今回からアレックス過去編になります。
――ピシッ……ビシビシ……
亀裂から光が差し込む。今まで指一本たりとも動かせなかった体が、徐々に自由を取り戻していく。
――バリバリバリィッ
「よしっ……やっと復活だ!」
体中に貼り付いている石片を物ともせずに立ち上がる。ぱらぱらと崩れ落ちていく石を払いながら周りを見回した。
木、木、木。見渡す限りを木々が両手を広げている。見晴らしは最悪だが、私はただただ嬉しかった。
――この世界が『Dr.STONE』の世界だと気がついたのは、国際宇宙ステーションへ行くメンバーの中に石神百夜の名を見つけた時だった。
当時私は既に前世の記憶を取り戻していた。しかし丸っきり普通の現代だったものだから、まさか漫画の世界に転生していたなんて夢にも思っていなくて油断していた。朝のロケット発射のニュースでその名を見つけた時は口に含んでいたコーヒーをぶちまけたものだ。
そんなまさかと慌てて覚えているキャラの名前を検索して、獅子王司やあさぎりゲン、七海財閥が実在することを知り、天を仰いだ。
『Dr.STONE』。謎の石化現象によって突然全人類が滅びを迎えた世界で、自力の復活を遂げた主人公石神千空が滅んだ現代文明を科学で復興させるという物語だ。
この時点で「あ、詰んだわ私」と思った。トリップに気づいたのがあまりにも遅すぎたからだ。
正確な日付は覚えていないが、石化現象は石神百夜が宇宙ステーションに行ったその年に起こる。更に生き残り人類の一人であるリリアンの滞在予定期間は一週間。リリアンの帰還を待たずに、ということは、一週間以内に人類は滅びるということ……。
たった一週間で何ができる? もっと早く、せめて去年にでも気がついていればサバイバルスキルを多少は身につけられたのに。
否、そもそも脳をフル稼働させていた主人公でさえ目覚めるのに三七〇〇年もの時間を要したのだ。五感を全て失った上一ミリも動くことすらできない状況を常人が耐えられるか? 仮に耐えられたとして、三七〇〇年も経っていたら付け焼き刃の知識なんて全部吹っ飛んでるに決まっている。
そして何より、今私が住んでいるのが日本ではなくアメリカであるというのが最悪だ。
日本であれば意識を失ってもワンチャン復活液をかけてもらえるが、アメリカだとそうはいかない。一応主人公の師匠が北米に文明を築いたというのは覚えているが、確か主人公と違って復活液そっちのけで兵器を生産していたはずだ。北米編の途中で前世は死んでいるから、その後のことはほとんど知らない。というか漫画自体うろ覚えだ。転生してそれなりに時間が経っているから仕方がない。よく石神百夜の顔と名前で気がつけたものだと自分を称えておく。
とにかく、自力で復活しなかったらそのまま死亡ということも十分有り得るのだ。
というか当たり前のように意識を失わなければOKとか考えていたが、他にもクリアしなければならない条件が少なくとも二つある。
まず硝酸。復活液自体は硝酸とアルコールの混合液であることは覚えている。混合比や濃度はさっぱり覚えてないが、とにかく硝酸は自力復活に必須だったはずだ。
そして石化後三七〇〇年間指一本たりとも欠けずにいることも必要だ。三七〇〇年もあればハリケーンや、最悪噴火とかの自然の脅威に一度は巻き込まれるだろうし。割れてもくっつければ治るらしい――ああでも、断面が風化してたら駄目なんだっけ?――が、初期復活じゃ一体誰が割れた体をくっつけてくれるというんだ?
