翌朝、昇り始めた太陽の光でスタンリーは目を覚ました。木枠に葉っぱをかけただけの簡易的な屋根の下、地面よりかろうじてマシな草の寝床の上で自分がすっかり熟睡していたことに内心驚く。体感数千年ぶりの睡眠に気が抜けたらしい。それは他の面々も同じで、スタンリーが起きた時は誰も彼もまだ夢の中だった。
……ただ一人を除いて。
「あれ、おはよう。まだ寝てても良かったのに」
片手に大ぶりの壺を抱えているアレックスが静かに倉庫から出てきた。すっかり身支度を整え、昨日と変わらない姿の彼を見て、素人の子供の気配でも起きなかったのかと頭を抱えそうになる。
「おはよ。むしろ寝すぎたって感じがすっけどね」
「そうなんだ? あ、でもそういえば軍人だっけ」
アレックスには今いる面子のほとんどが旧現代では特殊部隊だったということを昨夜の内に教えた。妙にゴツい人が多いと思ったとアレックスはあっさり受け入れたが、スタンリーが隊長だと聞くと目を丸くして「全然そうは見えない」とスタンリーをまじまじと見つめた。軍人らしからぬ秀麗な顔立ちを揶揄してのことかと思ったが、「まだ若いのにすごい。優秀なんだな」と純な笑みを向けられて毒気を抜かれたのを覚えている。
「顔洗うならあっち。綺麗な水湧いてるところあるから」
「ああ、後で行くわ。アレックスは何すんだ?」
「川に朝飯の調達」
大ぶりの壺は魚を入れるためのものらしい。しかし、とスタンリーは革の手甲に覆われたアレックスの腕を見る。手甲越しでも、その腕は細い。体を覆うマントで分かりづらかったが、そもそもアレックスはかなり細身のようだった。成長期に過酷なサバイバルを強いられ、十分な栄養を摂れなかった弊害だろう。大人数の朝食分の魚となると重さもかなりのものになるが、彼にそんな重い荷物を運ぶ力があるようにはとても見えなかった。
「手伝うぜ」
「いや、仕掛けた罠から魚回収するだけだからいい。それより、顔洗った後でいいから火を起こしといてくれるか? どれだけ経っても火起こしは苦手でさ、やっといてくれると助かる」
……まあ、彼は今まで一人で生活していたわけだし、見た目以上に力持ちなのかもしれない。
そう考えて頷き、先刻教えられた水場に顔を洗いに行こうとした。その背にアレックスが言葉を投げかける。
「そうそう、朝飯の後はこの辺の地理とか色々教えておきたいんだ。だからその時は頭脳派の面子集めといてほしい。地図は一枚だけだから、この人数全員に見せるのは手間なんだ」
――は?
出かけたその一音を既でのところで、了承の言葉に変え、川へ向かうアレックスを見送った。
彼の姿が見えなくなった頃に、スタンリーは思わずぽつりと呟く。
「……地図まであるのか」
* * *
アレックスは全員が起き出した後に帰ってきた。壺いっぱいに魚を取ってきていたが、それでも一人一尾はないため昨日と同じく汁物を作ることになった。
「朝からこんなに魚獲ってきたの? 大変だったでしょぉ」
「前々から仕掛けていた罠にかかっていたのを集めただけだからそうでもないよ」
切れ味の鈍い石器で器用に魚を捌きながらマヤに笑う。
アレックスは土器に水をたっぷり入れ、捌いた魚を全部ぶち込んだ。ほろほろになるまで煮る間に各々石器で木の器を作る。食器が足りないからだ。昨晩は葉っぱで代用したが、汁気の多いものを入れるにはやはり不便だったので一人一つ自分で作ろうということになったのだ。土器だと粘土の調達、成形、乾燥、焼きと土器は工程が多いが、木であれば木材の調達、削り出しの二工程で済むから即決だった。
スタンリー率いる特殊部隊が手頃な木を一本切り倒し、そこから木材を切り出して配布する。なお、ここでゼノを除くアレックスやルーナら一般人組は「なんでそんなあっさり木を倒せるの?」と言わんばかりに特殊部隊の面子を凝視していた。
器作りは、サバイバル慣れしているアレックス、ナイフを使い慣れている特殊部隊メンバーは瞬く間に終えていたけれど、そういったことに慣れていない数人はやはり手間取っていた。
「その削り方だと危ないよ」
「ひょえっ!?」
「利き手は右? じゃあ右でナイフ持って、左手の親指を刃の背に添えて……」
慣れていない数人の内の一人であるルーナは、今まで服を縫う時に一言二言しか言葉を交わしていないアレックスが突然隣に腰掛けて自分に話しかけてきたことに驚き、目を白黒させた。茶色と緑がまだらに混ざる不思議な色合いの瞳がやや伏せられ、ルーナの手元を見つめる。髪色と同じ金の睫毛が思ったよりも長いことに気が付き、そしてそんなところも見えるくらい彼が近い距離にいることにちょっとドギマギした。
アレックスはこの場にいる凄い軍人よりも早く目覚め、そしてたった一人でこの拠点を築き上げた少年だ。紛れもない努力家である。年齢も近く、見目も悪くはないし、筋骨隆々なマヤ相手であってもレディファーストを忘れない紳士だ。
