柵と堀があるのを確認し、スタンリーらはそっと木陰から様子を窺った。

 

 一本の木を中心にして、大ぶりの枝を蔦で繋げた粗末な柵の囲いが作られていた。更に柵の周りを拙いながら鼠返しまである堀で囲っており、外部の侵入者を拒絶している。

 中央の木にはツリーハウスが建てられていた。柵で使われているよりは太い木材で作られたそれは、植物を編んでできた風除けで覆われている。ツリーハウスの下にぶら下がっているのは干し肉だろうか? 木の根元には石器の槍や斧といった道具が数本立てかけられているのも見えた。

 煙は広場にある焚き火から上っていた。土器の鍋が火にかけられており、何かを煮炊きしているようだった。

 現代文明の利器は何処にもない。やはり敵ではなく復活者のものと見て間違いないだろう。

 しかし、当の拠点の主らしき人影は何処にもなかった。

 

 外出しているのだろうか、いずれにせよ今のところ危険はなさそうだ。

 スタンリーは監視を二人残して道を引き返した。ゼノらと合流し見てきた拠点の様子を伝える。

 

「それなら接触しても問題なさそうだね。それだけ生活基盤が整っているなら北上の準備もすぐにできそうだ」

 

 乗っ取る気満々じゃん。なんてスタンリーは思ったが、ウキウキと鼻歌でも歌い出しそうなゼノにまあいっかとツッコミを放棄した。幼馴染が嬉しそうで何よりである。

 獣道を通って拠点に近づき、途中で道を逸れて監視役と合流する。

 

「ターゲットが戻ってきました。人数は一人、顔を確認できなかったため年齢は不明」

 

 茂みから拠点を覗くと、報告の通り見知らぬ人間が鍋の向こう、木の側でこちらに背を向けて何か作業をしていた。

 

「今なら不意打ちできますね」

「誰がすっかよ。おら、正面の門に回んぞ」

 

 敵対するわけでもないのに攻撃するなんて馬鹿のすることである。悪戯っぽく言う監視役の頭を軽く引っ叩き、再び獣道に戻って道なりに進み、門に辿り着く。

 門と言っても腰ほどまでしかない粗末な扉があるだけだ。堀の上に簡素な橋を渡すことで出入りができるように作られているようで、その橋は今はかけられておらず、門の向こう側で柵に立てかけられていた。

 作業に夢中でこちらには気づいていない拠点の主に、スタンリーが代表してHeyと声を張り上げる。

 

「そこのやつ! 指示通り来てやったぜ」

 

 瞬間、バッと勢いよく主が振り返った。スタンリーは思わず目を見張った。想像以上に、拠点の主が若かったからだ。

 

 夕日に照らされる金髪の奥で大きく見開いた目が瞬く。鮮やかなアースカラーがスタンリーらを凝視し、しかし不意にふ、と和らいだ。

 

「――いつか、私以外に誰か復活するとは思っていたけど……その人数は予想外だな」

 

 母を見つけた迷子のような、安堵に満ちた笑みを浮かべる彼は、十代半ばほどの少年にしか見えなかった。

 

 

  * * *

 

 

 少年は“アレックス"と名乗るとゼノ一行に服と食事を分け与えた。

 服は鹿の皮を鞣したものだった。数がそう多くなかったため、女性優先で手早く貫頭衣を作ってくれたのだ。食事も元々火にかけていた鍋のスープだけでは足りないからと、備蓄を切り崩して煮物を追加した。香草と塩と骨から取れる出汁で味付けされた料理はどれも美味だった。碌に調味料もないため、火を通しただけの質素な食事を覚悟していた一行は拍子抜けしつつ舌鼓を打つ。

 

「それにしても随分手慣れているね。鞣しもよく出来ている。もしや昔からサバイバル慣れしていたのかい?」

「ははっ、まさか」

 

 葉っぱの器に盛った飯をつつきながら、焚き火の向かいでアレックスは笑った。

 