要するに復活には意識の保持、硝酸、割れない強運の三つの要素が必要不可欠ということだ。
私は頭を抱えた。
意識の保持、これは気合と根性の話だ。未来の私頑張れ。
硝酸、これも予め硝酸が採取できる場所で石化することでクリアできる。
問題は割れずに三七〇〇年生きること。運ゲーにも程がある。どうしろっていうんだ。意識があるのに体割れてたらおしまいじゃないか。
え、意識保ったまま頭とか割れたらどうなるんだ? 割れたって分かるものなのか? 普通に即死するのか? それとも風化と共にゆっくり死ぬのか? いずれにせよ怖すぎるだろ。
いや、いや。考えても意味はない。もうタイムリミットまで一週間を切っている。三七〇〇年も保つ頑丈な素材で身を固めるなんてただの子供の私ができるわけないし、それ以前に素材自体思いつかない。宝箱よろしくコンクリートとか? 石化する前に窒息死するわ馬鹿。
これに関してはもう、運ゲーに勝つしか方法はない。
そう腹をくくった私は、硝石が豊富なピナクルズ国立公園に毎晩足を運んだ。比較的近い場所に住んでてよかったとつくづく思った。
主人公が石化したのは昼間、学校にいた時間。時差を考えるとカリフォルニアはざっくり日没後から日付を跨ぐまでの夜の時間帯になるだろう。
リリアンの帰還予定日までピナクルズで夜のハイキング。この漫画の記憶が全部私の妄想で、何もなければそのまま普通の生活に戻るだけだ。
なんて思っていたが案の定原作通り石化光線は津波となって地球を飲み込んだ。
遥か向こうから迫り来る緑の光に腹を括った私は、体を伸ばした状態では割れる可能性が高いからと、背を丸めてダンゴムシのようになって光線を受けたのだった。
「私が一番早く起きるなんてことはまずないだろうし……とりあえず北米組の拠点を探すか」
全裸は嫌すぎるのでひとまず蔦や葉っぱで局部を最低限隠す。かさかさして気持ち悪いが背に腹は代えられない。
原作では確か北米組はコーンの栽培を行っていた。コーン帯はここピナクルズから北に位置しているから、ひとまず北上してみるか。
幸い朝方のようなので太陽の位置から大雑把に方角を割り出し、北に向かって足を進めた。
……が、すぐに足を止めることになった。
理由は簡単、あまりにも足場が悪すぎるからだ。
小石、枝、木の根に草、色々なものが足を痛めつけてくる。素足で公園を駆け回ったことすらない現代っ子の柔い足裏は秒で音を上げた。
「…………まずは靴だな……」
うっかり尖った小石を踏んで悶絶したり、木に触れた拍子に皮膚に刺さったトゲを抜くのに四苦八苦したり、這々の体になりながら辿り着いた小さな川で傷口を洗う。川底も見えるほど綺麗だから水質は大丈夫のはず。薬一つないこの状況で膿んで敗血症にでもなったら即お陀仏だ。……消毒もできるようにならないとゼノ達の拠点を見つける前に死ぬかもしれない。
手頃な大きさの石に腰掛けて足を小川に浸し、その痛みと冷たさで少し冷静になると、すべきことを考える余裕が生まれた。
目指さなければならない北米組の拠点の正確な位置は分からないが、サクラメント川流域というのは分かる。大規模な農耕をするなら大量の水がいるから、大きな川の近くに農地を作るのは当然だ。
ピナクルズからサクラメントの街まで距離はどのくらいだったっけ。文明が滅んでない頃でさえ、徒歩では一日で着くような距離ではないだろう。
……こうやって考えると、起きてすぐコーン帯に行こうだなんてとんでもない無茶だというのはよく分かった。全裸でカリフォルニア縦断は無理ゲーが過ぎる。前世の下地がある分自分は常に冷静な方だと思っていたが、かなりテンパっていたらしい。
最終目標はサクラメントにあると思われる北米組の拠点に辿り着くこととして、それに必要なものを書き出していこう。
そこらへんに落ちていた木の枝で土に文字を書く。
まず食糧。徒歩でどれくらいかかるか検討もつかないが、道中木の実とか、最悪虫とか食べればなんとかなるとして。真水が手に入るか怪しいから水を中心に保存食に加工したものを三日分以上は持っていきたい。水の持ち運びってことは水筒を作らないと。……水漏れしない水筒、作れるだろうか。
そういうのを考えるのは後にして、次に服だ。特に靴は重要だ。現代人の素足で原生林を進むのは無理。あと粘膜の保護のためにも下着は急ぎで作っておくべきだろう。寄生虫とか怖いし。野生動物も怖いから防具なんかも欲しいが作り方が分からないから保留。