この人現代では絶対モテてたでしょ、と内心思いながらルーナはすまし顔を作って覚束ない手つきで指示通り木を削っていく。
「ん、その調子。怪我しないようにな」
隣の少女がそんなことを考えているとは露ほども知らないアレックスは、思ったより器用みたいだから放っといてもいいかなと考えていた。
手つきが覚束ない数人の内、ゼノはスタンリーが率先して教えていたし、カルロスとマックスはやり方自体はわかっているようでお互い競うようにしていたため口出しは不要と判断し、一人でなんとかしようとしていたルーナの手伝いをすることにしたのだ。
「見て、できたわ!」
「うん、ちゃんと底が平らだ。これなら地面に置いても倒れない。……ふちはもうちょっと綺麗に均した方がいいな。口をつけた時傷つく」
すまし顔を作るのを忘れたルーナがぱっと顔を華やがせ、できたばかりの器をアレックスに見せる。
この子初めて笑ったな。口には出さず、代わりに微笑みを返し、アレックスはルーナの手から器と石器をするりと取ると、トゲを払うようにふちを整えた。
「せっかく綺麗な唇だから、傷ついたら嫌だよね」
「へ、」
「君、肌や髪の手入れに熱心なタイプだろ? こんな世界じゃ美容云々は二の次三の次になっちゃうけど、防げるものは防いでいいと思って」
「あ、あ~、そういう……」
この歳で女の子に綺麗な唇なんてさらっと言ってしまえるなんてとんだ天然ジゴロだ。ルーナと会話を盗み聞いた者は揃って同じ感想を覚えた。
朝食を終えて各々寛ぐ中、スタンリーはゼノと他記憶力の優れた数名を連れて倉庫のアレックスのもとへ訪れた。
「へえ、随分色々あんじゃん」
「何が必要になるか分からなかったからな。ゲームでも物資は溜め込むタイプなんだ」
倉庫として使われている掘っ立て小屋は、幅はあまりないが奥行きがあり、左右の壁には棚が設置されていた。そこに土器が整然と並べられており、木の札でラベリングされている。床は土が剥き出しで、真ん中の辺りに昨晩アレックスが寝たのだろう寝床が放置されていた。
寝床を踏まないように奥に進むと、奥の壁一面に巨大な地図が一枚貼り付けられていた。地図といっても現代の詳細なものではなく、森の範囲や水場の位置、動物の縄張りの範囲が大まかに書き込まれただけのシンプルなものだ。その地図には魚の骨でできたピンがいくつか刺さっていた。
「おお、実に素晴らしい! 使っているのは羊皮紙だね」
「うん、でかい地図欲しかった時に手頃な皮が手に入ったから」
アレックスが左側の壁にあった倉庫唯一の窓を開けると、光が差し込んで地図がより見えやすくなった。
地図の中央、開けたところに書かれたHomeの文字をアレックスは指をさす。
「真ん中のここが今いる拠点。南北は森ばっかで、東は川を挟んだ向こうにハゲ山がある。西は草原が広がってる」
「ふむ。塩は西の海から採ってきたもので合っているかい?」
アレックスはゼノの指摘に頷く。
「ああ。見切れてるけど、草原と森越えてもうちょい行くと海に出るんだ。でも塩がなくならない限りあんま行かない」
「距離があるからか? 片道一日くらいかかるだろ」
「それもあるけど、草原にはバッファローの群れが住んでるし、象とかキリンみたいなサファリパーク出身ですみたいなのもいるし、そういう草食動物を狙ってライオンやコヨーテも群れ単位でうろついてて……とにかく危ないんだ。私の足じゃ毎回片道二日はかかるし、どうしてもって時以外はこの森に籠もってる」
「なるほど」
バッファロー――アメリカバイソンは、成獣で二メートルの体高になる巨大な牛だ。大きいから遅いのかと思いきや、彼らは人間の三倍の速さで走れる。その速度で体当たりされたら人間なんてひとたまりもない。更に体当たりした後角を突き刺してトドメを刺そうとしてくるのだから、現代でも近づくのは厳禁とされている。
象は言わずもがな、あの巨体に踏まれれば死は免れない。キリンだとて、その蹴りはライオンすら一撃で殺せるほどの威力を秘める。
肉食動物でないならなどと油断してはならないのである。
「特に今はどの動物も大抵子育てシーズンだから草原には絶対行くなよ、死ぬぞ。
……あと、この辺でヤバいのはここから北の……ここ。この池の辺りを縄張りにしている狼の群れ。一回鉢合わせたことあるけど、多分十五頭くらいはいるんじゃないかな」
「よく襲われなかったな」
「丁度鹿を持ち帰る途中で、代わりに差し出したら見逃してくれたんだ。あれがなかったら死んでた」
「お前……山火事といい、今までよく生きてたな」
「それは本当にそう」
今まで一体何回九死に一生を得てるんだか。死んだ魚の目で乾いた笑みを浮かべるアレックスに微妙な空気が漂った。
それを咳払いで霧散させ、改めて地図に向き直る。