「最初は何も分からなくてちょっとしたことですぐ死にそうになってた。食べ物はないし素っ裸で夜は寒いしそこら中に肉食動物がうようよいてろくに眠れなかったし。我ながらよく生きてたと思う」

 

 あの慣れた手付きを見たゼノらには想像もつかないことだった。しかし、少年がたった一人、素っ裸で石器時代に放り込まれたら、普通はたちどころに死んでしまうだろう。それを乗り越えたアレックスは、若いながらに非常に優秀な人材に違いない。

 

「色々試行錯誤した結果今はこうだけど、それまでは本当に大変だった。革もそう、洗って乾かすだけじゃ固くなるって知らなくてさ。叩けば柔らかくなるって気づくまではしばらく服なしだった」

 

 春から夏は虫刺されであちこち痒くてしんどかった、とアレックスは腕をさする。彼の服は露出度が非常に少なく、頭と手くらいしか肌を出していなかった。確かにそんな経験をすれば刺されない努力をするか、と納得する。

 

「初めて冬を迎えた時はそれこそ死を覚悟した。想像以上に寒くて凍死しかけたし、食べ物を見つけられなくて餓死もしかけた。あと、一回だけ山火事にも遭ったな……雷で自然発火して……完全に舐めてたよ、冬……」

 

 美しいアースカラーが遠い目をした。カリフォルニアの冬は比較的暖かいとはいえ、日によっては路面の水が凍るほど寒くなる。それに冬になれば当然、森の恵みも少なくなる。自然と狩りで食糧を調達する他なくなるわけだが、サバイバル知識に乏しくてはなかなか獲物も捕まえられなかっただろう。山火事に関しては運が悪かったとしか言いようがない。旧現代では山火事は頻繁に起こっていたが、あれの原因は大抵人為的なものだ。雷だとて、普通は雨と共に落ちるから、発火することは極稀。

 少年の苦労を想像した隊員達はよく頑張ったとアレックスを労った。

 

 人心地ついてだらけ始める面々を他所に、アレックスは一足早く食事を終える。葉っぱの器を焚き火に放り込むと、立ち上がってどこかへ向かおうとした。

 

「どこに行くんだ?」

「ん? あんた方の寝床を作りに。この人数は家に入りきらないからな」

「そんならちょっと待てよ、俺らも手伝うぜ」

「いいよ、私の残したメッセージで来てくれたんだからもてなすのは当たり前だ。それに森の中を歩いて疲れたろう? 今日はゆっくり休むといい」

 

 それでも気になるって言うなら、明日からたくさん働いてくれればいいさ。そう言ってアレックスはスタンリーの提案を流し、倉庫へと向かった。スタンリーは食い下がることなくその背を見送る。

 それから少しして、隣でちまちまとスープの干し肉を齧るゼノに声を潜めて話しかけた。

 

「……どう思う?」

「実に素晴らしいよ。ただ、気になるところは残るね」

「やっぱ?」

 

 ゼノは干し肉を飲み込みながら頷く。話が嘘でないことが前提だが、と前置きをし、続けた。

 

「語り方からして、彼は本当に何も知らない子供だったはずだ。それが大人数を支えられるほど安定した生活基盤を築くまで成長した……もちろん、彼自身の努力と強運の成したことなのだが……しかしそれならば」

「……」

 

 堀と柵で囲われ、整備された拠点。大の男数十人に分け与える余裕まである食糧。倉庫には革や食糧以外にも何か備蓄している様子が窺えた。皮の鞣し方一つ知らないような、サバイバル知識ゼロの子供が積み重ねてきた努力と奇跡の結晶だ。

 

 広場の真ん中で、敷き詰めた草の上に毛皮――春に服として使うには厚手のもの――を敷いて簡易的な寝床を作る少年を見つめ、ゼノは疑問を零した。

 

「――彼は一体、いつ目覚めたんだ?」


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