他にも、無傷で踏破は百パーセント無理だから、せめて化膿しないように消毒液……アルコールが必要だ。酒作って蒸留すればいけるか? というか酒って作るのにどれくらい時間かかるんだろう。石鹸作る方が早いか。石鹸の作り方あやふやだけど大丈夫かな。
それと道具各種だな。必須なのは斧、あとは小回りの利く小さなナイフとか。石器以外にもロープとかは欲しい。そう都合良く薪になる乾いた木があるとは限らないから焚き火用に多少は木もあるといい。
大荷物になるからどう考えても荷物を入れるバッグも作らないといけない。
パッと思いついたものを書き出してみたが、これだけの装備を整えるのはかなり大変そうだ。拠点作って、生活基盤確保して、装備を整えてとやっていたらどれだけ時間を取られるのか。早く原作キャラと合流して安全を確保したいのに……。
北米組の初期拠点が近くにあればそれを借りたいけど、そもそも北米組がどこで復活したのか覚えてないから、まずは自分で拠点を作らないと。
そうと決まれば今晩の寝床を探そう。もうだいぶ日が登っている、というか傾き始めてる。十四時か十五時くらいか? 日没なんて作業してたらすぐだから急ごう。
小川に浸していた足を振って水を切り、何もない地面を慎重に探って歩く。途中で長い枝を見つけたので、それで邪魔なものを払えば進みやすくなった。
そう時間もかからず小川の近くに根本に大きな洞のある木を見つけたので、その樹洞を寝床にすることにした。
入り口は狭く、子供の私でさえ屈まないと入れないが、中は外から見るよりも広い。流石に大人が入れるほどの広さはないが、子供の私なら丸くなれば十分眠れるくらいだ。昆虫と菌糸類の温床となっていて掃除をしなければとても寝転がれないけれど。今のムカデっぽいやつ、私の前腕くらいの長さがあった気がするが気のせいにしたい。あんなの見た目だけでも無理なのに噛まれたらやばすぎる、虫嫌いじゃなくても怖い。早く掃除しよう。
蜘蛛の巣を払い、キノコを引っ剥がし、石混じりの腐葉土を取り出し、と掃除しつつ出てきた巨大な蜘蛛や多足類と格闘していれば時間はあっという間に過ぎる。気がつけば空は茜色に染まり、森は見る見る内に明るさを失っていった。
本当は寝床を整えたら火起こしチャレンジがしたかったが、今から薪や枯れ草を集めるのは難しい。火起こしは明日に回して、今日は水をたくさん飲んで空腹を誤魔化して眠るとしよう。
小川の水をがぶ飲みした後、作ったばかりの獣道を辿って樹洞に潜る。土の上に虫のついていない葉っぱや蔓草を敷き詰めただけの寝床は、ベッドに慣れた身としては固すぎて普通なら寝られたものじゃない。が、疲れた体のお陰かすとんと落ちるように眠りに就くことができた。
どれくらいの時間が経ったか、ふっと意識が浮上する。瞼を上げても明かりのない洞の中は真っ暗闇だ。視線を出入り口があるはずの方へ向けても何も見えないから、夜明けはまだ先のようだった。
こんな時間に起きても仕方がないから二度寝しよう。凝り固まった体をほぐすように身動ぎして体勢を変えようとした、その時のことだ。
――ガサガサッ……パキッバキッ
体が硬直する。何の音だ? 無意識に息を潜めていた。風の音かもしれないのに、直感がそれを否定する。
もっと地表に近いところで、何かが低木の間を通った。そんな音だ。
物音は尚も続く。不規則な音は徐々に近づいてきた、それに伴って私の心臓もどくどくと忙しなく脈打つ。それを落ち着けるために、静かに空気を吸い込み――明らかな獣臭さを感じて喉の奥がぎゅっと狭まった。
「……ぁ、」
目だ。
思わず漏れた声にそれが反応する。月明かりだろう僅かな光を反射して、灰色がかった黄色い目玉がぎょろりとこちらを見た。
人間にしてはやけに低い位置にその目はある。人間では、ない。
冷や汗が背中を伝う。必死に息を殺して、あれの体がこの樹洞の出入り口より大きいことを祈った。狭い洞の中に逃げ場はないが、入ってこられない限りは安全なのだ。
震える手で口を押さえて洞の奥で体を縮める。黄色い目は暗闇の中の私をしっかと捉えて離さない。
あれの頭部が、ぐっと洞に押し入ってきた。獣の臭いと湿った呼吸が近い位置でする。
骨ごとどうにかなってしまいそうな震えが止まらない。
このまま噛みつかれて引き摺り出されて食われるんだ。そんな想像が頭を巡った。
しかし。想像とは裏腹に、黄色い目のそれは私に噛みつくことはなく。離れた場所でした鳴き声に反応してあっさりと洞から頭を抜いて、二度と振り返らずに去っていった。
しばらくして物音が聞こえなくなっても、私は再び眠ることはできなかった。空が白んで洞の中に日が差し込むまで、私は身動ぎ一つできず、まるで石に戻ったように固まっていた。