「あと南西にピューマか豹みたいな足跡もあった。今のところまだ一回も見てないから実際のところは分からない。ネコ科は上から来ることもあるから怖くてさ、近づかないようにしてんだ。悪い」
「いや、十分だ。一人なのによくやってんよ」
「スタンの言う通りだな。ところで、この骨のピンはなんだい? 随分たくさんあるけれど」
「ああ、それは罠の場所。あちこちに仕掛けてるから忘れないようにチェックしてるんだ。狩りは苦手で、獲物は全部罠で獲ってる。
他に何か質問はある?」
「地形的に危険な場所はあるか?」
「んー……元がピナクルズだったから、どこも岩で高低差があるくらいだな。ここに来るまで歩いたからなんとなく分かるだろ? この森は大体あんな感じ」
それを聞いた途端ゼノが嫌そうな顔をした。デスクワーク派のヒョロガリ科学者にはあの道中の登り降りは鬼門も鬼門だった。
「ん、質問もうないみたいだし、ひとまずこんくらいかな。
軍人の皆さんには狩りを任せたいんだけど、チーム分けとかその辺の裁量は私にはよく分からないから。この後罠の確認と新しい罠仕掛けに行くからその時にこの辺の道案内はする。ついてくる人選は任せた」
「OK、狩猟組を選抜しておく」
スタンリーと他軍人の面子が出入り口に向かうのを見送り、アレックスは窓を閉めようと振り返る。するとそこにはゼノが未だ残っており、興味深げに羊皮紙の地図を観察していて目を丸くした。
「? ゼノ? 何か気になることでもあった?」
「いや、大したことではないんだが……こんなに大きいのに継ぎ目の一つもないから、一頭の動物で作ったのだろう? 一体なんの動物で作ったのか気になってね」
「ああ、それ、熊」
「……熊?」
「そう、熊。グリズリーの皮で作ったんだ」
さらっと落とされた爆弾にゼノはしばし呆けた。
グリズリーとは北アメリカに生息するヒグマの仲間だ。直立すると二メートルほどにもなる巨体に優れた嗅覚、鋭利な爪、強靭な顎を持つ獣。当然、普通の人間が敵う動物ではない。
思わずゼノは壁一面に貼り付けられた地図を見上げた。縦横二メートル弱はある。一番使いやすい胴体部分のみを引き伸ばして手頃な形に切って整えたのだろう。間違いなく成獣のサイズであった。
「銃は……」
「あるわけないだろ。石器時代の文明力だぞ。あるのは打製石器だけだって」
「……狩りは苦手なんじゃなかったのか? 君は化け物かい?」
「失礼だな? つーか、真正面から殺り合うわけないだろ。死ぬわ普通に。罠に嵌めて倒したんだ」
「罠だって? 鹿や猪ではないんだよ? 一体どうやって……」
「三日かけてでっかい落とし穴掘ってそこに落とした後、火をつけた木炭たくさん入れて蓋した」
「一酸化炭素中毒にしたのか。エレガントだがクレイジーすぎる」
「他に選択肢がないならやるしかないじゃないか。南北と西は肉食獣の群れ、東は何もないハゲ山だぞ? グリズリー相手でもタイマンならまだ勝算があると思ったんだ」
で、まあ計画通り倒せたから良かったけど、血抜きもできなかったし勿体ないけど結局皮と牙だけ持ち帰ってあとは全部埋めた。と話しながらアレックスは窓を閉めた。
グリズリーの成獣はおよそ三〇〇キログラム。彼の細腕では持ち上がらないのは当然だった。そんな細腕でグリズリーを嵌め殺したわけだが……。
そのまま倉庫から出ようとするアレックスに、ゼノは鋭い視線を投げかけた。
「アレックス。君は、一体何者なんだ? その話は俄には信じがたい。もし本当なら、君はあまりにも異常だ。それにこの拠点を作り上げ、これほどの物資を溜め込んでいるんだ。この生活もほんの一年や二年の話ではないだろう」
「ええ……嘘はついてないんだけど、疑ってるのか?」
アレックスの形の良い眉が下がる。
「快く食料や服を分け、地図まで見せてくれたことには感謝しているさ。だが、それとこれは話が別だ」
「うーん、何者だって言われてもなあ」
ゼノの突然の詰問にアレックスは困り果てているようだった。
その様子は善良な人間が困っているようにしか見えなかったが、やはり違和感は拭いきれない。ゼノは頭を搔いて答えあぐねるアレックスをじっと見た。
「生まれも育ちもカリフォルニアの一般人としか言いようがない。あとは、この世界での生活が無駄に長いだけ」
それだけだ、と目を伏せてアレックスは言葉を零して出ていった。
嘘をついているようには、見えなかった。
厳密に言うとアメリカバイソンはバッファローじゃないみたいなんですけど現地ではバッファローと呼んでるようなのでバッファロー呼びしてます。まあでかい牛おるやでってことで。
アレックスにチートはありません。完全記憶能力もなければスタミナおばけでもフィジカルおばけでもなく、なにか特殊な分野のエキスパートだとかそんなこともないです。